癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

ライフスポーツコーチ交流会in魚まさ

2016年11月30日 | 日常生活・つぶやき

 今晩は、函館ライフスポーツのコーチスタッフと事務局との交流会だった。
 望ましい会の運営のための意見交換、併せてコーチ間の親睦が目的で、「函館海鮮居酒屋 魚まさ五稜郭本店」に21名が募った。店のご理解もあり、18:30から延々と21:00まで続いた。


この「函館海鮮居酒屋 魚まさ五稜郭本店」は、つい最近、梁川町から本町14-7に移転して、
11月15日に新規オープンしたばかりだった。




特筆すべきは、居酒屋らしからぬ、コース料理だったことに驚いた。
もちろん、普通の居酒屋料理のグランドメニューもある。

 明日は、今年から支部長を退いて顧問になった退職組織の忘年会、1日置いて、土曜日は、やはり2年前に会長を退いて顧問になった函館スキー指導員会の役員懇親会が予定されている。体調管理に気をつけなければ…。
 

増毛がおもな舞台の「駅 STATION」

2016年11月29日 | 日常生活・つぶやき

高倉健主演の映画のDVD「駅 STATION」のタイトル

 留萌本線の留萌~増毛間(16.7km)が、12月4日で廃止されることになり、TVでのニュースでも、増毛駅周辺は鉄道ファンらで にぎわっている様子が映し出されていた。また、高知県四万十市の半家駅(はげえき)からの訪問団の様子も流れていた。
 
 そこで、ふと思い立ち、近所のTSUTAYAで、増毛駅や駅前付近がおもなロケ地だった高倉健主演の「駅 STATION」のDVDを借りてきた。また観ていなかったからである。昨日に引き続き、エアロバイクを漕ぎながら観た。

 北海道・増毛町、雄冬岬、札幌市などを舞台に、様々な人間模様を描き出した名作である。脚本が倉本聡だということも初めて知った。全体を通して、高倉健ならではの持ち味が生かされた、暗く重い感じのストーリーだった。
 内容はもちろんも感動ものだったが、1981年製作の映画なので、共演者のみんなが非常に若いのも面白かった。


映画の中の高倉健と倍賞千恵子


映画の中の駅前の風待食堂・・・今もこのまま残っている。

 増毛の町は、古い建物が多く残る町並みが好きで、山旅のついでなどに良く訪れている。
2013年5月23日の「増毛町の歴史的建物群探訪」
今年の8月23日の妻との「車中泊ぶらり旅」でも、◎増毛町並みウォッチング
 今年の旅のときに、撮った写真の中から・・・。

バカな顔出しパネル


こんな面白い駅名標も・・・撮影用のふさふさカツラを被る妻


今でもロケ時のまま、観光案内所として残っている風待食堂。中は映画のパネル写真が展示されていた。


今年夏の増毛駅
 

久しぶりのエアロバイク

2016年11月28日 | 日常生活・つぶやき

隣の部屋から、左ハンドルにぶら下がっている5mコードのヘッドホンで、TVを観ながら漕ぐエアロバイク

 この時期、冬への端境期で、天候も安定しなく、1年で一番運動不足になる時期だ。
 悪天候や寒いときの運動不足解消のために、数年前にもらったエアロバイクだが、普段はハンドルやサドルが、物掛けになっている。
 久しぶりに、単なる置物から脱却させてみた。1時間以上続けてトレーニングモードの設定で漕いでみたが、短パンTシャツでも十分汗を掻くことができた。 

 これが日課になれば、クロカンスキーの最高のトレーニングになるのだが、それがなかなかそうはできないのが悩みの種・・・というほどは全然悩んでいない。明日もやれたら良いのだが・・・?


普段は、居間の隣の仏間兼書斎で、物掛けになっている


いろいろ設定できるモニター
これは、古いものだが、結構優れもので、年齢設定(今までは負荷を大きくするために、50歳で設定していたが、今回から60歳に緩和した)や5種類トレーニングモードの中から選定しておくと、イヤーセンサーでの脈拍に合わせてペダルの負荷が自動的に変わる。


単調な運動をカバーするために、不可欠な5mのコード付きTV用ヘッドホン。
これを耳にして、録画したドラマ(サスペンスものが多い)を観ながらペダルを漕ぐ。

アスリート仲間の忘年会

2016年11月27日 | 日常生活・つぶやき

 例年、11月最終土曜日は、函館トライアスロンクラブとクロカンキッズの合同忘年会だった。
 昨年から、メンバーが自分以外はダブっているクロカンキッズは解散して、函館トライアスロンクラブXC部として継続することにした・・・ということで、今年から純粋に函館トライアスロンクラブ忘年会となった・・・それが昨夜だった。

 自分以外は、マラソンもハイレベルで、ほとんどはトライアスリートである。今年も、国内はもちろん海外の大会でも活躍したメンバーもいる。
 この仲間に入れてもらって20年経つが、常に進化し続ける凄いメンバーばかりで、非常に刺激をいただいている。

 自分がマラソン大会に出るようになったのも、今年初のフルマラスン挑戦も、さらに、登山やクロカンスキーをずっと上昇志向で取り組めるのも、この仲間から頂ける刺激のお陰と、いつも感謝している。

 一人ひとりの今年の活躍の報告のあと、全員に当たる楽しみな抽選会もある。今年は、いろいろ提供物もあり、豪華な景品ばかりだった。


各人の報告を聴く参加者


抽選会の様子


抽選会の様子


自分に当たったSUPER VAAMと自転車のチェーンの油
ちょうど出場予定の6回のクロカンスキー大会で飲むことにしよう

街中ウォーク

2016年11月26日 | 日常生活・つぶやき

昨日北埠頭にあったのに、すでに、クリスマスファンタジー会場に移動されていた巨大ツリー

 久しぶりに天気も良かったので、妻と家から出て、函館山でも回って来ようと10:00に家を出た。
 妻が金森洋物館で欲しいものがあると言うので、まずは、ベイエリアを目指して歩いて行った。その後、大町にある小中学校時代の友人のがやっている「福々亭」で昼食を食べた。しかし、そこから出たら、太陽が翳って来たので、函館山は止めて、街中ウォークをしながら戻ることにした。その後、函館駅前~電車通り~五稜郭町と歩いて、14:30に帰宅した。歩数計は24000歩だった。


 亀田八幡宮の遊園地で雪と戯れる子供たち


海岸町で見かけた懐かしい長屋。まだ1軒だけだが、居住していた。


ベイエリアの裏から函館港を眺める


大町の港湾通りにある幼馴染みの中華料理店「福々亭」

 
我が家お気に入りの塩ラーメン(530円)とチャーハン(680円)。相変わらず非常に美味しい!
主人とは10月の大野中学校同期会以来だが、次々とお客さんが入ってきて、挨拶を交わしただけ。
息子さんと奥さんと少しだけお喋りできた。


十字街の地域交流まちづくりセンターへ寄り、「青函子ども絵画展」を観る


高田屋嘉兵衛屋敷跡


函館駅前(旧和光デパート跡)にオープンした「キラリス函館」。まだ工事中の5階~16階は分譲マンション。


1階のお土産コーナー。このほかに5店舗がすでに営業している。


大人気の4階の「キッズプラザ」

 
キッズプラザの入口にある勝手に画面が替わる鏡


駅前通りの珈琲焙煎工房「函館美鈴」でコーヒー豆を購入


注文は、珍しい焙煎前の生豆で

 
焙煎の様子   購入したコーヒー豆。


堀川町でリニュアルオープンした、頑張っている純粋の地元経営のスーパー「キングストア」


昔のままの千代台町の旧外山質店の建物


いつの間にか、新しくなっていた「中央病院前」の電停


最近姿を見せた五稜郭交差点の旧ダイエー跡の「プレミストタワー函館」。
地上19階、地下1階となっていて、手前に張り出した1~4階部の3階までは商業施設。
4階は、函館市が市民交流プラザとして使用。5階~19階は分譲マンションで、すでに完売。


いつの間にきれいになっていて、昔の函館の写真が展示されている交差点の地下通路

北埠頭での巨大ツリー電飾工事

2016年11月25日 | 道南の風物詩

 12月1日から、赤レンガ倉庫群前で開催される「はこだてクリスマスファンタジー」の主役となる高さ20mを超える“巨大ツリー”のモミの木が、毎年、函館の姉妹都市カナダ・ハリファックスから友好の証として届けられる。

 今まで、てっきり、電飾工事などは、赤レンガ倉庫群前の会場で行われるとばかり思っていた。ところが、たまたま、今月上旬から函館港の北埠頭で、幾重にも組まれた足場の中で、枝切りから始まり、約5万個ともいわれる色とりどりの電球の取付け工事が行われている・・・ということを知った。

 そこで、北埠頭へ走ってみた。電飾工事はすでに終わり、足場を取り外している最中だった。
 毎年、ここで工事をして、はしけに固定して、会場へ運ぶとのこと。 


 北埠頭の工事現場での試験点灯の様子(他サイトから借用)

真冬状態の五稜郭公園

2016年11月25日 | 日常生活・つぶやき

 中山道歩き旅から帰ってきて以来、寒くて天候も悪かったので、ずっと閉じこもり状態だった。今朝も雪が積もって、2回目の雪かきをした。もう2回なんて、今までに記憶がない感じだ。

 午前中に青空が広がったので、ウォーキングがてら五稜郭公園を歩いてみた。
 この時期、積雪の覚えはあるが、堀の水が凍っているのには驚いた。例年であれば、12月下旬のような記憶である。それだけ、気温も異常に低いということだ。明らかに、例年よりひと月は早い冬の到来を、実感させられた。


しっかりと凍結した堀


雪吊りも様になっている


12月1日から始まるイルミネーション「五稜星の夢」の準備も終わっていた


氷に閉ざされたスイレン(ヒツジグサ)


ぽっかり真ん丸な氷面

もう真冬日! ひたすら原稿書き

2016年11月23日 | 日常生活・つぶやき

 朝起きたら、歩き旅に出る前の11/9以来(旅の最中にあったかも知れないが)、2回目の銀世界。
 日中になっても、全然気温が上がらず、最高気温が-0.5Cで、ついに11月だというのに真冬日を記録した。
 今年は、11月に入った途端に、一気に寒くなって、例年よりひと月ほど早い冬の到来といった感じのまま経過している。明日は、54年ぶりの関東での初雪もあるようだ。今年は、4回も北海道に台風が襲来したりと、異常気象が続いているのが心配だ。

 そんな昨日と今日は、天候も悪いし、寒いので、ひたすら原稿書きや原稿チェックに明け暮れた。

 昨日は、まず、「どうなん・とうほく山楽紀行」の次回の「八甲田山」の原稿を書き上げた。こちらは、道南2回に対して東北1回のペースで執筆することになっている。そこで、東北の山で、道南の岳人にとっていちばん身近な八甲田を一番先に取り上げてみた。

 それが終わってから、来春出版する本の山域ごとの仕切りのページに入れる「山楽コラム」の5ページ分を書きあげた。これは、HPにアップしてある内容や、これまで書いたことのある原稿からピックアップして、次の内容でまとめてみた。
その1~「山はいい!」 その2~「一人歩きの魅力」 その3~「中高年を山に向かわせるもの・・・もしかして?」  その4~「山へ行って元気をもらう」 その5~「新たな発見や感動を求めて」

 今日は、来春出版する本の残りの原稿を12/11に全部持ち込むことになっているので、それらの校正や細かなチェックに努めた。山紀行の原稿部分は掲載済みの原稿がほとんどなので、多少の加除修正程度で良い。
 しかし、画像の選択とキャプション、「おまけ情報」、目次、「踏破済みの北海道の山一覧」、「はじめに」、「あとがきに代えて」などは細かく見直すと、結構手直しの必要なところが見つかるものだ。気分転換に、表紙の画像を選んで表紙のイメージ案を作成してみたりした。
 この作業は、明日も続けようと思っている。


夕食は、寒いので、身体の温まるなべ焼きうどんにしてもらった。
冬は、やはり鍋ものだ・・・毎日でも良い。

孫2号の七五三

2016年11月22日 | 日常生活・つぶやき

3歳になる孫2号は、娘のところの長男坊だが、七五三の写真が送られてきた。
今は、このようにきちんと写真屋さんで撮るんだ・・・。

我が家のアルバムを見たら、息子が6歳で娘が3歳のときの?七五三の写真が出てきた。
しかし、神社の前で撮ったスナップ写真だけだった。
娘が、着物は着たが、髪飾りも草履も帯も嫌だと駄々をこねたのを思い出した。






今年は漁師にとって最悪の年・・・

2016年11月21日 | 日常生活・つぶやき

原価で分けていただいて、いつも御歳暮に利用している南茅部産真昆布

 かつて2度勤務したことのある旧南茅部町字大船(現函館市大船町)の漁業者から昆布を分けてもらいに、30年来、今頃そのお宅にお邪魔している。

 今日の話の中心は、「今年は漁業者にとって最悪の年だった」ということだった。

○台風が4度も来て、海が荒れて、養殖コンブや養殖ホタテの施設や定置網などが大きな被害を受けた。
○大雨の影響で、土砂や倒木が海に流れ出て、海の状態が最悪だった。
○シケ(時化)の日が多く、漁にも出られないし、養殖の仕事がどんどん遅れてしまった。
○水温が上がり、これまで獲れていた魚が全然獲れなくなった。特にこれまでの基幹漁獲物だったイカ、スケソウダラ、サケ、サンマ、イワシなどは悲惨な状態だった。
○海の状態が、これまでの長年の経験や常識では考えられないほど変わって、いろいろ工夫しても追いつかないし、効果が上がらない。
○台風の被害は、農家の場合はすぐに分かるが、漁業の場合は、海が収まってしまって、時間がたってからでないと分からないので、対応が遅れてしまう。

 そんな話を聞いて、自然が相手の農業や漁業に従事する人たちは本当に大変だと再認識させられた。しかも、最近の気象異常は、今後も続く傾向のようなので、本当に気の毒だ。

 そんな中で、店頭に並べば、10倍もの値段に跳ね上がる、懸命に育てて製品化した養殖コンブを浜値(原価)で分けてもらっているのは、申し訳ない気持ちで帰って来た。

「中山道歩き旅・後半の部」を振り返る

2016年11月20日 | 登山・旅行

朝霧に包まれた後半の部、第1日目の中津川宿をスタート

 春は、東京の日本橋をスタートして、9日間で武州路・上州路~信濃炉~木曽路(338km)を歩き、中津川宿で前半の部とした。それに引き続き、今回の後半の部は、妻同行で、中津川からスタートし、美濃路~近江路(196km)を歩いたが、日が短いこともあり、距離が稼げず、8日間と余裕の歩きだった。


一番辛かったが自然に恵まれた1日目の大湫宿~細久手宿間の十三峠越えの入口

◎コースについて、
 春の前半に比べて、山間部の歩きや峠越えは少なかったが、今回の最初の3日間はそれなりに、自然豊かな山歩きも楽しむことができた。
 こちらも京都に近くなる2日間は、東京をスタートした2日間の同じで、街中ウォークだったが、昔の中山道が良く残っていた。
 前半の奈良井宿や妻籠宿や馬篭宿などのように、観光向けに整備されている宿場はなかったが、標識や説明板などはとても充実していて、昔の街道の情緒が良く残っているのには感心した。
 前半に比べて、京都に近いせいか、平安時代以前からの東山道と呼ばれた時代の史跡が良く残っていて、より重層的な歴史を垣間見ることができた気がする。
 ほかは、前半の部とほぼ同じ印象だが、こちらでも、一番大きな出来事は、1861年10月に京都をたち、翌2月に江戸入りしている「和宮降嫁」である。1つの宿場を通過するのに4、5日も要し、それ以前からの仮宿の建築、人馬の準備、寝具や食糧の用意などなど、沿道の宿場や集落は、本当に大変だったようである。それに不満を持った事件も起きている。また、数回往来している明治天皇の宿泊や休憩の史跡も多い。


 今回の方が、国道歩きが少なかった感じがするし、あっても歩道が完備されているところが多かった。むしろ、歩道部分も路肩部分もなく、車が交差するたびに道が塞がれる狭い街道の朝の通勤時間の方が怖かった。

◎日程について
 今回は妻同行だったので、1日の距離を30km以内に抑えて、7日間の予定でスタートした。春に比べて、日が短く、距離を延ばせない時期だったのが、妻にとっては幸いしたようだ。一人で歩くよりペースを少し抑えたし、休憩時間は多かった。一番長い4日目は約30kmを歩いた。この日が妻にとっては、足にマメもできて一番辛そうだった。

 そのこともあり、5日目以降、計画を変更して、予備日を最後の大津宿~京都三条大橋のラストウォークに回わすことにした。そのおかげで、距離も抑えることができたし、見どころの多い草津宿では、見学をゆったりと楽しむことができた。
 6日目と7日目は、宿の関係で、南彦根ステーションホテルに連泊して、進んだところまでJRで往復したので、持ち歩く必要のない荷物は宿に置き、妻は空身で歩くことができたの幸いした。


◎妻同行のメリット
 これまでの国内の歩き旅は、すべて一人歩きだった。今回は、妻も「楽しそうだから付いて行きたい」と言って、仕事の休みをもらって同行した。同行の一番のメリットは、目が4つあるので、標識や史跡の説明版などの見落としが少ないことだ。こちらは、コースを気にしながら先を歩くので、後ろから歩いてくる妻の方が、こちらで見落としたいろいろなことに気づくことが多かった。また、見どころの少ない区間でも、話し相手がいて、退屈することがないのも良かった。

◎その他(食事・荷物の軽量化・ブログ更新とコメント等)
 前回は、距離を稼ぐために昼食は行動食が多かったが、行動食で済ませたのは1回だけだった。今回は国道8号線と1号線がらみの街道が多かったので、コースを少し外すと、コンビニやレストランや食堂などが多かった。
 とくに、名古屋発祥で、今夏札幌に道内第1号店ができた、妻が東京にいたころから大好きだったコメダ珈琲に3回も寄ることになって、妻は大喜びだった。

 前回の反省を踏まえて、荷物は極力軽量化に努めて、二人とも5kg前後に抑えた。汗をかかない時期なので、2日連続同じものを着たり、ホテルで2回洗濯をしたことで、なんとかしのぐことができた。特に、後半は、妻の荷物を少しこちらが持ったことや、連泊したことにより妻は空身が2日あったことも幸いした。

 今回も、毎日ブログを更新しながら歩いた。はっきり言って、疲れた体で夕食前に2時間以上かけての更新作業は辛いものがある。しかし、「登って書く、歩いて書く」は自分のスタイルなので、これからも続けて行くつもりだ。そのためにも、宿には16時前には着くよう心がけた。
 それに対するコメントがうれしくもあり、大きな励みなった。苦労が報われるので、感謝申し上げたい。

 次回の歩き旅は、とりあえず、四国遍路の再訪(逆さ打ち)と東海道を考えている。前回秋だった四国遍路は春にこだわっている。しかし、来春は、『ほっかいどう山楽紀行』の出版時期と重なるので無理である。となると、6月の梅雨前か今回と同じ紅葉の頃の東海道の方が先になるかもしれない?

8日目 (膳所駅)~69大津宿~京都三条大橋 〈14km〉大阪へ移動。

2016年11月19日 | 登山・旅行
 いよいよラストウォーク。夜半に降っていた雨も上がり、7:30発の列車に乗った。ところが、快速で膳所駅には停まらなかった。次の大津駅で向かい側のホームから10分後の列車に乗り換えて、膳所駅へ。


 再び降り出した雨の中を、昨日ゴールとした義仲寺から8:40スタート。


 街道沿いからシックな感じの滋賀県県庁を眺める。


 大津宿の中央に出る前には、古い家並みも数多く見られた。


 9:20、昔の宿場の中心地だった、札の辻に到着。

 大津宿は、中山道で69番目、東海道では53番目の宿場である。古くから琵琶湖の物資を集散する水運の要として大いに栄えた。本陣2、脇本陣1、旅籠71軒、人口約15000人と東海道の宿場では最大の人口を有していた。
 しかし、当時の面影を残すものは少ないそうだ。


 大津宿本陣跡。このあと、しばらく国道1号線の歩道を歩く。このころから雨が上がってくれた。


 国道沿いの逢坂山関址。ここから、再び旧街道となる。


 盲目の琵琶法師で、百人一首の歌にも登場する蝉丸を祀った蝉丸神社。百人一首の北海道馴染みの下の句は、「知るも知らぬも 逢坂の関」


 車石の説明画。大津宿から三条大橋までの街道には、牛車の両輪の幅に合わせて石を敷いていた。それが磨り減り、U字型の凹みが残った。


 狭い街道の車の渋滞。


 旧東海道の標識と狭い街道。


 最後の峠越えが待っていた。


 再び、国道歩きとなるが、ゴールの三条大橋の道路標識が出てくる。


 平安神宮への神宮通りを越えると、三条大橋が見えてくる。


 三条大橋の手前に設置されている高山彦九郎の像。上洛するたびに、天皇の住む御所の方向をこの姿勢で遥拝したという。


 12:20、中山道歩き旅のゴール、三条大橋に到着。


 三条大橋を横に見て、妻のゴール写真。

 ここまでの行動時間、義仲寺から3時間40分。

 
 ゴール後、暑かったので、美味しいアイスコーヒーを飲みたいと思ったら、三条大橋のすぐ先に、これで3回目のコメダ珈琲の店が目に入った。
 1.5倍のアイスコーヒーと軽い昼食メニューで完歩祝い。
 このあと、京都駅へ出て、大阪へ向かった。

 この時点で、土曜日でもあり、宿がどこも満室で見つからなかった。とりあえず、明日の伊丹空港までの直通バスのある難波駅まで行った。近くの24時間営業の天然温泉カプセル&サウナの仮眠室で夜を明かすことにして、リュックをバスターミナルのロッカーに預けて、千日前で、くいだおれモードに突入。


 まずは、なんばで一番人気のわなかのたこ焼き。


 次に、串カツさくらで串カツとサラダ。これだけで満足のたおれずに済んだ夕食。


 千日前のすごい人混みの中を通り、宿泊予定のカプセル&サウナへ。


 天然温泉カプセル&サウナ「スパディオ」。ここへ行ったら、カプセルが、男女とも、1部屋ずつキャンセルがあり、空いているとのこと。ラッキー。
 二人で7000円で、今回の旅で最初で最後の天然温泉である。それも、大阪のど真ん中で入れるとは思わなかった。入場した後から明日の朝まで妻とはバラバラだが、ゆっくり眠れそう。


7日目 (野洲駅)~67守山宿~68草津宿~(膳所駅)〈20km+1km)

2016年11月18日 | 登山・旅行
 南彦根駅発7:43の電車で、野洲駅まで戻り、1kmほど歩いて、8:10、中山道をスタート。不要な荷物は、連泊するホテルに置いたままなので、軽い歩きがうれしい。


 少し歩いたら、野洲の道標があった。


 その先の交差点に祀られている背比べ地蔵。鎌倉時代の大小石仏が並び、子供の成長を願って背比べさせたことが名前の由来。


 野洲市内の玉の春酒造の蔵元


 野洲市と守山市の境になる野洲川橋から、近江富士(三上山)を振り返る。

 9:00、守山宿に入っていく。この宿場は、昔、京都から江戸に向かう(東下り)場合、「京発ち、守山泊まり]」が一般的で、約30km地点のこの宿場が最初の宿場で、非常に賑わったという。

  
 宿場内には今も古い家並みが良く残っている。ここは、格子と虫籠窓の美しい「うの家」で、元総理大臣宇野宗佑氏の生家。この中には、当時の守山宿のミニチュアの模型が展示されていた。


 そこで、売っていた琵琶湖海老煎餅(410円)。とても美味しかった。


 守山宿本陣跡。


 東門院の仁王像と大きな提灯。


 広重の浮世絵にも描かれた雰囲気満点の土橋。


 守山宿と草津宿の間にある今宿一里塚。江戸から128番目で、滋賀県内で唯一現存する一里塚。


 10:45、JR草津駅への大通りを抜けて、街道がアーケードの商店街となっている草津宿に到着。この宿場は、中山道と東海道の合流地点である。


 アーケード途中の覚前寺の門前に「右東海道、左中山道」と刻まれた道標がある。これは、明治時代の追分道標。


 江戸時代の追分は旧草津川の下のトンネルを出たところ。「左中山道美のぢ、右東海道いせみち」と刻まれている。これより西は、東海道になることを考えると、ここが、中山道の実質的な終点となる。
 分かっていても、中山道の標識がなくなるのは、中山道歩きをしている者にとっては、非常に寂しかった。

 2つの街道が合流するために、本陣も脇本陣も2つあり、旅籠70余軒を擁する大きな宿場だったという。
 近年、整備・保存が進み、見所の多い宿場町になったようだ。


 内部が公開されている1635年開業の草津宿本陣。その広さと立派さに感心。


 台所の大きさにびっくり。大名などの主客が泊まった上段の間も公開されていたが、撮影禁止。


 草津宿街道交流館。ここでは、本陣一般公開20周年記念のテーマ展「that 's HONJIN!」が開催されていた。本陣の大福帳(宿帳)に、新選組の土方歳三ほか数名の名前があった。


 2階展示室の入口のコーナー


 浮世絵版刷り体験


 昼食は、すぐそばの寿司清の草津名物「はこずし」(手前)(950円)と、本陣すし(1000円)。

 本陣と交流館の見学をし、昼食を食べ終わったら、12:20だった。実に草津宿だけで、1時間半もゆっくりしたことになる。急いだら、いつのまにか国道1号線を歩いていた。少し戻って見失った入口を探した。反対側から東海道歩きをしてきたご夫婦に教えてもらって、旧東海道へと戻ることができた。
 

 街道沿いの太田酒造。太田道灌という酒を造っていた。

 このあと、大津宿を目指したが、大津駅まで行ってしまうと、大津宿を通過してしまう。最後の宿場は明日に残して置きたいので、ひとつ手前の膳所(ぜぜ)駅近くの義仲寺をゴールとすることにして、歩を進めた。


 琵琶湖の南端に架かる「瀬田の唐橋]」を渡る。


 旧膳所城の城門を移築した膳所神社の表門。


 木曾義仲(手前)と芭蕉の墓(奥)がある義仲寺。この地を愛して何度も訪れていた芭蕉は大阪で没しているが、遺言によりここに葬られた。


 膳所駅発16:18の電車で、南彦根駅へ戻った。ホテルに着いたのは、17:20だった。

 街道歩きの行動時間は、草津でのんびりしすぎて、結局は8時間になった。歩数計、約40000歩。

 今日の区間は、田園風景はなくなり、すべて住宅街や商店街ばかりだった。京都が近くなってきた感が強くなった。

 夕食は、このブログを打ち終えてから、近くのディナーバイキングの店へ。シニア価格に合わせて腹8分目に抑えた。


6日目 64高宮宿~65愛知川宿~66武佐宿~(JR野洲駅)〈29km+2km〉

2016年11月17日 | 登山・旅行
 予定では、あと2日でゴールだが、2日間とも30km越えになる。妻が辛いと言う。無理しなくても、予備日に、最後の大津~京都三条大橋間の約12kmのラストウォークを楽しむことにして、計画を練り直した。

 ところが、ホテルや旅館が、京都に近づくに連れて高くなり、安いところはすべて満室だった。幸い、昨夜のホテルから徒歩15分の南彦根ステーションホテルなら、今日と明日の連泊が可能だった。
 そこを根城にして、歩いた所から東海道本線の電車で往復することにした。メリットもある。それは、衣服調節用のリュックだけで、ほぼ空身で歩けることだ。

 そんな訳で、今日は、守山宿手前の野洲駅までの約29km、明後日は、野洲駅から大津宿までの約23kmに設定した。
 まず、持ち歩く必要のない物を自分のリュックに詰めて、朝食前に、南彦根駅のコインロッカーに預けて来た。

 暑くなったら脱いだものを入れるためと雨具だけを入れた、妻のリュックを自分が背負い、妻はポシェットのみの空身。

 朝食を摂り、ホテルを7:00に出た。10分で中山道に戻って、スタート。


 中山道へ戻って、最初に気になったのは、提灯屋だった。ほかにもたくさんあったらしい。


 その先には、この宿場がその門前町として栄えた多賀大社の大鳥居。この先には、昔ながらの古い町並みが続く。
 ただし、すれ違いもままにならない狭い街道にも関わらず、朝の出勤の車の往来が激しくて、怖いくらいだ。これは、その後も9時頃まで続いた。

 犬上川を渡る「むちんばし」を越えると、宿場は終わる。

 やがて、豊郷町へ入っていく。

 左手に鈴鹿北部の山並みを眺めながらの田園風景の中を進が、車の往来が怖い。


 大学か?と思われるような建物が出現。なんと、昔近江商人の寄付で昭和12年建築された、外国人設計の旧豊郷小学校だった。現在は、町の複合施設として利用されているとのこと。


 伊藤忠商事や丸紅の初代社長の伊藤忠兵衛の旧宅。記念館となっている。


 愛知川(えちがわ)宿の端から入ってまもなく、「みかん大福」の幟の和菓子屋があった。珍しいので食べてみた。1個216円。大福の中にみかんの実まるごとが白餡に包まれて入っていた。愛知川宿の中にも、「きんかん大福」を売っているお菓子屋もあった。


 11:10、冠木門の立つ愛知川宿に到着。この宿場は、近江商人によって栄えた商業の町である。
 宿場の中心部は商店街となっているが、いくつかの重厚な建築の商家が目に付く。


 交差点のポケットパークには、広重の画のパネルがある。


 宿場の西端にある竹平楼は、創業200年以上の歴史を誇る老舗の料理屋。

 愛知川を渡ると、近江商人の故郷と呼ばれる五箇荘に入っていく。

 明治初期に建てられた旧市田邸。京都や大阪で繁栄した呉服繊維商の本宅。


 街道沿いに湧く湖東三名水のひとつ、清水鼻の名水。


 武佐宿に近くなるところに建つ、信長の寄進で建てられた奥石神社。
 

 農村地帯だが、閑静な町並みが続く。


 武佐宿が近くなったが、街道筋には食べ物屋はないという。国道へ出たらラーメン店があった。そこで食べた本陣セット(野沢菜丼とラーメンのセット)。量が多く二人とも完食できなかった。野沢菜丼が美味しかった。


 12:30、武佐宿に到着。冠木門の立つ奥村家脇本陣跡。この宿場は、一本道のこじんまりとした宿場だが、宿場風情を湛える町並みである。


 宿場の常夜灯と広重の画のパネル


 下川家本陣跡。門と土塀は当時のもの。


 こじんまりなからも町並みに合わせた武佐駅舎。


 多くの家の庭に多く見られるナンテンとアメジストセージ。


 やかて、国道8号線に絡みながらの道となるが、その前後に、間之宿・鏡宿が続く。今も国道筋を含めて、昔の面影を残し、丁寧な説明板が設置されている。中でも義経に関わる史実が多い。


 義経の宿泊館跡。


 義経元服の地と伝わる鏡神社。そばに、元服の儀式のときに使った水を取った池も残っている。


 間之宿ながら、本陣跡もある。

 鏡宿からは、国道歩きが多くなる。今日のゴール予定の野洲(やす)駅が近くなる。


 野洲市の桜生史跡公園の天王山古墳(前方後円墳)の上から前方部分を眺める。ここには、ほかに形の違う古墳があと2つある。


 15:20、野洲駅への道の近くの中山道で今日のゴールとした。


 そのすぐそばに、妻が大好きなコメダ珈琲があった。妻は大喜びで、列車の時間まで休憩。秋のシロノワールとアイスコーヒー。


 野洲駅から、南彦根駅まで、8時間以上も歩いたところを、わずか26分で到着。


 今日と明日の連泊となる南彦根ステーションホテルに、16:40到着。宿泊費用は、朝食付きで2人で9800円。

 夕食は、腹も減ってないので、ブログを打ち終えてから、コンビニでおでんや唐揚げを買ってきて、部屋で食べた。

 行動時間 8時間15分。52000歩。