癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

講演会「菅江真澄が巡った蝦夷地」

2018年12月17日 | イベント鑑賞・参加

 12/15(土)に函館中央図書館で開催された、菅江真澄没190周年函館講演会「菅江真澄が巡った蝦夷地」という講演会に参加した。

 今まで、江戸時代後半に蝦夷地にやって来たという菅江真澄のことは漠然と知っていたし、秋田県や青森県の山や旧街道には、多くの歌碑が立っているのを目にしている。しかし、具体的にどんな人物で、蝦夷地ではどんなことをしたのかは知らなかったので興味があったからである。


 講師は2名で、石井正巳(東京学芸大学教授)の演題は「函館で詠む菅江真澄」


長谷部一弘(函館市縄文文化交流センター館長代理)の演題は「菅江真澄が観た蝦夷風俗」

 石井氏は、主に菅江真澄が書いた寛政元年の「えみしのさへき」と寛政4年の「えぞのてぶり」の原文をもとに解説し、長谷部氏は、それらを訳した文章や真澄の描いたスケッチをもとに解説され、2人の内容はダブるところが多かった。



 菅江真澄は、三河吉田宿近郊(愛知県豊橋)の出身で、1873年(30歳)に旅に出て、長野、山形、秋田、岩手、宮城、北海道を旅して、多くの旅日記・地誌・図絵を残している。


 蝦夷地に滞在したのは 1788年(35歳)~1792年(39歳)の5年間で、そのうち、1789年には、松前から上ノ国、江差を通り、太田山神社に参詣している。そのときの旅日記が「えみしのさへき」である。主にアイヌ語のことについて書かれている。
 さらに、同じ年に函館周辺にいて、昆布漁の様子と道具を描いて「ひろめかり」として残している。
 1790年~1791年の2年間は、旅はせずに、松前城下に滞在し、松前文子を中心とした幕臣、その子弟、藩医、神職、商人等との歌作に精進していた。その様子は「ちしまのいそ」として残されている。
 1792年には、松前~噴火湾沿い~有珠まで旅をして有珠山に登っている。その旅日記が「えぞのてぶり」で、主にアイヌの風俗について書かれ、地形の図絵も多く残している。

 蝦夷地の後は、1829年(76歳)に没するまでの29年を秋田の地で過ごしている。秋田県内をくまなく歩き、すべての市町村に足跡を残している。だから、秋田県の山に菅江真澄の足跡が多いことも納得。
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五稜郭星空ランタン打ち上げ

2018年12月15日 | イベント鑑賞・参加

 今日の午後には、14:00からの中央図書館での菅江真澄に関する講演会に参加し、その後、五稜郭公園で開催された「五稜郭星空ランタン打ち上げ」を観て、夜には函館トライアスロンクラブ事務局長MAEさんの還暦祝いに参加した。

 講演会の内容と還暦祝いは、後日アップする予定。

 16:30に打ち上げられた「五稜郭星空ランタン打ち上げ」は、クラブツーリズムのツアー企画で、今日と明日の2日間、五稜郭タワーでミニクリスマスコンサートを行い(16:00頃までなので間に合わなかった)、その後、16:20頃から五稜郭公園内で約400個のスカイランタンを飛ばし、17:30頃までに終了するイベントだった
 

正面の橋から会場までの道の両側に、普段はないカラーのランタンが設置されていた。


飛ばす前


凧糸で繋いでいる・・・もう少し明るいランタンかと思ったが、予想より暗かった。


時間がもっと遅くなって真っ暗になれば、もっときれいなのかもしれないが、ガラケーのカメラなので映りも悪かった





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懐かしの大野・・・写真展「黄金の大地に」

2018年12月14日 | イベント鑑賞・参加

昨日の道新「みなみ風」に掲載されていた記事

 北斗市(旧大野村)出身の星野勲さん(86歳)が昭和30~40年代の旧大野村、旧大野町の街や人々の営みを写した写真展「黄金の大地に」が、地域交流まちづくりセンターで開催されている。なお、星野さんは、昭和29年から昭和60年代まで大野町役場に勤務していた方である。
 
 自分は、4歳(昭和23年)から高校1年(昭和34年)まで、当時の旧大野村(昭和32年から旧大野町)で育った。生まれは函館だが、自分にとっての故郷は、この大野である。

 懐かしい写真が見られることを期待して、我が家から往復11kmほどのつるつる路面ウォーキングだったが、頑張って往復してきた。歩数計は15,000歩だった。


 昭和30年から昭和40年代の写真が31点展示されていた。
 
 その中に、当時の通学路だった役場付近の町並みや意冨比神社のお祭りの懐かしい写真もあったので、写してきた。


街灯が初めて灯った昭和30年の中心地「十字街」の写真。付き辺りが意冨比(おうひ)神社。
吉野食堂が茅葺屋根だったことが、この写真で初めて分かった。
手前のお城のような建物は、当時の大野中学校の品川先生のお宅。昭和44年に解体された。


昭和31年、役場前の通りと意冨比神社のお祭りの「大野ぎおん囃子」の山車を引く子供たち。
建て替えられてはいるが、今でも営業している金丸菓子店の建物が懐かしい。その手前は、同級生のいた松屋呉服店。


昭和32年、上の写真と同じ光景を反対側から写したもの。左の大きな建物は当時の村役場。
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も~さんの講演「歴史古道を探る」

2018年12月07日 | イベント鑑賞・参加

 「五稜郭の文化価値を考える会」の4回連続講座で、今日は古道研究家のも~さんこと毛利剛さんの講演「歴史古道を探る」が中央図書館で開催されたので視聴してきた。

 今日の内容は、これまでに彼からいろいろな機会に聞いていたり、彼のブログで目にしていた内容だったが、数十枚もの画像を通してイメージ豊かに理解でき、参加して本当に良かったと思った。
 彼が写し出した数十枚もの画像の中から、10数枚をお借りして、このブログを書かせていただく。

 彼の古道研究の凄さは、机上研究ではなく、すでに薮に埋もれている古道を探し出して、それを実際に踏破しているところにある。

 まず最初に、その古道を探しだす調査の方法と苦労について話された。主に「地元の古老からの聞き取り調査」「古い地図からの調査」「古い絵や文書からの調査」などをもとに、現地に入り、薮に埋もれたその痕跡を探しだすだけにその苦労は並大抵ではない。季節的には、薮が枯れたり、笹が雪で倒されている初冬か残雪期が見つけやすいとのこと。これは、自分も薮山を登っているだけに実感的に理解できる。


 現在薮に埋もれている古道は、当時の難所であった峠が多い。「道南の4大難所」と言われた、川汲山道、福島山道、白神・吉岡山道、小砂子山道が、今日の講演の具体的な内容だった。


 まず、鷲ノ木に上陸した土方歳三率いる400余人が、新政府軍の攻撃を退けて通過した「川汲山道」について話された。


 薮中の古道跡を一緒に登ったことを記述した、拙文の道新みなみ風の連載の「台場山」の記事を紹介してくれた。 
 さらに、私が写ったそのときの写真も2枚紹介してくれた。


笹やぶ中の古道跡を登るも~さん


 「川汲峠の図」蝦夷日誌より(松浦武四郎?)」


 今も痕跡が残る川汲山道の写真

 川汲峠から函館側の古道跡も尾根の上に今でもはっきり残っている。
 も~さんの案内で、川汲温泉側から登り、函館側に下りた詳しい記録とその様子は下記でどうぞ!
  http://sakag.web.fc2.com/kakkumi-daiba.htm


 次に、「茶屋峠」と呼ばれる福島の山道について話された。
 ここは、福島町により殿様街道として整備され、毎年「殿様街道ウォーク」が開催されている。
ここには2本の道があり、自分もどちらも歩いている。


 茶屋峠でない無名峰側に残る顕著な古道跡。こちらの方が険しく、茶屋峠より古い道らしい。


3番目の白神・吉岡山道について話された。ここには時代ごとに3本の古道が残っている。


彼が実際に探索したときの写真


白神側へ続く古道跡の写真


最後に取り上げた「小砂子山道」。


願掛沢前後の一番上が現在の国道、真ん中(赤)が国道ができる前の70年前までの道、
も~さんが発見したのは、一番下(黒)の江戸時代の日記で「箱根より険しい」と記されている古道。


真ん中の道は、地元の有志によって発見され、開削されて「願掛沢ウォーク」が開催された。


手掛かりとした、一番下の江戸時代の「願掛澤~彦四郎沢」の日記に記された道の絵。


この古道を探しだしたときの写真とルート。
元の道の下の部分道は寛政の大地震の津波で削られたらしい。
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キャンドル+ひのきの香り

2018年10月27日 | イベント鑑賞・参加


 昨日の北海道新聞みなみ風に掲載されていた記事を見て、我が家から歩いて2~3分ほどのところにあるモデルハウスが会場だったので、キャンドルが灯される17時過ぎに行ってみた。

 末広町のキャンドル店「710candle」と、無垢の国産のひのきと柱や梁の木の構造材をあらわにした「真壁造り」を取り入れている住宅メーカー「サイエンスホーム函館店」が共催。
 キャンドル作家の和泉詩織さんと、市内のアニバーサリープランナー岡田真梨さん、照明のデザインを手がける「enya Nakamuraya」がチームを組んだ催しであった。

 ひのきの香りが漂う屋内をキャンドルで飾り付け、リラックスできる空間を提案するということであった。













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第95回赤光社美術展

2018年10月18日 | イベント鑑賞・参加

今年で95回を数える赤光社美術展。今日から10/23まで、棒二森屋デパートで開催されている。

 毎年yamaさんから招待券をいただいて鑑賞することができている。会員、会友、一般応募の作品が119点展示されている。

 美術はまったく分からないが、元同職の知人も多いので、毎年どんな作品を出品しているのか、とても楽しみである。
 また、山を描いた作品にも興味があり、いつもカメラに収めては、ブログにアップしている。






yamaさんの「生命の森」


毎年独特のタッチで山を描き続けているIさんの「頂稜(羊蹄山)」

このほか、山を描いている作品








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夕張市長・鈴木直道氏の講演会

2018年10月16日 | イベント鑑賞・参加

 道新函館政経文化懇話会10月例会の講演会「『人口減少ニッポン』を生き抜くヒント」<講師・夕張市長・鈴木直道氏>が、五島軒を会場に開催された。

 この懇話会は、月会費8,000円という主に経営者たちの集まりで、毎月の例会には講師を招いて講演会を開催している。今回は、会員以外でも2,000円で聴講できるので、参加してみた。
 
 目的は、もちろん講師である夕張市長鈴木直道氏である。30歳で、年収250万円の給料で、全国唯一の財政再生団体の市長になった、2期8年のこれまでの頑張りと実績を本人の口から直接聞きたかったからである。

 主な内容は、1、財政破綻してからの夕張市の歩み、2、コンパクト型の都市計画、3,JR北海道・攻めの廃線の3点だった。
 

会場の様子

 道内最大の出炭量を誇った1960年代は、人口11万6千人だったが、エネルギー政策の変換とともに、人口が急激に減少し、現在では8千人に落ち込んで、高齢者率50%になっている。

 財政再生団体になった11年前には353億円を18年で返還することになり、市職員の削減、職員や市長の給与削減、サービス事業の縮小などに取り組み、人口減少に拍車を掛ける悪循環を繰り返してきた。しかし、そのような取り組みやいろいろな事業を工夫して、10年間で156億円もの返還ができ、昨年から普通の都市並みの新しい出発ができるようになったそうだ。

 その中で、徹底した無駄を省く施策として効果を上げて来たのが、坑口ごとに点在していた集落(広域分散型の居住)をコンパクトにまとめる都市計画である。具体的には、公営住宅の再編と新築と移転促進、民間賃貸住宅新築への助成、公共施設の集中化、学校の小・中・高1校への統合などで、6年間で300世帯の移転、市外からの転入者の増加の効果があった。初めは反対していた人たちも、むしろ応援者になってくれて、理解が広がったそうだ。

 2016年のJRへの攻めの廃線提案だが、JR側からの提案が何もないうちに、①市が進める施策への協力 ②JRが保有する施設への扱い ③社員の市への派遣の3点を要請し、すべて受け入れてもらった。まさか、すべて受け入れてもらえるとは思っていなかったそうだ。
 スクールバスの運行適正化に向けては高校生に自主的に取り組んでもらい、中学生も含めて無駄に走ることのない予約運行の形となったそうだ。

 最後に、「自分が市長になりたくてなったのではなく、夕張の町をなんとかしたいという思いからだった」「課題先進地だったが、これからは課題解決先進地として頑張って行きたい」という言葉が印象的だった。若さとバイタリティを持ち合わせた鈴木市長ならではの情熱と実績に感動すら覚えた。

 質問の中で、自民党の知事候補として名前が挙がっているが・・・という問いに対しては、現在は何の働きかけはないとのこと。しかし、いずれは、都道府県や国の行政にも携わりたいという思いは持っているとのこと。今後の健闘と活躍とますますの発展を祈りたい。


北海道新聞みなみ風連載「どうなん・とうほく山楽紀行」
本日掲載の47回目「台場山」(函館市)は、下記の「最新情報」でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com
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講演会「函館は文化の十字路」ほか

2018年10月13日 | イベント鑑賞・参加

 函館文化会と函館市中央図書館共催の歴史講演会「函館は文化の十字路~様々な宗教の中で育まれてきた街~」に参加。会場は中央図書館視聴覚ホール。


講師は北海道教育大学名誉教授佐々木馨氏

 結論として、「函館の宗教的文化力」は、「開拓と開教」の内包と「教育、病院・医療、社会事業など」の外延の二重構想で発展してきた。その基盤となったのが、函館は4つの力<歴史力、都市力、科学力、文化力>が共存する街である・・・とのこと。
 
 その具体的内容として、1、函館の歴史軸の推移、2、文化の十字路の歴史的背景 3、文化の十字路の実相の3点について詳しい話があった。

※印象的なことだけメモ的に述べると次のようなことである。

1、函館の歴史軸の推移については

 古代・中世の函館文化史は、大船遺跡を含む遺跡や志海苔館などの<東部地域>から始まり、近世になると、函館を挟んで、松前・江差などの<西部地域>に移った。
 さらに、近世後期になって、幕府の蝦夷地直轄と黒船来航を機に函館の<西部地域>の整備が進み、一躍歴史の表舞台へ登場し、それ以降は北海道の表玄関として都市化が進行し、開港都市としての都市化と国際化が進んだ。

2、文化の十字路としての歴史的背景については

 ①グローバリズムとローカリズムの「歴史力」
  箱館奉行所の設置と五稜郭の築城、ペリー来航、開港、戊辰戦争の終結。
 
 ②北の魅力を創出した「都市力」(大正年代には東京以北最大の近代都市)
  北洋漁業の草分けとなった高田屋嘉兵衛の択捉航路、4つの大火からの復活、防災都市計画の推進、函館どつくの創業、青函連絡船の就航、北洋漁業の基地としての発展、

 ③都市化を導いた「科学力」
  武田斐三郎を中心とした<北海道最初の学問所・諸術調所での蘭学、測量、航海、造船などの伝授>。初代駐日ロシア領事ゴシケビッチによる<ロシア正教会建設、地域医療、写真技術の伝授など>。動物学者モースの<市立博物館の開館>。英国人技師パーマの<函館の水道の設計>

3、文化の十字路の実相については
 ①異文化としてのキリスト教の北海道開拓と開教(ハリストス正教ニコライ宣教師の来函、日本聖公会の英人ニング宣教師の来函、天主公教会の仏人カション宣教師の来函)。教育(アイヌ学校、遺愛学院、白百合学院)、病院、福祉などの外延。

 ②自文化としての宗教世界(神道、仏教、教派神道、新宗教)の「開拓と開教」
  いずれも、檀家を増やすためには開拓移民の推進が必要と、政府の神仏分離の動きに同化せず、仏教と神道が両輪となって「体制宗教」を担った。
 外延としての教育(六和女学校、高龍寺吉祥女学校、函館大谷女学校)、病院・医療(高龍寺での高松凌雲の「赤十字精神」、函館厚生院の開設)、社会事業(本願寺道路の開削)など。

 専門的な見地からの整理された内容だったが、一番大きな要因は、いち早く開港され異文化が入って来たことと、北海道開拓の表玄関として発展したことではないかと思われた。

◎今年最後のクルーズ船「ウェステルダム」
  

北埠頭から写した港町埠頭に接岸していた今年最後のクルーズ船「ウェステルダム」

 このウェステルダム号は、総トン数82,348t、就航年2004年4月 、乗客定員1,916名 、乗組員数800名、全長285.24m 、全幅32.21m、船籍オランダ。
 見た目もシックな感じだが、内装や装飾品等もクラシカルでシックな雰囲気の客船だそうだ。

 4月に始まって、今日で最後の函館港へ寄港したクルーズ船は、予定は31回だったが、実質的には27回で終わったようだ。一隻の乗客が1000人以上なので、経済効果はかなり大きいものと思われる。
 来年度函館港に寄港を予定するクルーズ客船は、過去最多だった2014年度の延べ37隻を上回り、40隻を超える見通しとなっているそうだ。函館市は年間70隻の寄港目標達成に向け、大型化が進む客船の受け入れ態勢強化に取り組んでいる。港町埠頭は市街地から遠いので、若松埠頭での12万トンクラスの大型船や西波止場への4万トン未満の船の接岸のための工事を進めている。
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第25回函館デザイン協議会・会員作品展

2018年10月11日 | イベント鑑賞・参加

 今年からこの協議会の会員になったというライフスポーツ仲間の京極さんから、「設立25周年記念第25回函館デザイン協議会・会員作品展」の案内が届いた。期間は10/11~14、会場はシエスタ函館4F。

 このような協議会や作品展があることなど、このような案内でもいただかなければ、知ることはなかった。どんな作品が展示されているのか興味もあったので、早速、初日に観に行ってきた。

 京極さんがいらして、いろいろ説明をいただきながら鑑賞することができた。特に、会員のこれまでの作品などを眺めて改めて感じたことは、身の周りで日常的に何気なく目にしている看板、ポスター、マーク、印刷物、道具・用具などのすべてにそのデザインの作者が必ずいる・・・身の周りはデザインで溢れているということだった。














「函館の水」をテーマにした子どもたちのペットボトルのラベルのデザインにプロのデザイナーが手を加えたもの。




京極さんと初出品の作品

 題名は失念したが、中国黄山市の明や清時代から続く建物が並ぶ土産物店通りの建物を、奥行きのない所から何枚も撮影し、それを絶妙に繋ぎ合せた作品。

 京極さんは、数年前に大阪から函館に移住してきた方で、全国的に活躍するカメラマンである。その仕事関係の素晴らしい作品は「京極スタジオ」で観ることができる。
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岩崎元郎さんの健康登山講座in北斗

2018年10月05日 | イベント鑑賞・参加

第2部 岩崎さんと私の対談「山のよもやま話」

 自分が会長を務める「新日本百名山・恵山を登る会」主催で、アルパインツアーや救心製薬や多くの登山用品メーカー協力・協賛の「岩崎元郎さんの健康登山講座in北斗」が、北斗市のかなで~るを会場に開催。この新百名山は講師の岩崎さんが選んだ山である。

 岩崎元郎さんは、無名山塾主宰・登山インストラクター。日本の元気を取り戻すための「一億二千万人総登山者計画」を提唱し、95年から5年間にわたるNHK番組「中高年の登山学」を通して、中高年の登山ブームの仕掛け人となった方である。

 第1部は、岩崎さんの「山に登って元気になろう」と題したトーク。次に、救新製薬のPRビデオ上映。第2部が岩崎さんと私の対談「山のよもやま話」、最後に豪華な景品が当たる抽選会という内容だった。

 岩崎さんのトークは、登山が健康に良いという話から、日本の元気を取り戻すにはみんなの頭を空っぽにすれば良い。頭が空っぽになれば新しいアイディアが次々湧いてくる。頭を空っぽにする最良の方法は、無の境地になれる山に登ること。大いに山に登って、日本の元気を取り戻そう・・・という内容だった。

 2人の対談では、中高年の登山の中で60代から70代のへ変化とそれへの対応、ここ10年間は若者の登山者が増えていて年代的な偏りがなくなっていることの要因や危惧されること、安全登山のためには常に「山は怖いもの」ということを忘れないこと、最近の登山の多様化について、北海道の山の魅力と留意点などなどを話し合った。


受付風景


自著販売のサインに応じる岩崎さん


豪華な景品の数々


会場を埋める180名の参加者


最初は「新日本百名山・恵山を登る会」事務局長鎌鹿さんのご挨拶


岩崎さんのトーク


ステージ上へ登場の2人の握手から


2人の対談


最後はハグしあい、岩崎さんの出たお腹を撫でる


40点を超える豪華な景品の抽選会。岩崎さんと私が抽選を引く。
中には2~3万円以上するリュックや登山靴、さらにもっと高いプロトレック(登山用時計)もあった。


七重浜つぼ八で打ち上げ 
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外泊~亀田八幡宮例大祭 & 富山ますのすし

2018年09月16日 | イベント鑑賞・参加

初めて目にした亀田八幡宮例大祭神輿渡御

 今日は外泊許可が出たので、朝食は病院で摂ったあと、そのまま、昭和温泉へ直行した。
 昨日まで腕に点滴治療の針が刺さったままだったので、シャワーを浴びることもできなかった。4日ぶりにゆったり温泉に入って、さっぱりして、帰宅した。

 例年はいち早い大雪の紅葉山行に出掛け、家にいないことの多い9/14~16は、函館の亀田八幡宮(通称:亀八)例大祭である。露店の出店数と種類は函館市内の神社のお祭りとしては最大規模だそうだが、年々減ってきているような感じがする。これまで知らなかったが、15日と16日は神輿(みこし)の神幸(渡御)も行われるらしい。

 いつも「亀田八幡宮のお祭りは雨が降る」と言われ、その通りのことが多い。しかし、今年は珍しく雨が降らないで終われそうだ。

 さて、この祭りの神輿渡御だが、いまだかつて一度も見たことがない。あることすら知らなかった。調べてみたら、その年によってコースか違うらしい。今年の予定では、我が家のそばは昨日通ったらしい。そこで、今日のコースの方へ出掛けてみた。








神輿を見た後、八幡宮へ行ってみた。


休日に重なったためにたくさんの人出が見られた。
昔はこの場所にサーカスや見世物小屋などが並んでもっと賑やかだった。


露店の前は賑やかだが、社殿の前は閑散としている


1862年(文久2年)改築の旧社殿(現神輿殿)

  1964年(昭和39年)に現社殿が建立された際に移設され、現在は神輿殿として使われており、現存する函館最古の建物である。
  1869年(明治2年)5月の箱館戦争で戦場となり、社務所が焼かれ神輿殿には弾痕が残る。同年5月17日には、榎本武揚らが近くの中村家(自分が学生時代4年間家庭教師をさせていただいたお宅)で新政府軍と降伏交渉を行った後、本神社を訪れ、降伏を誓約している。

 
関係者から教えてもらった箱館戦争時の弾痕(ほかに節穴があるが、それとは違う穴)

◎駅弁・富山ますのすし


近くのスーパー・ラルズで開催中の駅弁大会で買ってきた駅弁・富山ますのすしと八ヶ岳高原たまごサンド 
 昔、妻が富山へ行ったときに売り切れで食べられなかったそうだ。それ以来念願の駅弁になっていたらしい。
 実は、自分も三百名山巡りで富山は何度か通ったが、高くて食べたことがなかった。




ついでに買ってきた八ヶ岳たまごサンドも非常に美味しかった。

9/11に登った美利河丸山のHP版ページは下記の「最新情報」からどうぞ!写真等が少し増えています。
今年エベレストで亡くなる10ヶ月前の栗城史多さんのこの山の山頂写真もあります。
 http://sakag.web.fc2.com
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「北の昆布展」

2018年09月09日 | イベント鑑賞・参加

 7月から函館博物館で開催されていた「北の昆布展~昆布が支える日本の文化~」だが、前回出掛けたら休館日だった。その後行きそびれていたが、今日が最終日なので、慌てて観に行った。

 昆布といえば、江戸時代から北海道を代表する海産物だが、店頭に並べば高いのに、地味な食材という点ではNo.1かも知れない。決して主菜になることなく、和風料理の出汁のイメージが強い。

 そのような昆布の価値を認識し、興味を抱くようになったのは、日本一の昆布産地である、今は合併して函館市に含まれた南茅部に2度も勤め、合計7年間住んだことが大きい。

 天然昆布漁や昆布養殖に携わる人々に接し、子供たちも亡妻もその乾燥作業や加工のアルバイトに従事した。それ以来、我が家では毎日のみそ汁に昆布を欠かすことはなく、お歳暮やおつかいものにも、昆布漁家から卸し価格で分けてもらっている昆布を使っている。しかし、昆布料理はあまりすることはない。

 特に南茅部の真昆布は、江戸時代から北前船で京都・大阪方面へ運ばれ、京料理などに欠くことのできない存在となっていた。また、北前線の経由地である富山藩と手を組んだ薩摩藩が琉球王国を経由する中国(清)との密貿易に利用した「昆布ロード」の存在や、その財源が倒幕運動へ繋がったいう面白い話まである。

 そのような歴史からなのか、北海道は単なる原料供給地でしかなく、関西方面を初めとする道外でその価値が認められ、向こうの業者がいろいろな昆布製品が開発し、付加価値を高めて来た。
 多くの昆布製品を扱っている七飯町にある「昆布館」も、地元ではなく福井の業者であることが悔しい。


昆布がぶら下がる展示場の入口

 展示場は、次の3章で構成されていた。
 第1章 昆布とは何か
 第2章 昆布はどのようにして広まったのか
 第3章 昆布はどのように利用されているのか


入口に展示されている、「南かやべ白口浜真昆布」のポスター


北海道で獲れる昆布の種類


昆布の種類と製品の数々~それぞれに特徴があり、その用途にも違いがある


昆布採りの船と道具


江戸時代に昆布等を運んだ北前船の模型


全国の昆布の都道府県別消費量のグラフ
富山県が突出し、国内の97%を生産している北海道がラスト。
生産地の北海道でその価値が認められていないという現実が悲しい。
富山県の消費量が多いのは、北前船の中継地で栄えたこと、
富山県は北海道への移住者が多いことなどが上げられている。
北海道では、出汁くらいで、消費量の多い地域に比べて、いろいろな料理として食べることは少ないのが、消費量が少ない原因のようだ。


消費量トップの富山県の正月の鏡餅と昆布
~昆布は「よろこんぶ」に通じ、めでたいものの象徴として神事や行事に広く使われている。


最近その成分や栄養等で、注目されてきたガゴメ昆布のコーナー。
この昆布の研究や製品開発は函館が中心になっている。

 自分にとっては、特別目新しいことはなかったが、昆布の日本文化に及ぼした価値を再認識することができた。


我が家でおつかいものとして重宝している60㎝の長さに折った昆布
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講演「もし日本海がなかったら…スルメイカは?」

2018年09月04日 | イベント鑑賞・参加

 函館市国際水産都市・海洋総合研究センターを会場とした、退職組織の講演・研修会に参加してきた。演題は「もし日本海がなかったら…スルメイカは?」。


会場となった函館市濃国際産都市・海洋総合研究センターとスルメイカの写真


 講師は、国内のイカ研究の第一人者 函館頭足類科学研究所所長・北海道大学名誉教授 桜井泰憲氏。

 講演の趣旨は、最近激減したスルメイカを中心とした、最近の獲れる魚種の変化とその原因が主な内容であった。

 まずは、「イカの種類やイカの生態(泳ぎ方・空を飛ぶ・捕食行動・墨を出す・体色変化など)」について説明があった。

 その中で、興味深かったのは、イカは漁火となる集魚灯に集まると思われているが、実は光は嫌いだけれど関心がある習性を利用しているとのこと。昼は海底の薄暗い所にいて、夜は海面近くに上がってくる。そこに集魚灯を照らさせると、眩しいのでそれを避けようとして陰になる舟底に集まるのだそうだ。そこに針を垂らすから釣れる・・・ということらしい。
 スルメイカの寿命は1年で、日本海がその産卵と回遊場所なので、日本海の環境が大きく影響するらしい。

 次に、スルメイカを中心とする獲れる魚種変化についての状況の説明があった。
 
 特に2010年以降、その変化が大きくなっているとのこと。スルメイカは2016年~2017年激減、サケ激減(やや回復)、サンマ激減(やや回復)、ホッケ大不漁(やや回復)、小型マグロ大量入網、ブリの北上と漁獲増、二シン増加などなど・・・。
 その原因は、地球規模の温暖化ではある。ただし、偏西風の蛇行によって、局所的な異常寒冷・高温化の影響が大きい。今冬季の日本周辺は異常寒冷、しかし、春以降は高温化が進行中。特にスルメイカは、冬季の異常寒冷の影響が大きいとのこと。

 最後に、スルメイカの産卵の生態・行動の研究から、スルメイカがいなくなった原因についての説明があった。

 冬の季節風が強く海面気温が低いと、水温躍層が深くなって、一部の卵塊は海底まで沈み壊れてしまうことが分かった。2015以降同じことが起きているのではないかとのこと。
 また、産卵場は1年を通して季節的に移動する。2016年~2018年の産卵場の広がりは開腹していない。特に今年1月の産卵場の縮小が顕著で、冬生まれ群の復活にはもう少し時間がかかるとのこと。
 さらに、スルメイカの成長に適する水温範囲は12℃~15℃。成熟が進行する水温範囲15℃~18℃、採卵適水温は19℃~23℃、生存に不適な水温は12℃以下23℃以上である。

 なお、生け簀イカより活〆したイカの方が10時間後は活きが良いことが分かっている。今後は、魚介類の高鮮度・高付加価値化(地産地食の薦め)の研究も進めていく必要があるとのこと。


昭和30年(イカ刺しをどんぶりで食べたころ)の函館市入舟漁港付近の「イカブスマ」の光景

○施設見学

 入居型の貸研究施設として、学術試験研究機関や民間企業が入居できる研究室を備えている。隣接する岸壁には調査研究船が直接接岸でき、また、函館港外から直接採取した海水を水槽実験に使用することができるなど、水産・海洋分野の研究開発や、産学官連携の拠点としてご活用されている。さらに、来館者が自由に見学できる大型の実験水槽や、函館港が一望できる展望ロビー、海水を使用できる実習室、学会開催を想定した会議室なども備え、まさに、函館国際水産・海洋都市構想のシンボルとしての役割を担っている。



展示ホール


海洋総合研究センターに入っている研究機関と関連企業。
それぞれ連携することの利点があり、成果が上がっている。


大型実験水槽・・・今はカメラを付けた亀の生態を実験しているが、9/7からスルメイカの群れが入る。

 
北海道新聞みなみ風連載「どうなん・とうほく山楽紀行」
本日掲載の45回目「焼石岳」(岩手県)は、下記の「最新情報」でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com
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はたらくのりもの大集合in函館

2018年08月26日 | イベント鑑賞・参加
 港町埠頭を会場に、「第7回はたらくのりものin函館」が開催されていた。主催が函館私立幼稚園PTA連合会の幼稚園児を対象とした催しものである。しかし、興味が幼稚園児並みの妻が「行ってみたい」というので、お付き合いした。

 小さな子供は、車が大好きである。案の定、幼稚園児を中心とした家族連れで、予想以上にごった返していた。単に展示しているのではなく、実際に乗りものとのふれあいがいろいろ工夫されていて、長蛇の列ができていて、子どもたちは大喜びだった。
















妻の狙いは、この働く自動車だった



◎同時に埠頭に係留している海上自衛隊の護衛艦「ゆうだち」の見学会も開催されていた。






魚雷発射管


艦対艦ミサイル

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はこだて夜祭りinグリーンプラザ

2018年08月17日 | イベント鑑賞・参加

 外国人観光客に向けた夜間観光の新たな選択肢の創出などを目的に、函館市が今年初めて企画した「はこだて夜祭りinグリーンプラザ」。8月15日(水)から17日(金)までの3日間、大門のはこだてグリーンプラザで開催された。

 日本の懐かしい夏祭りの雰囲気を楽しむイベントで、注目は、今年惜しまれながら店を閉じた塩ラーメンの名店・星龍軒の特別出店。

 閉店前は混んでいて食べに行けなかった星龍軒の1日150食限定の塩ラーメンが目当てで、17時前に並んで整理券をもらった。17:05分で75番だった。このあとわずか20分で整理券がなくなったそうだ。一度家へ戻り、妻と一緒に出直した。


グリーンプラザの入口


まずは、星龍軒の露店へ


懐かしいミシュランひとつ星の塩ラーメン。相変わらず美味しかった。


会場では、太鼓のリズムに合わせて函館港踊りやイカ踊りなどを実施(18:00~20:00)。

 地元飲食店の出店する飲食コーナーや、金魚すくいなどの遊びが体験できる縁日コーナーなど、にぎやかな雰囲気だった。浴衣のレンタルもあった。しかし、外国人の姿は少なかった。


櫓を囲んでの盆踊りならぬ、函館港祭り踊り


妻のおじさんも趣味のチンドン屋で協力


千秋庵総本家の出店


ぽんびきの出店


懐かしいヨーヨー釣り


これも懐かしい金魚すくい
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