癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

今年も年1のパークゴルフ

2014年08月31日 | 日常生活・つぶやき

 今日は函館支部長を仰せつかっている退職組織の7回目を迎える親睦パークゴルフ大会だった。役職の関係で大会長でもある。自分にとっては、毎年この大会1回だけのパークゴルフだが、結構楽しみにしている大会でもある。

 パークゴルフに長けている二人の副支部長が、何から何まですっかり準備をしてくれて、運営もしてくれる。自分は純粋に年1回のパークゴルフを楽しみ、開閉会式の挨拶だけに専念できた。

 昨年までは、すずらんが丘パークゴルフ場が会場だったが、今年は函館空港のそばにある支海苔パークゴルフ場だった。始まる前から「ここは非常に難しいコースですよ」と聞いていた。コースも狭い上、くの字に曲がったコースもあったり、失敗するとすぐにOBになったりで、皆さんとても苦労していた。しかし、その苦労がまた、お互いの話や笑いのタネになり、大いに楽しい交流の場となっていた。

 たまたま、自分といっしょに回った二人は、ハンディなしのスコアで1位(116)と2位(117)になった凄い方だった。二人とも非常に上手くて、参考にはなるが、とても真似などできない。いろいろ励まされながら、164も叩いてしまった。結果的に二人の足を引っ張らなくて助かった。これまでのワースト記録のような感じだったが、私と同じに年1のメンバーもいて、成績は後ろから4番目の24位だった。

 運動量的には物足りないが、技術面やメンタル面でもシビアなスポーツで、日ごろの経験と実力の差が嫌というほど表れる奥の深いスポーツでもある。しかし、私レベルでも子供の遊びの延長上のような感じで、下手は下手なりに楽しむことができるのがうれしい。ただし、みんなとワイワイ言いながらやるから楽しいのであって、一人でやっても楽しさは感じないだろう・・・閉会式の挨拶ではそんなことを話させてもらった。


開会式の様子


一緒に回った昨年の優勝者で、今年もスコアは2位だったが、ハンディで5位になったYoさん


狭くて複雑なコースが多かった


1位~5位の選手

 
器用なTuさん手造りの運営用具

海王丸ラン16.5km

2014年08月30日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 昨日から西埠頭に海王丸が係留しているのを新聞で目にした。
 今日の夕方ランはこの西埠頭まで走って写真を撮ってくることにしてスタート。


 海王丸は、日本の航海練習船で大型練習帆船。初代海王丸と、2代目の海王丸II世がある。初代海王丸は1930年(昭和5年)進水、約半世紀にわたり「海の貴婦人」として親しまれ、1989年(平成元年)引退、海王丸II世がそのあとを引き継いだ。姉妹船として日本丸があるとのこと。
 
 帆を張った姿(他サイトから借用)

 巴大橋から西埠頭まで走って携帯のカメラに海王丸を収めた。その後ベイエリアまで戻ったが、調子が良さそうなので、十字街から谷地頭まで走って戻った。まだ羊蹄山の疲れや、昨日の湯の川まで往復歩いて「箱館歴史散歩の会」に参加した疲れが残っていて、後半数回歩いたが、結局16.5kmを走った。


 往路では気づかなかったが、復路の巴大橋の上からクレーン船が出て岸壁に多くの人がいるのを目にした。

 何かと思ったら、転覆したイカ釣り漁船を引き上げようとしているようだ。
 後から走ってきた妻の話では、往路のときは横倒しになっていたそうだ。
 

係留中の船が転覆するなんてことがあるのだろうか?



 朝は草茫々になっていた家の横の草むしりをした。(妻が真上から撮影)

第125回箱館歴史散歩の会<湯川巡り(その2)>

2014年08月29日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
 今回は、温泉を中心として、明治31年の馬車鉄道さらに101年前の路面電車の開通により、大きく変貌をとげた湯の川地区の歴史を巡った。


 10:30に湯の川温泉・花びしホテルロピーに集合。いつもの西部方面に比べて、内容的に新鮮なこともあり、120名ほどの参加者だった。自分が参加した中で最も多い人数かもしれない。100部用意した資料がもらえない方もいた。

<コース> 湯倉神社 → 湯の川温泉発祥地 → 旧湯の川役場 → 白系ロシア人居住跡 → 箱館戦争野戦病院跡 → 都雨荘跡 → 南部屋敷跡 → 湯の川駅予定地  → 北海製紙跡 → 大滝温泉跡 → 熱帯植物園 → 根崎温泉碑 → アイヌ史跡館跡 → 大嘗祭共進記念碑 → 黒松林 → 湯の池跡 → 渡辺家別荘跡・林間学校 → 千人風呂跡 → 林長館跡 → 小林亭跡 → 芳明館跡

 
湯倉神社と湯川温泉発祥の地碑

 湯の川温泉の源は、海底に沈んだ銭亀沢カルデラだと言われている。この湯の川温泉は、500年以上前に現在の湯倉神社の近くで湧き出ていた温泉できこりが両腕の痛みを当時したことに始まると言われている。
 その後、1963年松前藩主9代の高広(幼名千代丸)が幼少時代に湯倉神社境内に噴出していた温泉で全治したという話が残っている。翌年そのお礼として母清涼院が湯倉神社の社殿を再建し、現在の社宝も奉納したとされる。

 また、榎本武揚はこの近くに箱館戦争の旧幕府軍の傷病兵のために農家を改造して野戦病院を設置している。このときに、榎本は「ここを100尺も掘り下げれば50度の温泉が湧き出る」と言い残している。それを伝え聞いた石川藤助という井戸職人が、17年後に掘り当てて、現在の湯の川温泉の基礎ができたという。

 
南北海道教育センターの南隣にある幼児公園は、旧戸井線の湯川駅予定地跡だった。
その道路わきにその名残を示す当時の工務省の境界碑が立っている

 今回初めて聞いたが、旧戸井線はこの先の松倉川まで線路が敷かれて、資材を運んだり、海岸の砂利を赤川飛行場建設現場まで運んだという話も残っているらしい。


北海製紙工会社の跡地(現在のダイエー湯の川店)



手前は熱帯植物園の敷地内にある根崎温泉碑と奥は現在のイマジンホテル

 イマジンホテルの場所は、大正10年ごろに開業したいろいろな遊戯施設を備えた今の大型レジャー温泉のような「大瀧温泉大浴場」(通称万人風呂)があったところ。昭和20年終わりごろまでプールがあった。その後、湯川グランドホテルとなり、現在のイマジンホテルとなっている。


アイヌコタン史跡館・荒城土産店跡地

 この辺りには、自分も記憶にあるが、1961年(昭和38年)に開店した荒城土産店とその隣に市立博物館「アイヌコタンの史跡館」があった。


湯川黒松林

 函館の基礎を築いた四天王の一人、金森商店や金森倉庫を開いた渡辺熊四郎が私財を投じて植林した北海道最初の防風防砂林。のちに、火災にあった市立函館病院の再建のために市に寄付された。


渡辺家別荘跡

 黒松林と連続した場所に昭和50年ごろまで渡辺熊四郎別荘があった。船場町(現末広町)にあった西洋料理店養和軒(日本初めてのラーメン発祥の店とも言われている)の建物を明治22年にこちらに移築したらしい。

 
旧湯の川ホテル(千人風呂)跡地<現在の竹葉新葉亭>と現在の大黒屋旅館

 旧湯の川ホテルは、大正6年ごろに開業し、3階建て、50室の客室を持ち、当時日本一の大浴槽があったため通称千人風呂と呼ばれた。

 現在の大黒屋旅館は大正7年創業の現存する一番古い温泉旅館。
 ※今日の説明で、ここが昭和9年の湯の川球場で行われた日米野球の全日本軍が宿泊した小林亭跡地とのことだったが、年代が逆転しているので、中尾さんに電話で問い合わせたら、間違いで、小林亭は現在の電車通りに面したツルハの敷地だったらしい。

 
かつては湯の川の一大繁華街だった湯の川銀座通りと、その通り沿いに残る林長館跡地

 林長館は、湯の川温泉が採掘された明治19年の翌年の明治20年創業の大きな温泉旅館で、新島譲が妻八重とともにここでランチを摂っている。


芳明館跡地(現在の電車通りと湯の川銀座通りの交差点角)

 芳明館は、湯川の繁栄の基を築いた函館馬車鉄道創始者・佐藤湧知が明治40年8月に開業し大正8年まで営業した温泉旅館。のちに映画館となっている。

 ここにアップしたほかに、白系ロシア人居住跡、都雨荘跡、南部屋敷跡、大嘗祭共進記念碑 、湯の池跡などの説明もあったが、割愛する。
 いずれにしても、当時かなりの繁栄を見たであろう湯の川温泉での歴史を垣間見ることができた。

羊蹄山ご来光ショー

2014年08月27日 | 登山・旅行

 いつものことながら、ほとんど眠られずに夜中に外に出て見た。満天の星が輝き、眼下の町の灯が美しかった。ご来光への期待が膨らむ。

 3:30に起き出して準備をする。ヘッドランプを点けて日の出時刻の1時間前の3:50にスタート。他の宿泊者も後に続いてくる。父釜と母釜の間を通って東側の頂稜へ急ぐ。雲海の向こうが赤く染まっている。


京極ピークまで登ったら、太陽が顔を出した。


羊蹄山もご来光も初めての経験で大いに感動していた若者グループ。


カメラを構える男性・・・みんな静かにご来光ショーを楽しむ


父釜の底とそ反対側の火口壁の向こうのピンクに染まる雲海


朝日に燃える記念写真


霜を被ったガンコウランとメアカンキンバイの葉?


影羊蹄


ニセコアンヌプリから続くニセコ連峰


 戻る途中にオノエリンドウを探したが、避難小屋の管理人が話していた通り、すでに終わっていてひと株も見つけることができなかった。お盆のころがピークらしい。

 避難小屋へ戻って、朝食を摂り、7:45に下山開始。たくさんの登山者たちとすれ違いながら、10:15に下山。下山したら雨がぱらついてきた。なんというタイミング・・・。その後、まっかり温泉で疲れを癒して帰路に就いた。


まっかり温泉の駐車場から羊蹄山を眺めたが、4合目より上は厚い雲に覆われていた。

天気の読みの通り、昨日と今朝はバッチリ当たり、日没ショーもと来光ショー鑑賞の目的を達することができた。


詳しい山行記録と、30枚ほどの写真、避難小屋内部の写真等は、下記でどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)

羊蹄山避難小屋泊

2014年08月26日 | 登山・旅行

〈新しい避難小屋〉


悪天候が続き、8月だというのに、3週間以上も山に登っていなかった。山中毒患者としてはそろそろ禁断症状が出てきても良いころだが、日帰りできる近いところでは登りたい山も少なくなってきた。

朝になってふと思いついたのが羊蹄山だ。新しく建て替えられた避難小屋に泊まって、多分もう遅いと思うが、北海道ではこの山でしか見られないオノエリンドウとわあわよくば日没ショーと日の出ショーも期待できる。
幸い今日と明日の午前中の天気予報は良さそうだ。午後に登り始めても十分だ。

印刷屋さんが「捜索活動等報告書」の丁合いしたものを取りに来るのを待って、9:30に家を出た。

13:30、今年初めての縦走装備で真狩コース登山口を出発。テントは不要だが、3リットルの水が重い。その他にスポドリ1リットル。

今日は小屋までなので急ぐことはない。ゆっくり登って、17:20に到着。
新しい小屋は狭いとは知っていたが、ゆったり寝るとしたら15人くらいが限度か?


登山口から頂上を見上げる


3合目の上から真狩市街地と洞爺湖を見下ろす


まだ解体されない古い小屋と新しい小屋が並んで建っている


タカネナナカマドの実


エゾオヤマノリンドウ


日没ショー


日没ショーを眺める宿泊者と夕陽に染まる山肌

印刷・丁合終了

2014年08月25日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 午前中に再びT小学校へ行き、残りの印刷をさせてもらった。当初、レスキュー研究会の講演で使ったパワーポイントで作成したプレゼンテーションのスライド画面を縮小して載せるつもりだった。ところが、小さくて印刷すると不鮮明で読みづらいし、内容的にもほとんどがダブるので割愛することにした。それで、8ページ分が減って、トータルで113ページとなった。

 帰宅後、高校野球の決勝戦を見ながら、のんびりと丁合い作業をし、落丁や印刷漏れの最終チェックして終了。


 この報告書の題名だが、齋藤さんの名前をどこに入れるか悩んだ。題名の中に入れてしまえば、長ったらしくなってしまう。
 結局、発行を「齋藤浩敏さんを偲ぶ会」とした。我ながら良いアイディアだと思っている。

 表紙の写真は、齋藤さんが縦走してくるはずだった設計山から撮った齋藤さんが歩いた毛無山方向の稜線の画像を使った。裏表紙に、「慰霊プレート」を小さく載せることにした。

 印刷屋に電話したら、明日の朝、取りに来てくれるとのこと。表紙の印刷と製本で完成である。あとは、これを関係者に届けて、一連の活動は一応の終止符を打つ。

 遺族を「慰霊プレート」の建つ現場へ案内する日程は、遠藤さんが遺族と打ち合わせることになっている。予定が合えば、同行したいと思っている。

「アイアンマンジャパン北海道2014」応援

2014年08月24日 | イベント鑑賞・参加

昨年の記録を大幅に更新してゴールし喜びを爆発させるMAEちゃん

 昨年に引き続き、妻と一緒に洞爺湖やニセコ方面を舞台としたトライアスロン大会「アイアンマンジャパン北海道2014」の観戦と応援に行ってきた。

 自分が会長を務めるクロカンスキークラブ「XC-KID'S」(クロカンキッズ)の母体である「函館トライアスロンクラブ」のメンバーが10名参加した。ほかに3名がエントリーしていたが、いろいろな理由で棄権した。

 6:00にウェーブスタートをするスイム3.8km、バイク180km、そして、ラン42.195kmの合計226km・・・フィニッシュの門限が23:00という過酷なレースだ。完走すると「アイアンマン(鉄人)」の称号を与えられる。いろいろなスポーツの大会を見ているが、これほど感動を受けるスポーツはほかにはない。
 
 今年は1480名がエントリーして1200名がスタートしたようだ。外国人は140名、道内選手は170名とのこと。

 6:00スタートのスイムは見られないが、8:00に家を出て、バイクの150km地点で2時間ほどバイクのレースを観戦。その後、トランジッション(バイクからランへの移行地点)で、戻ってくるバイクの選手とスタートするランの選手を応援。16:00過ぎゴール地点へ移って、ゴールする選手を迎えた。


中ほどになると集団でやってくる・・・あっという間に過ぎる。
知っている顔を見つけることは至難の技


凄いヘルメットにすごく高そうなバイク


洞爺湖温泉の湖畔のトランジッションでバイクからランへ移る。
ここでは、戻ってくるバイクの選手と、目の前を3回通過するランの選手を応援できる。


函トラチームトップで、11時間でゴールしたスギさん


12時間切りが叶って喜ぶ函トラチームとクロカンキッズの事務局長・MAEちゃん


クロカンスキー仲間のイケちゃん


クロカンスキー仲間のシンちゃん・
話の相手はゴールする選手を迎える日本トライアスロン界の牽引者・白戸太朗氏


今年一番の感動をもらったジュニアさん
昨年はチームトップの11時間でゴールしたが、今年はひざの故障で思うように走れなかった。
ときどき足を引いて歩いて「門限の11時には戻ってきます」と悔しそうに話していた。
しかし、ランの後半で復活して4.5分/kmを切る凄いスピードで走ったらしく、7時前に、12時間台でゴールしてきた・・・さすがだ!


ゴールする選手を紹介するアイアンマン名物MCのウィット・ レイモンドさんの名調子が会場を盛り上げる


ゴールエリアの中の目の前に見たことがある人が・・・スケートの清水宏保さんだった


 まだチームの3名がゴールできていなかったが、帰りが遅くなるので20:00に失礼して、帰路に就いた。

 参加された選手のみなさん、お疲れ様でした。そして、大きな感動をありがとう!

21km連れラン

2014年08月23日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

巴大橋から眺める赤い夕陽

 今日は当初から妻との20km連れランの予定だった。ところがずっと暑い上に湿気が多かった。ようやく少し涼しくなった夕方の5時にスタート。しかし、風がムッとして心地よさがない。それでも、7分/kmペースでゆっくり走ることができた。

 コースは、いつもの巴大橋から十字街を経由して谷地頭でUターンして、漁火通りを湯の川温泉の函館ハーフの折り返し地点へ向かった。ところが湯の川の花火大会にぶつかり、人混みで走られず、手前の汐見橋でUターン。自衛隊の通りから旧戸井線を通って帰宅した。距離は22kmだったが、最後の1kmはクールダウンで歩いてきた。漁火通りでは多くのランナーとすれ違った。

 信号待ちやトイレ休憩や立ち止まり休憩もあったが、この時期21km走れたことは自信になる。ただ、珍しく大腿四頭筋が痛かった。考えて見たら、ずっと天候に恵まれず、3週間も山に登っていない・・・これが原因かもしれない。それにしても、夏に3週間も山に登れなかったことは過去にないのではなかろうか?


宝来町の海岸通り


漁火通りの啄木小公園手前

印刷・丁合作業

2014年08月22日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 「報告書」の印刷だが、自分のプリンターでの印刷は諦めて、厚かましく、最後の職場だったT小学校の印刷機を使わせてもらえるようお願いした。実は、現在の校長は、自分が校長のとき教頭に出て、10年後にカムバックサーモン的人事で元の職場に戻ってきた方である。気楽に頼めるのも良かった。

 当初の予定より部数が増えて、紙が不足になるのは分かっていた。注文したが、今朝までに届かなかったので、今日は90ページ分の印刷だった。それでも、9時前から14時まで掛った。帰ってきたら紙が届いていたので、残りは、月曜日(24日)に出直すことにお願いした。

 写真はプリンターでの印刷よりは不鮮明だが、昔の機械に比べると思ったより見やすかった。一番残念なのは地形図である。等高線が薄い茶色なので認識されず、GPSのトラックログや、手書きの線や濃い色の文字だけしか印刷されないことである。


 帰宅後は、今日の印刷したものの丁合作業に取り掛かった。妻に手伝ってもらったが、結局21時半まで掛った。まだ、落丁などの最終チェックが残っている。

 結局、今日は12時間以上も印刷と丁合作業に励んだことになる。1日中、雨だったこともあり、落ち着いて作業に取り組めた。

印刷を始めたが・・・

2014年08月20日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 昨日の「慰霊プレート」設置が終わり、『捜索活動等報告書』にそのことも載せた原稿もできて、原稿が全部揃った。結局、全部で121ページになった。発行部数は関係者限定だけの配布でも75部は必要なので90部作製することにした。

 タイミング良く印刷用紙も届いたので、今日から印刷作業に掛った。ところが、当初はカラー印刷を考えていたが、5ページ分を刷っただけで、インクが1セット消費した。いくら安い互換インクでも、5ページで2,220円では5万円を超えることになる・・・考えが甘かった。おまけに1ページ印刷するのに90枚で20分掛ることも分かった。

 結局、我が家のプリンターでの印刷は、原版の1枚ずつとして、学校かどこかの印刷機を借りて、モノクロで印刷することにした。インク代も謝礼で済むし、時間も大幅に節約できる。

 おまけに、途中でプリンターも調子が悪くなった。最悪の場合の買い替えも考えて、同じインクを使える機種を探してコジマとヤマダへ行ってみた。ヤマダで同じものがあったので、症状を話してみたら、対処の仕方を教えてくれた。帰宅してやってみたら、修復できて、とりあえずプリンターの買い替えは必要なくなった。しかし、カラー印刷すると赤が強く出るのが難点だ。とりあえず、原版もモノクロで印刷するので、この場はしのげそうな感じだ。

 なお、表紙印刷は紙の大きさの関係で自分ではできない。製本も面倒なので、懇意にしている印刷業者に見積もりを出してもらった。残っている予算からは少しオーバーするが、そこに依頼することにした。

 話は変わって・・・本来なら、今日から30日まで道東方面へ山旅に出る予定だった。ところが、全道的にここ1週間の天気予報を見ると、どこもパッとしない状況なので、止めることにした。ゆっくり印刷と丁合い業務に専念することにした。

 函館ハーフに向けた練習もできるだろう。今日は15kmを走ったが、割と楽に走ることができた。

雨の中の「慰霊プレート」設置作業

2014年08月19日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 連日の雨で先々週から延び延びになっていた齋藤さんの「慰霊プレート」設置作業は、お盆明けの今日に設定した。ところが今日も朝から雨。明日も明後日も雨予報である。だらだら延ばすのは嫌だし、休みを取って参加してくれた方もいたので、雨の中強行した。

 雨の中にも関わらず、9時に毛無山登山口駐車場に12名も集まってくれた・・・感謝・感謝!
 それぞれ解体した部品やスコップやツルハシを手分けして持って出発。運良くそのころから小降りになり、作業中は雨が上がってカッパを脱ぐくらいだった。

 作業が終わって、集合写真を撮るころから強い雨に変わった。雨に打たれながら、ようやく一連の活動のひと区切りが付いた安堵感と満足感で下山。駐車場へ戻って、帰路に就いても、まだ11時だった。


 まずは、穴を掘り、X型根枷を付けた支柱を設置・・・みなさん手馴れた感じでスムーズに進んだ


 プレートの設置・・・気を利かせて水準器まで持参してくれた方がいた


ブリガンズ山岳会懇親会草刈会長からお礼の言葉をいただく


 草刈会長と齋藤さんの盟友遠藤さんによる除幕式


最後に後ろの木に補強ロープを掛けて終了。
プレートの文言、色合い、大きさともに非常に好評だった。
少し大きすぎたかなと心配だったが、自然の中では、ちょうど手ごろな大きさだった。
 関係者以外は訪れることのない場所だけにひっそりと自然にとけこんでいることだろう。


  現場の模様

 あとは遺族をここに案内する仕事と「報告書」の印刷・丁合・製本作業が残っているが、みなさんに協力を呼び掛ける活動は今日で終わりである。

印刷用紙探し

2014年08月17日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

今日届いた互換インク

 齋藤浩敏さんの『捜索活動等報告集』の原稿がほぼ揃ったので、最終編集をしながら印刷の準備に掛った。インクは、ここ数年使用している「インク革命COM」の互換インクをまとめて注文して、今日届いた。

 問題は印刷する用紙である。カラーの両面印刷を考えている。店頭に出回っているコピー用紙は薄くて、カラーで両面印刷すると見づらくなる。そこで、少し厚めの紙を探してあちこちの店を廻った。ざっと100ページで80部印刷予定なので、印刷ミスの予備を入れて5000枚は必要だ。

 印刷用紙の厚さを示す単位として、1平方メートルの用紙1枚の重量をgで表示する「メートル坪量(g/㎡)」を使用していることが分かった。店頭に多く出回っているコピー用紙は64g/㎡である。しかし、それ以上の厚さとなると、量販品ではないので非常に高くなる。石田文具店に81g/㎡の上質紙はあったが、ざっと5倍の値段だった。かなりの予算オーバーなので諦めた。

 帰宅してネットで調べたら、数社で70g/㎡の製品を製造していることが分かった。それでも十分な感じである。その中で富士ゼロックスの製品が一番安かったが、扱う業者によって500枚単位で400円ほどの開きがある。価格比較で調べて一番安いものを注文した。それでも、64g/㎡の2.5倍近くなったが、なんとか予算内で収まりそうなので、それを注文した。

 今日からの印刷を考えていたが、それが届くまでは無理である。のんびり取り組むことにする。

 することがなくなったので、涼しかったこともあり、2時から妻と二人で久しぶりのジョギングに出た。こちらは10kmで切り上げたが、妻は15km頑張った。いよいよ函館ハーフまでひと月半を切った。これからは、2回ほど予定している山旅との日程を考えて走らなくてはならない。その意味でも、今日の快調な10kmは自信になった。明日は15kmを走るつもりだ。
 

 

道の駅「みたら室蘭」の朝

2014年08月16日 | 登山・旅行

 これで3度目になる道の駅「みたら室蘭」だが、妻に言わせると「日本で一番好きな道の駅」。一帯が、快適に整備された臨海公園になっていて、温泉もすぐそばにあるのが良い。特に朝を迎えたときの開放感が素晴らしい。
 室蘭の街中はさびれた工業都市の感じがあるが、この辺り一帯は別世界の感がある。

 この道の駅は、構想から40年、着工から14年という膨大な歳月をかけた一大事業の白鳥大橋建設を後世に伝えるため、白鳥大橋記念館が造られ、その建物が道の駅「みたら室蘭」となっている。
 道の駅のすぐ隣には焼き鳥やホタテ、カレーラーメンなどを販売する「むろらん屋台村」がある。昨夜もここで室蘭焼き鳥と生ビールを楽しんだ。また、その隣には「むろらん温泉ゆらら」などもある。


のんびりとくつろぐ車中泊の旅行者









 8時過ぎにここを出て、のんびり帰路に就き、昼には帰宅した。
帰宅後、4日分のブログの写真をカメラで撮ったものと差し替えたり、追加したりした。

 さらに、夕方には、昔お世話になった先輩で、千葉県在住の著名な教育学者の教育講演会があったので聴いてきた。


麓郷巡り

2014年08月15日 | 登山・旅行

〈五郎の石の家〉

朝から霧雨が舞う濃霧なので富良野岳は諦めて、「北の国から」のセットのある富良野市の麓郷へ向かった。

セットで使ったいろいろな家が3ヶ所に分かれて復元されていたのは知っていたが、以前は無料だった気がする。今回はいずれも入場料300円だった。

それでも、どこも観光客で賑わっていた。テレビ放映が終わってずいぶん経つが、さすが高視聴率を維持し続けた番組だけのことはある。

「最初の家」



拾って来た家




麓郷の森「北の国から広場」


丸太小屋


富良野は妻も何度も来ているので、あとは特に見たいところもないようだ。帰路ついでに南下した。

妻が白老で買いたいものがあるとのことで、そちらへ向かった。
一軒目は「白老たまごの里マザーズ」。凄く混んでいた。シュークリームを1個ずつ、たまごプリンとチーズプリンを半分ずつ食べて、たまごとマヨネーズを購入。

2軒目は虎杖浜の「たらこ家虎杖浜」。着色剤を使っていないタラコを購入。

そのまま帰路に就いても良かったが、日程的に余裕があるので、温泉がすぐそばにある室蘭の道の駅に泊まって、明日帰ることにした。

室蘭の道の駅から眺めた日の入り

かみふらの八景巡り(午後)

2014年08月14日 | 登山・旅行

午後からは隣町のかみふらの八景を巡った。
しかし、十勝連峰が雲の中で、景観的にはイマイチだった。

最初は、朝の内に写した日の出公園頂上からの西側の景観。
7月なら下の方は一面のラベンダー畑


2、ジェットコースターの道


3、深山峠からの眺望。十勝連峰が見えないので、目の前のかかしコンクールの作品


4、千望峠からの眺望


5、パノラマロード江花からの眺望。正面に富良野岳が見えるはず


6、和田草原とどんぐりの郷からの富良野スキー場方向の眺望。
尖っているのが富良野西岳、その奥の雲で覆われているのが芦別岳


7、十勝温泉郷。肝心の十勝連峰がみえないので看板だけ。


8、旭野やばびこ高地。十勝連峰の展望台なのだが…


おまけ1、かんのファーム


おまけ2、ひまわり畑


美瑛の道の駅に戻り、夕食は別のレストランで、焼き麺タイプの美瑛カレーうどん。
グラタン風でとても美味かった。


ライトアップされた美瑛駅。美瑛軟石で造られている。

明日は、妻は初めての富良野岳登山の予定だが、天気が良くなさそう?