癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

裏沢~室蘭岳~滝沢

2011年08月29日 | 登山・旅行
      

 室蘭のHYML仲間のなかよしさんとMoさんと3人で、室蘭岳の裏沢を遡り、滝沢を下った。裏沢は初遡行だが、滝沢は3年前に一度遡行している。

 裏沢は、入渓地点から直ぐに美しい滑滝が続くが(画像上)、それ以降はずっと石がゴロゴロした変哲のない渓相が続く。標高400mを越えて少し小滝が出てくるが、ハラハラ・ドキドキするような場面はなかった。480m二股からは涸沢りなるが、再び水流が現れて、急な滑滝が続く。

 その先の源頭付近からのルートがはっきりせずに、崖状のところをトラバースしたりして苦労した。それ以降の急な薮の中の踏み跡と北尾根コースの登山道もきつかった。沢よりも沢から離れてからの辛さが印象的なコースだった。この沢は一度歩けばもう結構な感じだった。

      
         日本一?大きな山頂標識の前で、記念撮影。

 下山は、カムイヌプリへの縦走路を最低コルまで下り、一度遡行している滝沢を下った。この沢は、名前通りに次々と滝が出てきて、最後は、クワウンナイ川の滝の瀬十三丁を彷彿とされる滑滝が続き、変化に富んだ楽しい沢だった。また、登りと下りでは印象が違い、新鮮な感じだった。ただ、高い滝の横にほとんどロープが設置されているのは、楽で良いが、沢登りの上級者にとっては邪魔だろう。

              
               滝沢に合流する苔に覆われた階段状の美しい滝。

 詳しい山行記録は、下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/muroran11.htm

北海道マラソン

2011年08月28日 | 登山・旅行
今日も朝からスカッ晴れ。会議が始まるまで豊平川河川敷と中島公園をぶらついた。直射日光の下では、ブラブラ歩いていても汗が滲み出てくる。昼にスタートする北海道マラソンは大変だろうと思った・・・。

知り合いがたくさん参加するので、昼休みに中島公園横のスタートを見に行ったが、最後尾しか見られなかった。

会議終了後にゴール近くの道庁を抜けた地点で応援した。男子のトップグループには間に合わなかったが、女子のトップを見ることができた。それから4時間くらいでゴールしたランナーまで見た。知り合い5人ほどに声を掛けることはできたが、暑かったせいかみんな10分くらい遅い感じだった。

明日は室蘭の岳友と一緒に室蘭岳の裏沢を遡り、滝沢を下る予定なので、室蘭へ向かった。
《追加画像》
カンボジア国籍を取得してオリンピックを狙っている芸能界No.1ランナーの猫ひろし(後ろ)

簡単な薮山のみで終わる

2011年08月26日 | 登山・旅行
           

 北アルプスから帰ってきた8/13日以来、雨が降る日が続いたが、ようやく2週間ぶりに爽やかな青空が広がった。明日も明後日も好天予報だが、札幌でスキー関係の理事会と総会が入っている。そこで、今日はどこかに登らねば・・・・ということで、先週の土曜日の林道探索で目を付けておいた乙部町の円山(4469m)とエガミ山(646.3m)を目指した。

        

 乙部町の鮪(しび)の岬の林道を詰めて、正面に見えた円山(画像)の見つけておいた刈り払い道は、頂上へは通じていなかったが、途中の東尾根から簡単な薮漕ぎで登頂できた。頂上からは、乙部町から江差方面への海岸線の展望が広がった。登り45分、下り25分・・・呆気ない1山ゲット。
      
 その後、直ぐ近くのエガミ山は、全面舗装の広域基幹林道栄豊線から頂上手前まで突き上げている南西面沢を狙った。しかし、スタート地点で枝沢に入ってしまったことに気付かず、20分ほどで進んでしまった。GPSで間違いに気付いて戻ったが、昨夜の雨で濡れた薮で全身ずぶ濡れになり、戦意喪失で断念。

 山行記録は、下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/otobemaru.htm


 時間はあるが、ずぶ濡れの衣服のままでは、気持ちが悪くて、他の山というわけにも行かず、着替えてのんびり帰路に就いた。

      

 中山峠を越えて、夏の間だけゲートが開いているらしい大野ダムへの道路を入ってみた。今まで見たことがなかったのが不思議なくらい・・・。 

      

 ダムの奧に、冬に登ろうと思っている北斗市と森町との境界稜線上の818.2峰(点名・中二股)が見えた。

市街地LSD

2011年08月24日 | 日常生活・つぶやき
      

 LSD・・・「Long Slow Distance」を略したもので「長い距離をゆっくり走る」という意味。このトレーニングのねらいは、長い距離をゆっくり走ることによって、全身の持久力を高めることにある。

 今年も9/25に開催される「函館ハーフ」に申し込んだ。北アルプスへ出掛ける前に4回ほど5~10kmを走ったが、帰ってきてからは、20日に5km、21日に10km走ってみた。テント泊縦走装備を背負って歩き続けた効果なのか、快調に走れて筋肉痛もなかった。毎日天候が悪くて山にも登れないので、今日はゆっくり長い距離を走ってみようと考えた。

      

 考えたコースは、自宅~巴大橋~ベイエリア~谷地頭~海岸道路(漁り火通り)~競輪道路~旧戸井線~五稜郭公園裏~自宅の約17km(上掲の地図)・・・8分/kmペースで走ったら、信号待ち等を抜いて約2時間の計算になるはず・・・。フルを走るような人に比べたら、この距離でLSD等というのは恥ずかしい限りだが・・・。

      

 しかし、実際走ってみたら、8km/分はなかなか難しい。いつも走っている巴大橋経由のベイエリアまでは5kmなのだが37分30秒だった。ちょうど7.5km/分なので、そのペースを維持するように努めた。       

      

 信号待ちはストップウォッチを止めて待つ。ベイエリアから十字街に抜けて電車通りを走って、谷地頭の電停を折り返す。そこで45分だった。宝来町から旧東川小学校やあさひ小学校の前の道路を走り、海岸通り(漁り火通り)へ抜ける。巴大橋では港のそばを走り、海岸通りでは大森浜を走る。どちらも海面を渡ってくる風が心地良いし、どちらも信号がないのが良い。

      

 競輪通りへ入る手前辺りから、脹ら脛が痛くなってきた。心肺の方は山の方がずっときついはずだが、足はやはり使う筋肉が違うようだ。最後の数kmはときどき歩いたりしたが、それでも2時間に少しお釣りが来た。シャワーを浴びた後のビールが美味かった・・・これが楽しみで頑張ったようなものだ。しかし、このLSDは、市街地よりは自然の中の方が絶対快適だ・・・次は、大沼湖畔でやってみよう・・・。 

HPサーバー引っ越し完了

2011年08月23日 | PC・HP・ブログ
 4月の入院中に、このブログの親サイト「一人歩きの北海道山紀行」のメインサーバーであるinfoseekから、「来年5月でホームページのサービスを終了する」旨の連絡が来ていた。

 すでに、容量の関係で、数年前から一部を無料で1GBのfc2のサーバーを利用していたのだが、引っ越しが大変なので、一本化しないでいた。しかし、この際、否が応でもinfoseekの方にあるファイルをすべてfc2の方に引っ越して一本化せざるを得なくなった。

 約1万個ほどもあった写真と文書ページのファイル(250kbほど)の引っ越しは大変だった。速くできるソフトもあるようだが、13年来愛用しているホームページ作成ソフトHOTALL(とっくに販売中止)のFTPソフトで、退院後、直ぐにその作業に掛かった。

 初めは、少しずつinfoseekのサーバーからfc2のサーバーへ直接引っ越していた。しかし、途中で、いったん自分のPCへ移してから改めて送った方が速く、効率も良く確実なことが解って方法を変えた。それでも、一個のファイルを引っ越すのに3分ほど掛かるので、トータルで正味30000分(50時間)掛かったことになる。

 まあ、来年の5月までに終われば良いので、暇なときに少しずつ取り組んできた。引っ越し作業は4日ほど前に終了したが、トップページや目次ページのURLも変わるので、fc2サーバー利用のファイルのリンク先を新しいそれらに変えなくてはならない・・・その作業がまた大変だった・・・・そして、まだ不備はあるかも知れないが、今朝方、ようやくこれまでのトップページを「引っ越し先」の挨拶に変えて、新しいトップページに移行できるようにした。
 
 これまでのURLをクリックすると、引っ越しの挨拶のページが表れる。これは、サービス終了の来年の5月まで表示されるので、その間に周知徹底できるものと思っているのだが・・・?
 さらに、これまでの各ファイルは、infoseekのサーバーに残っているので、何かの拍子に元のページが表れることがあるかも知れない・・・特に、山の名前等で検索したときには、infoseekの方のページに繋がることが多いだろう?

 新しいトップページのURLは下記の通りです。
 http://sakag.web.fc2.com

 お手数ですが、リンク集やお気に入りやブックマークなどの変更をお願いします。
 なお、リンク先の不備等に気付かれましたときには、お知らせいただければ幸いです。
   

新刊『北海道 安全な登山』

2011年08月21日 | 登山・旅行
           

 このたび、友人の日下哉さん(東京農業大学生物産業学部教授)が『北海道 安全な登山』を北海道新聞社から発刊した。早速購入しようと思っていたが、その前に本人から贈呈本として送られてきた。

 日下さんは、檜山北高に長く勤務し、若い頃からの登山歴を生かした山岳部顧問としての指導、さらには、全日本スキー連盟公認の指導員として活躍してきた。氏とはそのころからのお付き合いである。昨年、この著書の構想と執筆内容を便りで知らせてきていたので楽しみにした。

 氏は、以前から「北海道の山は、本州の山とは違う。そのつもりでいるとその内に大きな事故が起きる」という想いを抱いていたという。その予感は、2009年のトムラウシ山で発生した大量遭難死亡事故で的中した。それがきっかけで、この著書の執筆を思い立ったそうだ。

 二度と同じような惨禍をを招かぬために、北海道の山ならではの自然や登山環境を中心として、全国の登山愛好者にそのノウハウを伝える待望の書と言えるだろう。

 <主な内容>
第Ⅰ章 北海道の山と気象
第Ⅱ章 ヒグマの生息する大地
第Ⅲ章 登山環境
第Ⅳ章 北海道にふさわしい山の準備と装備・用具
第Ⅴ章 山岳行動のための準備
第Ⅵ章 北海道の山々とその特徴
第Ⅶ章 山の歩き方・休み方・不時の対応
第Ⅷ章 北の山を楽しむ 

A5版 182ページ 定価1,890円(税込み) 各書店にて販売
★希望者には、著者割引で1,700円(送料込み)で振替用紙とともに送本するそうです。
 こちらで、取りまとめますので、下記メールにてお知らせ下さい。
 sakag@ms2.ncv.ne.jp   
 @は半角の@に直して送信願います

林道偵察のみに終わる

2011年08月20日 | 登山・旅行
         

 SHOさんが、桜野側の沢から砂蘭部岳に登った仲間から「頂上に着いたら刈り払い道があった」との情報をいただいたとのこと。可能性としては、砂蘭部川沿いの林道から付いているだろうとのことで、先々週、探しに行ったそうだ。しかし、その時は見つけられなかったそうだ。今日、さらに走っていない林道を走ってみて、見つかったらそこから登ってみる予定で出掛けた。しかし、あちこち走ってみたが、それらしいところはとうとう見つからなかった。途中で八雲乳牛育成牧場の展望台へ寄って、八雲市街地方面の展望を楽しんだ(画像)。

 よく国有林の境界線に刈り払い道があることが多いが、森林管理署では教えてもらえない。そこで、町に出てから、八雲の森林関係の仕事をしている友人に電話してみた。「昔、熊嶺小・中学校のあった道の先の分岐を越えて、さらに砂蘭部川沿いを進めば、国有林になるのだが・・・」とのことだった。しかし、今回はその道へのゲートが施錠されていて入れなかった。でも、SHOさんの仲間が、以前その道も入って探したらしいが、判らなかったとのこと・・・。「あとは、桜野側の沢から頂上へ上がって、その刈り払い道を辿ってみるしかないね~」と諦めざるを得なかった。でも、必ずどこかの林道から付いているはずなのだが・・・悔しい!

 その後、真っ直ぐ帰路に就くのは早すぎたので、日本海側へ出て、乙部町の円山(446m)の直ぐ下を通り、18km以上もの全線舗装の立派な広域基幹林道・栄豊線(乙部町栄浜と八雲町豊浜を結ぶ)を走って、円山への登るルートがないか探してみた。西側に最短で頂上へ登れそうな沢ルートと東側から果たして頂上へ繋がっているかどうかは不明だが刈り払い道を見つけた。

 その刈り払い道を辿ってみようと準備していたら、雷が鳴って猛烈な雨が降ってきた。暫く様子をみたが、止みそうもないので諦めて帰路に就いた・・・途中で親子熊が車の前に現れたので、カメラを用意している内に薮の中へ消えていってしまった。それにしても、この林道、実に立派なまだ新しい林道だが、ほとんど車が走らない無駄遣い林道の典型のような気がしたが・・・?

 結局、走行距離270kmの林道偵察ドライブに終わったが、標高の割に立派な山容の円山への可能性は残った。

 

函館写真のはじまり巡り

2011年08月19日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
 「第65回 箱館歴史散歩の会」(主宰・中尾仁彦氏)に参加してきた。今回のテーマは「函館写真のはじまり巡り」。 
 
 函館(ロシア式)は、横浜(アメリカ式)、長崎(オランダ式)とともに我が国の写真の発祥地である。函館市写真歴史館には ペリー艦隊の従軍写真家・ブラウンが撮影した日本最古の写真も展示されている。

 函館の写真は、ロシアの領事によって写真技術が伝えられ、明治元年に北海道最初の営業写真師・「木津幸吉」が誕生。木津とともに写真技術を学んで、北海道開拓当初の状況を写真に残した「田本研造」、東京を舞台に活躍した「横山松三郎」などの写真家たちが箱館から輩出されている。

 今回のコースは、それらとの関わりの深い、紺野写真館跡~叶同館跡~田本研造スタジオ跡~函館市写真歴史館~旧小林写真館~実行寺~木津幸吉スタジオ跡~高龍寺・横山松三郎の墓と廻った。

 今回は、参加者の中に、古い函館の写真に関わる関係者の子孫の方々が数人いらして、直接いろいろお話を聞くことができた。

        
 十字街電停近くの紺野写真館跡地の前で、4代目に当たる方がその当時(大正末期と昭和9年の大火後)の写真館や初代、二代目の方々の思い出を話された。初代の紺野はるしげは、明治5年、田本研造の後に札幌を中心とした北海道開拓の記録写真を残している。

        
 現在の東本願寺別院の敷地にあった叶同館跡(外国人接待用公館)~田本研造がこの場所の野天スタジオで、土方歳三を初め榎本軍の写真を撮ったと言われている。

        
 明治11年の大火で焼失した田本研造写場(スタジオ)跡に建つ旧北洋相互銀行函館支店の建物・・・今朝の道新に、維持が大変なので持ち主から解体の要望がでているというニュースが同じ写真とともに載っていた。

        <
 函館市写真歴史館~明治42年築の旧北海道庁函館支庁庁舎の建物を利用している。
 ペリー艦隊の従軍写真家・ブラウンが松前藩の役人を映した日本最古の写真(レプリカ)や、横山松三郎が使用した写真機などを初め、写真の歴史に関わる多くの資料等が展示されている。

        
 「小林写真館」・・・現存する写真館で道内最古の建築物(明治40年築)。現在は美原町で営業している谷杉写真館が買いとり、当時のままに復元して、写真スタジオとして利用している。

              
  現在、ここでスタジオを営業している谷杉写真館のオーナーの説明。この写真館と旧函館公会堂を建てた建築家・村木甚三郎の4代目の方も参加されていた。

    
  高龍寺の入口に掲示されている横山松三郎の説明と墓地の上の方にあるお墓    
 

4台目のコンデジ

2011年08月17日 | 日常生活・つぶやき
       

今まで使っていたコンデジカメラは、買ってまもなく落として、電池ボックスの蓋を壊してしまい、セロテープで止めて使っていた。
 また、最近は酷使に耐えかねたのか、雨やガスで濡れたときにスイッチを切ってもレンズ部分が最後まで引っ込まなかったり、レンズを覆う蓋が閉まらなかったり、望遠が使えなくなったりしていて、今回の旅の途中で買い換えようと思ったこともあった・・・。

 今度買い換えるときは、レンズ部分が出入りしないタイプで、落としても壊れない、防水機能の高い徹底したアウトドア仕様のコンデジにしようと決めていた。

 たまたま、こちらが北アルプスへ出掛けている最中に、妻がその条件を叶えるようなカメラを比較検討して選んで購入していたのが、上掲のPENTAX OptioWG-1であった。その連絡をもらって、旅の途中での買い換えを思いとどまることができた。

 気に入った特長は、「本格10m防水、耐ショック1.5m、デジタル顕微鏡モード」である。外観も、徹底したアウトドアタイプで、これなら山や沢、雨やガス中での酷使に十分耐えるだろう。また、これまでのカメラより広角で、顕微鏡モードによる接写1cmまで可能というところも気に入った。GPS搭載の機種もあるが、GPSは持っているので不要だし、電池の持ちが悪いらしい。

            

 さて、我が家のコンデジカメラは、これで4台目である。これまでの3台は全てOLYMPUSであった。今回、初めてRENTAXになったが、コンデジを使う前の山で使用していたコンパクトカメラはPENTAXであった。
 
 1台目(上)は、「c-960 zoom」で、2000~2003年に使用した。単3の電池4本を使用する大きくて重いタイプだったので、軽くコンパクトなタイプが出回ったときに買い換えた。
 2台目(中)は、「CAMEDIAμ-10」で、2004~2007年に使用した。これは、レンズ部分を覆う移動式の蓋が壊れてしまって買い換えた。このころは、まだ画像を取り込むスマ-トメディアの容量が少なく、電池の持ちも短かった。そのために、海外や長期の山旅用にスマートメディアと電池の予備を持参しなくてはならなかった。またモニター画面が小さいのも不便だった。
 3台目(下)は、「μ830」で、2008~2011年の現在まで使用した。これは、画像の容量も多く、電池の持ちも良く、充電池さえ持って行けば、どんな長い山旅でも心配はなかった。

 こうしてみると、およそ3年周期で買い換えていることになる。使用頻度が高く、山や沢、濃いガスや雨の中などでの酷使に良く耐えたと思う。

 ちなみに、画素数の変遷をみると、その進歩は著しいものがある。1台目~131万画素、2台目~320万画素、3台目~800万画素、今回の4台目~1400万画素・・・・。

 なお、昨年末に買い換えた携帯電話のカメラも1209万画素あり、ブログ専用のカメラに使っている。

約半月振りの我が家

2011年08月16日 | 登山・旅行
      <つかの間の雨上がりの積丹岬島武意海岸>

 14日に札幌で墓参りを終えて、お盆休みの妻とも合流し、妻孝行を兼ねて、昨日と今日は日本海側をずっと南下しながら観光を楽しむはずだった。

 しかし、2日間とも朝からずっと雨で、積丹半島の眺望も青い海も楽しむことができなかった。おまけに妻が見たいと言っていた余市町の「フゴッペ洞窟」も共和村の「古里かかし館」も月曜日で休館日。

 昨日は、京極温泉でマッタリ過ごし、そばのふきだし公園の道の駅で夜を明かしたが、朝になっても雨が降り続き、ふきだし公園も見ないで真っ直ぐ帰路に就いた。妻にとっては、札幌まで列車で駆け付けた甲斐のない気の毒なお盆休み観光だった。

 こちらは、約半月ぶりの帰宅となった・・・今回の本州遠征は天候に恵まれず、山に登ったのはわずか7日だけで、計画倒れもあり、残りのほとんど観光と停滞と移動に費やし、効率の悪い山旅だった。

 一番の計画だった「早月尾根~剱岳~剱沢雪渓~裏剱~欅平」は、天気待ちに4日も費やし、雨で1日下山が遅れたが、初期の目的は果たすことができた。しかし、二番目の計画であった「白馬三山の循環縦走」は、2日目の悪天候のために杓子岳~鑓ヶ岳への縦走を断念し、白馬大雪渓の往復に終わった。前段で予備日を使い果たしたせいで、三番目の計画の「室堂~五色ヶ原~黒四ダム」は、日程が足りずに、黒四ダム観光だけで終わった。

 帰りのフェリーの中でページ作りをしてきたおかげで、今日中に剱岳~裏剱の4泊5日分の5ページにわたる山行記は、ホームページにアップすることができた。
 http://sakag.web.fc2.com/uraturugi.htm

余市岳&塩谷丸山

2011年08月13日 | 登山・旅行
定刻通り4:30に小樽到着。雲一つない爽やかな青空が広がっていた。不安定だった北アルプスの鬱憤を晴らすような天候に、迷わず余市岳を目指す。

夏山は94年以来17年ぶり、99年には春山スキーでも登っている。ところが、キロロスキー場の横から入る登山口までの林道ゲートが施錠されていた。数年前にそんな情報を目にしていたことを思い出した。4.7kmの林道を1時間掛けて登山道入口に到着。

さらに、1時間45分で頂上着。札幌近郊はもちろん、増毛山系、大雪連峰~夕張山系~日高山脈の末端までくっきりと見えていた。

下りは、キロロスキー場ゴンドラ山頂駅からの登山道からスキー場の中を下った。ゴンドラは動いてはいなかった。2時間で下山。

その後、塩谷丸山登山口へ。1時間で登り、55分で下った。この山も夏山と冬山スキーで登っているが、ほとんど記憶はなくなっていたが、オタモイ海岸から古平に掛けての海岸線の展望が新鮮だった。

下山後、余市の道の駅で夜を明かすために余市川温泉で汗を流した。

明日は、札幌に居を構える子供たちと義母と一緒に亡妻の墓参りと食事会の予定。
《追加画像》
1、展望所付近から余市岳頂上を見上げる
2、小樽塩谷市街地から望む塩谷丸山
3、頂上直下の岩場から余市方面の海岸線を見下ろす



超満員フェリー

2011年08月12日 | 登山・旅行
14日に札幌に戻れば良いのだが、出て来るときには帰りの13日も14日も満員で予約もできなかった。当然往復割引もダメ。

剱岳に入る前日に、たまたま1台だけキャンセルがあって予約できたのが、今日乗った船(画像)。昨日の段階で明日の便はまだキャンセルはなかった。

それにしても、こんなに大きな船なのに、こんなに混んでいるのは初めてだ。さすがお盆だ。4時間も前にターミナルに着いたのにもかかわらず、乗船手続きに1時間近くも並んで待たされた。乗船を待つ車の数も凄かった。車のほかに、乗客だけの人も多い。

乗客料金も安く、お金を弾めば、個室や家族部屋でゴージャスな船旅も楽しめるのが人気らしい。ちなみに、今回のキャンセルは2等寝台だった。いつも利用する無料の2等船室との差額は1800円。このような混んでいるいるときは、2段ベッドでカーテン1枚でもプライバシー空間があった方がうれしい。

いつもは長い船旅は時間を持て余すので、今回はノートパソコンを持ち込んでホームページのページ作りに励んだ。お陰で退屈することはなかった。

明日は4:30に小樽着なのて、天気が良かったら小樽近辺の山にでも登ろうか・・・?

縦走断念

2011年08月11日 | 登山・旅行
夕方から暴風雨となり、朝になって雨は止んだが、強風に視界数10mの濃いガス。稜線は一日回復の見込みはなさそう。とてもそんな中を縦走する気にはなれない。断念して来た大雪渓コースを下ることにした。同じ決断をした人が多かった。

テントの撤収も濃い霧雨状のガスの中、カッパを着てから・・・テントもずぶ濡れの上に、強風に煽られて大変だった。飛ばされないように押さえていたら支柱が曲がってしまい、中に敷いていたビニールシートはどこかへ飛んでいってしまった。ぐちゃぐちゃに丸めて、他の物も適当パッキングして、早々に退散。

雪渓のところまで下りたら、ガスから抜けたが、後ろを振り返ったら上空は真っ黒いガス覆われていた(画像)。それでも、蟻の行列のような登山者の列は、その黒い中を目指して進んで行く。

9時前には下山してしまう。濡れた物を乾かしたいが、駐車場は曇っていて陽光がない。まずは、白馬市街地へ出て、コインランドリーで洗濯。小谷村まで走ったら晴れて来る。道の駅でテントを車の上に広げて、併設の温泉へ。その後、湿気った寝袋やリュックやカッパなども乾かす。これで、ようやく今回の山行が終わった感じ。
それにしても、今回の山旅は、晴れても早朝だけで、すぐにガスに覆われて、夜は毎日のように雷雨やにわか雨にやられた。各山小屋の管理人たちも「こんな年は珍しい。普通はひるくらいまでは持つんだが・・・」と言っていた。

その後、明日のフェリーに乗るためにのんびりと新潟の道の駅まで走った。途中、糸魚川で塩の道資料館に寄った。
《追加画像》
塩の道資料館

8/10 白馬大雪渓~白馬岳

2011年08月11日 | 登山・旅行
1泊2日で、猿倉を起点として白馬大雪渓を登り、白馬三山(白馬岳~杓子岳~鑓ヶ岳)を循環縦走の計画で5:20スタート。

1時間半程で雪渓の始まりに到着(画像)。先行者が蟻の行列のように見える。4本爪の簡易アイゼンを装着。後ろから暖かい陽光、前から冷たい風・・・結局我慢できずに長袖のシャツを重ね着する。目指す稜線上空に青空が広がって来るのがうれしい。1時間15分ほどで雪渓の終点へ。

険しい岩尾根を登っていくと、一面の花畑が広がる。その花々を楽しみながら登って行くと、今日のテン場の村営頂上宿舎に到着。リュックをデポし、空身で頂上を目指す。

前回、蓮華温泉から白馬大池~小蓮華岳経由で登ったときに、大嵐に見舞われて2泊も避難宿泊した白馬山荘の横を通り、10:30、二度目の白馬岳山頂に到着。前回見えない中を縦走した雪倉岳~朝日岳方面の主稜線の連なりも明日超える杓子岳~鑓ヶ岳もきれいに見えている。立山連峰は雲間からときどき剱岳の鋭峰が覗くだけ。

時間的に余裕があるので、頂上付近をぶらついたり、花を楽しんだりして、昼にテン場に戻る。それにしても花な種類の多い山だ。前回は嵐だったので気付かなかった。

テントを設営し、本を読んですごしたが、14時過ぎにはガスに巻かれ、雨まで降ってくる。夕方にはテントの数が50張りを超えた。さすがに人気の山だ。
《追加画像》
1、雪渓の上に広がる青空~白い尖峰は杓子岳の前峰
2、斜面一面に広がる花畑~赤い花はクルマユリ
3、頂上にて
4、翌日越える予定の杓子岳と鑓ヶ岳(奧)5、稜線下から東側が切れ落ちた頂上を見上げる