アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記109・コロナ禍と「尊厳有る死」

2020年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 京都のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者「嘱託殺人事件」(7月)が投げかけた問題は、重く心にとどまり続けている。
 新聞紙上で何人かの患者さん、関係者のコメント読んだが、沖縄県・浦添市の浦崎綾乃さん(38)のコメント(8月3日付琉球新報)に強く心打たれた。

 歯科衛生士として仕事、育児に追われていた浦崎さんは、2017年2月にALSと診断された。困惑の中、人工呼吸器を付けて延命するかどうか問われた。幼い子を思うと「生きたい」。でも「家族のお荷物になってまで生きたくない」。そんな気持ちが交錯し決断できず、泣きながらすごした。

 あるALS患者と出会い、「今は生きようと思えば生きられる時代」と言われ、彼女が意思伝達装置を使ってインターネットでコミュニケーションをとっている姿を見て、呼吸器を付ける決心をした。

 現在は、夫の介護と介護サービスで、夫と子どもたちと自宅で暮らす。19年には夢だったマリンスポーツにも挑戦した。
 そんな浦崎さんのコメント(抜粋)だ。

 <ALSを告知された全員が、病を受容できるわけではない。全ての選択肢を理解したう上で、生きたくない人だっているのです。そう思う人たちも決して死にたいわけではなく、中途障がい者ゆえの葛藤があり、それをどうしても受け入れて生きることができないだけなのです。

 そういう人たちの気持ちに積極的に寄り添い、緩和ケアやターミナルケアはもちろんですが、連携して残された時間を心穏やかに過ごせるようにニーズに合ったケア、サポートが必要だと思います。

 そういう体制がしっかり確立していたのなら、死亡した女性は一人で不安や恐怖を抱え込まずに、彼女が望んでいた「尊厳有る死」を迎えられたのではないかと思います。

 私は決して不幸ではなく、病気になったからこそ知り得たことや、出会い、人の優しさに触れることがたくさんありました。そんな私はラッキーだと思っています。>

 深い苦悩の中で強く生きる浦崎さん。そんな浦崎さんが、死亡した女性の「尊厳有る死」の希望を否定せず心寄せていることに感動した。

 ある老人介護施設は、定期的に入居者と家族から延命治療についての希望を確認しているが、コロナ禍で、延命治療を望む割合が増えているそうだ。逆ではと思いそうだが、そうではない。理由は明らかにされていないが、コロナによる死亡者が、家族にも看取られないまま荼毘に付されることと関係があるのではないか。そんな最期は迎えたくない、と本人も家族も考えるからではないか。それは「尊厳有る死」とは真逆の死だからだ。

 「尊厳有る死」は否定されるべきではない。いや、尊重されるべきだ。「尊厳有る死」は「尊厳有る生」そのものだ。浦崎さんのコメントから改めてそう確信する。
 「尊厳有る死」とは何か。コロナ禍だからこそ考えるべき、すべての人の共通問題ではないだろうか。


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