お祭りが終わりまた一つ季節の進んだ感があります。目覚めたときにはタオルケットと肌布団で体全体をくるんでいますから、この数週間ではっきり変わりました。でも日中の最高気温は今日も27℃まで上がったため、これでは体調を崩す人がいて当たり前です。おかげさまで私は元気ですが、世間には風邪ひきがずいぶんいると聞きました。町が静かなのは、そうした人たちが家から出ないせいもあるのでしょう。
9月10日のブログで触れた同期生の葬儀が、14日しめやかに営まれました。五十を過ぎて同期生の訃報に接すると、とたんに人恋しくなるものです。二日前に急きょ企画した同期生の「偲ぶ会」には、三十三名が集いそれぞれに故人を偲びました。「皆の顔が見たい」の想いがそれぞれから伝わり、私もいつもより帰宅が遅くなりました。そんなものだと思います。
この一件を受けて、世間では様々な意見や感想、あるいは主張が飛び交っています。その一つに「お祭り全面禁止」がありました。これには少し誤解があって、9月5日のブログにも綴ってある通り、角館のお祭りは「角館総鎮守神明社」と「成就院薬師堂」の例大祭です。お祭りそのものになんの責任も危険もありませんから、この意見は「ヤマを出すな」あるいは「ヤマぶつけ禁止」が正解と推測します。
こうした意見を耳にして、私は「原発事故」と似ている印象を持っています。津波による甚大な被害を出した福島第一原発事故を受けて、国民の多くが「原発廃止」を訴えました。それは「そもそも危険なのだから、日本中の原発を廃止しろ」が主張です。対して国と電力会社は、「福島の場合は特殊であり、対策さえしっかりしていれば大丈夫」。若干ニュアンスの違いはあっても、まずこんな感じだろうと思います。
原発はさておき、角館のお祭りで起こった事故(事件)は明らかに特殊な事情によるものでした。「そもそも危険」はよく分かります。酒を飲んで5トンもあるヤマを曳きまわす危険要素も理解できます。だからこそヤマにつく人間は注意を怠りませんでした。泥酔・酩酊状態の人間がいれば、若衆たちがヤマから引き離す様子をこれまで何度も見ています。そしてなにより、正規の手順を踏んだ本番激突で、歴史上死者の発生は一度もありません。
ただし「激突至上主義」を危惧していたのは先のブログの通りです。既存の「お祭り実行委員会」とは別に、「事故調査委員会」が設けられるそうです。これからいろんな角度で事故を検証し、来年からのお祭り指針を作ることになるでしょう。少し落ち着いた貫禄のあるお祭りになってほしいと願う一方で、代償は極めて大きかったと心底思っています。
町が静かなのは、こうした内情もあります。地元民が顔を合わせればどうしてもこの話題になりがちで、明るく振る舞うのが少し窮屈になってしまいました。何も知らずに訪れる旅人の笑顔が、いっとき救いをもたらしてくれます。
9月10日のブログで触れた同期生の葬儀が、14日しめやかに営まれました。五十を過ぎて同期生の訃報に接すると、とたんに人恋しくなるものです。二日前に急きょ企画した同期生の「偲ぶ会」には、三十三名が集いそれぞれに故人を偲びました。「皆の顔が見たい」の想いがそれぞれから伝わり、私もいつもより帰宅が遅くなりました。そんなものだと思います。
この一件を受けて、世間では様々な意見や感想、あるいは主張が飛び交っています。その一つに「お祭り全面禁止」がありました。これには少し誤解があって、9月5日のブログにも綴ってある通り、角館のお祭りは「角館総鎮守神明社」と「成就院薬師堂」の例大祭です。お祭りそのものになんの責任も危険もありませんから、この意見は「ヤマを出すな」あるいは「ヤマぶつけ禁止」が正解と推測します。
こうした意見を耳にして、私は「原発事故」と似ている印象を持っています。津波による甚大な被害を出した福島第一原発事故を受けて、国民の多くが「原発廃止」を訴えました。それは「そもそも危険なのだから、日本中の原発を廃止しろ」が主張です。対して国と電力会社は、「福島の場合は特殊であり、対策さえしっかりしていれば大丈夫」。若干ニュアンスの違いはあっても、まずこんな感じだろうと思います。
原発はさておき、角館のお祭りで起こった事故(事件)は明らかに特殊な事情によるものでした。「そもそも危険」はよく分かります。酒を飲んで5トンもあるヤマを曳きまわす危険要素も理解できます。だからこそヤマにつく人間は注意を怠りませんでした。泥酔・酩酊状態の人間がいれば、若衆たちがヤマから引き離す様子をこれまで何度も見ています。そしてなにより、正規の手順を踏んだ本番激突で、歴史上死者の発生は一度もありません。
ただし「激突至上主義」を危惧していたのは先のブログの通りです。既存の「お祭り実行委員会」とは別に、「事故調査委員会」が設けられるそうです。これからいろんな角度で事故を検証し、来年からのお祭り指針を作ることになるでしょう。少し落ち着いた貫禄のあるお祭りになってほしいと願う一方で、代償は極めて大きかったと心底思っています。
町が静かなのは、こうした内情もあります。地元民が顔を合わせればどうしてもこの話題になりがちで、明るく振る舞うのが少し窮屈になってしまいました。何も知らずに訪れる旅人の笑顔が、いっとき救いをもたらしてくれます。
かつて「人の口に戸は立てられない」と言った人がいました。
まさにその通り、世間は無責任な情報で溢れています。
ひとりの若者はネットを遮断しました。今は静かに故人を
偲びたい一念です。
角館は今、前代未聞の事故を受け苦境の真っただ中にあります。
それぞれがそれぞれの立場で苦しんでいます。
私個人が直接かかわる部分は皆無といっていいのですが、
この小さな町、苦しむ人たちはよく知る人物ばかりです。
他人事ではありませんね。