癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

雲海を抜けたら、好天の焼石岳

2018年07月31日 | 登山・旅行
    
 姥石平の花畑から山頂部を見上げる。
 とにかく花の多い山だった。ここの花畑に咲いている花だけで、トウゲブキ、ギボウシ、ツリガネニンジン、アキノキリンソウ、ハクサンボウフウ、ハクサンフウロなどなど。

 この焼石岳(1548m)は、奥羽山脈上の岩手県にある焼石連峰の主峰である。積雪が多く、森林限界が低いことから高山植物の多さや規模の大きさが特色の山である。

 三百名山巡りでこの山を訪れたのは、06年の紅葉の見事な10月上旬だった。 このときは、午前中にこの山を登り、午後から昨日再訪した栗駒山にも登っている。
 実は、その前年の11月上旬にも訪れているが、膝上の積雪のため、中沼で撤退している。

 前夜の内に中沼コースの登山口に入って車中泊。朝を迎えたら、ガスに包まれていた。2日続けて展望のない山は嫌だ。躊躇しながら天候回復を待つ。
 6:30、ダメなら途中で戻っても良いと意を決して、スタート。

 中沼まで登ったが、見えるはずの焼石連峰は見えず。しかし、ガスの間から陽光が指してくる。晴れることを期待して、歩を進める。

    
 中沼から焼石連峰を望む(下山時撮影)。
 
 さらに、上沼まで進むと、青空が見えてくる。もう迷うことなく前進。

    
 上沼から焼石連峰を望む。頂上は右奥のピーク(下山時撮影)

    
 トウゲブキとギボウシは、下から頂上直下まで、ずっと登山道沿いに咲いていた。

    
 冷たくて美味しい銀明水。「焼石に水」どころか、暑くて汗をたっぷり掻いたので、往復共にがぶ飲みし、元気回復。

    
 上を向いて咲くウゴアザミ?の群生

    
   大きなキイチゴに驚く。もちろん口の中へ。

    
    姥石平の上の泉水沼から山頂部を望む。

    
    ミヤマリンドウ

    
    ヒオウギアヤメ

    
    トモエシオガマ

    
 ハクサンイチゲとハクサンフウロ。北海道のエゾノハクサンイチゲは、早い時期の花なので、ハクサンフウロと一緒に咲くなどとは考えられない。

    
    山頂直下の急登
 
    
 9:40、3時間05分で、頂上到着。12年前は2時間10分で登っている。今回は途中で戻ることも考えて、初めはゆっくり歩いたとはいえ、自分でも驚く速さだ。

    
 春に函館に転勤してきたというご夫妻。(ブログアップご快諾)

 先にスタートし、先着していた北見ナンバーの車のご夫妻は、この春に函館に転勤してきた方だった。名刺を差し上げたら「新聞に連載していますよね。いつも楽しみに読んでいます」とのうれしいお言葉。まさか、このような山でお会いできるとは感激ものである。いろいろおしゃべりをして過ごす。
 1週間の休みがとれたので、一昨日は岩手山に、昨日は早池峰山に登り、明日は秋田駒ヶ岳に登るとのこと。

    
 下山するころにようやく姿を表した栗駒山。

    
 泉水沼や姥石平を見下ろす。右の山は横岳。

 気持ちのよい晴天の下て、45分も休んで、10:25、下山開始。先に下山した函館のご夫妻を追い抜いて、12:30、2時間05分でゴール。

 車で下っていくと、焼石岳温泉焼石クアパークひめかゆがあったので、そこで、のんびり過ごす。 

    

 東北も暑い。国道4号を走っている夕方なのに37℃。コンビニでアイスを買いに降りたら、熱風!  
 明日はもっと暑くなる予報とか?

展望には恵まれなかった栗駒山

2018年07月30日 | 登山・旅行
 北海道新聞みなみ風連載の「どうなん・とうほく山楽紀行」は、当初の予定では、11月末で終了予定だったが、来年の2月まで延期を依頼された。
 これまでは、東北の山は、秋田市・盛岡市・宮古市のラインより北の山をリストアップしていた。しかし、新たに2山リストアップしなくてはならなくなった。そこで、もう少し南の焼石岳と栗駒山を再取材目的で再訪することにした。

 今日は栗駒山の予定だったが、朝の内は雲で山が見えなかった。そこで、厳美渓やその近くをウロウロして、天気待ちをした。そのうちに、山が見えてきたので、前回と同じ須川温泉コースの登山口へ向かった。

⭕栗駒山(1627m)

   
 地獄谷まで登ってようやく姿を見せた栗駒山山頂

 この栗駒山は、岩手県、秋田県、宮城県の3県に跨がる山である。紅葉の美しさで有名な山でもある。前回はその紅葉の真っ盛りの時期に登っていて、その素晴らしさ以外は余り印象のない山だった。しかし、今回再訪してみて、火山地形や湿原などもなかなか魅了的な山だった。

    
 11:00、登山口の須川温泉の豊富な温泉の湧出量に驚きながらスタート。

    
 まもなく名残ヶ原を通過。しかし、目指す頂上は見えず。前回は、ここから眺めた直径斜面の紅葉が素晴らしかったのを覚えている。

    
 1944年の水蒸気爆発で生まれたエメラルドグリーンの昭和湖。自分と同じ年齢である。

    
 下の名残ヶ原ではすでに終わっていたキンコウカ

 稜線に出た所が天狗平たが、ガスで何も見えなかった。

    
 最も大倉目についたノリウツギ

    
 天狗平から少し登った所で一瞬ガスが晴れて、頂上方向が見えた。

    
 12:35、1時間35分で、小学校の遠足の子供たちが休んでいる頂上に到着。宮城県側の中央コースを登って来たそうだ。
 あいにく、ガスに巻かれて展望はまったくなかった。

    
 13:00、下山は、登りて追い越した方と、周回できる産沼コースを下りることにした。しかし、登り始めてすぐに後悔した。両側から被さるササが凄い。

    
 一瞬ガスが晴れて見えた下山時唯一の展望。

    
 唯一のチャームポイント、コースの由来となっている産沼。

    
 ヨツバヒヨドリに群がるアサギマタラ。この蝶はこの花が好きなようだ。富士山の村山古道のこの花にもたくさん群がっていた。

 産沼コースは、名残ヶ原の上で合流するが、本当につまらないコースだった。同じ須川コースを往復した方が良かったと思ったが、後の祭り。

    
 14:45、登りより時間が掛かり、1時間45分で、須川高原温泉に到着。

    
 本館と離れたところに露天風呂もあったが、アブが凄いとのことで、旅館の風呂の方に入った。湯量が豊富なこともあり、大きな湯船だった。露天風呂も旅館の風呂も600円。

⭕天気待ちで見た所(写真のみ)

       厳美渓
     

      

    
 ハグロトンボ(神様トンボ)


     達谷窟(たっこくのいわや)
    
 
    

        
 

さらに、岩手まで北上

2018年07月29日 | 登山・旅行
 明日はできれば、栗駒山に登りたかった。登山口までカーナビを入れたら、330km。途中何ヵ所か寄り、栗駒山への入口となる、一関市の「道の駅厳美渓」まで走った。すぐ近くのかんぽの宿の温泉に入り、ブログを打った。

⭕那須トラピスト修道院

     
 国道4号を走っていたら、看板が目についたので寄ってみた。湯の川や当別のような厳格な建物を期待したが、そうでもなかった。

  1954年に兵庫県西宮の聖母修道院(女子)から創立されたようだ。日本におけるトラピストは、すでに1896年北海道の当別に灯台の聖母修道院(男子)が、1898年には函館に天使の聖母修道院(女子)がそれぞれフランスから創立されている。
 西宮の聖母修道院は1935年に函館の天使の聖母修道院から創立されているのて、言うなれば、湯の川のトラピスチヌ修道院の孫みたいなもの?

    
 ここも自給自足の生活をしているようで、水田まであった。「トラピストガレット」というお菓子も製造して販売しているようだ。

    
 高い車道から建物全体を見下ろす。

⭕白河の関

    
 鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、奈良時代から平安時代にかけて機能していた奥州三古関の一つに数えられる関所である。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として史上名高い。

    
 関所の建物はなく、白河神社が祀られている。

    
 土塁や空堀などの遺構は昔のまま残っている。

    
 芭蕉と曽良の銅像が建っている。白河は奥州街道の終点て、奥の細道のみちのくの入口でもあったようだが、その頃はすでに関所はなかったようだ。

⭕小峰城址(白河)

    
 東北では石垣が多い城として有名らしい。ここも、戊辰戦争で戦場になり、旧幕府軍が破れて、城は焼失しているが、三重櫓だけは復元されている。

⭕白河だるま
    
 今から約300年前、時の白河城主、松平定信楽翁公が、城下の繁栄をはかつて「だるま」の技術を習得させ、旧正月14日を縁日として、大手門前に「だるま市」を張らせたのが始まりと言い伝えられている。

⭕二本松城址(二本松市)

    
 日本100名城に選ばれている。ここも戊辰戦争で焼失しているが、「霞ヶ城公園」として整備され、箕輪門と附櫓だけは再建されている。
 前に立つ群像は、会津若松の「白虎隊」と同じように、戊辰戦争で敗れた13歳から17歳までの「二本松少年隊」。

 このときに自害した殿様は丹羽氏だった。旧北檜山町丹羽地区を開拓したのは会津藩なので、地名はこの殿様に由来はするのではないだろうか?

    
 典型的な山城で、本丸があったところまでは20分も登り、汗をたっぷり掻かされた。

    
 本丸があった頂上から二本松市街地を見下ろす。安達太良山は雲の中だった。

⭕智恵子の生家(二本松市)

    
 高村光太郎の「智恵子抄」で有名な妻の智恵子の生家。

    
 裏には智恵子記念館が建てられている。

 ここを見終わったら、昼になったので、あとは、どこにも寄らないで走った。しかし、福島市や仙台市を抜けるときには渋滞になり、予想以上に時間が掛かった。

台風から逃れて北上

2018年07月28日 | 登山・旅行
 夜の涼しさを求めて夜を明かした山梨県の「道の駅朝霧高原」で雨の朝を迎える。
 昨夜、この道の駅からシルエットになって、くっきりとした富士山が見えていた。これが4日間で下から見えた最初で最後の富士山だった。

 東海地方にまともに上陸するという台風12号から逃れて、ひたすら北上した。
 国道20号~国道16号~国道4号と繋ぎ、栃木県那須塩原市の「道の駅にしなすの」まで走った。雨は、栃木県内が最も強かった。

 初めて走った国道20号は甲州街道なので、街道沿いの名所や旧宿場町の雰囲気を残す所に寄った。また、同じく初めて走った国道6号では、八王子や武蔵野を通り、横田基地も目にした。また、かねてから観たいと思っていた川越市の蔵造りの街並みを散策することができた。

⭕猿橋

    
 桂川の深く美しい渓谷に架かる名勝猿橋。「錦帯橋」「木曾の桟」とともに日本三奇橋に選ばれ、長さ31m、幅3.3m、高さ31m。橋脚を使わず両岸から張り出した四層のはね木によって支えられている。

    
 このように深い断崖絶壁の川ゆえに、このような工法で造られたようだ。
 猿橋の架橋の始期については、「昔、推古帝の頃(600年頃)百済の人、志羅呼。この所に至り猿王の藤蔓をよじ、断崖を渡るを見て橋を造る」という伝説がある。なお、この橋は旧甲州街道の橋である。

⭕甲州街道の宿場の面影

    
 国道沿いに建ち並ぶ上烏沢宿の古民家

    
 上野原宿の名物酒まんじゅう。立て続けに4軒もあったので寄ってみた。ここだけで現在10軒もの酒まんじゅう屋があるそうだ。

    
 こちらのイメージよりかなり大きい酒まんじゅう。直径10cmほど。1個85円。
 このあとの甲州街道の宿場町にも、多くの酒まんじゅう屋があったところを見ると、甲州街道の名物でもあるらしい。

    
 旧藤野町立郷土資料館「吉野宿ふじや」。明治29年の大火後すぐに再建された旅籠屋「藤屋」を活用している。

    
 桑の葉を食べる蚕。この地域は、昔は養蚕と木炭作りが中心だったとのこと。たまたま昔の産業展が開催されていて、それに合わせて公開しているようだ。

    
 向かいに残る明治29年の大火で焼け残った蔵。この左には、大火で焼けてしまったが、木造五層楼の吉野宿本陣があったという。

    
    初めて目にしたナツメの実

    
    現存する江戸時代後期の小原宿本陣

⭕川越市蔵造りの街並み

    
 蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達したもの。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめている。川越商人の心意気が感じられる。
 平成11年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、平成19年には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されている。
 ちょうど今日と明日は「川越万灯会祭り」で、きれいな提灯が飾られていて、観光客で賑わっていた。

    

    

    

     

田子ノ浦~村山古道~富士山(3日目)

2018年07月27日 | 登山・旅行
    
 4:10、日の出前の「日本最高峰富士山剣ヶ峰」に到着。

 2時に山小屋を出て、ヘッドランプを点けて、ご来光狙いで頂上の剣ヶ峰を目指す。
 非常に風が強く、気温もかなり低い。持参した衣類をほとんど着込み、カッパの上も着た。頂上に着いた頃には、2℃だったらしいが、風が強かったので、体感気温は-4℃くらいはあった感じだ。

 日本一の山からのご来光を観賞したあとの下山は、御殿場コースを下り、途中から、富士山のえくぼとかあばたなどと呼ばれている一番新しい寄生火山の宝永山と宝永火口に寄って、登りの富士宮コースの新6合目に合流。

 5合目駐車場まで下りて、バスで富士駅まで乗り、JRに乗り換えて吉原駅へ。歩いて車を置かせてもらっていた富士塚まで戻った。
 
 日本一の富士の山に海抜ゼロから登ることは数年前から温めてきた計画だった。おまけに、古道歩きの楽しみも付加され、所期の目標を達成できた。
 下からの富士山を目にすることは叶わなかったことは心残りだが、上の方は天気が良くて、考えていなかったご来光登山もできて、十分満足である。

    
    ご来光狙いの登山者の光の列

    
 富士宮コースの上に着いたら、空が赤くなっていた。

    
 日本三百名山完登以来、8年振りの剣ヶ峰に到着。
 海抜ゼロの田子ノ浦を出発し、村山古道歩きも楽しんで、合計17時間40分での登頂だった。

    
 寒さを我慢して待つこと30分、ようやく雲海の上にご来光が姿を現した。

    
 5:00、戻る途中、雲海をスクリーンとした影富士も見ることができた。

    
 富士宮コース山頂から、朝日に輝く剣ヶ峰とその下の噴火口を眺める。

    
 富士宮コース山頂に建つ富士山浅間神社奥之宮

    
    朝日に輝く雲海。
 下りは、宝永山に寄りたかったので、御殿場コースを下った。

    
    下山専用の御殿場コースの砂走

    
 御殿場コース宝永山分岐から宝永山を眺める。

    
 宝永山山頂から富士山の山頂部を見上げる。

    
 宝永山の下りから第1火口と富士宮コースへの合流コースを見下ろす。

 村山古道古道の出口だった新6合目で合流し、5合目駐車場へ下った。

    
 途中から雲海の上に、南アルプスの山並みが見えた。

    
 8:10、標高2400mの5合目駐車場に到着。9:00発のバスで富士駅まで乗り、JRに乗り換えて、吉原駅へ。
 車を置かせてもらっていた鈴川の富士塚へ。
 お世話になった海野さんにお土産を渡したら、凍らせたお茶と缶コーヒーにお茶葉までいただいて、恐縮した。

 富士宮焼そばが食べたくて、検索したら、「富士市で一番美味しい富士宮焼そばさくら」が見つかった。昼時なので非常に混んでいた。

    
 ミックスの大盛りにデザート付きで750円。噂に違わず、麺の腰も強く、非常に美味しかった。

 このあと、富士登山者特別割引券で富士宮市の富嶽温泉花の湯へ。
 外は相変わらず猛暑日の暑さだったので、夜までのんびりすることにした。

 明日は急に生まれた感じの台風12号が直撃するらしい。こちらにいる内に高尾山にも登りたい。あすは、台風の中、のんびりと移動日となるだろう。

⭕富士山(主に村山古道)で目にした花。
 6合目より上の火山地形に咲く花の種類は限られているが、主に村山古道の上の方では多くの花を目にした。
 ほぼ、標高の低い方から順にアップ

    
    タマアジサイ

    
    バイケイソウ

    
    コウモリソウ

    
 アキノキリンソウとヨツバヒヨドリ

    
    ハクサンシャジン

    
    ヤマホタルブクロ

    
    コバノイチヤクソウ

    
    クルマユリ

    
    イワオウギ

    
イワオウギと似た青い花もあった。

    
    ミヤマオトコヨモギ

    
左からミヤマオトコヨモギ、イワツメクサ、オンタデ

    
 メイゲツソウ(ベニイタドリ)

田子ノ浦~村山古道~富士山(2日目)

2018年07月26日 | 登山・旅行
    
    今日の宿、富士宮コース8合目の池田館

 夜中は雨が降り続いていたが、スタート時の5:00には上がってくれた。
 ずっと霧雨が降ったり止んだりを繰り返したが、雨具を着ることはなかった。お陰で、暑くもなく、あまり汗を掻くことはなかった。

 村山古道を抜けて、15:00をメドに登れるところまで登るつもりでスタート。

 11:50、村山古道を抜けて、標高3010mの富士宮ルートの新6合目で登山道に合流した。その上は、晴れていてたが暑くはなかった。
 
 14:30に到着した8合目の池田館を今日のゴールとした。標高3250mなので、今日の獲得標高は2750mである。登山道へ合流してからの登りが、疲れた体には辛かった。それでも、コースタイムより速かった。

    
 村山浅間神社の横に村山道の入口があり、石畳の道となっていた。すぐに車道歩きとなったが、再び石畳の道が少し続いた。その後、しばらくは舗装の林道が続いた。

    
 未舗装の林道に入り、いよいよ登山モードとなる。
 標識や赤布やピンクテープが充実していて、迷う心配は全くなかった。

    
    杉や桧の人工林の中を進む。1000年以上続いた古道なので、深く掘れているところが多かった。

    
 6:25、820m、修験最初の遺跡、大ケヤキの札打場跡。古道が復活してからのものと思われる多くのお札が納められていた。

    
 7:30、富士山麓山のむら(休憩)。そばに
大きな建物があり、学生が歩いていた。村山古道で人を見かけたのはここだけ。
 右奥の橋の架かる日沢が富士市と富士宮市の境界で、ずっと上までこの日沢に絡んで古道が続いている。

    
 読み取れない石碑。新しいお札が納められていた。。これも古道が復活して参拝者が来れるようになったのだろう。

    
 8:20、1270m、中宮八幡堂到着。ここは、かつて馬返しの場所で役人が常駐していたという。女人禁制の山だったので、近くに女人堂もあったそうだ。
 馬返しがあるということは、このあと、斜度がきつくなるはず。なお、その横に続く踏み跡を進んだら、だんだん不明瞭になる。戻ったら、八幡宮の下に、日沢を横切って反対側に渡る所があった。

    
 溶岩剥き出しの日沢。この辺りから傾斜が徐々に急になってくる。

    
 11:05、2180m、高度を上げて行くと、植生はシラビソとツゲが中心となり、所々にはこのような倒木の海がある。開削するのが大変だったろう。

    
 2200m付近に広がる花畑。この辺りから花が多くなる。(花はまとめて、明日アップ予定)

     
 林を抜けたと思ったら、ガスが取れ、目の前に山肌が現れた。いよいよ村山古道も終わりである。

      
 11:50、2500m、新6合目の雲海荘と宝永山荘。ここまで、6時間弱で2000m登ったことにことになる。ここで、村山古道は終わりである。

    
 雲海山荘で、汁ものが食べたくて、天ぷらそばを食べる。
 そのあと、15時までには着けるだろうと、8合目の池田館に予約の電話を入れた。

    
 いよいよ富士宮コースの登りである。村山古道では誰にも会わなかったが、ここは嫌というほどの登山者がいる。

    
 はるか頭上に今日のゴール池田館が見える。

 疲れた体に、足場の悪い急傾斜の登りは非常に堪える。休み休み登っていく。

    
 14:30、3250mの8合目、池田館に到着。夕食のみで6500円。缶ビールは350mlが700円だった。数年前の朝日連峰以来だった。

    
 部屋は、いくつの区切りのある上下2壇の造りになっている。

    
 寝床は、2畳間を少し長くしたような部屋で、寝袋が3人分。結局、満員だったようで、夫婦連れと一緒だった。

    
 小屋の前から、明日下りで通る予定の宝永山と宝永火口が見えた。

    
 富士山の山小屋は水がなく、下から運ぶので、手の掛かる料理はできないので、夕食はどこもカレーと聞いていたが、本当にそうだった。
 寒かったので、一人一杯だけだったが、温かいお茶が美味しかった。

 早い夕食後、すぐに寝袋に入ったが、下が薄いマット1枚で固くて、なかなか寝付けなかった。その内に寒くなったので、持参した衣類をすべて着込んだ。

 明日は、天気が良さそうなので、2時過ぎに出てご来光を仰いで下山するつもり。

3日目(8合目~頂上(ご来光)~宝永山~下山)へ

田子ノ浦~村山古道~富士山〈1日目〉

2018年07月25日 | 登山・旅行
     

 富士山を再訪するときは、海抜ゼロからの登頂と決めていた。そのことを札幌の元同職の田舎おじさんに話したら、『村山古道を歩く』という本をいただいた。

 この「村山古道」というのは、平安時代末期に修験者の登山道として開かれ、1000年以上にわたり隆盛を誇りながら、明治に入り廃仏穀釈と登山道の 付け替えに伴い廃れた村山口登山道が、2004年夏に、2年間に及ぶ過酷な発掘・再開作業の末、約100年の時を経て甦った古道である。田子の浦近くの富士塚からスタートした昔の信仰登山のコースである。 
 その本をいただいた時から、この古道を辿ってみようと考えていた。古道・旧道歩きの趣味と登山の趣味を一緒に叶えることができる楽しみがある。

 今回の計画は、下記である。
1日目 田子の浦~(村山道)~村山浅間神社~村山ジャンボ(泊)
2日目 村山ジャンボ~村山浅間神社~(村山古道)~※登れるところまで登って、山小屋泊
3日目 山小屋~富士山(剣ヶ峰)~宝永山~富士宮5合目~(バス移動)~田子の浦(車回収)

 昨夕にお会いした富士塚の管理人の海野さんに、無理矢理お願いして、車を富士塚の駐車場に3日間置かせていただくことにした。

 今日と明日の村山道及び村山古道のコースの手がかりは、実際に歩いた人のGPSトラックログの地図とヤマップにダウンロードした現在地の分かるコース図である。

 富士塚から近い海岸は、テトラポットと護岸で波打ち際まで下りることはできない。仕方ないので、それが切れる砂浜まで1kmほど歩いた。とにかく暑い。朝から30℃は超えているようで、湿気も多い。汗がだらだら流れる。
 おまけに、生憎、富士山は姿を隠したままでどこにあるのかさえ分からない。
 
    
 まさに海抜ゼロの田子ノ浦の波打ち際まで下りる。
 富士塚と山頂に供える手頃な大きさの平たい石を2個拾い、波で浄める。

     
 6:30、波で靴を濡らして、見えない富士山を目指してスタート。

    
 ラジオ体操していた海野さんが見送りに来てくださったので、シャッターを押していただいた。
 富士山が見えると、ちょうど富士塚と親子富士のように重なって見えるらしい。残念だが、これだけはどうにもならない。

    
 東海道本線を跨ぐ踏み切りから東海通に合流する。ここは、去年の東海通歩き旅で歩いたところだ。

    
 この吉原宿の手前は、珍しく富士山が左手に見える名勝てある。この神社は左富士神社。東海道歩き旅の時のブログにも載せてある。

    
 一番の繁華街の昔の吉原宿の中心地を通る。
 このあと、村山道への分岐を見落として、500mほど先に進んでしまった。

    
 戻った分岐には、「村山道起点」と書かれていた。
 ちなみに、昔から使われ続けている村山浅間神社までの道は昔から「村山道」で、最近復活された村山浅間神社から富士宮6合目までの村山道を「村山古道」という。

    
 そのすぐ先で村山道と、富士市で力を入れているやはり富士塚から山頂を目指す別コースの「登山ルート3776」のコースと別れる。
   
 3時間ほど歩いたところで、間違って少し進んだ所にコンビニあった。アイスを買い、クーラーの効いた店内で食べさせてもらった。

 今日の宿は、夕食が出せないという。この先にはコンビニはないらしい。夕食の弁当はこの暑さでは悪くなる。仕方ないので、持参してきた物のほかに適当に見繕って買い足した。 

    
 今日のコースには現存する昔の道しるべが7基ある。その1つ目「道しるべ(道畑)」。そばに立っている新しい標識には、次の道しるべまでの距離が書かれている。

    
    2つ目の「道しるべ(横山)」

    
    道端に積まれている畑から出た噴石

    
 3つ目の「道しるべ(大峰)」  
 道しるべの上の山の形を3つの峰のように書くのは、室町時代から始まったそうだ。左から薬師如来、阿弥陀如来、大日如来の3神が鎮座することを表しているという。

    
 茶畑の新芽摘み、新芽は摘んで捨てるようだ。右の色の濃いところが摘まれたあと。

    
 4つ目の「道しるべ(石のノ前)」

    
    初めて目にした銀杏畑


    銀杏がたわわになっている

     
 5つ目の「道しるべ(覆盆子平)」 このあとに復元された道しるべが1基あった。

 そのあと、富士宮市に入る。
     
 6つ目の「道しるべ(栗倉)」 富士宮市に入ると、新しい説明の標識はなくなる。

     
 富士宮市の分岐には、新しい道しるべがこまめに設置されている。

     
     道端に咲く大きなヤマユリ

     
 畑のコンクリート壁に埋められている、7つ目の「道しるべ(横沢)」


 東見附跡。山の管理をするための見張り所跡。

    
 12:30、ちょうど6時間で、今日のゴール・村山浅間神社に到着。

    
    ご神木の杉の巨木

 ここは、3年前の「ぐるり富士山トレイル」の2日目に向かいの山本商店でパンを買って、昼食タイムにしたところだが、その山本商店はなくなっていた。

 距離は間違って余計に歩いたところも含めて21.3kmだった。しかし、稼いだ高度はわずか500m。今日は、旧道歩き旅を楽しんだ感じで、登山は明日からである。それにしても、富士山の富の字も見えない中の歩きは明日も続くようだ。台風の心配も出てきた。

    
 すぐそばの村山ジャンボに到着。着いた途端に雨が降ってきた。実に絶妙なタイミングだった。しかし、1時間もしない内に止み、太陽が顔を出した。

 この村山ジャンボは個人経営のスポーツ合宿所である。今日は合宿のお客さんがいないので、食事が出せないという。素泊まりで5400円。

    
 広い敷地に多くの建物があり、案内された部屋は、小さなアパートのような建物の1室だった。クーラーが壊れているので扇風機で我慢してほしいとこのと。パンツ1丁になってブログを打った。それでも、夕方にはなったら結構涼しくなった。

 暑いのでかなりゆっくり歩いた積もりだったが、速いと驚かれた。
 それにしても暑かった。歩きでこれほど汗を書いたのも珍しい。ポカリスエット2本と、途中の水道蛇口でがぶ飲みもした。 

 台風直撃の恐れも出てきたので、明日は、夜明けと共に出発し、村山古道を抜け、新6合目から上がれるところまで上がり、山小屋に泊まる予定。

2日目(村山浅間神社~富士の宮コース8合目)

田子ノ浦まで移動

2018年07月24日 | 登山・旅行
    
〈田子ノ浦みなと公園からガスに覆われた富士山を眺める。両側に裾野のラインが微かに見える〉

 新穂高温泉をあとにして、明日からトライする「海抜ゼロの田子ノ浦から村山古道を辿っての富士登山」のスタート地点となる富士市の田子ノ浦まで、一般道路を途中休み休み走った。

 これで7回目となった北アルプスだが、これで最後になるであろう。来る度に登山者の多さと数百台は入る駐車場がいつも満杯なこと、年々若い人が多くなり、年代的な片寄りが無くなっていることに驚く。やはり、国内の登山の一番人気の魅力的な山域であることを改めて実感した。

    
    途中で眺めた諏訪湖

    
 諏訪大社春宮。諏訪大社は本宮のほかに、春宮、秋宮、前宮の4社がある。これまでの山行と中山道歩きと、今回で全て参拝したことになる。

    
 道の駅白州から甲斐駒ヶ岳を見上げる。

    
 本日国内で最高気温を記録した甲府での車の外気温計。この、表示は実際の気温より高くなっていると思われる。

    
 富士五湖の中で最も地味な?精進湖

    
    観光化されている富士五湖の本栖湖

    
 15:30、田子ノ浦みなと公園から、明日スタートする海抜0mの海岸を眺める。

    
 鈴川の富士塚。天気が良ければこの後ろに富士山が見えるらしい。
 ここは、昔の富士参拝登山の前に身の汚れを払う場であったらしい。海岸で水垢離をし、浜から玉石を持ってきて砂山に積み上げ、登山の安全を祈願したと伝えられている。身を清めた登拝者は、ここを起点として、東海道の吉原宿から村山浅間神社を経る村山古道を通り富士山頂を目指したという。

 たまたま、ここを管理している方にお会いして、いろいろ詳しいことを聞くことができた。
 現在の富士塚は、昭和51年に復元されたもので、昨年上の部分が平らに削られたそうだ。
 「明日もし玉石が拾えなかったら、自分が拾ってきて清めてある玉石が、階段の下の箱に入れてあるので、それを使ってください」とのこと。

 明日は、このそばの駐車場に車を3日間置かせてもらい、まず、海岸へ下りて、海水に触り、富士塚と山頂に供える玉石2個を拾って、ここにお参りして、1日目のゴールとなる村山浅間神社を目指すつもりだ。

 近くに道の駅はあるが、夕方でも32℃もある。とても車中泊は無理である。富士市内で、じゃらんのポイント利用で3000円で泊まれるビジネスホテルを見つけて、そこに泊まることにした。

縦走計画断念し、ガス中の西穂独標まで

2018年07月23日 | 登山・旅行
 朝起きたらすぐにでも出発できるように準備万端整えて7時過ぎには就寝態勢に入った。
 しかし、白馬三山に入る前夜と同じく、ネガティブなことばかり頭をよぎって一睡もできなかった。ポジティブが取り柄の自分には珍しいことだし、こんなことは、初めての経験である。
 テント泊を止めて、小屋泊なら良いのかとも考えてみたが、そういう問題でもなさそうだ。

 今回のこの北アルプス山行は、計画は楽しく立てたが、家を出る前から今ひとつ乗り気になれなかった。ここへ来て、眠れないほどナーバスになるということは、「やめろ!」ということなのかも知れない。認めたくないが、74歳という年齢のせいなのだろうか?
 そろそろ年齢相応の登山スタイルへの変更を検討する時期なのかもしれない。

 このブログのアクセスがここ3日間なぜか異常に増えている。普段の2~3倍である。トラブルでなければ、それだけ楽しみにしてくださっていた方が多くいるということなのかもしれない。その方々には非常に申し訳ないが、とりあえず、北アルプスの縦走計画は、「白馬三山から栂海新道」も含めて断念することにした。

 槍ヶ岳の再訪と高天原温泉は、何がなんでもというわけではない。天候に恵まれた一立山と蝶ヶ岳からの眺望で十分満足である。思い残すことはない。

 今回の残りの、田子ノ浦から村山古道を辿っての富士山登山の計画は、とりあえず、向こうへ行ってみて、ナーバスな気分にならなければトライしてみたい。

⭕ガス中の西穂独標(2701m)

     
 かと言ってオメオメと退散するのも悔しい。どこか日帰りで簡単に登れるところはないかと調べてみたら、ロープウェイを利用すれば、西穂高岳までは可能である。しかし、西穂は、スリリングで慎重を期する10峰もの鋭い岩峰を越えなくてはならない。一睡もしていない体にはきつそうだ。そこで、一般登山者が引き返す西穂独標まで行ってみようと思った。

    
 スタート時には、きれいに晴れ渡り、笠ヶ岳や抜戸岳など、10年前に縦走6日目に歩いた稜線がくっきりと見えていた。笠ヶ岳のテン場に泊り翌日1週間振りにここに下りてきたのが懐かしい。当時は、今回のような不安は微塵もなかった。

    
 始発の8:30の新穂高ロープウェイに乗った。このロープウェイ、日本一が2つある。唯一の2階建てで、高度差1013mの2点である。
 往復で2900円のところ、JAF会員割引で2600円。

    
 9:10、山頂駅から登山口にでた。笠ヶ岳~槍ヶ岳~西穂高岳までの稜線が見えるはずだが、残念ながら雲が絡んでいる。敗残兵には山は微笑んでくれなかった。

    
    キヌガサソウの群生
    
    
 一瞬だけ姿を現してくれた西穂高岳(左奥)。独標は右のピークか?

    
 1時間弱で西穂高山荘へ到着。この辺りから、すっかりガスに覆われ展望はなくなる。

    
 山荘の前の斜面に咲くトウゲブキとマルバタケブキ

    
 すでにトリカブトが咲いている。
  
    
 途中の丸山から微かに姿を見せた西穂独標。しかし、山頂の岩峰は見えていない。

    
 登山道の真ん中に咲くトウヤクリンドウ

    
 手前の岩峰からガス中の頂上岩峰を見上げる。急な岩斜面を4つん這いになって登る。

    
    岩が積み重なった頂上。展望はなし。

    
 眼下に、上高地の梓川、さらには、手前に前穂高岳から下山したことのある岳沢コースの川も見える。

    
 30分ほどで粘って、ようやく微かに鋭い岩峰の重なりを現した、西穂高岳へ続く岩稜。
 ここから、先へ進む人や登ってくる人のほとんどはヘルメットを着用している。天気が良くて、体調も良ければ、ハラハラしながらでも行ってみたかった。

 下山時も、ガスは晴れることなく、周りの展望には恵まれなかった。

    
 ロープウェイ山頂駅から頂上を雲に覆われた北アルプス唯一の活火山・焼岳が見えた。この山は2回登っている。

 ロープウェイ山頂駅から、登り2時間05分、下り1時間30分。山麓駅到着14:15。

 上は寒いくらいだったのに、下は標高1000mを超えているが、上空が晴れているので、非常に暑かった。

 車まで戻り、着替えて、奥飛騨の湯へ。クーラーの効いた休憩室でブログを打つ。このあと、夜は涼しい昨夜の同じ駐車場に泊り、明日以降の計画を練ることにする。 

休息日・安曇野観光ほか

2018年07月22日 | 登山・旅行
 今日は、明日からの5日間縦走登山に備えて、休息日とし、安曇野観光ほかに時間を費やした。気温37℃もあり、外を歩くときは、山に登っているときより汗をかいた。山の方がずっと涼しい。

    
 まずは、安曇野と北アルプス展望台として有名な長峰山へ。しかし、北アルプスの稜線の手前にはずっと雲が懸かっていて、肝心の山は見えなかった。

     
 その下にある龍門淵へ。犀川の屈曲点にある岩が龍門で、急流となっている。
 ここの龍門淵公園のあやめ園が有名らしいが、すでに季節は終わっている。

     
 前にも来ているが、大王わさび園へ。谷地形に沿って湧水を利用したわさび畑がみごと。

     
     日除けの下を覗く。

     
 奥宮が奥穂高岳の山頂にある穂高神社。自分の奥穂高岳の頂上写真は、その奥宮をバックに撮っている。
 何となく山の神様という感じだが、安曇野を拓いた北九州の海神族の末裔である安曇一族の祖神である。したがって、お祭りも御船祭といって、山車も船が中心である。

     
 すぐそばに、安曇野では有名な手打ちそばの一休庵があったので、昼食とした。
 なごり雪というネーミングのぶっかけそばを食べた。かけた汁がしょっぱくて、そばの味がよく分からなかった。単純に安いもりそばを食べればよかった。

 やはり、そばにあったコインランドリーで洗濯をした。

    
 広大な敷地の国営アルプスあづみの公園へ行ったが、暑くて、歩き回る気にはならなかった。

 安曇野観光は切り上げて、明日の入山口となる。新穂高温泉を目指した。

    
 安曇野には道祖神が非常に多い。道路のあちこちで目にする。

    
 走っている最中に、車の外気温度計が40℃を記録。停まって降りて、初体験の温度を体感。

    
 16:00、新穂高温泉の登山者用無料駐車場に到着。
 まずは、明日からの装備のパッキングに取り組んだ。

⭕明日からの4泊5日の縦走計画

7/23
新穂高温泉~(小池新道)~双六小屋〈テント泊〉

7/24
双六小屋~高天原山荘〈小屋泊〉

7/25
高天原山荘~双六小屋〈テント泊〉

7/26
双六小屋~槍ヶ岳~槍平小屋〈テント泊〉

7/27
鏡平小屋~新穂高温泉

蝶ヶ岳(2677m)日帰りピストン

2018年07月21日 | 登山・旅行
    
 蝶ヶ岳山頂ビューポイントで、穂高連峰と槍ヶ岳をバックに

 この蝶ヶ岳は、梓川を挟んで聳える穂高連峰と槍ヶ岳の展望台として、人気の山である。
 今回この山を選んだのも、それが目的だった。多分今回が最後の北アルプス山行となるだろうと、この目に焼き付けておきたかった。
 これ以上はないと思われる好天に恵まれて、みごとに目標が達成できた。

 当初の計画では、ここから大天井岳まで縦走し、さらに東鎌尾根から槍ヶ岳に登るつもりだった。しかし、そこまでの3日間とその後の連続するテント泊縦走に体力的に自信が持てなかったことと、常念岳から大天井岳までの間はすでに歩いていたこともあり、とりあえず、蝶ヶ岳は日帰りピストンとなった。

 昨日もそうだったが、北アルプスは昼近くなると雲が湧いてきて、展望が遮られらることが多い。そこで、ヘッドランプの不要になる4:30にスタート。

 本来の実質的な登山口となる駐車場は、その手前の道路が決壊していて、1kmほど手前に臨時駐車場が用意されていた。

    
 10分ほどで、本来の駐車場に到着。正面に蝶槍が見えている。その左の陰になって辺りが、蝶ヶ岳である。

 さらに、林道を800m歩くと、常念岳へのコースとの分岐のなる三股に到着。

     
 30分ほど登ると、「ゴジラのような木」があった。
 過去にウェブサイトで見たことがあるが、ここにあったことが判明。

     
 高度を上げていくと、右手に常念岳とその右の前常念岳が見えてくる。このあとも、ずっと見えていた。

     
 1900~2100m付近は、平坦な薄暗い針葉樹林が続く。林床はシダやコケ類に覆われている。

     
 その中に、可愛いシダのような葉を見つける。しかし、白い花や実を付けている。シダは花を咲かせないはずなので、シダの仲間ではない。下りてくる人たちに聞いたが誰も判らなかった。
※コメントで教えていただきました。オサバグサとのこと。ありがとうございました。

 2500mを超えても樹林帯だが、花が多くなる。
    
     
     ハクサンフウロ

     
     クルマユリ
 このほかに、カラマツソウ、ハクサンボウフウ、クサギギク、シナノキンバイ、オトギリソウ、エゾシオガマ、オオサクラソウなどなど

     
 2600mを超えて、ようやく森林限界となり、小規模な花畑が出現。

     
 花畑の中のアオノツガザクラ、コイワカガミ、ミツバオウレン

     
 キンポウゲロードを抜ける。

     
 稜線に出ると、蝶ヶ岳ヒュッテが飛び込んできた。

     
 まずは、その左側にある頂上へ。南側の後ろには、霞沢岳と焼岳、その奥に乗鞍岳と御嶽山が見えている。

 ヒュッテの後ろの方にビューポイントがあるというのでそちらへ移動。

     
 正面に左から前穂高岳~奥穂高岳~涸沢岳~北穂高岳と連なる3000峰。正面の涸沢カールが大きい。

    
 大キレットを挟んで北側に連なる南岳~中岳~大喰岳~槍ヶ岳と、これまた3000m峰の連なりがみごと。
 この2つの山塊だけで、全国21座の3000m超峰のうち、8座が連なっている。すごい眺めだ。

    
 北側に続く尾根には、下から見えた尖った蝶槍、その先に常念岳から大天井岳までの稜線が見える。左奥には野口五郎岳辺りまで見えている。

 それらの大展望を楽しみながら、45分ほど休憩。東側の平地の方から雲が湧いてきて、時おり常念岳を隠すようになる。

 下山し始めて、次々の切れ目なしに登ってくる登山者の数に驚く。土曜日のせいもあるのだろうが、北海道では考えられない人数である。それも、山ガールちゃんだけでなく、男性も若い人が非常に多く目につく。ほとんどは、ヒュッテが泊かテント泊装備だった。

 1900mの「まめうち平」の休憩所で思いがけない出会いが待っていた。
 先に下りて休んでいた男性から「北海道の方ですよね?」「はい、坂口といいます」「やはり、そうでしたか、勝幌でお会いしました」とのこと。それで思い出した。拙著のp170の「十勝幌尻岳」の写真に写っている大阪の方だった。
 いつも拙サイトを見ているので、自信はなかったが、多分そうだと思ったとのこと。本の注文もしたらしいが、メールが届いてなかったようだ。改めて注文を受けた。その後、ずっとお喋りしながら一緒に下った。
  
 4:30スタート、登り4時間、山頂休憩45分、下り3時間10分、12:25ゴール。

 ゴール後、町の手前にある「四季の湯」で入浴。のんびりとブログを打つ。

 このあとすぐに新穂高温泉へ移動し、明日は、テント泊装備で、双六小屋を目指そうとも思っていた。
 しかし、疲れもあるし、温泉から上がってからで良かったが、寝不足と疲れが重なると年に1回くらい出る不整脈(心房細動)が続いている。無理しないで、明日は休息日とすることにした。
 このあと、この温泉でゆったりするが、車中泊場所は平地は暑くて寝られない。もう一度今日の登山口まで戻って寝る予定。

立山3山縦走周回

2018年07月20日 | 登山・旅行
    
 下山後、みくりが池と周回してきた立山3山をバックに(朝はきれいに晴れていた)
 右の尾根から登り、左に見えている尾根を下った。

 今回この立山3山〈左から富士ノ折立(2999m)~大汝山(3015m)~雄山(3003m)〉を訪れたのは、全国3000m超峰21座踏破のためである。実は、三百名巡りでは、立山信仰の本山であり、一等三角点のある雄山しか登っていなかった。
 ところが、3000m超峰では、立山として最高峰の大汝山(3015m)がリストアップされている。これが、21座踏破最後の山だった。

⭕まずは、扇沢から立山黒部アルペンルートの乗り物を繋いで、室堂へ

     
 夜を明かした長野県の扇沢ターミナルの駐車場から、立山黒部アルペンルートのトロリーバス~ケーブルカー~ロープウェイ~トロリーバスを乗り継いで、登山基地となる富山県の室堂ターミナルへ。往復9,050円。

    
 7:30、始発のトロリーバスに乗り、黒部ダムへ。今年で54年になるが、来年から電気バスに変わるらしい。

    
 黒部ダムの堰堤から立山を見上げる。

    
 黒部ダム(黒部湖)の向こうに赤牛岳を望む。この山も三百名山巡りで登っている。見る角度で形が違う。

    
 観光放水を見ながら堰堤を進み、ケーブルカー駅へ

    
 ケーブルカーに乗り継ぐ

    
 さらに、ロープウェイに乗り継ぐ。眼下は黒部ダム、その上の尖った山は、これも登っている針ノ木岳(帰りに撮影)

    
 さらに、トロリーバスに乗り継いで、室堂へ。

⭕立山3山縦走周回

    
 9:05、見事な青空の下に聳える立山3山を眺めて、冷たい湧水を組み、登山開始。

    
 みくりが池から、これも登っている奥大日岳を眺める。懐かしい。

    
 一ノ越コースから雄山を目指す。

    
 一ノ越から雄山山頂を見上げる。たくさんの登山者が見える。

    
 頂上手前から、スタートしてきた室堂平を見下ろす。

    
 10:40、雄山到着。この先鳥居から山頂に建つ神社までは、祈祷料500円が必要なので、前回同様パス。

    
 雄山から南側の槍ヶ岳を初めとする山並みを眺める。主だったピークはすべて踏破している。多分これが北アルプス最後となるだけに、しっかりと目に焼き付ける。

    
 激混みの雄山から、休みもせずに、次の大汝山を目指す。その先に剱岳も見える。

    
 11:00、今日のミッション大汝山到着。これで、全国3000m超峰21座踏破達成となる。  
 
    
 少し下った所から、頂上を見上げる。
 ここは、非常に多くの花が咲いていた。(花はまとめて最後にアップ)

    
 山頂直下から直ぐ下の立山氷河、その下には黒部ダム。その上の針ノ木岳などの展望を眺めながら、昼食タイム。
 朝はきれいに晴れていたが、北アルプス特有の天候で、11時頃から雲が湧いてくる。

    
 北側の鹿島槍ヶ岳から白馬岳までの山並み。

    
 20分ほど休み、次の富士ノ折立を目指す。奥は剱岳。

    
 富士ノ折立のピークを見上げる。

    
 11:35、富士ノ折立到着。狭い山頂には先客が休んでいた。山頂標識はなかった。

    
 稜線のコルまで下って、登り返した所の分岐から雷鳥沢コースを下る。ガレ場の斜面を細かなジグを切って下る長いコースだった。

    
 雷鳥沢手前から雷鳥沢キャンプ場を望む。ここに泊まって、剱岳や奥大日岳や雄山を登ったことが懐かしい。

    
 キャンプ場から室堂まで戻る長い階段が一番辛かった。
 14:00、室堂ターミナルに到着。ちょうど5時間の縦走周回のゴール。
 14:20発のトロリーバスに乗り、来たときの乗り物を乗り継いで、扇沢ターミナルへ。

    
 帰りの黒部ダムの放水に虹が懸かっていた。
 15:50、扇沢ターミナル到着。車へ戻り、大町温泉郷へ。

    
 観光案内所で安い温泉を尋ねたら、少し離れたところにある、65歳以上半額の250円の上原の湯(大町市コミュニティセンター)を紹介してくれた。
 そこで、ブログをアップし、このあと、途中で夕食を食べ、明日日帰りで登ることにした蝶ヶ岳の登山口へ移動予定。

⭕花をまとめてアップ

 今年の北海道は悪天候が続き、花を楽しめなかったので、ここで楽しんだ花をど~んとアップ。

    
 まずは、滅多に見られないというタテヤマチングルマ。
 花びらが薄いピンク色をして、普通のチングルマより、花びらが大きい。
 登る前に、たまたまガイドから2輪だけ咲いていたのを教えてもらったので、覚えていたが、下りのコースで大きな株を見つけた。

    
   シナノキンバイ

    
    イワツメクサとイワギキョウ

    
    アオノツガザクラとコイワカガミ

    
    ハクサンイチゲ

    
    ミヤマキンバイ

    
    カンチコウゾリナ

    
    オオイワツメクサ

    
    チシマギキョウ

    
    ヨツバシオガマ

    
    タテヤマリンドウ

    
    コバイケイソウ

    
    ジムカデ

登山道通行止め & 北ア縦走計画再検討

2018年07月19日 | 登山・旅行
    
 6:00のバス(片道930円)で猿倉へ。ところが、登山道が通行止め。万事休す。当然だが、鑓温泉小屋も天狗山荘も営業はしていないとのこと。なお、天狗山荘は昨年倒壊して、テン場のみ利用可となっていた。

 前回といい、今回といい、白馬三山は縁がない。8月には開通するかも知れないが、何とも言えないとのこと。一番最後に回して、もし開通していたら、出直すかも知れない。

⭕白馬大雪渓下まで往復

 戻るバスの時間まで2時間半ほどあったので、時間潰しに、白馬大雪渓の下まで往復してきた。

    
 途中から見上げる白馬岳(左)と小蓮華山(右)の稜線。最初のときに、天候が急変して地面を這う稲光にビビリながら登った所。

    
 前回テント装備を背負って往復している白馬大雪渓を下から見上げる。コースは、途中から陰になっている左へ回り込んで、その上の白いピークの下を右へ進む。
 人気のコースなので、次々と登山者がやって来る。しかし、日帰りは無理なのに、テント泊装備の人はたったひとりだけだった。あとは小屋泊まり。1000人も泊まれる白馬山荘がある。

    
 白馬鑓温泉と白馬大雪渓への拠点となる猿倉荘

⭕岩岳スキー場ゆり園

 バスで戻ってから、岩岳スキー場のゆり公園に寄った。
    

    

    

 このあと、暑いので図書館と温泉で時間潰しをした。

⭕北アルプス縦走計画の再検討

 実は、今回の2つの縦走計画だが、行きたいところを網羅した魅力的なコースのはずだった。しかし、家を出る前から、今一つ乗り気になれず、不安感がずっと付きまとっていた。いつもなら楽しみでしようがないはずなのに、不吉な予感さえも混じったような、これまでに経験したことのない心境だった。
 
 山を見たら、気持ちが変わるかも知れないと思っていた。しかし、かえって不安感と負担感が強くなった。昨夜眠れなかったのもそれが原因だった。
 今朝、通行止めを知って、ホッとさえしたのが正直な気持ちである。

 いろいろ考えてみたら、70歳を超えてから、3日続けてテント泊装備で歩いていないことに気が付いた。これが不安感と負担感の原因だったようだ。年甲斐もなく欲張りすぎたようだ。

 それに気づいたら気持ちが軽くなった。

 そこで、2つの計画を再検討し、テント装備を担いで歩くのは2日間だけに収まるような計画の練り直しをすることにした。
 どう変わるかは、また変わる可能性もあるので、結果をお楽しみに!

 ということで、明日は、当初から日帰り計画だった立山三山の予定。
 17:45、立山黒部アルペンルート発着駅の扇沢に到着。下は32℃もあったのに、ここは24℃。夜はもっと下がるだろう。

    
 扇沢駐車場から見上げる赤沢岳(2677m)。この手前下の針ノ木雪渓を往復して、手前左の山陰の針ノ岳と蓮華岳は登っているが、この山は登っていない。
 
 最近は、夕方と朝はこのようにきれいに見えるが、昼になると、水蒸気ガスと白い雲が懸かり、スッキリと見えなくなる。

白馬村到着

2018年07月18日 | 登山・旅行
 夏の本州の道の駅の車中泊は暑くて眠れない夜が多いが、今回の道の駅庄内みかわは気温が高くなく、10時間も爆睡することができた。  6:30に出て、入山口の白馬村を目指す。       道の駅の近くの鶴岡市内で、函太郎の店を見つける。ここまで進出しているのには驚いた。  9時過ぎには30℃を超える。       新潟県に入った村上市北部の海岸線には11kmも続く奇岩や断崖と松の名勝天然記念物「笹川流れ」が続く。       10時過ぎに、休憩したくて、道の駅新潟ふるさと村に寄る。ここは、何度も車中泊で利用しているが、敷地の広さやいろいろな施設の多さでは、国内随一だと思われる。気温は、すでに32℃を超えていた。       昼前には燕市で、走行中の最高気温35℃を記録。このあと糸魚川市でも、15時前に、もう一度35℃を記録した。車はエアコンが効いているので、暑さを感じることはない。       16:00、白馬駅に到着。白馬村だが、駅前付近は観光都市そのもの。登山と有名な八方尾根スキー場と温泉の拠点となっていて、駅から出てくる人たちは登山者と観光客ばかり。       観光案内所で、近くの安い温泉を聞いたら、すぐ近くの白馬八方温泉のみみずくの湯の割引券をいただき、500円で入ることができた。  入浴客は、ほとんど山から下りて来た日焼けをした人ばかりである。  露天風呂から逆光の中に白い雲を纏った白馬岳の尖った山頂が微かに見えた。ほかの山も霞んで良く見えない。  エアコンが効いた休憩室で、ブログの下書きをする。17:30までのんびりし、駅前で夕食を食べ、 入山口の猿倉駐車場を目指すつもりだった。  しかし、同じコースを歩いた人の情報では、猿倉まで上がってしまうと、親不知に順調に下りて白馬駅まで戻ってきても、猿倉までの最終バスに間に合わないそうだ。タクシー代が4000円ほとのとこと。  たまたま、駅から2km弱の所に、八方尾根スキー場の第5駐車場があった。無料でトイレもある。そこで泊まって、明日の6時のバスに乗ることにした。        第5駐車場から、日没後の白馬三山を見上げる。

道の駅庄内みかわまで

2018年07月17日 | 登山・旅行
    

 当初の計画では、明日の早朝のフェリーに乗る予定だった。しかし、高速を使わないと明日中に登山口となる白馬村猿倉まで走ることは不可能である。高い高速は使いたくない。そこで、2日掛けてのんびり走ることにして、今朝の8:10の青函フェリーに乗った。

 青函フェリーは、北海道命名150年記念キャンペーン割引で、18,000円のところ13,150円とお得値段である。非常に助かる。

 雨の青森を12:15にスタート。猿倉まで、一般道優先でカーナビを入れたら、660km と出た。

 北秋田市と秋田市の間だけ国道285号を走ったが、あとは国道7号をひたすら南下。時間的余裕はあったが、秋田市を過ぎるまでずっと雨だったので、1回のトイレ休憩以外は、どこにも寄らずに走った。
 16:00に秋田市内に入る。この辺りから雨が止んだ。

    
 山形県が近くなる頃からは、右に日本海を、左に頂上部分を雲に覆われた鳥海山を眺めながら走る。

    
 18:30、約300kmを走り、今日の車中泊場所とした道の駅庄内みかわに到着。
 隣にスーパーと温泉がある、最高の道の駅だった。
 温泉は汗も掻かなかったのでパス。スーパーの割引き弁当と惣菜とビールで、安上がりの夕食。

    
 気持ちが悪いくらい真っ赤な夕陽を捉える。これは、日本海の海岸で見たかった。
 幸い、気温は26℃ほどで、これからまだ下がるはず。これなら寝苦しいことはないだろう。

 明日は、かなり余裕があるので、観光を兼ねながら、のんびり走るつもり。