(画像は、五稜郭タワーで開催されていた菊花展)
20代の頃から勝手に幹事を買って出て2,3年置きにずっと中学校時代の同期会を仕切ってきた。このたび、11/15に、卒業50周年を記念した会を開催する準備をしている。母校は、今は上磯町と合併して北斗市になった大野町立大野中学校。当時は純農村地帯で広々とした野山を舞台にした楽しい思い出がいっぱいの故郷である。
昨夜、これまで住所が不明で一度も案内を出したことのないTa君から直接電話をいただいた。「今、函館で新しく仕事をしに来たのだけど、同期会をするって話を聞いたので・・・」とのこと。今日、そのTa君のところへ案内状を持参した。中学生時代の顔は朧気ながら覚えていたが、自信がなかった。
昔とあまり変わらない若々しい顔で彼は待っていた。顔を合わせた彼の第一声・・・「お互い歳とったなぁ~」
彼は中学校を卒業して大阪へ行ったとのこと。あのころは、卒業生の半分は金の卵ともてはやされ、集団就職で本州へ渡ったものである。彼もその一人であった。その後、北海道へ戻り、室蘭で建築関係の仕事をしていて、このたび、函館で新しくリフォーム関係の会社を興して仕事を始めるために出てきたらしい。まだ現役で、しかも、新しい土地で仕事を始めようとする意欲と情熱に驚いた。「みんなと会うのが楽しみなので、ぜひ出席する」とのこと。初めて、しかも50年振りにみんなに会う彼の反応が楽しみだ。
しかし、この私が仕切る同期会は、これを機に最後にするつもりだ。それは、ずっと40名前後の参加が続き、還暦の時は50名以上で盛り上がったのだが、2年前は急減して28名、今回も30名ほどの予定である。届く不参加者からの返事を読んでいると、自然の摂理ではあるが、本人の体の調子、旦那や妻の看病などの理由で、だんだん参加したくてもできない環境になってきているのが寂しいからだ。また、開催するたびに名簿に「死亡」と記入しなければならない友が増えていくのも辛い。
幸い4名の担任のうち2名は健在で毎回出席してくれている。今回は、その先生方の喜寿の祝いも兼ねている。先生方もみんなもまだ元気で、「まだ続けて欲しい」という想いがある内に終わるのも悪くないであろう。あと2週間、その準備で少し忙しくなりそう・・・。最後に相応しい思い出に残るいい会にしたいものだ。
20代の頃から勝手に幹事を買って出て2,3年置きにずっと中学校時代の同期会を仕切ってきた。このたび、11/15に、卒業50周年を記念した会を開催する準備をしている。母校は、今は上磯町と合併して北斗市になった大野町立大野中学校。当時は純農村地帯で広々とした野山を舞台にした楽しい思い出がいっぱいの故郷である。
昨夜、これまで住所が不明で一度も案内を出したことのないTa君から直接電話をいただいた。「今、函館で新しく仕事をしに来たのだけど、同期会をするって話を聞いたので・・・」とのこと。今日、そのTa君のところへ案内状を持参した。中学生時代の顔は朧気ながら覚えていたが、自信がなかった。
昔とあまり変わらない若々しい顔で彼は待っていた。顔を合わせた彼の第一声・・・「お互い歳とったなぁ~」
彼は中学校を卒業して大阪へ行ったとのこと。あのころは、卒業生の半分は金の卵ともてはやされ、集団就職で本州へ渡ったものである。彼もその一人であった。その後、北海道へ戻り、室蘭で建築関係の仕事をしていて、このたび、函館で新しくリフォーム関係の会社を興して仕事を始めるために出てきたらしい。まだ現役で、しかも、新しい土地で仕事を始めようとする意欲と情熱に驚いた。「みんなと会うのが楽しみなので、ぜひ出席する」とのこと。初めて、しかも50年振りにみんなに会う彼の反応が楽しみだ。
しかし、この私が仕切る同期会は、これを機に最後にするつもりだ。それは、ずっと40名前後の参加が続き、還暦の時は50名以上で盛り上がったのだが、2年前は急減して28名、今回も30名ほどの予定である。届く不参加者からの返事を読んでいると、自然の摂理ではあるが、本人の体の調子、旦那や妻の看病などの理由で、だんだん参加したくてもできない環境になってきているのが寂しいからだ。また、開催するたびに名簿に「死亡」と記入しなければならない友が増えていくのも辛い。
幸い4名の担任のうち2名は健在で毎回出席してくれている。今回は、その先生方の喜寿の祝いも兼ねている。先生方もみんなもまだ元気で、「まだ続けて欲しい」という想いがある内に終わるのも悪くないであろう。あと2週間、その準備で少し忙しくなりそう・・・。最後に相応しい思い出に残るいい会にしたいものだ。