癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

居間の模様替えと衣替え

2018年10月31日 | 日常生活・つぶやき

今朝の旧横津岳スキー場斜面の積雪風景

 昨日は気付かなかったが、報道では横津岳と駒ケ岳に初冠雪があったそうだ。今朝も横津連峰は白くなっていた。昨年の横津岳の初冠雪は10/24だったので、昨年より5日遅れということなる。


 我が家でも寒くなるのを見越して、3日前の日曜日に、居間のソファーを配置換えして、冬仕様にしてストーブを点けてみた。予報通り一昨日から気温がぐんと下がり、早速お世話になっている。


意外と効果のあるベランダ窓の冷気遮断パネル

 毎年繰り返していることであるが、季節の大きな転換点である。これをすれば、「今年もまもなく終わりだな~」という思いに駆られる。あとは、車の冬タイヤへの交換だけである。


衣替えついでの断捨離で捨てたモーニング

 居間の模様替えをした後、夏物と冬物の衣替えをしたが、そのついでに、もう着なくなった衣類等を、車に積んで日乃出町のごみ焼却炉へ持ち込んだ。
 これまでも何度か同じことをしているが、このモーニングだけはもう使うことがないのに、捨てることができないで洋箪笥に入ったままだったが、今回捨てることにした。

 義父のモーニングを貰い、自分の体に合うように仕立て直したものである。退職までの11年間で、仕事上の儀式や式典に12回、仲人で1回、息子と娘の結婚式に2回とかなり多く着る機会に恵まれた思い出の1着である。

 妻から、「なぜモーニングと言うの?」と聞かれた。今まで考えたことすらなかった。確かに「なぜ朝なんだろう?」
 検索して調べてみたら、次のようなことだった。疑問が瞬時に解ける便利な時代だ・・・。

 もともとは、乗馬服で、貴族が朝の日課である乗馬の後、そのまま宮廷に上がれるようにとのことから礼服化して、19世紀には公式な場でも現在の背広の様に着用されるようになり、モーニングコートと呼ばれた。コートユニフォーム(日本の大礼服に相当する宮廷服)やフロックコートが廃れて行くに従い、昼間の最上級礼装とされるようになった・・・とのこと。

ミステリー小説に惹かれるわけ

2018年10月30日 | 読書・映画

 読書週間というわけではないが、図書館で前に借りた本を返して、新しく借りて来た。前回も今回も東野圭吾と真保裕一のものばかりである。この2人は、共にミステリー作家である。

 学生時代は純文学を乱読し、現職のころは、必要に迫られて読むものや啓発ものが多かった。しかし、退職してからは、時間つぶしの読書が多くなった。特に、天候のよいときは外での活動がメインなので、天候が悪い時の時間つぶしはテレビか読書である。それ以外の何か没頭できる高尚な文化的な趣味を持ちたいと思っているが、なかなか見つけられないでいる。

 時間つぶしだからといってどんなジャンルでも良いと言うわけではない。テレビもサスペンスやミステリー系のドラマが大好きだが、読書も同じで、それにノンフィクション系のものが加わる。
 自分の傾向としては、面白い作家が見つかると、その作家のものを次々と読むことが多い。これまでに、一番好きな松本清張や吉村昭を初め、新田次郎、生田直親、森村誠一郎、西村京太郎、夏樹静子、佐々木譲、梓林太郎などのものを多く読んできた。今は、東野圭吾と真保裕一にハマっている。最近は若くて優秀なミステリー作家がどんどん出てきているようだ。いずれ、それらの作品も読んでみたいと思っている。

 なぜミステリー小説に惹かれるのか、自分なりに考えてみた。時間つぶしの読書なので、面白くて、最後まで没頭して読めることが一番なのだが、没頭させられる魅力がたくさんある。

 いろいろなパターンがあるので、一概に言えないが、思いつくまま列挙すると、魅力的なトリックや謎解きのスリルや面白さ、ハラハラドキドキ感、魅力的な登場人物による魅力的な人間ドラマ、非日常的な中での場面展開、起承転結の「転」の醍醐味、どんでん返しや自分の予想の範囲を超えた展開にやられた思う快感、作家の発想の豊かさへの感動などなど・・・。
 
 要するに、スリルとサスペンスに満ちたあきさせないストーリー展開が一番なのだが、度肝を抜かれるようなとびっきりの真相が用意されていて、意外性と論理性が見事な両輪をなしている深みのある作品に惹かれるようである。

 秋の夜長、アウトドアには最も中途半端な11月を迎えて、ここ当分はミステリー世界に没頭する日々が続きそうだ・・・。

 ここ数日は、不順な天候が続いている。連日晴れ間を狙っての1万歩超ウォーキング以外は、この読書と録り溜めたテレビを観て過ごしている。

レストラン月兎

2018年10月29日 | 食べ物

平成元年開店の「あったかいごはんと珈琲の家・月兎」~隣の鈴木米店が本業の店。

 一昨日、ずっと以前から気になっていた北斗市市渡のレストラン月兎に、妻を誘って昼食に出掛けた。
 営業時間は11:00~16:00まで、定休日は火曜日。


店内の様子~木をふんだんに使った隠れ家的な雰囲気がすてき。


落ち着いた個室風の席


カウンター


こちらの「月兎定食」と「食らわんか弁当」を注文。ともに、980円(税込)。
食事メニューは全部で5種類で、 あとはデザートと飲み物。


開店以来変わらない「月兎定食」~ワンプレートに盛つけられた鮮やかな和食で、彩りも鮮やか。


ワンプレート部分のアップ。このほかに小鉢が3つ。


2段重に入った「くらわんか弁当」


2段の海苔弁当とオカズとに分かれている。この海苔は手作り感いっぱいの地海苔。

 
炊き込みご飯(白飯も選べる)と海苔弁当のアップ。


食べ終わったあとの小皿と小鉢に月兎の模様。


昔懐かしい一ケタの電話番号の灰皿。当時の大野村で4番というのが凄い。

少なくとも自分が子供のころのものである。そのころは電話を設置した順に番号が決まっていたので、「金持ちの順番」という話があったくらいである。

講演会「元道新記者が見た青函連絡船」

2018年10月28日 | 登山・旅行

 1988年3月の青函トンネル開業に伴い、その役割を終えた青函連絡船をテーマにした、道新ぶんぶんクラブと函館支社共催の講座。


 講師は、函館出身で元道新記者の原田伸一さん(2006年~09年函館支社長)

 このたび、自ら撮影した連絡船の写真と人々のドラマに焦点を当てた新著「海峡の鉄路 青函連絡船 110年の軌跡と記憶」(北海道新聞社)を出版されている。

 講演会は、道新ぶんぶんクラブの相原秀起事務局長(前函館支社報道部長)との対談形式で、54年(昭和29年)に多数の犠牲者を出した洞爺丸事故を取材した記者たちの姿をはじめ、88年3月の連絡船の終航まで、道新の記者たちが目撃、記録した連絡船にまつわる秘話を写真を映し出しながら語った。

 終航から30年経ち、昭和時代の思い出としての印象が強い青函連絡船だが、参加者は、自分の思い出と重ねながら感慨深く聞いていたようである。

<印象的な話をメモしたものが下記である>

・父親が国鉄職員で、港町の国鉄官舎で育ったために、子供のころから汽車や連絡船に興味を持っていて、そのころに撮った写真も残っているそうだ。

・祖父はカメラが趣味で、1920年代の1本煙突の連絡船の写真も残っている。

・昭和39年(高校生の頃)の函館ドックで初めて造られた連絡船・松前丸の進水式を見に行って、その様子をカメラに収めている。そのときの北海道新聞の写真に、たまたま自分が写っていた。

・青函連絡船の大きな転機となった洞爺丸事故は、幼少時で記憶はないが、親から聞いて知っているし、記者になってからも当時の新聞記事を全部チェックし、切り抜いて保管している。また、今回の著書の取材で、函館や青森のOBや遺族や関係者からも具体的に聞いたり、関係した新聞記事を入手した。

・昭和35年の日本初のディーゼル特急はつかり(青森~上野)と、北海道のディーゼル特急おおぞら(函館~釧路)が連絡船を繋いだ。昭和36年に、はつかりの遅れを取り戻すために、八甲田丸が3時間26分で運航したという記録が残っている。当時は4時間20分が定時の運行時間であった。

・昭和40年には、揺れない連絡船を目指し、英国のスタビライザーの技術を取り入れた。揺れないために、北海道周遊にも使われた。

・国鉄線路が土砂崩れで不通になり、函館~室蘭の臨時運行をしたこともあった。

・洋上結婚式や男子誕生などもあった。船長が名付け親になったという記事も残されている。

・修学旅行での利用が多く、初めて連絡船に乗ったのが修学旅行という人が多い。

・ドラのあとに流れる「ほたるの光」は、昭和16年にたまたま事務担当の船員が流したところ、別れの雰囲気を盛り上げるということで非常に評判が良く、それが定着したとのこと。ただ、戦時中は情緒的過ぎると禁止されたが、戦後、復活した。

・終航は、青森発が八甲田丸で、函館発が羊蹄丸だった。終航後は、お互いに基地港である青森と函館へ、それぞれ客を乗せないで戻っている。

キャンドル+ひのきの香り

2018年10月27日 | イベント鑑賞・参加


 昨日の北海道新聞みなみ風に掲載されていた記事を見て、我が家から歩いて2~3分ほどのところにあるモデルハウスが会場だったので、キャンドルが灯される17時過ぎに行ってみた。

 末広町のキャンドル店「710candle」と、無垢の国産のひのきと柱や梁の木の構造材をあらわにした「真壁造り」を取り入れている住宅メーカー「サイエンスホーム函館店」が共催。
 キャンドル作家の和泉詩織さんと、市内のアニバーサリープランナー岡田真梨さん、照明のデザインを手がける「enya Nakamuraya」がチームを組んだ催しであった。

 ひのきの香りが漂う屋内をキャンドルで飾り付け、リラックスできる空間を提案するということであった。














鳥崎渓谷の紅葉

2018年10月26日 | 花・紅葉だより

<屏風岩>

 今年の紅葉は、台風の影響で、どこも不作の感が強い。しかし、森町の鳥崎渓谷は例年通りとてもきれいだとの情報を得て、明日から雨が続くので、今日の午前中に行ったみた。
 ここを訪れるのは久しぶりだが、確かに見事な紅葉を呈していた。多分、谷の中なので台風の影響を受けなかったのだろう。
 ただ、一番の見所の上大滝は、崖崩れで、2.5km手前の駒ヶ岳ダム横のゲートが閉じられたままだった。
 ゲートを潜って、ダムに架かる新鳥崎大橋まで歩いて行って戻った。


















きじひき高原ヒルクライム

2018年10月25日 | MTBロングライド・ヒルクライム

きじひき高原展望台から駒ケ岳と大沼・小沼を望む


GPSトラックログ


 先週の城岱牧場ヒルクライムに引き続き、今日はきじひき高原ヒルクライムに挑戦。パノラマ展望台の先の最高地点(658m)を越えて、「噴火湾展望台」まで行く予定だった。しかし、噴火湾の展望は霞んで見えそうにもないので、パノラマ展望台(550m)で引きかえした。
 帰路は、八郎沼~文月開拓~上磯峠下線~松前藩戸切地陣屋跡~国道228と走った。総走行距離は55kmだった。


国道227号から目的地の木地挽山を望む


1時間15分で、14.3km地点のきじひき高原入口に到着。


「匠の森公園」入口


道路縁の紅葉


カエデの紅黄葉


きじひき高原キャンプ場のバンガロー


金茶色のブナの黄葉


カエデ類の紅黄葉


展望台。入口から標高差470m、7.5kmを休み休み1時間20分で登った。


展望ハウスの下から眼下に広がる函館方面の眺め


大野川に架かる大野大橋。下りはここまでわずか17分


八郎沼


樺太引揚げ者による戦後開拓地である文月開拓の小高神社


松前藩戸切地陣屋跡・・・サクラ並木の紅葉を期待したが、まだ青々していた。


陣屋跡の中の立派な松と紅葉


国道228号に出て、大野川河口付近に架かる有川橋から木地挽山(左)と駒ケ岳(右)を眺める


遅めの昼食は、初めて入った七重浜の櫓屋


辛味噌ラーメン(950円)・・・チャーシューも厚く、また来たいと思うほど美味かった
七味唐辛子がまぶされたニラはラーメンに入れ、ご飯はシメにスープを入れて食べた。


 5時間弱のトレーニングを兼ねたロングライドだったが、先週より距離が長いのと、下山後のコースはアプダウンがあるので、先週の城岱よりは疲れが大きい。しかし、その疲労感が運動したという満足感に昇華するのうれしい。
 また、天気を見ながら、城岱もきじひきも何度かトライしたいと思っている。


ライフスポーツ秋の登山会「磯谷道」

2018年10月24日 | 登山・旅行

<お経岩の前にて>

 今年度の函館ライフスポーツの秋の登山会に選んだのは、昔の恵山町の御崎町と椴法華村を結んでいた「磯谷道」・・・江戸時代から、車社会になる昭和30年代まで生活道路として利用されていた旧道である。


GPSトラックログ

 朝まで雨が降っていたが、9時過ぎには止むという天気予報を信じて決行した。29名の参加者を貸切バスで市内のあちこちで拾いながら、登山口となるホテル恵風へ向かった。
 今回の参加者は全員65歳以上で最高齢82歳。29名中22名が70歳以上の元気印の前期・後期高齢者ばかりだった。
 


10:50、ホテル恵風の駐車場で、雨の上がったばかりの恵山をバックに準備運動


水無沢を横切る地点から上を見上げる


水無沢から急な旧道を登る


落葉を踏みながら、峠手前の平坦な明るい林の中を進む


カエデの紅葉


11:50~12:30、峠での昼食風景


ようやく陽光を浴びたやや遅れ気味の紅葉


このコースのハイライト・・・「南无阿弥陀佛」と彫られた「お経岩」

 安政丑年(1865年)に堀川乗経が書いたと言われる『恵山名号』
 この文字が風化して判読できなかったので、昭和36年に、いつもこの道を利用していた函館市の菓子問屋飯島治三郎が創業50周年を記念して、私費を投じて業者に彫り直させたと伝えられる。


13:15、ゴールの御崎町の国道から恵山を見上げる

 下山後、65歳以上の函館市民は50円で入浴できる戸井ふれあい湯遊館の温泉へ入って、帰路に就いた。予報通り午後から晴天になって暑いくらいだった。紅葉は遅れ気味だったが、全員大満足。

西部地区のツタ紅葉

2018年10月23日 | 花・紅葉だより

 今年の山の紅葉は、台風の影響で総じて不作なようだ。おまけに 最近暖かい日が続いているせいか遅れがちな感じである。
 街中の紅葉も、例年より遅れているようだが、ツタの紅葉はどうだろうか?とツタの絡まる建物が多い西部地区へ出掛けて見た。

◎ツタの絡まる建物の代表と言えば「明治館」













◎西部地区のツタの絡まる建物  記憶を頼りにあちこち回ってみた。














十和田湖・奥入瀬渓流・八甲田の紅葉&鶴の舞橋

2018年10月22日 | 登山・旅行
 10/19(金)に念願のランプの湯・青荷温泉に泊った後、十和田湖に抜け、奥入瀬渓流と八甲田の紅葉を堪能し、時間的余裕があったので、鶴田町の鶴の舞橋にも寄って。18:00発のフェリーで帰って来た。

◎十和田湖畔の紅葉


レークサイド山の家の湖畔


ケーキ屋さんのような甘い香りを振りまいているケヤキの大木


休屋地区湖畔の溶岩の島「恵比寿大黒島」


乙女の像

◎奥入瀬渓流
奥入瀬渓流の紅葉は、今週末辺りが最高潮になりそうな感じだった。


銚子大滝


寒沢の流れ


白糸の滝


十和田湖子の口からとうとうと流れる奥入瀬川


雲井の滝


阿修羅の流れ


十和田市と八甲田の分岐にある食堂で食べた十和田市名物「牛バラ焼き定食」

◎八甲田の国道
 蔦沼にもぜひ寄りたかったが、入口の蔦温泉駐車場が満杯で諦めざるを得なかった。
 標高1000m以上のところはすでに紅葉は終わっていた。


国道を覆うブナ中心の見事な紅黄葉


国道わきの林の中


城ヶ倉大橋から望む上流の西斜面と八甲田連峰


城ヶ倉大橋から見下ろす下流の北西斜面


城ヶ倉大橋の上からドローンで撮影したような真下の紅葉

◎鶴の舞橋

 平成6年7月、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に架けられた、木製では日本一長い全長300㍍の三連太鼓橋。
 材料は、青森県産「ひば」1等材 で、直径30cm(樹齢150年以上)が700本使われている。


橋の入口


岩木山と鶴の舞橋。この夕陽が沈んだ後の景観は絶景とのこと

函館市主催「恵山紅葉登山会」

2018年10月21日 | 登山・旅行

スタート前の全員による集合写真。例年は真っ赤な海向山の斜面の紅葉は大凶作。

 今年も春に引き続き、函館市主催の恵山紅葉登山会のガイドの要請を受けて参加。
 初心・初級者対象の恵山コースと中級者対象の海向山コースの2班に分けて、申し込みを受けたが、海向山の方はわずか2時間で定員に達し、恵山の方も翌日には満杯になったそうだ。
 今回の参加者は、恵山コースは35名にスタッフ6名の41名。海向山コースは33名にスタッフ5名の38名。合計79名という、これまでで最高の人数だった。3回連続で札幌から参加のご夫婦もいらした。


ガイドの6名

 恵山コースのガイドは、自分がリーダーで、古道・郷土史研究家の毛利さん、函館山楽クラブ会長の丸岡さんの3人に恵山支所職員3名。
 海向山コースは、鎌鹿さんがリーダーで、HYML仲間の若手のmakkoさんとjyunさんの3人に恵山支所職員が2名。
 この春までは、鎌鹿さんと自分の2人だけだったので、非常に助かった。

 参加人数も最高、天候も最高・・・だったが、いつもは見事なはずの紅葉は、台風の塩害で、葉は落ちたり、枯れてたりが多く、かつて経験ないほどの大凶作だった。


開会式での主催者である恵山支所長の挨拶


スタート前の恵山コースグループのレクチャー
 丸岡さんには、恵山の魅力と歩き方の注意点を、毛利さんには、恵山の歴史について話してもらった。
 後ろのいつもは真っ赤なはずのサラサドウタンは、葉が落ちたり、枯れたりの哀れな姿である


いつも多人数を引率している丸岡さんに先頭を、毛利さんは中ほど、自分は最後尾でスタート。


休憩中に恵山についての詳しい説明をしてくださった恵山支所の松本主査。


溶岩の中を進む。多くの山に登ってはいるが、このようなロケーションの山は珍しい。


噴火口の上から火口原と海向山を見下ろす。赤茶けた紅葉のみでさびしい限り


山頂での集合写真


今年の9月に森林管理署が新しく設置してくれた頂上標識。山名が逆光になる方を向いているのが残念。


開けてビックリ・・・妻がいたずら心で作ってくれたおにぎり


 台風の塩害を避けた前山の西向き斜面は、多少はきれいな紅葉を呈していた。
 今年の台風は太平洋側から吹き付けたので、東斜面の紅葉がことごとくやられたようだ。

念願のランプの宿・青荷温泉

2018年10月20日 | 登山・旅行
    
    〈本館の玄関とロビー〉

 「電気もねぇ、テレビもねぇ、電波もなければスマホも繋がらねぇ」が売りの人気のランプの宿・青荷温泉。
 黒石市の山奥にある一軒宿の有名な秘湯である。10年以上も前から、一度泊まってみたいと思っていたが、ようやく念願が叶った。

 明るいうちに、敷地内の温泉や施設を見ておきたいので、16時過ぎに到着。

     
 本館。自分たちの部屋は、左側の棟だった。

     
 玄関前のお迎え「よぐきたねし」

     
 受付を済ませ、昼からランプの点る本館宿泊棟の廊下を通って部屋へ

     
 テレビもコンセントもなく、ランプが点り、ボータブルの石油ストーブがある6畳間

    
 敷地内の地図。本館のほかに、離れの宿泊棟が3棟、温泉は本館の内湯のほかに外に3棟あり4つの湯巡りが楽しめる。

 まずは、敷地内の散策。紅葉がちょうど見頃だった。
    
 玄関前の一番大きな「健六の湯」
     
 総青森ヒバ造りの兼六の湯の浴室。ボディシャンプーのみ。

    
 裏の吊り橋の先には別棟の宿泊棟と外湯などがある

    
 吊り橋から眺める本館と紅葉に彩られる渓流

    
   一番新しい「滝見の湯」。2階は宿泊棟。
    
 ヒバ造りの滝見の湯の内風呂
    
龍ヶ滝が眺められる滝見の湯の露天風呂

    
 混浴の露天風呂。女性専用時間は17時から18時まで。温くてので入らなかった。

    
    十方堂。神社も兼ねた団体用の宿泊棟

    
 ランプ小屋の中に吊るされていたランプ
 
 一通り見て歩いたあとに、夕食前に滝見の湯と健六の湯に入った。

    
 総ヒバ造りの本館の内湯。寝る前と朝風呂に入った。一番熱かった。

    
 18時前の夕食の準備の終わった大広間。
    
 岩魚の塩焼きや山菜など、素朴で昔ながらの田舎料理に大満足。ご飯と汁物はセルフサービス。
 これはフラッシュをたいて撮ったが、ランプの光だけでは、何を食べているのか良く分からなかった。
    
 汁物は、郷土料理のけの汁
    
 満室で73名の夕食風景。外国人も多かったし、わざわざ九州からこの宿のみを目的に飛行機と新幹線を繋いでやって来たというご夫婦もいた。

    
 6時半からは、金曜日だけの津軽三味線の演奏もあった

 7時半には部屋に戻ったが、暗くて本も読めない。 ストーブを焚くほどは寒くなかった。内湯に入り直し、寝酒に缶チューハイを飲み直し、8時過ぎには寝てしまった。

    
    朝食

 自然豊かな落ち着いた場所で、俗世間から離れてゆったりと過ごすには最高の環境である。建物や施設はどれもしっかりした造りで、手入れが行き届き気持ち良く過ごすことができた。
 冬期間も営業しているし、春の新緑の頃も楽しいだろう。いずれまたリピートしてみたい宿である。

 このあと、十和田湖へ抜け、奥入瀬渓流と八甲田の紅葉を楽しんだ。時間の余裕があったので、鶴田町の鶴の舞橋に寄って、青森へ戻った。
 その様子は、明後日の月曜日にアップ予定。

弘前市洋館巡り 

2018年10月19日 | 登山・旅行
 ずっと以前から、青森県黒石市のランプの宿で有名な青荷温泉に一度は泊ってみたいと思っていた。どうせなら十和田・奥入瀬渓流の紅葉時期とセットにしたかったが、その時期にはなかなか宿が取れなかった。
 1週間前に検索してみたら、たまたま今日だけ1部屋空きがあった。理想的にはあと1週間ほどあとが良かったが、すぐに予約を入れた。妻の仕事は休みを取ってもらった。

   
 新幹線で行けば楽だが、時間は売るほどある。一人1,440円で済む8:00発の青函フェリーに乗った。4時間はブログの下書きと読書で過ごし、青森フェリーターミナルで軽のレンタカーを借りる。免責保証金を入れて2日間で9,860円。

 国道へ出て昼食を摂り、まずは弘前市へ向かった。今回の目的は、時間が1時間ほどしかないなで、洋館巡りだけである。

 弘前市は、明治維新以降、積極的に外国人の教師を招き、教育の普及に取り組んできた。そのため、早くからキリスト教が広まり独特の洋館が造られたのだそう。

 弘前公園近くの弘前観光館の駐車場に車を置き、地図を入手。歩けるところは歩いて回れるところだけにした。内部もじっくり見たかったが、時間がないので、外側から眺めるだけに終わった。

    
      藤田記念庭園
    
 大正8年(1919)、弘前市出身の日本商工会議所初代会頭藤田謙一氏が造らせた別邸。
弘前市が市制施行百周年を記念して整備し、平成3年(1991)に開園した日本庭園。
 
    
     旧市長公舎
 1918年(大正6年)に第八師団長官舎として建設された玄関部に切妻破風をもつハーフティンバー風洋館。後に弘前市長公舎として利用されていたが、市役所新築に伴い現在地に縮小移転された。

    
      旧弘前市立図書館
    
 明治39年(1906)に日露戦争勝利記念に市民の手で建てられ寄贈。昭和6年(1931)までは図書館として利用。その後、昭和62年(1987)まで下宿や喫茶店として払い下げられ、市制施行100周年を記念し追手門広場に移築。ルネッサンス様式を基調とした木造3階建てで、随所に和風も取り入れられている。

    
      旧東奥義塾外人教師館
 明治5年(1872)、県内で最初に開校した私学校。 東奥義塾の外人教師館は、明治23年(1890)外国人教師用の住宅として建てられたが、同32年(1899)に焼失。現在の建物は翌34年(1901)に再建

    
      青森銀行記念館
 旧第五十九銀行の本店として、明治37年(1904)に建てらた。木造2階建て、ルネッサンス調の洋風建築を厳格に守りながら、防火のために日本の土蔵造りを取り入れるなど、和洋折衷の優れた建物

    
      日本基督教団弘前教会
  明治8年(1875)、「弘前公会」の名で創設された東北最初のプロテスタントの教会。ノートルダム寺院にも似た双塔ゴシック様式の建物。

    
      カトリック弘前教会‎ 
    
 明治5年(1872)、パリ外国宣教会のアリヴェ神父が布教を始めた弘前カトリック教会。現在の聖堂は明治43年(1910)に建てられた。

    
      百石町展示館
    
 明治16年に呉服店として建てられ、大正6年に最小限の改装をし、津軽銀行として営業。その後、青森銀行と合併、平成10年10月まで青森銀行津軽支店として使用されていた。平成13年、市へ寄贈された。

 まだ、ほかにも4軒ほどあったが、離れているので、今回はパスした。

 このあとは、宿となる青荷温泉へ向かったが、「電気もねぇ~、テレビもねぇ~、電波もなければスマホも繋がらねぇ」宿なので、今日のブログは、ここまで・・・。
 これも、翌日の朝に、電波の繋がるところまで車で移動して、アップした。

 念願のランプの宿・青荷温泉の宿泊の様子は、帰りのフェリーの中でアップ予定。 

第95回赤光社美術展

2018年10月18日 | イベント鑑賞・参加

今年で95回を数える赤光社美術展。今日から10/23まで、棒二森屋デパートで開催されている。

 毎年yamaさんから招待券をいただいて鑑賞することができている。会員、会友、一般応募の作品が119点展示されている。

 美術はまったく分からないが、元同職の知人も多いので、毎年どんな作品を出品しているのか、とても楽しみである。
 また、山を描いた作品にも興味があり、いつもカメラに収めては、ブログにアップしている。






yamaさんの「生命の森」


毎年独特のタッチで山を描き続けているIさんの「頂稜(羊蹄山)」

このほか、山を描いている作品