癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

2012年に感謝(写真で振り返る10大感動)

2012年12月30日 | 日常生活・つぶやき
 正月明けに待望の孫1号が誕生してスタートした2012年・・・今年も多くの新たな出会いや感動に満ちた充実且つ平穏な1年であった。
 責任の重さと忙しさがちょっと増した役職上のボランティア活動以外は、山行日数も100日になり、相変わらずの趣味三昧の生活だった。そんな中から、特に感動の大きかったことを時系列に沿って10個選び出して、写真で振り返ってみた。改めて見てみたら、自分の頑張りもあるが、ほとんどが多くの方々との行動やお世話になったことばかり・・・感謝・感動・感激!


<2月26日> 6年ぶりに復活した国内最長85kmの「湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会」
終始強烈な向かい風の上、低温で滑りが悪く、過去の記録より1時間以上も苦しんだ超過酷なレースだった。自分より高齢者は数えるしかいなかったが、順位はまだ全体の1/3ほどの位置に満足。
この大会を機に、ボランティアをされていた湧別町の「うどんおばさん」とのネット上でのお付き合いが始まった。 


<5月20日>藪山仲間のお陰で登れた「夕張中岳」
予てから強く惹かれていた鋭く天を突く鋭鋒・・・しかし、自分の実力からは単独行では無理な山だった。
札幌の「地図がガイドの山歩き」チームを中心とした北見や旭川や名寄から馳せ参じたお馴染みの藪山仲間のお陰で念願を果たすことができた。今年の「わたしの一名山」となり、年賀状にも同じ写真を使った。


<5月26日~30日>1300年続く修験の道・紀伊半島の「大峯奥駆道」縦走
テント装備20数kgを背負い、5泊6日の予定で吉野をスタート。しかし、3日目でレインウエアを落とし、核心部を終えた北部縦走のみで4日目に下山。その後、熊野周辺の観光も楽しんだ。レインウェアは機転の利く良い人に拾われ、佐賀県経由で戻ってきた。


<6月2日~>北海道新聞札幌圏版に拙筆による「ほっかいどう山楽紀行」の隔週連載が始まる
札幌圏版編集委員のKさんがわざわざ自宅まで来ての依頼に感激し、畏れ多くも引き受けることになった。地元函館で読むことができないのが残念だが、道内の半数以上の読者の目に触れているはず・・・光栄且つ感謝の至り。
できる限り楽しく読んでもらえることを心がけて、良い緊張感を抱き、楽しみながら書かせてもらっている。許されれば、あと2~3年は続けたいものだ。


<7月17日~20日>13年ぶりの晴れた1839峰再訪が叶う
自分にとっては、「北海道百名山(山渓)全山単独行完登ゴール」の忘れられない山である。そのときは終始濃いガス中の登頂だった。「いつか、晴れた1839峰を再訪したい」が長年の念願になったままだった。
たまたま札幌を中心とした3人のお誘いを受けて、60代カルテットメンバーでようやく念願が叶った。


<7月31日~8月2日>念願の知床岬に立つことができた「知床岬海岸トレッキング」
四国遍路以来お世話になっている松山市の法起坊見習いさんが、今年も約4ヶ月間の北海道旅行にやってきた。そのメインがこの知床岬に立つことだった。中標津のMoさんとMiさんの同行も得て、自分も含めて長年のその夢を叶えることができた。


<9月8日>SHOさんの同行を得て到達できた秘滝中の秘滝「社台の滝」
これも長年の念願だった。社台川を遡行しなければ到達でないので単独行では億劫で延び延びになっていた。見る者は、その異様さに「悪魔の顔」「ゾンビ滝」「ムンクの叫び」などなど、様々な表現をする。


<9月16日>SHOさんとたにさんのお陰で遡行を果たせた下北半島の銘渓「うぐい滝川」
初の道外遠征の沢登り・・・これまでずいぶん多くの沢を遡行したが、これまででもっとも変化に富んだ、ありとあらゆる沢登りのエキスが詰まった非常に楽しい沢だった。深い釜を持った何段も続く滝あり、美しいナメあり、朝日に輝く大滝あり、標高差100mの急連瀑あり、巨岩帯の間の滝・・・などなど。自分の実力からして、二人の助けがなければとても遡れる沢ではなかっただけに感謝・感謝。


<9月30日>初めて妻も一緒に参加した「函館ハーフマラソン大会」
3年前から復活参加を果たしていた「函館ハーフ」だが、今年から妻も参加。一緒に練習することができたこともあり、この3年間でわずかだが最も良いタイムで一緒にゴールできた。


<12月12日~16日>10月に開航した函館からの直行便利用の「台湾旅行5日間」
4泊ホテル泊、全食事付きで6万円・・・騙されても良いと思って飛びついた旅行だった。これまでの6回の海外旅行はいずれもトレッキング主体だったが、今回は純粋な観光旅行。戦後までの日本による50年統治時代を経たにもかかわらず、とても親日的な台湾の歴史や風土や美味しい食事に触れることができて大満足。

 今年もこのブログや親サイトにお付き合いいただき、ありがとうございました。
 来年も「挑戦と感謝」に心がけ、新たな出会いや感動を求めて、健康で充実した1年にしたいと思います。来年もよろしくお願い致します。
 末筆になりましたが、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り致します。

函館七飯スノーパーク

2012年12月29日 | スキー・クロカン

 今シーズン3度目のゲレンデスキーは、ようやく地元の函館七飯スノーパーク。 
 太平洋側の影響を受けやすいせいか、函館市内より雪が少ない感じだった。しかし、ゲレンデ状況はまあまあで、樹氷がとてもきれいだった。
 ただし、先週ずっとニセコや十勝岳麓のパウダースノーで滑ってきただけに堅めに感じる斜面は仕方ないところ・・・。それでも、今日からオープンした高速リフトのチャンピオンコースは非常に柔らかく気持ちよく滑ることができたので、主にそのコースで滑っていた。

 一人で滑っているとすぐに飽きてしまうが、幸い指導員仲間3名でずっと一緒に滑ったので、休憩も取らずに4時間も滑り続けることができた。
 ゴンドラを下りたところで、今年からお互いブログ上でのお付き合いが始まった七飯町のmacotoさんからご挨拶をいただき、初対面が叶った。 
 
 好天予報の土曜日で、正月休みにも入っているので、混むだろうと思っていたが、とても空いていてビックリ。スキー場関係者も気の毒なほどこぼしていた・・・。




紅まどんな

2012年12月25日 | 日常生活・つぶやき
 今朝、4:00に車中泊した札幌の旧道路情報館駐車場を出て、8:30に無事1週間ぶりの我が家に帰宅。

 いろいろ片付けを終わったところへ、松山市の法起坊見習いさんから見たことのない「紅まどんな」なるミカンが届いた。自分は知らなかったが、妻は「わ~凄い!柑橘の宝石と呼ばれる凄く高価なみかんだ~!」と大騒ぎしている。

 同封されてきたパンフには「愛媛生まれの貴婦人」とか「ゼリーのような食感の今までにないタイプのみかん」と書かれている。

 ネットで調べてみたら、下記のようなことが書かれていた。
 「愛媛県が独自に10年の研究の末、「南香」に「天草」をかけ合わせて生まれた希少なみかんで、2005年に新品種登録されたばかりです。ひとつの木に実がなるまで約5年かかり、「こんなに手間のかかる果物はない」と言われています。風による実と葉の擦れを防ぎ、雨による実割れを起こさないように施設(ハウス)内で、ひとつひとつ丁寧に栽培されています。一年中で12月の数週間しか収穫できず、生産量の少ない希少な果実・・・・」とのこと。

 早速、二人で1個味見をしてみた。確かに皮は薄く、果肉はゼリーのような柔らかさでジューシーな甘い果汁が口の中に広がった。まさに、果実のスイーツといった感じ。東日本にはほとんどで出回らない貴重なみかんらしい。

 気になったその名の由来だが、愛媛県を舞台にした夏目漱石の小説「坊ちゃん」に登場する女性の愛称「マドンナ」に因るらしい。

スカッパレの前十勝

2012年12月24日 | 登山・旅行

<みごとなまでの青空と白い斜面のコントラストが美しい>

 朝起きたら、この時期には珍しい快晴の空が広がっていた。厳冬期にこれほど晴れ上がるのは珍しい。自分厳冬期のここは3回目だが始めての経験。

 女性人の用意してくれた豪華な朝食をいただき、9名で前十勝へ向かう。十勝岳の前衛峰で、名寄のEIZIさんと二人で8年前に一度登っている。それは1月だったが、そのときより雪が多く、頂上直下までスキーで登ることができた。

 しかし、スキーをデポしてつぼ足で登り始めたが、まもなくキックステップも利かないほどの氷化斜面になる。誰もアイゼンもピッケルも持参していないので、頂上直下30mほどのところで登頂を断念。

 スキーデポ地点からは、予想していたよりずっと楽しく深雪滑降を堪能することができた。天候にも恵まれ、過去のいろいろな厳冬期の山の中ではもっとも楽しい山行になった。


 十勝岳から吹き上げる噴煙をバックの前十勝を目指す 


 カバワラ尾根の森林限界を抜ける。上にはそこから下る準備をしている先行グループ 


 スキーで行ける所まで行って、無理だったらつぼ足で登るつもりで高度を稼ぐ。
 結局、頂上直下30mほどの地点で登頂断念。


 ズタズタに荒らされたカバワラ尾根の斜面・・・兵どもの夢の跡状態

 下山後、温泉にゆっくり入り、みんなと分かれて岐路に就いた。札幌の秀岳荘で小物を購入し、豊滝にある旧道路情報館駐車場で車中泊。ここで2日分のブログを更新。明日は、午前中には1週間ぶりの我が家へ帰れるだろう。

詳しい山行記録は、明日の帰宅後にアップ予定
http://sakag.web.fc2.com

三段山(二段目の上まで)

2012年12月23日 | 登山・旅行

 9:00過ぎに吹上温泉白銀荘到着。昨日から泊まっているメンバーは、富良野岳ジャイアント尾根と三段山の二手に分かれて、すでにスタートしていた。自分は同じ時間に到着した5名で、三段山を目指した。

 厳冬期は8年ぶり、4月の春山スキーで一度、夏には妻と二人登っている。今年は12月にしては雪が多いようだ。1段目の急斜面を登り切ると、雪に覆われたタンネの森を抜ける(画像)。


 今月の初めに死亡事故を生んだ2段目の雪崩斜面の下を通る。
 いつもこの下を抜けて登っているところだった。
 左下の小さなブッシュの下に菊の花が供えられていた。


 2段目の上まで上がったら、風が強く、ホワイトアウトになっていた。
 そこから戻ることにして、シールを剥がして滑降準備完了。
 しかし、その下は1段目の急斜面までは、雪が深い上に重くて深雪滑降は楽しめなかった。


 一度シールを貼りなおして登り返して深雪滑降を楽しんだ1段目の急斜面。


 夜は12名ですき焼きを囲んでの懇親会。この日だけで3回も温泉に入った。

午前XCスキー、夜藪山忘年会

2012年12月22日 | オフミ・飲み会

3夜連続の車中泊…真冬用の寝袋はぬくぬく快適。着過ぎると汗ばむくらい。

8:00には暖房の入っている大滝クロカンコースの休憩所へ。ゆっくり新聞を読み、ワクシングをした後9:00から滑走開始。

10kmほど滑って一休み。しかし、その後は昨日までの疲れが出て来てくる。結局7kmで打ち上げ。土曜日でもあり昼までに30~40人ほどで賑わいを見せていた。

昼食後、札幌へ向かう。途中の小金湯温泉まつの湯で汗を流して一休み。

夜は、「地図がガイドの山歩き」チームを中心とした薮山仲間の忘年会。今年はこの仲間のお陰で登れた5月の夕張中岳と夕張小天狗、10月の二観別岳、さらに12月には函館までやってきての蝦夷松山~雁皮山北峰と3度お世話になった。

そのときどきのメンバーが北見や旭川からも駆け付けて10名になった。居酒屋での一次会、カラオケルームでの二次会と続いた。最後は、寝袋持参で、その中のメンバーのマンションへ。三次会になったが明日の朝も早いので直ぐに寝させてもらうことに…。

クロカンスキー初滑走

2012年12月21日 | スキー・クロカン

 予定通り、今日は伊達市の大滝クロカンスキーコースでの初滑走。12/16に、いつもここで出会う洞爺湖町のMoさんから「今日から大滝のコース、オープンしたのでぜひおいでください」との電話をいただいていた。

 雪はたっぷりだが、まだ3.5kmコースと登りのきついSAJ公認5kmコースのみのオープンだった。9:30ごろから15:00mまで、たっぷりの休憩を入れながら、足慣らしにトータルで28kmほど滑走した。しかし、昨日までのニセコでのスキーの疲れがあるのか、年齢のせいなのか、例年の初滑走のときよりきつく感じた。

 午前中は雪が降っていたが、午後からは青空が覗いた。雪も降らず、気持ち良くすべることができたが、昼食後は誰もいなくなって、ちょっと寂しかった。


右側にクラシカルコースも切られていて、コース表示もある。


SAJ公認5kmコースのきつく長い登り。当然、これに見合った下りもある。


朝のうちにコース整備をしてくれる圧雪車と休憩所・キートスマヤ


昼食時の休憩所の中。ほとんどがMoんを中心とした洞爺湖町歩くスキークラブの面々。
全員登山もされるようで、Moさんが紹介してくれて「ほっかいどう山楽紀行」の話題になった。
ほとんどの人が読んでくれていて、休憩中は山談義も。


休憩所の中に常設されているスキーのワクシング台


滑走終了後は、無料の温泉・市営共同浴場「大滝ふるさとの湯」へ。夜までここでのんびりし、夜は大滝市街地にある24時間公衆トイレ駐車場で車中泊の予定。

ニセコグランヒラフスキー場

2012年12月20日 | スキー・クロカン
 昨日から1週間ほどの3種スキーの旅に出た。昨日と今日は、兵庫県からやってきたSiさんとその友人Miさんと共にニセコグランヒラフスキー場でゲレンデスキー。21~22は、大滝の常設コースでクロカンスキーの一人合宿。22の夜は札幌で山仲間との飲み会。23~24は、HYMLの三段山オフミへ参加して山スキーの予定。

 まず、昨日は5:00に家を出て、ニセコグランヒラフスキー場へ。Siさんは10年以上も前から拙サイトを利用され、北海道の山へ来るときにはいろいろ問い合わせメールをいただいている。しかし、まだお会いしたことはない。今回は山ではなく、ゲレンデスキーを楽しみにニセコへやってくることになったので、以前からの約束を果たすべくお付き合いすることにした。

 8:30にホテルアルペンに泊まっているSiさんとMiさんと初対面。シニア2日券を購入。昨日は午前中はわずかの間だが青空が広がって、ニセコアンヌプリが姿を見せた(画像)。しかし、その後はすっぽりと雪雲に包まれてしまった。猛烈な降雪に見舞われ、快適な滑りは程遠かったが、2回ほどの休みを入れて、9:00から15:30まで久しぶりにたっぷりとフリースキーを楽しんだ。積雪はこの時期例年の2倍とのこと。


 その後、ホテルの温泉に入って、二人の部屋で、さらには、ホテル内のレストランでビールを飲みながら山談義を中心に懇親を深める。 9:00には、スキー場の駐車場で車中泊。

 温泉でびっくりしたのが、数日前まで台湾旅行で一緒だった札幌のKaさんとの再会。昨日から同じスキー場へ来ることは聞いていたが、まさか会うとは思わなかった。

 さて、2日目の今日は、朝から低い雪雲の中。昨日よりものすごい降雪で、前が良く見えない上に、昨日の疲れも出てきて、それほど楽しくない。昼食を摂って1本滑ったらもう嫌になり、切り上げることにした。

 それにしても、若いころから好きで良く通ったこのニセコのスキー場の変わり様が凄い。来るたびにその思いは強くなるが、外国人が4/5ほどを占める感じでまさに外国のスキー場で滑っている感じだ。圧倒的に多いのがオースとラリアからのスキー客だが、次に目に付くのは今年は少ないが中国人。そのせいか、昔からあった民宿形式の宿は姿を消し、毎年のように良く利用した高木山荘や銀嶺荘も更地になり、売地になっているのが非常に寂しい。

 スキー場を後にして、はやばやとニセコ駅前の綺羅の湯へ落ち着く。この後、拙筆による「ほっかいどう山楽紀行」の今日できる12/26掲載分の紙面構成原稿をFAXでこの温泉へ送ってもらう予定。その後、ニセコ道の駅で車中泊し、明日はクロカンスキー常設コースのある大滝へ向かう予定。

ナイトジョグ&ウォーク

2012年12月18日 | 日常生活・つぶやき
 
 昨夜、台湾旅行で増えた体重を少しでも落としたくて、夕食後、ナイトジョグ&ウォークへ出掛けた。路面には雪もなく、風もないので快適に歩いたり走ったりできた。
 コースは、今年まだ見ていないクリスマスファンタジーをメインに巴大橋を進み、元町公園までを往復した。


 今月上旬の暴風雨で先端部分が30cm折れたが、造園業者の技術で修復したツリー


 レンガ倉庫の間から


 ライトアップされた明治館


 二十間坂を下から眺める


 元町公園から公会堂を見上げる


 八幡坂から港を見下ろす

台湾旅行印象記

2012年12月17日 | 登山・旅行

高雄市愛河河畔に並ぶ近代ビル街

 4泊5日・・とは言っても、現地では正味3日間の駆け足観光だったが、初めて訪れた台湾(中華民国)という国の印象を思いつくままに記しておく。

○函館直行便ができたお陰で、安い料金で手軽に行ける国になった。全食事付きのホテル4泊で6万円という料金設定に、騙されても良いと思って飛びついた旅だったが、見るもの食べるもの全てが大満足の旅だった。特に楽しい素晴らしい大ベテランの現地ガイドにも恵まれた旅でもあった。

○世界の中でも非常に複雑な歴史を歩んだ「台湾」・・・日本にも50年間統治されていた国の歴史や風土が理解できた。おもな歴史は下記の通り。
 オランダ植民統治時代(1624年 - 1662年)~鄭氏政権時代(1662年 - 1683年)~清朝統治時代(1683年 - 1895年)~ 日本統治時代(1895年 - 1945年)~ 南京国民政府(1945年 - 1949年)~台湾国民政府(1949年 - 1996年)~民主化後(1996年 - 現在)

○西側は平地が多く、交通網も発達していて、人口も多く都市が多い。それに比べて、東側は山が海岸まで迫っていて、平野部が少なく、先住民族が多い。


<台湾の地形を表す地図>


○日本の統治時代の印象が良いようで、親日的な国民が多い。それは、日本は搾取型植民地支配ではなく、「内地延長主義」として、台湾を日本国内と同じように扱うという政策をとったことが大きい。例えば、日本から優秀な教育者を派遣し、台湾中に学校を建て、教育自体と同時に、物事を学ぶ姿勢を根付かせた。1904年に3.8%だった台湾児童の進学率は、1944年には71.3%にまで向上した。
 それに比べて軋轢が続いている中国(中華人民共和国)に対しては、非常に厳しい感じを受ける。日本人はマナーが良いが、中国人は非常に悪いなど。それでも、中国からの観光客が非常に多かった。

○どこへ行っても、日本と同じように地方と都市との生活上の格差はあまり感じられなかった。中国旅行の時は酷かっただけに、民主化後の政治が行き届いている印象を持つことができた。ただ都会の古い建物は薄汚れた感じで、昭和の日本を思わせる。

○楽しみだった台湾料理は、中華料理と同じ系統だが、油濃さやくどさはなく、あっっさりした感じで日本人の口には良く合うと思う。
 日本では食べることのできない珍しいものを選んで食べるようにした。しかし、昼食と夕食は同じような料理のフルコースなので、最後はちょっと食傷気味。ホテルの朝食バイキングはできるだけあっさりしたものを選んだ。今朝、体重を測ったら1kgちょっと増えていた。

○さすが南洋の国、植生がまったく違い、花や果物など見たことのないものが多く目に付いた。


○文字は漢字のみなので、読み方や話し言葉は分からないが、看板や文書などはなんとなくその意味が分かる。中国より略字が少ない。日本ではカタカナで表す外来語の表記に面白いものが多かった。観光客と接することの多い店員やホテルマンはほとんど日本語が通じる。

○食べ物を中心とした物価や日常生活に必要なものは全体的に日本より安い。

○コンビニはセブンイレブンとファミリーマートが幅を利かせ、他の商店も日本の店が多く進出している。車はほとんどが日本車。

○都会はスモッグに覆われていて、朝などは晴天なのに青空や遠望が見えないところもあった。

○今回は海岸をぐるっと回る観光旅行だったので、3000m以上の山が258座もあるという急峻な山岳地形に触れることは太櫓閣峡谷以外はなかった。次回、チャンスがあれば、トレッキング主体の自然に触れる旅をしてみたい。


台湾旅行5日目<台北~桃園空港~函館空港>

2012年12月16日 | 登山・旅行
12/16(5日目)

 台北のホテルから桃園空港へ。千歳空港からの19名が9:30に発ち、函館組は11:05発。約3時間のフライトで15:10(日本時間)函館空港到着で、4泊5日の旅はあっという間に終わった感じ。

○台北の最後のホテル豪爵大飯店台と裏町の古いマンション街
  
 
セメントの豊富な国なので、建物は地方の民家も都会の家もすべてといって良いほどコンクリート造り。都会のマンションは塗り替えなどしないのか、古い建物はうす汚れて暗い感じのものが多い。

○桃園空港にて


函館空港行きのキティちゃんが描かれたエバー航空機

 函館へ着いたら、前日まで半袖のTシャツで過ごしていたのがウソのように寒い。高松興産駐車場(500×5=2500円)の迎えの車に乗り、さらに自分の車に乗り換えて無事帰宅。その足で、衆議院選挙の投票へ。

台湾旅行4日目<花連~台北>

2012年12月15日 | 登山・旅行
台湾旅行4日目(12/15)

この日は、朝早く(6:50出発)から夜遅く(22:30ホテル着)まで、一番濃密な1日だった

○花連市~台湾東北部最大の都市。

ホテル前から朝焼けの山を眺める


車窓からのタロコ峡谷(左奥)のバックの山を眺める。手前はセメント(水泥)工場


○タロコ(太櫓閣)峡谷
 浸食によってできた大理石の奇岩怪石や両側高さ600mもの断崖がおよそ20kmに渡って続く峡谷。今回の旅で一番楽しみにしていた絶景名所。
 太魯閣渓谷を通る道路は、日本統治時代に岸壁の岩を削って作られた「古道」、中華民国時代になって難工事の末に作られた一車線の「旧道」、その後に作られた二車線の「新道」がある。
古道は人一人がやっと通れるほどの道で、現在は部分的に遊歩道になっている。









○大理石加工場
花蓮は世界的に有名な大理石の産地。駅のホームや舗道 の敷石も大理石という大理石の街。大理石の加工場では、製造工程の見学や大理石製品の購入もできる。 





 花連から特急列車太櫓閣号にて、台北への2時間ほどの列車旅。


 車窓から眺める大河。一面石灰岩の土砂で埋め尽くされている河原。


○台北
 台湾の首都で最大の都市。歴史を物語る街並み、庶民的な市場、近代的な高層ビルなど魅力溢れる都市

○龍山寺~1738年建立。台北最大の仏教と道教の寺廟。

土曜日でもあり、熱心な信者の参拝社と観光客でごった返していた。


○台北101(台北国際金融ビル)
~高さ508m、101階建て。2004~2008年まで世界一のビルだった。


○総督府
~日本統治時代に台湾総督府として建築された。高さ60mの塔があるルネサンス様式の赤煉瓦建築。戦時中に焼失したが修復され、現在も政治の中枢となっている。


○中正紀念堂
~故蒋介石総統を偲ぶために建てられた瑠璃瓦の屋根と白い大理石の純中国式巨大建築。建物内には故蒋介石総統の座像が置かれている。広い敷地内には音楽庁や戯劇院もある。


 


○故宮博物館
~世界四大美術館のひとつ。中国式宮殿を模した建築で、その収蔵物は中国の歴史を伝える美術品や文物など総数70万点あまり。
 全部見て廻るには一日でも無理とのこと。ガイドの周さんが見る物を厳選してくれて、その説明を聞きながら見て回った。中国人観光ツアー客でごった返していた。


○忠烈祠
~豪壮な中国宮殿様式の霊廟で、辛亥革命や戦争などで犠牲となった数十万の将兵が祀られている。日本の靖国神社のような存在。毎時ちょうどに行われる衛兵交代式が有名。


○鼎泰豊の小籠包(夕食)
~1993年にアメリカのニューヨーク・タイムス紙で「世界の10大レストラン」に選ばれて、一躍知名度が上がり、台湾国外から多くの観光客が、台北の店舗に来店する転機となった。その後、台湾国外店舗としてロサンゼルスと東京の店舗を開店させ、続く国外の店舗を次々と開店していった。


 


○台北101からの夜景


○台北の夜市
~土曜日の夜ということもあり、もの凄い混みようだった。人の流れにただ付いて歩くだけ。


 
我が家で購入したミニトマト飴と餅を油で揚げたもの 


ホテルへ到着したのが22:30。

台湾旅行3日目<台東~花連>

2012年12月14日 | 登山・旅行
3日目(12/14)
 高雄市から東海岸を南下し、峠を越えて台東市へ、さらに東海岸を花連まで北上するバス移動時間が多い一日だった。

○高雄市街地の朝
 
宿泊したホテル・立多大飯店と専用バス    早朝のホテル前の様子

     
 
印象深かったスクーターの多さ・・・信号待ち、そして、青信号後。
市街地はスクーターのための路線が確保されている。
乗用車は95%までは日本車、それも日本国内と違って圧倒的にセダンタイプが多い。


○車窓からの山
都市部はスモッグが多く、霞んでいて山は全く見ることができなかった。3000m以上の山が258座もあるという片鱗を目にできたのは、南下して幅の狭くなった先端部分でようやく。

 峠を越える南の先端部分はくねくね道路が続き、久しぶりの車酔いを経験。

○台東市
 東海岸へ抜けて、暫く北上した地点にある都市。多くの先住民が居住している都市。

 
 昼食は、台湾の郷土料理のコース      専用バスの前にて


○三仙台~台東市の北方60kmにある離れ小島に巨大な岩が並ぶ。この岩の上で3人の仙人が休んだという伝説がある。

 島と結ぶ橋をバックに

 
○八仙洞~海水の浸食でできた洞窟。台湾の山を形成している地質は石灰岩がほとんどで、このような洞窟が至る所に存在する。

 洞窟入口

 
洞窟の中から入口を見ると台湾北部の形に見える  入口に建つ不思議な建物


東海岸線沿いの集落にはキリスト教会(真耶蘇教会)やキリスト教の墓地が多く目に付いた。
ちなみに、台湾でもっとも人口の多い宗教は道教で、西海岸に多い。2番目がキリスト教、3番目が仏教。

○北回帰線記念塔~熱帯と亜熱帯の境目


○花連市のホテル
 
この旅でもっとも立派だったホテル・翰品酒店   夕食は広東料理
 

台湾旅行2日目<台中~台南~高雄>

2012年12月13日 | 登山・旅行
2日目(12/13)

台中市のホテル・富士大飯店で朝を迎える。5:30起床、シャワー、6:30朝食、8:00出発


ホテルの窓から朝の台中市街地を眺める

 
泊まったホテル・富士大飯店        市街地の道路のスクーターの多さにビックリ
信号が青になった途端のスタートの様は、日本の暴走族のような感じだ。


<台中市>宝覚寺
太平洋戦争時に亡くなった日本人と日本兵として亡くなった台湾人の共同墓地があり、高さ30mの弥勒像(布袋様)で有名な仏教寺院


大きな建物で覆われている宝覚寺


日本人兵士共同墓地


 
巨大な弥勒様の前にて    バナナの花と実入りする前の房の状態を真下から眺める

日本語ペラペラの非常に面白く楽しいベテランガイドの周さん。台湾のことはもちろんだが、日本のことや日本語のことも我々より詳しい感じ。日本語で洒落や面白い話をするのには驚いてしまう。これまでの7回の海外旅行ので最高のガイドだった、

<台南>烏山頭ダム・八田興一記念館
 烏山頭ダム(八田ダム)は、1920年に着工し1930年に完成した台湾最大のダム。日本人技術者の八田與一により策定され、嘉南平原の農業灌漑を主目的として建設された。
 八田興一氏の多大な業績を讃えて、辺り一帯は広大な公園として整備され、現在、世界遺産指定へ向けての運動が進められている。

烏山頭ダムの堤の前にて

 
八田興一記念館     八田興一の銅像と墓


<台南市>
○赤嵌楼~オランダ人によって築かれた城

赤嵌楼をバックに

 
きめ細かな彫刻がすばらしい    中には、鄭成功が祀られている

 鄭成功は、中国明代の軍人、政治家。清に滅ぼされようとしている明を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となった。日本の平戸で父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に生まれた。幼名を福松(ふくまつ)と言い、幼い頃は平戸で過ごすが、7歳のときに父の故郷福建につれてこられる。

○延平郡王祠~鄭成功が祀られている
 


☆昼食(台南市内)
最初の台湾料理のコースだったこともあり、ここの料理が一番美味しかったような気がする。

<高雄市>台湾第2の都市

○蓮池潭~蓮の花で知られる淡水湖。

一対になっている七重の塔「竜虎塔」


四重の塔「春秋閣」の外観


四重の塔「春秋閣」の内部


○寿山公園~高雄市内を見下ろす高台にある公園。


○愛河河畔~かつては運河として利用されていたが、現在は市民憩いの場となっている。



○夕食(海鮮料理)
 
コース料理       台湾ビール


○六合二路夜市散策~500mの道路両側に屋台がひしめく夜市。


買って帰って、ホテルでビールのおかずになった海老。


台湾でしか食べられない釈迦頭    割った中味~とても美味しかった