アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「1月1日」と天皇制の国民支配

2019年01月03日 | 天皇制と憲法

     

 今年の「新年一般参賀」には「史上最高の15万人超」が集まったとメディアは大々的に報じています。
 そんな表面的なこととは別に、「1月1日」は天皇制の意味を考えるうえで重要な日です。

 天皇の1年の”仕事始め“は、1日早朝(今年は午前5時半から)の「四方拝(しほうはい)」に始まります。天皇が東西南北の神々を拝む重要な宮中祭祀(神道儀式)です。
 天皇が個人的にどんな宗教儀式を行おうと勝手ですが、それが「国民」への天皇制の浸透に深くかかわっている以上、見過ごすことはできません。

 なぜ「1月1日」は「祝日」なのでしょうか。単純に「新年・正月」だからではありません。
 「国民の祝日」は天皇の宮中祭祀と密接な関係です。

 「その(宮中祭祀の)多くは明治維新後に創設されたもの」(島薗進氏『国家神道と日本人』岩波新書)です。明治政府は天皇制の浸透を図るため、宮中祭祀を「祝祭日」にする施策をとりました。始まりは明治天皇の誕生日を祝う天長節の布告(1868年8月26日)です。それが「宮中と社会が祝祭日を同時に祝う近代のあり方の嚆矢」(『天皇・皇室辞典』岩波書店)となりました。

  以後、宮中祭祀が次々と「祝祭日」とされました。この中で、「四方拝(1月1日)も祝日の扱いとなる」(同)のです。これが「1月1日」が「祝日」となったルーツです。

 天皇制(国家神道)を「国民生活」に浸透させる明治政府の政策は日露戦争(1904年)以降、いっそう強化されました。その中でつくり出されたのが各地の神社への「初詣」です。
 「1月1日における国民的神道儀礼としての社寺への初詣が創出され、官公庁や小学校の新年節と連動しつつ都市から農村へと全国的に広まってゆくのも日露戦争後である」(同『天皇・皇室辞典』)

 「祝祭日」や「初詣」は「国民生活」に密着していますが、「国民」の目の届かない宮中で「1月1日」に行われている重大な儀式が、「新年祝賀の儀」です。

 1日朝(今年は午前10時)から、関係者が次々と天皇・皇后を訪れ、新年のあいさつを行います。最初は皇太子・同妃をはじめとする皇族(写真中)。次に元皇族、未成年皇族と続きます。

 問題はこれからです。午前11時、宮中「梅の間」で天皇・皇后を拝したのは、安倍晋三首相以下閣僚たち。それが終わると部屋を変えて衆参両院議長(写真右)、国会議員ら国会関係者、さらに部屋を変えて最高裁長官ら司法関係者、そして全国の知事・地方議会議長らと続きます。これが「祝賀の儀」です。

  年の始まり「1月1日」の朝に、首相、衆参議長、最高裁長官の「三権の長」はじめ行政、立法、司法の関係者が揃って皇居を訪れ、天皇・皇后に拝謁し、新年のあいさつを行う。 ここには天皇と「三権」・地方との関係が象徴的に(それこそ”象徴“的に)表れています。天皇は「三権」・地方の上に立つ国家元首の扱いだということです。
 これが「主権在民」の現行憲法と相いれないことは言うまでもありません。

 明治政府が創設した「祝祭日」、「初詣」などによって無意識・無自覚のうちの天皇制(国家神道)の浸透が図られていることを知る必要があります。
 そして、「主権在民」の憲法原則に反する「祝賀の儀」による天皇の元首扱いはやめさせねばなりません。

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