癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

隅田盛(駒ケ岳)・留の沢コース

2019年09月30日 | 登山・旅行

 標高330付近の土砂の堆積場の上から眺めた見慣れない配列の隅田盛~剣ヶ峯~砂原岳。

 隅田盛(892.2m)は、駒ケ岳の火口原を取り囲む3つのピーク(剣ヶ峰、砂原岳、隅田盛)の1つである。ここに登るだけなら、正規の赤井川コースの馬ノ背から簡単に足を伸ばせる。
 しかし、昨年の冬にスキーで登った留の沢コースは、昔からあるコースで、林道が頂上直下の火山観測施設まで繋がっていたので、夏にもそこを歩いてみたいと思っていた。しかし、忘れていて、先日剣ヶ峰に登って思い出した・・・ということで、今日の再訪となった。

 
 GPSトラックログ

 林道ゲートからしばらくは地図上の直線の昔の登山道とは違う林道を進むが、標高250から上は地図上の登山道をそのまま辿った。しかし、途中に地図にない工事用道路との分岐が何ヵ所かあったが、すべて左へ進む。

 9:00スタート~10:55頂上11:30~13:00ゴール。登り1時間55分、下り1時間30分。


 林道ゲートまでは、東大沼キャンプ場から七飯町営サッカー場トルナーレまでの鋪装道路を走る。そこから先は未舗装の林道を直進する。
 昨年冬のスキー登山はここからスタートした。


 しばらく進むと分岐がある。ここは左の坂道へ進む。直進すると鉄橋を潜って留の湯の方へ行く。あとは道なりに進む。


 やがて、林道ゲートに到着。ここがスタート地点である。冬はここまで1時間を要している。車が1台停まっていた。キノコ採りの人かと思ったが、その先の林道に明らかに登山靴と思われる複数の足跡が続いていた。平日なのにこのマイナーなコースに先客がいること自体が驚きだ。


 10分ほど進むと分岐がある。「←留の沢、押出Bの沢→」の標識がある。地図の林道は右だが、ここは左へ進む。
 留の沢をもう一度横切り、留の沢の西側を北へ進む。標高300を超えると、目指す隅田盛、剣ヶ峰、砂原岳が目に入って来る。


 トップ画像は、この土砂の堆積場の上から撮影した。
 この先の標高350付近から左へカーブしながら登って行く。


 標高380付近で方向を変えて西へ向かう。この地点に上を通る工事用道路に繋がる新しい道ができていた。ここも左へ進む。


 林道も工事車両のために整備されている。隅田盛~剣ヶ峰~砂原岳を眺めながら快適な道を進む。


 再び新しい工事用道路との分岐がある。ここも左へ進む。


 標高550にも分岐があるが、ここはどちらを進んでも合流する。登りは道が良い右を進んだが、すぐ上の火山観測施設から上の方では、道がはっきりしなくなった。帰りは左から下りてきたが、こちらの方がはっきりした道だった。


 火山観測施設とその奥の隅田盛を眺める。


 標高670付近にある火山観測施設。林道はこの上で終点となる。ここから鹿部町と七飯町の境界尾根の急登になる。足元はしっかりしていて薮もないのでどこでも歩ける。


 足元は、葉が紅葉し始めて、実も赤く色付いている火山特有のシラタマノキ。


 斜度が緩むと頂上が見えてくる。


 2時間に5分の釣りが来る頂上到着。馬ノ背の向こうには円山と4日前に登った剣ヶ峰。


 昭和4年の火口から続く大亀裂と砂原岳。この亀裂が留の沢へと続く。


 三等三角点(点名・馬ノ背越)と火山観測施設。


 先客は、高校時代の同期で山岳部員だったTa君(左)ご一行だった。メールをいただいたり、町で会ったり、冬の横津岳ではニアミスをしていたが(写真に写っている)、山で直接会って話したのは初めてだった。

 急斜面の下まで一緒に下山した。その後、「ペースが合わないので、先に下りて」と言われたので、そこで別れて先に下りさせてもらった。彼らはキノコ採りも兼ねているとのこと。
 下山後、久しぶりに留の湯(400円)に入った。


 大沼湖畔からいつも眺める駒ケ岳を写して、帰路に就いた。

レトロでリーズナブルな超老舗「津軽屋食堂」

2019年09月29日 | 食べ物

高校生時代から同じ店構えと思われる「津軽屋食堂」~函館駅近く高砂通りの大門横丁並び。

 戦後間もなく創業した弘前出身の初代店主から、昭和40年に現店主の池上さんの父親が引き継いだ食堂とのこと。記憶は定かではないが、昭和30年後半の高校生時代のころから同じ店構えのような気がする。
 この周辺では、そのころから続いている店は、こことラーメンの「滋養軒」くらいのものであろう。


 「おふくろの味をリーズナブルな価格で食べられる」「急いで食事したい時に助かる」と地元で長年愛される津軽屋食堂。現在は三代目店主の池上秀子さんが店を切り盛り。昭和を感じさせる店内のレトロな雰囲気も人気がある。


 この店の創業当時からのスタイルが、この入口そばの冷蔵ショーケースから好きなおかずを選んで自分で好みの定食にして食べることである。
 今でも、常時20種類前後。煮魚、焼き魚、おひたし、漬物、塩辛、ひじき煮など、和の惣菜が中心である。画像の中段の右から2皿目の「キャベツ煮」は、2014年のテレビロケで北島三郎さんがおすすめしたこともあって人気が高まっているそう。キャベツの甘みが広がる優しい味わいとのこと。
 これらを肴にビールやお酒を飲む客も多い。自分たちが訪問した時も、日曜日の暑い日だったこともあり、昼時なのにほとんどの客がビールを飲んでいた。


 そのほかにも、リーズナブルなメニューが並ぶ。


 この店の一番人気は銀色の食器が懐かしいカレーライス(税込470円)。このときは、妻がそれを注文し、自分はカレーうどん(税込470円)にした。


 吉田類、あがた森魚、「そこのみにて光輝く」の監督の呉美佳などの飾られているサイン

 この食堂は、2014年春に公開の映画佐藤泰志原作の「そこのみにて光輝く」のロケ地としても知られており、この店に久しぶりに再訪したのは、「前から入ってみたい」と言っていた妻がそのDVDを見たのがきっかけだった。

駒ケ岳山麓林道偵察(尾白内~砂原)

2019年09月28日 | 登山・旅行

 剣ヶ峰北西尾根ルートから下山後、登りながら目にした砂原岳への新ルートの可能性を画策するために、駒ケ岳山麓(尾白内~砂原)の林道探索をした。

 下の画像の番号は、上掲地図の番号

①今回登るために入った林道突き当たりの火山観測施設


②押出沢林道入口の案内板


③押出沢林道終点から見上げる源頭部コルを挟んだ砂原岳(左)と剣ヶ峰(右)


④テントウの沢終点から見上げた源頭部の崖斜面~植栽はミズナラのような気がする?


⑤名前の分からない林道終点の掛澗ファームポンド(このすぐ上を砂原岳登山道が通っていて、そこからも見える)


⑥林道分岐にあった「駒ケ岳地区復旧治山事業」の案内板。この先は林道状況が良くないので、下へ下りた。


これらの結果から、砂原岳へのルートとして、いずれも途中で登山道へ合流するA、B、Cの3ルートが考えられる。
 Cルートは魅力的だが、上の方はかなりの急斜面である。現実的に見るとAルートが一番楽そうだ。Bルートはテントウの沢源頭部の崖を巻いて登るので面白そうだ。あとで分かったことだが、右上の洞窟の右手にルンゼがあるらしい。そこから登れると楽そうだ。なお、AもBもスタート地点の標高は変わらない。
 これをもとに、SHOさんと相談して、今年中にトライしてみたいと考えている。

剣ヶ峰(駒ケ岳)・北西尾根(押出沢川左岸尾根)ルート

2019年09月27日 | 登山・旅行

 北西尾根(押出沢川左岸尾根)から剣ヶ峰を目指す。(標高700m付近)


 森町尾白内から眺める駒ケ岳と今回登ったルート(赤線)

 SHOさんから「ヤマップに剣ヶ峰の北西尾根の情報が載っています。行ってみませんか?」とのお誘いがあった。駒ケ岳は下の方は薮だが、上へ出るとどこでも歩けるのでいろいろなルートが考えられる。全然情報もなく考えたこともないルートだったので、二つ返事で同行すした。


 GPSトラックログ
 
 スタート地点(350m)からカラマツ林の薮漕ぎだが、標高を上げて行くに連れて、薮も薄くなり、700mを超えると薮から完全に抜けてふかふかの苔と軽石の斜面となる。750mから1000mまでが非常に急な斜面だった。

 8:00スタート~10:30剣ヶ峰第2峰10:50~11:00剣ヶ峰11:05~12:30ゴール。登り2時間30分、下り1時間25分。


 国道5号の姫川から尾白内に抜ける道路から国道278号へ出て、右折して2本目の道路を駒ケ岳に向かった入る。入口には「尾白内南部生活改善センター」の大きな看板が立っている(上の写真)。そこから少し進み、神社前分岐を左に進む。あとはひたすら未舗装の林道を4.4kmほどまっすぐ走る。


 行き止まりの左にも道は続くが、道路状況が良くないので、そこからスタート。


 左の林道を100mほど進むと、火山観測施設がある。ここから、押出沢川左岸尾根の薮に突入。


 初めの内はカラマツの枝が煩いが、足元は薄い薮で、歩くのにはそれほど支障はない。すでにピンクテープも結ばれている。


 標高を上げて行くと、木は煩くないが、ススキの薮漕ぎが続く。


 左手の深い押出沢川の迫力のある源頭部地形の上に砂原岳が見える。


 600mを超えた辺りからは薮も薄くなってくる。


 後ろを振り返ると、森町の市街地と噴火湾が見える。初めてのルートなので、景観も新鮮である。


 900m付近まで登ると、剣ヶ峰から延びる押出沢川右股沢源頭部の岩場が見えてくる。ここから右の岩場の上へ進む。


 足元は軽石を覆ったふかふかの苔とシラタマノキばかりで、これを踏んで歩かなければならないのがちょっと気が引ける。


 急斜面の我慢の登りが続く。1000mまで来ると斜度が緩み、剣ヶ峰から続く岩が見えてくる
 

 剣ヶ峰の縦走路へ出たところは、北側への縦走路にある「剣ヶ峰」の標識がある少し上だった。右は砂原岳。


 これから進む剣ヶ峰の岩場を見上げる。


 同じ場所から火口原を見下ろす。


 剣ヶ峰の縦走路を行く。


 まずは、一番落ち着けるP2へ登る。南にそれぞれ独立したP3、P4が見える。一昨年やはりSHOさんと南西尾根から登って以来である。
 そのときはなかったP1、P2、P3.P4の標識とP2以外の岩峰にはロープが設置されていた。


 おなじみのP1をバックにした記念撮影。


 P4の横から見える大沼・小沼を見下ろす。函館山もはっきりと見えた。
 SHOさんは、こちらがP1への分岐で休んでいるうちに、岩場の下へ降りて回り込んで、P3とP4を登って戻って来た。ロープのお陰で、簡単に登れたそうだ。次の機会には、自分も行ってみようと思う。


 縦走路の分岐から、ロープの設置されていたP1の基部まで登る。ロープはあったが、それをつかまらなくても登ることができた。しかし、このロープのお陰で、基部までのルートが分かった。


 初めて登ったP1の基部で記念撮影。撮影用の標識も用意されている。岩塔部にはロープは設置されていないので、それなりの装備を用意したクライミング専門の人でないととても登れない。


 剣ヶ峰を十分満喫して、縦走路を北西尾根から登って来たところまで戻って下山開始。これから下るルートと森町市街地を見下ろす。


 灌木帯はすでに紅葉が始まっていた。左上・ウルシ、左下・オオバカメノキ、右・ナナカマド。


 秋ならではの木の実~左上・サンシュユ?、右上・シラタマノキ、左下・アキグミ、右下・ガマヅミ。

 下山後、上から眺めた押出沢川の対岸の尾根から砂原岳に登れそうなルートを探って、尾白内から砂原方面までの駒ケ岳山麓の林道偵察をした。明日、別掲載予定。

 登っている最中に、駒ケ岳上空をヘリが何度も旋回していた。夕刊を見たら、駒ケ岳が噴火したという想定で森町、七飯町、鹿部町で避難訓練をしていたことが分かった。多分、登山者の状況を把握することが狙いのフライトだったのかもしれない。

江差・天然記念物「ヒノキアスナロ自生地」偵察~第2弾

2019年09月26日 | 登山・旅行

 今回は、天然記念物観察歩道の稜線分岐標識から西(右)へ進んだ
 
 北海道新聞本社の黒川記者から、10月の3連休を利用して江差町椴川上流にある国指定の天然記念物「ヒノキアスナロ・アオトドマツ自生地」の観察登山の計画のお誘いをいただいた。 ヒノキアスナロは通称ヒバと呼ばれている。(以下ヒバで表現)

 当日は、山馴れしていない江差町の有志の方々も参加するというので、去る9/2に下見を兼ねて、昔の観察歩道の偵察をしてきた。
 しかし、そのコーズは強烈な薮漕ぎもあるので、当日は、9/2に歩かなかった稜線分岐から西側へ進み、竜巻沢へ下り、余裕があれば竜巻山を往復して、竜巻沢を下るというルートにした。
   ↓ ↓ ↓  

 今日は、偵察第2弾として、そのコースの下見をして、当日うろうろしないようにテープ付けもしてきた。

 今回の収穫は、廃道化した椴川林道から川に下りる地点の標識を新たに見つけたことと、稜線分岐から西側のコースはそれほど酷い薮漕ぎもなく、観察歩道の痕跡が残っているところが多かった。さらにそのコースから竜巻沢へ下る分岐にも標識があったことである。

 7:00檜山古事の森駐車場~7:45九曲りへの下り口~8:20稜線分岐~9:20竜巻沢への下り口~9:50竜巻沢10:30(竜巻山へ取り付きルートの確認とテープ付け・休憩)~11:35古事の森駐車場。所要時間4時間35分。もし竜巻山まで往復するとすれば+3時間は必要。


スタート・ゴール地点の檜山古事の森駐車場から左奥の廃道化した椴川林道へ。
当日は400㍍手前の竜巻沢橋をスタート・ゴール地点とした方が、下山後楽な気がする。


草で覆われているところが多い廃道化した椴川林道。


このような崖崩れが3ヶ所ほどある。


昔の観察歩道の案内板の枠組み


下に落ちている観察歩道の案内板


前回は気付かなかった沢への下り口の標識。ここから沢へ下りて渡渉し、「九曲り」へ取り付く。


 コース中もっとも快適な、ヒバ林斜面の中に続く「九曲り」の登り。きちんと数えたら、本当に9曲がりだった。カーブ地点にテープを付けて来た。


 コースからヒバ林を見下ろす。ここは北斜面である。前回も感じたことであるが、ほかの樹木が嫌う日の当たらない北斜面にヒバ林が広がっている。しかも、厳しい急斜面をあえて選ぶようである。こうしてじっくり時間をかけて成長して堅い樹木になるという。


 観察歩道稜線分岐標識。今回は右へ進んだ。


 稜線分岐から、西側へ進み、・332コブへの尾根を登る。微かに歩道の痕跡はある。この332コブを越えると、次の350コブを右からかわすように踏み跡は続く。それを辿ったら稜線から外れて谷の方へ下りて行くので、稜線へ戻って、次の・308コブとのコルへ下った。


 コルまでの尾根はヒバ林でないので、薄い笹薮に覆われ、歩道の痕跡は見当たらなかった。


 コルまで下りると、ヒバ林になり、歩道の痕跡が分かる。


 308コブの手前から、コブの横を巻いてトラバースするように歩道は続いていた。


 歩道の痕跡を辿って行ったら、竜巻沢へ下りる分岐の標識があった。


 そこから大きくジグを切るように続いていたが、結構薮で覆われている。面倒なので途中で笹薮尾根をまっすぐ下って行ったら、その歩道に出た。


 竜巻沢へ合流する支流の上に出た。その渡渉の先に歩道は続いていた。(テープはあとで付けた)。それを登って行くと、竜巻山へのルートと竜巻沢へ下りるルートの分岐があった。
 先に、竜巻山への尾根に取り付くルートの歩道がはっきりするところまで確認して、テープを付けて戻った。


 竜巻沢へ下りると、前回と同じ3本の根元曲がりヒバが生えている地点に出た。ここで、しばらく休憩。ここまででも結構疲れたし、予想以上に時間が掛った。
 当日ここからさらに3時間掛けて竜巻山を往復するのはキツイ感じだ。当日の参加者の様子を見て判断するしかない。


 前回と同じ竜巻沢を下る。沢は倒木が多く、跨いだり、潜ったり、迂回したりとすんなり歩けないが、この沢歩きの魅力は、ここまででは見られなかった急斜面に逞しく生える「根元曲がりヒバ」がたくさん見られることである。
 ここも、沢を挟んで左側の北斜面だけにヒバ林が広がっている。

逞しい根元曲がりヒバのオンパレード









平坦な河川敷には、たまにこのようはきれいなヒバ林もある。


ゴールが近くなると沢の右岸に林道跡が続く。手前は非常に多く目にしたエゾトリカブト。


 手前が崩れている竜巻沢橋を渡って椴川林道へ出る。古事の森駐車場まで400m歩いてゴール。当日は、この橋を渡った地点に車を置くつもりである。

 今回のコースは、前回のような強烈な薮漕ぎはなく、薮は被ってはいるが歩道の痕跡が多く残っているので、初めて歩く参加者はなんとか「探検もどき」を楽しむことができるものと思われる。

 木古内回りで帰り、途中の湯ノ岱温泉に入り、木古内の道の駅でみそぎの塩ソフトと函館和牛のコロッケを食べた。

たこ焼き食べ比べ~「くいだおれ太閤」と「蛸焼こがね」

2019年09月25日 | 食べ物
 宝来町にどちらも熱烈なファンを持つ人気の有名老舗たこ焼き屋さんが2軒並んでいる(間に空き家はあるが)という珍しいロケーションがある。
 市電通りの角に面し、夜などこうこうとライトに照らされている「蛸焼こがね」の方が目立ち観光客には人気がありそう。その奥に並んでいるためか目立たないが、地元の人にとっては「くいだおれ太閤」の方が知られている。

 「くいだおれ太閤」のたこ焼きは、毎年のように函館公園の花見の露店で食べているが、「蛸焼きこがね」の方は、これまで食べたことがなかった。たまたま、向こうへ出掛けたので、妻に勧められて2店舗で買って食べ比べをしてみた。

◎くいだおれ太閤本店

 昭和38年創業、北海道最古のたこ焼き屋とのこと。日常的に移動車販売やイベントの露店などでも有名で函館市民は知らない人はいないほど、長年愛され続けてきた伝統の味。
 油っこさを感じない、こんがり焼かれた表面に、サラッとしたソースが絶妙に浸み込み、とろーり滑らかな熱々の中身と絡む。


10個+おまけ1個(400円)~中がトロッとしていて、関西風のたこ焼き。

◎蛸焼こがね

 40年近くにわたって愛されるたこ焼き店。マヨネーズを飛ばすパフォーマンス、通常よりやや小さめのサイズなどなど、こがねならではのポイントは数多くあるが、出色なのは創業時からつぎ足しで使っている、爽やかな酸味のあるオリジナルソースとのこと。


10個(350円)~中がもちもちで弾力があり食べごたえがある。

 どちらも美味しく、それぞれ好みが分かれそうだが、自分も妻も中がトロッとした関西風の「くいだおれ太閤」の方が好きである。

うれしい今夏3回目のいただきもの

2019年09月24日 | 日常生活・つぶやき

 現役の山の先輩から自作の農作物をたくさんいただいた。今夏、これで3回目である。今年はこれで最後のものばかりとのこと。

 「農薬は使っていないので、形も悪いし良いものではないですが・・・」が口癖である。
 農薬を使わないで、丹精込めて栽培したものばかりである。これほどうれしいものはない。子供のころ、我が家でも畑があったのでその苦労は良く分かる。

 いつも、妻に「野菜食べなきゃ死んじゃうタイプだもんね~」と言われるほど、野菜大好き人間である。今までの2回とも、どれも非常に新鮮で美味しかった。特にトマトは完熟ゆえに絶品である。特に、最近は野菜も高いので、非常に助かる。

 昔、父が亡くなって移り住んだ所も農村だった。あるときにたくさんもらい過ぎて困ったことがある。今のように大きな冷蔵庫などない時代である。結局食べ切れなくて腐らせてしまった。
 人目に触れるところに棄てるわけにはいかない。申し訳ないが夜になってから家の裏に穴を掘って埋めたことがあった。

 その点、今は大きな冷凍室もある冷蔵庫なので、工夫次第でいくらでも保存可能である。また、お裾分けしても喜ばれる。

今回の東北百名山巡りを振り返る

2019年09月23日 | 登山・旅行

 今回の山旅で一番印象深かった焼山(左)と焼山火口

 北海道内の主だった山はすべて何度も登っているので、道外の新しい山に登りたいと考えた。その対象として選んだのが、すでに52山登っている「東北百名山」だった。

 この度は、9/6に移動し、翌日十和田湖の外輪山である白地山からスタートした。天候にも非常に恵まれ、9/21の安家森と吹越烏帽子までの16日間の内、14日で17山を踏破することができた。 

 日本三百名山に選ばれている山や目立つ山はすでに登っていたので、物足りない感じの山が多かった感は否めない。しかし、それなりに新ピークの新鮮さと、知らない土地の旅を満喫できた。

 1日の所要時間が長くとも5時間程度の山が多く、連日登山も苦にならなかった。簡単な山同士の組み合わせでは、1日2山が4日あった。

 一番印象に残った山は、八幡平の活火山焼山である。活火山特有の変化に富んだ地形や川のあちこちから湧く温泉などを楽しむことができた。もっとも辛かったのは、白神山地の天狗岳だった。登山口から頂上までわずか200mの標高差しかないが、距離も長く、往復ともに激しいアップダウンが多かった。暑かったせいもあるが、むしろ下山のはずの帰りの方が辛かった。
 逆にもっとも呆気ない山は、往復1時間弱の安家森である。標高1239mもあるのに登山口の標高が1150mにあったからだ。まあ、それでも、日本三百名山巡りで、紀伊の山の護摩壇山(1372m)の往復20分という山もあったので、それに比べればまだマシである。

 前半の4日間は非常に暑く、汗だくで登ったし、夜も寝苦しかった。ところが、最後の4日間は寒いくらいで、最低気温2℃を記録した日もあった。

 基本的な日程だが、就寝時間は20時前後で起床が4時前後、登山開始は6時前後で、1日2山を除いては、ほとんど午前中の下山だった。それでも、温泉で汗を流し疲れを癒して、2~3時間ほどを要するブログアップ作業と次の山の登山口近くまでの移動時間で、意外と余裕はなかった。

 休養日は雨予報の日を当てたが、それほどの雨にもならず、大館市と横手市の観光を楽しんだ。また、下山後に、数年前に行きそこなった桃洞滝散策もできたし、遠野市に住む大学時代の96歳になる恩師を訪ねることができた。
 また最後の日は、東北百名山でもっとも厄介な山だと思っていた津軽半島の袴腰岳・丸屋形岳は、丸山林道の修復工事が行われていることもこの目で確かめることができ、今後の希望が持てたことはうれしかった。

 今回は、主に青森県・秋田県・秋田県の北東北の山だったが、来年以降は宮城県、山形県、福島県の山になる。今回で残り31山になったので、年1回として、あと2~3年は楽しめそうだ。 

袴腰岳・丸屋形岳の情報収集と林道偵察~収穫大!

2019年09月22日 | 登山・旅行

 帰りのフェリーから眺めた丸屋形岳(左)と袴腰岳(右)

 津軽半島の一等三角点の袴腰岳(707m)と南に吊り尾根で繋がる津軽半島最高峰の丸屋形岳(718m)はセットで東北百名山に選ばれている。
 天気の良いときは、北海道の福島町や松前町からも良く見える。それだけにぜひとも登りたい山である。

 「新版東北百名山」の第2刷が発刊された2004年当時は、平舘の8kmほどの丸山林道の奥に両山の登山口があり、わずか3時間40分で2山を登ることができた。その当時に多くの標識が整備されたようだ。
 また、ネット上の情報をいろいろ探ってみると、当時はこの丸山林道のほかに湯の沢林道からも入れたし、平館スキー場からのオドシ山コースの登山道もあったようだ。また、裏側の今別町の安平衛林道~東沢林道からも入れたようだ。

 夜を明かした蓬田村のヨモット駐車場で、昨夜と今朝、ネット上のその後の情報をいろいろ探ってみた。
 それらの林道がどんどん荒れて、通行止めとなり、登山道整備もされなくなったようだ。しかし、その後も丸山林道や今別側の林道を車で入れるところまで入って、藪で覆われた登山道を辿った記録や、丸山林道の起点から歩いたり、オドシ山コースを歩いたりの記録はある。いずれにしても、登山道は藪こぎ状態たったようだ。函館の岳友のSHOさんも2009年にスキー場からのオドシ山コースから2山に登っている。

 しかし、現在は、それらの林道はすべて荒れ放題で入口から通行止めになっているらしい。

 ネット上での両山へ登った最新の情報は、2015年の2件である。1件は、丸山林道を強引に4kmほど入っての記録で5時間半、もう1件は林道起点から歩いての記録で8時間半である。2人とも藪で覆われた登山道跡を登っている。
 また、昨年に湯の沢林道の入口から歩いてオドシ山コースへ合流して袴腰岳だけに登った記録もある。それでも8時間半を要している。さらに、昨年秋に行方不明になったままの人もいるらしい。

 林道が起点から通行止めになっている現在、自分が両山を踏破するとすれば、GPSを武器に2015年の記録を参考に、丸山林道の起点から歩くことである。しかし、それから4年を経過している。林道はもっと荒れ、登山道の藪ももっと酷くなっているだろう。体力勝負で12時間覚悟か、雪山の踏破しかないだろうと思った。

◎丸山林道偵察~なんと、林道の修復工事が行われていた!

 夜明けとともに、丸山林道の入口の様子でも偵察しようとそちらへ向かった。
 

 林道入口に「林道作業中」の看板が立ち、新しく修復された道が続いていた。早朝で工事もしていないと思い、入れるところまで入ってみようと進んで行った。なんと、5km先の「袴腰岳・丸屋形岳展望所」まで入ることができた。


 その先には入れないように、木杭が立ち、細いロープが結ばれたいた。しかし、その先も修復工事はされているようだ。


 このような看板が立っていた。


 展望所の昔の案内板も立っていた。


 展望所から正面に聳える迫力のある丸屋形岳


 展望所から右奥に見える袴腰岳(ピンボケだったので他サイトから借用)

 
 さらに、昨年秋にこれらの山に登ったまま行方不明になった人の情報を求める看板もあちこちに立っていた。

 もしかしたら、この行方不明事件が、林道修復工事の引き金になっのかもしれない。
 そうであれば、林道が修復されたあと、登山道整備も行われる可能性大である。今日は休日なので無理だが、連休明けにでも青森森林管理署に電話してみようと思う。

 いずれにしても、ダメもとで偵察に来た成果は大である。

◎油川のかかしロード


 バイパスを戻る途中の青森市油川地区の道路沿いに、かかしが並んでいた。それらを見ながら少し走ったら、吉幾三の大きなかかしもあり、テントもあったので寄ってみた。
 「第13回 かかしロード280」とあるから、コンクールも兼ねて毎年行われているようだ。


 

 青森まで戻る途中に、青函フェリーの予約を入れたら、11:35も14:35の便も予約て満杯とのこと。「キャンセルもあるので時間までに来てみてください」と言われたのでそうすることにした。

 時間があったので、駅前の青森まちなか温泉の朝風呂に入ったあと、青森駅でお土産を買い、10:30にはフェリーターミナルへ。
 聞いてみたら空きができたとのことで、予定通りの11:35の便に乗ることができた。17日振りに無事帰宅できそうだ。

安家森(1239m)〈岩手県〉& 吹越烏帽子(508m)〈青森県〉

2019年09月21日 | 登山・旅行
◎安家森(1239m)袖山高原コース


 安家平の放牧場の先のコブのような安家森。左は遠別岳(1250m)。
 
 昨夜は、登山口手前25km程の葛巻町の道の駅くずまき高原で夜を明かした。3時頃に寒くて目が覚めた。外気温はなんと3℃しかない。エンジンを掛けてピーターを入れた。登山口へ向かう時には2℃まで下がっていた。

 今回の山旅の初めは暑くて寝られなかったのに、わずか2週間で寒くて寝られなくなるなんて?

 さて、この安家森は、北上山地の北部、岩泉町と葛巻町との境をなし、北隣に遠別岳も並んでいる。安家の語源はアイヌ語の「ワッカ」(水の湧くところ)らしい。
 登山口は標高1100mを超す袖山高原にある。登山口は1150mなので、標高差はわずかに90mである。

 6:45スタート、登り30分、下り25分、山頂5分、7:45ゴール。


 登山口。これが分からなくて2回も行ったり来たりした。
 遠別岳も同じ登山口だが、こちらの方が「いわて20名山」に選ばれている。


 雑木林の中を緩やかに下って行く。


 突然目の前が開けて、安家平の放牧場に出る。牛もこちらを見ている。草原の中に続く踏み跡を進む。


 草原を抜けるとガレ場の登りとなる。ここからが登りの本番だが、わずか10分ほどで頂上到着。


 一等三角点の山である。当然展望は素晴らしい。


 南西方向に岩手山と姫神山が見える。


 北西方向には岩木山も見えた。


 眼下には通って来た安家平。その奥に早池峰山も見える。

 これで、今回の岩手県の山は終わりである。下山後、下北半島の根元にある吹越烏帽子へ移動。カーナビを入れたら約150kmもあった。それでも一部高速を使って3時間で登山口に付いた。

◎吹越烏帽子(508m)明神平コース


 明神平へ向かう道から吹越烏帽子を眺める。

 下北半島の根元にあり、低山ながら、太平洋と陸奥湾に挟まれた南北に連なる丘陵の最高峰で一等三角点の山である。
 低いながらも山の形が良く、まわりに高い山がないので良く目立つ。山頂付近は風が強くて樹木が育たず、短時間の登りで高山の雰囲気が味わえるので展望も見事である。今日の感じでは、花も多い山のようである。

 登山口から標高差350m程の手軽な山である。
 11:10スタート、登り1時間、下り45分、山頂15分、13:10ゴール。


 登山口は明神平林道の途中にある。


 アカマツが多く目につく林の中を行く。


 400mほどで森林限界の上に出て、ガレ場の道となる。


 450m付近はミヤマアズマギクなのでその狂い咲きかと思ったが、蕾もたくさんあったところを見ると、どうやらピンク色のコハマギクのようだ。


 呆気ない感じの頂上到着。頂上標識のほかに一等三角点と木の祠と学校の統合記念登山会?などの木杭が立っていた。
 360度遮るもののない展望は見事である。


 陸奥湾の北側には釜臥山などの恐山の山々。


 その右奥に海峡を挟んだ恵山や海向山とそこへ連なる山並みも見えた。ということは、逆にこの山も見えるということだ。今度注意して見てみよう。


 南には、小川原湖や石油備蓄タンクや風力発電機などなど。写ってはいないが、こな右奥には八甲田山もうっすらと見えていた。そして、周りは海・海・海…。
 また、下北半島と津軽半島が先の方で重なって見えるために、切れ目のない大きな湖のようにも見える。


 左上はキノコ、右上はアキグミ、左下はノコギリソウ、右下はこれまでの山でどこにでも咲いていて一番目についたノコンギク。このほか、センブリ、アオモリアザミなどが目についた。

 3連休の初日ということもあって、6人の登山者に会った。

 今回の計画で、あと残っている山は、東北百名山で最も厄介な津軽半島の袴腰岳・丸屋形岳(セットで選ばれている)である。何が厄介かというと、もう10数年も登山道整備がされてなくて、ネマガリダケなどの藪に覆われているからである。最近は登る人もいなくて、ネット場での情報も見当たらない。
 もともと登山道はあったのだから、GPSを武器に足元の登山道の痕跡を探しながら藪こぎすれば行って行けないことはないだろう。
 
 明後日は雨予報なので、明日は疲れもあるが、行けるところまで行って偵察を目的にするつもりだ。いずれにしても、今回の山旅は明日で終了し、明日中には帰宅するつもりだ。

夕食は青森市内の長尾の煮干し中華そば




鯨山(610m)& 兜明神岳(1005m)〈岩手県〉

2019年09月20日 | 登山・旅行
鯨山(610m)陸中海岸青少年の家を起点とする周回コース


吉里吉里海岸から眺める鯨山

 この鯨山は、三陸のリアス式海岸から一気にせり上がる山である。釜石市の北隣の大槌町と山田町の境界にある。これまでの山はすべて奥深い山ばかりだったので、低山ながら非常に新鮮な感じである。

 山名の由来は、山容が見る角度によっては鯨を想像させることによるらしい。しかし、鯨山伝説もある。昔この地で流行病が発生したときに、浜に打ち上げられた鯨を食べたら元気になったという謂れがある。近くには鯨山神社とか小鯨山、鯨峠といった地名もある。

 低山ではあるが、登山口の標高が100mなので、標高差はこれまでの山と大差はない。


 いくつかのコースがあるようだが、良く利用されているという山田町にある陸中海岸青少年の家を起点とする周回路を歩いた。登りは林間尾根コース(上図の北側のコース)、十文字分岐から山頂の間は往復し、下りは大沢川コースを周回した。
 
 6:10スタート、登り1時間35分、下り1時間10分、山頂休憩15分、9:10ゴール。


 登山口となる陸中海岸青少年の家と左上に鯨山山頂部を眺める。


 アカマツ林の中の快適な尾根を登って行く。上の方は露岩も目に付く。
 青少年の家の登山会などで利用するせいか、標識類は非常に充実している。


 十文字分岐上から山頂部を見上げる。この下の十文字分岐のコルから急な登りが続く。


 それほど危険とは思わないが、安全のために、ロープが張られているところが多い。


 最近設置したと思われる新しい鎖が数ヶ所。これが最後の鎖場でここを越えると山頂に出る。


 山頂手前の鯨山神社奥宮。


 山頂から見下ろす吉里吉里海岸線。


 反対側には早池峰山方向の展望。


 山頂標識はないので、三角点の前で、鯨山神社の鳥居をバックに。


 十文字分岐からは大沢川コースを下ったが、ほとんどが林道跡のような広い快適な道だった。


 途中から林道に合流するが、下から高校の山岳部と思われる一行が登って来た。こちらが歩いたコースと逆回りをするらしい。

 ちょうど3時間でゴール。次の兜明神岳は、移動距離は100km以上あるが、短時間で登れるようなので、そのまま向かった。
 高速の三陸道を宮古まで、その後は盛岡に抜ける国道106号を走った。登山口のある道の駅区界高原まで走ったが、市町村合併で、海岸から盛岡市との境界までの70kmが宮古市になっているのにも驚いた。1つの市町村で70kmはあまりないと思う。

◎吉里吉里の地名について
 釜石市の北隣の大槌町の大槌駅前駐車場で朝を迎えた。東北大震災の津波で被災したようで、駅舎も駅前付近の町並みも新しくなっていた。

 町内に吉里吉里という地区があった。昔、井上ひさしの「吉里吉里人」という小説で有名になった地名だが、小説の舞台はここではない。
 地名は、アイヌ語説もあるが、海岸の鳴き砂のキリキリという音に由来するというのが有力らしい。それにしても、吉里吉里小学校とか中学校もあったが、なんとなくおもしろい。 

◎兜明神岳(1005m)区界高原周回コース


国道106号から眺める鋭く岩峰を突き上げる兜明神岳。

 山名は山頂部の岩が武者の兜に似ていることからつけられたもので、麓には牛馬守護神の兜神社がある。
 登山口は、区界高原ウォーキングセンターである。いくつかのコースが用意されているが、ここは登山コースではなく、ウォーキングコース
となっている。それもそのはず、すでに標高が750mなので標高差は250mしかない。
しかし、最後の岩場はロープなどはなく、自分でルートファンディングしながらのロッククライミングもどきを楽しんだ。
 

 時計回りにタラボコースを登り、草原コースを下った。
 11:15スタート、登り40分、下り35分、12:35ゴール。


 登山口駐車場から区界高原ウォーキングセンターや案内板等を眺める。


 広く快適な道を進む。すぐ前を先行するご夫婦を追い抜く。


 やがて、昔のスキー場のゲレンデ跡を登る。


 山小屋が建ち、広く平坦な「かぶと広場」が現れる。上から2人が下りてくる。


 広場からは少し登山道っぽくなる。


 左手の岩を巻くと、山頂岩場への取り付きだった。


 岩場の根元から山頂までの岩壁を見上げる。上に見える石祠が頂上のようだ。ロープ等はない。登りやすそうな所をルートファンディングしながら登って行く。手掛かりや足掛かりがあって難しくはないが、下りは怖かった。


 左側から登って行ったら、頂上とは別の石祠があった。そこからは岩手山が見えた。


 山頂の下から早池峰山を眺める。


 三脚は立てられないので、山頂の祠と一緒に自撮り。展望はすばらしいが、尻がムズムズして落ち着かない。


 下を見下ろすと、さすがに怖い。慎重に下り終えた所へ、途中で追い越したご夫妻が登りに就いた。


 自分も同じところを進んだが、行き止まりだった。やはり同じようなルートを取るもんだ。後ろから「そこは行き止まりですよ」と声を掛けた。


 同じように左側から登って行った。


 帰りは、かぶと広場から草原コースを下った。

 ゴール後、近くには温泉はない。先に道の駅区界高原でブログアップ作業に採り組んだ。

 明日は、やはり北上山地の安家森の予定である。そちらに移動する途中で温泉をみつけたら入るつもりだ。それにしても、昨日も今日も涼しくて、ほとんど汗を掻かなかった。

六角牛山(1294m)糠前コース〈岩手県〉& 96歳の恩師を訪ねる

2019年09月19日 | 登山・旅行

 遠野観光名所のかっぱ淵の近くから眺める六角牛山

 民話のふるさと遠野盆地の東に聳える北上山地の山である。早池峰山、石上山とともに遠野三山の一つに数えられるこの山は、遠野物語にもしばしば登場する。遠野市街地からも良く見え、遠野小富士とも呼ばれている。
 変わった山名の由来は、六人の皇族(六皇子)が住んだ山という説。大きな牛の背のように見えるからという説。アイヌ語の「山容の垂れ下がる山」という意味からきたという説の3説がある。

 山麓にある六神石神社は大同年間に坂上田村麻呂により建立されたといわれ、その奥宮が山頂にある。笛吹峠へ向かう県道沿いにある糠の前バス停近くには六角牛神社があり、そこから登山口へ向かう。

 地形図の等高線の混み具合から覚悟はしていたが、850m~1200mまでの急登は、今回の山旅では最も厳しかった。

 6:05スタート。登り1時間20分、下り45分。8:20ゴール。この差の大きさからもいかに急だったかお分かりいただけると思う。

 今日はこの山に登ったら、遠野市に住む96歳になる大学時代の恩師を訪ねる予定だった。下山後、電話を入れて、午後にお邪魔することにした。


 糠の前の六角牛神社前。ここから3kmの林道を走る。


 林道先の峠登山口(標高650m)~立派なルート案内板が設置されていた。


 これまでの山はすべてブナ林の中の歩きだったが、北上山地だからなのか、こちらはいろいろな木の生える雑木林の中に道が続いている。なぜか、新鮮な感じがした。


 2合目にある「休石」。
 下草の生えていない開放的な林の中を進むが、このあとが大変だった。


 850mを過ぎると、ずっと厳しい急登が続く。おまけに、上の方は角ばった露岩の登りとなる。必然的に四つん這いの登りとなる。


 9合目で平坦な歩きとなり、目の前に山頂部が見える。


 山頂の下に小屋がある。中を覗いて見たら、すでに使われなくなっている感じの避難小屋にも利用できる六角石神社奥宮のようだ。


 頂上の様子。


 山頂から遠野盆地を見下ろす。


 頂上は風が冷たくて、証拠写真を撮ってすぐに退散した。


 今回の山旅で初めて目にした北海道では見られないセンジュガンピ。

 下山後、温泉宿泊施設たかむろ水光園で昼過ぎまでのんびり過ごし、午後に恩師を訪ねた。
  
◎大学時代の恩師を訪ねる


 本堂の階段に腰かけてのツーショット

 96歳になる大学時代の恩師・瀬川教授が、退官後遠野市のご実家のお寺の住職を継がれていた。ここまで来たら寄らずばなるまい。電話したらまだお元気とのことで、3年ぶりに訪問させていただいた。

 2007年と北海道新幹線が開通した2016年にその恩師を訪ねる地理研究室OB17人のツアーでお邪魔しているが、それ以来3回目である。

 3年ぶりにお会いしたが、お顔はお変わりなかったが、もともと遠かった耳がほとんど聴こえなくなっていた。話すことはしっかりしているが、こちらの言いたいことや聞きたいことは筆談でないと通じないのが残念だった。お寺も閉めてしまったそうだ。耳以外は悪いところはないそうで、100歳までは大丈夫そうだ。会話が成り立てば何時間でもいろいろ話したかったが、1時間ほどで失礼してきた。

 これを読んで下さっている地理研OBの皆さんや先生を知っておられる方々へ「皆さんによろしくお伝え下さい」とのことでした。


 本堂に通じる杉木立の中で見送ってくれる先生。

牛形山(1360m)夏油温泉コース〈岩手県〉

2019年09月18日 | 登山・旅行

 夏油温泉手前の県道から眺める夏油温泉とその上の牛形山

 この牛形山は、焼石連峰の北端に位置し、秘湯で名高い夏油温泉に登山口がある。牛形という山名の由来は、山頂部主稜が牛の背に見えることと、雪形が牛形との2説ある。

 北東面が崖になっているせいか、7合目から北側を180度裏側へトラバースする道になっている。3ヵ所ほど急で長い岩場のロープ場がある。9合目で主稜線に出て頂上に立つ。
 
 山頂からは昨年登った近くの焼石岳を初めとする焼石連峰や遠くは鳥海山、岩手山、早池峰山など360度の展望が見事だった。

 6:00スタート、登り2時間10分、下り1時間40分。山頂休憩10分。10:00ゴール。


 夏油温泉のトイレ付き駐車場のそばの登山口(650m)をスタート。1100m辺りまでずっとブナ林の中の登りが続く。


 ブナの倒木にびっしり生えているキノコ。下山後、温泉の主人に聞いたら、これが猛毒を持つテングダケとのこと。くわばらくらばら!



 左に見える経塚岳(1373m)~この山は昨年焼石岳から眺めて、その存在感の大きさに名前を覚えていた。この山も同じ登山口から登り、1合目上で分かれる。


 1100m付近のブナは細くて、くねくねしている。この辺りでブナ林はなくなる。


 トラバースの始まる7合目付近から見上げた山頂部。


 トラバース途中のロープの設置された岩場


 トラバース地点で目にした、ダイモンジソウ(上)とウツボグサ(下)


 トラバースから山頂へ向かう道と縦走路の分岐が8合目。ここから主稜線を目指す。頂上は左奥でまだ見えない。


 8.5合目から9合目まで続く長くて急なロープ場。下りはこのロープがなければ下れないほどである。


 9合目から白子森~鷲ヶ森山への縦走路の尾根を眺める。


 飛び出た三角点が目につく頂上。


 昨年再訪した焼石岳(中央)。


 東側の経塚山。


 焼石連峰の西側奥に見える鳥海山。


 雲の上に頭を出す早池峰山をズーム。


 昨日登った女神山(中央)と真昼岳。

◎夏油(げとう)温泉
 昔から良く目にする有名な温泉の名前だ。ものすごい山奥にあり、夏期間しか営業していないのにも関わらず、江戸時代の全国の温泉番付で大関に選ばれている。横綱はなかったので、東日本随一の温泉だったということに驚く。
 「げとう」は、アイヌ語「崖のある所」という意味の「グット・オ」が語源らしい。それに豪雪地帯のため夏季の利用に限られる夏の湯から「夏湯」という漢字が当てられ、いつの間にか「湯」が「油」に書き違えられて定着してしまったとか。


 元湯夏油


 夏油温泉観光ホテル

 以前は4軒営業していたが、いまではこの2軒だけ。下山後には観光ホテルに入浴した(600円)。

 まだ秋田県にも岩手県にも南の山は残っている。しかし、これで南下は止めて、宮城県、山形県、福島県を含めて来年以降の楽しみとする。 
 明日からは岩手県の北上山地の山を北上することにした。それでも岩手県4山、青森県2山が残っている。全部登れるかは天気次第。
 明日は、遠野市の六角牛山の予定。これから遠野市の道の駅遠野風の丘まで移動する予定。

◎ハプニング
 今日買い物をしてクイックペイで支払おうと思ったら、そのカードが財布に入っていない。落とすことは考えられないので、多分どこかのコンビニで買い物をしたとき忘れて来たに違いない。
 カード会社にその旨を電話で話して、止めてもらうか、今日以降使用されているようなら連絡をいただくようお願いしておいた。

 さて、次はいつどこの店で使ったか記憶を辿った。どうも一昨日横手市のローソンでアイスコーヒーを買ったのが最後だったことを思い出した。しかし、旅先なので目についた店に入っただけで、どこの店かまったく分からない。

 横手市のローソンに片っ端から電話を入れようと思ったら15軒もある。その前にふとしたことを思い出した。
 いつもはレシートは置いて来るのだが、店員さんが「次にコーヒー買うときに使える20円の割引券が付いていますよ」と言われたので、それは財布に入れた。しかし、カードは読み取り機械の上に置いたまま、横の方からその店員さんが淹れてくれたコーヒーを受け取って店を出たので、店員さんも気付かなかったようだ。

 レシートを見て電話を入れたら、「預かっています。こちらでもどうしたらよいか困っていました」とのこと。
 そのことに気付いたのが北上市だった。カーナビを入れたら高速利用で1時間ちょっとだったので取りに行ってきた。高速料金往復3200円とガソリン代の損失だったが、ホッとした。

 歳を取るとこのような忘れ物が多くなる。妻にいつも言われているのが「レシートは捨てないで。持ってて損することはないよ」が見事に解決の糸口となった。
 今度からカードは手から離さないで読み取り機械の上ににかざすようにとも言われた。あとカードの裏に油性ペンで電話番号を書いておいた。

真昼岳(1060m)~女神山(956m)兎平登山口からT字縦走〈岩手県/秋田県〉

2019年09月17日 | 登山・旅行

 一昨日、秋田県側の美郷町から眺めた真昼岳(左)と女神山(右から2つ目の端正なピーク)

 この2山は岩手県と秋田県を分ける奥羽山脈の中ほどにあり、真昼山地の山である。鋭く深い沢を伴い、標高の割には急峻でスケールの大きな山として存在感があり、人気もある。
 この2山は縦走路で結ばれていて、岩手県側の西和賀町の兎平登山口から登ると6時間ほどでT字縦走ができるのでそのコースを利用した。
 
 朝になったら、目指す山の方は低い黒い雲で覆われている。しかし、天気予報は晴れである。縦走しているうちに晴れるだろうと思い、濃いガスの中を登った。先に目指した真昼岳は視界20mくらいで何も見えないままの登頂だった。しかし、女神山分岐まで戻るうちに視界が少しずつ開けてきた。
 女神山へ向かうときは展望が広がり、気持ちのよい稜線歩きとなった。結局、分岐に戻る頃には真昼岳も女神山もすっきりとした姿を現してくれた。


 GPSトラックログ(同じコースを歩いた方のサイトから借用)

 6:00スタート~7:00稜線分岐~7:55真昼岳8:10~8:45稜線分岐~9:45女神山10:00~10:45稜線分岐~11:30ゴール。
 登山口~真昼岳1時間55分、真昼岳~女神山1時間35分、女神山~登山口1時間30分。山頂休憩30分。トータル5時間30分。


 登山口


 まもなく苦手な吊り橋を渡る。高さがないので怖くはなかった。


 飛龍の滝~上の紅葉も入れて…。


 3合目でガス中の登りとなる。ガスのブナ林は幽玄の世界を味わえるので結構好きな光景だ。ブナ林は登山口から稜線の下まで続いていた。


 稜線分岐に到着。兎平コースと善知鳥コースと縦走路が交差する十字路になっている。ここは北に進路を取り真昼岳を目指す。


 晴れていれば快適な稜線歩きだが、視界は20mくらいの中を黙々と登る。


 ガス中の真昼岳山頂に到着。


 証拠写真を撮影。


 避難小屋だと思って戸を開けたら、真昼岳三輪神社の祭壇が祀られていた。座る所もあるので避難小屋と兼用なのであろう。
 中でおにぎり1個を食べて、15分後に稜線分岐まで戻り、女神山を目指す。

 稜線分岐まで戻る手前辺りからガスが取れて展望が広がった。


 分岐付近では、秋田県側の横手平野が見えた。


 分岐の先から目指す女神山は見えたが山頂は雲の中。振り返ると真昼岳も同じ状態。
 稜線の縦走路は幅が4mほどに刈り払われ、非常に快適な歩きだった。藪漕ぎの大白森のあとだけに、余計にありがたく感じた。


 女神山山頂手前からは横手平野の向こうに鳥海山が見えた。


 女神山山頂はすでに青空の下だった。なぜか山頂標識を挟んで2基の三角点があった。左は三等三等点と彫られているが、右は主三角点と彫られていた。

 15分休んで下山開始。帰りは、真昼岳と女神山の姿を目にできることを楽しみに歩を進めた。

 
 分岐手前の860ピークから女神山を振り返る。


 分岐の20m先の5合目から真昼岳を眺め、心置きなく登山口へ下った。


 今回の山旅で初めて目にした花々。左上はセンブリ、右上はオトギリソウ、左下はハクサンシャジン、右下はヨツバヒヨドリ。


 下山後の岩手県側の県道から眺めた女神山(左)~真昼岳(右)の連なり。

 昨日入った真昼温泉は定休日だった。さらに走って行って目にした沢内バーデンという温泉に入った。しかし、休憩室がなかったので、国道に出て、西和賀町の道の駅錦秋湖まで移動してブログアップ。

 明日は、岩手県の少し南側の焼石連峰北端の牛形山の予定である。これから登山口のある夏油温泉へ移動する。


 移動前に道の駅のレストランで食べた早目の夕食「西和賀夏のビビンバ丼」。野菜が多くてかき混ぜづらかったが美味かった。

横手市観光

2019年09月16日 | 登山・旅行
 横手市は横手平野の中心部に位置する秋田県県東南部の中心都市である。横手焼きそば、2月に行われるかまくらが全国的に有名。自分が知っていたのもそのくらいである。しかし、実際に訪れてみると新しい発見はあるものだ。


 横手公園展望台~戊辰の役で奥羽越烈藩同盟から抜けて新政府軍に付いたため、横手の戦いで庄内・仙台藩を中心とした旧幕府軍に破れて、横手城も焼かれてしまう。


 展望台から眺めた市街地中心部
 
後三年の役古戦場跡



 この前の「前九年の役」の20年後に起きた「後三年の役」は、知識としては知っているが、詳しいことはよく知らない。
 どちらも平安時代後期の陸奥・出羽(東北地方)を舞台とした戦役である。 後三年の役は、前九年の役の後、奥羽を実質支配していた清原氏が消滅し、奥州藤原氏が登場するきっかけとなった戦いである。
 2つの合戦に大きく関わったのが源義家で、源氏は武士としての確固たる地位を確立し、鎌倉時代の武士政権の下地が整えられる。また、東北地方の勢力図も大きく塗り替えられ、奥州藤原氏が幅を利かすようになり、平泉文化が花開く…。

石坂洋次郎記念館

 我々世代にとっては青春時代の懐かしい作家だ。「青い山脈」「若い人」など多くの作品を世に送り出し、石原裕次郎や吉永小百合などの主演で多くの作品が映画化されている。
 石坂洋次郎は、20代から30代にかけて13年間横手女子高等学校の教員を勤めている。そのときに、函館遺愛高校を舞台とした「若い人」を発表しているのも面白い。
 懐かしい映画ポスターや吉永小百合の弔辞など、さらには、函館遺愛高校の写真も展示されていた。

かまくら館

 横手市物産館がかまくら館という名称だった。右隣は市役所。


 中に飾られていた「ぼんでん祭り」の頭飾り~横手の小正月行事で、約300年の歴史を誇る。


 かまくら体験コーナー。マイナス10℃の中での体験。とてもさむかった。

秋田ふるさと村

 観光総合施設で、秋田の食べ物、文化、芸術、 手作り体験、おみやげ、周辺エリアのお祭り情報などに触れることができる。


 広大なお土産コーナー。


 朝食と昼食を兼ねた横手焼きそばセット大盛り(890円)

増田蔵町通り

 商人の町だった増田地区には内蔵や外蔵を持った商家が今でも残り、伝統的建造物保存地区に指定されている。





 初めて目にした内蔵~雪が多いので冬に外に出なくてすむように、さらには、火事が多かったので防火の意味もあり、家の中に蔵を組み込んだらしい。井戸まで中にあった。このような家が今でも46軒残っているという。このほかに外蔵が56軒あるらしい。
↓↓↓

 佐藤養助漆資料館の外観


 中へ入ると、お土産コーナーの奥に内蔵がある。


 内蔵の1階。柱や梁がすべて漆塗りになっている。


 内蔵の2階。

横手市まんが美術館

 「釣りキチ三平」の矢口高雄はこの横手市の出身である。これに因んだ美術館である。広い駐車場がほぼ満杯の人気ぶりだった。


 玄関とその横の釣りキチ三平の絵


 中へ入ったら、里中満智子の大きな壁画のような「万葉の集い」が展示されていた。


 充実したまんが図書館~この他のコーナーにも国内のまんが本が揃えられていて、多くの人が読んでいた。


 3階から販売コーナーを見下ろす。この螺旋階段の壁には、国内の有名な漫画家の代表作の原画とその本の紹介がされている。原画収蔵数2万枚以上。他の展示は撮影禁止だった。
 いずれにしても、これだけ充実したまんが美術館はほかにはないだろう。

 これらを見て回った後、コインランドリーで洗濯をして、明日の真昼岳と女神山への林道に近い岩手県西和賀町沢内村の真昼温泉(300円)まで走った。温泉に詳しい登山パンフレットが置いてあった。