癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

今回の道内山旅を振り返る

2011年06月29日 | 登山・旅行
     
       <(6/18)今年の沢初めは、11名の仲間と一緒に旭川のオロエン川>     

 今回は、まとまった日程が取れたので、日程的に13年振りの夕張岳でのユウパリコザクラとユウバリソウとの再会を中心に組み、6/18~27の9日間、単独やHYML仲間との有意義且つ充実した道内山旅を楽しむことができた。

 (6/18)オロエン川遡行、(6/19)ピンネシリ再訪、(6/20)3度目の夕張岳と初の前岳、(6/21)滝ノ沢岳、(6/22)ゼロの山、(6/23)中天狗、(6/24)雨で休足観光移動日、(6/25)野塚岳、(6/26)ピロロ岳、(6/24)帰路・・・改めて、整理してみたら、沢遡行だけが1日、登山道のない山へ沢から登ったのが4日、登山道のある山は2日だけだった・・・。

 帰宅後の昨日から、びっしりPCの前に座りっぱなしで、HPのアップ作業に取り組んでいる。長期の山旅は、「一つの山で4度美味しい」・・・すなわち、1,情報を集めて計画を立てる→2,登る→3,その日の内に携帯から速報をブログへアップする→4,帰宅後、写真を整理し、詳細な山行記録をHPにアップする・・・このプロセスを終えて、自分にとっての下山なのである。

なお、このHP「一人歩きの北海道山紀行」は下記です
 http://sakag.web.infoseek.co.jp/index.html

 幸い、朝から夜までPCの前にびっしり座っていても、目に疲れや肩が凝ったりすることがないのが助かる。明日で、全てをアップし終えそうだ。これが終わらないと他の仕事が手に付かないので、早く終えなければ・・・。

 それにしても、単独で登った山でも、情報は山仲間からいただいているし、4日間のグループ登山は常に最年長だった。体力ではまだ迷惑を掛けないで済んでいると自負してはいるが、周りはそれなりに気を遣ってくれているようだ・・・多くの仲間に支えられて自分の山があることを改めて再認識している・・・・感謝!感謝!

 以下、印象に残った一日一枚をアップ・・・・

     
<(6/19)11年ぶりの季節とコースを変えてのピンネシリ再訪で出会ったチシマフウロの群落>
           
         
<(6/20)13年振りのユウパリコザクラとの対面・・・保護活動が実って花の株が増えていた>

     
<(6/20)初めて泊まった夕張岳ヒュッテで、HYML仲間で管理人のかわ健さんとエバさんにことのほかお世話になった> 

     
<(6/21)エバさんの同行を得て、お互いに初登頂の夕張・滝ノ沢岳山頂・・・バックは前日登った夕張岳(左)と前岳>

     
<(6/22)廃道化したコースで彷徨して辿り着いたゼロの山からかなやま湖を俯瞰する>

           
<(6/23)標高差300mの沢に詰まった雪渓を登って登頂した夕張山地北西部の秘峰・中天狗>

           
<(6/24)9名の仲間と、念願のニオベツ川から10年振りの野塚岳再訪

      
<(6/25)7名の仲間とともにピロロ岳から眺めたポン楽古岳と楽古岳(右)・・・ハードな薮漕ぎもあり、連日の疲れも溜まって珍しく疲労困憊の山だった> 

ピロロ岳

2011年06月26日 | 登山・旅行
南日高の楽古岳と広尾岳の間に聳える主稜線上の鋭峰(画像中央)。しかし、三角名は広尾岳となっている。昔はピロロヌプリと呼ばれていて、それが定着したらしい。

7名で、西広尾川の東面直登沢を登り、下りは尾根から別の沢を下った。
非常にハードな山だった。珍しく疲労困憊状態でゴール。

登り4時間50分、下り3時間

詳しくは、明日予定のの帰宅後のホームページにて。




頂上から眺めたポン楽古岳と楽古岳(右)

野塚岳

2011年06月25日 | 登山・旅行
札幌のヤマちゃんをリーダーとするHYML仲間9名で、南日高の野塚岳に頂上直下に突き上げるニオベツ川から登った7。

天馬街道の野塚トンネルの十勝側の入口の下からに入渓。開放的で標高差のある滝がたくさんあったけど、シャワークライミングも楽しみながら登ることができた。
下山は尾根を滑り転びながら下った。

登り3時間45分、下り2時間40分

あとは写真で見てください。

《追加画像》








頂上でのラーメンパーティ


夜のギョウジャニンニク入りしゃぶしゃぶパーティ

南へ転進

2011年06月24日 | 登山・旅行
26日の利尻山の再訪で打ち上げにしようと、雨が上がった中をのんびりと北上。午前中にあまり通ったことのなかった和寒町、剣淵町、士別市の探訪。

それぞれの市街地のほかに、和寒町では、塩狩峠近くにある三浦綾子の小説「塩狩峠」に因んだ本人の旧宅を利用した「塩狩峠記念館」(画像)と三笠山公園。絵本の里剣淵町では、道の駅と「絵本の館」。サフォークランド士別市では「羊と雲の丘」にある世界のめん羊30種類が飼われている「世界のめん羊館」などを訪れた。

昼に利尻の民宿やペンション数軒に電話したが、週末でもあり、どこも満室だった。もっとあちこち掛ければ見つかったかも知れないが面倒くさくなった。

そこで、先週の土曜日にオロエン川でお世話になった札幌のヤマちゃんに電話して、明日の南日高の野塚岳と明後日のピロロ岳の仲間に加えてもらうことにした。野塚岳は一度別の沢から登っているが、ピロロ岳は初めての山。

そこで、急遽Uターンして、南へ向かう。層雲峡~帯広を経由して「道の駅忠類」まで一気に約250km南下。ここの温泉も『HO』の無料パスポートが利用できるので、ここで車中泊することに・・・。この忠類(現幕別町)在住の岳友パパちゃりさんへ電話したら、タイミングが悪く宿直勤務とのこと・・・残念。


《追加画像》
1、剣淵の道の駅
2、剣淵町の「絵本の館」
3、「絵本の館」の内部。
4、士別市の「羊と雲の丘」
5、「世界のめん羊館」の中の変わった羊
なお士別市は「合宿の里」としても売出し中で、たくさんの実業団のマラソンランナーが郊外を走っていた。





中天狗(1317m)

2011年06月23日 | 登山・旅行
夕張山地の北西部に位置する鋭峰で「ちゅうてんぐ」と読むらしい。奥深くあまり人目に触れることのない秘峰。

この山を意識したのは、昨年の春に山スキーで登った御茶々岳や松らい岳から見たときだった。情報もあり、沢岸に踏み跡らしきものも見られたことからもマニアックな山ヤには知られた存在のようだ。ちょっと冒険だが、単独でもやれそうと温めていた山でもあった。

富良野市と芦別市の境界となっている尻岸馬内川からの北面直登沢がルート。この時期はその沢に雪渓がびっしりと詰まっていて、それを利用できるとのことで挑戦することにした。

沢歩きと急な雪渓登りに備えて、スパイク長靴にピッケルにヘルメットの出で立ちで、足には長靴に水が入ってもいいように沢用のネオプレーンの靴下。

天気予報から午前勝負と、3:30尻岸馬内林道ゲートをスタート。林道終点まで6kmの歩きの末に本流に入渓。北面直登沢は、標高差約600mのほぼ一定の急斜度が最後まで続く一本沢だった。

その内、雪渓は標高850~1150mの間。斜度は40度ほど?まっすぐな沢なので滑落したら止まらない。下を向くのも怖い。一度も練習もしたことのない滑落停止の方法をイメージしながら慎重に登る。ピッケルなしではとても登り下りできなかった。

1150からは、沢型が消え、灌木とピッケル頼りの急な登りが続く。這うようにして登って手を伸ばしたところに熊の糞・・・。頂上直下は、一面咲き始めたばかりの今年初めて目にしたシナノキンバイの大群落を中心に、シラネアオイ、オオバイケイソウ、ハクサンチドリなどの花畑が広がっていた。

三角点の設置された頂上は意外と広く、鹿道兼踏み跡が広がっていた。一番先に目に飛び込んできたのは、鋭く尖った夕張中岳、その手前に小天狗と呼ばれ2つのピーク。その左奥の芦別岳は頂上は雲の中だったが、北尾根と夫婦岩は見えていた(画像)。

昨年の春にこの山を眺めた御茶々岳は見えていたが、松らい岳と極楽平や布部岳は雲の中。西側の直ぐ近くには恐竜の背骨のような崕岳・・・それらの展望をおかずに手作りおにぎりの朝食。

まもなくガスが広がって来て視界が限られてきたので下山開始。上の草付き斜面も雪渓もピッケル頼りで慎重に下る。命の心配がなくなった本流に出たら一気に緊張が解けた。

林道終点から直登沢出会いまで、登り55分、下り45分。直登沢出会いから頂上まで、登り1時間55分、下り1時間05分。林道歩き、往復3時間・・・トータル、登り4時間20分、下り3時間20分。

はっきり言って、単独では厳しいかも知れないと思っていた1ピークを手に入れて大満足!昨日と同じハイランドふらのの温泉で汚れを落とし、生ビールで祝杯を挙げて、このブログを打つ。

明日は雨予報。天気の良い土か日に利尻山再訪で今回の山旅の打ち上げにする予定。これから旭川まで走って、コインランドリーで洗濯をし、道の駅に泊まる予定。
《追加画像》
1、沢の途中で頭を見せた中天狗
2、沢を覆うデブリ
3、両側に門柱のように切り立つ岩壁に挟まれた北面直登沢出会い
4、標高差300mも続く急な直登沢に詰まった雪渓
5、頂上直下のシナノキンバイの群落







6、頂上直下に咲くオオバイケイソウ
7、直ぐ西隣に聳える恐竜の背中のような崕山


ゼロの山

2011年06月22日 | 登山・旅行
最近発刊された『北海道夏山ガイド』増補改訂版に新しく掲載された南富良野町のかなやま湖畔に聳える743mの低山。

なんと言ってもその山名に興味が涌く・・・地図にも、南富良野町と富良野市の境界線上に一ノ山、二ノ山、三ノ山が並んでいる。確かに、国道にも「三の山峠」の標識がある。その一ノ山の南西に位置するかなやま湖の展望台になりそうな無名の山に登山道を作って、「0の山」と名付けたらしい。

これまで『夏山ガイド』に掲載された山は全て登ってきている者としては、早めに登らねばと思い、今回の山旅の計画に入れた。実は、行けばなんとかなるだろうと思い、肝心の夏山ガイドの立ち読みすらしていなかった。

登山口までの林道は入口近くのホテルで聞いて順調に進むことができた。入林届の箱の下に貼られている登山道の地図を見て、森林コースを登り、尾根コースを下り、林道を戻る計画でスタートし、林道跡の道を進む。

ところがその森林コースは全く手入れがされておらず、廃道はおろか踏み跡すら消えていた。鹿道や作業道跡に振り回され、あちこち徘徊した。最後の送電下から頂上までは、正規なルートらしいが、背丈もある強烈な笹薮漕ぎの末、汗だくになってなんとか到着できた。整備されていれば30分も掛からないで登れるはずだったのに、1時間も要した。

頂上は標識もなかったが、まさにかなやま湖の展望台だった(画像)。下山に利用した尾根コースはきちんと整備されていて、こちらだけが利用されているようで、わずか10分で林道に出た。そこには駐車スペースまで設けられていた。さらに10分の林道歩きでゴール。

そこに貼られている登山道地図を確認したが、その道は完全に痕跡すらなくなっている道だった。悔しいので、入林届に文句を書いたメモ用紙を貼り付けてきた。下山後、富良野市の書店で、夏山ガイドを立ち読みしたが、その森林コースが載っていた。しかし、登る前に読んでおけば、右往左往しなくて済んだかもしれない・・・。

富良野市へ出る途中に高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぼや)」のロケ地だった南富良野ね幾寅駅へ寄った。まわりにはロケに使われた建物が残り、駅舎の中は映画の記念館のようになっていた。

明日は、富良野市と芦別市の境界にある尻岸馬内林道の先の北面直登沢からの中天狗の予定。『HO』の無料パスポートが使えるふらのハイランドの温泉でまったり中。今晩はトイレがきれいだった近くの島ノ下駅前で泊まる予定。
《追加画像》
1、かなやま湖畔からゼロの山を見上げる
2、映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ地として「幌舞駅」となった幾寅駅
3、駅舎の中は、記念館となり、いろいろなものが展示されていた



6/21、滝ノ沢岳

2011年06月21日 | 登山・旅行
この山は、夕張岳山体の一番北側に位置する鋭峰で、夕張岳登山道上の望岳台と稜線で繋がっている。登山道はない。

18日のオロエン川でお世話になったヤマちゃんの記録を参考に、南西面沢ルートを、やはり夏は未踏のエバさんの同行を得て登ることができた。

ヒュッテの前の涸れ沢をスタート。直ぐに水流は現れたが、その水流に惑わされて、涸れ沢の南西面沢の700二股を見落として直進してしまう。GPSに救われて、薮を濃いで正規のルートへ移動することができた。

はっきりしないながらも踏み跡もあるし、ところどころに赤テープもあった。標高800mから頂上まで、とにかく凄い急登が続く。沢は途中の滝の前後で水流が現れて以外は涸れ沢である。1240で岩壁にぶつかり、西尾根へトラバース。距離は短かったが、周りの灌木がないと登れないほどの急登。ハイマツに古いのこ目も残っていて、昔から登られているルートのようだ。

飛び出すように狭い頂上に到着。目に飛び込んできたのが、昨日登ったことが信じられない鋭峰の前岳と夕張岳(画像)と北側に連なる芦別岳方面の山並み。

それらの展望をのんびり満喫し、下山開始。登りが急だったので、下りは速い。登りの半分でゴールしてしまった。

6:00スタート、登り2時間45分、下り1時間25分、11:00ゴール。

予定通り、夕張岳3ピークを踏破し、大満足でヒュッテを後にした。この後、この3ピークが見えるところを探して走りまわったが、諦めて日高町へ向う途中の穂別ダムの上に架かる穂別大橋の上から見ることができた。

明日は、南富良野町の金山湖畔にあるゼロの山の予定なので、日高高原荘の温泉に入り、日高道の駅で泊まることにした。
《追加画像》
1、頂上から望む芦別岳方面の山並み
2、頂上で迎えてくれたウコンウツギ


大歓待の夕張岳ヒュッテ

2011年06月21日 | 登山・旅行
ユーパリコザクラの会がボランティアで管理している築40年ほど経過している登山口近くの山小屋。現在、カンパを募って建て替えの計画が進んでいる。設計図もできていて、とりあえず来年は基礎工事が始まるとのこと。

この日の管理当番は、HYML仲間で函館出身で何度か懇親会で会っているかわ健さんと何度か山もご一緒してエバさん(画像)。ビールやジンギスカン鍋も腹一杯ご馳走になったが、びっくりしたのが、かわ健さんが中心となって手作りした五衛門風呂(追加画像)。まさか、ここで風呂に入れるとは思わなかった・・・サプライズに大感激。
すっかりお世話になったので、ユーパリコザクラの会の会員となり、心ばかりのヒュッテ建て替えのカンパをした。


6/20、夕張岳~前岳

2011年06月21日 | 登山・旅行
今回の山旅のメインは、この時期ならではのユウバリソウ(画像)やユーパリコザクラなどの固有種が咲く花の山・夕張岳の再訪と登山道のない前衛峰の前岳と滝ノ沢岳の踏破であった。夕張岳ヒュッテに泊まって、歓待を受けた上に、これらの目的を全て果たすことができた。

ヒュッテに荷物を預けて馬の背コースを登る。翌日予定の滝ノ沢岳とそのルートを眺めながら・・・。石原平の一面のシラネアオイの群落が見事。前岳には帰りに寄ることにして、先へ進む。

前岳湿原はまだ多くの雪渓に覆われていたが、最初の目当てのがま岩の先の蛇紋岩崩壊地には、ユーパリコザクラが待っていてくれた。ユーパリコザクラの会がロープを張ったりの努力が実り、これまでで最も株が多いとのこと。確かに、前回は数株しか見ることができなかった。

次の楽しみは吹き通しに咲くユウバリソウを初めとする多くの花々である。ちょうど咲き始めたばかりで、これも前回より株がずっと増えていた。このほかに、やはり固有種と言われるが日高の山でも見たことがあるナンブイヌナズナ(ユウバリナズナ)、珍しいアポイタチツボスミレ、大千軒でも目にしたミヤマアズマギク、ミヤマオダマキ、ミヤマキンバイ、エゾハクサンイチゲなどが咲いていて、しっかりと足を止められてしまった。

一番乗りの頂上でゆっくり休むが、下山時の楽しみだった前岳は、疲れて登れないと思った。しかし、取り付きの近くまで戻って、途中で一部切れているが、雪渓の詰まった東コルまで突き上げる沢と、薮漕ぎで登る急な東尾根をじっくり眺める内にモチベーションが高まってきた。実は、このルートは、ユーパリコザクラの会の岳友エバさんからいただいた情報である。

登山道からの標高差150mなので、薮の具合にもよるが、往復1時間30分もあればと予想してスタート。尾根ではハイマツ帯にもぶつかったが、40分で登頂できた。東側以外は垂直に切り立つ崖なので、尻が落ち着かない。しかし、タイミング悪くガスに覆われてしまった夕張岳が見えるまで40分も粘った。なんとかその願いがかなった。下りは、ハイマツを避けて20分で下った。

6:10、ヒュッテスタート。登り3時間40分、下り3時間30分(前岳ピストンを含むが、頂上での休憩は除く)、14:40、ヒュッテゴール。

下山後、ヒュッテ管理当番のHYML仲間の函館出身のかわ健さんとエバさんからサプライズ歓待を受けたが、項を変えて、次に記載する。
《追加画像》
1、株が増えていたユーパリコザクラ
2、ユーパリコザクラのアップ
3、ナンブイヌナズナ
4、前岳から辛うじて見えた夕張岳と前岳湿原
5、前岳から翌日登った滝ノ沢岳を望む





待根山~ピンネシリ

2011年06月19日 | 登山・旅行
ピンネシリは樺戸山系の最高峰で、頂上に、乙部岳と同じ雨雪量観測レーダー施設が設置されている端正な山容の山。アイヌ語の「男山」の意。隣の待根山は、「女山」の意のマチネシリが語源で、いわば夫婦山のような山。この2山は、2000年春に新十津川側の砂金沢コースからスキーで登っているので、今回は、反対側の当別側の一番川コースから再訪した。

登りは、ブヨにまとわりつかれて、ゆっくり休むこともできず大変だった。急な登りの木の階段も狭い上に高さも合わずにイライラさせられる。

暑寒別岳を中心とした増毛山系と明日予定の夕張岳や芦別岳などの夕張山系の展望ねらいだったのだが、朝からそれらは望み薄の天気だった。稜線に着いてもピンネシリ頂上は姿を隠したまま。しかし、隣の待根山は見えていたので、その間に晴れることを期待して、先にそちらへ寄った。

待根山から戻るときに、予測通り、上空に青空が広がり、ピンネシリの頂上も姿を現した(画像)。頂上で先に着いていた若いカップルと山談義をしながら、1時間以上も粘ったが、遠望は広がることはなかった。

しかし、稜線は期待以上の花の山だった。ハクサンチドリ、チシマフウロ、シラネアオイ、エゾノハクサンイチゲ、キジムシロなどが群落をなして咲いていていたし、タカネザクラもまだ咲いていた。

展望は諦めて、二人と一緒に下山を開始する。すると、縦走して同じ登山口へ下りれる隈根尻山と稜線が姿を見せた。二人はそちらを回って下りるとのことだったが、自分は明日以降の体力温存を考えて分岐で別れた。

7:00スタート、登り、2時間40分(待根山経由)。下り、1時間40分、12:35ゴール。

月形温泉でのんびりし、岩見沢経由で夕張市街地まで走った。今夜のねぐらは、鹿の谷駅前の公衆トイレ前の駐車場。

明日は、ユーパリコザクラとユーバリソウ狙いの夕張岳。下山途中に雪渓と薮を繋いで前岳にも登るつもり。明日の夜は夕張ヒュッテに泊まって、明後日は、ヒュッテの管理当番の岳友エバさんと、沢からやはり前衛峰の滝ノ沢岳の予定。
《追加画像》




オロエン川遡行(旭川)

2011年06月18日 | 登山・旅行
今日から10日間ほどの日程が取れたので、道内の山旅に出ることにした。

初日の今日は、何度もお世話になっている札幌のヤマちゃん(函館出身で高校の後輩)をリーダーとするオロエン川の沢登りの仲間に加えてもらった。この沢は神居古たんの南側に位置する石狩川支流の内大部川のさらに支流。初級の沢だが、なかなかの銘渓とのこと。

朝3:30に家を出て、落部から高速に乗り、明日で最後となるETC1000円割引利用で、合流場所の深川IC まで一気に走った。メンバーは札幌、小樽、北見に函館の私で男6名、女5名だが、初対面は女性の4名だけで、あとは懐かしい顔ぶればかり。

9:40入渓。全員初めての沢とのことで、お互い新鮮な感動を共有できるのがうれしい。確かに、変化に富み、滝も多いが、その人の技量次第で直登したり、高巻いたりを楽しむことができるのも良い。結構人気の沢らしく、人に踏まれた痕跡の残る岩も多く、高巻き2ヶ所にロープが設置されていた。最後まで、ロープを出て必要もなく、それぞれ技量に合ったコース採りを楽しむことができた。途中で雨に降られたが、寒くもなかった。

2時間50分で、林道にぶつかった地点でゴール。あとは、車を回しておいたゲートまで、雨の中の林道歩き。

帰路途中で、来るときに見つけておいた道路沿いの東屋で、雨を避けてのラーメンパーティ。その後、深川のイルムの湯まあぶで入浴し、みんなと別れた。
昨年の沢納めで滝から転落してむち打ちに罹って以来の今年の沢始めだったが、トラウマもなく楽しむことができたのがうれしい。

明日は、ピンネシリと待根尻山の予定なので、道の駅たきかわが今夜のどこでもホテル。
《追加画像》


第61回箱館歴史散歩の会

2011年06月17日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
        

 毎週2回開催される「箱館歴史散歩の会」(主宰・中尾仁彦氏)に参加してきた。第61回を数える今日のテーマは、「西部地区の再利用した建物と豪華な和風邸宅巡り」で、函館が最も繁栄した明治から昭和初期の店舗・銀行などを再利用した建物と函館を代表する豪華な和風邸宅を巡った。今回は100名を越える盛況ぶりだった。

 コースは、いつもの通り、函館市地域交流まちづくりセンター(このセンターも旧丸井デパートの再利用)でオリエンテーションを受けてスタートし、一部抜けているが、おおよそ下掲の写真の順に廻った。

 それぞれの建物の前では、元の建物と現在の建物の歴史についての詳しい説明をいただく。いつも感心するのは、書物などで目にする一般的な説明ではなく、史実の陰にある具体的な逸話などが、細かな年号や人名なども含めて、ノー原稿でスラスラ出てくることと、細かなことまでの情報収集力の凄さとそれを自分ものとして確かなものにしているものにしていることに、ただただ敬服の至りである。

        
         旧安田銀行(元ホテルニュー函館)              

        
         旧貯蓄銀行(現SEC)        

        
         旧百十三国立銀行(現SEC)

        
         旧金森百貨店(現ウィニングホール)と右隣が旧第一銀行(現函館文学館)
                  
        
         旧金森洋品店(現郷土資料館)
         
        
         旧日本銀行(現北方民族資料館)

        
 相馬邸(昨年公開オープンした当時の函館一の財閥だった相馬哲平の贅の限りを尽くした豪邸)

        
         石井邸(今回初公開の一般住宅だが、奥まったところにあり、初めて目にした)

<来月の予定>
○第62回 7/1 (金)「西部地区の再生「蔵」巡り
○第63回 7/15(金)「旧町名碑巡り~大黒町、台場町、旅籠町、山背泊町 

礼文華山道を歩く

2011年06月16日 | 登山・旅行
 先週行くはずだったが天候に恵まれず、延び延びになっていた念願の現在も地形図に載っている礼文華山道(昭和41年まで利用されていた旧国道)を歩いてきた。

 長万部側の入口(国道37号線の最高地点)にMTBをデポし、豊浦側の入口(森林公園手前)からスタートして、7.8kmを歩き、MTBで国道を下り、スタート地点へ戻った。

      
 上記の2冊は、平成16年に仕事の関係で、著者の三浦宏氏(道路雑学研究家・北海道開発局OB)から直接いただいていたものだが、それによると、今日歩いた明治27年に開通した旧国道以前の「礼文華山道」は、「猿留山道」「雷電山道」とともに蝦夷地の三大難所のひとつに数えられていたとのこと。

 明治になって、「札幌本道」を建設する際も、森~室蘭間を海路で繋ぐことにしたのは、この山道のあまりの峻険さに改修を諦めて見送ったことに因る。安政年間に松浦武四郎は3度、明治11年にイザベラバード女子も歩いて、それぞれの著書にこの道のことを書いている。当時の山道のほとんどは、まだ山に埋もれたままになっているらしいが、一ヶ所だけ200mほど「礼文華峠古道」として復元されていた。

 この山道の本格的な改修が始まったのは明治23年で、それから4年後に完成した。これが、今日歩いた「礼文華山道」で、昭和41年に国道37号線が別ルートで開通するまで利用された道路である。

 これらの詳しい歴史については、三浦氏の著書をPDFにして掲載されている下記でも読むことができる。 
 http://www.hokuhoku.ne.jp/rmec/05pdf/05-4041.pdf

 今日、途中で道路の草刈りをしていた地元の方の話によると、「この道路も昭和年代にだいぶ改修されている。最近、古道ブームで、小幌駅や小幌海岸とセットでこの道を歩くツアーもあるが、この道を昔の礼文華山道と勘違いしている人が多い」とのこと。

      
        豊浦側の入口・礼文華の森林公園手前・・・立て札は今年になって立てられたようだ。

      
        現在、峠から南に延びる林道の改修工事中とのことで、山道のイメージがなくなっていた・・・ちょっとガッカリ!        

      
       途中一部200mほど、昔の山道が「礼文華峠古道」として復元されていた部分があって、うれしかった

      
       その出口に「相撲取り場」というところがあったが・・・なぜ、こんなところに? 
       途中の標識はここだけで、地図にも載っている「礼文華峠」にも標識はなく、ちょっと広くなっていただけ・・・。

      
       「相撲取り場」から右手に見えた国道37号線と昆布岳と羊蹄山山頂部
 
      
 峠から南に別れる改修工事中の林道分岐を越えたら、グチャグチャの轍が2本残るだけの道になっていたが、反対側から、地元の人たちが草刈りをしていた。
 この人たちは、この山道の管理と昔の山道の探索と歴史的研究をしているグループで、詳しい話を聞かせていただいた。

      
 眼下に見える国道37号線の礼文華橋と噴火湾を挟んで見える駒ヶ岳・・・松浦武四郎は『東蝦夷日記』に駒ヶ岳の遠望の記述いくつも見られるとのこと 

      
         長万部側の入口に立つ立て札と待っていてくれたmyMTB

 この後、国道をMTBで下ったが、礼文華トンネルと礼文トンネルには1.5m程の幅の歩道があるが、怖かった。

 今日歩いたこの礼文華山道は、旧国道だったので、これまで歩いた江戸時代から明治時代の人馬だけの古道を復活した「様似山道」「猿留山道」「濃昼山道」と違って、かなり物足りなかった・・・。

 このブログをアップ後、6月初旬に歩いた岳友・低山大好きさんからコメントをいただき、森林公園から途中の「森林公園まで1600m」の標識の所までの自然観察道路も「礼文華古道」だったことが判明し、上掲の地図に記入した・・・近々歩いてみなくては・・・。

 もう少し詳しい記録は下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/rebungesando.htm (アップ完了)

 このブログを書いている最中に、来春オープン予定の「層雲峡・大雪山写真ミュージアム」の館長になる山岳写真家の市根井孝悦氏から電話が入って驚いた・・・。 
 特に用事はなく、「函館から来たと言うと、坂口さんに間違えられることが多くて、驚いている」とのこと。インターネットの威力の凄さにビックリしていること、こちらの体のこと、山のこと、ミュージアムの開館準備のことなど、諸々お喋りをした。最後に、「開館のメドが付いたら、坂口さんのHPで、ミュージアムの宣伝もしてくださいよ」とのことで終わった。 

愛用のスパイク長靴考

2011年06月15日 | 登山・旅行
         

 我が愛用のスパイク長靴・・・・最近は厳冬期を除き、山行の2/3以上は利用している登山靴?である。「日本三百名山」も、100山以上はこれで登っていると思う。

 この長靴の特徴は、多少メーカーによって違いはあるが、底に60個ほどのイボイボがあり、それに40本ほどのスパイクピンが打たれてある。イボイボとスパイクピンが滑り止めの役割をし、イボイボはクッションの役割もしている。価格は、釣具屋などでは高級でしっかりした物が売られているが、ホームセンターで売られているのは、2,000~2,500円程度で、私の愛用はもっぱらこれである。

 スパイク長靴を履きはじめた10数年前に、釣具屋で8000円のものを買ったことがある。軽くてフィット感に優れ、スパイクピンも抜けなかったが、ゴムが劣化してひびが入り、結局3年しか履けなかった。それ以来、1年に1足と決め、安いものを履き潰している。殆どのメーカーは、履いているうちにスパイクピンが抜けて来る。しかし、昨年と今年履いている、かのゴム製品で有名なオカモト(株)のGAILYという2,480円の長靴(画像)は、ピンの埋め方が他のメーカーと違い、殆ど抜けることがない。これまで履いた中で最高である。さすが、ゴム製品のオカモトならでは・・・である。ネットでも買えるようだ。

 最近、愛用者が非常に増えてきているが、我が愛用の理由(効用)と工夫を整理すると、次のようになる。

<愛用の理由(効用)>

1,滑らない
 登りも下りも確かなグリップ力を発揮する。特に、普通の登山靴では、下りで滑って尻餅を付いたりすることや濡れた木の根や木道で滑ることが多い。しかし、その恐怖心から解放され、安心して歩けるし、残雪や雪渓歩きには軽アイゼンよりも安心感がある。北アルプス三大雪渓の針ノ木雪渓歩きもバッチリだった。

2,濡れない
 雨上がり、朝露、ぬかるみ、渡渉や小さな沢ルートなどでは濡れやよごれを気にしなくて済むし、スパッツも不要なこと。濡れようが泥んこになろうが、手入れも必要ない。特に残雪期や晩秋のジメジメした登山道には欠かすことはない。春先の雪解けの頃の泥んこの登山道では、羨ましがられることが多い。

3,安い
 年間冬山を除いても80日以上の山行で、いつも登山靴を履いていたら2年ほどで買い換えなくてはならない。2年で3~4万円がパーになる。しかし、このスパ長は、酷使しても1年は持ってくれる。毎年買い換えても、2年で5,000円ほど・・・。したがって、酷使しても惜しくなく、特に薮漕ぎ登山には必須アイテムである。

<欠点と克服の工夫>

1,フィット感をアップする工夫
 確かに、登山靴よりはフィット感に乏しい。そのための工夫として、中敷きや靴下で調整し、ブカブカしないようにしている。自分はやらないが、紐やベルトで足首の所を8の字縛りをする人もいる。 

2,積雪時や残雪時の冷たさへの工夫
 雪の中を歩くときはさすがに足が冷たい。その工夫として、厚い靴下の重ね履きもいいが、最高なのは沢用のネオプレーンの靴下だ。これは全く冷たさを感じることはない。

<克服し難い欠点>

1,さすがに、真夏は足が蒸れるのが唯一の欠点だが、それでも、薮漕ぎ登山や雨上がりには欠かすことはできない。今は、内側の素材に速乾吸汗性のものを使っているのでだいぶ履きやすくなっている。

2,岩山や縦走装備のときやハードな長距離山行のときには不向きなので、お勧めできない。  

雲上のお花畑・・・大千軒岳

2011年06月13日 | 登山・旅行
       

 室蘭の岳友「室蘭ラーメン なかよし工大前店」のご主人が、お初の大千軒登山に来ることになり、知内川コースから一緒に登った。
 
 ピンポイント予報は「曇りの雨、雨は夕方から」・・・早め行動とばかりに早朝4:00に「道の駅しりうち」で待ち合わせて登山口へ向かった。数年ぶりに登山口まですんなりと車で入ることができた。

 1時間10分ほど歩いたら、雨が降ってきた・・・「約束が違う!断念は急ぐことはない、少し様子を見よう」と20分ほど雨宿りをしていたら、上がってくれた。

       
       展望は諦めていたのに、がんばれ岩の辺りまで登ったら雲海の上に出た・・・。
       
       
   一番の楽しみにしていた千軒平手前の「日本一のシラネオアイの大群落」もちょうど見頃を迎えていた。
       
       
         千軒平を彩る一面のミヤマキンバイとガスに煙る頂上 

       
       千軒平を彩る一面のエゾノハクサンイチゲの群落・・・バックは旧道コース上のピーク

       
          ガスの水滴を纏ったミヤマオダマキ  

       
       ミヤマアズマギクとミヤマキンバイとエゾノハクサンイチゲの3種競演  
       今年は、ミヤマアズマギクの多さが目に付いた。こんなに多く目にしたのは初めて・・・。 

       
         一眼レフデジカメを構えて花の撮影に夢中のなかよしさん

       
 雲海の上の花の稜線と天候に恵まれた初大千軒に、子供のような笑顔で大満足のなかよしさん・・・バックは前千軒岳

 平日にもかかわらず、我々が頂上にいる間だけでも、新道コースからは埼玉の3人、本州のご夫婦、北見の6人が登ってきた。この方々には、ぜひ千軒平までピストンするようにと勧めた。こちらの下山途中に戻ってきて、大いに感激と感謝をされた。このほかに旧道コースからは、東京からの15名ほどのツアー。知内川コースからは、小樽の女性2人と函館のご夫婦が登ってきて、結構賑やかだった。

 4:25スタート、登り~4時間15分(花の撮影タイム込み)、下り~3時間、12:25ゴール

 なかよしさんと一緒に登ったら、夕食にラーメンを食べたくなり、「かなこラーメン 野菜いっぱい愛情いっぱい味噌ラーメン」を作ってもらった。

 詳しい山行記録は下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/daisengen11.htm 

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