癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

旧丸井デパート

2007年11月30日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
 天気予報が外れたみごとな好天に誘われ、午後から裏道探訪ウォーキングに出掛けた。普段通ることのない裏道ばかりを選んで、結果的に、行き止まりとなっている函館山麓の穴澗の石切場まで歩いてしまった。帰りは、十字街まで戻って、バスに乗って帰宅したが・・・・。

                         

 その途中で、十字街にある函館市地域交流まちづくりセンターに寄ってみた。ここは、もともと大正12年に旧丸井デパートとして建築された建物である。本町に移転後は、市役所分庁舎として使用されていたが、昨年、3階までが改装保存されたのである。しかし、私にとっては、今でも丸井デパートである。懐かしさもあって、中に入ってみた。

                

 この写真は、市役所分庁舎時代の姿であるが、私が幼少時代によく行った当時の丸井デパートとまったく同じ建物である。

 当時は、十字街が駅前と共にまだ賑やかだったころである。よく母親に連れられて大野から1時間以上もそろばん道路のバスに揺られて、駅前の棒二森屋デパートとセットで買い物に来たものである。一番の楽しみは食堂だったのだが・・・・。

             

 子供の頃の印象に残っているのが、裏口から入るとすぐにあったエレベーターである。今でも国内一古い手動式のレトロなエレベーターとして健在し、稼働しているのがうれしかった。

             

 もうひとつ、大理石がふんだんに使われている階段と踊り場も当時のまま修復されていた。ここも懐かしさがこみ上げてくる。

             

 正面玄関を入ったところは、インフォメーションホールになっていて、今日からクリスマスツリーが飾られていた。

             

 あちこちの壁やホールはギャラリーホールとして、昔の函館の写真等が展示されているのもうれしい。

 2階は、イベント・交流フロア、3階は、市民活動支援フロアとして活用されていたが、階段とエレベータのある塔の部分は、当時の5階まで残されていた。

初冬の赤沼探訪周回ハイク

2007年11月28日 | 登山・旅行
 ドカ雪が降る前の11/13に家から歩いて函館山を往復して以来、悪天候が続き、2週間も山から遠ざかっていた。

 どこでもいいから歩きたいとばかり、yamaさんと山道楽さんとKuboさんの4人で、数多くの伝説に彩られた信仰の沼「赤沼」探訪の周回ウォークに出掛けた。

 近郊の庄司山から横津岳へ続く広い尾根の上のタタラ沢川の源頭を巻くように続く林道を利用して、647ピークの急な藪斜面を下って赤沼へ向かった。4時間の久しぶりの変化のある雪道ハイクを楽しむことができた。

 10枚の写真と詳しい紀行文は下記からどうぞ!
  http://sakag.web.infoseek.co.jp/akanuma.htm

灯油節約対策

2007年11月27日 | 日常生活・つぶやき
           
  今日は、生活臭い話題を・・・・・

 昨日のニュースで、「灯油1㍑100円超え」が踊っていた。
 一気に20円近いとんでもない値上げだ。2年前は確か40円くらいだった記憶がある・・・2倍以上だ・・・・シンジラレナ~イ!

 昼も家にいることが多い年金生活者としては、何としても自衛策を考えなくてはならない・・・。そこで、今冬から取り組んだ我が家の工夫を紹介してみよう。

 ア、厚着をして、ストーブの室温を20℃に設定し、それを越えたら、より低く設定したり、消したりする。
   (昨年は23℃、一昨年は26℃だったが結構慣れるものだ)
   さらに、昼間は寝室のドアを開けて暖気を入れていたが、それも閉めるようにした。

 イ、昨年までは、夜間には微少燃焼のままストーブを点けっ放しだったが、それを止めた。 
           
 ウ、TVなどを観るときは、3種類ある登山用の寝袋に入り、設定温度を下げたり、消したりする。(画像1)
   (-17℃まで対応の寝袋もあるので、すっぽり入れば、ストーブを消してもいい。)

 エ、太陽光線が入るときは、これまでは閉めっ放しだったレースカーテンも開けて、できる限り陽射しを部屋に採り入れる。

           

 オ、居間の大きな掃き出し窓の下部に、「3℃は違う」が謳い文句の断熱シートを設置した。(画像2)
  ~下からの冷気が来なくなって、結構実感!。

 カ、これまで、ずっと点けっ放しだった灯油ボイラーは、使用しないときはスイッチを切るようにした。

 キ、これまで、私が早寝早起きで、妻が遅寝遅起きだったが、その時間差を少なくして、ストーブの必要な時間を短縮する。

 現在は、こんなところであるが、他の家ではどんな工夫をしているのだろう?
 コメントで教えていただければ幸いだ! 

 現職の頃、一人暮らしの職員が「石油代が助かるから」と言って、他の職員が家へ持ち帰るような仕事を遅くまで職場でやっていた。今年は、こんな人も増えるのでは・・・?
 我が家でも、家で本を読むくらいなら、図書館で読もうか?などと冗談で話しているが、同じことを考える人が増えて、図書館が混み始めているのではないだろうか?    

進水式

2007年11月26日 | イベント鑑賞・参加
           

本日、14:30~15:00に函館どっくの新造船の進水式が見られるというメールを知人からいただく。
これまで、一般開放されているとは知らなかったので見たことがなかった。こんなチャンスは滅多にないと思い、早速出掛けてみた。

これほどの進水式はもちろん北海道では最大規模のイベントだ。そばで見上げて、その大きさに驚いた。これでも全長180mほどで、載貨重量32,000トンのばら積み貨物船だそうだ。

昔はその8倍もの250,000トンほどの大型船も作っていたというから驚きだ。その当時にあの赤い大きなクレーンが活躍していたのであろう。                                                 
           

セレモニーが終わって、船首のくす玉が割られると同時に船体が後ろ向きに滑り出す。  

           

函館どっくの進水式は、最近ではあまり見ることのできない滑走(ボール)式進水方式を採用しており,至近距離で見学することが可能なのだそうだ。目の前をごう音とともに滑り出る様子は非常に圧巻だ。
 
           

できれば、船尾の着水の瞬間も見たかったが、滑る速度が予想より速く、それが叶わなかった。船尾の方で見ると非常に迫力があるそうだ。次のチャンスがあれば、今度は船尾で見てみたい。 

           

完全に海面に浮かび、ダグボートに押されたり曳かれたりしながら、この後の工事の場所へ移動した。これから、内装工事などすべてが終わり、完成して航行できるようになるまでまだひと月半ほど掛かるそうだ。

年7回ほどのペースで行われ、次回は50日ほど後だそうだ。
近くなると、下記の函館どっくのHPに予定が掲載されるらしい。
http://www.hakodate-dock.co.jp/jp/02_shipbuilding/launching.html

心痛む上ホロ雪崩事故

2007年11月24日 | 日常生活・つぶやき
 楽しい泊まりがけの飲み会から帰宅して、新聞で昨日の十勝連峰上ホロカメットク山での雪崩事故を知る。その4名の犠牲者の顔ぶれを見て、愕然とした。その中に、これまで一緒に登ったことのある方が2名・・・・。

 鈴木さんは、HYMLの発足当時からのメンバーで、年齢が同じこともあり、非常に親しくさせていただいていた方である。これまで山だけでなく、飲み会でも何度もご一緒したほかによくメールのやりとりをしていた。

 助田さんは、東大雪のピシカチナイ岳でご一緒した方である。怪我をして救助された奥様には、前夜、わざわざ登山口まで鍋料理を持参してくださり、ご馳走になった。

 また、自力で脱出した植田さんは、昨年の中国・四娘姑山フラワートレッキングのツアーリーダーでもあり、一昨年、山関係のパネルディスカッションで同じパネラーとして同席した方である。

 これらの他に、このたびの事故の捜索や救助に当たっている中にも知人が多い。

 今回の雪崩事故について、意見を持つほどの知識も経験もないが、組織的な登山は、悪天候でも決行することが多い。雪山は「天候のいいときの日帰り」と決めて、雪崩の起きそうな場所はできる限り回避している自分ではあるが、くれぐれも留意しなくてはと思わざるを得ない。

 お二人を初め犠牲となられた方々のご冥福を心からお祈りしたい・・・・・合掌!

またや山仲間との飲み会

2007年11月24日 | オフミ・飲み会
            

 昨日、札幌方面からのHYMLメンバーが八雲のBaさんの落部上ノ湯にある温泉付き別荘に泊まり、本日、乙部岳へ登る予定のオフミ登山にやってきた。

 私も誘いを受けて参加したが、八雲の異常な積雪50cmもの大雪のため、今日の登山は中止。19名での大懇親会だけで終わった。

            

 飲み物は各自持ち込んだが、用意された献立は、女性メンバーが多いこともあり、手巻き寿司がメインの食べきれないほどのご馳走であった。

 私は、8時半ごろに温泉に入ったら、眠くなり、先に寝袋に入った。しかし、11時半に起き出し、まだ飲み続けている仲間と共に12時半ほどまで付き合って飲み直した。

            

 朝風呂に入った後の朝食は、これも手作りのいなり寿司と昨夜の残り物を食べて、みぞれの中解散して、それぞれ帰路に就いた。

さよなら五稜郭分館

2007年11月23日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
           

 久しぶりのプラス気温と陽光に、雪が溶け出し歩きづらくなるので、午前中に五稜郭公園堀周りのウォーキングに出掛けた。

 そのついでに、公園の中にある、今月いっぱいで閉館が決まっている市立函館博物館五稜郭分館へ寄った。ここは、昭和29年に開催された「北洋博覧会」の観光館として建設され、その後、五稜郭と箱館戦争関係の江戸から明治初期が中心の歴史博物館として今日に至っている。

            

 それが、閉館されるのは、現在進められている五稜郭城建設当時への復元計画に伴うもので、そのメインである箱館奉行所復元工事の一環として撤去される予定だからである。

 現在、最後の特別展「さよなら これが五稜郭分館だ!」が開催されているが、今日から最後の今月末まで無料開放となっている。五稜郭公園を訪れる観光客にはずいぶんと親しまれたようであるが、いつでも行ける環境にあった自分はこれまで2回ほどしか行ったことがなかったような気がする。これが最後のチャンスとばかり訪れてみた。

 中に、昭和29年(その時の秋が洞爺丸台風)の北洋博覧会関係の展示があった。学校の遠足と家族で2回行ったような気がする。子供にとっての一番人気は、当時のインド首相ガンジーから贈られた?というインディラという名前の生まれて初めて目にする象であった。そのときの学校の遠足のときの思い出を14枚もの原稿用紙に書き、それが町か学校の文集に掲載されたことまで思い出した。 

           

 そのすぐ前では、巨大なドーム状の建物の中で箱館奉行所の復元工事がすすめられていた。


○函館中央図書館と古地図展
           

 その帰りに、五稜郭公園の隣にある函館中央図書館へ寄り、古地図展を観た。函館中央図書館には400枚もの江戸時代から明治時代の古地図が収蔵されているらしい。今回は開館2周年記念事業として、その中のいくつかが展示されている。

           

 来る25日の午後に、その講演会があるらしいが、予定がすでに入っているので、残念ながら拝聴することができないのが残念である。

早過ぎる冬・・・?

2007年11月22日 | 日常生活・つぶやき
          

 まだ11月だというのに、3日前、そして、昨日と今日・・・すでに3日間も真冬日となり雪も降り続いた。連日、TVやレンタルDVD鑑賞と読書ばかりで体が鈍ってくる。そこで、雪が上がった夕方、五稜郭公園の堀周りを1時間半ほどウォーキングした。堀の水面も凍って、すっかり真冬の様相を呈していた。

          

 昨年は、異常に雪が遅く、気温も高く、1,2月でも残雪期の春山のようであった。しかし、今日発表のウェザーニュースによると、今シーズンはラニーニャ現象の影響で、去年に比べ早い雪のシーズン到来となり・・・とのこと。
  ↓
http://weathernews.com/jp/c/press/2007/071121.html
 
          

 本来であれば、まだ、数回は雪の積もる前の山を登っているし、ここ2年ほどは、この時期に本州の山へ出掛けていた。しかし、今年は12月上旬から海外トレッキングに出掛ける予定なので、近間の山で我慢しておこうと思っているのに、この天候ではそれも叶わない。
 
 明日から、しばらくは気温も平年並みに戻り、晴れ絡みの天候が続くようだが、果たして・・・・。

早くも真冬日

2007年11月19日 | 日常生活・つぶやき
            

 本日、最高気温-1.7℃の真冬日、昨夜から降り続いた雪が16cmを記録・・・この時期の真冬日もこれだけの積雪もあまり記憶にない・・・。ただし、雪かきをしてみて分かったが、地面や舗装面が冷えてなく、まだ凍っていないうちに積もったために、下から雪が溶けてくるという面白い現象だった。

                      

 そのために雪が非常に重く、これまでの雪かきでは使いづらいこともあり、前から欲しかった今はやりの新しい雪かきを買った。濡れた雪でも着くことなく、片手でも可能な非常に使いやすい雪かきである。これで、雪かき大好き人間のカミさんも張り切ることだろう。

ただし、明日の予想最高気温は10℃・・・一気に溶けて路面がグシャグシャになるようだ。

シーズン初の冬道運転

2007年11月18日 | 日常生活・つぶやき
           

 本日、朝5時に出て、亡妻の7回忌で札幌を日帰りで往復した。往きの雪は中山峠の頂上付近だけだったが、路面の雪は溶けていて走行には支障がなかった(画像1)。

 しかし、豊浦から喜茂別付近まで、夜半まで降った雨が夜明け前に凍り、それが、朝になって溶け出して、ツルツルテラテラ状態。いわゆる溶け出したブラックアイス・・・これが一番滑る。橋の上で勝手に小さく蛇行し、一瞬ビビッタ!その後、慎重に走ったが、4時間半で札幌着。

           

 法要と会食等が終わり、帰途に就いたのが15時。このころから札幌も激しく雪が降り出す。あっという間に圧雪状態で、中山峠は吹雪模様だった(画像2)。

 その後も、函館までずっと降りしきる雪のお陰で路面がテカテカにならず、スタッドレスタイヤがよく噛み、安心して走れた。しかし、みんな慎重で車の流れが遅く、帰りは5時間半掛かり、20時半に無事帰宅。

 行きも帰りも、ほとんどノンストップで走った。帰りの250kmはびっしりと雪に覆われた路面で、真冬でも滅多にない経験・・・法要も含めていろいろと中身の濃い長い一日だった。

山仲間の飲み会

2007年11月17日 | オフミ・飲み会
            

 昨夜、そろそろ夏山シーズンも終わりの時期、北海道山のメーリングリスト(HYML)の函館地区のメンバーが、某居酒屋に集まった。今年は札幌方面から松倉川にやってきたメンバーを迎えて開いた春に引き続き2回目である。

 急な案内だったにも関わらず、9名が参加し、今年の夏山を振り返り、今後の冬山への抱負などの交流や山談義で盛り上がった。この手の会合は時間がいくらあってもきりがない。

7月に転勤してきた700山ほどある道内700m以上の完登挑戦中で、すでの600山を踏破したKo玉さんも顔を出してくれた。一人ずつ、自己紹介を兼ねて今年の夏山を振り返ったスピーチの後、延々と山談義は続いた。

            

 幹事としては、一応、4時間近く経て10時過ぎには一回閉めて、先に帰らせていただいたが、私以外誰一人として席を立つ者はいなかった。さて、何時まで続いたのであろうか・・・・? 

初雪到来

2007年11月15日 | 日常生活・つぶやき
とうとう来るものが来た・・・・・横津岳はかなり下まで白くなっていた。
市内は、午前中と午後からも、チラチラと舞ったようである。
市内平野部での平年の記録は11/2だそうだが、今年は少し遅かったようだ。ちなみに、昨年は11/12だった。

明日からは、もっと気温が下がり、数日間は雪模様が続きそうなので、ベランダの鉢物を室内へ取り込んだ。

昔は、初雪といえば、心踊ったものだが、最近はさっぱり・・・?
歳なんでしょうね~?

タイヤ交換

2007年11月14日 | 日常生活・つぶやき
 毎年のことだが、今年もこのときがやってきた。夏タイヤに換える時期は、ちょうど車検や12ヶ月点検の時期のため、工場でサービスでやってもらうので、年に一回でいいのだが・・・・。

 明日から雪予報が出ているのと、今度の日曜日に札幌へ出向かなければならないので、今日、暖かいうちにタイヤ交換をした。油圧フロアジャッキがあるので、せいぜい30分ほどの作業なのだが、中腰の作業が多いので腰に負担が掛かり、結構疲れるものである。

 いつもは、タイヤだけ取り替えて、雪が降ってからあわててワイパーを交換したり、雪払いブラシを積み込むのだが、今回はその両方も済ませた。

 それにしても、夏タイヤは、1年間の走行距離が長いので減りが非常に激しい。2年で履き替えなくてはならないようだ・・・。只今の走行距離、8年半で228,000km也。 

自宅から往復20km~晩秋の函館山

2007年11月13日 | 登山・旅行
               

     今年はこれで最後だと思われるほどの久しぶりのポカポカ陽気。
     しかも、明日からまたしばらく悪天候予報・・・。どこか歩かなければもったいない・・・.
     妻のリクエストもあり、往復、家から歩いて晩秋の函館山へ・・・カシミール3Dで計測したら、約20km。

     9:40、家を出る。国道5号線から巴大橋を通り、10:55、レンガ倉庫群のベイエリアへ。  

               

     さらに、二十間坂を登り、11:25、水元配水場へ。
     3つの教会をカメラに収めて、公園となっている配水場を散策後、11:50、登山口へ。

                     

      久しぶりの好天に、同じようなことを考える人も多いらしく、登山口の駐車場も車が溢れている。
      旧登山道を登り始めると、次々と下りてくる登山者とすれ違う。

         

      道端の木の実がモノトーンの世界に彩りを添えてくれる。
                 途中で、初めて腰を下ろして休憩がてら、軽い昼食を摂る。
               
               

      12:35、ツツジ山駐車場へ。
      観光客と顔を合わせる頂上はパスして、旧砲台跡を見て、千畳敷へ向かう。

                 

      道端に、季節を間違えたような、花を広げたばかりのエゾニュー。
                         そして、道路標識のポールを締め上げているようなツル・・・・。

               

      13:35、千畳敷から函館市内の展望を眺めて、七曲がりコースを下る。

              
               

      14:25、まだ、紅葉と落ち葉の絨毯が美しい函館公園へ・・・・・・。

               
     
      紅葉の上に函館山の頂上を見上げて、帰路へ。
      
      帰路は、普段あまり通ることのないグリンベルトを護国神社の下の西端から裁判所の東端まで。
       歩くことによって見えてくる家並みや街並みの新たな発見がうれしい。 
      さらに、新川沿いの道を通り、家の近くのスーパーで買い物をして、16:30帰宅。

      要した時間、6時間50分、万歩計、約33,000歩。
                 久しぶりの快い疲労感と美味しい夕食に満足、満足!

南茅部の昆布

2007年11月12日 | 日常生活・つぶやき
 毎年、この時期に、今は函館市大船町となった旧南茅部町大船の昆布漁家から昆布を分けていただいている。これを、この後、小分けして、弟妹や子供たちや親戚等への歳暮替わりに全国各地へ送ることがここ25年ほどの年中行事となっている。当然、我が家の毎日のみそ汁のダシも25年間これと煮干しである。

 この大船地区は、今でこそ縄文時代の大船遺跡ですっかり有名になったが、30代後半から40代後半までの10年間のうち、3年間と4年間の二度に渡って住んだところである。農村で育ち、函館市街地に勤めていた私にとっては、多くの印象深い楽しい思い出ばかりの土地である。できれば田舎で育てたかった二人の子供たちにとっても第二の故郷となった。 

 写真の昆布は、関西方面の昆布加工業者や問屋へ出荷される規格の製品で、天然ものと遜色のない品質の養殖ものの一等昆布である。今年は、天然ものやほかの地域の昆布が不漁だったために、養殖ものの価格も非常に高騰しているらしい。

 函館市と合併する前の南茅部町は、昆布の生産高が日本一の昆布の町であった。寒流と暖流が交差する滋養豊かな前浜で穫れるこの真昆布は「白口浜真昆布」と呼ばれている。身が厚く、その切り口が白いことからこの名がつき、上品な味わいと澄んだダシ汁が豊富に取れ、最高級昆布としての定評が高い。特に、古くから松前藩が朝廷や将軍家に奉納しており「献上昆布」とも呼ばれている。

 江戸時代から明治後半まで、近江商人による北前船(東海道とならぶ大動脈)では、ニシンと並び、最大の交易品だった。その航路はコンブロードとも呼ばれ、今でも、収量のほとんどは、関西の特定業者の手に渡り、 一般市場ではほとんど手に入らない希少な昆布である。そのために、日高昆布、利尻昆布、羅臼昆布などに比べて道内でのネームバリューがやや低いのが悔しい。しかし、今でも全国の昆布の価格はこの南茅部の昆布で決まるらしい。
 
 収量が安定しない天然昆布の養殖に全国で初めて取り組んだのもこの南茅部である。昭和40年代に養殖に取り組み、事業化に成功し、現在の基幹産業として定着したのである。

○大船遺跡
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/minamikayabe/i_oohune_c1.html
○白口浜真昆布の里
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/minamikayabe/b_kanko2konbu.html