癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

昔の職場の集まり

2013年03月30日 | 日常生活・つぶやき
<我が家の庭に咲いた福寿草>

 今月の初旬、とある元女性教員から「東川時代の何人かで集まりを持ちたいのですが、ご都合はいかがですか?」との電話をいただいた。

 今は隣の大森小学校と統合してあさひ小学校になったが、統合前の東川小学校長時代の2年間一緒だったメンバー8名が、昨夜寿司屋さんに集ってくれた。同じ会場で、その学校を離れて3年後にも還暦兼退職祝賀会を開いてもらっている。

そんな13年前当時の懐かしい仲間だったが、みんな気持ちの良い顔ぶれで全然変わっていなかった。中にこの4月からの教頭昇任者もいて、そのお祝いの会も兼ねることができた。当時の思い出話やこの13年間のそれぞれの変化など話は尽きず、非常に楽しいひとときをいただいた。ただ、風邪を引いたらしく喉が非常に痛くて、一足先に失礼したのが申し訳なかった。

 実は、29歳から39歳までの10年間勤めた学校でもある。そのこともあって、統合3年前に「統合へ向けての取り組みと閉校事務等を進めて、統合校の初代校長になってほしい」との命を受けて赴任した校長3校目の学校であった。大森小学校も含めた職員、PTA、地域一体になり、統合による新しい学校づくりへ向けていろいろ夢や希望を出し合って頑張った楽しい2年間だった。校名も教育目標も私の発案が通り、校舎の設計にもかかわらせていただいた。

 ちなみに、校名の「あさひ」だが、以前は東川小学校と大森小学校の卒業生は旭中学校へ進んだ。しかし、その旭中学校も統合でなくなっていた。これらの学校で学んだ子どもたちは、出身校がすべてなくなってしまう。そこで、思いついたのが「あさひ」だった。大森浜には朝日が昇るということもあった。最後に5つに絞った候補の中で、地域の60%以上の支持を得て決まった校名だった。

 特に面白かったのは、グランドが狭いのでプールを屋上に造って欲しいという私の発案には、市役所の建築課もびっくりしたらしい。教育長から、「おい、水が漏ったらどうするって市長が心配しているぞ」と言われた。「今やホテルの最上階に大浴場やプールがある時代です。心配ありませんよ」と納得してもらった。先日、あさひ小学校へお邪魔することがあった。子どもたちの「あさひ小学校の好きなところ」というアンケートを集約していたものが掲示されていた。なんと、そのトップが「屋上にプールがあること」となっていた。

 さて、すっかり統合へ向けての準備が整い、いよいよあと1年で閉校と統合というときだった。自分の前に予期だにしなかった別のレールが敷かれてしまった。教育長に「いくらなんでも、校長会の忙しいポストで統合の仕事は大変だ。ここまで準備をしてもらえば、あとは誰でも代わりはいる。しかし、校長会長の代わりはそうはいない。そっちで頑張れ」と言われ、一緒に燃えて頑張った職員を裏切るような形で泣く泣く別の学校へ転勤した。


今日は、喉も痛みはだいぶ和らいだが、咳に悩まされた。それでも、精力的に6日間連続山行のHPへのアップ作業に取り組み、4日分の山行記録を親サイトの下記へアップすることができた。
http://sakag.web.fc2.com

60代最後の誕生日

2013年03月28日 | 日常生活・つぶやき



 日高の道の駅で60代最後の誕生日の朝を迎えた。途中栗山町の温泉で朝風呂に入り、札幌へ向かった。札幌では、まずコインランドリーで溜まった洗濯をした。さらに、秀岳荘でガスの出での悪くなったガスバーナーを見てもらった。変な使い方をしたのが原因だったので、諦めていたのに、いろいろやってみてくれてみごとに復活。しかも無料でOKとのこと。

 夕方には無事帰宅したが、妻からのプレゼントが待っていた。何だろうと中を開けてみると、現在、世界最小で最軽量が売りの一眼レフのデジタルカメラだった・・・ 

 以前、コンデジと一眼レフとの画像の違いを比べて、一眼レフは欲しいが、あのでかいカメラを山に持って歩くのは邪魔くさいので諦めていた。そのことを妻が覚えてくれていたらしい。非常にコンパクトで、小さいなりにズームレンズもセットになっている。本格的な一眼レフと比べて性能や画質はどの程度かまだ不明だが、コンデジよりは絶対良いはず。山に持って歩くのにも、それほど邪魔ではないのがうれしい。明日以降説明書をゆっくり読んで、使い方をマスターしようと思っている。

 ここ数年、妻は内職をしているので、小金持ちではあるが、大変申し訳ない。カメラ屋で1時間もいろいろ担当者に聞いて決めたそうだ・・・感謝・感謝!  

 ちなみに、プレゼントの袋に「エロイ69歳」と書かれているのは、先日の然別湖の氷上露天風呂の混浴でうれしそうな顔をしていたことを指している




夕食前にケーキを食べて、出前の釜飯で乾杯!


 それにしても、69歳というともう古希で、立派なジジィなんだ・・・。昔は自分がその年齢になることは考えたこともなかったし、今でも、山やスキーで遊んでいるときにはまだまだ若いつもりだ。しかし、現実的にはそうことなのだ。周りには、まだまだ元気な70代はたくさんいる。いつかは思うように身体が動かなくなるときが絶対来る・・・そのときのために、気持ちに身体が付いてきてくれる内は、年齢のことは忘れて、常に現役で癌春り続けたいものだ

白湯山~フレベツ岳

2013年03月27日 | 登山・旅行

<白湯山とフレベツ岳のコルから雌阿寒岳を望む>

 今日は、今回の山旅でもっとも良い天気だった。これで6日連続となったが、今日で打ち上げ。阿寒周辺にこだわった3日目は、阿寒湖温泉街の裏にある白湯山(916m)経由のフレベツ岳(1097.4m)。この両山は、自分も執筆者の一人である『北海道雪山ガイド』にも掲載されているので、疲れたはいたが、ぜひ登りたい山であった。

 阿寒湖畔スキー場のゲレンデとさらにその上の白湯山まではスキーで登り、いったん下って登り返すフレベツ岳へはかんじきでピストンした。昨日もそうだったが、一昨夜の20cmほどの新雪で30cmほどのラッセルと、気温が上がってからは団子になって歩きづらかった。

 両山のコルには大規模なボッケ(地熱帯)があった。最高の天候だったが、どちらの山も頂上や途中も針葉樹林で覆われ、それほど展望には恵まれなかった。白湯山からの下りは、東側に、針葉樹林が刈り払われて、細いダケカンバで覆われた滑りやすい斜面があった。多分スキー場を造るときに、頂上までゲレンデを繋げるつもりだったのだろうと思いながら下っていったら、案の定リフトの終点に到着した。

 登り3時間10分、下り2時間。下山後、再び雌阿寒温泉の200円の野中温泉に入る。音更の柳月の工場に寄り、お土産を買って、日高の道の駅まで走った。今日はここで車中泊。



両山のコルにあったフレベツボッケ(地熱帯)。
スキー場の東側のボッケ帯には、遊歩道と展望台があり、そこは数年前に訪れている。


両山のコル手前から見上げるフレベツ岳


フレベツ岳からの雄阿寒岳と阿寒湖


遠かった伊由谷岳とイユダニヌプリ

2013年03月26日 | 登山・旅行

<昨日のフップシ岳頂上から眺めたイユダニヌプリ(奥)と伊由谷岳(手前)>

 この際、3日間を阿寒周辺の山にこだわることにして、今日は釧北峠から伊由谷岳(898.3m)とイユダニヌプリ(902m)に登った。双耳峰に見える二つのピークにそれぞれ同じような名前が地図に載っている珍しい山だ。もともと本峰のイユダニヌプリが先で、その隣のピークに二等三角点を設置し、その点名・伊由谷岳を山名にしたものと思われる。

 イユダニヌプリは、足寄町史によると、アイヌ語で「杵を作る木の多い山」の意らしいが、もっと別な説もあるようだ。

 いくつかの記録を見ると、非常に遠くて、アップダウンがきつい山だということは覚悟していたが、本当に遠かった。アップダウンが多く、スキーのメリットは生かせないので、かんじきで往復した。頂上に着いたときには、登ったというより、ようやく辿り着いたといった感が強かった。

 頂上に繋がる尾根に辿り着くまでに1時間15分も掛かった。小さなアップダウンを繰り返す林の中を、地形と関係にない地図上の直線的な境界線を目安に歩く。GPSと先週末のものと思われるスノーシューのトレースがあったから助かったが、そうでないと地形図だけではとてもルートがわからない感じだった。尾根に取り付いてからも、いくつものピークを越えなければならなかった。帰りの登り返しも強烈だった。

 晴れたり、時折雪が降ったりと変化の激しい天候だったが、雄阿寒岳、雌阿寒岳、昨日登ったフップシ岳も見えた。

 登り3時間45分、下り2時間45分。下山後、阿寒湖温泉街でバスセンターの500円の温泉に入った。その後、味噌ラーメンを食べて、冬季間は無料のトイレ付の駐車場に落ち着く。明日は、温泉街の裏の阿寒湖畔スキー場から白湯山とフレベツ岳の予定。


733コルからイユエダニヌプリ(左)と伊由谷岳(右)を望む


伊由谷岳からを望む


イユエダニヌプリから伊由谷岳と雄阿寒岳(左)、フップシ岳(右)を望む。
雌阿寒岳は雲の中


フップシ岳(阿寒)

2013年03月25日 | 登山・旅行

<釧北峠付近からのフップシ岳・・・右側の尾根を登った>

 天気は良いほうに外れたので、昨日まで一緒だったヤマちゃんの勧めで、1週間前に登ったという阿寒のフップシ岳(1225.4m)へ。

 登山口は、国道241号線の標高645mの足寄峠。フップシとはアイヌ語で「トドマツの多いところ」の意だか、トドマツよりアカエゾマツの方が断然多かった。ちなみに、支笏湖畔の風不死岳も同じ語源である。

 昨日のものと思われるボーダーのスノーシューの登りのトレースと下りのシュプールが残っていた。

 登山口から頂上まで鬱蒼としたアカエゾマツとトドマツの混合林に覆われていた。これは昨日のナイタイ山や一昨日の然別山と同じだった。900mを越えると、45度を超える急斜面が続く。尾根は広いので大きくジグを切って登っていくことができた。しかし、1100m辺りから雪の柔らかいところもモナカ雪になってきた。スキーでの下りは難儀しそうなので、かんじきに履き替えて登頂した。

 頂上に着いたら、凍結した阿寒湖を挟んだ雄阿寒岳がど~んと目に飛び込んでくる。もっと近い雌阿寒岳は頂上のちょっと下の方ではっきりと見えた。北西方向には明日登る予定のイユダニヌプリと伊油谷岳も見えた。登山道もない山なのに、頂上標識が設置されていた。結構人気の山らしい。

 下りのスキーは、900m辺りまでは薄い新雪の下がボコボコに氷化している上に急斜面なので、横滑りの連続で慎重に下りた。ボードのシュプールも同じように苦労していたようだ。900mより下は、斜度も緩み、雪も柔らかくなり、滑りを楽しむことができた。

 登り2時間、下り40分。下山後、明日の登山口となる釧北峠の偵察に行った。昨日のものと思われるスノーシューのトレースがあった。その後、雌阿寒温泉の野中温泉へ。200円で湯量豊富な100%源泉掛け流しの温泉は最高!

 足寄まで戻って洗濯と買い物の予定だったが、コインランドリーはなかった。そのまま足寄の道の駅で車中泊態勢に入る。
 

登山口となる足寄峠


下の方は、斜度も緩く、針葉樹林も疎らな感じ。
しかし、900mを超えてからの急斜面は鬱蒼とした濃密な樹林帯で、雪も堅かった。


頂上から凍結した阿寒湖と雄阿寒岳を望む


頂上手前から雌阿寒岳を望む




然別山

2013年03月24日 | 登山・旅行

<3の沢林道の正面に見える然別山の白いピーク>


 昨日に引き続いて、同じメンバーで、菅野温泉の西側に聳える然別山(1264.1m)へ登った。然別峡沿いの菅野温泉へ向かう道路を9kmほど入った地点の然別3の沢林道から取り付いた。昨日のものと思われるスキートレースがあったので、それを辿らせてもらった。

 そのトレースは、3の沢林道奥の作業道を辿って南尾根へと続いていた。しかし、南尾根へ乗る手前の樹林が煩い急斜面で撤退していた。我々はその先へと進んで南尾根を登った。1170m付近でスキーをデポし、つぼ足で登頂。全員貴重な新ピークをゲット。


 頂上からは、然別湖畔の山々や十勝平野は見えたが、ウペペサンケ山や二ペソツ山などは上の方がガスで覆われていて姿を隠していた。


 下りは、昨日同様、尾根は狭くて、樹林が濃いので、左側の沢地形を下った。雪は昨日より柔らかく、それほど苦労することなく下ることができた。


 登り3時間、下り1時間15分。


 下山後、新得のくったり温泉へ。そこで、帰路に就く札幌組と別れる。休憩室でのんびりブログを打ったり、明日以降の予定を練る。ただし、十勝方面は明日も明後日もあまり良い天候ではないのが残念・・・・。

然別湖面を横断してナイタイ山

2013年03月23日 | 登山・旅行
<札幌の山仲間4名と一緒に然別湖を横断して2度目のナイタイ山へ(正面の山)>

 札幌のヤマちゃんをリーダーとするグループの山行に加えてもらって、然別湖の北に聳えるゆったりとしたナイタイ山(1332m)へ向かった。2004年に山田温泉奥の内待沢林道から北尾根をピストンしているが、今回は然別湖温泉から凍結した湖面を横断して、南西尾根を登り、その南側の沢地形を下った。残念ながら展望はほとんどなかった。


 下りは、尾根は狭くて樹林が煩いので、ヤマちゃんの判断で沢型を下ったが、尾根より雪が柔らかい上に、樹林も煩くなく快適に滑り降りることができた。湖面へ下りてからは強烈な向かい風だった。

 登り2時間55分(湖面歩き40分)、下り1時間40分(湖面歩き45分)



 下山後、然別湖の氷上露天風呂(女性陣は水着を着用して混浴)を楽しんだ。その後、大型テントで、きりたんぽ鍋をメーンとした宴会へと突入。




支笏湖畔低山巡り(シリセツナイ山ほか)

2013年03月22日 | 登山・旅行


午前中は天気が持ちそうなので、支笏湖温泉街近くの外輪山の低山巡り(シリセツナイ山、野鳥の森ピーク・モラップ山・丸山遠見)にトライ。
 
○シリセツナイ山(533m)<かんじき>

 
 なんとも痔主の気持がそのまま表れているような珍名山だ。痔主でなくても、なんとなく尻がむずむずしそうな山である。温泉街のすぐ裏の山で、地図上には表記はないが人気の山だ。自分もこの山名に釣られて以前から機会があったら登りたいと思っていた。語源は、その西側の紋別岳を源流としたチリセツナイ川(鳥の巣のある川の意)に因るらしい。この山に8000円のツアーがあるとか・・・?

 支笏湖畔小学校の裏の尾根をかんじきでピストンした。湖畔の高い山(樽前山、風不死岳、恵庭岳等)は雲の中だったが、眼下に温泉街が見え、この後に登った3山すべてが見えた。
 登り50分、下り20分。

○野鳥の森ピーク(478m)<つぼ足>

 支笏湖休暇村の裏の野鳥の森の山。モラップ山との間にある湖畔近くまでの道路が除雪されていたで、比較的緩やかな北東尾根を登り、急な南尾根を下った。 
 
登り30分、下り20分。この山以降は、すべてつぼ足で登ることができた。

○モラップ山(505.5m)<つぼ足>
 野鳥の森ピークの南尾根を下って、道路を挟んで向かい側の湖畔寄りの緩やかな北尾根を登り、下りは車のデポ地点をねらって、頂上から直接北尾根を下った。昔はモラップスキー場があった山らしいが、今日のルートからはその場所や痕跡を見つけることはできなかった。

 稜線コルから北側には、紋別岳、野鳥の森ピーク、シリセツナイ山がきれいに見えた。眼下には湖畔にあるモラップキャンプ場は見えたが、南西側に見えるはずの樽前山と風不死岳は雲の中だった。

 登り40分、下り20分

○丸山遠見(327.3m)<つぼ足>

 湖畔から少し離れるが、頂上に明治中期から望楼が設置されている山。現在の望楼は4代目だそうだ。山名の「遠見」もそれに因るらしい。みぞれが降り出して、まったく展望はなかったので、望楼には登らなかった。天気が良いと支笏湖畔の山々がや太平洋が一望できるらしい。夏は遊歩道があるが、樽前国道から直接北東尾根をピストンした。

 登り20分、下り10分

 下山後は午後から雨となった。支笏湖休暇村の温泉に入って、休憩室でのんびり過ごす。今晩は千歳道の駅で車中泊し、明日と明後日は札幌の仲間の計画に便乗して然別湖畔の山へ。

 今日登った4低山、赤い線は登り下りしたトラックログ。

猛吹雪のルスツスキー場・・・栃木からのお客様

2013年03月21日 | スキー・クロカン

 日本三百名山巡りをしていたころに、何度か同行してくださった栃木県のKa女史が息子さんと一緒にルスツスキー場にやってきた。一昨日から今日までの3日間の予定だったが、こちらは一昨日は退職組織の事務局会議、昨日は指導員スキー大会だったので、お相手できたのは今日だけだった。早朝に家を出て、9時前に着くようにスキー場へ向かった。

 留寿都村に入るまではそれほどでもなかった天候が、スキー場へ着いたら猛吹雪。とても滑れる状態でないので、ホテルの部屋で1時間以上もお喋り。天気が好転しないまま、部屋のチェックアウトもあるので、意を決してスキー場へ。

 まったく見えない中、簡単なワンポイントレッスン。昼食タイムを挟んで午前1時間、午後1時間しか滑ることができなかった。いろいろ丁寧に教えてあげたいこともあったが、それどころではなかった。お互いに残念な気持ちのまま、お別れとなった。


 明日から1週間ほど空いているので、天気はあまり良くなさそうだが、山の用意をして来た。とりあえず、明日は支笏湖周辺の予定なので、おなじみの旧大滝村の無料の温泉「ふるさとの湯」まで走った。

 ノートPCは持ってきたが、カメラとの接続コードを忘れてきてしまった。写真を取り込むことができないのが残念。よって、写真なしのアップとなってしまった。明日から携帯のカメラで撮った写真を使うしかなさそうだ。

指導員スキー・スノーボード大会

2013年03月20日 | スキー・クロカン

<スタート地点の様子>

 例年、春分の日は「函館スキー指導員会スキー・スノーボード大会」である。今年で第43回を迎える。ちょうど自分が準指導員の資格を取った年から始まったので、自分の指導員歴と重なる大会である。

 計測や競技運営は函館スキー連盟競技部の協力をお願いし、ポールセット等は会長が指導員仲間である七飯アルペンスキークラブの協力もいただいている。昔は、これら全て指導員仲間だけで行ったのだが、今は、お陰で大変楽をさせてもらっている。

 自分が会長を仰せつかった第33回からは、ただ単に大回転競技でタイムを競うのではなく、2本滑って、そのタイム差の少なさを年齢別に競う種目にした。これならレーサー指向の指導員でなくても、無理しないで楽しめるからである。もちろんレーサー指向の指導員のためにも、年代別のラップ賞も用意している。さらに、賞品や参加賞もトロフィーや盾を止めて、食品に変えたのでとても評判が良い。

 昨年は2本のタイム差が0.01秒という新記録にも驚いたが、今日は、0.04秒という総合優勝の選手が3人も出た。これも初めてのことだ。これは狙ってできることではなく、偶然の産物なのだが・・・。


スタート台に立つ自分


こんな本格的なレーサースタイルの指導員も


前走を務めてくれた今年度の北海道ジュニアスキー技術選手権大会高校生の部で優勝した可愛いお嬢さん


スノーボードの選手


スキーの選手


ゴール地点の様子

大腸内視鏡検査予約

2013年03月18日 | 大腸癌日記

 今日、大腸内視鏡検査の日程確認のために、先週金曜日に予約してきた五稜郭病院の消化器内科外来へ出掛けた。たまたま今日から外来受付システムが新しくなっていた。今までは、予約を入れておいた時間帯に直接その外来へ診察券を出すと、名前を呼ばれて診察待合室へ入るシステムだった。

 今日からは、総合外来の機械に診察券を入れると、予約をしておいた時間帯の「呼出番号券」が出てくる。その後、各外来で診察券を提出。あとは、ディスプレイに番号が画面に表示されるのを待つ。携帯電話でもその知らせを受けることができるらしい。これは、外来待ち時間の軽減およびプライバシーの確保を図ることが目的とのこと。

 それはそうと、これまで何度もお世話になったKo医師の大腸内視鏡検査の日程だが、「一番早くて、来月の16日です」と言われてびっくり!最近は非常に混んでいるらしい。その後、前日に食べる検査食セット(サンケクリン)と下剤をもらって、本日は終了。


○827.7峰(下俄郎)、恵山、ほっかいどう山楽紀行「雷電山」アップ完了
http://sakag.web.fc2.com

初めての冬の恵山

2013年03月17日 | 登山・旅行

 以前から妻が「冬の恵山に登りたい」と言っていた。何度も登っている恵山だが、考えてみたら自分もまだ冬の恵山には登っていなかったので、ちょっと遅きに失した感がないでもないが、椴法華コースを往復した。 

 厳冬期でも雪の少ない山だが、雪の状況がよく分からない。林道を車で300mほど入ったところにデポし、自分はかんじき、妻はスノシューで出発。ところが、、スノーシューの裏の爪の部分にベタ雪がくっついて団子状になってとても歩けない。そこで、自分がかんじきで先を歩き、妻にはツボ足で後ろから歩いてもらった。

 雪の深かったのは、七曲り部分だけで、岬展望台分岐下の崖から上は、雪が付いていなかったり、雪があっても堅雪でツボ足でも歩くことができた。特に、権現台コースは、風当たりが強いところは雪が飛んでしまうのか、夏と同じような状態で、東側の陰になっているところに雪が付いているという状況だった。かんじきも権現台コース分岐にデポしてツボ足で上り下りした。

 10:00スタート、登り2時間25分、下り1時間40分、14:20ゴール。ホテル恵風の温泉でのんびりくつろいで帰宅した。


 海をバックに七曲りコースを登る


 権現台コースの風通しの良いところは、ほとんど雪が付いていない。


 東側の陰になっているところは雪が多い


頂上からわずか5日前に登った古部丸山(古部岳)(右奥)と海向山(左手前)を望む


詳しい山行記録は、下記親サイトでどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)

倉本聰講演会

2013年03月16日 | イベント鑑賞・参加
 山から早く帰れたので、夕方からの函館商工会議所青年部創立10周年記念「倉本聰講演会」へ行くことができた。演題は「当たり前の暮らしを求めて」。

○印象に残ったフレーズをいくつか・・・

・真の文明社会とは、経済、環境、文化の3本の柱がバランスを保つ社会。今の日本は、経済が突出し、便利さや豊かさやスピードを追求する社会にはなったが、幸せではない。

・富良野へ移り住んだわけは、戦後の豊かさヘ不安感の解消、自分の力やエネルギーだけを使った生活がしたかった。何もないゼロからのスタート。何を始めるときにも一切借金はしないで、ある金だけでできることだけをして積み上げてきた。

・「北の国から」も「富良野塾」もゼロからのスタートと自給自足の生活を基本とした。特に富良野塾生の生活は、夏の間は農家のパートで生活費を稼ぐ、米は買わなければならなかったが、野菜は規格外で捨てるものをいただく。コンビニの賞味期限切れの食べ物をいただく。建物は廃屋を解体した材料をいただく。粗大ゴミ捨て場(山部山麓デパート)から家電や家具などをいただいた・・・誇りさえ捨てれば豊かな暮らしができる・・・「貧幸」。

・富良野塾に入ってきた新入生には、「原始の目」を持つことからスタート。例えば、生きた鶏を1羽ずつ与えて、自分でそれを殺し、食べれるようにすることから始めた。そこで、いただいている命の尊さ、謝罪、感謝の念が生まれる。

・富良野の閉鎖したゴルフ場を森に・・・苗木を買って植えるのではなく、森で種の採集するところから始めて、苗木を育てて植えた。

・需要の仕分けもすべき・・・24時間営業のコンビニ、24時間のTV放送は本当に必要か?

・原発も、便利さ豊かさスピードを求めたがゆえの産物。原発から出るゴミの処理はその方法が見つからないまま始動し、増設してきた。今もその確たる方法が見つかっていない。結局は子孫へ押しつけて、「未来というゴミ箱」に捨てようとしている。

・国も平気で借金を作り、豊かさだけを求めている・・・日本人は総認知症になっている。

ガス中の827.2峰(点名・下俄郎)

2013年03月16日 | 登山・旅行

<ガス中の頂上>

 厚沢部町の天作沢林道が伐採作業のために奥まで除雪されているという情報を得て、SHOさんとTaoさんと3人で、この山の北奥に稜線で繋がっている鋭峰780ピークを目指した。しかし、ガスで展望もないので、この827.2峰(三頭三角点名・下俄郎)の再訪だけに終わった。 

 この827.2峰は、2回目の登頂だが、中山トンネルを抜けると目の前にど~んと聳える大きな山である。乙部岳に次ぐ厚沢部町の第2峰で、隣り合っている北斗市にもこれより高い山はない。にもかかわらず、不遇な無名峰で「峠下無名峰」という通称まである。

 確かに、天作沢林道は除雪されていて、ちょうど伐採作業員の車が先を進む。途中に駐車スペースがないので、彼らの助言で作業車の駐車場がある一番奥まで入った。途中にゲートもあったが錠を開けたままにしてくれた。その地点は、南西尾根を越えて反対側の地図上に記載されている終点より奥まで続いていた。

 その駐車場からの尾根に取り付き、南西尾根を往復した。天作沢林道の入口から往復した前回よりは、登りで1時間も短縮することができた。

 7:45スタート、登り1時間45分、下り40分、10:25ゴール。早い下山だったので、もう1山登ろうと考えたが、雨が降ってきたので、北斗市せせらぎ温泉に入って、昼過ぎには帰宅した。

 前回は今は亡きFuさんと4年前の3月に登っている。そのときの写真をみたら、今は自分が形見として、今日も使用させてもらったスキーと靴とストックだった。確か、そのシーズン前に買ったばかりの新品だった。しかし、その12月に怪我をして入院生活に入ったので、何度も使っていなかったはず。その同じ用具で同じ山に登る・・・何か不思議な感じがした。


 支尾根から南西尾根を目指す


 霧氷に覆われたダケカンバ林


 頂上近くの稜線に発達した雪庇


 詳しい山行記録は、親サイトの下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)

検診結果・・・異常なし

2013年03月15日 | 大腸癌日記

<病院の帰りに寄った五稜郭タワーのアトリュームでこの時期毎年開催されているツバキ展>

 今週月曜日に検査を受けたCTスキャンと血液検査の結果を聞きに行ってきた。ともに異常なしとのこと。おまけに通常高めな血糖値まで正常値内に収まっていた。

 2回目の手術から2年経過しているので、大腸の内視鏡検査も受けることにして、これまでの担当医である消化器内科のKo医師へ紹介状を書いてもらった。Ko医師の外来診察日が、来週の月曜日なので、そのときに日程を決めてもらうことにする。

○この椿展・・・約100種類あるらしい。期間は2/15~3月末。