癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

久しぶりの雪かき運動 & チコリ

2021年01月30日 | 日常生活・つぶやき

 2日間に渡って「冬の嵐」をもたらした低気圧だが、函館は、幸い一昨夜は「暴風雨」だったので、積雪はなく助かった。昨夜からは「暴風雪」で、久しぶりの雪かきとなった。

 ドカ雪を覚悟したが、幸い、それほどの積雪ではなかった。平均で20cm弱くらいだったが、吹き溜まりがあったのと、気温が高く、重い雪だったこともあり、朝、1時間半の良い運動だった。

 作業している最中に太陽が顔を出し、終わった時点では、薄いところは融けて、舗装面が露出していた。

 豪雪地帯でもないので、この雪かき作業は、ほどよい運動になると前向きに捉えて取り組むことにしている。

 我が家の同じ通りには自分以外にも後期高齢者が2名住んでいる。お二人とも、1日に何度も出てきて、雪かきが生きがいと思えるような丁寧な作業ぶりである。やはり、健康法の一環として取り組んでいるのだろう。

 我が家のスノーダンプは古いので、今日のような水分の多い雪は、面に付着して作業効率が悪い。そこで、スキーの液状万能ワックスを塗ってみた。案の定、付かなくなって気持ちが良かった。

 

◎チコリ初食

 買い物に着いて行ったら、昨日のテレビで放映されていた北斗市産の「チコリ」という野菜が売られていたので、1個買ってもらった。「マヨネーズを付けて食べると美味しい」と書かれていたので、そのようにして食べてみた。

 非常にみずみずしくて、しゃきしゃきとした食感が持ち味のようである。微かなほろ苦さがある以外には、特にこれといった味はない。


 この「チコリ」は、小さな白菜のような形が特徴で、地中海沿岸を中心としたヨーロッパでは定番の野菜らしい。サラダや料理の飾りなどに使われ、白く小ぶりな姿から「野菜の貴婦人」とも呼ばれているそうだ。

 ハーブとして使われることがあるほど栄養価が高い野菜。特に食物繊維が豊富で、むくみや便秘の解消に役に立つ。また、イヌリンという成分が多く含まれているため、高血圧やメタボリックシンドロームの予防になるといわれている。

 チコリは日に当たったり強く触れたりすると変色してしまうので、米のもみがらの中にうずめて生育させるらしい。

 北斗市の農園のハウスでは先月末に始まったチコリの収穫が最盛期を迎えていて、収穫は3月中旬まで続くそうだ。


マー君、8年ぶりに楽天へ

2021年01月29日 | 日常生活・つぶやき

 

  ニューヨークヤンキースで7年間プレーしたマー君こと田中将大投手が、8年ぶりに古巣の東北楽天イーグルスに戻ることになった。

 駒大苫小牧高時代からの大のファンで、楽天在籍の時の先発試合はいつもTVで応援をしていた。特に野村監督とマーク君が好きで、楽天ファンでもあった。

 我が家に唯一あるプロ野球関係のサイン色紙とサインボールはマー君のものである。これは、たまたま、妻の東京時代の上司だった方が、楽天の球団職員になっていて、函館での試合に招待されて、そのときにいただいたものである。生マー君を見たのは、その時が最初で最後である。負け投手だったが・・・。

 それだけに、ここ7年間の大リーグでの安定した活躍はうれしい限りだった。マー君がいなくなってからは、北海道人として、日ハムを応援するようになったが、また、楽天での活躍を応援できると思うと非常に楽しみである。

 これまでに大リーグから日本へ戻って来た選手は多いが、まだ32歳で、大活躍中のバリバリの大リーガーの内に戻って来たことには驚きも大きい。それだけに、今回のこの復帰劇はうれしさもあるが、やや複雑な思いもある。

 戻って来た理由はいろいろ言われているが、今シーズン、日本でプレーする決断に至った経緯や思いは、後日、入団会見を行う予定のようなので、その時を待ちたい。これも、新型コロナの影響が大きいようである。

 推定年俸は日本球界最高の9億円で2年契約とのことだが、再び楽天のユニフォームを着て、18番を背負った雄姿がTVで視られることを楽しみにしている。

 ◎関係過去記事

「マー君、世界新記録達成」(2013年9月7日)

「東北楽天 初優勝!!」(2013年9月26日) 

「まさにアメリカンドリーム」(2014年1月23日)


ステージ4超え続く函館市のコロナ感染

2021年01月26日 | 日常生活・つぶやき

大根菜っ葉の水栽培 & 春のような陽気

2021年01月25日 | 日常生活・つぶやき

1週間で立派に育った大根菜っ葉

 妻が、良く大根のヘタ部分を切り取って、水栽培をしている。今までは、台所の窓辺に置いていたが、今回は、暖かくて、天気の良いときには日光が当たるリビングのサイドテーブルの上に置いてみた。

 3日目くらいから葉がぐんぐん成長して、1週間で食べ頃?に成長した。この間の成長ぶりを眺めるのも楽しいし、部屋の中に小さな緑があるのも良いものだ。台所に置いた時より、葉の色も形も立派である。

 これまで何度か試みた妻に言わせると、①切り残すヘタ部分は薄い方が良い。②水は1日1回取り換える。③水の量はヘタが隠れるくらいが良い ④周りの黄色くなった茎は取り除く・・・とのこと。

 これは2度くらいは繰り返すことはできるが、葉の付け根部分は、胚軸と呼ばれる部分で、そこにある栄養分を使い果たしたら終わりだそうだ。

 今日の昼食のスープに放して食した。

 

◎春のような陽気・・・6.4℃まで上昇

 珍しく3日間連続の好天が続き、特に今日は、今季最高の6.4℃まで上昇した。春のような陽気に、雪解けも一気に進んだ。

いつも雪かきをしている亀田本町会館駐車場も乾いていた。

会館の屋根から落ちた雪の山

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昨夜の様子


1日遅れの鏡開きもどき

2021年01月12日 | 日常生活・つぶやき

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 今日は、最高気温3.4℃まで上がり、函館では2番目の記録となる14日連続の真冬日からようやく脱出した。

 鏡開きは昨日だったようだ。正月と言っても特別なことはしない我が家だが、それでも仏壇にはお供え餅を上げている。それを今日の昼にお汁粉ときな粉餅にして食べた。

 子供のころは、自分の家で、臼と杵で餅をついて、一番臼のもちでお供え餅を作ったものだ。自分が親になったときには、電動餅つき機「もちっこ」で、同じようにお供え餅を作った。しかし、今では、出来合いの小さな仏壇用の鏡餅を買って間に合わせている。

 そもそも、この辺りでは「鏡餅」ではなく「お供え餅」と呼んでいるが、なぜ、鏡餅というのか? 鏡開きとは? などと疑問を抱いたので、ちょっと調べてみた。

◎鏡餅の由来~昔の三種の神器の一つ、鏡(丸い形をした銅鏡)に由来するとのこと。そこで、稲の霊が宿った神聖なものとして神様に捧げられる餅を、神様が宿る丸い鏡に見立てて「鏡餅」と呼ぶようになり、年神様の居場所(依り代)として正月にお供えするようになったらしい。

◎鏡開きの由来~もともと新年の仕事始め、行事始めの儀式のひとつとして行われていた。鏡開きの「鏡」は円満を意味し、「開く」は末広がりを意味しているという。武家ではお正月に鏡餅を供えており、毎年11日にこの鏡餅を開いて(割って)食べていたという。

 昔は二十日正月といって、20日に鏡開きを行っていたが、徳川三代将軍・徳川家光が慶安4年4月20日に亡くなったため、月命日の20日を避けて11日になったと言われている。

鏡開きといわれるわけ~鏡開きはもともと武家から始まった行事。そのため、鏡餅に刃物などを使うことは切腹を連想させるためタブーとされてきた。そこで手や木槌などを使って鏡餅を割ることにしたが「割る」という言葉も縁起が悪い。そこで考えたのが次第に末のほうに広がるという意味を持つ「開く」を使ったらしい。

 昔の家で作ったお供え餅は、時間が経つとひび割れして、手や木槌で割ることができた。しかし、今の市販されている餅は、ひび割れしないので、包丁で切るしかない。


拙稿「生涯スポーツとしての登山、スキー、そして、歩き旅」ほか

2021年01月08日 | 日常生活・つぶやき

 依頼を受けて執筆した拙稿が掲載された公益財団北海道生涯学習協会の会報『ほっかいどう生涯学習』通巻190号が届いた。

 スキャナーで取り込んで読めるようにしたので、興味のある方はご一読いただければ幸いである。

 

◎爆弾低気圧ほか

昨夜からの爆弾低気圧の影響で、全国的に暴風雪に見舞われた。

今季一番の降雪で、朝と午後からの2回の雪かきに取り組んだ。朝は2時間を要した。

一昨日に撤去した家の前の雪山は1日で、ほぼ元に戻ってしまった。


今朝の大森浜 & 除雪の雪山撤去

2021年01月06日 | 日常生活・つぶやき

 昨日のテレビで、昨朝の津軽海峡に面した大森浜でけあらし(気嵐)が見られたと報じていた。

 今朝も冷えたので、見られるかもしれないと期待して、朝食後に車を走らせた。

 案の定、汐首岬側の方にけあらしが立っていた。

これは、冷たい空気と海水の温度差が大きいときに見られる現象で、川などでも見られる。

けあらしをズーム

天使の階段(薄明光線)の下にも微かなけあらし

薄いけあらしの向こうの函館山をバックの寒そうな啄木の銅像

 

◎除雪の雪山撤去

明日から爆弾低気圧の影響で、まとまった雪が降りそう。

除雪積み上げスペース確保のために、家の前の雪山の撤去作業をした。

崩してスノーダンプで、家の横へ運んだ。

これでしばらくはまた積み上げられるはず。

ドカ雪に悩まされている東北や道内の日本海側に比べれば楽なものだが、それでも腰が結構疲れた。

家の横に運んで積み上げた。ここしか捨てる所がないので、今後あまり降ってほしくない。


箱根駅伝(復路) & ウォーキング初め

2021年01月03日 | 日常生活・つぶやき

 

 スタート時から昨日に引き続きTV観戦をした「箱根駅伝(復路)」は、駒沢大が最後の10区で3分以上の差を逆転して、13年ぶり7回目の総合優勝に輝いた。

 残念ながら最後に逆転されて、2位に終わった往路優勝の創価大も見事な快挙だった。往路優勝がまぐれではなく、どの選手も区間上位のタイムで走り切る実力を備えていたということである。来年以降が楽しみである。

  さらに、往路12位と低迷した昨年の覇者青学大は巻き返して4位まで順位を上げた。本来の実力を発揮すればあり得ると期待していた復路優勝に輝いた。面目躍如といったところであろう。来年も優勝候補としての存在感を示した。

 総合優勝校、往路優勝校、復路優勝校がすべて違ったのも珍しい現象である。

 

◎ウォーキング初め

 箱根駅伝を見終わった後、今年初のウォーキングに出た。距離で9.8km、時間は2時間、歩数は14000歩だった。

亀田川

右岸に続く遊歩道の踏み跡を上流へ

産業道路手前の日の出橋まで続いていた亀田川右岸の踏み跡から、産業道路を横切って、亀田川の左岸の歩道を上流へ

鍛冶通りを戻ってくる

五稜郭公園外堀の遊歩道


「箱根駅伝」ほかTV三昧

2021年01月02日 | 日常生活・つぶやき

 例年、正月2日は、「箱根駅伝」を初めとして、TVを視て過ごすことが多い。

 今日は、5時に起きて、まずは、昨夜録画しておいた2時間番組「相棒season19 元日スペシャル」を視た。

 元日スペシャルは、いつも重い内容が多い。今回は、少年犯罪は罪にならないことで、成人になってからも罪を犯すことが多いことを考えさせられるストーリーだった。

 岸谷五朗の圧巻の演技が印象的だった。そんな中、ラストで、少年犯罪を犯した者でも更生しているというオチに、少しだけ救われる思いがした。

 

 朝食後、今日も雪かきをした。戻って「第97回箱根駅伝(往路)」を視たが、2区の途中からだった。その時点で、昨年の覇者・青学大が13位だったことに驚き、これまで実績のない創価大が2位だったことで、その後の展開から目が離せなくなった。

 結局、創価大が1区の3位から順位を落とすことなく、4区でトップに立って、4回目の出場で初優勝を果たした。監督も「まさか優勝するとは考えてもいなかった」というコメントが面白かった。

 創価大は、前回大会は総合9位で、初のシード権を獲得した新興校だが、大番狂わせを起こした。その陰で、例年トップ争いを演じてきた青学大は13位と惨敗だった。

 明日は、創価大が逃げ切って総合優勝を果たすか? 2位の東洋大、3位の駒沢大が2分以上の差を詰めて巻き返すか?青学大の復路優勝はあるか?といった辺りが見どころになりそうだ。

 

 その後、やはり昨夜のNHKBSPで録画しておいた「邪馬台国サミット2021」を視た。

 爆笑問題の2人が司会進行だったが、第一線の研究者たちが集結し、最前線の証拠や資料を検証し、激論が繰り広げられた。

 女王・卑弥呼の都「邪馬台国」はどこにあったのか?」「邪馬台国とはどんな国だったのか?」
 九州説と近畿説の論争は、どちらも決定的な証拠を示せないでいるが、その一方で、近年、邪馬台国をめぐる考古学的な発見も相次いでおり、議論はますます白熱している。

 令和の時代の最新の知見を織り交ぜた「邪馬台国論争」だったが、新しい情報も知ることができて、面白かった。結局は、今後の発掘等の研究が進んでいかなくては、結論は出ないということだった。

 

 今夜も、20:00からNHKBSPで「グレートトラバース3」日本三百名山全山人力踏破31『青森・北海道の6座』」が放映される。


新年あけましておめでとうございます

2021年01月01日 | 日常生活・つぶやき

あけましておめでとうございます。

お陰様で、今年も元気で新年を迎えることができました。

 今年もみなさんからのアクセスを励みに、毎日欠かさずブログ更新を続けます。

 お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

 

 たっぷり8時間寝て迎えた2021年(令和3年)、6時に起きて、まずは硫黄泉の朝風呂へ。たまたま誰もいなかったので、パチリ。

 7:30、食堂へ。上は昨夜の画像だが、今朝は振る舞い酒となっていた。

朝食はバイキング形式だが、コロナ対策で、ビニール手袋と専用トングが用意されていた。

時間設定が細かく分けられていて、席も離されていた。

 イクラ丼とお雑煮

コロナの影響で抽選会ができないとのことで、景品をいただいて、帰路に就く。

 

 ひろめ荘のある南茅部地区は、横津連峰に雪雲が遮られ、2cmほどの新雪だったが、帰宅したら今季初の20cm近くが積もっていた。

 今季初のスノーダンプのお出ましとなった。家の前と町会館駐車場の除雪を終わったら、1時間半近く経っていて、良い汗を搔いた。

 年賀状も、コロナ、コロナのオンパレードだった。

 雑煮と飯ずしを食べたら、我が家の正月は終わりである。


今年の年越しは「ひろめ荘」で

2020年12月31日 | 日常生活・つぶやき

 

 

 新型コロナに振り回された2020年も、終息の気配もないまま大晦日を迎えた。

 朝食後、今季8回目の雪かきをした。昨季は極端な少雪で、シーズン通して6回ほどしか雪かきをしなかったが、今季はすでにその回数を超えている。しかし、1回に積もる量が少ないのと、軽い雪ばかりなので、これまでは助かっている。

 6年前から、年越しは、一点豪華主義で、近郊の温泉でのんびり過ごすことにしている。その代わり、正月と言っても特別なご馳走は食べないで日常的な食事で過ごす。これまでに、湯の川温泉「ホテル万惣」1回、「ホテル恵風」2回、「濁川温泉ふれあいの里」3回である。今年は、大船温泉の「ホテル函館ひろめ荘」にした。

 奥にある吹上石(ぬけいし)までのスノーシュー登山も考えたが、もともと雪の少ないところなので、積雪不足も予想され、ホテルへの直行となった。案の定、10cmほどしかなかった。

 15時過ぎにはチェックインして、温泉に入り、テレビを視ながら、のんびり過ごした。

 テレビといっても、「紅白歌合戦」はもう10年は視ていない。毎年、昭和にどっぷり浸れる「年忘れにっぽんの歌」ばかりである。

 まずは、温泉へ。

いつも入っている、日帰り保養センターの方は混んでいそうだったので、本館にある宿泊者専用の浴場へ。

 保養センターの硫黄泉の露天風呂と重曹泉の大浴場。

明日の朝風呂で入る予定。

本館2Fにある宿泊者専用の重曹泉の浴場と露天風呂。日帰り客も入っていた。

 

 夕食は、コロナ対策で、時間が細かく分けられていて、半分の席は空けられていた。

 

20:30過ぎに、部屋へ直接届けられた年越しそば


2020年「挑戦と感謝」の10大感動

2020年12月30日 | 日常生活・つぶやき

 今年は、2月に始まった新型コロナに振り回された1年であった。そんな中、1日も欠かさず書き続けて来たブログを見直しながら、この1年を振り返ってみた。

 いろいろ、制約と気遣いの多い「あずましくない1年」であった。しかし、その中でも、自分的には、密を避けながらの単独行動の強みを発揮したアウトドア活動を中心とした「やりたいこと三昧」の1年を過ごすことができた。いつものことながら、我ながらもよく遊んだものだと感心するとともに、それができる環境に改めて感謝したい。

 趣味の中心となっている登山だが、今年の山行日数は58日に終わった。退職後最少である。退職後10年は、山だけで100日を超えたものである。最近は、フットパス歩きと旧街道歩き旅を加えて100日を目標にしてきたが、今年は95日にしかならなかった。これも退職後初めてである。すべて、新型コロナの影響が大きい。

 そんな中でも、今年も多くの新たな出会いや感動に満ちた、若い頃からの座右の銘である「挑戦と感謝」の1年を過ごすことができたと思っている。
 
 そんな中から、今年の締めくくりとして、例年通り、特に感動の大きかったことを時系列に沿って10個選び出して、「10大感動」としてまとめてみた。

 

◎雪不足で中止が相次いだクロカンスキー大会(1~2月)

 例年、連続出場している5つのクロカンスキー大会だが、全道的な雪不足のせいで、2月の「札幌国際」「恵庭」「湧別原野オホーツク」の3大会が中止となった。

 参加できたのは、1月の「HBCハウス」、「おおたき国際」、そして、急遽申し込んだ「美瑛宮様」だけであった。

 今季は、新型コロナの影響で、道内のすべての大会が、すでに中止を決めている。したがって、昨季中止となった大会は2年連続中止となる。

 

◎新型コロナに振り回された1年(2月~12月)

 これは、北海道の感染者数の統計グラフである。

 2月からは、予定されていた、自分に関わりのあるいろいろな会合や行事やイベント等、ことごとく中止となって、今日を迎えている。

 中でも、一番辛いのは、いろいろな会合が中止となったために、多くの人との出会う機会がなくなったことである。毎年お盆に会っている札幌の孫たちにも会えなかった。

 特に、10/3に予定して案内状も発送した、「恩師の米寿と我々の喜寿の祝いを兼ねた旧大野中学校昭和34年卒同期会」の中止は痛かった。

 あと、10/16に依頼されていた、札幌の「かでる2・7」の「道民ガレッジ ほっかいどう学かでる講座」の講演は、オンライン開催となった。スタジオでわずか3人の事務局関係者の前で話すだけで、それがyoutube配信となった。せっかくの初の全道レベルの講演だっただけに残念であった。

 来年は、なんとか収まって、昨年までの日常が戻ってほしいものである。

 

◎「札幌50峰」完登(2月~3月)

 昨年から意識した「札幌50峰完登」だが、今年は、残りの登山道のない6座を積雪期に登り終え、「股下山」で完登することができた。

 

◎これまでで最も多かったMTBでのヒルクライムやロングポタリング(3月~10月)

 昨年の「函館マラソン」で、マラソンの大会出場を卒業したら、日常的にも全然走る気にもならなくなった。その分を補うこともあり、購入後20年となるMTB(マウンテンバイク)での、ヒルクライムやロングポタリングに多く取り組んだ。

 改めて数えてみたら、城岱スカイラインヒルクライム5回(内2回は大沼湖畔周回へ)、きじひき高原ヒルクライム2回、平野部や函館市内、汐首山登山口往復、木古内往復などのポタリング6回と合計13回となった。距離は、28km~66kmであった。

 

◎恵山遭難「佐藤晶君」の山仲間での捜索活動(5月~6月)

 5/16に恵山で行方不明となった高校生佐藤晶君だが、10日以上延べ600名もの道警、消防、自衛隊の懸命な捜索にも関わらず、発見の手がかりさえも見つけられなかった。新型コロナの関係で、民間への捜索協力の声は掛からなかった。

 しかし、公的な捜索で見つからなかった場合の、山仲間での自主的な捜索も視野に入れて、その捜索活動の様子をも偵察に出掛けていた。

 2014年の毛無山で行方不明となった故斎藤博敏さんの自主的な山仲間での捜索活動同様、鎌鹿さんから声が掛かり、鎌鹿さんが事務局長で、自分が捜索隊長としての体制を生かした山仲間への呼びかけが始まった。たまたま、今回は、2005年に発足していた「新日本百名山恵山を登る会」(代表・自分、事務局長・鎌鹿)としての活動となったので好都合だった。

 公的な捜索活動が終わった段階で、6/7(日)をその捜索日に設定し、許可申請と情報提供を求めて中央警察署へ出かけた。

 結局、捜索範囲を、3回のヘリコプターからも見えなかったということや公的な捜索範囲を勘案して、可能性の一番強いところとして、あまり手の入らなかった椴法華側の東斜面の樹林帯に設定した。

 その後、メンバーの募集、3回の下見や偵察、実施計画の策定、そして、当日の捜索・・・発見には至らなかったことで、まだ、スッキリしない部分も残るが、自分としては、十分やりとげたという満足感が大きかった。

 当日は、捜索本部詰めと捜索隊員を含め、60名にもなった。中でも、札幌方面から、自分の山仲間たちが10数名も駆け付けてくれたのは、非常にうれしかった。また、報道関係も新聞社だけでなくTV放送局も来て、大袈裟な1日となった。

 予想以上の複雑な地形の中、懸命の捜索にも関わらず、手がかりすら得ることができずに終わった。その後は、どこを捜してよいのか見当もつかずに、それで終わっている。しかし、発見できなかった悔しさもあるが、手弁当で参加してくださった方々への感激や感謝の気持ちの方が勝っている。

 その後、3紙の新聞だけでなく、2局のTV放送もあったりで、あちこちから多くの反響をいただいた。

 

◎根釧方面のフットパスをメインとした10日間の旅行(6月)

 6/21~30の10日間、以前から考えていた、湿原の花のきれいな時期の根釧地方のフットパス歩きを中心とした旅行を楽しんだ。

 「釧路湿原巡り」「釧路町の難解地名巡り」「霧多布湿原探訪・半島歩き」「落石岬パス」「浜松パス」「根室フットパス(別当賀・初田牛・厚床)」「根室市古建築巡り」「春国岱と根室半島チャシ群」「野付半島」「知床巡り」「東オホーツク名称巡り」などを楽しむことができた。

 

◎同じエクストレイルの中古車への乗り換え(7~8月)

 前のエクストレイルは11年で30万kmも走った。車検で、52万円の見積もりが出たので、びっくりして、乗り換えることにした。以前から、もしダメになったら、同じ年式のエクストレイルに乗り換えようと決めていた。

 そのことをディーラーの自分の担当者に相談したら、「融雪剤の上を走っていない、走行距離の短い、本州の車を探してあげる」ということで、お任せした。

 納車までにひと月ほど掛かり、代車生活も長かったが、8/5にわずか8.7kmしか走っていない神奈川県の車が届いた。しかも、前の車の1年後の車で、フロントグリルなどはモデルチェンジされている上に、グレードの高い車だった。前に車にはないいろいろな装置が付いているし、傷も凹みもない、自分にとっては新車同然の車だった。その後も、快適に走っていて、まもなく10万kmに届こうとしている。

 

◎「東北百名山巡り」(8月)

 昨年に引き続き、すでに79山登っていた「東北百名山」巡りへ出掛けた。8/12~29の18日間で、14山登ることができ、完登まで、残り18山となった。

 下山すると連日30℃越えの酷暑だったが、早朝の涼しい内の行動で、下山後は、エアコンの効いた場所で過ごすようにした。日本三百名山に選ばれている山や目立つ山はすでに登っていたので、物足りない感じの山が多かった感は否めない。しかし、それなりに新ピークの新鮮さと、知らない土地の旅を満喫することができた。また、鳥海山と月山の再訪は、やはり日本百名山ならではの魅力を満喫でき、低山続きのうっぷん晴らしの効果もあった。

 

◎大雪・道東の紅葉登山

 本来は大雪山系の紅葉登山が目的だったが、紅葉が大幅に遅れていて、1週間ほど知床方面へ移動して、再び大雪山系に戻った。

 「裾合平~中岳温泉~中岳~北鎮岳~比布岳~安足間岳~当麻岳~当麻乗越」、3回目の「斜里岳(初めての三井コース)」、4回目の「羅臼岳」、「黒岳~北海岳~白雲岳~赤岳~銀泉台」、14年ぶりに復活した「松仙園コース~沼の平~当麻乗越」を登ることができたが、どこも紅葉は不作だった。

 天候に恵まれずに停滞日が多かったが、「旭川の博物館や公園や古い建物を歴史探訪」、「網走監獄や網走・小清水観光」、「清里町フットパス」、「知床五湖巡り」などを楽しむことができた。 

 

◎京街道・山陽道歩き旅~旧街道歩きで本州縦断踏破なる

 11/12に大阪まで飛んで、2日間で京街道(京都~大阪)を歩き、22日間で山陽道(大阪~下関)を歩くことができ、これで、旧街道歩きで、本州縦断(津軽三厩~下関)が完遂した。

 天候に恵まれて、雨に降られたのはわずか1日のみで、それもときどきの弱い雨で、折り畳み傘だけで済んだ。

 スタートするころから、新型コロナ感染の第三波が急カーブを描き始めていた。しかし、GoToトラベルキャンペーンも行われていたし、特に歩き旅は1ヶ所に長くとどまることもなく常に外を移動している。3密を避けて、自己防衛に努めれば、それほど感染リスクが高くないだろうと決断した。

 神経をすり減らして現場対応をされている医療関係者や感染患者には申し訳ないが、何よりうれしかったのは、宿のGoToキャンペーン割引だった。じゃらんを通して予約すれば、35%割引の上に、地域クーポン券(1000円)が付いてくることだった。常に安い宿ばかり選んだ上でのそのキャンペーンは非常に助かった。お陰で、これまでの歩き旅で最も安上がりだったし、食事代も助かった。

 以上で、10大感動のピックアップは終了であるが、来る新年は、なんとか新型コロナが終息して、明るい展望の開けた1年になってほしいものである。

 今年も、拙ブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。  


換気扇のスズメの巣撤去

2020年12月28日 | 日常生活・つぶやき

スズメの巣に占拠されていた台所の換気口

 年末大掃除で、2年ぶりに換気扇を外して掃除しようとした妻から、「換気口がスズメの巣でびっしり塞がれている」という悲鳴が上がった。2年前にはなかったとのこと。この2年間の仕業だったようだ。

 道理で、焼き肉などをしたときに、いつまでも匂いがなくならなかったはずである。モーターにも負担が掛かっていたかもしれない。

 これまでに、大掃除は手伝ったことはないが、ここは出番である。マスクをして、山用のヘッドランプを点け、軍手をはめて臨戦態勢に入る。

 初めは外へ押し出そうとしたが、換気口の穴の覆いは壊れていないようなので、押し出すのは無理である。スズメは小さな格子状の隙間から出入りしていたようだ。そこで、換気口の下手前に大きなビニール袋をセットして、引っ張り出すしかなかった。

奮闘すること7~8分、全部取り出したら、明るくなった。

それにしても、凄い量である。足と比べてほしい。これを1本ずつ、口にくわえて運ぶのだから凄い労力である。

 換気扇はまだ使えそうだが、家を建てて以来、取り換えた記憶はない。少なくとも、今の妻が来てから17年経つが、その間は交換してはいないという。ということは、すでに33年経過している可能性もある。調べてみたら、換気扇の寿命は8~10年だという。これを機に、暖かくなったら、交換しなくてはと思う。

◎17年で初めて手伝った年末大掃除

 我が家の年末大掃除は、例年、几帳面できれい好きの妻が、12月に入ると、細かな「年末大掃除リスト」に基づいて、仕事が休みの日に計画的に一人でやっている。

 自分の12月の週末は、山やスキーで家にいることがほとんどないので、手伝ったこともないし、頼まれたこともない・・・要するに、全く当てにもされていないということ。それをいいことに、妻がやっていても、こちらはテレビを視ていたりと、まさに、ぐうたら亭主である。

 しかし、今年は、家にいることが多かったので、頼まれたわけでもないが、少しだけ手伝うことにした。妻に言わせると、一緒になって17年目で、初めてのできごとのこと・・・。しかし、手伝ったのは、ベランダの窓ふきと玄関ドアの拭きと、台所の壁拭き、書斎も兼ねている仏間の掃除だけである・・・それと、今日のスズメの巣退治・・・ 


免許更新~高齢者講習

2020年12月24日 | 日常生活・つぶやき

 車の免許更新のために、一昨日の認知機能検査に引き続き、今日は高齢者講習を受けて来た。新型コロナの影響で、普通は2時間半だが、2時間に短縮されているとのこと。

 講習内容は、講義と視力検査と実車運転だった。講義は、高齢者が犯しがちな違反ケースとその注意が中心だった。特に、一時停止の見落としや不停止(3秒以上きちんと停止)違反、信号や横断歩道の停止ラインを越えて止まる違反で捕まる人が多いとのこと。

 いろいろなケースの説明を聞いて、普段いかにいい加減な運転をしているかということが思い知らされた。

 今回初めて知ったことだが、3年前から、75歳以上は、18項目の交通違反をすると、警察署からハガキが届き、1ヶ月以内に臨時認知機能検査を受けなくてはならなくなっている。

 その中には、自分も捕まったことのある「一時不停止」や「黄線を越えてレーンを変更する違反」が入っている。詳しく見ると、これまでに捕まってはいないが、違反している項目も多い。なお、「スピード違反」は入っていない。

 最近は、違反検挙のためのパトカーの稼働が多くなっていて、検挙率も高くなっているとのこと。

 しかし、令和4年6月からは、もっと厳しくなり、その違反をすると、その都度、自動車学校で運転適性検査を受けなくてはならなくなるらしい。高齢者の運転に対してはだんだん厳しくなるようだ。

 視力検査では、静止視力と動体視力の検査をした。動体視力は、5段階評価では、「75歳以上の中では、4:やや優れている」だった。しかし、「30~59歳では、2:やや劣っている」とのこと。これは、年齢が高くなるにつれて低下し、速度が速くなるほど低下することを裏付けている。

 実車運転は、新型コロナの影響で、18分から10分に短縮され、車庫入れやS字カーブなどは省略されていた。緊張することなく、教官の指示通り右左折を繰り返して走り、一時停止や停止ラインを集中的に留意して運転できた。しかし、どこで踏んだかは覚えてないが、中央線と路側線をそれぞれ1回ずつ踏んだらしい。

 3年前になかった、2本のカラーコーンが設置された縁石の間に頭から乗り上げて止まるという内容が増えていた。これは、縁石へ乗り上げるためにアクセルを強く踏み、すぐにブレーキを踏めるかどうかを診るためのものらしい。

 いずれにしても、これまで以上に、違反しないように、安全運転に努めなくてはならないことを思い知らされた。

 これで、誕生日のひと月前になったら、運転試験場へ行って、免許更新するだけで良くなった。

 クリスマスなので、ケーキを買って帰った。


免許更新・認知機能検査~初受検顛末記

2020年12月22日 | 日常生活・つぶやき

 75歳の後期高齢者になると、免許更新ごとに、認知機能検査を受けなくてはならなくなり、10月の段階で、上記の通知が届いた。

 今回は、その初受検となる。歩き旅に出る前に受けたかったが、どこも混んでいて間に合わなかった。

 我が家から車で10分ほどの亀田自動車学校に予約を入れることにしたが、旅から帰ってすぐにと思ったら、新型コロナ感染予防のために、「旅行に出る方は、帰宅後2週間経過してからにしてほしい」と言われて、予約は今日になった。

 自動車学校に着いてから財布を忘れたことに気付いて、慌てて戻った・・・ここで、すでに認知機能が危うい・・・幸い早く出たので、10分前には戻ることができた。

 免許証と検定手数料750円を出して受付を済ませ、待合室で待つ。まもなく検査室に案内される。新型コロナの影響で、2名座れる長机に1人ずつ。合計12名だった。

 机の上に出して良いものは、眼鏡ケースだけで、時計も外してポケットかバックに入れさせられる。鉛筆と検査用紙はあらかじめ机の端に配られていた。

 検査の諸注意や、検査結果によって3つに分類されるということも話された。100点満点で「76点以上」は、2時間講習(5100円)、「49点~75点」は、3時間講習(7500円)、「0点~48点」は、専門医の診断または診断書の提出後問題がなければ高齢者講習(3時間)。認知症と診断された場合には、運転免許の取消しなどの行政処分。

 検査の問題内容は、大きく3項目だった。

 A、「時間の見当識」~本日の年(西暦でも和暦でも良い)、月、日、曜日、今の時刻(見当で良い)を記入する検査。

 B、「手がかり再生」~16枚のイラストを記憶し、記憶しているイラストを思い出して回答する検査。(最初は、ノーヒントで回答し、次に、ヒントをもとに回答)

 ※これは、すぐ回答するのではなく、いじわるなことに、「介入問題」(数字がずらっと並んでいる表から指定された数字を斜線で消していく問題)が入る。

 今回は、最初は2と4、2回目は3と5と7だった。これは、時間までにすべて消すことができなかった。しかし、これは採点に影響ないことが、結果を受け取ってから判明した。単なる、記憶の邪魔をするいじわるな時間稼ぎだった。

 ※ここは集中せずに、適当に取り組んで、記憶を思い起こす時間に利用した方が良いと思った。

 C、「時計描画」~時計の文字盤を描き、さらに、その文字盤に指定された時刻を表す針を描く検査。※短針の位置が勝負のようだ。

 このような決められた時間内の頭を使う検査や試験などというものは、何十年も受けたことがないので、非常に緊張した。2回目からは、大丈夫だろう?

 結果は下記の通り 

 素点では、AとBとCを足しても64点にしかならない。裏を見たら、それぞれの計算式があって、それを合わせたものが総合点となるようだ。要はすべて正解だったということ。

100点が取れた理由とイラストパターンの記憶方法

 全く情報を得ないで受けていたら、特に配点の大きいBの16枚のイラストを記憶して書き出す問題はこのような結果にはならなかったであろう。記憶力が落ちているので、この問題が一番心配だった。

 しかし、予め、経験した友人から詳しい情報がメールで提供されてきていたし、ネット検索すると過去問にもたくさんヒットする。過去問が載った対策本まで出ている。過去問では、16枚のイラストが4パターン(64枚)あって、当日は、そのうちの一つのパターンが順番に4枚ずつ提示されるらしい。

 ※ネット上のこの経験談が、非常に詳しい(パターンごとのイラストもすべて載っている)

 自分としては、4パターン16枚をすべて順番に丸暗記するのは、かなり時間が掛かりそうで無理っぽい。妻が、記憶の達人は「家の中の導線を考えて、それにこじつけて、適当なストーリーを作って覚えるらしいよ」と話したのを参考に、提示されるイラスト順にこじつけた適当なストーリーを自分なりに創作して覚えることにした。

 一昨日、パターンごとに脈略も理屈もない、ハチャメチャなこじつけストーリーを作った。これは、自分で作ったストーリーだから、出来上がった段階でほぼ暗記することができていた。それを3回ほど思い出してイラスト名を紙に書き出して、完璧を期した。お陰で、すらすらと書き出すことができた。

 今日の問題はパターンDだったので、そのイラストと、その創作ストーリーを提示しておきたい。

このパターンDのイラストに合わせたハチャメチャな創作ストーリー・・・笑ってください。

 「刀」を腰に差して「アコーディオン」を奏でている不思議な人がいた。良く見たら下は何も履いていなくて2本の「足」が丸見えだった。それが映っていたのは「テレビ」だった。次の画面は、6本足の「かぶとむし」が4本足の「馬」を威嚇する姿だった。馬が好きな「かぼちゃ」を「包丁」で切ろうと「筆」で印を付けた。すると、上空に「ヘリコプター」の音がして、「パイナップル」が落ちて来た。慌てて「ズボン」を履いて拾いに出た。出ると、「すずめ」が飛び立った、どうやら「ひまわり」の種をついばんでいたようだ。家に戻って、「のこぎり」でぐらついている「ソファ」の足を切って、床に直に置くようにした。

 正当な受検方法ではなかったが、短時間でこのようなストーリーを創作したり、それを覚え切れたということは、まだ認知機能は大丈夫だろうと思っている。ただし、財布を忘れて取りに戻ったので、満点ではなかった・・・これまで以上に留意して安全運転に徹したいと思っている。

次の高齢者講習は明後日に予約

 終了後30分間で採点がなされ、それに基づいて、個人ごとに、すぐに高齢者講習の予約をしてくれた。

 幸い、最短で明後日の10:30からの高齢者講習を予約することができた。2時間講習で講習代5100円は掛かるが、これは、3年前に一度経験している。最後に、自動車学校のコースの中の実地運転もある。普段経験することのない、S字カーブやクランクなどがあり、これもまた緊張するので非常に嫌である・・・。