アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記112・天皇タブーと放送自粛・古関裕而・西条八十と今井正

2020年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

天皇・皇室タブーと放送自粛

 小さい時に聞いてうる覚えの歌謡曲に、神戸一郎の「別れたっていいじゃないか」(1959年、作詞・西条八十)という歌があった。この歌にも天皇制にかかわる秘話があったことを、26日のNHKラジオ深夜便(須磨佳津江アンカー)で知った。

 当時、ヒットしていたこの歌「別れたっていいじゃないか」を「放送し続けていいのだろうか」という検討がNHK局内で行われたという。なぜなら、この年、皇太子・明仁(当時)と正田美智子が結婚したからだ。
 笑い話のような話だが、真剣に放送自粛が検討されたようだ。それを紹介した須磨アンカーはなんのコメントもせずたんたんと話していた。

 坂本九のヒット曲「悲しき60歳」(1961年)が放送禁止になったことは知っていた。その年、天皇・裕仁が還暦を迎えたからだ。「別れたって…」はその2年前の話だ。敗戦から15年たった新憲法の下でもこんな露骨な天皇・皇室タブーがあった。

 過去の笑い話と一蹴することはできない。天皇・皇室タブーは、形を変えながら、いまの日本社会に現に生き続けている。

☆古関裕而・西条八十と今井正

 前述のラジオ深夜便で知ったもう1つの秘話を。

 1953年、作詞・西条八十、作曲・古関裕而、歌・伊藤久男で「ひめゆりの塔」という歌がつくられた。今井正監督の映画「ひめゆりの塔」の主題歌としてつくられたものだ。言わずとしれた、沖縄戦における「ひめゆり部隊」の悲劇を描いた名作だ(主演・島津恵子)。

 ところが、今井監督はこの歌を主題歌には採用しなかった。

 その理由は「深夜便」では触れられなかった。ここからは私の推測だ。
 西条八十・古関裕而・伊藤久男といえば、多くの軍歌で戦争を鼓舞した戦時歌謡を代表するトリオだ。「皇軍入城」(1937)「勝利の乾杯」(同)「報道挺身隊の歌」(1939)などがこのコンビニよる。敗戦後、西条は実際に「戦犯リスト」に入ったし、古関もリストに入れられるのではないかと戦々恐々としていた(刑部芳則著『古関裕而』中公新書2019年)。

 今井正は、そんな3人の足跡・戦争協力を忌避して主題歌に採用しなかったのではないだろうか。「真昼の暗黒」「キクとイサム」「橋のない川」などの名作があり、山本薩夫と並んで反戦・平和・民主主義を信条とした映画監督・今井正ならありそうなことだと思う。そうだったと思いたい。

 国家権力に迎合・忖度し「自粛」して文化をつぶすのか、それとも抗って信念を貫き文化を守るのか。メディア関係者、映画・文化人、スポーツ選手、そして市民全員が問われていることではないか。


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