アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記124・「ウリハッキョ」に込められたもの

2020年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム

   朝鮮学校が高校無償化制度から排除されている差別政策を卒業生らが訴えた裁判の広島高裁判決(10月16日)。そのルポが月刊「イオ」最新(12月)号の中村一成(イルソン)氏の連載にある。

 私は裁判所前の判決報告、弁護士会館での報告集会、広島朝鮮学園での報告集会に参加し、不当判決への怒りを新たにすると同時に、正直なところ、無力感にさいなまれた(10月17日のブログ)。

 しかし、長年この問題はじめ在日差別問題に一貫して取り組んでいる中村氏の視点は、違っていた。決して敗北ではなかった。物語は3年前の広島地裁判決(2017年7月19日)から始まる。以下、中村氏の記事から。

< 広島地裁の訴訟指揮は全国最悪だった。尋問は全員不採用。声も聞かず訴えを棄却した。両脇を支えられて退廷し、廊下で「絶対に諦めないから」と絶叫しているオモニ…。思い出しても震えがくる。

 そこからだった。広島の生徒らは毎月19日、まるで月命日のように街頭に立った。絡んでくる者や罵倒してくる者、そして圧倒的な無関心のなか、彼彼女らは差別の不当と「当たり前」の実現を訴えた。公正な裁判を求める要請葉書や署名活動にも取り組み、平和公園の周りをパレードした。

 その声は、高裁では異例の九回の弁論、原告と学校長に加え、全国で唯一となる原告保護者の証人尋問を勝ち取った。

 法廷に立ったのが元オモニ会会長、朴陽子さんだった。

 子どもから無償化裁判の原告になると告げられた時の不安と、「私もウリハッキョを守る」という子の決意を誇らしく思ったことなどを、時に涙して証言した。
 そして、子どもの民族性を育む場であり、自分たちの拠り所、卒業生にとっては故郷である朝鮮学校の意義をこう語った。

 「偏見や民族差別があるなか、私たちが自分のルーツに誇りを持ってしっかり生きて行くためには自国を知り、文化を学び、歌や風習を習う必要があります。その場が朝鮮学校です。私たちは朝鮮学校のことをウリハッキョといいます。それで一生懸命、必死で、時には命をかけて守ってきました」

 彼女は最後、裁判官にこう訴えた。

 「私たちはいまだに民族差別を受けています。差別を受け続けると人は自信を無くし、生きて行く意欲がなくなってきます。国を奪われ、祖先が日本に来て、どうして民族教育を始めたのか。70年を超える歳月、どうやって私たちがウリハッキョを守って来たのか、その歳月を想像してください。

 私たちの声に耳を傾け、本当の姿を見ようとしてください。私たちは、私たちの子どもたちが朝鮮人として誇りを持って、尊厳を守り、日本の社会で、日本の友人たちと共に立派に生き、幸せになってくれることを望んでいるだけです」 >

 朴陽子さんは高裁判決の日も、たたかいの先頭に立っていた(写真中央。中村氏の記事より)。

 「ウリハッキョ」という言葉を初めて聞いたのは3年前だった。「私たちは朝鮮学校のことをウリハッキョと言います」と教えられたとき、「ウリ」が「我々の」で「ハッキョ」が「学校」、だから「ウリハッキョ」か、としか捉えられなかった。

 しかし、そうではなかった。「ウリハッキョ」という言葉には、在日の人々が朝鮮学校を「ウリハッキョ」と呼ぶことには、朝鮮民族の苦難の歴史(日本の侵略・植民地支配の歴史)、民族の誇り、不屈の志、そして同胞・子どもたちへの深い愛がこめられている。そのことがようやく分かりかけてきた気がする。


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