アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記259・小説読み直して分かった映画「君たちはどう生きるか」

2023年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム
   

 映画「君たちはどう生きるか」(宮崎駿監督・原作・脚本)を封切の14日にみた。
 「事前に内容を一切紹介しない」ことが逆に大きな話題になり、いつもはガラ空きの映画館がこの日は満員だった。
 これから観ようと思っている人もおられるだろうから、内容には触れない。

 難しい映画だ、というのが第一印象だ。ジブリの映画は「風の谷のナウシカ」以来ほぼ全作品みているが、今度の映画が一番難解だった。というより、感動しなかった。すべてが中途半端に思えた。

 「君たちはどう生きるか」は言うまでもなく吉野源三郎の小説のタイトルだ。しかし宮崎監督の映画は小説を原作にしたものではないオリジナルだということは事前に知っていた。

 それにしても、そのままタイトルにしているということは、吉野源三郎の小説とつながっているはずだ。小説を読めば映画のナゾが解けるかもしれない。そう思って、小説を再読した。はるか昔に読んだことは覚えているが、悲しいかな内容はほとんど記憶になかった。

 小説の最後のページで、ナゾの一端が解けた気がした。
 中学生のコペル君は様々な体験をへて、信頼するおじさん宛てに、ノートにこう書いた。

「いちばん心を動かされたのは、やはり、おとうさんのことばでした。ぼくに人間としてりっぱな人間になってもらいたいというのが、なくなったおとうさんの最後の希望だったということをぼくは、けっして忘れないつもりです。(中略)

 ぼくには、いまなにか生産しようと思っても、なにもできません。しかし、ぼくは、いい人間になることはできます。自分がいい人間になって、いい人間をひとりこの世の中に生み出すことはぼくにも、できるのです。そして、そのつもりにさえなれば、それ以上のものを生み出せる人間にだって、なれると思います。(中略)

 ぼくは、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中がこなければいけないと思います。人類はいままで進歩してきたのですから、きっといまにそういう世の中にいきつくだろうと思います。そして、ぼくは、それに役立つような人間になりたいと思います。」

 吉野源三郎が小説「君たちはどう生きるか」を書いたのは1937年。映画「君たちはどう生きるか」の時代設定は1944~45年。この映画が2023年に公開された意味は深い。

 小説は「原作」ではないが、吉野源三郎が小説に託した希望は、宮崎駿の映画に受け継がれている。
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