アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記25・東電原発事故の「見えない化」・「アリラン物語」

2018年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 ☆東電原発事故の「見えない化」に抗う

  16日の東電福島第1原発事故公判(東京地裁)。武藤栄元副社長の開き直ったウソ供述に改めて怒りが湧いてくる。だが、「福島」で進行している事態はそれだけではない。

  20日届いた「今、憲法を考える会」通信(「ピシカトール」)に、「モニタリングポスト大量撤去に抗い続ける市民」と題した片岡輝美さん(モニタリングポストの継続を求める市民の会共同代表・会津放射能情報センター代表)のレポートが載っている。

 国(原子力規制庁)は福島県内にあるモニタリングポスト16台のうち、小中学校などに設置されている13台を撤去しようとしている。もちろん市民は強く反対している。7月下旬の規制庁との交渉で、片岡さんたちは、「自分で避難するしないを判断するために目視できるモニタリングポストが必要だ」と訴えた。
 これに対し規制庁側が驚くべきことを言った。「(不測の事態には)勝手にモニタリングポストを見に行かないでください。…指示が出るまで屋内退避をしてください。勝手に逃げないでください」

 原発事故が起こっても勝手に動くな、国の指示を待てという。座して被曝せよというのだ。 片岡さんはこう書いている。

 「福島原発核事故後の生活を強いられている市民にとって、日々の空間放射能線量を目視できるモニタリングポストは事実を知る権利を保障する装置だと主張し、各地で継続配置を求めている。原発核事故を経験したからこそ発せられる声を耳にしても、国はゴリ押しで再稼働を進めている。
 それは市民に知る権利は不要であり、再びの不測の事態でも国を信じろ、国の指示に従えと言っているとしか思えない。あらゆる場面で、福島原発核事故の『見えない化』を強行している国を、誰が信用できるだろうか

 福島原発事故だけではない。あらゆる分野で進行している国家権力による「見えない化」。これに抗い続けなければならない。

 ☆「アリラン物語」と日本人

  「平昌オリンピック」で南北統一チームの行進曲にもなった「アリラン」。朝鮮を代表する歌であることは知っていたし、私が聞いても胸に迫るメロディーだ。
 しかし、その歌詞の意味・歴史を知ると、たんに「いい歌だ」では済まされないことが、朴燦鎬著『韓国歌謡史Ⅰ』(邑楽舎)を読んでわかった。

 「アリラン」は、「比較的新しい民謡で『近代謡』といわれる。地方によって歌詞や旋律に違いがあり、それぞれに音楽的、思想的、言語的特質を持っている」。したがってその「起源」にも「“アリラン百説”といわれるほど諸説」がある、という。

 その一つは、朝鮮王朝末期に摂政・大院君(明成皇后=閔妃の義父)が王宮・景福宮を再建するために狩り出された農民たちが故郷の家族をしのんで歌ったものだ。それは角田房子著『閔妃暗殺』で知っていたが、朴氏の著書でその意味がさらに詳しくわかった。

  景福宮を焼き討ちにしたのは豊臣秀吉である(1592年壬辰倭乱=朝鮮侵略)。「日本軍の侵略で国土が蹂躙された朝鮮王朝には、もはや景福宮を再建するほどの財力はなく、そのまま放置されていた」。大院君は王権の回復のため300年ぶりにこれを復元した。そのため全国から大工・農民が徴発され、厳しい労働を強いられた。
 「このような苦役に徴発された身の上を、見送る妻が<私を捨てて行く君は/十里も行かずに足がいたむ>と案じたのだという」(最も一般的な「新アリラン」)。

 あるいは、<高梁畑の小作料は 私が納めるから 九、十月まで こらえておくれ>という歌詞の「密陽アリラン」(慶尚道)は、「日本帝国主義(日帝)の搾取に虐げられた農民の苦しみをうたったもの」。

 「『アリラン』のもつ抵抗的な側面は、とりわけ日帝の植民地統治下でさまざまに表現された。生きんがために故郷を背にした人々が、あるいは祖国の光復・独立の大志を抱いた愛国青年たちが、異国の地へと旅立つ時、民族受難を代弁する歌としてうたわれたのである」(朴氏)

 日本人は「アリラン」を、おろそかに聞くことはできない。


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