アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「明治150年」―「後半」は肯定できるのか

2018年10月25日 | 天皇制と日米安保・自衛隊

     

 23日に安倍政権が強行した「明治150年記念式典」について、韓国のハンギョレ新聞(日本語版)は、「安倍首相、最後まで朝鮮侵略には言及せず」との見出しで、安倍氏が「明治維新の”闇“に対しては具体的に述べなかった」(24日付)ことを批判しました(写真左は同紙より)。

 安倍首相の「明治150年礼賛」は侵略戦争・植民地支配の歴史を棚上げ・隠ぺいして国威発揚を図るものであり、その「思想」の根底には同じ山口県(長州)の吉田松陰の侵略主義があることはこれまでも述べてきました(9月1日などのブログ参照)。「式典」がそうしたものになったのは、もちろん言語道断ですが、当然の帰結でしょう。

 ここでは「式典」を批判した側の主張について考えます。なぜなら、そこには見過ごすことのできない重大な問題があるからです。

 日本共産党は式典を欠席するにあたり、その理由を次のように説明しました。
 「明治150年の前半は侵略と植民地支配の負の歴史です。それと戦後を一緒にして150年をまるごと肯定する立場に、わが党は立たない」(小池晃書記局長の22日の記者会見、23日付「しんぶん赤旗」)

 23日に衆院議員会館で行われた「批判集会」でも、「野党議員や専門家らも『150年の半分は戦争の歴史だ』『戦争の反省がない』などと安倍政権の姿勢を批判した」(24日付琉球新報)といいます。

 同様のことをより明確に述べているのが東京新聞の社説(21日付)です。
 「明治維新から77年間は『戦争の時代』でしょう。…終戦から今日までの73年間は、まさに『平和の時代』です。それを守ってきたのは日本国憲法です」

 共通しているのは、「明治150年」を「前半」と「後半」に分け、「前半」は「侵略(戦争)と植民地支配」の「負の歴史」で「肯定」することはできないが、「後半」(「戦後」)は違う、「平和の時代」で「肯定」できる、ということです。

  こうした主張には重大な誤謬と欠陥があると言わねばなりません。

  1、日本の「侵略と植民地支配の負の歴史」は「前半」すなわち敗戦(1945年8月15日)で終わっているわけではありません。日本は侵略・植民地支配したアジアの人々に対し、まともな謝罪・賠償はなにも行っていません。それは「戦時性奴隷(慰安婦)」、「強制徴用」問題、さらに「在日朝鮮人」に対する差別政策などを見れば明りょうです。「侵略と植民地支配の負の歴史」は「後半」も清算されることなく連綿と引き継がれているのです。

  2、敗戦後、日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などに、いずれもアメリカの従属国として直接・間接に参戦してきました。アメリカの侵略戦争の片棒を担いできたのです。「戦争」「侵略」はけっして「前半」だけのことではありません。「終戦から今日まで」が「平和の時代」とはとんでもない誤りです。

  3、「明治150年」の「後半」を「肯定」する(あるいは不問にする)ことは、沖縄がおかれている実態を軽視し、「本土」の無関心・差別を助長することになります。なぜなら、米軍基地の集中、自衛隊配備の増強・ミサイル基地化、経済・社会保障・教育・生活の困難は、いずれも明治政府の侵略(「琉球処分」)、あるいはそれ以前の薩摩による侵略以来の琉球植民地支配の継続以外の何物でもないからです。「侵略と植民地支配の負の歴史」は沖縄においてはっきりと現在進行形で継続しています。

  第4、敗戦後のこうした戦争加担、沖縄構造的差別の元凶は日米安保条約に基づく日米軍事同盟です。「明治150年」の「後半」を「肯定」することは、諸悪の根源であるこの日米安保条約・軍事同盟体制を「肯定」することに通じます。
 「式典」について琉球新報の社説(24日付)は、「沖縄から見ると、明治150年の前半はアジア太平洋戦争と沖縄戦で終わった。そして後半の始まりが『屈辱の日』である」と述べています。
 「屈辱の日」とは、日本が「独立」(カッコ付き)と引き換えに沖縄を切り捨てたサンフランシスコ「講和」条約・日米安保条約が発効した1952年4月28日です。
 また、この条約によって在日朝鮮人は一方的に「外国人」とされ、憲法から切り離されました。この日は在日朝鮮人にとっても「屈辱の日」であることを銘記しなければなりません。(写真中は2013年の「屈辱の日」に強行された政府式典)

 5、「後半」の「肯定」は、天皇裕仁(昭和天皇)が戦後に行った重大行為、戦後責任を隠ぺいすることになります。上記のような沖縄差別、サ体制・日米安保体制の根源は、裕仁が「国体」(天皇制)維持と引き換えにアメリカの支配(日本の前線基地化)を容認(むしろ要求)したことにあります。「沖縄メッセージ」(1947年9月)はその1つの証拠です。
 裕仁が敷いたこの路線は、現行憲法(第1条「象徴天皇制」)に明記され今日に続いています。憲法(平和・民主条項)よりも日米安保が優先されている現実の根源はここにあります。憲法が天皇制の存続と表裏一体に、「国民」「国籍」条項で日本に居住する「外国人」を排斥している問題も見逃すことはできません。
 そうやって裕仁が残した天皇制は明仁天皇に引き継がれ、拡大解釈され、今日に至っています。

 以上のような数々の問題を捨象して、「明治150年」の「後半」を「肯定」する、あるいはその問題点を軽視することは、「前半」の賛美に匹敵すると言っても過言ではないほど、重大で危険な誤りです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする