癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

「札幌50峰」完登を振り返る

2020年03月31日 | 登山・旅行

 この「札幌50峰」は北海道新聞社発行のさっぽろ文庫「札幌の山々」(札幌市教育委員会編)<1989年1月発刊>に掲載されている。選者は編集者の今村朋信氏かもしれない。選定に至った経緯はよく分かっていないようだ。

 しかし、HYML発足当時の20年前から、この踏破を目指して登っている札幌のメンバーも多くいた。登山道のある山は約半分で、他は積雪期に登られることが多いようだ。簡単な山は藪漕ぎでも登れるが・・・。

 実際に登ってみて感じたことは、「なぜこんな山が?」と思うような山もあり、もっと選ばれていても良いと思う山も多くある。標高点で山名なし(神社山、大倉山)、三角点で山名なし(野牛山)も入っている。
 50峰に入っていない山で自分が登ってみて、選ばれても良いのに…と思う山は、並河岳、ヒクタ峰、庚申草山、藤野富士、盤渓山、盤ノ沢山、兜峰、手稲山西峰などがある。

 完登ゴールとなった股下山山頂にて

 自分がこの踏破を意識したのは一昨年の夏である。道内の主な山は何度も登っていて、道南以外の未踏の山で登れそうな山を探していた時に、ふと思いついて、50峰の残っている山を数えてみた。結果12峰あった。その内、簡単に登れる市街地に近い低山が6峰。登山道がないので積雪期にしか登れない比較的高い山が6峰だった。そのときに、市街地にある低山5峰を1日で踏破したが、この時に荒井山を忘れていた。昨夏に登山道がないとされていた阿部山の踏み跡を辿って登り、今冬に残りの6峰を登ってゴールすることができた。

 「札幌50峰一覧・登頂記録」を見てみると、この中で一番早く登った山は、1994年5月の神威岳である。その年のうちに、無意根山、余市岳、定山渓天狗岳と登っている。当時は「一人歩きの北海道百名山踏破」を狙っていたこともあり、それらに選ばれている山ばかりであった。

 特に印象に残るのは、スキーで循環縦走をした小喜茂別~喜茂別岳~並河岳~中岳、美笛峠からスキーで縦走したフレ岳~小漁岳~漁岳、豊羽鉱山跡の今は無き無意根山荘前からスキーで循環縦走した長尾山~美比内山である。

 最近は、出所は不明であるが、「札幌150峰」というものまで出現し、それらの踏破を狙っている登山者も多いようだ。こちらは、札幌50峰のほかに、地図上に名前のない山(三角点名や通称)などが含まれている。こちらは札幌や近郊在住者にお任せで、食指を動かす気はさらさらない。こちらが踏破した「道南219座」の方がずっと大変で、価値があると自負している。

      「札幌50峰一覧・登頂記録」へ


南岳&股下山〈49・50/札幌50峰・完登〉

2020年03月30日 | 登山・旅行

 股下山で「札幌50峰」完登。頂上標識ははるか頭上。今年は積雪が少ないらしい。

 

◎南岳(983m)

 南岳山頂にて・・・後ろは余市岳 

 この南岳は余市岳の南側に延びる尾根の上に位置する。味気ない山名の由来もこのことに因るのかも知れない。

 登山口は、豊羽鉱山へ向かう道々95号の「山鳥橋」である。そこから少しの間山鳥林道を辿り、南東尾根を登るコースとなる。

 スノーモービルのトレースも頂上まで続いていたが、スノーシューやスキーや下りの橇までと多様なトレースで賑やかだった。夜中は車中泊した豊滝除雪センターでも-7℃まで冷えて、どこを歩いても埋まることのない状態だったので、ツボ足で通すことができた。下山時に2日間で初めて2人連れに会った。

 南東尾根は、三角点名が定着した「山鳥峰」(879.6m)までは急な登りが続くが、そのあとはいくつかのポコを越える緩やかな幅広の尾根である。

 7:00山鳥橋~8:10山鳥峰~8:55頂上<登り1時間55分> 9:10頂上~9:40山鳥峰~10:20山鳥橋<下り1時間10分>

 豊羽鉱山へ続く道々95号沿いの山鳥橋からスタート。

 

 20分ほど、スノーモービルのトレースが続く山鳥林道を進む。その後、南東尾根に取り付く。

 

南東尾根は下の方は沢が入り組んで複雑な地形だが、徐々に広い快適な尾根となる。

 

途中から定山渓天狗岳を眺める

 

1時間10分で、三角点名が定着した「山鳥峰」に到着。

 

 山鳥峰の下から余市岳~朝里岳~白井岳の連なりを眺める。

 

 山鳥峰から一端下って登り返す。

 

 後ろを振り返ると無意根山が見える。手前の長尾山~美比内山(右の木陰)の稜線はスキーで登っている。

 

 山鳥峰から45分で登頂感のない緩やかな頂上に到着。

 

◎札幌50峰完登の山となった股下山(820m)

 この山の登山口は、札幌国際スキー場へ向かう道々1号沿いの春香小屋のある林道入口。ここは前回登ったつげ山や奥手稲山や春香山の登山口でもある。

道路を横断して橋を渡ったところから北西尾根に取り付く。11時になって、雪が緩んできたのでアルミかんじきを履いてスタート。

11:00スタート~12:15頂上<登り1時間15分> 12:35頂上~13:15ゴール<下り40分>

 北西尾根への通り付き部分は急な登りだったが、登り切ると緩やかな林の中の歩きとなる。

 

 先に見える尾根を眺めながらの緩やかな登りが続く。すでに下山したと思われる新しいスノーシューとツボ足のトレースがあった。

 

急な尾根を登り切ると、左手後ろに道々1号を挟んで聳える前回登ったつげ山が見える。

 

 そこから先は雪庇の発達した尾根を登る。

 

 右手に白井岳から北東に延びる荒々しい通称・下白稜(左)~通称・竹の子山が見える。

 

 いくつかの小さなポコを越えると、雪庇の発達した頂上に到着。

 

 頂上から白井岳(左奥)から北東に延びる通称・上白稜~通称・下白稜の連なりを眺める。これらの稜線は「長白稜」と呼ばれているらしい。

 この長白稜の記録を探したら、岳友のsaijouさんとIkkoさんが一緒に登った記録が見つかった。これらの通称もその記録で分かった次第。

 その記録によると、半世紀ほど前に登山道が存在していた いにしえのルートである。以前、道道1号小樽定山渓線は冬期間は通行止めで、冬期は国鉄銭函駅から銭函峠を越え、ヘルベチアヒュッテに1泊して白井岳へ登っていたらしい。今考えれば何とも遠い山であった。夏期は北東尾根の夏道から白井岳を目指していたようだが、いつの頃か廃道となったようで、地形図からも消えてしまった。昭和40年代の1/25000地形図には載っていたが、この登山道を使って白井岳へ登ったという話は聞いたことがない。奥深いために利用する登山者はあまりいなかったのだろう。白井岳北東尾根のポコにそれぞれ竹の子山、下白稜、上白稜と名前をつけたらしい・・・とのこと。まあ、高所恐怖症の自分にはとても歩けそうなコースではない。

 下山後、少し車で移動してベルベチアヒュッテを見に行った。ここにも利用者のトレースがあって助かった。道々から5分ほどの距離だった。

 ベルべチアヒュッテ・・・現存する我が国最古の本格的スイス式山小屋で、また最古のログハウス。内部を見たかったが、錠が掛っていた。

 

 ヒュッテの説明版・・・昭和2年(1927年)建設。昭和9年に北大に寄贈。昭和60年北大山岳部OBの協力で大規模な修繕が行われている。

 これを見た後に帰路に就いた。途中、留寿都温泉に入って、19時には帰宅。

 ◎「札幌50峰」登頂記録一覧は下記でどうぞ!

 http://sakag.web.fc2.com/sapporo50.htm


大二股山&荒井山〈47・48/札幌50峰〉

2020年03月29日 | 登山・旅行

 3/29と3/30の全道的な好天予報に、残りの「札幌50峰」をやっつけてしまうことにした。

 治療中の右肩に負担を掛けないために、スキーは止めて、アルミかんじきで、右ストック1本だけで登り下りすることにした。

◎大二股山(856m)

 望岳橋付近から望む大二股山

 この大二股山は、豊平川上流部が漁入川と大きく二股に分かれているその中尾根上に位置することが名前の由来のようだ。

 

 この山の核心部は、国道230号の中山峠南側の望岳橋駐車場から豊平川沿いの林道までの標高差200m以上の急な登り下りだった。

 あとは、漁入林道を歩き、途中から左大二股林道へ入り、山頂直下の急な南斜面を直登した。

 昨日と今日の多くのトレースがしっかりと残っていて、夜に冷えたこともあり、最後までツボ足で往復することができた。

 8:00望岳橋~10:00頂上<登り2時間> 10:10頂上~11:35望岳橋<下り1時間25分>

 札幌岳(左)と狭薄山(右)を望む望岳橋駐車場

 ほぼ満杯の車だが、このほとんどは狭薄山(さうすやま)への登山者のようだ。その証拠に、大二股山では誰にも会わなかった。狭薄山は、自分は17年前に札幌岳の豊滝コースから登っているが、最近はこちらから登る人が多くなっているようだ。

 まずは固くなったトレースを辿り、豊平川沿いの林道までの標高差200m以上の下りからスタート。

 

林道へ下りてすぐに豊平川に架かる橋を渡る。

 

豊平川から分かれた漁入川沿いの漁入林道を進む。

 

やがて、左大二股林道分岐になるが、少し先に進んでショートカットしてその林道へ出る古いトレースを辿る。

その後はしばらく、その林道を進む。

 頂上の真北に当たる地点で右に曲がる林道から離れて、頂上を目掛けて直登する。

 

 斜度が緩んだところで頂上が見える。上の黒い木が生えているところが頂上。

 

 頂上下から狭薄山を眺める。左は札幌岳。ずっと展望のないコースで、ここだけがわずかな展望だった。

 

 ちょうど2時間で大二股山頂上に到着。札幌近辺の山は登山道がなくても、積雪期に登る人が多く頂上標識は必ず付いている。

 展望もないので、10分ほどで下山開始。林道に出たら新しい3人のツボ足の足跡があったが、会うことはなかった。多分、こちらが最短距離を登り下りしているときに別の所から登ったようだ。途中大回りしている林道を一部ショートカットした。

 

 林道を下って行き、最後の端の先に標高差200m以上の登りが見える。ここだけで下山時間の1/3の30分を登ってゴールイン。

 このあと、市街地山の手にある荒井山へ移動。

 

◎荒井山(185m)

 この山は、大倉山シャンツェのすぐ下にある、昔の荒井山スキー場があった山である。今は荒井山シャンツェができて荒井山緑地という公園になっている。中央奥が頂上。

 この山はすでに登っていたものと思い違いをしていた。先日「札幌50峰登頂記録一覧」を整理していたら、抜けていたことに気が付いた次第である。

 荒井山緑地入口に車を停めて、空身でスタート。左側から続く尾根に遊歩道があり、その先にも地図には記載されていない頂上までの登山道があった。往復25分で1山ゲット。

 

 遊歩道の階段を登る。

 

遊歩道を登り切ったところに「荒井山展望台」があり、札幌市街地の一部が俯瞰できた。下の学校は大倉山小学校。

 

 その先に続く登山道を登っていくと左手に大倉山シャンツェが見える。

 

わずか15分で頂上に到着。

 

 頂上標識と共に

 下山後、白石区にあるニッセンスポーツにチューンナップに出しておいたクロカンスキーを受け取りに向かった。

 その後、小金湯温泉のまつの湯へ向かい、温泉に入る。ブログのアップ作業中にスマホの調子が悪くなり、電波が通じなくなったので、この日の登山記録はアップできなかった。(これは帰宅後にPCからアップ。翌日スマホは回復)


76回目の誕生祝は「ステーキ・ハンバーグ ひげ」で

2020年03月28日 | 食べ物

誕生日【メッセージ付き★デザートプレート】(1,000円+税) 

 76回目の誕生日を迎えることができた。自分の中では10年ほど前に考えていたよりは意外と元気で、手前味噌だがそれほど年取ったという感じはない。

 今日の誕生祝は、予てより入ってみたかった「ステーキ・ハンバーグ ひげ 函館五稜郭店」へ。札幌に2店舗あるが、2016年6月に3店舗目として、函館へ進出。

 予約をして17:00に訪問した。店内の雰囲気も斬新で、「アメリカンダイナー」というアメリカの西海岸に根付いた『カジュアル』な雰囲気の店舗設計だそうだ。2階と3階には部屋があるようだが、調理の様子が楽しめるカウンター席へ通された。

 誕生日月のいろいろなサービスが提供されていたので、それらを中心に注文した。

 店からの誕生日記念サラダのサービス(左) この花火は誕生日限定サービス(右)

 

誕生月限定「黒毛和牛ステーキ・半額」200g(肩ロース)(4000円→2000円+税)

 

粗挽きハンバーグ&ハンギングテンダー(2400円+税)

 

ガーリックライス・300g(500円+税)

久しぶりに美味しい肉を食べて、ボリュームもあり、大満足だった。


首都圏が危うい新型コロナ & 贈本

2020年03月27日 | 日常生活・つぶやき

 東京都の新型コロナ感染者数が、東京オリンピックの延期決定を境に急激に増加した。以前から東京の感染者が増えると東京オリンピックに影響するから、検査数を抑えているのではないかと疑念を抱いていたが、案の定の感が強い。

 アメリカの感染も中国とイタリアを抜いて世界最多となった。その中心が大都市ニューヨークである。日本も首都圏を中心に似たような状況になりそうな危うさが出てきて、オーバーシュート(感染爆発)、首都封鎖(ロックダウン)などの心配も危惧されている・・・そうならないことを祈るだけである。

 人気タレントの志村けんさんや阪神の藤浪投手も感染したという。身近に感染者がいないだけに、このような有名人が罹ると怖さを強く感じる。特に、藤浪投手の場合は、これまで言われてきた熱や倦怠感などの症状もなく、一昨日まで通常の練習に参加していたという。「臭いや味がしない」という症状から心配になって検査をしたら陽性だったという。同じような異常を訴えていた同僚2人も陽性とのこと。

 これで新しい症状が加えられたことになる。これは怖い・・・同じような気づいていない感染者がまだほかに多くいて、たくさんのウイルスをまき散らしている可能性も出てきた。

 北海道は早めの取り組みが功を奏し、やや収まりつつあるような気がするし、函館を中心とする渡島管内は3月に入ってからの感染者はゼロである。しかし、他都府県で増えてきたら影響がまた出てきそうだ。

 

◎昨夏奥尻島で出会った加古川市の岡田氏よりの贈本

 この度、自分との出会いも記載された『遠野から北海道』が贈られてきた。これまでに、右の3冊もいただいている。

 この加古川市在住の岡田功氏(67歳)とは、昨年6月に奥尻島の山へ登りに行ったときに、宿で一緒になり、帰りに江差から新函館北斗駅までお送りしただけの出会いである。そのときにお礼にいただいたのが右の『西国遊記』。
 その後、拙著『ほっかいどう山楽紀行』をお贈りしたら、そのお礼に『尾張から信濃へ』と『能登島から武蔵へ』が贈られてきた。

 氏は、30年ほど前に左眼を失明し、右眼も3年前から緑内障に罹り、0.2まで落ち込み視野もだんだん狭くなっているという。そのような不自由な視力ながら、毎年5~6月に20日ほどの一人旅をし、秋ごろにかけて旅日記を執筆し、翌年の春ごろに自費出版(非売品)をし、また次の旅路へ・・・という生活を15年間も続けている。したがって、すでに15冊を出版していることになる。

 「加古川史学会」の代表を務め、約20年前から姫路市で文章表現講座の講師を務めているだけに、内容も非常に充実していて読みごたえがある。特に今回送られてきた最新版は、自分としてもくまなく歩いている北海道が舞台なので、イメージ豊かに楽しく読ませていただいた。


ギョウジャニンニクほか早春の花・初見づくし

2020年03月26日 | 花・紅葉だより

 もしかしたら、ギョウジャニンニクがもう顔を出しているかもしれない・・・ダメもとで、数年ぶりに戸井地区の某所へ行ってみた。谷間なので久しぶりに行ったら、倒木が凄くて大変だった。

 まだ早い感じではあったが、何回か楽しめるだけは採ることができた。普段は登山中に見かければ採ることが多い。わざわざこれを目的に出掛け、こんなに早く口にできたのは数年ぶりである。

 ギョウジャニンニクが早いところは、花々も早い・・・今春初めて目にした花ばかり。

 キクザキイチゲ(菊咲一華)

 

 エゾエンゴサク(蝦夷延胡索)

 

 カタクリ(片栗)

 

 ナニワズ(難波津)

 

 ギョウジャニンニクは葉の開いていないものも多かったので、珍しくはかまを丁寧に剥がして取り除いた。

 とりあえず、今夜はおひたしと卵とじ・・・かな?


桔梗高台探訪ウォーキング(21km)

2020年03月25日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 ついに東京オリンピックの1年延期が決定した。関係者の今後の対応は大変だろうが、やむを得ない妥当な判断であろう。

 また、昨日までの新型コロナ感染者数が、東京都が北海道を抜いて最多となった。これもいずれはそうなるだろうと予想していた通りである。人口比や人の接触密度の濃い大都会であるということからしても、まだ東京圏や関西圏はもっと増えるだろう。

 そんな中、全道的に好天予報なので、ロングウォークに出掛けた。今日は、春の農耕準備が始まっているであろう桔梗高台探訪をメインとした郊外を歩くことにした。高台に広がる広大な畑地や函館市街地や函館平野を見下ろす展望が好きなのと、そこにある2つの三角点も目にしたかった。

 桔梗高台は、函館新道の東側の海岸段丘面に広がる広大な畑地である。ただし、タタラ沢川によって寸断されて、一度下まで下りて、また登り返さなくてはならない。 

 桐花通りから産業道路~函館新道を七飯町との境界のにんにく沢川まで歩いて、高台の畑地の農道を辿った。七飯寄りの高台に広がる畑地の中を歩き、中の沢へ下りる。さらに、再び高台へ登って行き、石川町へ下りて、石川沿いの遊歩道から函館新道に戻った。

 天気は良かったが、風が強くて冷たかった。距離は約21km、歩数は約3万歩だった。

函館と七飯の境界まで歩き、このあと登る高台を眺める。

 

 農道からビニールで覆われた畝を見下ろす。後ろは当別丸山。

 

 農道の傍にあった二等三角点(標高196m)(点名・桔梗野)

 

 三角点の位置から、西側の平野と桂岳~毛無山の連なりを眺める。

 

 三角点の位置から正面の庄司山とまだ白い烏帽子岳~袴腰岳を眺める。この農道の先は庄司山の桔梗尾根コースの登山口へ続く。

 手前の小屋から右側の農道を進むと中の沢へ下りる道に出る。

 「中ノ澤神社」~沿革等はネットで調べても不明。額には個人名が書かれている。

 

 函館新道の側道手前まで下りて、老人福祉施設幸成園の所から再び高台に続く農道を登っていく。

 

 大賑わいの桔梗高台パークゴルフ場

 

 標柱が折れて、標石も見つからなかった三等三角点(標高132m)(点名・園田牧場)。いくら探しても見つからず、赤いペンキで塗られた石がその代わりか?辺りに畑で出た石が捨てられているところをみると、畑の土で覆われているのかも?

 「園田牧場」がこの辺りにあったということであろう、この牧場は、北海道初の電車を函館・東川町-湯の川間に走らせ、函館船渠、北海道銀行を創立させるなど函館を中心に北海道の経済界に貢献した薩摩出身の園田実徳が、明治36年、北海道庁より桔梗牧場を貸し下され、園田牧場と命名し牧畜業たところである。

 騎手の武豊の父邦彦はこの農場で生まれていて、園田実徳は曾祖父に当たる。

 

 三角点の地点から函館山を望む。この辺りは裏夜景の名所である。

 

 この農道から、石川町の奥へと下りていく。ここから函館新道へ合流するまでは初めて通る道だった。

 高速道路の赤川線の下を潜る。

 

 初めて目にした石川町の「川上神社」~安政4年3月、旧幕府箱館奉行村垣淡路守より、川上神社社殿造営料金10両を下渡されるに際し、現在地字宮ノ下に奉遷する。明治9年、村社に列せられ爾来鎮守の神として祀られて来たが、明治44年、隣村なる桔梗比遅里神社に合祀される。しかし村民の大神を尊崇する念厚く、昭和12年社殿を再建し、再び村の鎮守として奉遷祭祀を続けて来た。

 

 石川の両側に歩道があり、それを下って行く。途中から右岸だけになり、さらに両岸となる。

 

 函館新道の新石川橋で新道に合流。ここから新道~国道5号を歩いて帰宅。


終了式・離任式は?

2020年03月24日 | 日常生活・つぶやき

 整骨院へ歩いて通っているが、久しぶりに下校する子供たちの姿を見掛けた。そういえば今日は修了式と離任式の日であることを思い出した。

 子供たちに訊くと、やはり終業式で、どうやら分散登校方式で行われたようだ。

 しかし、終了式に引き続いて、転勤や退職する先生方の離任式も行われるはずである。分散方式でどのように行われたのかや、臨時休校の対応や新年度への見通しも知りたかったので、知り合いの小学校長に電話をしてみた。

 その学校では、1年生から5年生まで、順番に時間をずらした分散登校で、終了式は学年ごとに行ったとのこと。校長の話もほぼ同じことを5回話したそうだ。引き続いて離任式も5回やったが、転退職する先生方の挨拶は、その学年に関わった方に限ったそうだ。

 ただでさえ短い3学期なのに、ほぼひと月に渡っての休校だったので、当然残った学習内容もあるはずだ。それは新学期になってから取り扱わざるを得ないだろうとのこと・・・。

 例年であれば、子供たち同士や担任とのお別れ会なども行われるはずだし、先生方の送別会も今夜行われることが多かった。しかし、先生方の送別会は、本日昼食を摂りながら学校で行ったそうだ。もちろんアルコール無しである。例年であれば、市内の小中学校の数だけ送別会の会場となるはずの飲食店やホテルなども泣いていることだろう。

 分散登校などの連絡は、ほぼメールでできるそうだ。メールがないところだけ電話をするとのこと・・・時代は確実に変わっている。「連絡網」などという言葉はもう死語である。

 新学期は4/6から始まる予定だそうだ。文科省や道教委は再開の方向で検討しているが、まだどうなるか全く決まっていない。市教委からの連絡待ちだそうだ。なんとか、このまま渡島管内だけでも新感染者が出ないで、新年度から正常な形になることを願うしかない・・・。


「マンガ 日本の歴史」読み返し

2020年03月23日 | 読書・映画

 昨夜は、前夜ほとんど寝てないこともあり、晩酌の酔いに任せてすぐに寝たが、夜間痛もなく、12時間も爆睡することができた。

 今日の肩の痛みは嘘のように楽になり、午前中に治療を受けてからは、さらに痛みが和らいでいる感じである。早いうちに治療を受けたことが功を奏しているのかもしれない。この調子で回復するのであれば、それほど日数は掛からないかもしれないと思うほどである。しかし、しばらく肩に負担をかけることは自重することにした。

 だからと言うわけではないが、1989年(平成元年)11月~1994年(平成6年)6月の4年半に渡って配本された「マンガ 日本の歴史」(石ノ森章太郎著)<中央公論者発行>全55巻をじっくり読み返そうと思っている。実は、当時1巻ずつ配本されて来たが、読むのが追い付かなくなり、読んでいない巻も相当あるはずだ。

 マンガとなってはいるが、子供向けではなく大人のための「萬画」日本史であり、本格的な歴史書である。

 縄文時代末期からスタートし、古代編1~12巻、中世編(13~24巻)、近世編(25~36巻)、近代・原始編(37~48巻)、さらに補追の現代編(7巻)で、全55巻という構成になっている。近代・原始編のうち45~48が原始編なので、そこから読み直してみることにした。

 ここ数年、旧街道の歩き旅をしていて、その土地土地の重層的な歴史に触れることが多かった。そのたびに、その歴史のことが良く分かっていないことに気づいたこともある。また、最近になって新しい発見や見直しなどもあり、これまでの歴史観がすこしずつ変わってきていることもある。


肩痛のぶり返しほか

2020年03月22日 | 大腸癌以外の検診・健康関係

 昨日の横山と砂蘭部岳のスノーシュー登山でストックを使用した。徐々に肩に痛みが出て、下山では右肩が痛くてストックを使うことができなかった。

 予想通り、夜になって、肩痛特有の夜間痛が酷くなった。どんな姿勢をとっても痛みが酷くて全く眠ることができない。我慢できなくなり、夜中にコンビニで氷を買ってきて冷やした。そのせいか、朝方になって少しうとうとすることができたが、肩を動かさなくても痛みが激しい。今日の登山は無理である。2人の出発を見送って帰路に就いた。

 しかし、今までにストックを使用した登山で肩が痛くなったことはない。これは3日前と2日前のMTBロングライドが引き金である。その翌日から肩に軽い痛みが出ていて気にはなっていた。

 それが昨日のストックの使用でさらに悪化したようだ。2月上旬で治ったと思っていたのに、またぶり返しである。

 原因はMTBである。良く考えてみると、結構肩に負担の掛かる姿勢であるし、低い姿勢で首を上げるので、首にも負担が掛かる。

 しかも、12月下旬からの痛みは、肩の前の方だったが、今回は後ろの方である。

 帰宅後、掛かり付けの整骨院で診察してもらった。この痛みは鍵盤損傷の後遺症が悪化したようだ。

 治療をして、テーピングをしてもらった。また、しばらく整骨院通いが続く。今日はスマホやパソコンを打っても、文字を書いても痛いし、動かさなくても痛い・・・多分今日が一番痛みが強いはずである。

 張り切って始めたMTBもストックを使った登山も、当分お預けである。

 

◎「聞いて楽しむ日本の名作」

 妻が仕事をしながら聞くために購入したCDである。明治・大正・昭和近代文学作品が169編も収録されている。

 妻が聞き終った物から、車に積んで長距離運転のときに聴いている。ほとんどが中学生時代から大学生時代にかけて読んだ懐かしい作品である。勿論読んでいないものも多数ある。

 すでにストーリーなどは忘れているものが多い。最近はこのような昔の文学作品を読むのも億劫になっているだけに、いろいろな俳優の朗読で聞き直すのもいいもんだ。


横山(929m)~砂蘭部岳(984m)〈八雲町〉北尾根コース

2020年03月21日 | 登山・旅行

 <八雲市街地西側から撮した横山と砂蘭部岳(頂上は右上に頭を出している部分)>2011年3月撮影

 札幌からやって来たIkkoさんとmocoさんに付き合って、八雲町の横山と砂蘭部岳に登ってきた。横山は2回目、砂蘭部岳は4回目だが、1日で両方に登ったのは初めてである。

 横山は南側の桜野から登らることが多いが、今年は雪が少ないので、雪の心配のない北側から登ることにした。いつもは除雪されていない林道が砂防工事のため、奥まで入ることができた。そこで、193地点の林道分岐からスタートして、北側からの尾根では最短コースを採ることができた。

 当初の計画では、横山のみだったが、ラッセルのない雪面だったこともあり、予定より早く着いたので、まだ登頂していないmocoさんのために砂蘭部岳へも足を伸ばすことができた。最高の天候に恵まれたが、風が非常に強かった。

 この北側からの2回の砂蘭部岳雪山登山はスキーを使っていたが、今回は前日の雨で雪面がどうなっているか予想がつかないので、Ikkoさんに付き合って、2人ともスノーシューにした。結果的には、上の方は新雪になっていて、スキーでも十分滑れそうな感じだった。

7:45林道分岐スタート~10:45横山(3時間)11:00~11:45砂蘭部岳(45分)12:00~13:40ゴール(1時間35分)<5時間50分>

 

林道をスタート

正面から太陽を浴びて、国有林境界尾根に取り付く。

 

500m地点からしばらくの間トドマツの人工林の中を進む。

 

 人工林を抜けると、気持ちの良い広い尾根に出る。

 

横山へ向かう途中から眼下の八雲町市街地と噴火湾の海岸線を見下ろす。羊蹄山も見えていた。

 

横山山頂を目指す。

 

 急崖となって切れ落ちる砂蘭部岳をバックに

 

駒ケ岳をバックに

 

 

稜線上を砂蘭部岳へ向かう。

 

砂蘭部岳を眺める

 

山頂標識・・・過去2回来た時にもあったが、新しいものに変わっていた。

 

眼下の谷を挟んでせり上がる小鉾岳。後ろは乙部岳

砂蘭部岳から横山を眺める

 

遊楽部山塊や雄鉾岳の連なりをバックに

下山後、国道5号沿いの遊楽亭の温泉に入り、隣の金太郎で早めの夕食を食べた。明日の賀呂山に備えて、隣にコンビニのある八雲町役場の駐車場で車中泊態勢に入り、車の中で酒宴に入った。

過去の「横山」の記録   過去の「砂蘭部岳」の記録


春の嵐の中の五輪聖火到着ほか

2020年03月20日 | 日常生活・つぶやき

 今日は最大風速30mという暴風雨で朝を迎えた。彼岸の墓参りに行こうと思っていたが、それも叶わず。

 そんな中、11時から五輪聖火到着式のテレビ中継を視た。

 新型コロナの影響で、ギリシャでは無観客で採火式が行われ、聖火リレーも中止になった。日本からギリシャへ出向いて聖火を受け取りに行く予定だった共に元五輪3連覇の野村忠宏さんと吉田沙保里さんのご両人は、宮城県の航空自衛隊松島基地へ到着した特別輸送機から種火を受け取り、用意されていた聖火台に点火した。

 楽しみにしていた航空自衛隊前アクロバットチーム「ブルーインパルス」のカラースモークによる五輪マークは、強風のために描き切る前に一瞬で掻き消されてしまったようで良く分からなかった。

 せっかくリハーサルを重ねていたのに、本番では完成することができなかった。なんか、今回のオリンピックの行く末を暗示するような感じだった。

 それにしても、延期や中止が取り沙汰されている中での到着式となり、関係者も気を揉んでいることだろう。

 聖火リレーは 予定通り明日から宮城~岩手~福島で「復興の火」として展示された後、26日に福島県からスタートするが、出発式は一般の人の入場・観覧を取りやめ、規模を縮小して実施される。

 しかし、もし途中でオリンピックの延期や中止が決まったら、聖火リレーはどうなるのだろうか?・・・そんな思いで視ていた。

 

 午後から、入院している知人のお見舞いに出掛けたら、「新型コロナの影響で、入院患者さんへの面会はできません」と言われた・・・迂闊だった。

 函館市は、渡島管内が3月に入ってからの新感染者が出ていないことを受けて、休館していた中央図書館やスポーツセンターなどの公共施設は、今日から開館するという・・・。全道的にも、規制が少し緩和されたようだが、まだまだ予断は許さない状況なことには変わりない。


浜のかあさん食堂で「甘エビ丼」と「たらこ御膳」を食す

2020年03月19日 | 食べ物

 新型コロナの影響で?原料が入って来ないために仕事にならない妻が、突然「鹿部の甘エビ丼を食べに行こう」という。

 3月に入って、鹿部道の駅の浜のかあさん食堂で「甘エビ丼」が提供されている。そのニュースを目にしてからずっと食べたかったそうだ。

 鹿部道の駅ができてから、大人気の鹿部漁業協同組合女性部のみなさんが腕を振るう「浜のかあさん食堂」。地元の新鮮な海産物料理がおいしく食べられる。

 ここのメニューは、鹿部名物の甘エビやホタテやたらこの丼ぶりと宗八がれいの煮付けなどがメインである。

 同じものを2つ頼むのも芸がないので、2種類注文して、半部ずつ食べた。

 

 春夏(3月~8月)限定の「甘エビ丼」(1100円)~26匹もの新鮮な甘エビの見事なトルネード

 南茅部に住んでいたころは良くもらって食べたが、このような贅沢な食べ方は初めてである。

 

 「しかべプレミアムたらこ御膳」(1100円)~たらこが1本どーんと乗った丼と宗八がれいの煮付け。

 たらこは無着色でしょっぱくなくていくらでも食べられる。宗八がれいの煮付けは浜のかあさんならではの味である。美味くないはずがない。新鮮なはずなので卵もしっかり食べた。

 

 隣の「こいたのおかず家」では、海産物中心の惣菜やホタテカレーライスやホタテカレーうどんなどが提供されている。

 食堂の一角に飾られていた、有名な町内在住者製作の吊るし雛


函館平野ぐるりMTBロングライド&戸切地陣屋跡のフクジュソウ

2020年03月18日 | MTBロングライド・ヒルクライム

松前藩戸切地陣屋跡入口前にて 

 昨年の函館マラソンで大会参加を卒業したこともあり、春を迎えていつもならジョギングをしている時期だが、まったく走る気にならない。もともと走るのはあまり好きでなかったこともある。しかし、ウォーキングだけでは体力低下は免れない。

 そこで、以前からときどき遊んでいたMTB(マウンテンバイク)のロングライドやヒルクライムの回数を増やすことにした。これは、クロスカントリースキーのトレーニングには最適なのと、登山のトレーニングにもなるはずだ。

 もともとは登山時の林道走行のために20年ほど前に買ったMTBだが、数年前にタイヤもオフロード用から、軽くてスピードの出るオンロード用に履き替えている。先日、リサイクルショップでヘルメットも購入。

 最近愛好者が増えている自転車だが、それらの人は軽くてスピードの出るロードバイクやクロスバイクに乗っている。しかし、自分は遊びながらトレーニング効果を得たいので、重くてスピードの出ないMTBで十分である。

 というわけで、今日は、天候が安定して気温も10℃まで上がる予報なので、昨日のリベンジロングライドに出た。

 コースは、国道228号から昨日行こうと思っていた北斗市清川の松前藩戸切地陣屋跡のフクジュソウの群生地へ向かい、その後、函館平野の山裾をぐるりと1周する形になる道々上磯峠下線~新函館北斗駅~道の駅なないろななえ~函館新道側道を考えた。

トラックログ、距離44.4km、高低差(右上のグラフ)

 家を10:30に出て、国道228号を走り、11:30、最初の目的地である松前藩戸切地陣屋跡に到着。

 今年の早春の花は10日以上も早いので、もう咲ているだろうと思ったフクジュソウは、案の定見ごろを迎えていた。

 まだ雪の残る戸切地陣屋跡の中

 11:50陣屋跡を出て、道々上磯峠下線から新函館北斗駅を目指した。

 陣屋跡の下から眺める函館平野越しの横津連峰

 

12:10、あとひと月半ほどで見ごろを迎える北斗市向野の法亀寺のしだれ桜を写す。

 

12:25、ホテル東横インができて、景観が変わった新函館北斗駅前を通過。

 

12:40、道の駅なないろななえに到着。この先の函館新道側道の登りに備えて一休み。

 

昼食代わりに大きな「りんごパイ」(216円)を食べて、12:55、再スタート。

 

 道の駅近くの国道沿いで目にしたフクジュソウの群生

 

 今日のコースで最も辛かった七飯本町ICの先まで登りが続く函館新道側道。寒からず暑からずだったが、この長い登りではさすがに汗を搔いた。

 14:10、3時間40分で帰宅。太腿部の適度な疲れが満足感を増幅してくれる。これからは距離を延ばしたり、城岱スカイラインやきじひき高原へのヒルクライムへと繋げたい。


「キクバオウレン」と「ザゼンソウ」狙いのMTBロングライドほか

2020年03月17日 | 花・紅葉だより

 すでに咲いていたキクバオウレン(雄花)

 今年の冬は2月上旬から積雪ゼロが続き、そのころから日常的に自転車利用者が増えていた。

 今朝の好天に釣られて、午前中は晴れそうな予報だったので、多分もう咲いているだろうと思う桔梗のザゼンソウと七飯のキクバオウレン狙いでMTB(マウンテンバイク)を走らせた。

 往路は函館新道側道を走った。しかし、走っているうちにどんどん雲が広がり、気温が下がってきた。帰りは旧国道の赤松街道を戻ったが、激しい降雪の中の走りとなり、手足がすっかり冷えてしまった。距離は25kmだった。

 それでも、ザゼンソウもキクバオウレンもすでに咲いていて、カメラに収めることができた。もし、天気が続くようだったら、北斗市の戸切地陣屋跡のフクジュソウの群生も見に行きたかったが、それどころではなく、寒くて逃げるようにして帰ってきた。

  春のポカポカ陽気でないと、自転車は楽しめないということが良く分かった・・・。慌てることはないということ。

 ザゼンソウが早く咲くのは、中の黄色のボール状の花の部分が20℃程度発熱するからとのこと。早朝の気温がマイナス10℃でも花は20℃程度に発熱し、その差はなんと30℃にもなるらしい。

 七飯の高台から函館山を眺める・・・青空はまったくなくなっていた。

 

キクバオウレンの両性花 ↑

おしべが長い雄花 ↓

 いつもこのキクバオウレンは周りに雪があるうちに咲き出している。フクジュソウやザゼンソウより先に咲き出すようだ。蕾すら見たことがない。早く咲くわけは分からないが、来年にでも、いつ頃から咲きだすのか、雪のあるうちに観に行ってみたいものだ。

 北限が北海道南部とのことだが、、ここ以外で目にしたことはない。

 ◎本日のガソリン価格(丸紅昭和タウン店)~安い!


 原油価格は新型コロナウイルスの影響で2月末からジワジワと下がっていたが、いつも利用する丸紅昭和タウン店やオカモト五稜郭駅前店はついに120円を切った。それにしても、いつも思うことは「函館のガソリン価格は安い」ということ。

 値下げの原因は、原油市場に占める存在感の大きな中国の需要減による減産らしい。特に3/9には原油相場が大暴落したようだ。日本のガソリン価格に直接影響のある「ドバイ原油価格」も同じく下がっているとのこと。再来週くらいまで下がり続けるのではないかという見通しもあるようだ。

 新型コロナウィルスで、良かったことはこれくらいかも? 大量ガソリン消費者としては非常に助かる。