アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記26・「日中新時代」と自衛隊・河瀨直美監督・介護術

2018年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「日中新時代」と自衛隊増強

  26日の日中首脳会談で安倍首相は「競争から協調」だとして「日中新時代への三原則」なるものを提唱した。習近平主席も同意した。

 言うまでもなく安倍の歴史修正主義は何も変わってはいない。改憲の野望は強まるばかりだ。にもかかわらず政治的経済的打算で臆面もなく中国へすり寄り、中国側も同様の思惑でこれに同調する。国家権力のご都合主義をあらためて見せつけられる思いだ。

 それはそれとして、中国との「協調」を掲げるなら、安倍は「中国脅威論」を即刻取り下げるべきだ。そうでないと辻つまが合わない。そして「中国脅威論」を口実にした「島嶼防衛」、沖縄・南西諸島への自衛隊配備強化を直ちに取りやめることだ。「協調しよう」と言いながら武器を強化して銃口を向けるのはどう考えても矛盾している。

 中国との経済利益の追求は財界・大企業の要望だ。それに従えば、日米安保体制・軍事同盟に抵触する。財界とアメリカは自民党政権の二大スポンサー。その両方に従おうとすれば矛盾に陥る。それが今の安倍政権の姿だ。

 ☆河瀨直美監督が悲しい

  東京オリ・パラ組織委員会は23日、「大会公式映画」を河瀨直美監督で作成すると発表した。河瀬監督は「日本の素晴らしさを世界にアピールできるきっかけになるのでは」と語ったと報じられている。

  驚いた。そして悲しい。河瀬さんは素晴らしい監督だ。インタビューしたのはもう10年も前だが、その人柄に魅かれ、親近感を持ち続けてきた。インタビューのきっかけになった「火垂」はじめ、樹木希林さん主演の「あん」など、その作品の底流には、社会の底辺で苦しみながら、しかし強く生きている市井の人々の生命力がある。

  それなのになぜ「東京オリ・パラ」なのか。東電福島原発事故「アンダー・コントロール」の大ウソから始まり、天井知らずの大会経費、ブラック・ボランティアなどなど、問題山積の「東京オリ・パラ」。
 そもそもそれは安倍の「国威発揚」と自らのレガシーづくりという不純な動機から始まったものだ。「新天皇」の国際的お披露目の舞台にもなる。
  その「公式映画」を河瀨さんが作るとは。「オリ・パラ」開催で示す「日本の素晴らしさ」とは何なんだ。

 大切な「友人」を失ったような思いだ。起死回生があるとするなら、安倍や森喜朗を激怒させるような本当の「記録映画」を作ることだが、無理だろうな。

 ☆「安心」の介護術

  24日の「ためしてガッテン」で認知症の介護術「ユマニチュード」(フランス語で「人間らしさを取り戻す」)を紹介した。以前から知ってはいたが、あらためて教えられることが少なくなかった。

  最も重要なのは、目を見て話すこと。アイコンタクトだ。そして認知症者の視野は狭くなっているから、急に視界に入って驚かせないこと。遠くから目を見て近づくこと。
 この点を反省させられた。姿勢を低くして目の位置を相手と同じかそれ以下にすることは実行してきたが、後ろから声をかけて顔を合わせることが多かった。少し遠回りになるが、テーブルの向こうから近づくように修正している。

  肝心なのは「安心を与えること」「カギは『安心』にあり」と強調されていた。その通りだと思う。理由は分からないが不安そうな表情を浮かべることが多い母に、「大丈夫。これでええよ」と言うと、「ほうね」といってほほ笑む。毎日のことだ。

 カギは「安心」を与えること。それは認知症の介護術に限らず、対人関係、対国家関係、すべての関係における真理だろう。


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