癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「自分史」について考える

2019年08月30日 | 自分史

 先日、ある知人から「坂口さんの人生って面白そうだから、自分史を書いてみたら?」と言われた。おだてられるとすぐその気になる悪い癖で、それをきっかけに、「自分史とはなんぞや?どんなメリットがあるのか?」などと考えるようになった。

 最近、確かに「終活」ブームと相まって、「自分史」という言葉をよく見聞きするようになった。また、それに関する本も多く出版されている。自分史を書いて自費出版したり、ブログで発信している人が増えているらしい。実際に、元同職の先輩数人からそのような出版物をいただいたこともある。

 自分がこの20年以上に渡って発信してきたホームページ『一人歩きの北海道山紀行』やほぼ毎日更新しているこのブログ『癌春(がんばる)日記』だって、ある意味、この20数年間の日記でもあり、自分史のようなものである。また、一昨年出版することができた拙著『ほっかいどう山楽紀行』や新聞への連載だって、登山という窓から見た自分史でもあると思っている。

 検索してみると、ネット上でも、「自分史」に関する記事も非常に多く見つかる。非常に難しく書かれているものもあれば、好きなことを好きなように書けば良い的な安易なものもある。

 そんな中、自分が納得できたことを整理して並べると、下記の5点である。

1、「自分史」を書くのは、基本的に自分のためではあるが、書く以上は読み手を意識しなくてはいけない。
2、子どものころから現在にいたるまでの自分の歴史をあらためて振り返ることで、自分の人生を客観的に把握することができる。
3、これまでに関わって来た周囲の人との絆を実感したり、生きる意味を再認識したりして、「今後の生き方」や「やりたいこと」が見えてくる。
4、年をとってから過去を思い出す作業は、脳の活性化という点でも悪いことではない。
5、タイムスリップを楽しむことこそが、自分史を作る醍醐味である。

 自分が取り組むとすれば、そのモチベーションを持続できる一番の原動力は、5番の「タイムスリップを楽しむこと」になりそうだ。しかし、出版物などという大それたことは考えていない。手段は、毎日の読者の実数が1000名を超える(感謝!)このブログである。
 これまでに散々自分をさらけ出していて、今更隠すこともあるまい・・・しかも、ヒマな時に書きためておいて、ネタがないときに小出しにする・・・。


 大人になってからの自分しか知らない人や、拙サイトを通して出会った人からは「坂口さんって、子どもの頃から万能で、ガキ大将だったのではないですか?挫折なんか味わったことなんかないでしょう!」などと良く言われる。

 ところが、どっこい! 子どもころは体が非常に小さくて(高校入学時の身長148cm、体重37kg)、小中学校時代は体育の成績が最も悪く劣等感の塊りのような子供だった。
 周りは農家ばかりで、「配給米や麦めしを喰っている奴は、勉強はできるが体が小さくて力がない」などと言われたりもした。「勉強なんかできなくても良い、背が大きくなりたい、運動ができるようになりたい」といつも思っていた。

 今のように自分が何かを仕切るなどということはなくて、いつも(当時の良い意味での)ガキ大将の後ろにくっついて歩いていた「その他大勢」に属する子供だった。

 そのような子供が、どうして今のような、座右の銘を「挑戦と感謝」などと謳い、自信過剰気味で、苦労知らずのようなノー天気な人間になったのか・・・それを振り返るだけでも面白そうだ。
 ずっと変わっていないのは、子どものころいつも通信簿に書かれていた「落ち着きがない、おっちょこちょい」である。それすら、今は自分の長所として生かして生きているつもりである・・・?

 さてと、これから、どんなことを、どのように書くか考えなくてはならない。それがある程度見通せたら、書くことを楽しみながら、ネタ切れのときに小出しにしていくつもりである。あくまでも自己満足の世界なので、期待しないでいただきたい。