癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

念願の阿さ利本店のすき焼き

2018年09月30日 | 食べ物

 創業は1901年(明治34年)。すき焼き専門店として110年以上守り続ける伝統の味が売りの阿さ利本店。産地直送した特上の黒毛和牛を提供している。ミシュランガイド北海道2017特別版」掲載店。


 電車通り沿いには阿佐利精肉店があって、函館山に向かうあさり坂沿いにすき焼き店の入口がある。古めかしくも風格を感じる建物は、明治時代のお医者さんの別荘だったとか。

 なんとなく我々庶民には敷居が高そうな感じで、これまでに入ったことがなかった。

 妻が、ホームページ20周年のお祝いに、ここのすきやきをご馳走してくれるという。混んでいてなかなか予約が取れなかったらしい。今日の5時からが空いていたとこのと。

 
歴史を感じる階段と廊下


個室へ案内される




野菜と肉を2回分に分けて鍋に入れてくれた。
普段は口にしたことのない霜降り肉は噛まなくても口の中で解けてしまう感じ。

 
シメのうどんとデザートのアイスクリーム

ホームページ開設20周年記念日

2018年09月29日 | PC・HP・ブログ

 このブログの親サイトである「一人歩きの北海道山紀行」の開設日が、1998年9月29日なので、今日で20周年を迎えたことになる。

 PCを始めたのが1998年5月である。長男が大学を卒業して仕送りが半分になったのを機に、自分の生涯学習のためにと、当時プリンターも含めて25万円ほどの投資であった。
 そのころは一人歩きの山ばかりだったので、インターネットを通しての山の情報収集が主な狙いだった。
 他人のサイトを見ているうちに、自分の記録の蓄積も兼ねて発信する側に回ったら、もっと楽しいのではないかと思うようになった。

 ほぼ独学で、HP作りの学習をして、8月にはその準備に取り掛った。まずはHP作成ソフトの購入だった。当時、国内で一番人気のソフトは、札幌市厚別区下野幌テクノパークにあるDBソフトウェア製作会社のHOTALL(ホタル)というソフトだった。注文してもすぐに手に入らなくてしばらく待った。

 その会社は2003年で閉鎖したが、こちらは今でもそのHOTALLを使用している。このソフトを使っている人は全国でもまれな絶滅危惧種だろう。windows7に変わるときにピンチだったが、いろいろ検索してみたら、windows7で使っている人がいて、その方々に教えてもらってインストールでき、こうしてまだ使えている。

 最初のサイト名は、当時の目標だった一人歩きの北海道百名山完登にちなみ、「一人歩きの北海道百名山」として開設した。最初の1年は、それまでの6年間の記録を、少しずつアップして行った。

 それ以来、このHPの存在が、自分の人生を大きく変えたと言っても過言ではない。

 まず、HPを媒介とした山仲間がどんどん増え、いろいろな方々とのお付き合いも増えた。道内はもちろんだが、道外にまで多くの読者がいて、山で挨拶されたり、「いつもお世話になっています」と言われることも多かった。

 また、翌99年には、このHPの読者に呼び掛けて、北海道の山の情報交流のためのHYML(北海道の山メーリングリスト)の開設にもかかわった。今では、登録会員が700名を超えている。その仲間のお陰で、同行者も増え、夏山の登山道オンリーの山から冬山も、さらには、沢登りと薮山へとどんどんステップアップしていった。

 その後、数年して登った山が300山を超えたころ、「300山もアップしているのだから北海道百名山はおかしいだろう」という読書の声で、現在の「一人歩きの北海道山紀行」に変えた。
 これまでに、大変なプロバイダーの引っ越しを4回経験したが、止めたいと思ったことは一度もない。


 特に退職後の14年で、北海道の山だけでなく、「日本三百名山+道外の山」「四国遍路」「海外トレッキング」「歩き旅」などのコンテンツが増え、ブログ「癌春日記」とも連動し、どんどん充実してきた。いわば、自分のここ20年間の遊びの記録であるが、豊かな人生の大きな糧となっていることは間違いない。

 特筆すべきは、現在330万件を超えているアクセス数である。個人のサイトで、アクセス数300万件以上などという数字はほとんど目にすることがない。それだけに、このサイトを利用してくださっている方々への感謝の念が強い。

 山岳雑誌への執筆依頼も、北海道新聞への連載依頼も、拙著「ほっかいどう山楽紀行」の発刊も、すべてこのHPのお陰である。記憶ではなく記録が残っているので、最初のその山の感動でも、古い山行でも、臨場感たっぷりに、記述することができたつもりである。

 最近は、主だった山は登りつくしているので、特に北海道の山の新しい情報提供が少なくなっていることや、読者の側も、ブログやツイッターなどのほかに、山関係ではヤマレコやヤマップなどを利用している人が多くなっている。いろいろな情報収集先が増えたようで、こちらへのアクセス数が減ってきていることも事実である。

 しかし、基本的には、自分の記録である。それがほかの方々の参考になって来たのはうれしい限りである。これからも、「登っては書く」「歩いては書く」を可能な限り踏襲するつもりである。自分の財産として充実したものになり、さらには、少しでもほかの方のお役に立てれば幸いである。

 これからも、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

ミステリアスな拾い物・・・登山者にも悪人はいる!

2018年09月28日 | 日常生活・つぶやき

羊蹄山頂上の雲間から覗く京極市街地(本文とは関係ありません)

 9/26の羊蹄山登山の際、真狩ピークから頂上へ向かう途中の稜線コル付近で、妻が雨で濡れたポーチが落ちているのを発見。中を開けて見たら、財布と電池の切れた携帯ほかが入っていた。
 財布には現金2千円と小銭が入っていて、免許証や健康保険証、クレジットカードや銀行カードのほかにたくさんのカードが入っていたので、てっきり落し物か忘れ物だろうと思った。雨に濡れているので今日のものではない。警察に届けるか、連絡先が分かれば電話でもしようと思って持ち帰った。札幌の方だった。

 下山後、交番へ寄ったが、パトロール中で留守だった。免許証の住所へ送り届けても良いと思った。しかし、健康保険証から勤務先が分かったので、翌朝9時過ぎにその会社へ電話を入れた。事情を話し、本人がいたら電話をいただきたいと頼んだ。

 まもなく、本人から直接電話が入った。拾った場所を説明したら、山の状況が良く分かっていない感じなので変だな?と思った・・・。以下その後の会話。

「ありがとうございます。それは、まちがいなく私のものですが、実は、私は山には登っていないんですよ」
「えっ!てっきりそこで休んで、忘れたのではないかと思ったのですが・・・」
「月曜日の24日ですが、私は下の真狩キャンプ場でキャンプをしていたのですが、トイレに入っている間に置き忘れたらしいのです。気付いたのは帰りの車で家に着く寸前でした。諦めて、警察に紛失届と被害届を出して、カードなどもすべて止めたところでした。結果的にはそのポーチは盗まれたということなんですね~」
「ということは、それを盗んだ登山者が、わざわざ頂上近くまで持ってきて捨てたということなのでしょうか?それにしては現金も2千円と小銭が入っていましたよ」
「そうですか・・・そのほかに1万円札が何枚か入っていたはずなのですが・・・」
「ということは、その犯人が、万札だけを引き抜いて、ポーチごと捨てたということなのでしょうね?」
「多分、そうだと思います」

 それにしても、わざわざ頂上付近まで運んできて、万札だけを引き抜いて、人目に付きそうな登山道の近くに捨てる・・・これも変な話である。すぐに薮中に捨てても良さそうなのに・・・。考えられることは、中には免許証や健康保険証、銀行カードやクレジットカードも入っていたので、ちょっとは良心の欠片が残っていて、薮中に捨てないで、忘れ物や落し物として人目に付きやすい登山道の近くに捨てたということなのだろう・・・?

 登山者にもそのような悪い人がいることを知り、愕然とする思いだった。こちらとしては良いことをしたつもりが、なんとなく後味も悪いものになってしまった。

「今日、帰宅したら、すぐにでも免許証の住所へお送りますけどよろしいですか?」
「お手数をおかけして申し訳ございません。何かお礼をさせていただきたいのですが・・・」
「自分も同じような経験がありますし、お宅はむしろ被害者なのですから、お気遣いは一切ご無用です」
「すみません、ではとりあえず着払いで送ってください。届いたら、また電話します」

 帰宅後、向こうの申し出に即して、着払いで宅急便で送った。今日になって、本人から「届きました」とお礼の電話が来た。

 今回のことで、4年前の熊野古道歩き旅での自分のハプニングが蘇った。
 早朝の道の駅のトイレに、財布や携帯電話などすべてが入ったウエストポーチを忘れたことに気付いて、20分ほどして慌てて戻ったが、すでになし。
 どこかへ連絡取りようにも携帯もなく、お金もないので公衆電話も掛けれない、銀行カードもないので、お金も下ろせないし、帰ることはおろか、そこから動きようがない。お先真っ暗になった。

 一縷の望みは親切な人が警察へ届けてくれていることだけだが、最悪の場合、交番に事情を話して、帰りの費用だけでも借りることを考えて、戻ってくるときに目にした派出所へ駆け込んだ。しかし、留守だった。警察電話が使えるので、とりあえず110番へ。事情を話したら、近くのいくつかの交番へ問い合わせてくれた。

 なんと、本宮の交番に届いているとのこと。「助かった~!」 開いたばかりの道の駅に戻って事情を話しバス賃を借りようとしたら、責任者の方が交番まで車で送ってくれた。 届けてくれた人は、旅行中の名古屋の方だった。謝礼も不要とのことだったが、警察から電話をかけてもらって、直接お礼の言葉を申し上げた。良い人に拾われて、まさに「地獄に仏!」だった。

 それより少し前に、こちらの携帯の中から妻の携帯番号が分かったらしく、警察が電話をしてくれたらしい。その電話を受け取った妻が、「熊野の警察ですが・・・坂口さんの奥さんですか?」と聞いた途端に、事故にでも遭ったと思って、頭の中が真っ白になり、パニックになって、「いいえ」と答えてしまった・・・という笑い話もあった。2人とも時間差でパニックを経験していた。
 それ以来、財布と携帯は別々にし、財布は身に付けるか、忘れることのないリュックに入れて持つようにしている。

再案内!私の出番もある「岩崎元郎さんの健康登山講座」

2018年09月28日 | 登山・旅行
 10/5に開催されるこの講演会の主催「新日本百名山・恵山を登る会」は、不肖私が代表で、自然倶楽部の鎌鹿さんが事務局を務める団体です。ちなみに、新日本百名山とは、講師を務める岩崎元郎さんが選定した山で、その中に恵山が選ばれています。

 抽選で豪華登山グッズが当たるお楽しみ抽選会もあります。また、第2部で、岩崎さんと私の対談「山のよもやま話」もあります。岩崎元郎さんの講演会は、05年に引き続き13年ぶりの開催です。

 お誘い合わせの上、北斗市かなで~るにお出で下さい。なお、入場無料ですが、事前予約が必要です。申込先にTELかMAILをお願いします。(下載パンフ参照)
 今のところ余席がありますが、定員になり次第締め切ります。
 
 岩崎元郎さんは、NHKの「中高年の登山学」という番組を通して、中高年の登山ブームの先駆けを作った方です。


お勧めの話題グルメ2題

2018年09月27日 | 食べ物
 昨日は、羊蹄山下山後、真狩温泉に入り、そのまま真狩道の駅に連泊し、今日の午前中に帰宅した。
 今回の4泊5日の車中泊旅の食事は、原則的に、朝はコンビニ、昼はコンビニのおにぎりやパンなどで済ませ、夜は外食とした。

 その中で、その土地ならではの話題のグルメ2題を紹介したい。

◎美唄名物「角屋のやきそば」


1泊目の三笠道の駅のセブンイレブンの店頭に並んでいた「角屋のやきそば」


 炭鉱のまちとして栄えた美唄市には、炭鉱マンのニーズにマッチした、独特のおいしい名産品袋入りの「角屋のやきそば」がある。


 パッケージには「フライパンでいためてお召し上がりください」と書いてあるが、そうする人は少数派とか。袋から出さないでそのまま食べるのがミソ。自分たちは、コンビニでチンしてもらって食べた。
 シンプルなソース味で、ゆで麺なのに、時間が経ってものびないところも大きなポイントである。

 実は、昭和40年代に誕生し、炭鉱マンの小腹を満たすのにピッタリだっただけでなく、手軽なお昼やおやつとして地元で愛され続けてきた。かつて炭鉱で働く人たちは、仕事のあと全身真っ黒になったので、これならすぐ食べられると大人気に。
 一時は姿を消したが、「どうしてないの!」「また食べたい!」という声に応えて2005年に復活。その後、テレビや雑誌などにも取り上げられて、注目度が急上昇とのこと。

◎芸能人に人気の?旭川みづのの「生姜ラーメン」


旭川市常盤通りのロータリーの近くにあるラーメン「みづの」

 旭川名物といえば真っ先に思い浮かぶのが、旭川ラーメン。そのなかで異彩を放つ店が、この1965年創業のこの「みづの」。妻の情報をもとに、25日の大雪高原巡りの帰りに初訪問。


 昭和の風情が残るどこか懐かしい店内ですぐに目を引くのが、壁にびっしりと張り巡らされた色紙と、厨房に掲げられた「生姜ラーメン」の立派な看板。色紙は、反対側の壁にもびっしり張られている。


 老夫婦2人で営むこのみづのの一番人気メニューは、 創業以来つくり続けている「生姜ラーメン」(630円)とのことで、早速注文。
 あっさりとした醤油スープに、生姜の風味がふわっと広がるやさしい味わい。生姜の辛みはなく、最後は甘みとともにスッキリ感が残る。すりおろした生姜が沈んでいるスープが美味しくて、珍しく全部飲みほしてしまった。

羊蹄山・妻のリベンジにお付き合い

2018年09月26日 | 登山・旅行
    
   〈ガスに覆われた羊蹄山山頂〉
 
 3年前に初めて羊蹄山にトライした妻だが、比羅夫コースをほぼコースタイムで登頂したまでは良かったが、下山に掛かったら、8合目辺りから、急に体調が悪くなり、貧血気味な上、腿や膝に力が入らなくなり、結局登りと同じ4時間40分を要して、何とか下山できた。
 それが悔しかったらしく、昨年は、喜茂別コースからリベンジにトライしたが、今度は頭痛を起こし、5合目で撤退。

 そこで、今年は真狩コースからトライ。昨日のうちに真狩道の駅まで走って、車中泊。
 3年前は日常的に走っていたので、体力はあったが、今年は全然走っていない。そこで、ゆっくりペースで登った。登りは5時間30分を要したが、下りは4時間15分で降りることができ、2年越しのリベンジが叶ったようだ。

    
 真狩市街地の車道から正面に見える朝の羊蹄山

    
 6:50、登山者用駐車場をスタート。5分で、登山口通過。

    
     2合目付近のダケカンバの林バックに

    
     オオカメノキの紅葉と下界の眺望

    
    曲がりくねって枝を広げるダケカンバ

    
    6合目付近のミヤマカエデの黄色中心の紅葉

    
 眼下に広がる畑地とその向こうの昆布岳

    
    雲間から眺めるニセコ連峰

    
    洞爺湖を見下ろす

    
    8合目上のガレ場を登る

    
    ガスに覆われた稜線を登る

    
    紅葉の父釜を見下ろす

    
   一瞬だけガスが晴れて、頂上岩峰が見えた。

    
    ガスに覆われて何も見えない頂上にて

    
 下山してきたら、山はきれいに見えていた。 それにしても、左側斜面の崩落が凄い。
 
 頂上を12:40にスタートし、16:55にゴール。まっすぐ真狩温泉で、疲れを癒した。

大雪紅葉巡り・その2「銀泉台&大雪高原沼巡り」

2018年09月25日 | 登山・旅行
    
    〈大雪高原沼巡りの緑沼〉

 層雲峡公共駐車場で朝を迎える。夜中ずっと強風が吹き
雨が降っていた。低気圧が通過していたようだ。
 しかし、朝には雨も止み、青空が覗いていた。

 まずは、昨日でシャトルバスの運行が終わり、車では入れるようになった銀泉台へ。自分は何度も来ているが、妻は初めてだった。ややピークは過ぎていて、赤の面積も狭くなっていたが、妻は大満足だった。
 
 そのあと、レイクサイトからシャトルバスに乗り、大雪高原沼巡りへ。
 こちらは、自分は昨年に引き続き4回目で、妻は2回目。台風の影響を受けなかったらしく、ナナカマドの赤が非常にきれいで、他の色も非常に鮮やかだった。
 欲を言えばキリがないが、空が青空であれば、沼の湖面も青くなるので、最高だったのだが…。そういう意味では、妻も一緒に、本州からやって来た山仲間を案内した10数年前が最高だった。

⭕ややピークを過ぎた感じの銀泉台

    
    銀泉台駐車場から

    
    赤の面積が少なくなっている銀泉台斜面

    
 帰りの車道から見上げる銀泉台

⭕まさにピークの大雪高原沼巡り

     
    起点となる大雪高原温泉

    
    沼までの途中の紅葉

    
    最初の土俵沼 

    

    

      

    

    

    

    

    

    

    

大雪紅葉巡り・その1「姿見平~旭岳山麓&天人峡」

2018年09月24日 | 登山・旅行
    
 休みをずらした妻の希望で、大雪の紅葉巡りにやってきた。
 昨日の午後に家を出て、三笠道の駅で車中泊。
 今日は、旭岳ロープウェイで姿見駅まで上がり、姿見平を散策し、山麓駅まで歩いて下山した。
 その後、天人峡へ移動し、5年ぶりに開通した遊歩道を歩き、道内一の高さを誇る羽衣の滝を見上げた。
 今年は赤を演出するナナカマドが枯れたり、赤くなれないままで、赤が目立たないために、山肌の紅葉が不作年である。2度襲った台風の影響だろう。

    
    トラックログ

    
 ロープウェイからの紅葉。例年なら乗客から「きれい!」と歓声が上がるが、今年は聞かれなかった。

    
    同じロープウェイからの紅葉

    
    すり鉢沼と旭岳

    
    斜面の草紅葉と旭岳

    
    姿見池と旭岳

    
    姿見平の草紅葉

 このあと、登山道を旭岳温泉まで歩いて下った。しかし、下り始めてまもなく、雨が降ってきた。それほど強い雨ではなかったが、下山するまで降ったり止んだりだった。

    

    

    

    

    

⭕天人峡・羽衣の滝

    
 羽衣の滝は、東川町の天人峡にある落差270㍍を誇る道内一の滝である。忠別川の支流アイシポップ沢と双見沢にかかる滝で、7段の滝の途中で2つの沢が合流している。1991年「日本の滝百選」に選定された。標高1000メートル。
 ここの紅葉にはまだ早く、ピークは10月10日前後である。

    

    

    
 
        

    

    
    2つの滝の合流を見上げる

 層雲峡へ移動して、黒岳の湯に入ったら、北斗市のinakaさんご夫妻さんに会った。今日は高原沼巡りをしてきたそうだ。すごくきれいだったとのこと。昨日は当麻岳へ行ったが、紅葉が全然ダメだったそうだ。

お彼岸の中日

2018年09月23日 | 日常生活・つぶやき

 今日は秋分の日で、秋の彼岸の中日である。
 お彼岸は春と秋、春分の日と秋分の日を中日として、前後3日を合わせた7日間のことをいう。

 お彼岸と言えば、昔から「暑さ寒さも彼岸まで」とか、なんとなくお墓参りをするとか、ぼた餅やおはぎを食べる・・・というくらいの認識しかなかった。

 春のお彼岸はぼた餅、秋のお彼岸はおはぎという違いを知ったのも最近である。そもそも同じもので、春のお彼岸に食べる方を、あずきの粒をその季節に咲く牡丹に見立てたもので、 一方、秋のお彼岸に食べる方を、あずきの粒をその季節に咲く萩にに見立てたものらしい。

 小さいころから、我が家ではお彼岸に墓参りをする習慣がなかったような気がする。しかし、仏壇に供えるぼた餅やおはぎを食べていたことは良く覚えている。

 今の妻は、母の実家がある宗派の熱心な檀家で、幼少のころから、今でも朝と夜の勤行を欠かすことはない。お彼岸は必ずお寺と墓参りに行っている。それにつられて、自分も家にいるとき(いないことが多いが)にはお付き合いをして、妻の母の実家の墓と、すぐ近くの我が家の墓にお参りするようになった。

 そもそも、これまで何の疑問も持たなかったが、「彼岸」の意味や、なぜ墓参りするのかとちょっと調べてみた。


 「彼岸」という言葉はサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳「到彼岸」を略したもので、ご先祖様や故人が暮らしている場所を彼岸(ひがん)と言い、私たちが暮らしている場所を此岸(しがん)と言うらしい。
 彼岸は煩悩や迷いがない悟りの境地の場所(極楽浄土)、此岸は煩悩や悩みに満ちた世界とのこと。
 涅槃の世界を「西方浄土」と呼ぶことがあるとおり、彼岸は西に位置し、此岸は東に位置しているといわれ、太陽が真東から昇って真西に沈む春分の日と秋分の日は、彼岸と此岸がもっとも通じやすい日になると考えられていた。

 そこで、お彼岸には、今日ある自分を育ててくれたご先祖様に感謝するとともに、自らも彼岸に到達できるよう普段の生活の中で正しい行いを心がけるように、墓参りをするらしい・・・納得!

 ということで、今日も妻のお寺からの帰りを待って、一緒に墓参りに出掛けた。

退院祝いのいきなりステーキ

2018年09月22日 | 食べ物

今年の5/18オープンした「いきなり!ステーキフレスポ函館戸倉店」

 昔から本格的なステーキは、高くてほとんど食べたことがなかった。最近全国展開している「いきなりステーキ」では、肉を計り売りし、焼いてくれるというシステムである。
 ちなみに、この函館戸倉店は函太郎グループのフランチャイズ経営だそうだ。

 いつかは食べに行きたいとは思っていたが、高いので、おいそれとは行かない。何かきっかけがあればと思っていた。そこで、退院祝いを口実にその日の9/18のディナーに出掛けた。退院していきなりのステーキだった。


 いろいろなコースがあり、それぞれの肉がグラム単位の単価が決められていて、注文する量によって値段が決まる。
 注文は、ヒレもサーロインともに200g以上からである。
 
 2人でヒレとサーロインを250gずつ頼んで、半分こして食べることにした。ヒレは9.0円/gで、サーロイン(アンガス牛)は8.2円/gだった。


ヒレ肉251g・・・きちんとキリの良い重さにはならず、多くなればその分加算される。
こんなに大きな肉の塊を見るのは初めてだ。


10分ほど待つと、焼かれて届けられる。ヒレは上から押しなから焼くのか、少し薄くなって広がった感じである。


サーロイン、これは256gだった。これは焼く前と大きさは変わっていない感じ。



ご飯とサラダのセットは別値段で350円

 これだけのボリュームのあるステーキは生まれて初めてだった。腹いっぱい、幸せいっぱい!
 高いと思っていたが、2人で5600円だった。これなら焼肉屋へ行くより安い。

ますますワイルドになった恵庭岳

2018年09月21日 | 登山・旅行

初めて登った恵庭岳西峰から本峰岩塔を眺める

 鋭い岩塔を頂点として急峻な裾野を広げ、支笏湖の魅力を一層引き立てている恵庭岳。この岩塔のピークに立ったのは、一人歩きの山を始めた翌年の1993年だった。その後、2003年の十勝沖地震で山頂部の崩壊が進み、第二見晴台が頂上とされている。しかし、その後も、本峰まで登っている記録は多い。
 2011年5月には、14年ぶりに妻同行で第一見晴台まで登ったが、その上はまだ雪が残っていて無理できなかった。さらに、14年2月にスキーで北東尾根コースから頂上岩頭の根元まで登っている。

 2年前の頂上岩塔のでべそ岩が崩落して以来、昔の取り付きは閉鎖され、頂上までの新しいコースができたようで、西峰にも登ったという記録が増えている、そのあたりを確かめたくて、このたびのトライとなった。


GPSトラックログ、本峰岩塔へのアプローチが大幅に変わっている


朝日に燃える恵庭岳


標高700m付近までは、ずっと今回の台風による倒木ジャングルだった。
細かに付けられたピンクテープと、それに沿った新しい踏み跡があるから登れた感じ。
跨いだり潜ったりとそれだけで疲れてしまう。


1時間30分も登った700m付近でも、こんな倒木ジャングル。
倒木がなくなった尾根を登り、ロープを設えられた急で長いルンゼを登りきって、第一見晴台へ。


第一見晴台で爆裂火口と頂上岩塔をバックに


第一見晴台で支笏湖をバックに
ここから、第二見晴台までは、足元は岩だが穏やかな登りが続く


第二見晴台から頂上岩塔を見上げる


2年前までの頂上岩塔への取り付き。ここは閉鎖されて、「山頂→」の標識とピンクテープに沿って前進。
岩塔の裏側へどんどん下って行く。不安になり15分ほど下って戻ったが、やはり、このコースしかない。
かなり下った地点から、西峰との間の稜線のコルを目がけて、新しいコースは続いていた。



稜線からぐるっと右へ回り込んで頂上岩塔に取り付く。
しかし、途中からテープがなくなり、「ここから先は自己責任で」と書かれていた。
ハラハラドキドキ、恐る恐る踏み跡を探しながら登っていく。あちこち崩れていて怖い。


この先が頂上という地点まで来たら、目の前の地面に亀裂が走っていて、右側が崩れている。
これは、明らかに今回の地震の影響だろう。怖いので無理せずにここで撤退することにした。


慎重に下り、稜線まで下りるとホッとする。稜線上の西峰への標識と下山口の標識から前進


稜線の先へ進むと、鋭くとがった西峰が飛び込んでくる。果たして登れるのだろうかと不安になる。
怖いほど急だが、岩場でなく、周りが灌木だったので、それを手がかりに頂上まで登ることができた。


西峰の頂上標識をリュックに乗せ、眼下のオコタンペ湖と一緒に写す。
本峰の頂上を踏むことはできなかったが、こちらに登ることができて大満足である。


下山口へ戻る途中の岩が今回の地震で揺れたらしく、根元に隙間ができ、地面に亀裂が走っていた。

下りの倒木ジャングルも凄かった。この倒木ジャングルと、頂上岩塔への新しいコースともに、ますますワイルドな山となってしまった。

6:10スタート、登り(昔の取り付き地点まで戻った往復30分も入れて)4時間。下り2時間35分。下山12:50
 帰路途中の大滝のふるさとの湯(無料)に入り、18:00には帰宅。

 もっと多くの写真と、詳しい説明は、ホームページの方で!
 http://sakag.web.fc2.com(アップ完了)

樽前山サンセット登山

2018年09月21日 | 登山・旅行

 最近、頂上まで1時間弱で登れる樽前山で、サンセット(日没)登山の人気が高まり、ツアーまで組まれているという。
 そこで、このサンセット登山と恵庭岳をセットで、昨日の午後に家を出て、昨夕は樽前山に、今日は恵庭岳に登って来た。


日没が17:36なので、16:35に7合目ヒュッテ登山口をスタート。夕陽を浴びて長い影を引く風不死岳と支笏湖を眺めながら登る


稜線まで登り、現在の頂上である東山ピークを目指す


影樽前が苫小牧市街地の手前まで延びている


夕陽を浴びる頂上標識


尻別山と羊蹄山の南側に日が沈む。手前の2つの白いところは支笏湖面
天気が良すぎて、上空に夕焼けに染まる雲がなかったのが残念。


頂上の北側から頂上と月を見上げる


夕焼けにシルエットとなって浮かび上がる尻別岳と羊蹄山と支笏湖面をズーム


溶岩ドームと夕焼けの稜線


西山ピークと溶岩ドームの間に見える徳舜瞥岳とホロホロ山


苫小牧市街地の夜景を見ながら下山。

登り50分、頂上で30分 下り45分 下山18:30

台場山・武井の島展望台花散策(その2・花以外編)

2018年09月20日 | 登山・旅行

台場山山頂から矢別ダムと函館山を見下ろす

 台場山にはNTT管理道路コースと、川汲温泉コースがある。今回は管理道路コースを往復した。


ブナの倒木に生えていたキノコ・・・ムキタケ?
美味しそうだが、分からないので採らなかった。


道に落ちていたトチノミ


ママタビの実


マツブサの実(yamaさんが教えてくださいました)


台場山山頂の標識


ガマズミの実


カシワの実


武井の島展望台から武井の島を見下ろす。

 昔、ここでムイ(アイヌ語・オオバンヒザラガイ)とアワビがけんかをして、島より西側はアワビの国で東側がムイの国と定めたという。
 また、西側には鮫穴という洞窟があり、タコとサメがけんかしてタコが負けて去っていったという伝説も残っている。
 この穴は、陸地にある丸山龍神の穴とも通じていたともいう。


展望台下から海まで続く崖と武井の島を見下ろす


東側の日浦岬を望む


西側の旧戸井市街地と汐首岬方向を見下ろす

台場山・武井の島展望台花散策(その1・花のみ編)

2018年09月19日 | 花・紅葉だより

  1. 狙いの一つだったミヤマナナコマ


 今日も好天が続いた。体馴らしに近間の台場山へ花散策に出掛けた。狙いは先月汐首山で目にしたママコナの仲間のミヤマナナコマと山頂部にあるというオヤマボクチだった。

 ミヤマママコナは、NTT管理道路の下の方で一ヶ所だけで目にできたが、オヤマボクチは山頂部でいくら探しても1株も見つからなかった。名前は最近覚えたのだが、同じ花なら戸井の山で見たことがあるので、帰りに戸井回りで、武井の島展望台に寄ってみた。オヤマボクチと思われる蕾は見つけたのだが・・・。


ミヤマナナコマ
ママコナの花唇の隆起は白く、ミヤマママコナやシコクママコナは黄色たどいわれるが・・・?


アキノウナギツカミ・・・茎がザラザラしてうなぎでも掴めそうな感じなのが由来。


ノコンギク


開花前のノコンギク


エゾゴマナ


ハチジョウナ(カマドガエシ)


オオミゾホウズキ


アキノキリンソウ


シャク


オカトラノオ


アキノギンリョウソウ


オオノアザミ


ヤマハッカ


エゾタツナミソウ


クルマバナ


武井の島展望台遊歩道で見つけたオヤマボクチ?
花は似ているが、歯や茎ががっしりし過ぎているような気がする。

その2・花以外編(木の実・きのこ・展望等)は明日アップします。

晴れて退院

2018年09月18日 | 日常生活・つぶやき

駒ケ岳の東側の洋上から昇る朝日(9・11撮影)

 昨夕、病院へ戻って、夕食を食べ、明日退院できることを願って寝た。
 そして、迎えた今朝、採尿し、検査に出しておいた。看護師さんの配慮で、朝イチで尿検査の結果が届き、それをもとに、院長回診で退院が決定。

 今後の予防のことも考えて、今回の「尿路感染症・急性前立腺炎」の原因と考えられることを聞いてみた。どちらもそれほど重症ではないが、前立腺肥大や糖尿病が引き金になることが大きいとのこと。あとは、疲れや水分の摂り方が少なかったこともあるのではないかとのことだった。

 ちなみに、今回の血液検査で糖尿病の指標となるHbA1Cは7.3だった。3月時点では7.1だったが、今回は発熱や炎症を起こしていた状態での数値なので、多少は高くなっているのではないかとのことだった。掛り付けの専門医院では、74歳なので7.4を超えるまで薬は必要ないと言われていた。これから数ヶ月コントロールに留意し、また検査に行くことにする。

 これまでに何度か処方してもらっていた夜間の尿の回数を減らす薬とよく眠れる薬も出してもらうようお願いした。退院の準備をし、薬と会計が届くのを待った。会計を済ませて、9:50には、晴れて退院。 

 日常的に体調面で具合が悪くなることはほとんどないだけに、今回は急激な未経験の症状に驚いた。その急激な症状にも驚いたが、点滴治療の速効性にも驚いた。

 今回は短期間の入院で済んだが、院長を初め看護スタッフの対応が非常に良く、気持ちよく過ごすことができた。