癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

入院2日目(大腸カメラ&毛ガニ)

2011年03月31日 | 大腸癌日記
      
     <妻がラジオのリスナープレゼントで当てて、送られてきた厚岸産浜茹で特大毛ガニ>

 今日は大腸カメラと諸検査結果の説明・・・・朝から、今月3回目となる2㍑の腸管洗浄剤(下剤)を飲み、トイレへせっせと通って11回もの尻からの水鉄砲噴射・・・今月は1日の大腸カメラに始まり、今日31日の大腸カメラに終わった。ご丁寧に中日の15日も内視鏡によるポリープ手術だった・・。

 13:00から検査開始。手術に必要な映像・画像撮影やレントゲンとの組み合わせでの撮影、組織採取などを行ったようだ。ついでに、かわいいポリープを一つ見つけたので、焼き切っておいたとのこと。これまでの3回で一番長い時間を要した。すっかり慣れたせいか、それほど苦痛を感じなくなったが、終わったあとのガスが残るのが辛い。

 14:00から妻同席で、これまでの諸検査の結果の説明を受けた。
○手術前の事前検査はこれで終わり。
○今回の癌は横行結腸にできた8mm×10mmの大きさ。
○組織検査の結果、腸の粘膜にまだ残っている可能性と、リンパ節転移の可能性もある。
○しかし、開けてみたら、内視鏡手術の痕跡だけという可能性もある。しかし、そのままにしておいて、肝臓や肺に転移すると怖いので、外科手術をしたほうが良い。
○心臓や肺機能には問題はなかったので、手術の支障はない。
○今日の外科との打ち合わせで、これまでの検査結果を報告し、I先生にも頼んでおく。
○手術日は明日判る。今後は外科の方の日程で、外科への転科・転棟の日が決まるが、一時帰宅の可能性もある。

 3年前は、もっと集中的に検査をしてくれればいいのにと思ったが、それに比べると、今回は猛スピードの感じだった。こちらの希望に添って努力してくれたKo医師に感謝。あとは、I医師にすべてを託し、順調に回復し、リンパ節への転移もないことを祈るのみ 

         
                 <妻が剥いて持参してくれた1パイ分のカニの身>

 昨日は大腸検査前日食のサンケンクリンだけ、今日は朝から2㍑の下剤のみ・・・夕食からようやく常食になった。タイミング良く妻がラジオのリスナープレゼントで当てた毛がにが送られてきたらしい。大きさが20cm、重さが600gほどの結構大きなカニだったらしい。

 しかも、冷凍でなく冷蔵だったので、早く食べなくてはいけない。しかし、病室でそのままかぶりつくわけにもいかない。妻が出直してきれいに剥いてタッパーに入れて、夕食に間に合うように持ってきてくれた。2ハイ剥くのに1時間かかったそうだ。しかし、あまりにも多いので1パイ分の剥き身は冷凍にしたとのこと。妻も弁当を作って持参し、二人で一緒にご馳走になった・・・やはり冷凍でないカニは旨い・・・幸せ!
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入院初日(諸検査)

2011年03月30日 | 大腸癌日記
             《満開で送り出してくれた我が家のフクジュソウ》

 10:00に入院手続きをして内科病棟へ。手術をしてくれるI医師の関係で、手術日を早く設定するためにKo医師も術前検査計画の調整に努めてくれたようだ。明日に外科との打ち合わせがあるので、それまでに必要な諸検査を済ませてしまうそうだ。

 今日は早速、血液検査、尿検査、24時間の畜尿、心電図、心臓エコー、肺機能検査、胸と腹のレントゲンと目白押し。明日は大腸カメラなので、今日の食事は、今月3回目のサンケンクリン食。CT検査は25日に済んでいるし、胃カメラも昨日済んでいる。3年前は、他の検査もあったが、外科との打ち合わせまでに入院後8日以上は掛かった。

 廊下でI医師に会ったら、「来週の手術になるでしょう」とのこと。その後に回診に来たKo医師も、同じことを話していた。明後日にも手術日が決まるらしい・・・超スピードだ。あとは、事前精査で異常が見つかって日程が延びることがないことを祈るのみ。

 今朝、北アルプスの鍬崎山と鉢盛山に一緒に登った息子と同じ歳のSa君からメールが届いた。昨春転勤になったところが福島第一原発の近くで、5㎞地点にある自宅は無事だったが、家族みんなで避難所暮らしをしているとのこと。今の職場では仕事もできないので、とりあえず4月から新潟県Na市に転勤になったそうだ。しかし、自宅に家財道具を取りに戻ることもできないので、困っているとのこと。

 彼等のように、先の見えない避難所生活をしている人々や原発事故現場の作業員の苦労に比べれば、復興?への計画が順調に進められている私の癌の心配など鼻くそみたいなものだ・・・ということで、取りあえず僅かばかりの1回目の義援金を妻に頼んで振り込んでもらった。無事退院できたらまた協力するつもりだ。

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明日、入院

2011年03月29日 | 大腸癌日記
     
     
       
 今日は胃カメラ検査と入院日の調整・・・内視鏡検査をすると、また良からぬものが見つかるのではないかと不安に怯えていた胃カメラの結果は異常なしでセーフ。入院は、手術を担当してくれるI医師が4月一杯でいなくなるので、退院まで責任を持ってもらえるような日程をお願いしたら、急遽、明日の入院となった。

 胃カメラは、楽だと聞いていた鼻からの検査(経鼻内視鏡)をお願いしておいた。初体験だったが、口からの検査(経口内視鏡)に比べて数段に楽だった。麻酔も鼻からスプレーで霧状のものを吹き込むだけで、喉にも効いてくる。カメラも管も直径5㎜。経口の半分くらいの細さだ。喉を通過するときにちょっとエッと来たが、それでも経口のときの比ではない。あとは、吐き気もなく、はばけることも、ヨダレを垂らすこともなく・・・苦痛の度合いは経口の10に対して経鼻は3ぐらいの感じかな?

 多分、入院は4月に入ってからだろうと思っていたので、帰宅後が慌ただしい・・・まずは、『雪山ガイド』の原稿を整理した上に、写真等と一緒にCD-Rにコピーして、編集長に郵送。その他、役職上の仕事の調整、諸々の手続きの準備、入院の準備等々、整骨院と歯医者にも治療に行き、ひと月ほどの休みを告げてきた。図書館に行って本も借りてきた。明日にでも、ギョウジャニンニク採りに行くつもりだったが、それは叶わなくなった・・・今年は喰わず終いになりそう?

 夕食は、2度目の癌祝い、明日の入院祝い、昨日の誕生祝い・・・全てを兼ねて、函太郎五稜郭店でささやかなミニコース(画像)で、祝杯を上げてきた。
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写真撮影と林道偵察

2011年03月28日 | 登山・旅行
    
    <八雲市街地西側から撮した砂蘭部岳、頂上は右上に頭を出している部分>
    
       <今金町神丘付近から撮したカスベ岳(左)とメップ岳(右)>

 4年前に、北海道の山メーリングリスト(HYML)の有志で編集し、北海道新聞社から発行した『北海道雪山ガイド』が、このたび増補改訂版を出すことになった。

 前回も道南の山を中心に4山担当したが、今回も新しい追加分として、道南の「砂蘭部岳」カスベ岳~メップ岳」、さらに芦別岳北側の「布部岳」松籟山~御茶々岳~槙柏山」の執筆依頼を受けていた。〆切までにはまだ少し余裕はあるが、入院前に第1稿を送ってしまいたくて、ここ数日、自分のHPにアップしてある山行記とそのときに撮影した写真の元画像の選択をもとにした執筆に取り組んでいた。

 不足の写真は仲間から提供してもらったが、「砂蘭部岳」と「カスベ岳~メップ岳」の全貌の写真がどうも気に入らない。そこで、本日、その写真撮影と、実質的に登山口となる林道状況の偵察目的で、八雲町と今金町へ長距離ドライブをしてきた・・・・なんとか天候に恵まれて、それなりの写真(上掲の2枚)を撮ることができた。

         
 今金町は、今や世界7大陸最高峰単独無酸素登頂目前で、最後のエベレストに挑戦中のソロアルピニスト・栗城史多君の故郷としてすっかり有名になった。その実家がこのメガネ店である・・・ミーハー的気分で探し出して、撮影してきた。

      
 その後、その栗城君の父親が一人で掘り当てたという温泉(今は「今金町交流促進センターあったからんど (今金温泉)」になっている)へ・・・のんびり入浴し、隣の「食の駅」で昼食を摂って帰路に就いた。

                  <妻からの誕生プレゼントケーキ>
      
 今日は、60数回目の誕生日だった・・・3年前は癌の手術を終えて退院して半月後だったが、今年は新たな癌を抱えての入院直前である。afterとbefore・・・なんか微妙に気分の違いを感じる誕生日だ。
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オオイヌノフグリ

2011年03月27日 | 花・紅葉だより
 新たな癌と共に春を迎えてしまった悔しい癌春マンだが・・・「癌春(がんばる)」の本来の意味は「癌克服の先に広がる新たな春を生きがいに頑張る」つもりだったのに・・・手術に耐えうる体力づくりのためにも、入院まで毎日1万歩ウォーキングは続けることにしている。

 当然目は道端の早春の花々に向く。今日は、小さくて可愛い花なのに、可哀想な名前のオオイヌノフグリを見つけて、携帯のカメラに収めた。

 フグリとは陰嚢(睾丸)のことで、実の形が雄犬のそれに似ていることに因るらしい。命名者は、「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎氏らしいが、罪な名前を付けたものだ。ただし、これは近縁のイヌノフグリに対して付けられたもので、この種の果実はそれほど似ていないらしい。

 だから、正しくは、イヌノフグリに似た大型の植物の意とのこと。同じ属にイヌノフグリがなければ、この花のイメージからはもっと可憐な名前がついたに違いない。別名に瑠璃唐草・天人唐草・星の瞳などという洒落たものもあるのだが・・・。

 フグリで思い出したことがある・・・前回の手術を受けた夜はICUで過ごした。そのとき、看護師さんが二人掛かりで全身を拭いてくれた。よりによって、すっかり縮み上がってしょぼくれていたであろう粗チンからフグリまでもごていねいに・・・・・・にはビックリ! しかし、恥ずかしさよりも全身に廻っている傷の痛さの方が大きくてそれどころではなかった。「どうでもいいです、好きなようにしてくれ~」とばかりすっかりお任せ状態だった。今回もまた・・・・?
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開腹手術になりそう・・・

2011年03月25日 | 大腸癌日記
             <ウォーキングの途中で見つけたスイセンの蕾>  

 本日、予てより予定の入っていた術後3年目検診のCT検査を受け、外科外来でI医師の診断を受けてきた。

 「残念ながら5年間での無罪放免はなりませんでした。おまけに先生が今月一杯でいなくなるとお聞きし、ダブルショックです。」と挨拶したら、ニコニコしながら、「4月一杯いることになりましたので、責任を持って手術します。」・・・ラッキー!ツキがまだ少し残っていたようだ・・・。

 ・・・と喜んだら、「ただし、今回は開腹手術になるかも知れません。場所が前回切ったところの近くなので、癒着の心配もあるし、カメラで見ながらの腹腔鏡手術ではちょっと難しいかもしれません。」とのこと・・・ガ~ン!

 腹腔鏡手術に比べて、傷が大きくなるのは構わないが、痛みが大きく、術後の回復も長くなりそう・・・ただでさえ、前回は体質のせいか、傷が塞がるのにかなりの日数を要しただけに、ちょっと気が重い。

 今回の癌は、小さいけど腸の粘膜下層にまで及んでいて、リンパ節への転移の可能性もあるらしい。手術後のリンパ節郭清の結果次第だが、前回も同じことを言われて、オールセーフだったので、今回もそう願いたいものだ。

 昨年8月のPET-CTでは、小さくてまだ判らなかったようだ。今日のCT検査の結果では、外部への転移は見られないとのこと。I医師も話していたが、この段階で見つかったことから考えても、今回、内視鏡検査を受けたことは本当に良かったと思う。この内視鏡検査はI医師の検診計画だっただけに、感謝・感謝である。

 とりあえず、前回と同じく、内科で入院して諸検査を受けて、手術の日程が決まったら、外科に転科になるとのこと。入院日は、29日に内科外来でKo医師から指示されるとのこと。
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またまた・・・大腸癌第2弾!

2011年03月23日 | 大腸癌日記
 本日、先日内視鏡手術で取った大腸ポリープの組織検査の結果を聞きに行ってきた。

 Ko医師が「怪しい面構えをしている」と言って気にしていた横行結腸の方の7mmほどのポリープは、なんと癌だった・・・しかも、大きく取ったつもりだが、思ったより深くて、腸の粘膜の中に残っていて取り切れていないとのこと。さらに、リンパ節郭清(リンパ節への転移の検査)も必要なので、また入院して外科手術をしなくてはならないとのこと・・・。 

 今回は、まさかと思っていただけに、前のときより癌は小さいが、ショックは大きい。今回も早期発見の部類に入るのだろうから、それほど心配はしていないが、術後、麻酔が切れてから5日目辺りまでの痛さと辛さが蘇ってくる・・・それをまた経験しなくてはならないと思うと、ちょっとブルーな気持ち!

 術後5年後の無罪放免(完治宣言)を勝ちとるための癌春生活だったのに、3年間で執行猶予が切れて有罪判決の執行を受けることになっちゃちゃった・・・これで癌前科2犯!・・・ジタバタしてもしかたない。悪あがきはせず、おとなしく刑に服そう。これも与えられた人生・・・でも、今回も絶対負けません!

 まだ、入院日程は決まってはいないが、多分4月に入ってからだろう。明後日は、以前からの予定通り、3年検診の一環のCTスキャン検査で、それをもとに、前回の手術以来お世話になっている外科のI医師の診断を受けることになっている。今日の結果はそちらへも伝えておくとのことだ。さらに、29日には、Ko医師の胃カメラ検査を受け、そのときに入院日程等を知らせるとのこと。

 ただ、一つ気懸かりなのが、これまで3年間お世話になった外科のI医師は、今月で五稜郭病院を去ることが決まっていることだ。ぜひ、再びI医師に手術していただきたかったが、それは叶わないことになる。当然、別の医師の担当になるのだが・・・。

 入院までに、いろいろ終えておかなくてははならない役職上の仕事や依頼しなくてはならないことがたくさんある。中でも一番気懸かりなのは、増補改訂版発行予定の『雪山ガイド』(北海道新聞社)の新掲載分担の「カスベ岳~メップ岳」「砂蘭部岳」の原稿書きが残っている。これは入院先でもできるが、「砂蘭部岳」は、写真が不足で取材のために再訪するつもりだったのだが、今月中に好天に合わせた日程が取れるだろうか?

 いずれにしても、首の方もだいぶ快復したので、本格始動するつもりだった春山スキー登山もパーになった・・・新緑のころの山への復帰を励みに、また癌春(がんばる)ことにしよう・・・・。
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台場山途中断念~5kmジョグ

2011年03月22日 | 日常生活・つぶやき
               <台場山への道端で見つけたフキノトウ>

 最近のゲレンデスキーの滑り納めは、例年春分の日に開催される「指導員スキー大会」であった。今年は昨日の予定だったが、大震災への配慮から中止とした。とうとう今シーズンは一度もスキーを履くこともなく終わってしまった。50年以上になるスキー歴での初体験。クロカンスキーも一度も履くことなく終わった。しかし、これから5月中旬ごろまでの春山スキー登山は諦めていない。

 大腸ポリープ手術から1週間目。2日続けて8kmウォーキングをしてみたが、排便時の出血もなし。首の回復はまだ不十分だが、そろそろ春山スキー登山から本格始動したい・・・ということで、好天に誘われて、足慣らしにちょうど良さげな市内川汲峠の台場山へ山スキー登山に出掛けた。

 
 NTT管理道路ゲート前をスキーでスタート(左上画像)。1kmほど登って行き、南斜面へ回り込んだ地点で雪が消えてしまう。その先も1km以上は南斜面が続く。先にも雪が全く見えない(右上画像)。プラブーツで剥き出しの舗装道路をドタドタ歩いてまで登る気にはならない・・・あっさりと断念。

 帰宅したが、どうも生殺しな感じで物足りない。そこで、午後から2kmウォーキングに続けて5kmジョグにトライ。7分/kmペースの亀足ジョグだが、なんとか走れるものだ・・・。ただし、首へのストレスの反応は、明日か明後日でないと判らないのが厄介だ。登山もそうだが、この様に負荷を少しづつ高めては反応を見る・・・それを繰り返しながら、アスリートリハビリの日々が当分は続く・・・。
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椿いろいろ

2011年03月20日 | 花・紅葉だより
       

 ウォーキング途中で五稜郭タワーのアトリュウムへ寄ったら、「春の椿展」が開催されていた。
 日本有数の「椿」の生産地である久留米市より送られた「椿」をタワーの社長自らが丹精込めて育て上げたもので、200種類を2回に分けて展示しているとのこと。
 連日、辛い震災の映像ばかり見ていたせいか、心なごむひとときだった。

 天然の赤い椿しか目にしたことがないので、改良園芸種とは言え、あまりにもいろいろあるのでビックリして、カメラに収めて来た。その中からいくつかを・・・・。


      
 
      

      

       

      

      
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復興への光

2011年03月19日 | 日常生活・つぶやき
                 <近所の庭で目にしたフクジュソウ>    

 巨大地震・巨大津波・原発事故のトリプルパンチによる未曾有の惨事となった東日本大震災から1週間が経過した。

 物資や人を運ぶための道路の確保も徐々に進み、救援・支援の手や物資もまだまだ不十分ではあるが、少しずつ被災者の手へ届き始めた。ライフラインも遅々としてはいるが、少しずつ回復し始めている。TVを見ていると、胸が詰まる辛く悲しい場面も多いが、全てを失い、大きなマイナスからの先の見えないスタートにもかかわらず、被災者の前向きな気持ちや姿勢には頭が下がる。

 自ら被災者であるにかかわらず救援や復興に頑張っている人々、恐怖心と戦いながら原発事故の現場で必死に処理に当たっている人々、企業や個人から寄せられる救援物資や義捐金の数々、国だっていろいろ批判はあるが良くやっていると思う・・・長く厳しい復興・再建の道ではあるが、日本はまだまだ大丈夫!必ず復興できる・・・の思いを強くしてくれる。


 さて、不肖私の復興ではあるが・・・大腸ポリープ手術は、ハプニングで一日伸びたが、無事退院できた。ただし、出血への不安と力むことへの恐怖心のせいか、帰宅後はまだ便秘中である。腹圧が掛かるような運動ももう少し我慢する必要がある。

 また、首の方は、首に緊張や負荷が掛かると、2~3日後に左肩から肩甲骨内側辺りに痛いくらいの強い張りが出る。これは、首のストレスから来る反応だそうだ・・・その度に、整骨院へ行ってはマッサージと治療でほぐしてもらっている。しかし、結構頻繁にあるのと、その張り(反応)が直ぐに出ないので、その原因がはっきりしないことが多いのも困りものだ・・・そのときに何某かの信号が出てくれると、直ぐにでも止めることもできるのだが・・・。なんとか本格始動したい春山シーズンまでには、完治して欲しいものだ。

 さらに、もう一つ復興の取り組みを始めた。それは、歯周病の治療である。5年半前にがっちりとその治療をしたのだが、その後、ずっとご無沙汰していたままになっていた。首が治ったらと思って、先日、かかりつけの歯科医院へ。

 覚悟はしていたが、かなり悪化していたようだ・・・幸い、ぐらついている歯は無かったが、「せめて、1年に一回でも来てくれれば、こんなに悪化しなくても済んだのに・・・また、時間を掛けて、がっちりと治療しなくてはなりませんね。(癌もそうだったが)自覚症状が出てからでは遅いのです。」としっかりと叱られてしまった。今は、2~3日ごとに歯石除去をして、その後本格的な治療に入るそうだ・・・。なんとか現在ある30本の歯を維持したいものだ。  
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退院1日延期

2011年03月16日 | 大腸癌日記
朝、大便をしたときに出血が認められたので、残念ながら退院延期となってしまった。

原因を探るための内視鏡検査をすることになる。絶食になり、再び点滴に繋がれてしまった。1時ごろに浣腸をかけられ、3時過ぎに、内視鏡室へ。

結果、出血は認められず。昨日の手術跡もきれいとのこと。多分、昨日の手術時から溜まっていたものが出たのだろうとのことだった・・・ひと安心!

「今日帰っても良いですけど、どうします?」と言われたけど、明日まで置いてもらうことにした。明日の午前中に診察をした上で退院とのこと。「1週間後の23日に外来診察を入れておきますので、それまで、おとなしくしているように。アルコール類と辛いものは控えるように」とのことだった。

以下・・・・

妻、管理人に無断で勝手に追加!


昨日、術後に売店に行きお菓子を買って食べたみたいで、昨日病院に行ったら「持って帰ってくれ」と、空になったお菓子の袋を渡された。
ベッドの横にゴミ箱があるのに・・・
証拠隠滅かしら?

出血の原因は間食だったりして・・・・

でもsakagは元気ですよ!!



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大腸ポリープ切除

2011年03月15日 | 大腸癌日記
《入院先から携帯で発信》
今日は、3/1の大腸内視鏡検査で直腸に見つかった5㎜大のポリープの切除(手術名はポリペクトミー)のため1泊2日の入院だった。

しかし、手術の段になり、奥の方までカメラを入れて、探すのにいやに時間が掛かる。先生に聞いたら、「前の検査のときに気になっていた横行結腸にあったもう1個も取ってしまおうと思います」とのことで合わせて2個取った。

大腸のポリープはほとんどが腺腫と呼ばれる腫瘍。癌とは区別されるが、年単位でゆっくり大きくなり、ポリープの一部に癌が発生することがある。特に自分のように癌経験者は体質的にその可能性が高いらしい。今回は、むしろ横行結腸にあったものの方が、面構えが怪しいらしいので大きく切り取ったとのこと。

内視鏡を用い、スネアとよばれるワイヤーでポリープの根元をしばり電気で焼き切る簡単な手術だが(画像)、痛いわけでもなく、終始モニター画面で見ることができるのが凄い。

丸い輪になったスネアをポリープに掛けるところ、切り取った傷をクリップで留めるところ、切り取ったポリープを掴み取るところなどは、苦しさも忘れて、その器械とテクニックの素晴らしさしに感心しながらじっくり観察してしまった。助手を務める看護士さんたちの和気藹々さも緊張をほぐしてくれる。

切除したポリープは組織検査に出すらしいが、直腸の方のが、小さくてどこかへ見えなくなってしまったらしい。腸の中や尻穴の周りや手術台の上を先生と看護士さんたちが探すのが面白かった。結局は見つからなかったようだ。そちらは面構えがきれいだったので心配なさそうた。

時系列だが…、9時に五稜郭病院へ。入院手続きを終えて、病室で着替える。ベッドで早速2㍑の腸管洗浄剤(下剤)を飲みながらの8回ほどのトイレ通い。2時前に点滴が繋がられ、3時前に車椅子に乗せられ手術を受けるレントゲン室へ。手術は30分くらいか?

術後はまた病室へ戻るが、腹に残っているガス抜きに忙しい。夕食前に点滴が外される。夕食は常食。一昨日の夕食以来のまともな食事でおいしかったが、まだガスで腹が苦しい。

さて、今朝病院へ向かう前に、昨夜から副会長らと相談して、3/21に予定している「第41回指導員スキー・スノーボード大会」を中止にした。もちろん大地震のあまりにも大きさな被害への配慮だ。益々深刻な状態になっている福島原発は、一体どうなるのだろう?
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3日経過

2011年03月14日 | 日常生活・つぶやき
           <今日の北海道新聞の夕刊>

 巨大地震・巨大津波に見舞われた「東日本大震災」は、発生から3日経過した。時間が経過するに連れて、その被害の大きさや惨状が明らかになってくる。改めて津波の威力とその恐ろしさに唖然とするしかない。しかし、その被害の全容が明らかになるのは、まだまだずっと先のことだろう。

 地震だけであれば、それまで暮らしていたところに、それまでの生活やその痕跡を探すことができるが、津波は、命だけでなくそれら全てを持ち去ってしまう・・・。どこから手を付けて良いか判らないあのがれきの山にそれを見つけるのはまず無理だろう。

 日が経つに連れて、被災者からの取材が多くなってきた。具体的な津波の様子、命からがら逃げて助かりながらも、目の前で流されて行く肉親や知人など、生死を分けた一瞬のドラマの数々・・・さらには、まだ行方の判らない肉親への想いなど・・・涙なくして見ることはできない。

 あまりの被害の大きさから、ライフラインもまったく復旧せず、通信手段も途絶えたままで安否確認が進まない上に、救助や救援もはかどらず、遺体の確認も収容もままならない。福島原発もまた3号機が水素爆発を起こし、非常事態が継続中だ。さらに、関東地方では、朝から二転三転して迷走した「計画停電」もお騒がせだ・・・。


 そんな中で、地震後まもなく親族や知人から心配の電話やメールをいただいたが、普通通り生活し、TVから流れる映像を野次馬的な感覚で観ている自分が申し訳ない。

 明日は、直腸に見つかったポリープ切除手術の予定。それに備えて、今日の食事は前日食のサンケンクリンと夜の下剤のみ。1泊2日の入院による手術も、そのために2㍑の腸管洗浄剤を飲むことも、あの被災地の方々のことを考えるとストレスにもならない・・・
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悪夢!!

2011年03月12日 | 日常生活・つぶやき
          <過去に覚えのない、表裏一面見開きの本日の北海道新聞朝刊> 

 長く強い揺れだった・・・瞬間思ったのは、「震源はどこなのか?近くなら、それほどの被害はないだろうけど、これが遠くだったら、そちらはもっと強いはず・・・大きな被害が出るだろう!」とTVのスイッチを入れた。

 いきなり、大津波警報が目に飛び込んでくる。やがて、車や船、家屋や建物、がれき等を巻き込んで陸地へ流れ込んでいく巨大津波・・・目を覆いたくなる惨状に、映画のCGでも見ているような錯覚に陥る・・・・国内観測史上最悪のM8.8」の巨大地震とのこと。

 今回の地震は、津波の怖さを改めて思い知らされた・・・思い出すのは、身近だった奥尻を中心とした「北海道南西沖地震」だ。このときも、10数mもの津波に飲み込まれ、やがて、大火のような火災に襲われる。今回は、それが広大な地域に広がっていて、壊滅状態の市や町や集落も多いとのこと。

 一夜明けて、その被害の状況が徐々に明らかになってくる。死者・不明者の数字がどんどん増えていくが、まだまだ増えるだろう。奥尻のときもそうだったが、津波の引き波で海に連れ去られ、未だに行方不明のままの人が多い。いつ引くか判らないような一面の冠水状況や津波が残していったがれきの山も凄い・・・復興にどのくらいの年月が必要なだろうと思うと、気が遠くなる。

 とりあえず、一刻早いライフラインの復旧と救助を求めている方々への対応が進むことを願いたい。さらに、今日の夕方になって、福島第一・第二原発もヤバそうな気配になっている。なんとか無事に治まって欲しいものだ。

 改めて、被災地の皆さんへ心からお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。

 さて、我が函館は、1時間ほどの間隔で数度の津波が押し寄せ、一番高いときで真夜中に2.4mを記録した。函館駅付近からベイエリアまでの港側が電車通りまで冠水したようだ。整骨院の帰りに、現場検証をしてきたが、冠水が50~60cmに達したようで、床上浸水もあり、多くの人々がそれらの後始末に追われていた。しかし、そんな状況の中、床上浸水した自宅で67歳の男性が水死し、この地震による北海道唯一の犠牲者となったようだ 

 
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立ち上がり枝

2011年03月10日 | 登山・旅行
       
 この写真は、先日の伊勢鉢山の地滑り地塊の上で見つけたミズナラの立ち上がり枝である。専門家のTaoさんに教えてもらわなければ見過ごすところであった。

 素人目にも、この幹が長い間倒れていて、その間に枝が上を向いて生長したことが判る。この場合は、この木が地滑り発生時に倒れて、その後立ち上がったものらしい。

 Taoさんは、このことから、ここの地滑りが起きた時期を予測した。すなわち、この一番太い枝が8cmほどだったことから、この地滑りが起きたのは、およそ30年前前後だろうと・・・すなわち、Taoさんの経験から割り出した数式は、ミズナラの場合は直径×4前後が、その成長経過年数だそうな・・・8×4=32。

 その後、この地滑り発生年が1980年(1979年との情報もあり)ということが判った。すなわち32~33年前である・・・みごと!というほかはない。専門的な知識や経験とは凄いものだと、つくづく思う。

           

 彼は、地滑りの滑り台となった層があるはずと、その残骸をあちこちで探していた。それは海中堆積物と思われる火山礫がまだ固まっていない状態の凝灰岩の層である。それがとてもよく判る岩だと、私が見つけて褒められたのが、上掲の崩れた凝灰岩の写真である。手でつまむと、含水していてすぐに砕けて、軟らかく指間でぬるりとする凝灰岩であった。
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