癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「慰霊の道」草刈り~桧沢の滝・大石の沼

2020年05月15日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 今年も故齋藤浩博敏さんの「慰霊の道」の草刈りに行ってきた。2014年2月に毛無山~設計山への縦走途中で行方不明になり、4月上旬に遺体が発見された場所である。そこに、遺族からいただいた謝礼金の一部で、捜索に当たった有志で道を付けて、慰霊プレートを設置した。

 それから7回忌を迎えたが、いまだに訪れる方がいらっしゃるので、一人で毎年この時期に草刈りをしている。

 今日歩いたトラックログ(ヤマレコ)

 桧沢橋はまだ天板が設置されていなかった。多分、毎年開催している登山会が今年は新型コロナの関係で中止になったので、まだ架けないでいるようだ? ここを草刈り機持参で渡るのは怖かったが、待っていてもいつになるか分からない。意を決して、右手で草刈り機を押さえ、左手と脇で上の手すりを挟むようにして、一歩一歩慎重に恐る恐る渡った。

 

 草を刈りながら進んで行ったら、最後の急なところに、垂木で階段が作られていて、驚いた。切り口からすると昨秋か今春の仕事のようだ。一昨年にはプレートがずり下がっていたのを直してくれていた方もいた。どなたかは不明だが、ありがたいことである。

 登って行ったら、プレートの横に、垂木を切ったものが置かれていた。これを一人で持ってくるのは大変だろうから、数人でやってきているのだろう。しかし、2,3当たってみたが、思い当たる人が見当たらない。このような奇特な方がいることに感謝、感謝である。

 数年前にプレートの前を休みやすいように整地してくれた人も、ずり下がっていたプレートを直してくれ人も、みな同じ人かもしれない。

 <追記>ずり下がっていたプレートを直し、剥がれかかったところを透明のビニールテープで補修してくださったのは、岳友のmyuさんだということは判明したが、彼が昨年の10月下旬に寄ったときには、階段はまだなかったそうだ。

 訪れる方が、いろいろな花を植えていくので、それを切らないように鎌で仕上げをするのが大変。日本酒の桃川とペットボトルの水が供えられていたので、それはそのまま残してきた。

 刈った草や笹などを除けながら、戻った。毎年草刈りをしているのと、訪れる人が多いらしく、踏み跡はしっかりしてきた。

 このあと、桧沢の滝と大石の沼を見に行った。

 新緑に包まれて、雪解け水で豪快に流れ落ちる「桧沢の滝」

 

新緑を湖面に写す「大石の沼」

 

辺り一面を緑色に染めるブナの新緑

 

桧沢沿いの花々

 (左上)ミドリニリンソウ、(右上)オオバキスミレ、(左下)サンカヨウ、(右下)タチカメバソウ

 

今日の収穫物・・・(左上)タラの芽(別なところで収穫)、(左中)コシアブラ、(左下)クレソン、(中2列)ウド、(右)サワブキ。


慰霊の道の草刈り~桧沢の滝

2019年05月21日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

周りをきれいにした慰霊プレート


 昨日、故齋藤浩敏さんの慰霊プレートの立つ場所までの慰霊の道の草刈りに行ってきた。ここは、2014年2月下旬に毛無山~設計山縦走中に行方不明になり、4月上旬に遺体が発見された場所である。

 誰かが植えたチューリップが咲き、写真にははっきり写っていないが、やはり誰かが植えたサクラソウ、ツルニチニチソウ、ピンク色のオドリコソウ、オダマキなども咲いていた。また、最近供えたと思われる花やペットボトルに入った水などもあった。やはり、慰霊に訪れる人は5年経った今でもいるということである。
 また、昨年はプレートのボルトが緩んだのか、途中までずれ落ちていたが、誰かが、上まで上げてボルトを締め直してくれた方もいたようだ。


 毛無山登山口から大野川に架かる桧沢橋を渡る。


 草刈り機で刈りながら前進。昨年も刈ったので、笹は生えていなかった。
しかし、フキなどの夏草が結構茂っていたが、踏み跡はしっかりしていた。


 作業を終えて、齋藤さんに来年も来る約束をして、現地を去る。


◎桧沢の滝へ


新緑に染まる桧沢の滝
 作業を終えて、草刈り機とリュックを下の登山道との分岐に置いて、桧沢の滝まで往復した。


補修されていた10ヶ所ほどの橋


 このような渡渉地点が10ヶ所ほどあるが、来る5/26の毛無山登山会へ向けて、主催団体である「北斗の自然に親しむ会」(会長・丸岡進氏)の手によって、きれいに橋が架けられていた。毎年、雪解け時期には流されるので、毎年補修をしなくてはならない・・・頭が下がる。


ブナの若葉が美しい


下の流れから写す桧沢の滝

◎途中に咲いていた花々

珍しく2個の花を付けたシラネアオイ


サンカヨウ


キバナノイカリソウ


タチカメバソウ


ノビネチドリ


アマドコロ


チゴユリ


少しだけだが、伸びたウドの上の部分と沢に生えていたフキを採って来た。
ウドは天ぷらに、フキは天かまとの油炒めになった。残りは佃煮とみそ汁にするらしい。


 車に乗る前にダニチェックしたら、ズボンに4匹。着替えて、温泉に入って帰宅したのに、だいぶ経ってから、首の辺りを這う2匹をゲット。それまでどこにいたのか?


「慰霊の道」草刈り整備作業

2018年05月29日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

きれいになった故齋藤浩敏さんの慰霊プレート周り。誰かが植えたであろうチューリップが蕾を付けていた。

 2014年2月に毛無山で行方を絶ち亡くなった、山とスキーの先輩・故齋藤浩敏さんを偲んで、山仲間で遺体発見場所に設置した慰霊プレートである。
 2014年8月の慰霊プレート設置作業の様子(クリックしてください)

 ここ2年は草刈りをしていなかったので、多分草や笹で覆われているだろうと、その整備作業に一人で草刈り機を持って出掛けた。


おおよそのルート図(GPS持参しなかったので)


国道から毛無山登山道への入口。
国道の拡幅工事で、以前あった「桧沢の滝・大石の沼」の立て看板がなくなっていた。


大野川に架かる吊り橋を渡り、小川沿いの登山道を進み、高巻くように登る道へ入る。

桧沢の滝への道の分岐を直進し、下山に良く使われる旧道を5つ目(最後)のカーブまで登る。

旧道からの分岐。ここが慰霊プレートへの道の入口。ここから草刈り開始。


初めの内は踏み跡もしっかりしていたが、徐々にフキや夏草や笹が濃くなり、道が分からなくなった。
草刈り機を途中に置いて、先に踏み跡を辿り、ルートファンディングをしてきた。奥の方はテープもなくなっていた。


周りがフキや草で覆われた慰霊プレートを見つけて戻り、作業を再開した。


慰霊に訪れた人が供えていったもの。
3年前に一度持ち帰ったので、その後にも足を運んでくださっている人がいるということである。
ろうそく立てだけ置いて、あとは持ち帰った。

慰霊プレートの周りをきれいにした後も草刈りをしながら一度分岐まで戻った。
草刈り機を置いて、棒を持ち、道に残っている刈られた草や笹を除去しながら、再び往復した。


きれいになった道を戻る。


ちょうど作業が終わって、分岐へ戻ったら、自然倶楽部の鎌鹿さんご一行が下りてきた。
鎌で草刈りをしながら、慰霊プレートまで行くつもりだったとのこと。凄いタイミングである。
刈払われたばかりの快適な道を歩いて、慰霊に向かっていただいた。


◎本日の函館新聞に掲載された「四国遍路の講演」の記事
 昨日の日記に追加しておきました
https://blog.goo.ne.jp/sakag8/d/20180528

◎北海道新聞みなみ風連載「どうなん・とうほく山楽紀行」の38回目「乙部岳」
http://sakag.web.fc2.com/38-otobe.htm

「慰霊の道」草刈り

2015年05月21日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 昨日毛無山へ登り、帰りに、故齋藤浩敏さんの最期の地に設置した慰霊プレートの場所へ寄ってみた。夏草が茂って、道がよく分からなくなっていた。

 そこで、早速、今日、草刈り機持参で草刈り作業をし、テープ付けをしてきた。
 昨年、この道を開削したのが6/15だったので、それから冬までは草が茂らないで済んだようだ。今年もこれで、バッチリだろう。


before
↓↓↓


after


慰霊プレート周りは枯れた供花や造花、水の入ったペットボトル等で山のようになっていた。
この慰霊プレートを設置したのが、昨年の8/19だった。それ以来、夏には訪れてはいなかった。
その後、冬になるまでにかなり多くの慰霊者が訪れたようだ。
生花の残骸が10束ほどのほかに造花まで、水入りのペットボトルが4本、
周りには、ツルニチソウが10株、マーガレットと名称不明の花も植えられていた。
さらに驚いたのが、日高の赤石と思われる大きな石。
これは、多分齋藤さんと一緒に日高に登った人が、わざわざ背負ってきたとしか考えられない。
さらに、齋藤さんが発見されるまでこの地に眠っていた2/24~4/7を刻み込んだ三角形の石。

それにしても、多くの方々が慰霊に訪れてくれていたことに改めて驚いた。
この場所までのルート地図は、このブログにしか紹介していない。
多分、このブログを見た人が来てくれたのだろう。うれしい限りだ。


運び込まれた石と植えられた花だけを残して、あとは持ち帰った。


日高の赤石と思われる大きな石と齋藤さんが発見されるまでこの地で眠っていた期間を刻んだ石
誰が持ち込んだのか、ぜひ知りたいものだ。また、花を植えてくれた人も・・・。


さらに驚いたのが、道の途中の木に付けられたいた真っ赤なハイビスカスの造花。
初め目にしたときは、この時期にあんな真っ赤な花、何の花だろう?と近づいて行って、ビックリ!
ちょうど道が上の方へ方向を変える地点だったので、誰かがテープの代わりに付けたのだろう。

「報告書」完成・配布

2014年09月01日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連




 故齋藤浩敏さんの『毛無山~設計山縦走・行方不明事件 捜索活動等報告書』が 表紙印刷と製本を依頼した印刷屋から納品された。

 午後から、函館市とその近郊の関係者や関係機関には、送料節約のために手配りで配布し、それ以外の道央方面の方々へはクロネコメール便で送付した。厚さが1cm未満であれば、82円で送れるので、非常に助かった。

 手配りに4時間半を要したが、在宅の方には、協力のお礼を述べながら直接お渡しすることができ、感激や労いの言葉をいただけたこともうれしかった。これで、半年にわたる一連の活動がひと段落である。

印刷・丁合終了

2014年08月25日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 午前中に再びT小学校へ行き、残りの印刷をさせてもらった。当初、レスキュー研究会の講演で使ったパワーポイントで作成したプレゼンテーションのスライド画面を縮小して載せるつもりだった。ところが、小さくて印刷すると不鮮明で読みづらいし、内容的にもほとんどがダブるので割愛することにした。それで、8ページ分が減って、トータルで113ページとなった。

 帰宅後、高校野球の決勝戦を見ながら、のんびりと丁合い作業をし、落丁や印刷漏れの最終チェックして終了。


 この報告書の題名だが、齋藤さんの名前をどこに入れるか悩んだ。題名の中に入れてしまえば、長ったらしくなってしまう。
 結局、発行を「齋藤浩敏さんを偲ぶ会」とした。我ながら良いアイディアだと思っている。

 表紙の写真は、齋藤さんが縦走してくるはずだった設計山から撮った齋藤さんが歩いた毛無山方向の稜線の画像を使った。裏表紙に、「慰霊プレート」を小さく載せることにした。

 印刷屋に電話したら、明日の朝、取りに来てくれるとのこと。表紙の印刷と製本で完成である。あとは、これを関係者に届けて、一連の活動は一応の終止符を打つ。

 遺族を「慰霊プレート」の建つ現場へ案内する日程は、遠藤さんが遺族と打ち合わせることになっている。予定が合えば、同行したいと思っている。

印刷・丁合作業

2014年08月22日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 「報告書」の印刷だが、自分のプリンターでの印刷は諦めて、厚かましく、最後の職場だったT小学校の印刷機を使わせてもらえるようお願いした。実は、現在の校長は、自分が校長のとき教頭に出て、10年後にカムバックサーモン的人事で元の職場に戻ってきた方である。気楽に頼めるのも良かった。

 当初の予定より部数が増えて、紙が不足になるのは分かっていた。注文したが、今朝までに届かなかったので、今日は90ページ分の印刷だった。それでも、9時前から14時まで掛った。帰ってきたら紙が届いていたので、残りは、月曜日(24日)に出直すことにお願いした。

 写真はプリンターでの印刷よりは不鮮明だが、昔の機械に比べると思ったより見やすかった。一番残念なのは地形図である。等高線が薄い茶色なので認識されず、GPSのトラックログや、手書きの線や濃い色の文字だけしか印刷されないことである。


 帰宅後は、今日の印刷したものの丁合作業に取り掛かった。妻に手伝ってもらったが、結局21時半まで掛った。まだ、落丁などの最終チェックが残っている。

 結局、今日は12時間以上も印刷と丁合作業に励んだことになる。1日中、雨だったこともあり、落ち着いて作業に取り組めた。

印刷を始めたが・・・

2014年08月20日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 昨日の「慰霊プレート」設置が終わり、『捜索活動等報告書』にそのことも載せた原稿もできて、原稿が全部揃った。結局、全部で121ページになった。発行部数は関係者限定だけの配布でも75部は必要なので90部作製することにした。

 タイミング良く印刷用紙も届いたので、今日から印刷作業に掛った。ところが、当初はカラー印刷を考えていたが、5ページ分を刷っただけで、インクが1セット消費した。いくら安い互換インクでも、5ページで2,220円では5万円を超えることになる・・・考えが甘かった。おまけに1ページ印刷するのに90枚で20分掛ることも分かった。

 結局、我が家のプリンターでの印刷は、原版の1枚ずつとして、学校かどこかの印刷機を借りて、モノクロで印刷することにした。インク代も謝礼で済むし、時間も大幅に節約できる。

 おまけに、途中でプリンターも調子が悪くなった。最悪の場合の買い替えも考えて、同じインクを使える機種を探してコジマとヤマダへ行ってみた。ヤマダで同じものがあったので、症状を話してみたら、対処の仕方を教えてくれた。帰宅してやってみたら、修復できて、とりあえずプリンターの買い替えは必要なくなった。しかし、カラー印刷すると赤が強く出るのが難点だ。とりあえず、原版もモノクロで印刷するので、この場はしのげそうな感じだ。

 なお、表紙印刷は紙の大きさの関係で自分ではできない。製本も面倒なので、懇意にしている印刷業者に見積もりを出してもらった。残っている予算からは少しオーバーするが、そこに依頼することにした。

 話は変わって・・・本来なら、今日から30日まで道東方面へ山旅に出る予定だった。ところが、全道的にここ1週間の天気予報を見ると、どこもパッとしない状況なので、止めることにした。ゆっくり印刷と丁合い業務に専念することにした。

 函館ハーフに向けた練習もできるだろう。今日は15kmを走ったが、割と楽に走ることができた。

雨の中の「慰霊プレート」設置作業

2014年08月19日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 連日の雨で先々週から延び延びになっていた齋藤さんの「慰霊プレート」設置作業は、お盆明けの今日に設定した。ところが今日も朝から雨。明日も明後日も雨予報である。だらだら延ばすのは嫌だし、休みを取って参加してくれた方もいたので、雨の中強行した。

 雨の中にも関わらず、9時に毛無山登山口駐車場に12名も集まってくれた・・・感謝・感謝!
 それぞれ解体した部品やスコップやツルハシを手分けして持って出発。運良くそのころから小降りになり、作業中は雨が上がってカッパを脱ぐくらいだった。

 作業が終わって、集合写真を撮るころから強い雨に変わった。雨に打たれながら、ようやく一連の活動のひと区切りが付いた安堵感と満足感で下山。駐車場へ戻って、帰路に就いても、まだ11時だった。


 まずは、穴を掘り、X型根枷を付けた支柱を設置・・・みなさん手馴れた感じでスムーズに進んだ


 プレートの設置・・・気を利かせて水準器まで持参してくれた方がいた


ブリガンズ山岳会懇親会草刈会長からお礼の言葉をいただく


 草刈会長と齋藤さんの盟友遠藤さんによる除幕式


最後に後ろの木に補強ロープを掛けて終了。
プレートの文言、色合い、大きさともに非常に好評だった。
少し大きすぎたかなと心配だったが、自然の中では、ちょうど手ごろな大きさだった。
 関係者以外は訪れることのない場所だけにひっそりと自然にとけこんでいることだろう。


  現場の模様

 あとは遺族をここに案内する仕事と「報告書」の印刷・丁合・製本作業が残っているが、みなさんに協力を呼び掛ける活動は今日で終わりである。

印刷用紙探し

2014年08月17日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

今日届いた互換インク

 齋藤浩敏さんの『捜索活動等報告集』の原稿がほぼ揃ったので、最終編集をしながら印刷の準備に掛った。インクは、ここ数年使用している「インク革命COM」の互換インクをまとめて注文して、今日届いた。

 問題は印刷する用紙である。カラーの両面印刷を考えている。店頭に出回っているコピー用紙は薄くて、カラーで両面印刷すると見づらくなる。そこで、少し厚めの紙を探してあちこちの店を廻った。ざっと100ページで80部印刷予定なので、印刷ミスの予備を入れて5000枚は必要だ。

 印刷用紙の厚さを示す単位として、1平方メートルの用紙1枚の重量をgで表示する「メートル坪量(g/㎡)」を使用していることが分かった。店頭に多く出回っているコピー用紙は64g/㎡である。しかし、それ以上の厚さとなると、量販品ではないので非常に高くなる。石田文具店に81g/㎡の上質紙はあったが、ざっと5倍の値段だった。かなりの予算オーバーなので諦めた。

 帰宅してネットで調べたら、数社で70g/㎡の製品を製造していることが分かった。それでも十分な感じである。その中で富士ゼロックスの製品が一番安かったが、扱う業者によって500枚単位で400円ほどの開きがある。価格比較で調べて一番安いものを注文した。それでも、64g/㎡の2.5倍近くなったが、なんとか予算内で収まりそうなので、それを注文した。

 今日からの印刷を考えていたが、それが届くまでは無理である。のんびり取り組むことにする。

 することがなくなったので、涼しかったこともあり、2時から妻と二人で久しぶりのジョギングに出た。こちらは10kmで切り上げたが、妻は15km頑張った。いよいよ函館ハーフまでひと月半を切った。これからは、2回ほど予定している山旅との日程を考えて走らなくてはならない。その意味でも、今日の快調な10kmは自信になった。明日は15kmを走るつもりだ。
 

 

「慰霊の道」の草刈り

2014年08月08日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 連日の雨で、昨日の予定だった齋藤さんの慰霊プレートの設置作業は、今日に延期したが、今日も朝から雨でできなかった。平日にもかかわらず、12名もの参加協力者がいただけに残念だった。

 できれば、お盆前に済ませて、ご遺族の方を案内したいと思っていたが、齋藤さんのところは仏教でないので、お盆にこだわらなくても良いそうだ。

 しばらくこの雨模様が続きそうだ。慌てずに、お盆期間が終わってから改めて作業日程を組み直すことにした。

 しかし、現場までの「慰霊の道」の開削作業から2ヶ月近くも経っている。草が延び放題になっているだろうと思った。草刈りは慰霊プレート設置作業と並行してするつもりだったが、雨が上がった午後から、一人で草刈り機を持って出掛けてきた。

 開削歩道部分は意外にも草はあまり生えてなく、むしろ下の沢沿いの登山道の方が両側から草が伸びているところが多かった。


組み立てられ、設置を待っている慰霊プレート
赤い部品は土中に埋もれる支柱のX型根枷。紙でくるまれたのが支柱の単管。


 この設置作業が終わったら、その様子も入れて、『捜索活動報告集』を発刊する予定だ。現在、その編集はほとんど終わり、捜索に参加してくれた方々からの寄稿が揃うのを待っている段階だ。100ページくらいになりそう。最低60部は作成したいと思っている。

 写真も多いので、今のところはカラー印刷をしたいと思っている。自分のプリンターで全部印刷するつもりだが、結構時間が掛りそうだ。用紙代とインク代は遺族からいただいた謝礼金の残りで間に合いそうだが、プリンターが酷使に耐えるかどうか心配だ。

齊藤さんの慰霊プレート&報告書

2014年07月15日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 2月24日に北斗市の毛無山~設計山の縦走中に行方を絶ち、4月7日に遺体で発見された齋藤浩敏さんの慰霊プレートを発注した。

 捜索に関わった仲間と相談して、遺体発見現場に慰霊碑か慰霊プレートを建てたようということになっていた。そこまでの「慰霊の道」の開削作業も終えている。

 石の多いところなら、ケルンを積んでそれにプレートを填めたいところだが、林の中の斜面でそれは叶わなかった。いろいろ相談した結果、プレートを作って単管2本で立てるしかないだろうということになった。当初は手彫りや手書きを考えたが、齋藤浩敏さんの氏名の画数が多く、それは難しい・・・ならば、業者に依頼するしかない。

 仕事の関係で標識や看板製作業者に詳しいChiさんが掛けあってくれて、画像のような案が示された。傾斜地で火山灰の多いところなので相談したら、地中の根入れ部分にX 型根枷(ねかせ)を大きく付けてくれるとのことになった。

 遺族からいただいた謝礼で十分間に合うので、先週発注した。なんとかお盆前には設置でき、遺族を案内できればと考えている。

 また、現在、「齋藤浩敏さん捜索活動報告書」(仮称)の発行の準備もしている。
 内容的には、拙ブログに掲載し続けた捜索活動経過を編集し直し、捜索に関わった方々の感想や想いなどを付け加えて、さらに、慰霊プレート設置作業や遺族の案内等の内容も入れて、8月中には発刊したいと考えている。なお予算の関係で、手作りで印刷・製本の予定である。

 今日の午前中に、捜索活動に協力してくれた方々への原稿依頼を、メールや郵送でお願いする作業を終えた。

 午後からは、当時のブログ内容をワード文書にコピペし、報告集用に編集し直す作業に取り組んだ。

故斉藤さん最期の地までの慰霊の道開削

2014年06月15日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 山仲間14名の参加協力で、故斉藤浩敏さんの最期の地までの道付け作業をした。

 8:00に毛無山登山口駐車場に集合。桧沢の滝を通らない旧道の一番上のカーブ地点までは登山道を利用し、そこから約180mほどの藪の斜面の開削に当たった。

 笹刈り機5台を中心に、刈った笹や草を除去する人、木の枝を切る人、地面を削って平らにする人などなど、それぞれに工夫しながらの開削作業だった。

 ときおり霧雨の降る中、2時間ほどで立派な道ができた。現場周辺を広く刈払い、あとで慰霊プレートを建てるところを削って平らにした。最後の仕上げをしながら登山道へ戻った。

 下山時は、登山道の刈払いもしながら駐車場に戻った。S女史がまた豚汁を作って鍋ごと差し入れをしてくれた。うれしい気遣いに感謝しながら美味しくいただいた。汗を掻いた後だけに一層美味しかった。

 今後、お盆までに慰霊プレートを建てること、遺族を案内すること、さらには捜索活動報告集の編集・発刊、1周忌を迎える来年の2月下旬の追悼登山会と夜の交流会などの約束をして、12:00には解散した。

 参加された皆様、お疲れさまでした! 


登山道から開削する地点で準備にかかる


笹刈り機を先頭に


現場への登り斜面の刈払い


急斜面を削って、歩きやすくする(吉田幸二さんのブログから借用)


急な所を削ったり、きれいに刈払ったりして仕上げる


斉藤さんが眠ったまま逝った場所を均す。ここにささやかな慰霊プレートを建てる予定


きれいに出来上がった慰霊の


差し入れの豚汁を美味しくいただく


昨日、刈り払い機持参で参加された吉田さんのブログにも詳しく記載されています。
http://blog.goo.ne.jp/inaka4848/e/0a89d6d4f8b375ba850c0c143eb675fe

北海道山岳レスキュー研究会での講演

2014年06月12日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連


 昨日、札幌のかでる2.7を会場に、北海道山岳レスキュー研究会第44回例会で依頼された講演を無事終えることができた。

 演題は、「山仲間の熱き想いに支えられた捜索活動~北斗市毛無山登山者行方不明事件~」で、故斉藤浩敏さんの捜索活動の経過を、上の画像には写っていないが、パソコンのパワーポイントで作成したプレゼンテーションに即して報告させていただいた。

 参加者は、当研究会メンバーのほかに、札幌や小樽から捜索活動に参加してくださったHYML仲間8名を含む40名近い人数だった。

 冬季の場所も特定できない、しかも時間が経過してからの遭難事件も珍しいが、これまでの当研究会の事例では、不特定多数の自主的な集まりによる捜索自体も初めてのケースだし、それが緻密な計画のもとに整然と行われ、警察や遺族との連携や信頼関係の上で進められた非常に珍しいケースだとのことだった。

 例会は19:00に始まり、20:30に終了。その後の懇親会が23:00まで続いた。結構飲んだけどそれほど酔うこともなく、雨の中30分以上歩いてホテルに帰った。

ルート工作&テープ付け

2014年06月03日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 午前中に、故斉藤浩敏さんの最後の地となった地点までの道を付けるためのルート工作とテープ付けに行った来た。
 メンバーは、すでに一人で下見と予備調査を済ませていた遠藤さん、Taoさん、龍さんと私の4人。

 なるべくアップダウンが少なく、開削する距離が短いことが条件だった、幸い、毛無山への桧沢の滝を通らない迂回ルートの登山道の最後のカーブが、目的地と同じ標高290mの尾根の上まで上がっていたので、そこからトラバースしようと考えた。

 登山道をその地点まで登ったら、尾根の上のカーブの先から我々が進もうとしている方向に昔の作業道の痕跡が残っていた。これ幸いとそれを進むが、途中で消滅してしまった。そのまま100mほどの藪こぎで、無事2ヶ月ぶりの現場に到着。見通しの良い冬と違って、草も木の葉も繁って、冬には見えていた国道は見えなかった。

 帰りは遠藤さんが歩いたルートを通ってみたが、標高差50mほどの上り下りがあるので、結局等高線に沿った往路のルートを開削するつもりだ。開削が必要な距離はわずか170mほどで済みそうだ。

 その道の刈払い開削作業は、6月15日(日)に行う予定である。これから関係者に周知して、参加者を募り、笹刈機なども集めなくてはならない。

 さらに、道ができたら、慰霊碑も建てる計画である。


登山道の最後のカーブ地点の先に古い作業道の痕跡が延びていた


「斉藤浩敏さん終焉の地」の表示の前


斉藤さんが横たわっていた現場で憩う



 ○国道227号線沿いにこんな標識が・・・!  

 実は2日前の当別丸山登山会のときに友人から教えてもらっていたものだが・・・、今日往き帰りの国道227号線沿いの旧市渡小学校中山分校から900mほど江差側へ進んだ右手に、このような標識が立っていて、ビックリ!

 まだ札幌延伸も具体化していない中での気の早い標識である。「新青森起点155km600m、東京起点830km500m」「新函館(仮称)まで7km→  ←札幌まで205km」の表記もリアル感たっぷりだ。

 友人の話では、この地点は、新函館(仮称)から先の延長上のトンネル出口で、さらに一番上の「北海道新幹線」と書かれた矢印の指す方向の毛無山の下へ再びトンネルで潜っていくとのことである。