新年早々、大変な事実が明らかになりました。
1日付の朝日新聞は1面トップで「昭和天皇 直筆原稿252首」と題する独自記事を掲載しました。この「252首」の中に、岸信介首相(当時)が多くの国民の反対を押し切って強行した日米安保条約改定(1960年)を裕仁が評価し岸を賛美する歌が含まれていることが分かったのです。
朝日の記事は1面と社会面で、1面のサブ見出し<晩年の歌発見 大戦「あゝ悲し」>、社会面の見出し<昭和天皇 飾らない心>に示されているように、記事の基調は裕仁賛美(擁護)です。したがって1面、社会面の記事には問題の安保・岸賛美の歌については一言も触れられていません。
問題の歌の存在を明らかにしたのは、社会面に掲載された作家の半藤一利氏のコメントです。朝日は半藤氏に発見された裕仁の短歌の「内容を確認、評価してもらった」としてコメントを掲載したのですが、結果は皮肉にも朝日記事の基調とは真逆の裕仁の実像をあぶりだしたことになります。
半藤氏のコメントの中から、問題の部分を書きぬきます。
<注目したのは、日米安保条約改定を実現した岸信介首相(当時)の死去に際し詠んだ歌だ。
その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは
天皇自身の注釈として「言葉は聲なき聲のことなり」とある。安保改定が国論を二分し、国会がデモ隊に包囲される状況の中で岸首相が語った「いま屈したら日本は非常な危機に陥る。私は『声なき声』にも耳を傾けなければならぬ」を思い起させる。デモ参加者の声ばかりが国民の声ではない、という意味だ。昭和天皇が記した「聲なき聲」という注釈と歌を合わせると、昭和天皇は、岸首相の考えを「おもひふかけれ」と評価し、深く思いを寄せていたのかと複雑な気持ちにとらわれる。(中略)
終戦後には、米軍による沖縄の占領を長期間継続するよう、側近を通じて米側に伝えていたことも明らかになっており(「沖縄メッセージ」―引用者)、側近にも日本は軍備を持っても大丈夫だとの考えを漏らしていた。あるいは日米の集団的自衛を定めた安保改定に賛成の気持ちを持っておられたのだろうか。それをうかがわせるような直筆の言葉が残されていることに心から驚いている。生涯、大元帥としての自分がなかなか抜けなかったのか。>(半藤一利氏、1日付朝日新聞。太字は記事の通り)
この歌は明らかに「安保改定」と岸を評価・賛美したものです。60年に改定された「新安保条約」は日本をアメリカの目下の同盟国として、米軍と自衛隊の一体化を強め、集団的軍事行動をすすめるものです。安保法制(「戦争法」)の根源であり、安倍政権が推し進める大軍拡の元凶です。岸は世論を無視して「安保改定」を強行し、退陣に追い込まれました。
裕仁がその「安保改定」と岸を評価・賛美する歌をつくり、自ら「注釈」までつけていたことは、裕仁の根深い好戦性と対米従属、憲法蹂躙の実像を浮き彫りにしています。
明仁天皇はその裕仁に天皇としてのあり方を学び強い影響を受けたと自認しています。安倍首相が祖父である岸を崇拝していることも含め、この問題はけっして過去のことではありません。「象徴天皇制」の実体を考える上でもきわめて重要です。