アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「8・6」と「南方特別留学生」

2020年08月06日 | 戦争の被害と加害

    
 JR山陽本線で広島駅から西へ5つ目、五日市駅(広島市)から歩いて10分弱の所に光禅寺という浄土真宗の寺があります。その墓地の小高い所に、周囲とは異質な横文字の墓碑があります。刻まれているのは、星と月の文様と「NIK YUSOF」の名です(写真左)。

 <僕の名前はニック・ユソフ。僕は1925年、今のマレーシアという国に生まれました。その頃はマライといってイギリスの植民地でした。1941年、日本軍が攻めて来ました。日本軍はイギリス軍を破り、翌年にはマレー半島全土を占領してしまいました。

 学校では日本語の授業が始まりました。優秀な生徒が選ばれ、僕は南方特別留学生として日本に行くことになりました。東南アジアの国々で将来リーダーになると思われる青年たちを日本の学校に入れて、日本の方針に従うように育てるのが目的でした。

 1943年、第1期生として約100名の留学生が東京に着きました。準備教育を受けた後、僕を含めて20名の留学生が広島の学校に入学し、翌年にはそのうち5名が大学(広島文理科大学=現広島大学―引用者)に進みました。そしてあの日、1945年8月6日午前8時15分、突然、目もくらむようなせん光が走ったのです!

 火事の火にまかれて苦しくて、とにかく西の方に必死に逃げて行きました。翌日、僕はもう動けなくなって…そのまま死んでしまい、五日市の人たちの手によって焼かれて骨になりました>(青木圭子著『ユソフさん Remembering Nik』2020年1月発行から抜粋)

 19歳で原爆死したユソフさん。毎年夏に墓前で広島大有志によって慰霊祭が行われています。引用した本(絵本、写真中)は市民の手によって作られたものです。著者の青木さん(広島在住)は、「被爆死した南方特別留学生がいたことを伝えるために、この『ユソフさん』を制作しました。決して忘れないために…」と巻末に記しています。

 原爆の犠牲になった外国人は、コリア半島、中国、台湾の人々だけではありません。ユソフさんのような東南アジアの人たちもいたのです。コリア半島の人々が強制動員・事実上の強制移住によって日本に連れてこられたのに対し、ユソフさんたちは「南方特別留学生」という美名の皇民化政策によってです。いずれも帝国日本の侵略・植民地支配がもたらした犠牲であることは言うまでもありません。

 しかし、外国人被爆者についてはいまだにその事態も明確にされていません。日本政府が調査すらしようとしていないからです。
 とくに国交のない朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の被爆者については、2008年の朝鮮被爆者協会の調査で、戦後朝鮮に帰国した被爆者が1911人、うち382人が生存していることが確認されましたが、2018年に追跡調査できたのはわずか111人(うち51人がすでに死亡)でした(2019年12月6日付中国新聞)。

 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の市場淳子会長は、「植民地支配と戦争という日本の国策の中で犠牲になり、生き残った人も戦後に苦難を強いられた。この歴史を踏まえ、日本政府が自ら原爆被害の解明に努めるべきだ」(6月8日付中国新聞)と指摘します。

 日本政府の責任は言うまでもありません。しかし、政府だけの問題ではありません。
 ことしも「8・6式典」が行われる平和公園にある原爆資料館(写真右)。リニューアルされ被爆の惨状は様々な手法で伝えられていますが、「外国人被爆」についての展示・掲示はきわめて不十分なうえ、日本の加害責任につての記述は皆無です。

 日本の侵略・植民地支配の加害責任を棚上げした「8・6」。日本人は1日も早くこのくびきから脱却する必要があります。

 


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