癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

1日遅れの完走祝い「串や すずや」

2013年09月30日 | オフミ・飲み会

 昨日は、帰宅後、妻が頭痛に見舞われ、ダウンしてしまった。暑いときに山に登っても頭痛を起こすので、昨日はそれだけ暑かったということだろう・・・・ということで、今晩は1日遅れの完走祝いをした。

 以前から行きたいと思っていた五稜中学校並びの「みんなの家 串や すずや(田家店)」へ。住宅街にある居酒屋にしては、店内も広く、月曜日にもかかわらず次々と来客がありびっくりした。料理も美味しかったが、もっとも感心したのは、従業員(若い女の子たち)の接客がすばらしいことだった。細やかな心遣いが行き届き、非常に気持ちよかった。家から800m程なので、また行きたくなる店だった。しかし、いつもながら学習能力のない注文の仕方で、年甲斐もなくちょっと食べ過ぎの感まぬがれず・・・。



 

函館ハーフ 翌朝

2013年09月30日 | 日常生活・つぶやき

 昨夜、8時に寝たら、3時に目が覚めて眠られない。軽い筋肉痛が心地よい満足感を助長してくれている。

 朝刊が届いたので、早速、記録一覧を開いてみた。残念ながら、60歳代男子の部は上位150位までしか載っていなかった。昨年は200位まで載っていたのに・・・・ちょっと悔しい! 4000人のエントリーだったが、完走者は3287名だったとのこと。

 さらに、ここ数年、毎年、自由市場の辻向かいで、固定カメラで連写モードで最初から最後まで数千枚も撮影して、それをブログにアップしてくださっている「函館のおぢさん2的ブログ」を見に行ったら、今年も写っていたのでいただいた。


左端・自分、中央・妻


トップグループ・・・右から二人目が川内選手

目標達成!「函館ハーフマラソン」

2013年09月29日 | 日常生活・つぶやき

スタート20分前(発着点となる千代台陸上競技場)

 ちょっと暑過ぎた感じだったが、爽やかな秋晴れに恵まれた函館ハーフマラソン。今年は4000人の応募枠一杯で過去最高の人数だった。

 これまで50代後半に4回、60代後半に4回で、8回目の出場となった。昨年からは妻も参加。50代の頃は1時間50分以内で走っていた。60代になってからは、「苦しまないで楽しく走る」ことを目標に、6分/kmペースを心掛けている。いずれも練習はわずか月4回程度だが、それを遙かに上回る山行パワー効果でなんとか走れてきている。

 スタート位置は、申告タイム順にA~Eに分けられる。自分はDだった。スタート地点を通過したのは2分後だった。1km過ぎに靴の紐が両方ほどけるハプニングがあったり、ごちゃごちゃしたりで、2kmまでは13分掛かった。しかし、それ以降は、最後まで6分を数秒切るイーブンペースを維持しながら快調に走り続けることができた。15kmを過ぎた辺りからは落ちてくるランナーをどんどん追い越すようになって気持ちが良かった。暑かったので、給水所ではゆっくり立ち止まって落ち着いて水やスポドリを飲み、水を含んだスポンジで身体を冷やした。

 結果、タイムは昨年より45秒遅れの2時間08分00秒だったが、スタート地点通過後のネットタイムは2時間06分7秒で、昨年より7秒速かった。実質的には、60代最後で60代の最高タイムを記録したということになる。順位は、人数が1000人以上増えたにもかかわらず、男子総合も60代男子の部も昨年より少し上がっていた。どちらもほぼ真ん中より少し後ろと言った感じだ。

 昨年はすぐ後ろを着いてきた妻だったが、今年は、10km手前から遅れだして、結局2時間14分21秒だった。周りは、今年は妻の方が速くゴールするのではないかと期待していたようだ。しかし、昨年より走り込みが少なかったことが災いした。

 なお、招待選手の争いだが、男子は左太もも裏の故障から復帰2戦目だった前回の五輪ランナー藤原新選手(ミキハウス)が1時間4分19秒で優勝。公務員ランナーの川内優輝選手は1時間4分51秒で4位に終わったようだ。それにしても、こちらの倍のスピードで走るのだから凄いものだ。


大会長・工藤函館市長の挨拶


お世話になっている函館トライアスロンクラブの面々。左上のピンクのウエアが妻。


19km付近の貴重な1枚(SHOさん提供)


ゴール直後(MAEさん提供)


妻もゴールして(MAEさん提供)


鹿部のNaさんとSuさんと一緒に(MAEさん提供)


記録賞


40代女子の表彰式。足の故障のため3連覇を逃して3位に終わった美帆さん。
小学生の頃、妻と同じクラスだった教え子。来年からは50代で連覇が続くだろう。


帰宅途中に食べた龍園のトマトラーメン。もちろん生ビールも!

函館ハーフ前日

2013年09月28日 | 日常生活・つぶやき

 いよいよ60代最後の函館ハーフが明日に迫った。昨年は4000人募集したが、3700人くらいしか応募がなかった。しかし、今年は締め切り日前に4000人に達したそうだ。60代男性は陸連登録者を合わせると360名ほど。来年も走るつもりの70代以上は80名程度とぐんと減るが、だいたいが化け物揃いだ。

 今日は改めて走らずに、ゼッケンを受け取りに妻と一緒にジョギングで出かけた。片道約3kmほどだが、何となく足が重いし、尻の筋肉にも張りがある。帰りは歩いてきた。水曜日に10km走っておけば良かったのだが、雨でどうしようもなく、翌日木曜日に走ったので、まだ筋肉痛が残っているようだ。まあ、明日になればもっと軽くなるだろう。今年の参加賞は毛糸の帽子だった。これから寒いときに被って走れということらしい。

 明日は、昨年と同じに6分/kmイーブンを目標に走るつもりだ。果たして、最後までそのペースで走り切れるか?昨年に引き続き2回目となる妻は、今年は昨年ほど走っていないので、こちらをペースメーカーにするらしい。

 今日も、これからスキー指導員会の役員会・・・総会の日程の関係で、これで3年連続してこの函館ハーフの前夜だ。



ゼッケン交付会場

旧ロシア領事館内部見学会

2013年09月28日 | イベント鑑賞・参加

 旧ロシア領事館の内部見学会があったので、見に行ってきた。函館港を見下ろす幸坂の最高地点付近に建つレンガ造りの和洋折衷の建物。日本最初のロシア領事館として現在地で1906(明治39)年竣工したが、翌年大火で焼失。今の建物は、その大火後1908年に再建されたもの。

 1964(昭和39)年に建物を購入した函館市は、その翌年から1996(平成8)年まで青少年宿泊研修施設「道南青年の家」として一般開放していたが、その後、閉鎖されたままだった。

 外壁を覆うレンガ、そして2階部分の縁取り・窓枠・玄関部に施された隅石風の漆喰が織りなす、赤と白のコントラストが印象的な建物だ。玄関に寺院風の唐破風や組物を見せる柱頭などを取り入れているように、歴史を積み上げてきた和洋折衷の建築物は、函館を連想させる言葉として名高い「異国情緒漂う町並み」の形成に一役買っている。


主催者もびっくりするほどの見学者の数


港側の外観


玄関を入ってすぐの階段・・・見学は1階部分だけだった。


サロンから港を見下ろす。この高い位置にあるのは、港へ入る自国の船を見るためだった。


帝政ロシア時代の豪華さを残すシャンデリア

東北楽天 初優勝!!

2013年09月26日 | 日常生活・つぶやき

 優勝が決まった瞬間・・・投手は9回から登板した田中投手
 この瞬間を撮したくて、TVの前でカメラを構えていた

 優勝マジック2で迎えた西武戦、2位のロッテが負けて、楽天が勝てば優勝が決まるという試合。NHKBS1で放映があったので、最初からずっと見続けた。

 中盤までは、ロッテが勝っていて、楽天が負けていた。しかし、途中からロッテがリードされ、楽天が逆転・・・。9回裏4:3のリードの場面で、マー君が登場。最高の場面になったところで、ロッテの負けが決まった。

 あとは、マー君が抑えれば優勝が決まる・・・ところが、力んだのか、いきなりヒットを打たれ、続いてフォアボール、ノーアウト1,2塁、バントを決められて、ワンアウト2,3塁の大ピンチ。

 一打ヒットが出て2点取られたら、逆転サヨナラで、マー君の連勝記録が消える状態。これ以上のハラハラドキドキはない・・・そこからのマー君が凄かった。すべて150kmを越すストレートで2者連続三振・・・みごと初優勝決定!さすがだ!

 それにしても、9年前に誕生したときは、寄せ集め集団で、まともな選手は岩隈投手だけの弱小球団だった。1年目に97敗もしたあの楽天が、優勝するようなチームになるとは思わなかった。2年目で大好きな野村監督になり、3年目でマー君が入団して以来ずっと応援を続けてきた。野村監督が育てて、星野監督が花咲かせた形だが、その大黒柱となって成長してきたのがマー君である。

 東日本大震災の被害者の心の支えとなり、復興への夢と勇気を与えてくれた球団としては、あとは残すところ「日本一」だ。


マウンドから嶋捕手に駆け寄るマー君


胴上げで宙に舞う星野監督・・・これで、3球団での優勝経験となる


西武球場に駆け付けたファンと喜びを共にする


インタビューに答える星監督

着々と進む北海道新幹線の工事

2013年09月26日 | 日常生活・つぶやき

実りの大野平野の中を弧を描いて走る北海道新幹線高架路線(きじひき高原展望台から)

 来る10月5日に、旧大野町(現北斗市)立大野中学校昭和34年卒「古希記念同期会」を開催する。卒業以来55年間、その幹事を自ら引き受け、2~5年ごとにずっと同期会を開催してきた。これで何回目になるか数えてはいないが、今回で最後を宣言した。理由は、亡くなる人が年々増えてきたり、出たくても出れない人が増えてきて淋しくなったからだ。住所が分かっている人だけでも、5年前の「卒業50周年記念」以来8人が亡くなっている。今のところ前回より4名多い35名が全国から集まってくる予定だ。

 そこで、しおりに、我が故郷に乗り込む、2015年度末までに開業予定の北海道新幹線関係の写真を載せたくて、写真を撮りに行ってきた。現在は高架路線の工事は終わり、仮称「新函館駅」、立体駐車場、変電所、車両基地などの工事が急ピッチで進んでいた。

 この北海道新幹線の運行を引き受けるのが、最近様々な失態で、会社自体の体質まで問題視されているJR北海道だ。「果たして北海道新幹線を任せて良いのか?」という声まで上がっている。しかし、着々と開業へ向けての工事は進んでいる。


黄金色の水田と新幹線高架路線


仮称「新函館駅」の工事


変電所?


車両基地・・・長い左の建物も右の建物も車庫のようだ


 さて、今日の午前中に函館ハーフの調整ランとして10kmを目標の6分/kmペースで走ってきた。予定では、昨日に終えておきたかったが、1日中続いた雨でずれ込んだ。あとは、土曜日に軽く5kmほど走って当日を迎えるつもりだ。

第90回記念赤光社公募美術展

2013年09月25日 | イベント鑑賞・参加

 道内で最も長い歴史がある「赤光社公募美術展」の第90回記念展が、9/21(土)から29(日)まで道立函館近代美術館で開催されている。

 毎年会員であるyamaさんから招待券をいただいている。今年はさらに別の方からもいただいたので、妻を誘って鑑賞してきた。会場には受賞作と一般入選作、会員・会友の作品が合計144点が展示されていた。

 絵心はまったくないが、毎年観ているので、知り合いの作品や特徴のある作風は印象に残っていて、「今年はどんな作品になっているのだろう」と楽しみにしている。 


90周年記念誌も兼ねた目録・・・これまでの歴史も記載されている
(yamaさんも5人の編集委員の一人)


目録の中にも記載されている「創立からの歩み」の展示。
中央画壇で活躍した著名な田辺三重松氏や橋本三郎氏なども、ここから巣立って行ったことが解る。


受賞作の一部・・・左・会友優作賞、中・第90回記念大賞、右・赤光社美術協会賞




招待券をいただいたyamaさんの「北のフィールド」


招待券をいただいたYa女史の「目覚める大地(早春)」


毎年楽しみしているIさんの「山塊(砂原岳)」


美術館前の色付き始めたナナカマド

留寿都ふるさと公園「フラワー園」

2013年09月23日 | 登山・旅行
 
 昨日は、鬼刺山を下山後、みんなで天塩川温泉へ。疲れと汚れを落とし、そこで解散。その後、名寄で夕食の野菜味噌ラーメンを食べて、当麻の道の駅まで走った。

 今日は、帰路途中の道の駅「230ルスツ」で休憩。これまで何度も寄っているのに、すぐ裏手に公園があるのが分からなかった。施設内には、季節の花を集めた広大な「フラワー園」のほかに、大小さまざまな遊具を備えた「わんぱく広場」やイベントステージを備えた「ニレの原っぱ」、テントの設営や、テーブル・ベンチなどを置ける「デイキャンプ場」、原生林内で散策や観察ができる「自然林体験園路」などがあった。








道北随一の鋭鋒・鬼刺山

2013年09月22日 | 登山・旅行

敏音知岳から眺めた鋭く天を突く鬼刺山(中央右)

 「鬼をも刺す」と言われる山名といい、鋭く天を突く端正な尖峰といい、道北の山の中では非常にインパクトの強い山である。しかし、奥深い山で山麓からはほとんど見えないし、登山道もない。自分がこの山を目にしたのは2004年に登った敏音知岳(ぴんねしりだけ)からだった。そのとき以来、機会があったらあのてっぺんに立ちたいものだ・・・と思っていた。

 期せずして、今回の全道から集まるお馴染みの藪山仲間の年1回の例会?がこの山だった。その中の2人が10年ほど前に登っている天塩川支流の西面の知良志内川を遡って登頂することができた。3kmほどの林道跡歩きの後、入渓し、上流の滝を越え、源頭部からは急斜面の強烈なネマガリダケなどの藪を掻き分けて、一等三角点の設置された尖った頂上へ立つことができた。

 あいにく頂上稜線へ着いたときから頂上にいる間は雨に降られて、頂上からの展望には恵まれなかった。しかし、その前後の利尻山や近くの山々や日本海とオホーツク海までのわずかながらの展望に救われた。往復9時間にも及ぶハードな山だったが、まさに頼もしい仲間たちのお陰で念願が叶って大満足だった。

 なお、山名の由来は、地元ではほど鬼をも刺すほど鋭い山だから鬼刺山と名づけられたという説もあるが、和人が入る前からその名の記録のある麓を流れる鬼刺辺川からとられた山名でアイヌ語が起源であろう。

 6:40スタート 登り4時間45分、下り4時間05分、ゴール15:40。下山後、天塩川温泉でさっぱりして解散した。


林道跡の終点から入渓し、穏やかな川の中を進む


2ヶ所目の連瀑を登る


源頭部の強烈な藪漕ぎ


雨のそぼ降る中を頂上ピークへ


頂上にて・・・お付き合いの長い頼もしくも気持ちの良い藪山仲間の顔ぶれ


下山途中から望む利尻山

詳しい山行記録ともっと多くの写真は、下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)

焚き火を囲んで

2013年09月21日 | 登山・旅行

 札幌から6名、北見、旭川、名寄、函館各1名の藪山仲間が、翌日の鬼刺山へのアプローチとなる知良志内川の川原に集合し、焚き火を囲んでの楽しいひとときを過ごした。


日が暮れる前に薪を集めて、準備をする

 
焼き物の食材

 
marboさんの誕生日ケーキの差し入れもあり


焼肉がメイン


歌歌う者あり、お喋りに興ずる者あり

ひたすら日本海側を北上

2013年09月21日 | 登山・旅行

小平町の道の駅(左)と旧花田番屋(右)


 昨日は、いろいろ用事を済ませて15:00に函館を出た。明日の集合場所への最短距離は、長万部から黒松内へ抜けて日本海側を北上するコースだ。3時間ほど走って岩内温泉に入って、道の駅に泊まった。

 今朝は岩内を5:30に出発。つい1週間前に通った余市~小樽~石狩~増毛~留萌はノンストップで走った。留萌より北の小平~苫前~初山別~羽幌~遠別はあまり通ることのないので、各町村ごとにある道の駅に寄りながらのんびり北上した。小平と遠別以外の道の駅はすべて温泉とセットだった。3連休の初日でもあり、どこの道の駅も混んでいた。

 留萌より北は、海岸線も穏やかで、内陸にも高い山もない、さらに、天売島・焼尻島、利尻島が見えると、さすがに道北に来た感じがする。今、遠別の道の駅でこのブログを打っている。ここまでで、函館から約500kmだった。これから、海岸線を離れ、集合場所の中川町へ向かう。


現存の鰊番屋で最大の旧花田番屋(重要文化財)


苫前町の温泉とセットの道の駅


羽幌町の道の駅にあるバラ園


天売島(左)と焼尻島(右)を望む


初山別村の温泉や天文台や灯台などを含めて岬公園になっている道の駅


遠別町の道の駅

函館ハーフマラソンのコース試走

2013年09月20日 | 日常生活・つぶやき

谷地頭電停の第一折り返し地点を目指して下る

 いよいよ函館ハーフマラソンまで10日となった。一昨日10kmを1時間で走ることができたので、1日休んで、今日はコースの試走に取り組んだ。家から1.5km程走って、コースの1km地点で合流し、あとは、ずっとコース通り走った。走り込み不足なので、ゆっくりペースで、とにかく全コースを歩くことなく走ることを目標にした。

 谷地頭の第一折り返し地点辺りまでは7分/kmペースで走ったが、いつの間にか6分30秒になり、3分ほど休んだ湯ノ川の第二折り返し地点からゴールの千代台陸上競技場までは6分ペースで走り切ることができた。心配した脹ら脛の痛みも出ることなく、まあまあ気持ちよく走ることができた。

 信号待ちやトイレ休憩の時はストップウォッチを止めて計測したが、正味2時間17分だったので、当日は、目標としている6分/kmイーブンペースで走れそうな気がしてきた。昨年のタイムを目標にするつもりだ。あと来週半ばに10km走って、前日に軽く5km走って当日を迎えるつもりだ。

 昨年よりは明らかに走り込み不足ではあるが、8月後半から結構ハードな山が多かった。それも功を奏しているような気がする。恐るべし山パワー!


漁り火通りを湯の川温泉を目指して走る(10km地点)


湯ノ川温泉街の先の第二折り返し地点を眺める(13.9km地点)


復路の啄木小公園前(17.5km)


漁り火通りから新川沿いの道へ(18.3km地点)。


発着地点の千代台陸上競技場のゲート前。中に入ってからトラックを500m走ってゴール。
 
この後、明日の夕方から道北の音威子府で開催される年1回の全道各地から集まる10名の藪山仲間の交流会へ向けて出発。今日は岩内まで走った。明日は夕方から焚き火を囲んでの交流会で、明後日は鬼刺山へ登る予定。

台風一過&前立腺検査

2013年09月17日 | 日常生活・つぶやき

昨夜の夕焼け

 台風一過の爽やかな朝を迎えた・・・。増毛山道トレッキングの後、増毛の岩尾温泉に入り、石狩市浜益区幌在住の黄金山山岳会会長Waさんのお宅に寄ってご挨拶。Waさんは、今回は所用で参加できなかったが、増毛山道の会のメンバーで、12年前の群別岳に同行いただいた方だ。その後、浜益海浜公園で車中泊。

 翌朝、雷と車を揺らす強風で目が覚めた。余市の温泉で4時間ほどのんびりして、夕方からニセコ町の山荘で開かれる山仲間の結婚祝賀会へ出席。連日の疲れからか、3時間ほどでダウン。後半の1時間以上は全く記憶がない・・・。

 昨日は、二日酔い状態で、台風の雨の中帰路に就いた。途中、2度ほど2時間半も寝て、夕方にようやく帰宅。夕食後に外を見たら、西の空の雨雲の下に青空が覗き、みごとな夕焼けを創り出していた。妻は、その後ランニングに出掛けていった。25kmも走ったとか。着々と2週間後の函館ハーフへ向けて準備万端のようだ。

 それに引き替え、自分は、残りの期間、泥縄状態の練習日程を考える。今日の夕方、とりあえずゆっくり走れるだけ走ってみてから考えようと思う。今週末は道北で開催される1年に一回の藪山仲間の集まりに参加するつもりなので、金曜日にでもコース試走をしておかなくては間に合わない。このときに全コースを走り続けることができればなんとかなるのだが、あと4日しかない・・・まあ、例年のことだけど、あとは山パワー頼みということ・・・。

 しかし、夕方に走りに出たが、まだ疲れが残っていて、心地よく走れそうな感じでなかった。無理しないで戻った。もう一日休んで、明日頑張って10km走って、金曜日にコース試走にトライするつもりだ。
 

 
 今年の夏頃から、やたらと夜のトイレが近くなった。多いときは2時間置きに起きて寝た気がしない。また、尿の勢いが弱くなった気もする・・・ネットで調べたら、前立腺肥大の症状と似ている。そこで、2週間ほど前に泌尿器科へ出掛けて、その検査を受けた。

 肛門から指を入れて、「多少大きくなっていますね」とのこと。その後、超音波エコー検査や尿量残尿測定検査を受けた。尿量の残量はないが、やはり、軽い肥大症になっているとのこと。さらに、心配だった前立腺癌の腫瘍マーカーが判るPSA血液検査も受けたが、結果は1週間後とのこと。

 そのときに2週間分の薬を処方してもらって、それをこの2週間飲み続けた。幸い効き目はあるようで。最近は夜のトイレは1度くらいで済んでいる。山に登って汗を掻いたときには、一度も起きないで8時間も爆睡したこともあった。

 今日で、薬が切れたので、前立腺癌の検査結果を聞きに行った。「安心してください。すべて異常なしです」とのことだった。「肥大症の薬をひと月分出しておくので、、もう少し飲み続けてください」とのことで、これでひと安心。

増毛山道トレッキング

2013年09月14日 | 登山・旅行

岩尾側の山道入口をスタート。

 今回の1週間に渡る山旅のメインイベントの「増毛山道トレッキング」・・・寛政8年、浜益、増両場所請負人であった三代目伊達林右衛門の手によって自費で開かれた石狩市浜益区幌から増毛町字別刈までの山道である。利用されなくなってから山中に埋もれていた山道のうちの岩尾~別狩までの16.3kmが「増毛山道の会」の手によって数年かけて復元された。

 その山道を歩くトレッキングが年に何度か開催されている。今年の5月の残雪期に増毛天狗岳に登った際にこの一部を歩き、標識や電信柱も目にしていた。そんなこともあり、復元された山道を歩いてみたかった。しかし、まだ一般開放されていないので、のトレッキングに参加した。

 23名の参加者を7名のスタッフで案内してくれた。朝のうちは雨に降られることもあったが、後半は晴れ間が広がった。道沿いの電信柱、石積みの橋の土台、武好駅逓跡、一等水準点などの歴史的遺構を見ながら歩いた。それにしても、藪の中に埋もれていた旧道を探し出して、復元した「増毛山道の会」の努力と熱意に敬意を表したい。

 ガイドリーダーで、いろいろ説明をしてくださった増毛山岳会の板垣さんは、拙サイトを良く見て下さっているとのことでご挨拶をいただいた。また同じスタッフの留萌山岳会の村田さんとは雄冬岳に登ったときに浜益御殿でお会いしているらしい。

 7時に下山口に集合し、バスで岩尾の入口へ移動して、8:00にスタートし。12:35武好駅逓跡着。昼食休憩後13:15発、別刈入口着16:20。展望には恵まれなかったが、8時間20分の楽しいトレッキングだった。


石組みの橋の土台の遺構


一等水準点とガイドリーダーの板垣さん。
この山道沿いに5ヶ所ほどの一等水準点があるはすだが、まだ3ヶ所しか見つかっていないとのこと


道沿いに今も残る電信柱。
当時は、ニシンの漁獲高や価格をいち早く札幌へ知らせるための重要な連絡手段だった。


武好駅逓跡。間取りも復元されていた。


駅逓の復元画。昭和初期には北大山岳部がここを利用して増毛山系の山に登ったそうだ。
登山家で画家の坂本直行さんの撮影した写真も残っている。


刈払いが大変だったろうと思われるネマガリダケ林の中に続く山道


曲がりくねったダケカンバ林の快適な山道

 
ゴール直前の100番の標識。およそ160mごとに1~100までが設置されている。
番号の前にIが付いているのが岩尾側から、Bが付いているのは別刈側からの番号。