癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

2009年に感謝!

2009年12月31日 | 日常生活・つぶやき
                    (北海道最高峰の旭岳頂上にて~5/6)

 「自遊人生活」6年目、「癌春人生」2年目の正月を無事迎えることができそうだ・・・3ヶ月毎の検診でも異常がなく、益々快調に山とスキーの趣味三昧、罪滅ぼし程度の役職絡みのボランィア・・・これらの出会いやふれ合いの中で多くの感動をいただき、充実の1年を過ごすことができた・・・これが最もうれしい。

 普段はすっかり忘れてしまい、久しぶりに会った人に「その後体調はいかがですか?」と聞かれ、自分が癌だっことを思い出しては、その気遣いに感謝することが多い・・・。

 それだけに、10月のすぐ下の弟の61歳での急逝はショックだった・・・糖尿病が原因の心筋梗塞だった。

 自分が山を始めたのも、20年前にやはり軽い糖尿病と診断されたことがきっかけだった。その運動療法の一環として始めた山に、すっかりのめり込んでしまったのである。

 3ヶ月ごとの定期検診は欠かさないが、この20年間悪化も進行もせずにコントロールできていると自負している。もちろん薬などの世話にはなっていない。すべて好きでやっている山とスキーのお陰である。

 この病気は、治ることはないが、上手く付き合い、気を付けることでコントロールできるだけに、弟の死は悔しい。改めてこの病気の恐ろしさを実感した。今後一層の摂生を心掛けなければとの思いが強くなった。

 今年も山行日数は100日を超えた・・・詳しい記録は、親サイトに記してあるが、登頂した山の数は158山とこれまでの最高を記録した。3回の本州遠征で「日本三百名山」も247山となり、日程さえ取れれば、来年中の完登も見えてきた。しかし、目標がなくなるので無理はしないでおこうと思う。

 暗い話題ばかりが多いこの世相の中で、こうして遊んで暮らせることは申し訳ないが、幸せなことである・・・そのことに感謝しながら、新年をまた新たな出会いと感動を求めて挑戦する1年にしたいものである。

このような幸福感は、お付き合いいただき、お世話になっている多くの皆様のお陰です。
この場をお借りして厚くお礼申し上げます。
末筆になりましたが、皆様のご多幸とご健康を心よりご祈念申し上げます。
服喪中ですので、新年のご挨拶はご遠慮申し上げます。

二人だけの忘年会&五稜星の夢

2009年12月29日 | 日常生活・つぶやき
今年もあと2日を残すだけとなった。歳のせいか、特に感慨もない。
しかし、掃除や家事が大好きな奇特な妻は、年末の大掃除を何日も掛けてすべて一人でやり終えてしまった。
また、この1年を好き放題に過ごさせていただいたのも妻のお陰である。
というわけで、そんな妻を労うべく、居酒屋で二人だけの忘年会をした。






帰りは、イルミネーションでライトアップされている「五稜星の夢(ほしのゆめ)」を見て帰った。






漁村の思い出

2009年12月21日 | 日常生活・つぶやき
今年も活きたホタテが届いた。
もう27年間も続いている義理堅いお心遣いである。

新卒以来函館市内で17年勤務し、初めて市外へ転勤したのが、当時の南茅部町大船(現函館市大船町)だった。
自分は農村育ちだったので、漁村の生活も経験したかったことや、二人の子供を幼少期は田舎で育てたかったことなどからの希望だった。

昆布の養殖が主で、獲る漁業の他にホタテの養殖などが盛んな地区だった。
初めて経験する漁村の生活は、驚きの連続だった。
特に驚いたのは、いわゆる漁師気質という奴である。
海で穫れるものをいただくことが多く、その量が半端でない。
こちらでちょうど良い量は、彼等にするとくれた気がしない量らしい。

一番先に地元の人に言われたことは、「ける(あげる)と言うものは何でももらわねばダメだ。一回遠慮したら、めんこぐんぇから、もう、けねって言われるど・・・」だった。

引っ越した翌日に、見ず知らずのお宅からきれいに捌いて料理するだけになった数種類の魚が届いてビックリ・・・。
「町から来る奥さんだもの、魚なんかちょせねべぇ」というそのお宅のおばあちゃんの心遣いだった。
当たらずとも遠からずだったが、出刃包丁や刺身包丁と大きなまな板は新調していったので、そのことを話すと、それからはいろいろなお宅から漁箱で届くようになった。

たまに、港から電話が入る・・・「持っていげねぇから、取りに来てけさい」・・・漁箱でドーンと渡される。
冷凍庫はいつも満杯。当然処理仕切れないので、小分けして函館へ車で走り、手当たり次第にあちこちに配る。

一度は、私が泊まりがけの忘年会でいないときに、タラコの入ったメスだけ選んだスケソウダラが2箱も届いた。
配ることができないので、当然、その日の内に処理しなくてはならない。
亡妻は、最後には涙を流しながら、真夜中まで掛かってタラコを取り出し、身の方は寒干しにした。
その夜は異常に冷えたので、そのときの寒干しタラがこれまでで一番旨かった。

活きたままのタコをもらって、大鍋にお湯を沸かして、暴れるタコと格闘したこともある。
最近になって価値が見いだされて高い値段で取引されているガゴメ昆布を一抱えももらったことがある。
処理の仕方が解らないので、数時間掛けて全部ミキサーで粉末にした。
今なら数万円もする量だったのでは?
今は時効になっているから書けるが、漁業権のないカニや1日の一軒当たりの水揚量が決まっていて外に持ち出せないウニなども「どこからもらったと言わないでけれ」とか「殻は穴掘って埋めてけれ」と頼まれながらいただいたことも懐かしい。

特に沖止めになる年末の日などは大変だった。
初めのうちはうれしかったが、そのうちに、家の前にトラックが停まる音がすると背筋が寒くなるほどだった。
数軒からのホタテだけで360パイになったこともある。
今になってみれば、どこかの魚屋さんと提携しておけば良かったと思うほどである。

不思議な縁で、3年の間を置いて再び管理職でまた同じ職場に勤務し、延べ7年間住んだが、その間、海産物は買ったことがなかった。
函館に戻ってからは、スーパーで値段を見た亡妻は、しばらくは魚などを買うのが怖かったらしい。

初雪山登山~681峰(通称・釜谷岳?)

2009年12月19日 | 登山・旅行

            (すでに雪庇の発達した頂上への尾根を登る)

今冬は、一気に大雪が降ったので、函館近郊でもいち早く雪山登山が可能となった。
SHOさんと二人で、北斗市と木古内町の境界線上の桂岳の南東隣に聳える無名峰(681m・通称釜谷岳?)にカンジキ登山をしてきた。
函館市街地から見ると、桂岳の左隣に対になっているように見える山である。



木古内の温泉・枕木山荘に車をデポし、鴉沢林道を途中まで詰めて、395ピークへ繋がる南尾根に取り付き、頂上へ繋がる尾根を辿った。
幸い、偶然にその尾根に絡んだ作業道跡が435m付近まで続いていて、ラッセルが少しは楽だった。

積雪は林道で40~50cm、頂上付近で80cmほど。バーンができないうちに一気に積もった雪なので、ラッセルがきつく、急斜面は雪の下が即地面なので、カンジキが利かず滑って大変だった。
途中、青空も広がったが、頂上は吹雪状態で、展望は全くなかったのが残念。

登り4時間40、下り2時間30分。往復7時間30分の久しぶりのハードなラッセル山行で、太腿に結構な疲労感あるも、初雪山登山に大満足・・・下山後入浴した枕木山荘の温泉が心地良かった。

詳しい山行記録は、下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/681.htm


クリファン&ひのき屋ライブ

2009年12月18日 | イベント鑑賞・参加


雪が積もって、クリスマスの雰囲気が一気に高まって来た。
毎年のことだが、今年もクリスマスファンタジーの点灯式を見に行ってきた。
今年はカナダから送られてくるもみの木の到着が遅れたので、近郊の山から切り出したトドマツの木が使われたらしい。



点灯式の様子を動画でどうぞ!

これまでのクリスマスファンタジーの写真は、親サイトの下記からどうぞ!
http://sakag.web.infoseek.co.jp/xmas.htm




点灯式が終わった後、金森ホールで函館を拠点とする「ひのき屋」の無料ライブがあったので見てきた。
ひのき屋は、1998年に函館が生んだ「トラベリングバンド」~函館を拠点に世界を旅するバンド



演奏の様子を動画でどうぞ!

「ひのき屋」の公式ホームページは下記からどうぞ!
http://www.hinokiya.com/

クロカン初滑走

2009年12月16日 | スキー・クロカン


この2日間で、積雪30cmを越えた。函館にしては大雪である。
真冬でも、一気にこれほど降ることは珍しい。
ひと冬に何度もないが、この様に一気にたくさん降った早朝には、ウォーキングやジョギングで賑わう五稜郭公園の堀周りに除雪が入る。
その除雪の仕方が、なぜか地面スレスレでなく、10cmほどの雪を残してなされる。
幅が2m以上はあり、これが、お誂え向きのクロカンコースにもなる。
しかも、プラス気温になって溶けないことが肝腎である。
このような好条件は、一冬に1~2回あれば良い方である。
まあ、ここをクロカンスキーで滑走するのは、自分くらいなのだが・・・。

最高なのは、除雪直後の、まだウォーキングやジョギングで踏み固められていない早朝なのだが、一番賑わっているときに、それらの人を掻き分けて滑走するわけにはいかない。
当然、それらの人の少ない時間帯となると午後になる。しかし、両側は、踏み固められるが、真ん中が軟らかいので、それなりに快適に滑走できる。



日頃一般の人にとっては目にすることの少ないクロカンスキーなので、すれ違う人や堀周りと接する図書館前の交差点の信号待ちの車からの好奇の目がちょっと照れくさい・・・。。

今日は、初滑走だったので、無理せず、1時間ほど、7周(13km)で切り上げた。
こんな早い時期にクロカンの初滑走をしたのは、初めてである。

降った、降った!

2009年12月15日 | 日常生活・つぶやき


年間に何度も雪かきをしないで済む函館だが、昨夜から今日に掛けて、ずっと降り続いた。
朝、早速、今冬初の雪かきを楽しんだ・・・?

しかし、その後も降り続いて、3時間後には、2回目の雪かき。
↓↓↓


2回目の雪かき以降には止んで、青空も広がったが、TVによると、夕方までの積雪が20cmだそうな。
おまけに今冬初の真冬日のようで、車道の雪も解けないで、雪道のまま・・・こんな天候が、あと3日ほど続きそう。

10周年記念オフミ

2009年12月13日 | オフミ・飲み会
昨夜、札幌の居酒屋で開催された「北海道の山メーリングリスト(HYML)開設10周年記念懇親会」に参加した。

このオフミは、開設以来、毎月開催され、今回で119回を数えるそうだ。
毎回、つぼ八札幌駅前店で開催されるので、このオフミに出ることを「つぼ岳登頂」という。
自分は、1年半振りの登頂であった。
これまでで最高の約60名もの参加で、席が入り乱れて、時間の過ぎるのも忘れる語らいが続いた。
後半、飲み方をセーブしたお陰で、珍しく17:30から23:00ごろまでお付き合いすることができ、楽しいひとときを過ごすことができた。

自分が編集して持参した、半ば手作りの「10周年記念誌」は、概ね好評で苦労のしがいがあった。

手作り記念誌

2009年12月11日 | 日常生活・つぶやき


自分が開設に関わった「北海道の山メーリングリスト」(略称・HYML)が、12月15日で開設10周年を迎える。
北海道の山の情報を交流するMLであるが、現在では、全国に500名以上の会員がいて、昨日で、その配信メールは42,000件近くになっている。
このMLのお陰で、冬山や沢登りや薮漕ぎ登山などなどへのステップアップはもちろんのこと、多くの出合いやオフミ登山など、自分の山歴や人間関係に計り知れないほどの大きな影響をいただた。



そんな感謝の気持ちも込めて、手作りでの記念誌の編集と発行を引き受けた。
ワードか一太郎に原稿を書いてもらい、メールに添付して送っていただいた。
67名からの原稿が寄せられ、A4版の111ページもの結構立派なものが出来上がった。
編集といっても、それらの体裁を整えるだけの作業なのだが・・・。

明日、札幌で開催される「10周年記念祝賀懇親会」へ、これを携えて参加する。
これを手にして喜んでくれる仲間の顔が楽しみだ・・・。



印刷は、近くの学校の印刷機を借りて、6時間。
丁合作業(落丁の点検・補印刷等も含む)は、妻に手伝ってもらったが、9時間も掛かった。(画像)
さすが、製本と表紙印刷は業者に依頼した。
手間の関係で、100部しか作成できなかったのが残念・・・。
本来であれば、みなさんにタダで贈呈したいところであるが、こちら年金生活者なので、実費を負担して頂くことにした

函館山~陽だまりハイク

2009年12月10日 | 登山・旅行

ここひと月以上はなかった無風・快晴の素晴らしい好天に恵まれた。
遠出も面倒なので、雪のない函館山へ向かい、のんびりと陽だまり登山を楽しんできた。
日当たりの悪いところには雪が残っていたが、多くの登山者で賑わい、数人の知人にも会った・・・。


地蔵岳から見下ろす鞍掛山と立待岬、海岸線を挟んでの汐首岬


しぶとく枯葉を付けたまま春まで過ごすカシワ


古い実と来年成長する新しい実?や新芽が一緒の名称不明の木


種が飛んでしまったオオウバユリ


サルトリイバラの実


可愛い形のオオカメノキの新芽


月見台に建つ石碑~大正天皇が皇太子のときにここで展望を楽しんだ?


函館山33観音の1番観音~もともとは、天保年間に大阪の商人が寄進したものであるが、最近になって、天保年間のものでなく、その後作り直されたものであることが判明したらしい。

年末を控えて

2009年12月08日 | 日常生活・つぶやき
本州の山旅から帰ってきて、溜まっていた用務等をこなしている内に、あっという間に、今年も残り20日ほどになってしまった。

昨日は、帰ってきてから初めての積雪で、周りの山は麓からすっかり白くなった。
例年今頃咲き出す我が家のシャコバサボテンも花を開き始めた(画像)。
スキーマラソン大会の参加募集要項も届き始めた。
スーパーには、すでに正月用品が並びだした。
早いお歳暮も届き始めた・・・こちらも、慌てて、南茅部へ出掛け、毎年あちこちに送っている真昆布を仕入れてきて、本日発送を終えた。

毎年繰り返されることではあるが、否が応でも、年末感が押し寄せてくる。

今度の正月は、弟の急逝で喪中なのだが、忙しくてモタモタしていたら、喪中ハガキを出し損なってしまった。
仕方がないので、正月明けの寒中見舞いで勘弁してもらうつもり。

それにしても、今年の喪中ハガキの多いこと・・・。
年々多くなって来た感じはあったが、既に30枚も届いている・・・過去最高かも?
年齢的にも、親や兄弟が亡くなる年齢だということなのだろう・・・。

徐々にではあるが、人生の年末にも近づいてきているような気がして、やや侘びしい。

北海道坂本龍馬記念館

2009年12月02日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ


 久しぶりに暖かかったので、ウォーキングがてら、11/15、十字街電停前にオープンした「北海道坂本龍馬記念館」を観てきた。

 北大山岳部創設期メンバーの登山家・山岳画家で、六花亭の包装紙や紙袋の絵で有名な坂本直行さんは、龍馬ゆかりの方だとは知っていたが・・・。

 北海道と坂本龍馬はどんな関係があったのか? 2001年に札幌で立ち上げて活動をしてきたNPO法人北海道坂本龍馬記念館実行委員会が、なぜ、その記念館を函館にオープンしたのか?・・・などの疑問がようやく解けた。



 龍馬と北海道の関わりであるが、上記は、龍馬の手紙の一節である。
 龍馬は、幕府の解体により職を失う若い武士達のエネルギーを蝦夷地・北海道の防衛と開拓に向かわせようという壮大な計画を立てて、具体的な活動もしていたようだ。
 龍馬にとって蝦夷地は彼の理想と情熱を託す新天地だったのである。後年、この計画は明治新政府に受け継がれ、「屯田兵」として実現し、今日の道民生活の基礎が築かれることとなる。
 龍馬自身は33歳で暗殺され、北海道の地に足を踏み入れることはできなかったが、彼の意志を継いだ彼の直系の親族たちが、多く北海道へ入植して開拓に従事している。

 展示は、龍馬の生涯、龍馬との交流のあった人々、北海道との関わり、北海道開拓に関わった親族など・・・坂本直行さんの作品、使用した山道具や絵の道具なども展示されている。

詳しくは、下記「北海道坂本龍馬記念館の公式サイト」からどうぞ!
http://www.ryoma1115.com/

白いたい焼き

2009年12月01日 | 食べ物
たまにスイーツ話題を・・・
最近、歳のせいか、洋菓子は食べたいとは思わないが、
昔懐かしい和菓子や大福やたい焼きなどが無性に食べたくなることがある。

ひと月ほど前に、近くのスーパーの前で、期間限定で売っていた「白いたい焼き」なるものにビックリ・・・。
色ではなく、食感の虜になった・・・モチモチ感が堪らないのである。
聞いたら、タピオカの粉がその白さとモチモチ感の素らしい。

普通のたい焼きはシッポまであんが入っていないと不満だが、
これはシッポの部分にあんが入ってなく、そのモチモチ感を楽しむことができる。
あんが全く入ってなくて、皮だけのものが食べたいくらいだ。

今日、行啓通りにその店がオープンした。
5個買うと紅白のたい焼きが2個付くとのことで、妻に並んでもらって買ってきた。
さすが、1日で全部は食べられなかったが、冷蔵庫に入れて置いたら、
硬くならずに、冷たいたい焼きとして、それはそれなりに美味しかった。
中味もあんこだけでなく、また、表の皮も白だけでなく、いろいろある。
九州発祥らしいが、寒くなるこれから人気が出そうな感じだ。