癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

袈裟丸山(1961m)<三百名山>

2010年05月31日 | 登山・旅行
〈2つ目の賽の河原から望む前袈裟丸と後袈裟丸〉

夜半までの霧雨も上がり、晴れ間がどんどん広がった初日の山は、袈裟丸山・・・かつて日本一の銅山で、日本の公害の原点といわれる足尾銅山を取り囲むように連なる足尾山塊の南西部に位置し、栃木県と群馬県の県境にいくつもの頂上を連ねている山。それらの頂は前袈裟丸~後袈裟丸~中袈裟丸~奧袈裟丸などと名付けられている。最高峰は奧袈裟丸だが、一等三角点の設置された前袈裟丸を一般的に袈裟丸山と呼んでいる。

山名の由来は、空海が赤城山の後、ここに来て、袈裟をまるめて捨て去った故事にちなんで命名されたという。

寝釈迦を見たくて、塔ノ沢コースを前袈裟丸山までピストンした。大きな自然石に掘られた釈迦涅槃像は平らなところにあると思ったら、沢から切り立つ大きな岩塔の上にあった。作った人も凄いが見つけた人も凄い。

新緑に包まれた苔むした岩の間を流れ落ちる塔の沢を詰めた稜線が賽の河原。そこから小丸山までの広い稜線は、ちょうど見頃のアカヤシオとシロヤシオのオンパレード。平日にも関わらず30人以上とあったが、このツツジ狙いのようであった。頂上近くなるとシャクナゲの花も・・・。

登りでは、袈裟丸連峰、赤城山、明日予定の皇海山と鋸山、日光連山などが見えていたが、頂上に着くころにはガスに包まれ、下山時にもまったく見えなかった。早起きは三文の得・・・ほとんどの後に登ってきた人たちは気の毒だった。

6:00スタート、登り3時間20分、下り2時間30分、12:10ゴール。 

下山後、明日の皇海山への途中にあるわたらせ渓谷鉄道の水沼駅温泉センターでのんびりしブログを打つ。この後、皇海山登山口まで20kmのダートの栗原川根利林道へ向かうが、車中泊に適当なところがなければ登山口まで走るかも?
〈追加画像は、上から寝釈迦、賽の河原、シロヤシオツツジ、アカヤシオツツジ〉




足尾銅山観光と富弘美術館

2010年05月30日 | 登山・旅行
予定通り2:00発のフェリーで青森に渡り、ETC割引で東北道~日光宇都宮道路を繋いで、今晩の宿泊場所の道の駅「富弘美術館」まで640kmほど走った。

東北地方は好天だったが、南下するに連れて雲が多くなり、現地な栃木と群馬は着いたら霧雨だった。

14:30から、明日の袈裟丸山の近くの足尾銅山観光。16:00からは、念願の「富弘美術館」観覧。その後、近くの国民宿舎の温泉?に入って車中泊態勢に・・・。

○足尾銅山観光

江戸時代から400年続いた日本一の銅山で、我が国の公害の原点とも言われる産業遺構の観光。

坑内を利用した江戸時代、明治・大正時代、昭和時代、それぞれの鉱山の様子を再現している坑道内展示。さらに、銅資料館と寛永通宝を中心とした鋳銭座などを見学した。

○富弘美術館

是非とも見たかった大好きな星野富弘さんの故郷のみどり市に2005年オープンした美術館。

初めて80数点にわたる原画をじっくり鑑賞。一番先に口にくわえて書いた字や絵には、その後のそれを見慣れているだけに、その努力の素晴らしさに感動した。

来年のカレンダーと今回の原画特別企画展が開催されていて、最近出版したばかりの花の詩画集『種蒔きもせずに』を購入した。

以前にも、北アルプスの山旅のときに、安曇野の「ちひろ美術館」でカレンダーを買ったことがある。長年我が家のメインカレンダーはこの二人の絵と詩だっただけに大満足の山旅初日だった。
〈上から、富弘美術館の入口、足尾銅山観光の入口、坑内まで運んでくれるトロッコ電車〉



〈おまけ~パンフの表紙〉

本州遠征第2弾~上信越の山へ

2010年05月30日 | 登山・旅行
 ひと月ほどまとまった日程が取れたので、梅雨にぶつかるかも知れないが、上信越(群馬・長野・新潟)を中心とした「日本三百名山」巡りの山旅に出ることにした・・・・。
 
 これから2:00発の青函フェリーで青森に渡り、ETC割引で日光まで高速で繋ぎ、明日の袈裟丸山(群馬/栃木)を皮切りに下記の23座の計画・・・全部踏破できるかどうかは天候次第・・・

 袈裟丸山(三)~皇海山(百)~仙ノ倉山(二) ~白砂山(二)~浅間隠山(二)・浅間山(百)~四阿山(百)~本白根山(百)・笠ヶ岳(三)・横手山(三)~岩菅山(二)~苗場山(百)~佐武流山(二)~鳥甲山(二)~斑尾山<三>~黒姫山(二)~飯縄山(二)・戸隠山(二)~高妻山(百)~妙高山(百)~ 火打山(百)~焼山(三)<妙高・火打・焼山は1泊2日のテント泊循環縦走>~青海黒姫山(三)
※(百)日本百名山、(二)日本二百名山、(三)日本三百名山

 例によって、毎日携帯からこのブログへ更新して歩きますので、興味のある方はお付き合いください。では、行って参りま~す

6日ぶりの晴れ~登山会

2010年05月29日 | 登山・旅行
 月曜日から降り続いた雨がようやく上がり、6日振りに晴天が広がった。
 そんな中、「函館ライフスポーツ・春の登山会」・・・メンバー31名を引率して、北斗市の毛無山に登ってきた。

 久しぶりの太陽に、新緑も足元の花々も大喜び・・・もちろん、山菜のお土産もいっぱいの我々も!

      
       駒ヶ岳をバックに記念撮影

            
            連日の雨で水量豊富な「桧沢の滝」

      
       芽吹いたばかりの新緑の中を登る

      
       柔らかな葉を広げたばかりのブナ

      
      多く目にしたミドリニリンソウ

  同時期の同じコースの詳しい記録は、下記からどうぞ!
  http://sakag.web.infoseek.co.jp/kenasi08.htm

晴れ待つ蕾

2010年05月26日 | 花・紅葉だより
 今日で3日間連続の雨・・・明日も雨予報・・・
 そんな我が猫額庭で陽光を待ちわびている蕾たちをカメラに収めてみた。 
 でも、一番晴れを待ちこがれているのは、どこにも出られないでウジウジしている本人だったりする・・・。
 昨日発表された長期予報によると、今夏は、異常に寒くて雨の多かった「昨夏以上の冷夏予想」だとか・・・

    
       サラサドウダン

    
       スズラン

    
       オダマキ

    
       クマガイソウ

    
       ツツジ  

    
       ボタン 

植樹祭参加

2010年05月23日 | イベント鑑賞・参加
    
 本日、「美しい森林づくりの集いin大沼」(植樹祭)に、「函館ライフスポーツ」のメンバー25人と共に参加してきた。

    
 参加者は、いろいろな団体がバス5台に分乗し、貧乏山のすぐ東側のメイン会場に集合。総勢300名とのこと。

    
 班ごとに分かれて、全体で1700本ほどのブナとミズナラの苗木を植樹。
 作業終了後はウドやタラノメやフキなどの山菜採りもしっかりと・・・。

    
 「函館ライフスポーツ」メンバーだけの記念撮影・・・スキーや登山やパークゴルフやゴルフなどで、自然や山には迷惑を掛けているので、その罪滅ぼしの意味合いもあって参加した。たまにはこういう機会もいいもんだ。

    
 初めて目にした?珍しいシロバナタチツボスミレ 

    
 昼食時間には、エキジビションとして、木製の手作りフルート製作&演奏をしている恵庭の「ラブフルート」の演奏と踊りを楽しんだ。

    
 自分が登った4年前とは見違えるようにすっかりきれいに整地・植林された貧乏山頂上一帯。
ちなみに、この一帯は平成16年の台風18号で森林がなぎ倒されたところで、それ以来、ずっと森林づくり作業が続けられている。

<番外編>
 今日の植樹祭とは関係ないが、昔この貧乏山にUFO基地があったという話があり、昭和51(1976)年に小学館発行『小学四年生』の9月号と10月号にマンガで連載されたことがあった。ばんだい号事件もそれと関係があったとか・・・?信じるか信じないかはあなた次第・・・。
 興味のある方は、下記からどうぞ!そのマンガを読むことができます。
 http://oriharu.net/jkadoh_kosaka.htm 

新緑の薮山・丸岳~長山

2010年05月22日 | 登山・旅行
      
<道の駅「しりうち」の手前から望む大千軒岳(左端)から七ッ岳(右端)への稜線とその前に並ぶ本日登った長山(左)と丸岳(左)>

 頂上が知内町と福島町と上ノ国町3町の境界になっている七ッ岳(956.8m)の山名の由来が、知内町側にボコボコと林立する500~600m台の燈明岳、馬岳、牛岳、丸岳、長山、親岳と合わせた7座の盟主であることに因るらしい。
 
 これらの内、登山道のあるのは親分の七ッ岳だけで、子分の6山には登山道はない。燈明岳・馬岳・牛岳は残雪期に登頂済み。なんとしてもあとの3座も登りたいと思っていたが、今回SHOさんの同行を得て、丸岳(531M)と長山(580.5m)に登ることができた。

      
       <丸岳と長山を繋ぐ稜線の樹間から姿を見せる屹立する長山>

 昨年4月初旬、燈明岳・馬岳・牛岳に登ったとき眺めたこの2山の山容は、急な雪壁を巡らせ、しかも稜線も細く急峻で、雪のあるときに登るのは無理だと思っていた。
 そこで、林道も開き、雪の消えた今回の挑戦となった。実際に登ってみなくては分からないものである。細く急な稜線も周りに生える木々に助けられ、予想より楽勝の山であった。

     
       <今年初めて目にしたサンカヨウ・・・この透明感のある清楚さが好き>
 
 ツラツラ林道を走って、母沢と小股沢の合流点から入渓。小股沢の枝沢に入り、途中から北西尾根を直接丸岳へ。さらに、2山を繋ぐ稜線を下って、コルから登り返して長山へ。長山からコルまで戻って、登りの枝沢へ・・・。

 入渓地点から丸岳まで1時間15分、丸岳からコル経由長山まで1時間20分、長山からコル経由入渓地点まで1時間20分・・・合計(休憩も含めて)4時間20分 

 詳しい山行記録は、下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/maru-naga.htm

伝統的建造物めぐり

2010年05月21日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
      
 
 今日は、「第38回箱館歴史散歩の会」(主宰・中尾仁彦氏)に参加してきた・・・今回のテーマは「伝統的建造物めぐり(その2)」

 日本伝統文化の和風の民家のほか、開港以来の諸外国文化の流入により育まれてきた市民意識を表す洋風あるいは和洋折衷様式の民家のうち、今回は基坂から西側の街並みを巡った。初夏を思わせる天候の下、参加者は100名を越えていたようだ。普段、何気なく見てはいるが、改めて説明を受けながら見ることにより、新しい価値を発見できた・・・・。

<和洋折衷住宅について>
 函館の歴史的建造物の特色である和洋折衷住宅は、3つのタイプに分類されるらしい。
 今日廻った中から代表的なものを先にアップ
 
 ①1階のみが和風で1階の側面や2階はすべて洋風になっているタイプ
    
 「めがね工房まかべ」~豪商藤野財閥が明治41(1908)年に社宅として建てたもので、主に漁師に住まわせていたとのこと。 
 
 ②1階が四方とも和風になっていて、2階が洋風のタイプ
    
 「ミートハウス別館」~明治40(1907年)建築。当初は鉄工所だった(経営者の住宅では?)らしいが、今は民宿。正面右のレンガ造りの袖壁が特徴。

 ③和風民家と洋風民家が併設されているタイプ
     
 「野登家住宅」~大正2(1913年)建築。創建当時のままの姿を維持。

 これらも合わせて、全部で20軒ほど巡ったが、印象に残ったものをいくつかアップ

    
 「奥島家住宅」~大正7(1918年)建築。土蔵と和風と洋風の併設。     

    
 「松原家住宅」~明治43(1910)年建築。函館では珍しい京都風の純和風住宅。樺太に漁場を持っていた豪商が京都から大工を招いて建てたとのこと。中も非常に豪華な造りになってらしい。

    
 「山内家住宅」~大正11(1922)年建築。窓の細工や軒蛇腹がみごとで、珍しく玄関を引っ込めていて、和と洋の違和感のない完成度の高い建物とのこと。

    
 「大正湯」~昭和13(1928)年建築。バランスが良く、きれいな建物。映画のロケにも使われ、観光客にも人気がある銭湯。
 中の様子は下記からどうぞ!
 http://blog.goo.ne.jp/sakag8/e/2c9a8a079835f3e90a65b5f0aa659b24

    
 「伴田米穀店」~大正5(1916)年建築。昼は米穀店、夜は居酒屋。昔は病院(手前が診療所で、奧が住まい)。21回もペンキが塗り直されているとのこと。窓の上の三角がお洒落。

    
 「前田家住宅」~明治18(1885)年建築の土蔵造2階建て。明治40年の大火で焼け残った。

    
 「和島家住宅兼民宿」~大正4(1915)年建築。元は海産商の建物。均整のとれた造りで、窓がお洒落。

    
「旧堤商会(ニチロの前身会社)・現佐藤商店)~大正5(1916)年建築の木造3階建て。
  
    
 「旧太刀川米穀店」~明治34(1901)年建築。現在は喫茶店を営業。土蔵造りゆえに明治40年の大火で焼け残った。昭和46年には国の重要文化財に指定。

    
 「民宿宝屋」~明治42(1909)年建築。繋がっている裏の建物は和洋折衷

<翌日の新聞より>
本年度の国土交通省などが主催する都市景観大賞「美しいまちなみ優秀賞」受賞決定!


久しぶりの列車旅

2010年05月20日 | 日常生活・つぶやき
    
 函館支部の副理事長を仰せつかっている退職組織の道本部総会参加のため、支部長と理事長と共に札幌を往復した。
 日程的に詰まっていたことや、懇親会もあるので、久しぶりに列車を利用・・・全国どこでも車を駆って歩く自分としては、道内での利用は何年ぶりなのか記憶にない。 

 前夜のHYML(北海道の山メーリングリスト)函館地区オフミで飲み過ぎて二日酔い・・・特急ってあんなに揺れるものだろうか・・・二日酔いなのか列車酔いなのか判らない状態に・・・しかし、いつもと違う車窓からの景色が新鮮だった。

    
 会議は午後からだったので、北海道近代美術館で開催中の「本願寺展」を鑑賞・・・ここも凄い混みようで、今度は人に酔った・・・。

 会議も懇親会も終えて、帰りの列車では、大丸デパートで買ったつまみの蒲鉾と缶酎ハイで、まさにおじさんたちの列車旅・・・たまには、このような非日常性もいいもんだ・・・。

山スキー滑り納め

2010年05月18日 | 登山・旅行
 例年は、GWが山スキーの滑り納めとなっているが、今年は前半は本州遠征、帰ってきてからは都合と天候が合わずほとんど諦めていた。
 
 しかし、今年は雪解けが遅く、先週末情報で、日帰り可能なニセコがまだ十分雪があるとのこと・・・早速、4:30に家を出て、五色温泉の先の標高790mからスキーで取り付けるイワオヌプリとアンヌプリ北西斜面へ出掛けた・・・なるほど、例年のGW時期より雪は多いようだ。 

     
 向かい側のニセコアンヌプリ斜面から眺めたイワオヌプリ・・・バックはニトヌプリ~チセヌプリ~雷電山と岩内岳。
 まずは、初めてスキーで登って滑るイワオヌプリへ・・・頂上左側の斜面を下の台地経由でコル(雪で覆われた道路)まで滑り降りた。

     
 イワオヌプリのスキーデポ地点から望むアンヌプリ・・・この急斜面を滑り降りて、コルから向かいのアンヌプリの斜面を登って、滑り降りた。

 気温は高かったが、雪は締まったザラメで、非常に滑りやすかった。両方滑り降りてもまだ11:00。スキー場下からビッシリと雪が付いているチセヌプリへ向かうことも考えたが、ここの五色温泉に入りたかったことと、滑り納めとしてはまあ満足だったので、温泉で1時間以上のんびりとして、帰路に就いた。

 詳しい記録は、下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/10niseko-ski.htm

寅年ならではの「寅沢」(512峰)

2010年05月17日 | 登山・旅行
 快晴の今年一番の暖かい朝を迎えた・・・絶好の山日和だが、癌術後の定期検診が入っていたので、朝からは出掛けられず、まずは久しぶりの早朝ジョギング(7km)。
 検診結果は異常なしで、病院から戻ったのが11時・・・数日前から温めていた、松倉川と寅沢川との合流点から北東に延びる尾根の上に位置する512峰を目指した。もちろん薮漕ぎ登山・・・。

    
     (西旭岡団地の道から望む左から蝦夷松山~512峰(点名・寅沢)~三森山)

 この山は、数日前までは、その存在すら知らなかったが、ある1本の電話からこの山の三等三角点名が「寅沢」ということが判った。過去に何度か同行している札幌の方からの間接的な問い合わせだったが、その内容は、「寅年なのに、道内には寅の付く山がない。唯一この512峰の点名が「寅沢」なので、今年中に登りたいと思っているが、何か情報はないか」とのことであった。

 地図上で簡単に登れそうなルートを画策し、下見を兼ねて、近日中に登る予定だった。ところが、偶然、3日前に函館の岳友Saさんが登ってきたという情報が入る・・・早速電話してみたら、自分が考えていたルートと同じだったので、早速トライしてみた。
     
     
      (三森山をバックの頂上と点名「寅沢」の三等三角点) 

 例年は開放されているが、まだ施錠されたままだったゲートから2.2kmほどの寅沢林道を歩き、小沢を利用して薄い笹藪の北西尾根を登って頂上へ。
 林道歩き、往復1時間10分、登り30分、下り20分。 

     
      (大船松倉林道の奧から眺めた荒々しい岩崖を巡らせた頂上東面)

 頂上の北東面から南面は、足元から垂直に切れ落ちる岩崖だったので、下山後、その姿を下から確認したくて、大船松倉林道の奥の方へ走ってみた・・・何度も通っている林道だが、まったく記憶にない山だった。

 詳しい山行記録は、下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/torasawa.htm

花見はやっぱ・・・

2010年05月15日 | 日常生活・つぶやき
      
 久しぶりに快晴の青空が広がった・・・妻のリクエストに応えて、笹流れダムでジンギスカンの花見・・・。
 北海道の花見はやっぱりこれでなくちゃ!
 今年一番の太陽光線の暖かさを肌で感じ、ようやく春本番を実感!

      
 帰り道に、オオバナエンレイソウの群生地へ寄ってみた。まだ半開き状態で、ここも例年より花が遅れていた。

      
 帰宅したら、我が家のシバザクラとチャボアヤメとオダマキも、太陽の光に大喜びで花をいっぱいに広げていた・・・。

松前花見~勝軍山ハイク

2010年05月14日 | 登山・旅行
    
 ここ数年、毎年のように、250種2万本を誇る松前の桜を見に行っているが、今年は寒かったので、例年よりかなり花が遅いようだ。
 「ソメイヨシノ」と一番多い「南殿」や「雨宿」などがちょうど見頃で、品種によってはまだ蕾のものも多かった。

    
 光善寺の血脈桜・・・昨年はウソにやられて、枝先にしか花が付いていなかったが、今年は、例年より多くの花が咲いていた。

    
 上品なほのかなピンク色が好きな「雨宿」

 いろいろな品種の花をアップで掲載してある08年4月25日のページは、こちら
 http://blog.goo.ne.jp/sakag8/e/101f8fda80fde557450f7281d70795b6

○勝軍山
 松前公園の裏山で、1865(慶応元)年に完成した一周3.3kmの「四国八十八ヶ所霊場」巡りの山。1~88番の石仏が祀られている参詣道はトレッキングコースとして整備されている。

 今回は、花見がメインではなく、この山を歩くことであった。妻と松前藩屋敷の前で別れ、空身で登山口へ向かった。

    
 道の駅から眺めた勝軍山(左ピークが最高点だが、右ピークが山頂となっていた)

    
 ルート上の山頂とされている勝軍地蔵堂跡(44番霊場)~ここに、天文7年(1538)阿吽寺の奥の院として勝軍地蔵を祀ったので、この山は勝軍山と呼ばれるようになった。

 一周 1時間25分(最高点ピークまで登り25分、下り1時間)

 詳しい山行記録は、下記からどうぞ! 
 http://sakag.web.fc2.com/syogun.htm  

故郷の巨銘木

2010年05月13日 | 花・紅葉だより
 生まれたのは函館市内だが、物心付いた4歳から15歳までの幼少年期を大野町(現北斗市)で過ごした・・・自分にとっては、この町が故郷である。
 この時期になると毎年のようにメディアに登場するのが、このみごとなシダレザクラ・・・子供の頃この下で遊んだはずだが、当時はシダレザクラなんて名前も知らなかった・・・・今日も悪天候の中、多くの見物客が訪れていた。

○法亀寺の枝垂れ桜(シダレザクラ)
     
 1849年(嘉永2)年、大野村東下町に法亀庵として建てられ、その後、法亀寺と改称され、1889(明治22)年、現在地(北斗市向野・大野橋の正面)に移転した。
 境内にあるこのシダレザクラは、推定300年を越え高さ12mほど。これだけ立派なシダレザクラは道内でも珍しいとのこと。
  
     
     

○大野小学校の大欅(ケヤキ)

     
 シダレザクラを見た後、母校のグランドのレフト側の後に生えていたケヤキを思い出して行ってみた。
 周りは当時の面影はすっかりなくなって、グランドの位置も変わっていたが、この木の枝振りや位置は間違いなく当時のものである。しかし、当時はこんな大きな木ではなかったはず・・・60年近い歳月ですっかり巨木になっていた。

 説明板によると、1897(明治30)年に大野小学校がこの地に建てられる前からあった自然木と言われている。当時から我々子供たちの成長を見守って来たのであろう。

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