癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

吹っ切れて長期戦へ

2008年03月31日 | 大腸癌日記
           
         (今日目にした京蕗のフキノトウ~外側の萼片の先がへら状になっているのが特徴?) 

 今日も外来診察を受けて来た・・・・。
 本来であれば、大腸癌術後の体調診察がメインのはずなのだが、いつの間にか創傷に振り回されて、すっかり主客転倒してしまった感が・・・。

主治医 「当分このままで様子見るしかないようですね。また、縫い直しても多分同じでくっつかないでしょう。たまに、こういう長く掛かる人がいますよ。」
私 「痛みがほとんど無くなったのに、いつまでも汁が出るのが不気味ですね。いつかは治るんでしょうね。永久に塞がらないんじゃないかと思ってしまいます。」
主治医 「少し長く掛かると思いますが、必ず治りますよ。」
私 「早く、山に登ったり、走ったりしたいんですよね。」
主治医、「このままでも痛くなければ走ってもいいですよ。・・・・う~ん、でも、走るのは無理しない方がいいか・・・。」
私 「まだ、走る気にはなりませんけど、歩いたり、簡単な山をゆっくり歩くのは構わないですか?」
主治医 「構わないですよ。とりあえず、1週間後また来てください。ガーゼと消毒薬1週間分出しておきます。」

 帰りがけに、臨床試験担当の看護師にも様子を聞かれた。
「わずか数ミリなんだろうにね。同じように長く掛かる人、たまにいますよ。必ず治りますから、焦らないでのんびり付き合ってください。でも、体動かしたいでしょうね。歩くことは構わないはずです。かえって傷の周りの筋肉も鍛えられますからいいですよ。」

 ・・・ということで、痛みもほとんど感じなくなったので、もう気にしないことにした。縫い直した5cmほどのうち、塞がっていないのはわずか1cmくらいのものである。そんなわずかな傷にくよくよいらいらするのは自分らしくない。煩わしさは、入浴時の防水シート貼りと入浴後のカーゼ交換だけだ。そう思ったらもうすっかり吹っ切れた気分になった。回復を信じていよいよ長期戦へ突入!

 早速、今日も2時間ほど歩いてみた。まだ抜糸していないので、多少つっぱた感じはするが、痛みはほとんどなくなった。明日からもどんどん歩くことにしよう!吹っ切れ記念に、これまで消化が悪そうで敬遠していたラーメンも2ヶ月ぶりに食べた。野菜塩ラーメンにチャーハン少々・・・ウメガッタ~!

いつになったら・・・?

2008年03月30日 | 大腸癌日記

 今日、山仲間のSeさんが、袴もきれいに取り除いたギョウジャニンニクを届けてくれた。例年より半月も早いとか・・・。早速、夕食にニラ玉でご馳走になり、元気をいただいた。残りは湯がいて小分けにして冷凍保存した。

 新聞によると、函館山の麓でエゾエンゴサクも咲いたとか・・・例年より半月ほども早い春の到来に、思うように進まない原因不明の創傷回復の遅れにやや苛立ちを覚えてきた。

 開いていた創傷は縫い直しによって閉じたように見えるが、一部、中から血混じりの液がときどき滲み出てくるのには参ってしまう。それが乾いたからいいかな?と思うと、時間が経って何かの拍子に傷の内部に溜まっているらしいその液が出てくる。痛みはほとんど無いのにどうなっているのだろう。

 縫い直しからすでに5日・・・普通ならもうくっついていて抜糸ができる頃らしい。昨日までは痛みもあったし、おとなしくしていた方が傷の着きもいいかと思って安静にしていた。しかし、今日のポカポカ陽気にいたたまれず、用足しがてら2時間近く歩いてみた。歩くことによって滲出液が内部に溜まらないで出てきてくれることを期待したが、どうやら無理のようだ・・・?

 明日は、また外来診察だ。また主治医の頭を悩ませることになるのだろうか・・・? 再々手術でもいいから、なんとかして欲しい! 

誕生日

2008年03月28日 | 日常生活・つぶやき
 今日は64回目の誕生日・・・今までの誕生日で、インフルエンザで生まれて初めての39.6℃もの高熱に見舞われた退職4日前の60歳の誕生日も印象深いが、今回はそれ以上に感慨深い誕生日だ。単なる通過点として過ぎていくはずの誕生日だったのだが・・・。

 妻が誕生ケーキを買ってきてくれた。ろうそくを4本立てて感謝の気持ちを込めて祝った。予定では、今頃は傷もすっかり塞がって、完璧な形でこの日を迎えるはずだったが、どうやら今しばらく掛かりそうなのが残念。

 その傷であるが、まだ浸出液が出ているので、気にしながら今日の外来診察に行った。「まだ、液が出ているのですが・・・」「えっ~?」・・・どうやら、主治医も想定外だったようだ。本来であればもうくっついているはずのようだ。

 傷を診ながら、周りを押して液を絞り出して「中の方が付いてないんですね。糖尿の気のある人はどうしても着きが悪いんですよね。」「ガーゼで吸い取りながら自然に着くのを待つしかないですね~。抜糸も少し先延ばしせざるを得ないか・・・?」

 「肝心のお腹の方の回復はバッチリで体調もいいのに、まさかこんな副次的なことで手こずるとは思わなかったです。」と言ったら、主治医も「私もこんなことで長引くとは思いませんでした。しばらくの間、安静にして、また月曜日に来てください。」とのこと。

 退院時には、4月になったら低山歩きから復帰しようと思っていたのだが・・・。まあ、焦らずノンビリと参りましょう。 

臨床試験検査スケジュール

2008年03月27日 | 大腸癌日記
 歩くだけなら痛みは感じないが、腹を曲げたり捻ったりするとまだ鋭い痛みがあり、浸出液も出ているので、今日もおとなしくしていた。明日はまた外来で傷の様子を診てもらうが、なんとかくっつく兆候が現れていて欲しい。

 一昨日の外来時に、向こう5年間の臨床試験の検査スケジュール表をいただいた。大まかにまとめると下記のようである。

○UFT服薬中の1年間は、月1回、血液・生化学・一般/臨床所見を実施。
○3年間は3ヶ月毎に、それ以降は6ヶ月毎に、上記の他に、腫瘍マーカ測定、腹部CTまたは腹部超音波検査、胸部X線または胸部CTを実施。
○ただし、上記の血液・生化学・一般/臨床所見・腫瘍マーカーについては、術後1年6ヶ月以降は腫瘍マーカーのみの測定。

 これらの計画的な検査を無事くぐり抜けて、何もなければ5年後に完治ということである。まだかなり先のことだが、なんとかその日が早くやってくることを願いながら日々過ごしたいものである。 

縫合手術翌日外来

2008年03月26日 | 大腸癌日記
 術後の様子見の外来へ。自分で車を運転していく。昨日ほどの痛みはなくなったが、ちょっと強い動きや何かの拍子にチクッと強い痛みが走る。

 主治医が診てくれたが、特に心配なことはないようだ。自分でも初めて縫った傷を見たが、黒い糸のようなもので縫われていて、傷は前のようには口を開けてはいなかった。消毒をして、ドレッシングを貼り替えただけ。「明後日、また見せに来てください」とのことで、消毒キットとドッレッシングを3日分持たせてくれた。このまま無事くっつくことを強く願う。

 帰宅後は、昨日同様おとなしくTVの高校野球を観て過ごした。好ゲームが多く見応えがあった。

創部縫合手術

2008年03月25日 | 大腸癌日記
                   (咲きそろった我が庭先のフクジュソウ)

 本日、臍横の5cmの傷口の開いてなかなか治らない部分の縫合手術を受けた。結局、傷を塞いだりくっついたりする部分の組織が弱っていたらしい。その部分を切除して改めて縫合した方が治りが速いとの主治医の判断である。確かに退院後2週間経ったが、傷口の回復は遅々として進まずちょっとイライラしていたし、このままなら永久に治らないのでは・・・?とさえ思っていた。

 帰りの運転がちょっと心配なので、妻にも同行してもらって9:00に外来へ。血圧と体温を計り手術室へ案内される。手術着に変え、手術用の帽子を被って6番手術室へ。中では主治医が待っていた。「今度は一発でくっつくようによろしくお願いします」とお願いして手術台へ。
 
 顔の前は手術の様子が見えないように遮られる。心電図や血圧計や体内酸素計測器などに繋がれる。次に腹の部分を広く丁寧に消毒。やがて、局所麻酔の注射。これが長くて痛い。両足の指をピンと広げて腹筋を締めて痛みに堪える。

 そのうちに痛みが感じなくなる。「まだ痛みはありますか」の問いに「いいえ」と答える。「始めます」の合図があるのかと思っていたが、それもなく、すぐに手術は始まったらしい。傷の部分を押さえながらメスで弱った部分の組織を切除しているらしいことは感じるが、痛みはない。押されるたびに腸の中でガスが細かに動くような感じがする。これが切っているときの痛みに変わる感覚なのか・・・? 

 その後、傷を縫い合わせているような感じ・・・。「前の縫合の時の筋肉に溶ける糸状のものが残っていたので、それも取り出しました」とのこと。縫いが下の方に移ったときにちょっと痛むので、「痛いです」と言ったら「痛み止めを増やします」との看護師の声。まもなく、「はい、終了です。」の声。どうやら、今回は鉤で止めるのではなく縫ったようだ?

 「抜糸は10日か1週間後にしましょう」とのこと。今回は慎重を期しているようだ。「明日も、傷を見たいので外来へ来てください」とのこと。

 その間、10分は掛からなかったような気がして、看護師さんに聞くと「手術自体は5分くらいだったのでは」とのこと。ちょっと呆気ない気がしたが、これで済んでホッとする。着替えのときに見たら、縫合部分は5cm×7cmほどのドレッシング(ガーゼ付きの絆創膏)が貼られただけ。

 麻酔が効いている内は痛みもなく、平気で歩けたが、薬局で痛み止めと化膿止めの薬を受け取っている内にチクチクとした痛みが出てきた。帰りの車は妻に運転してもらった。帰宅後、痛みが増してきたが、腹を伸ばして座ったり、仰向きになっているときの痛みはほとんど感じない。しかし、腹を曲げたり、捻ったりすると結構鋭い痛みがある。ずっと仰向けになってTVで高校野球を観たり昼寝をしたりしておとなしくしていた。

 多分今日が一番痛みが強く、後は日々弱っていくのであろう。傷からは昨日まであった浸出液も出ていないようだ。これまであまり実感がなかった傷の回復の感覚が楽しみだ。

 今日の朝食後から抗ガン剤の服用も始めた。1時間後と1時間半後に下痢が来て、「もう副作用?」とちょっと焦ったが、看護師に聞いたら、「そんなに急には来ません。たまたまでしょう」とのこと。確かに、その後は来なかった。

退院2週目外来

2008年03月24日 | 大腸癌日記
        (昨日ニセコ道の駅で購入した花が上を向いて咲く変わったスズランの苗)

 朝起きて体重を測ったら60kgちょうどになっていた。ニセコ温泉療養でご馳走をたらふく食べて動かないで過ごしたからか・・・なんか腹だけが出たように思うのは気のせいか・・・?

 今日は、退院して2週目の外来日・・・腹の調子は快調そのものなので、気になるのは傷の回復状況だけなのだが・・・傷を見た主治医曰く、「1週前とあまり変わっていないですね。もう少しなんだけどなぁ。これは、積極的にくっつく気がないようですね~。改めて縫合手術をした方が治りが速いですね。局所麻酔でできますが、どうされますか?」・・・・(えっ?また、切って縫うの?でも、治りが速い方がいいなぁ・・・このままではちょっとイライラ状態だし・・・)「判断は先生にお任せします。」・・・「では、明日、早速やりましょう!9:30に手術台の予約を入れます。」・・・即決即断は私好みだ。さらに、もう一点、臨床試験の抗ガン剤服用を明日から開始するとのこと。

 明日の手術と抗ガン剤の服用の詳しい説明を看護師から受ける。その看護師も「縫い直した方が絶対治りが速いですよ。感染の心配もないし・・・」とのこと。抗ガン剤は、ユーエフティE顆粒20%で副作用の少ないものだとか。一回の服用は300mg。朝食後と夕食後に5日間飲んで2日休むという休肝日と似たパターンを1年間続ける。

  「まれに口内炎、下痢、食欲がなくなるなどの副作用が出ることがありますが、これまでの経験では、50人に一人か二人くらいものです。もし、何か普段と変わった症状が出たら、必ず連絡してください。」とのこと。少し安心する。ただし、薬代の負担分が月に4万円ほど。1年間なので約50万円・・・がん保険の期待した火事太り分のほとんどはしっかりとこっちへ回る計算になる。なかなかうまくはいかないものだ・・・。
 
 とりあえず、この抗ガン剤2週間分(10日分)とこれまで服用しているツムラの漢方「大建中湯」を2週間分、薬局で受け取って帰宅。両方で8,000円弱・・・ということは、月4万円というのは計算が合わない。もっと安く済むはずだ・・・明日聞いてみよう。

 明日の手術名は「創部デブリートメント縫合手術」・・・帰宅後ネットで調べてみたら、デブリートメントとは、壊死組織除去の意らしい。要するに、傷の治りが遅いのは、本来盛り上がったりくっついたりするはずの組織が壊死しているので、その部分を除去して、改めて縫い直す手術らしい。傷跡もきれいになるかな? 

ニセコ温泉療養~3日目

2008年03月23日 | 大腸癌日記
 3日間とも快晴の絶好の春山日和・・・この時期の周りの景色を眺めるだけのニセコは初体験・・・昨夜は、なぜか10時間も爆睡。ノンビリ朝風呂を味わって、ユックリ朝食。さらにチェックアウトまでマッタリ過ごす。今日の仕事は15:00からなので、タップリ時間はある。

 まず、五色温泉までドライブし、戻ってスキー場巡り、そして、ニセコ道の駅で時間つぶし・・・。

             
 延べ3日間お世話になった「湯ごこりの宿アダージョ本館」。5室のみ。2つの内風呂と露天風呂は、それぞれ部屋毎に貸し切りで入れる。

             
 露天風呂からシャクナゲ岳を眺める。

             
 2階の内風呂から眺める夕陽を浴びるシャクナゲ岳とチセヌプリ

             
 湯本温泉の大湯沼と後ろに聳えるニトヌプリ

             
 五色温泉への途中からチセヌプリを見上げる

             
 チセヌプリの頂上を目指して登るスキーヤー&スノーボーダーの列

             
 五色温泉からニセコアンヌプリを目指すスキーヤー&スノーボーダー

             
 昆布温泉西側から見上げるモイワスキー場とニセコアンヌプリ

 3日間の打ち上げは、15:00からの本来の出張業務・・・ホテルニセコアルペンで開催された平成20年度北海道スキー連盟準指導員検定合格者研修会の最後の認定式で、前へ出て合格証を受け取る個々の合格者に北海道スキー指導者協会の機関誌『シュプール』を「おめでとうございます」と言いながら、贈呈するだけの仕事・・・久しぶりにスーツに身を固めたが、室内の暑さに汗を掻きながらの業務だった。

 来年は、この時期、ぜひスキーか山スキーを持っての再訪を誓い、ニセコを後にした。途中、夕食を食べて20:00過ぎに無事帰宅。

ニセコ温泉療養~2日目

2008年03月22日 | 大腸癌日記
  傷のガーゼの上から防水シートを貼って朝風呂に入った後、朝食。食事は100mほど離れた新館なので浴衣を着替えなくてはならないのが難。

  朝食も品数も多く十分満足できるものだった。朝食後、DVDの映画を見る。DVDは200本ほど置いてあり、部屋で観ることができる。のんびり過ごすには助かる。

  11時に車で倶知安まで出て買い物をする。その際、ふと思い付いて腹巻きを買って着けてみる。腹の傷が押さえられて、振動やひねりでの痛みがなく、なかなか快適だ。傷も早く塞がるかもしれない。もっと早く気付けば良かった。

  快晴の下、春の陽光を浴びて白く輝くニセコ連峰の山々や羊蹄山がまぶしい。帰路途中、十割蕎麦の手打ちを食す。美味しかった。

  13時過ぎに宿に戻る。露天風呂に入った後ベッドに寝転んでDVDを観たり、昼寝をしたりとマッタリと過ごす。どうやら連泊の我々の部屋が一番広くてゴージャスなようだ。

ニセコ温泉療養~1日目

2008年03月21日 | 大腸癌日記
 今日から二泊三日の予定でニセコに温泉療養にやってきた。函館近郊にも療養できる温泉はたくさんあるのに、なぜニセコなのか・・・? 

 たまたま、3/23にニセコで開催される平成20年度北海道スキー連盟準指導員検定南会場の合格認定式へ、北海道スキー指導者協会副会長として出席を命じられ、一泊二日の旅費が支給されたので、それに乗っかったのである。

 療養先は、以前から機会があったら一度は泊まってみたかったニセコ湯本温泉にある「湯ごもりの宿アダージョ」というペンションである。

 ここの魅力は、新館は各部屋に露天風呂が設置されているのだが、残念ながら新館は満杯で本館に泊まった。本館も4組限定で、貸し切りの源泉かけ流しの白濁の硫黄泉の内風呂と露天風呂でのんびり寛ぎ、実に50日ぶりの温泉をたっぷり楽しむことができた。まさに隠れ宿的な雰囲気がいい。


 部屋も広い洋室で気持ちがいい。食事もとても評判だったが期待にたがわなかった。生ビールがジョッキ一杯サービスなので、40日ぶりに怖々半分だけ飲んだが美味かった~し・あ・わ・せ!

指導員スキー大会

2008年03月20日 | スキー・クロカン
                

 毎年、春分の日は、私が会長を仰せつかっている函館スキー指導員会のスキー大会である。今年で第38回を数える歴史ある大会だ。ちょうど、私が準指導員の資格を取得したシーズンから始まったので、第1回から出続けているメンバーは数人しかいない。今年は、さすがまだスキーを履ける状態ではないので、ついに不参加となる。しかし、開閉会式の挨拶と運営のお手伝いに出掛けた。

 今年は雪解けが早く、開催が危ぶまれたがなんとかギリギリ間に合ったと言う感じのグサグサ雪に硫安を撒いて固めての開催だった。非常に荒れたコースで転倒者も多く怪我の心配もしたが、無事終わってホッとした。

                 

 今年は、例年より参加者が多く80名のエントリーであった。大回転2本滑るので時間は掛かったが、やはり人数が多い方が絶対に盛り上がる。

                
 
  長靴姿で開会式の挨拶をする私・・・最後に癌の怖さを話して、特に男性は2人には1人が癌に罹る可能性があるので、マメに検診を受けるよう注意を促した。

 8:30から13:30まで大会運営と応援に携わり、周りにいたわられながらも、歩き回ったりずっと立ったままだったりではあったが、特に疲れは感じなかった。でも、ちょっとした動きで腹の傷が痛む。この痛みがあるうちは無理しないので、ちょうどいいのかも・・・・?

                 

 10年以上前までは、まったく指導員会だけでの大会運営だったが、最近は、大会運営の機器をすべて揃えていて、運営に慣れている函館スキー連盟競技部に協力をお願いしている。お陰で大変スムーズに運営できるようになっている。

 帰宅後、彼岸の墓参りに行った。すでに雪がすっかり消えているのも珍しい。今回の転移なしで無事退院できたことを感謝し、まだまだ当分入らないようしっかりとお断りしてきた。

10kmウォーク&車検

2008年03月19日 | 日常生活・つぶやき
 ポカポカ陽気に誘われ、元気だったころの10kmジョグコース・・・自宅~国道5号線~巴大橋~BAYエリアの往復・・・を歩いてみた。BAYエリアから見上げる函館山もほとんど雪が消えていた。

 行きは、傷の痛みも感じず5kmを1時間05分で、帰りは、電車通り~八幡通りを通って帰った。途中のそば屋で鍋焼きうどんを食べた。腹がきつくなって歩き始めたら、少し傷が痛んだが、腹がこなれた途中からは再び痛みはなくなった。歩いた時間は正味2時間15分だったが、背筋をピンと伸ばして歩くので背筋が疲れた。このコースを走ると半分の1時間くらいなのだが、走って往復できるできるのはいつ頃だろう?

 考えてみたら、この傷はちょうどウェストの部分にあり、体の色々な動きに対応する・・・特に体を伸ばしたり曲げたりするたびに伸縮するところなので、回復が悪いのだろう。ずっと動かないで仰向けに寝たままなら早く治るのだろうか・・・?

 退院後は、それまでなかった昼寝の習慣がついた。帰宅後1時間ほどストーブの前で寝袋を被って眠ることができた。

 夕方、4回目の車検上がりの車が届いた。すでに走行距離が23万kmを越えているので、あちこち部品交換が多く、トータルで19万円も掛かってしまった。しかし、この車は寿命が来るまで乗るつもりなので、これも必要経費で仕方ない。ディーラーに言わせると「エンジンは、まだまだしっかりしていますよ」とのこと。

 乗り主の私自身も、今回の修理で、この車同様、老いて益々盛んなりの状況で長生きできるものと信じている。それにしても、今回の入院で払った費用の方がちょっと安かった・・・これをどう考えるかは難しいところだ。

芽吹く春

2008年03月18日 | 日常生活・つぶやき
                 (亀田川沿いのヤナギの芽吹きと横津連峰)

 今日は、自分の10kmジョギングコースである巴大橋経由のBAYエリアまで往復散歩をしようと思ったが、傷の痛みが少し強い感じがしたので止めた。そこへ、病院から「保険関係の証明書ができました。いつでもいいので取りに来てください」との電話をいただく。そこで、今日の散歩は五稜郭の堀周り経由の病院往復に切り換えた。

 帰りに、亀田川の橋の上から川沿いのヤナギの木を見ると、すでに芽吹き、萌葱色を呈していた。そのバックにはまだ真っ白な横津連峰が・・・・。

 今年は寒の戻りもなく日一日と順調に春の訪れを感じる。私の順調な癌春生活と同じ感じがしてうれしい。午前中に、鹿部在住のXCスキー仲間のSuさんが、自分の打った手打ちうどんと奥様手作りのフキノトウ味噌を届けてくださった。早速両方とも昼食に賞味させていただいたが、フキノトウ味噌の苦味にうれしい春一番の味覚を感じた。

 今日いただいた保険関係の証明書を見たら、合併症の欄に「創部膿瘍」と書かれていた。これが、今痛みのあるジクジクしている傷である。抜鉤がちょっと早かったのか、その後、臍右の一番大きな5cm傷の下の方2cmほどが口を開いてしまったのである。これがなければ、もっと早く痛みがなくなり、通常の生活に戻るのがもっと早かったのであろう・・・・・。

退院1週目外来

2008年03月17日 | 大腸癌日記
                    (よその庭先で早くも花開いたサクラソウ

 今日は、退院して1週間目の外来・・・運動がてら歩いて病院へ。昨日から歩いても傷の痛みも感じなくなり、スタスタ歩くことができるようになった。傷口からジクジク染み出てくる液も少なくなったようだ。主治医も「もう少しで乾きますね」と言われた。便通も、昨日に引き続き、朝食を挟んで2回とも固形のものだった。いいぞいいぞ~!

 協力同意した臨床試験「ステージⅡ大腸癌に対する術後補助化学療法に関する研究」については、「抗ガン剤(日本で開発されたUFT)を1年間内服するグループ」に登録されたとのこと。

 もともと検査段階でも手術直後でも、リンパ節への転移があるステージⅢaと言われていたので、抗ガン剤の服用は覚悟していた。しかし、ステージⅢaで服用するのと、ステージⅡで服用するのとでは、精神的にずいぶんと違う。

 多少の副作用と抗ガン剤の費用が掛かるのは覚悟の上だが、マイナスになることはないだろう。一番のメリットは、術後5年間、計画的な経過観察を受けられることだ。また、途中で同意を撤回することも可能なので、どうしても副作用が強くて合わなければ止めてもいいそうだ。今後の詳しい説明は来週の外来時に行い、さらに、抗ガン剤の服用開始は、そのときの傷の回復状況をみてから決めるとのこと。

喜びの無痛散歩、しかし胸が・・・

2008年03月16日 | 大腸癌日記
            

 退院してきたときは蕾で迎えてくれた我が猫額の庭のフクジュソウが、ようやく黄金色の花を開いてくれた。それにタイミングを合わせたように、今日は、歩いても昨日までのような傷の痛みは感じなくなった。まだ多少の疼きはあるので、急ぎ足は無理だが、まあまあ普通の速さで歩けるようになった。
            
 うれしくて、自宅から五稜郭の丸井デパートまで歩いて用事を足し、五稜郭公園経由で帰る途中、五稜郭タワーのアトリュウムで開催されていた函館工業高校吹奏楽局(OB)ミニコンサートを立ったまま鑑賞した。歩いた時間は実質的に2時間ほどだったが、特に疲れることもなく、痛みも増すことはなかった。

             

 また、やはり朝の4時頃に腹が張った感じの軽い腹痛があったので、一度起きて体を動かしたら和らいだ。その後、昨日に引き続き、朝食前と朝食後にやや柔らかめながらも固形の便通があり、腹もスッキリとした。便通もやや規則的になってきたか・・・?

 夕方、私の死亡デマ騒動で訃報を知った函館スキー指導員会顧問Sa氏のお参りに行ってきた。Mu委員長の車に乗せてもらったが、車の振動で傷が痛むこともなかった。

 ただ、亡くなり方を聞いて、非常にショックだった。それは、いろいろ検査しても病名がなかなか判らず、ひと月もしてようやく判明してわずか1週間で逝ったそうだ。白血球の病気で、運動神経が死んで全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病だとか・・・。治療方法も確立してないので何の治療もしてもらえないまま亡くなったそうだ。胸が痛む。

 もっとショックだったのが、数年前、やはり十二指腸に癌が見つかり、難しい手術だったにもかかわらず、私同様転移もなく、抗ガン剤の必要もなく、順調に回復し、すっかり元気になった矢先だったそうだ。この病気とその癌との因果関係は不明だが、私も糠喜びしてはいられない。奥様に「抗ガン剤の必要がなくて本当によかったですね。大事にして、主人の分まで長生きしてください。」と言われ、涙が出そうになった。