癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

恵山東面へ迷い込む可能性のあるエリアの探索と捜索範囲の決定

2020年05月31日 | 登山・旅行

<登山道の東側の上部はこのような状況の所が多い。この下が急な樹林帯となっている。>

 左下の網干場や右下のホテルの駐車場が常に見える。初めて登った人にとっては、高度差や距離感が掴めないために、そちらをスタートした駐車場と勘違いする可能性がないわけではない。

 今日は、捜索範囲を絞り込むために、頂上からの登山道(権現台コース)の下山時に東側斜面へ迷い込んだとすれば、登山道のどの辺りから下る可能性があるか、登山道の東側斜面の上部の探索を中心に行った。

 メンバーは捜索当日に3班のリーダーを務める予定の、元ロッククライマーのmyuさん、古道探しの藪漕ぎ名人のも~さん、それに自分の3人。

 今日探索で歩いたGPSトラックログ(十三曲がりコース登山口から下のラインは車移動部分)。登山道ではないところも歩いている。

 天気が良く、非常事態宣言が解除されたせいか、いつも通りのたくさんの登山者が登っていた。

 

 捜索範囲を絞るのに、一番心配したのは、下から眺めた水無川源頭部の崖の左側の岩稜の間を下りる可能性があるどうかだった。もし、そこを下っていたら、水無川の左側(南側)の斜面も捜索範囲に入ってしまうからだ。

 下から見て一番心配した水無川源頭部の岩稜の切れ間は、画像では良く分からないが、ものすごい急な岩場でとてもここを下ることは我々でもできないと判断。したがって、ここより南側(下から見て左側)には下りていないと判断した。

 

 上掲画像の南側に続く岩稜帯を頂上の下部斜面から眺める。ここを下りれるはずがない。

 

水無川源頭部の崖の上から下を見下ろす。ここから落ちたとしても、ヘリから見える。

 

登山道の東側~ここは捜索の足跡があったが、晶君はこの下の急斜面へ下りた可能性がないわけでもない。

 

ここも登山道の東側で、ロープが張られているが、噴煙に興味を抱いて入り込む可能性がないわけではない。

 

登山道の東側を登るも~さんとmyuさん

 

 権現台コース分岐から反対側へ進み、岬展望台下の道へ迷い込む可能性はあるが、ここから見える範囲はすでに捜索済みである。このあと、左端の乱塔川源頭部コルまで下りて、岬展望台へ登り返した。

 

岬展望で昼食を摂って、一休み。

 

 岬展望台から十三曲がりコースへ下りる手前から眺める東側斜面の急な樹林帯・・・登山道の東面から迷い込むと、この斜面へ下りることになる・・・この斜面が捜索範囲の北側となる。

 

 下から、捜索範囲となる、水無沢から十三曲がり下の沢の間のヘリからは見えない樹林帯を眺める。

 一番の難関は基部の崖(緑色の濃い部分)のような急斜面である。この斜面を3班で捜索する予定である。

 上掲の画像と向きが90度以上違うが、四角で囲んだ樹林帯部分が捜索範囲である。

 A班の取り付き部分までは砂防ダム工事道路が入っていて、そこから取り付けそうな感じだが、B班の取り付き部分とC班の沢の中から南側の尾根への取り付き部分が、不確定である。その部分は、6/3に偵察に入る予定である。

 晶君が転倒や滑落しているとすれば、基部の急斜面の可能性が高い。いずれにしても、急な樹林帯の強烈な藪漕ぎとなるだけに、誰でも良いというわけにはいかない。少数精鋭とならざるを得ない。今のところ、捜索部隊は20人ほど、本部詰めが10人ほど。いずれにしても気は重い。

 重い気分を癒してくれた花々

山頂下の斜面に咲くミネズオウ

一面に咲くエゾヤマツツジの群落

 乱塔川源頭部に咲くコイワカガミ

 函館新聞社の記者が、朝の集合場所のホテル恵風駐車場に取材に来られていた。明日の新聞に乗るらしい。

  解散後、財布も忘れたので、温泉も入れなかった。当日は捜索現地本部に携わる事務局長の鎌鹿さんの店に寄り、今日の行動結果と決定した捜索範囲を報告した。


恵山東面山麓の林道や作業道路の探索

2020年05月30日 | 登山・旅行

<⓪広大な網干場から望む恵山東面斜面・水無沢源頭部(左)~十三曲がりコース(中央谷の右)~岬展望台(右ピーク)~乱塔川の谷>

※権現台コースや岬展望台の登山道から東側に迷い込むとしたら可能性の強い範囲

 6月7日に予定している、登山仲間による自主捜索は、これまでの警察・消防・自衛隊の捜索の手がほとんど入っていない椴法華側の東面の樹林帯を予定している。

 西側の火口側や火口原はすでに空陸両面からの十分過ぎるほどの捜索が行われているのにも関わらず、これまで見つからなかった。このことから、ヘリからも見えない、椴法華側の東斜面の樹林帯へ迷い込んで、上部の急斜面か岩場で滑落か転倒して動けなくなっている可能性が高いと考えたからである。

 捜索現地本部はホテル恵風の駐車場に置くが、そこからすべて徒歩でこの山域に入るのは辛いものがある。そこで、本日、この山域の山麓にあって地形図に乗っていない車で走れる林道や砂防ダム工事用道路を探索しに行ってきた。その結果が、下記の地図である。

車で入れた、林道や砂防ダム工事用道路のトラックログ。〇数字は、下載の画像の撮影地点。

 

①途中の砂防ダムから水無川源頭部を見上げる。源頭部の崖の左側の岩稜の間から迷い込んでいれば、岩稜の下辺りやその下の沢地形が怪しい。源頭部の崖はヘリからも見えると思うので、そこには落ちていないものと思われる。

 これは、明日の登山道からの偵察で、果たしてそこへ迷い込む可能性があるかどうか、足を踏み入れてみようと考えている。

 

②十三曲がりコース登山口の砂防ダムの上から上の沢を見上げる。(登山道はこの右に続いている)

 

③廃道化した砂防ダム工事用道路(ここは歩き)

 

④廃道化した工事用道路の終点の沢

 

⑤乱塔川上部の砂防ダム。左側に、崩れてはいるが道路跡が続いている。これを詰めれば、岬展望台西側のコルに出る。

 

⑥乱塔川下部の様子と椴法華漁港を見おろす。

 

捜索現地本部が置かれるホテル恵風駐車場

現地本部の置かれる地点(左手前)から駐車場とホテルを眺める

 

 捜索現地本部の置かれる場所(集合場所)は、バスの停まっているところ。

 

捜索隊専用駐車場。ホテル駐車場の道路を挟んだ南側。ここに車を置いて、本部前に集合。

 

 もうピークを過ぎたエゾヤマツツジ

 

これから見ごろを迎えるサラサドウダン。

帰りに、ホテル恵風の温泉に入って、隣にいた方に「良い天気ですね~」と挨拶したら、「そうですね~。まだ高校生みつからないんですよね~」と返された。みなさん気にされているのだな~と思った。なんとか見つけ出したいものだ・・・。

※明日は3人で、十三曲がりコースから佐藤晶君の登った権現台コースを頂上まで登り、椴法華側へ迷う込む可能性の高いところをチェックしながら偵察をする予定。その後、八幡川コースへの乱塔川上部のコル付近や岬展望台への登山道も歩き、椴法華側への迷い込み場所の可能性を探る予定。

 さらに、十三曲がりコースを下り、その後、今日自分が車で通った林道・工事用道路も案内し、捜索時の利用の可能性も探る予定である。


恵山・自主捜索~まずはメンバー集めから

2020年05月29日 | 登山・旅行

<外輪山462ピークから眺める恵山と火口原・・・こちらから見える範囲はヘリからも見えるし、地上部隊もくまなく捜索済み>

 昨夜から今朝にかけて、「新日本百名山・恵山を登る会」のメンバーや個人、さらには地元の山岳団体にも協力依頼の下記メールを発信した。

 すでに、数人からの参加申し込みが届いているが、HYML(北海道の山メーリングリスト)へも流したら、白老と札幌の方から早速の申し込みがあって驚いた。2014年の故齋藤浩敏さんの捜索のときも、札幌方面から多くの参加をいただいた。このときは、行方不明者が同じ山仲間だったこともあるのだが・・・。

 この後の予定は、5月31日(日)に数人で、登山道からもし椴法華側へ迷い込むとしたら、どこにその可能性があるのか、岬展望台や外輪山の462峰辺りまでの登山道や椴法華コースも含めて偵察し、捜索範囲の絞り込みを行うつもり。

 なんとか佐藤晶君を捜し出したい。この一念で、弁当も怪我もすべて自分持ちのボランテイアである・・・この想い天まで届け!

 なお、昨夕、中央署では北海道新聞から、函館新聞からは電話取材受けたが、昨夜の函館新聞電子版に掲載されていた。

 また、さきほど、その記事を見たというUHB(北海道文化放送)函館支社の記者からも取材申し込みのメールが入っていた。電話番号を知らせておいたら、電話をいただいて取材を受けた。

<メンバー募集の送信メール>↓↓↓

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各位

           恵山・佐藤晶君の自主捜索のご協力依頼について

          新日本百名山・恵山を登る会・代表 坂 口 一 弘

                  同 上・事務局長 鎌 鹿 隆 美


 新型コロナの影響で、自粛生活を余儀なくされておりますが、皆様にはご健勝にてお過ごしことと存じます。

 さて、みなさんご存じの通り、5月15日に姉2人と恵山に登り、先に下山したまま行方不明となった佐藤晶君ですが、道警山岳遭難救助隊を初めとする警察・消防・自衛隊による11日間、延べ560名による大規模な捜索が行われました。しかし、発見には至らず、5月26日で大掛かりな捜索は終了しました。

 20005年9月の「岩崎元郎さんと登る新日本百名山・恵山記念登山会・講演会」を機に発足した当会としては、5月25日の政府の新型コロナ感染拡大に伴う緊急事態宣言全面解除も発表されましたので、できる範囲で自主的な捜索活動を行いたいと考えております。

 函館中央警察署の捜索の中心となった方からの情報もいただき、了解も得ましたので、関係者と話し合って、【添付文書】のような対応を考えております。なにとぞご協力のほど、よろしくお願いいたします。

【添付文書の内容】

1<組織>
 捜索本部を「新日本百名山・恵山を登る会」(坂口)に置く。
 捜索に協力してくれる方々を、個人的に、あるいは、いろいろな山岳団体を横断的に募って、捜索隊を組織する。捜索隊事務局を「はこだて自然倶楽部」(鎌鹿)に置く。

2<日程> 
 警察からの捜索情報をもとに、現地の状況を事前偵察した上で、捜索範囲を策定し、現時点では、第1回目は、6月7日(日)を考えています。第2回以降は、第1回目の結果で判断いたします。

3<捜索協力者の募集>
 6月7日の捜索に協力できる方は、6月3日(水)までに、下記へ連絡ください
 ○氏名、住所、年齢、自宅電話番号、携帯電話番号、メールアドレス、血液型
 ・坂口一弘 090-                    メルアド           @gmail.com
 ・鎌鹿隆美 090-                    メルアド             @gmail.com

4<予想される捜索範囲>

  函館中央警察署の話では、比較的捜索の手が入っていないのが、椴法華側の斜面とのことなので、そちらを重点的に考え、捜索現地本部は、ホテル恵風の駐車場を考えています。

 
5<実施計画書>

 偵察・下見をした上で、メンバーが確定した段階で、詳しい捜索活動実施計画書を作成し、送付します。

6<装備>

 ・詳しい装備は、のちほど実施計画書にも記載しますが、ヘルメット、マスクは必携。ご用意できる方は、GPSまたはGPS機能付スマホ、熊スプレー、シュリンゲン、カラビナなどをお願いします。ザイルは、班ごとの共同装備。

7<お願い>

・あくまでもボランティアの自主活動です。弁当も怪我もすべて自分持ちです。保険等の加入は個人でお願いいたします。

・捜索場所は、藪漕ぎ、岩場が中心となりますので、それなりの体力・技量と装備が必要になります。ただし、捜索は無理だけど、現地捜索本部でのお手伝いならという方を若干名募集しております。

・以上のことを承知の上で、お仲間を誘っていただくことは大歓迎です。決まったら事前にお知らせください。

・単独行での捜索活動で入山することは厳に謹んでください。

 


恵山・佐藤君の自主捜索 & 「自粛」要請解除後の登山

2020年05月28日 | 登山・旅行

 <椴法華側(東側)から望む恵山・・・これまでの捜索で、あまり手が入っていない斜面>

 5月15日に姉2人と恵山に登り、先に下山したまま行方不明となった佐藤晶君だが、道警山岳遭難救助隊を初めとする警察・消防・自衛隊による11日間、延べ560名による大規模な捜索が行われた。しかし、発見には至らず、大掛かりな捜索は5月26日で終了した。 

 2005年9月の「岩崎元郎さんと登る新日本百名山・恵山記念登山会・講演会」を機に発足した、自分が代表を務める『新日本百名山・恵山を登る会』としては、5月25日の政府の新型コロナウイルス感染拡大にともなう緊急事態宣言全面解除も発表されたので、できる範囲での自主的な捜索活動を行いたいと考え、関係者と協議を進めて来た。

 ただし、実際に5月24日の空陸からの捜索を見、今日の説明を聞く限り、あれだけ大規模な捜索の後、自分たちがどこまでできるかは甚だ疑問である。しかし、我々の活動舞台でもあるし、山仲間からの協力の申し出や、市民からの要望も多くいただいている以上、何らかのアクションを起こさなければならないと考えたからである。

 昨日は、函館市地区無線赤十字団の協力をいただけることになり、今日は、事務局長でもある鎌鹿さんと2人で、函館中央警察署へ出向いて、捜索の中心になった方から、これまでの捜索状況の説明をいただき、自主的な捜索の了解もいただいた。

 この後は、今日の捜索状況の説明をもとに、捜索範囲の策定、下見・偵察、地元の各山岳団体や個人への協力依頼と捜索メンバーの集約、捜索実施計画の策定などに取り組み、第1回目の捜索は6月7日(日)行う予定である。その前に、自分が中心となって、平日も動けるメンバーで、下見や偵察をするつもりである。2回目以降は、1回目の結果で判断することになると思われる。

 それらの経過を、このブログでも、公にできることから触れていく予定である。

 

◎「自粛」解除の登山について

 

 緊急事態宣言の全面解除を発表を受けて、山岳四団体自粛要請を解除した。自粛解除後は、下記のガイドライン(指針)を遵守することになる。

「自粛」要請解除後の登山・スポーツクライミング活動ガイドライン~感染させない、感染しないために~

近距離(100km圏内程度)でできるだけ都道府県を跨がない日帰り登山から始めましょう。

体調不良(平熱を超える発熱、悪寒、倦怠感、息苦しさ、咳等)での登山は止めましょう。入山後にコロナ感染発症すると命に関わり、救助隊、収容先地元医療機関に多大の迷惑を及ぼします。

.登山は、少人数で行いましょう。(パーティーは、当面5名以内で。)

自粛期間中、季節や地震による山容の変化、登山道の荒廃など思わぬ危険が潜んでいます。十分な登山ルートの下調べと地図、コンパスの持参、登山届けは必ず提出し、家族にも残しましょう。

登山中でもマスクを着用しましょう。マスク着用時は、熱中症及び脱水には十分留意し、こまめに水分摂取を心がけましょう。

登山、クライミングジムでのソーシャルディスタンスを守りましょう。 一般的には2m前後ですが、登山中の場合は、さらに距離が必要と言われています。また、クライミングジムでは建屋構造、利用人数等で制限がありますので、ジムの指針に従って行動してください。 唖えロープ、滑り止めなどもジムの方針に従ってください。

登山山域内での買い物や、下山後の呑み会等も地元住民への感染防止の観点から控えてください。食材、飲料、緊急食などは出発前に揃えておきましょう。

自粛中に衰えた筋力、体幹を鍛えましょう。 

 

 さらに、山岳医療救助機構から登山再開に向けた知識「登山実践編」が公開されている。エベレストやマナスルなどにも登頂している大城和恵(国際山岳医)先生の「登山中のマスクって必要!?「登山中のソーシャルティスタンスは!? 」「感染疑いの人がいたらどうするのi?」などなど、疑問を解消する資料が掲載されていて、とても参考になるのでおススメである。


恵山、佐藤君の捜索終了 & ウォーキングで目にしたツツジたち

2020年05月27日 | 登山・旅行
 
 昨日(26日)も、好天の下、空陸による捜索が行われたようだが、発見に至らなかった。昨日で、捜索活動は終了することになったようだ。
 悪天候の中11日間(行方不明から12日)も、早朝から捜索に当たられた捜索隊の皆様に心から敬意と謝意を表したい。たいへんお疲れ様でした!
 
 下記は、今回の行方不明事件をこれまで毎日のように詳しく報道してきたUHBの昨夜のツイッターによる報道記事である。

 「北海道函館市の恵山で5月15日から行方不明となっている男子高校生の大規模捜索は、26日で終了となりました。函館市の恵山で、函館市の高校1年生 佐藤晶さん(15)が、山頂に到着した後行方不明になって26日で12日目となりました。警察などはこれまでのべ540人を動員し佐藤さんの捜索を続けてきました。捜索は26日も行われましたが手がかりはなく、大規模な捜索は26日で終了となりました。警察は今後は現場の見回りをするとともに、周辺で聞き込みを行うとしています」(5月26日22:09 UHB北海道ニュースより)

  

◎ウォーキングでに目したツツジたち 

エゾヤマツツジ

 数日前、よそ様のお宅の庭の花々を眺めながらのウォーキングをした。その際に、いろいろなツツジが目に付いたので、それらをカメラに収めて歩いた。改めて、その種類の多いことに気が付いた。

 ツツジ(躑躅、映山紅)とはツツジ科の植物であり、学術的にはツツジ属の植物の総称である。ただし、ドウダンツツジのようにツツジ属に属さないツツジ科の植物にもツツジと呼ばれるものがある。日本では、ツツジ属の中に含まれるツツジやサツキ、シャクナゲを分けて呼ぶ慣習があるが、学術的な分類とは異なる。(ウイキペディアから一部抜粋)

 カメラに収めてこなかったシャクナゲがツツジの仲間で、カメラに収めて来たドウダンツツジはツツジ科には入るが、ツツジ属には属さないことは、初めて分かった。

 日本では、もともとは山野に自生しているツツジの他に、古くから交配によるいろいろなツツジが作り出されてきたという。それだけに分類も植物的なものと園芸的なものなど、いくつかあるそうだ。

 そんなことで、ここでは、シャクナゲ、サツキ、ドウダンツツジ以外のものを紹介したい。名前はエゾヤマツツジろレンゲツツジくらいしか分からないので割愛させていただく。

 園芸種も多いのだろうが、ツツジの仲間は本当に多いということを再認識した。日本三百名山を登り歩いた際にも、これらの他に山に自生している多くの種類のツツジも多く目にしている。


きじひき高原ヒルクライム

2020年05月26日 | MTBロングライド・ヒルクライム

 昨日(25日)の恵山の捜索は、20人態勢の警察のみで、「噴火湾側の砂防ダム周辺や駐車場側の崖などを中心に見落としがないか改めて確認しましたが、発見に至る手がかりは見つかりませんでした。警察は26日も午前から捜索を続けるということです。」(5月25日19:50発表の「北海道ニュースUHB」より)とのこと。

 この砂防ダムは水無沢のことだと思われるが、駐車場側の崖というのはどこのことか良く分からない。いずれにしても、椴法華側の斜面にも改めて捜索が入ったようだ。今日も捜索は続けられたようだが、どの辺りに入ったのか・・・?

 なお、一昨日の「恵山の捜索状況現地視察」の記事の影響か、当ブログの昨日の「訪問者」が4004IPと急増して、全gooブログ中の順位が46位と急上昇した。いかに多くの方々が、この行方不明事件とその捜索に関心を持っているかということである。いい加減なことは書けない・・・。

◎きじひき高原ヒルクライム

 今日は久しぶりに朝から好天に恵まれた。きじひき高原の上のゲートが開いて、パノラマ展望台まで入れるようになったようなので、5/12の城岱スカイライン以来のMTBでのヒルクライムにトライ。

 きじひき高原入口までの往路と復路はサイクリングモードで、行きは大野新道を走り、帰りは北斗市文月~千代田~久根別~国道228号を走った。ヒルクライムのきじひき高原は、パノラマ展望台を越えて、牧場管理道路最高地点のちょっと先の「噴火湾展望台」(標高650m)で折り返した。総走行距離は56km、所要時間は5時間30分。

<往路> 8:30自宅発~9:40高原入口(標高80m)~10:55パノラマ展望台(標高540m)11:05~11:30噴火湾展望台(標高650m) <3時間>

<復路> 11:45噴火湾展望台~12:00パノラマ展望台~12:30高原入口上の大野大橋~14:00自宅<2時間15分>

<きじひき高原道路部分の所要時間>

<登り> 入口~(1時間15分)~パノラマ展望台~(25分)~噴火湾展望台 <1時間40分>

<下り> 噴火湾展望台~(15分)~パノラマ展望台~(15分)~入口 <30分> ※特に登りで、パノラマ展望台まで1時間15分を要したが、下りはわずか15分のダウンヒルを楽しんだ。

 国道227号の北斗市清水川から目指す木地挽山(頂上は中央右奥)を眺める

 高原道路入口・・・5分ほど休憩

 最初の休憩地点・匠の森入口

きじひき高原キャンプ場。この手前でも休憩。

 キャンプ場入口の先を登り切るときじひき高原の展望が広がる。中央が木地挽山山頂、右端がパノラマ展望台。

 パノラマ展望台に到着。

函館平野を俯瞰する。

駒ケ岳と大沼・小沼を眺める。

展望ハウスで10分ほど休憩。入口にアルコール消毒が置かれて、椅子も間引きされていた。

 このパノラマ展望台の先のゲートは6/1開放予定。自転車や人は左端を抜けることができる。ここから少し下って、噴火湾展望台まで登り返す。

 この手前に山菜採りの人たちの車がたくさん停まっていて、行きも帰りも多くの人に会った。

 アンテナの並ぶ山頂の左下を巻いて道路は続く。

 山頂下の最高地点(658m)から眺める函館山と下北半島と津軽半島。

同じ地点から眺める横津連峰とパノラマ展望台(中央下)。

折り返し地点の噴火湾展望台。羊蹄山が微かに見えた(中央右)。

昼食を摂りながら15分休憩して帰路に就く。パノラマ展望台までは登り返しもあるので、15分を要したが、そのあとは下りだけなので、わずか15分のダウンヒル。

噴火湾展望台から30分で、大野大橋を渡る。橋の上から東側の展望。

大野農業高校の田植え風景。まだ休校中なのか生徒の姿は少なかったようだ。

文月地区に立つ「北海道水田発祥の地碑」~周りに田んぼがなくなっていたのが寂しい。

文月地区の南側の水田地帯から眺める函館山。右の建物は米の貯蔵施設。

千代田地区から木地挽山を振り返る。

 疲労感も大きいが満足感も大きい。噴火湾展望台から下って行くと「きじひき公園」がある。今年は6/1にその先のゲートが開放されて、石川沢方向から国道227号に抜けることができる予定とのこと・・・そうなると、周回できるので、次の楽しみができた。


当ブログの訪問者300万人突破 & 我が猫額庭の花

2020年05月25日 | PC・HP・ブログ

 今日は夜中の強い雨は朝には上がったが、午前中は、どんよりとして風が強かった。そんな中、恵山では、濃霧の中で、警察だけの20人態勢で捜索が続けられた。昨日の捜索結果から、気になる場所があったのだろうか・・・なんとか手がかりだけでも見つかってほしいものである。

<翌朝追記>今日の恵山の捜索は、20人態勢の警察のみで、「噴火湾側の砂防ダム周辺や駐車場側の崖などを中心に見落としがないか改めて確認しましたが、発見に至る手がかりは見つかりませんでした。警察は26日も午前から捜索を続けるということです。」(5月25日19:50発表の「北海道ニュースUHB」より)とのこと。

 

 2005年11月に開設以来、5316日を経過している当ブログだが、昨日でトータルの「訪問者」(IP数)が300万を超えた。なお、「閲覧数」(PV数)は先月に1000万を超えている。これは、これまでの毎日のアクセスの積み上げである。

 大雑把に言えば、IP数は「アクセス純人数」で、PV数は「アクセス延べ人数」である。IP数は一人が1日何度アクセスしても「1」とカウントされるが、PV数は一人が3回アクセスすると「3」とカウントされる・・・なので、自分はPV数よりIP数を重要視している。これまでの傾向を見ると、毎日のIP数の3倍強が1日のPV数になっている。

 自分は、毎日の日記として記録を残すことを一番の目的としているので、2015年からはどんなことがあっても毎日更新することをミッションとしている。ブログネタのために行動する・・・という本末転倒のときもあるが・・・

 アクセス数を増やすための努力は一切していないが、毎日更新し続けることがそれに繋がっているようだ。ブログを公開している人は誰でも多くの人に見てもらいたいと思っているはずである。したがって、これらの数字の増加はうれしいものであり、励みにもなっている。

 ちなみに、1998年9月に開設した親サイト「一人歩きの北海道山紀行」は、登山や歩き旅等の記録限定だが、すでに357万件を超えている。しかし、こちらは、最近は新情報が少なくなっているのと、ヤマップやヤマレコに押されて、昔よりアクセスが少なくなっている。

 これは、昨日まで1週間の閲覧数(PV)と訪問数(UU=IP)の日々の記録である。先週までは多いときでUU数が1500を超える感じだったが、今週になってからは、「恵山の行方不明事件の捜索情報」を毎日のように取り上げているせいか、連日1500を超えていて、順位も200位前後で推移している。それだけに、多くの人がこの事件や捜索に関心を寄せていることが良く分かる。

 特に昨日は、捜索状況の現地での取材をアップしたせいか一気に2400を超え、順位も96位と2桁台に乗った。こんなに増えたのは初めてである。

 

◎初夏の装い・・・我が猫額庭の花

 先週は異常に寒い日が続いたが、サクラも終わり、新緑も濃さを増してきて、街中を歩いても、ツツジやライラックなどの初夏を感じさせる花が多く目に付く。新型コロナに関係なく、季節は巡っている。

 我が家の狭い猫の額のような庭も、毎年繰り返される花々が咲き出している。これらをみると、「初夏だな~」と思う。

 今年は20個もの花を咲かせている緋牡丹・・。開き切ってしまうより、このくらいの方が可愛い。

今年は豊作年のサラサドウダン。1年おきに花の付きが多い年とそうでない年が繰り返される。

クルメツツジの改良種だろうとのこと

 ユリ科のシラーとのこと

 今年は1輪も花を咲かせないクマガイソウ・・・3年前8輪、一昨年2輪、昨年1輪と徐々に減ってきたが、今年はついにゼロに・・・。原因は調べても良く分からない。今年は肥料を与えてみようと思っている。

 どなたか、同じような経験をされた方やどのように乗り越えたかを経験された方がいたら、教えていただきたい。 

 午後から晴れ間が覗いたので、6日ぶりにウォーキングに出て、2万歩を目標に歩いた。距離は13.7kmで、時間は3時間だった。家の近くまで来て、2万歩になるように調整をした。  

 今日は主に、よそのお宅の庭の花を眺めながら歩きたかったので、なるべく住宅地の中の道を適当に歩いた。今が盛りのいろいろなツツジをカメラに収めたので、近日中にアップしたい。


本日の恵山の捜索状況現地視察

2020年05月24日 | 登山・旅行

 20日で1旦終了した恵山の捜索活動だが、昨日と今日再開されたので、今日は現地へ捜索状況の視察に訪れた。

 朝向かうときは海霧が懸かっていたが、山へ近づくにつれて、徐々に晴れてきたので、道警ヘリが飛ぶことが期待された。10:00に、火口原駐車場に到着したら、タイミングよく道警山岳救助隊が出発し、警察と消防がいくつかのグループに分かれてスタートして行った。その後すぐの10:15、道警ヘリが北側から飛んできた。

 ヘリは、最初の1時間15分近くは、ホバーリング気味な感じで、舐めるように山頂を中心に何度も旋回しながら高度を下げて念入りな捜索をした。その後30分ほどは、火口原の上空を旋回し、最後にまた30分ほど、再び恵山の山頂付近から旋回しながら捜索をした。しかし、こちらの期待には応えることなく、12:30に北のそらへ消えていった。

 地上部隊は、8名の道警山岳救助隊のほかに50名の警察と消防が6班ほどのグループに分かれ、恵山方向に4グループ、海向山方向に2グループが向かっていった。昼には4班ほどが戻ってきて、13:30頃に2班が戻ってきて、それと入れ違いに、昼前に戻ってきた班が、再びそれぞれの受け持ちの方向へ向かっていった。

 10:00、重装備の北海道警察山岳遭難救助隊8名が恵山へ向かっていた。

 山岳救助隊は、最後まで、下から見える火山地形の方には姿がなかったので、多分、椴法華側や南側の崖の方を捜したに違いない。

 

 山岳救助隊以外の警察と消防の方々50名の打ち合わせ・・・消防は背中がオレンジ色でヘルメット姿、ほかはすべて警察である。

 10:10、警察と消防が6グループほどに分かれて、それぞれの方向へ出発(上は恵山方向へ、下は海向山方向の火口原へ)

 

 10:15、道警ヘリが姿を現す。

 最初の1時間ほどは、恵山を中心に何度もゆっくり、舐めるように旋回。

 

 北側の外輪山から海向山手前の火口原を中心に何度か旋回し、最後は再び恵山上空を旋回して、12;30に北の空へ消え去った。

 今日こそは見つかる思ったが、とうとう手がかりはなかったようだ。

 関係車両と登山者の車両がたくさんの火口原駐車場から恵山西面の火山地形を望む。

 

 午後から再びそれぞれの方向へ進む地上部隊。本当にお疲れさんです!

 捜索部隊の邪魔にならないように、自衛隊が投入された3日目まで捜索に立ち会っていた知り合いの地元関係者と一緒に見守った。彼からは、3日目までの様子も聞くことができた。

 今日の様子やこれまでの捜索状況を聞く限り、上空から捜せる範囲にはもう姿がないと思わざるを得ない状況である。あとは樹林帯であろう。しかし、海向山方向や高原コース、外輪山や火口原の周りは、これまで何度もローラー作戦で捜し済みとのこと。可能性が残るとすれば、椴法華側の斜面であろう。こちらは上部に岩崖が連なり、その下は樹林帯である。自分たちがもし捜すことになったら、そちらから入りたい。

 13:30ごろまでいて、帰路に就いたが、明日以降の捜索はどうなるか、その時点では、まだ分からないとのことだった。

 可能性が高いと思われる椴法華側(東斜面)上部を見上げる。しかし、水無沢源頭部の崖はヘリからは良く見えるはず。左側の連なる岩崖とその下の樹林帯はヘリからは見えないと思われる。この斜面には地上部隊は入っていないようだ。今日にでも山岳救助隊が行ったかな?

 

 南側の斜面。中央部の南西尾根は何度も登っているが、ヘリから見えるはず。

 

 津軽海峡を覆う海霧

 

 ちょうど見ごろのつつじ公園のエゾヤマツツ・・・新型コロナの影響で閉鎖されている。


「おいしい函館応援団」について

2020年05月24日 | 食べ物
 関係者からの発信依頼をいただきました。このような事業を展開していることさえ知りませんでした。
 
 この度の新型コロナによる宴会の自粛や卒業式、入学式などのライフイベントも中止や延期で、飲食店は大きなダメージを受けました。

 函館市では、そうした飲食業を支援するため、函館市 飲食店等支援事業(新型コロナウイルス対策)として、「おいしい函館応援団」という事業をスタートしております。
 
1 お店の情報とお得なクーポンの情報をサイトで発信。
  スマホユーザーでしたら、クーポン画面をお店で提示するだけで使えます。
  なお、緊急事態宣言中は、持ち帰りと配達に対応するお店だけに限定しています。
 
2 利用者が食べた料理の写真をSNSに投稿してもらいます。
  毎週3名を今週のピックアップとして選定し、地元特産品1万円相当をプレゼント
 
皆さんが食べたり飲んだりすることが応援になります。
このことに関して、5/29のNCVでも放送予定とのことです。
 
 
 

新オープン店訪問記~「麵屋 真打」と「本格手打ちそば 尾道」

2020年05月23日 | 食べ物

◎恵山の捜索再開(今日と明日)

 今日は昨日までよりは気温は上がったが、相変わらずどんよりとした天気だった。20日で一旦終了した恵山の捜索だが、関係者の情報では、今日と明日(23日と24日)に、ヘリと地上からの捜索を再開したようだ。道警と消防50人態勢とのこと。

 捜索打ち切り以降に捜索本部に多くの捜索要望が届いたのかも知れない・・・?今日はライブカメラで見ると、山は下から濃霧に包まれたままだった。空からは無理だったろう。明日に期待したい・・・。

◎麵屋 真打

 5月14日に、国道278号沿いの港町3丁目の港町交番の隣にオープンした「麵屋 真打」・・・つけそばとラーメン(味噌味)の2種類しか提供していないが、ネット上で非常に評判が良い。特に函館にはないタイプの麺や汁らしい。

 太麺が好きなので、それを目的に昨日の昼前に行ったのに、駐車場がびっしりで、待ち客の列ができていた。止めて、17:30の夜の部に出直した。一番先に入ることができたが、出るときには満席になっていた。

 券売機は、「真打つけそば」と「真打ラーメン」の2種類だけ。今回の目的はお薦めのつけそば、それも全部のせでも200円しか高くないなので、「真打つけそば全部のせ」1080円にした。

 なお、券売機の横にアルコール消毒のスプレーが置かれていた。

 

 「写真撮影OK」なので、次の客が座らないうちに撮影。カウンター5席と4人掛けのテーブル席が1つだけのこじんまりとした店内である。もう1つテーブル席があったが開店祝いの花が溢れんばかりに置かれていた。

 店主さんは仙台のラーメン店『麵屋 恵比寿』さんと『らぁめん 一番星』さんで修行をしてきたとのことだが、上磯町の出身らしい。

 

 最近流行りの健康志向タイプのラーメン店で
 ■化学調味料不使用 ■全粒粉入りの麺 ■従来のらーめんの1/3程の油、この3点がこだわりとのこと。

 

 待つ間に、真打つけそばのおススメの食べ方を読む。

 

 10数分ほどして着丼。麺が太いので時間が掛かりそう。全部のせは、普通のものよりチャーシュー3枚、味玉、海苔3枚、メンマ1本が多いようだ。チャーシューは注文してから機械でスライスしていた。

 まず、おススメ通りに麺を1本食べてみた。確かに濃い小麦の風味があり、大好きなもちもちの太麺がうれしい。麺にすり込まれた粒々が全粒粉のようだ。汁はドロッとしていて、濃厚な味。大好きな津軽中華そばの味に共通するものがあるが、油が少ない分、あそこまでくどくない。ほかでは食したことのないような柔らかな極太メンマも好みである。

 やはりおススメ通りに、途中で麺に黒胡椒をかけて味変を楽しみ、カウンター内にいる店員さんが直接注いでくれる割りスープを足してもらって汁も完食。割りスープには海苔が1枚付いてきた。

 どんぶりの底が深いので、麺の量も見た目より多く、腹がきつくなった。確かに、これまでの函館にないタイプのつけ麺のようで、自分好みの1杯である。近いうちにみそ味の真打ラーメンも食べてみたい。

 

◎本格手打ちそば  尾道

 こちらは4月7日に、吉川町の国道278号沿いに新築オープンした手打ちそば屋である。手打ちそば屋は近くにないので、うれしい立地である。

 数日前に初訪問となった。入店したら、店員さんが「手の消毒をお願いします」と声を掛けられた。どこの店も神経質になっている。

 店主は仁山の「蕎麦小屋」から独立したとのこと。店名は訊いたら、広島の尾道とは関係がなく、形姓の店主が蕎麦のを究めたいということに由来しているとのこと。

 初めての手打ちそば屋では、いつももりそばを注文することにしている。それが一番そばの味が分かるからだ。大もりはないが、ざるそばの方が30gほど多いそうだ。

 1日10食限定、100円増しで、更科そばと挽ぐるみそばもある。

 

 蕎麦はいい色をしていて、ほのかな香りと甘味を感じる。腰も強いし、二八ならではの喉越しのよさもある。

 この蕎麦は北竜産の蕎麦粉をブレンドしているそうで、直前に粉を挽いてもらっているそうだ。

 「蕎麦小屋」の蕎麦も好きだったが、単なる手打ちそばではなく”本格”とその前に書かれているところにこだわりが表れている。看板に偽りなしのとても美味しい好みの蕎麦である。家からもそれほど遠くなく、リピーターになりたい1店となった。

 このそば湯も別鍋でつくっているらしい。ここにもこだわりを感じる。この濃厚さがたまらない。


函館レトロ建築探訪(その9)~西部臨海通りの「景観形成指定建築物」ほか

2020年05月22日 | レトロ建築・古民家カフェ

 今日も朝から雨が降り続き、最高気温10℃までしか上がらず、寒い1日だった。これで、4日連続ポータブルストーブを点け放しである。

 今回は、ベイエリアから、緑の島の入口前を通り、弁天町の西浜岸壁までの「西部臨海通り」に建つ「景観形成指定建築物」ほかを紹介したい。

◎函館大学ベイエリア・サテライト(旧金森船具店)(末広町22-17)<明治44年(1911年)築>

 かつて北海道の玄関口であった東浜桟橋に面して建つ、ルネッサンス風の重厚なデザインの建物。そうは見えないが、レンガ造りである。

 1階両側の戸袋や2階部分の後退、大きく立ち上げた袖壁など土蔵造町屋の形式をもちながら、正面2階は、三角形のへディメントが施された上げ下げの縦長窓が並び、後退部をベランダとしたことや、袖壁を漆喰仕上げとしているものの、目地を切って石造風にみせ、さらに1階には、2本のトスカナ式鋳鉄柱や大振りな鋳鉄製のブラケットを設けるなど洋風の仕上げとなっている。 

  2013年(平成25年)4月に設置された、函館大学の教育施設で、観光を題材とした大学生と社会人の共同教育、共同研究の拠点として利用。2018年8月には、イスラム圏のムスリム礼拝所を設置して、一般へ開放している。

 

◎喫茶JOE(旧遠藤平吉商店)(大町9-14)<明治18年(1805年)築>

 東坂と湾岸の大通りの角地にある明治初期の白漆喰と3連アーチが美しい、往時の洒落た雰囲気をしのばせる建物。建築当時は、上海や大連に航路を持つ廻漕店の遠藤吉平商店の店舗。屋根は方形の瓦葺きで、煉瓦壁に白漆喰を塗り、一部には目地を切って石造り風に見せている。1階には大型の3連アーチ、2階には小ぶりな2連アーチ窓を配した洋風建築。3連アーチは鋳鉄製の柱で支えられている。

 なお、店名のJOEは、1964(元治元)年に、この建物の前の岸壁から同志社の創設者・新島穣がアメリカへと密航を企てたという場所といわれ、それが店名の由来のようだ。現在は営業はしていないようだ?

 営業していたころの画像 ※2016年当時入店したことがあるが、内部の様子は撮影していなかった。

 

◎港の庵(旧松橋商店)(大町8-26)<明治35年(1902年)築・明治40年ころの説もある>

 緑の島入口前に建つ、明治から時空を超えて甦った建物。道路側から煉瓦造、木造、土蔵の3種で構成された、函館の歴史の奥深さを知ることができる大変貴重なもの。当時米穀店と海産商を営んでいた松橋像作によって建てられた。

 以降4代にわたって所有者が変わり、解体予定だったものを、2014年に建築当時の姿に復元している。基本的には出資者を中心とした団体の定期食事会で使用しているため、一般公開はされていない。景観形成指定建築物にはなっていないが、復元後、平成27年の「函館市都市景観賞受賞建築物」となっている。

 建築当時のままの、玄関上に施された蔦のような植物模様の浮き彫り。これは世紀末に勃発した、アールヌーヴォーのムーブメントの影響を少なからず感じさせるものであるとのこと。

 

◎函館市臨海研究所(旧函館西警察署庁舎)(大町13-1)<大正15年(1926年)築・平成18年(2006年)復元新築>

  建設設当初は、函館市水上警察署として利用が開始され、昭和59年(1984年)まで現役の函館西警察署として使われていたが、平成18年(2006年)に建設当時の工法だった型枠コンクリートブロック造りを用いて復元・新築されている。

 建物角部を曲面で仕上げ、そこに正面玄関を配し、角地に建つ建物であることを意識した造りとなっている。玄関両脇の太い4本の柱や縦長の窓など,垂直線を意識したデザインもとり入れ、全体としては、重厚な中にも柔らかさを感じさせる造形に特徴がみらる。屋根の上の物見塔は水上警察署時代の名残り。

 

◎太刀川家住宅店舗(弁天町15-5)<明治34年(1901年)築・洋館は大正4年(1915年)築>

 函館の豪商・太刀川家が経営する太刀川米穀店の店舗として建てられた北海道屈指の和洋折衷の土蔵風商家建築。かつての海岸通の繁栄を伝える商家の一つ。現在はカフェとして再生されているが休業中である。

 左右両側に袖壁を備えた店舗は、防火造り商店の代表格となっている。屋根は,寄せ棟の瓦葺で、煉瓦の壁を漆喰で仕上げ、鉄柱で1階梁上の3連アーチを支えている。2階部分が和風の意匠となっている。1階2階とも開口部が広がり、開放的な感じを与える。(国指定重要文化財)

 左の洋館は、応接専用室として増築したもので、2階部分の破風や軒下に彫りの深い植物模様が施され、アカンサス葉状のブランケットの彫りも丹念につくられている。これに対して、首の長いコリント式円柱が支持する1階部分のアーチ廻りは平坦な印象を受けるが、竣功当初はスパンドレルや胴部飾り板に唐草模様のレリーフが貼り付けられ、華やかな印象だったと言われている。

 太刀川家は越後国(新潟県)長岡出身の初代・太刀川善吉(?~1909)が、函館で米穀商と海産商をはじめたのがその始まり。その経営は順調で、明治中期には函館を代表する実業家になるまでの存在になっている。その頃に初代・善吉が建てたのが、この白漆喰塗りの店舗であった。

 

◎ロマンティカ・ロマンティコ(旧堤商会)(弁天町15-12)<大正5年(1916年)築>

 函館の北洋漁業の一時代を築いた日魯漁業の前身・堤商会事務所として,大正期に建築された木造3階建ての貴重な建物。当初は3階正面にバルコニーと屋根にパラペットを持たせた洒落た建物だったそうだ。現在は、1階にカフェ、2階に物販店、3階に事務所が入っている。   

 堤商会は、当時30代の堤清六(1880~1931)と平塚常次郎(1881~1973)が明治40年に新潟で発足した漁業会社で、大正2年に函館に移転。前身は、大幸機動興業所社屋で、玄関の上にも「日用雑貨諸道具類販売 佐藤商会」の看板がかかっている。

 上掲の通称ロマロマの隣の角地に建つ建物で,当初は、米穀店と住宅を兼ねて建築されたもので、後ろに蔵もある。

 正面の店舗部分は、瓦屋根をもった2階建てで、和風様式となっている。後ろの住宅部分は、平屋と2階建てで、屋根は鉄板葺きで、平屋部分は格子窓で和風、2階建て部分は縦長窓を採用し、洋風意匠となっています。 

 2018年2月に、「BENTEN CAFE&DINING (弁天カフェ)」としてオープンしたが、現在は休業中のようである。

 

◎函館クラシックホテルズ藍(旧和島家住宅)(弁天町16-9)<大正4年(1915年)築>

 幸坂の電車通りと西部臨海通りの間の道路に面した上下和洋折衷様式の典型的な建物。1階は引き違い戸,堅繁格子の出窓と和風のたたずまい、2階は縦長の上げ下げ窓に井型の桟割が施され、下見板張り、屋根の持ち送り、胴蛇腹などが正面から側面に配置され、洋風のたたずまいとなっている。

 

◎小森家住宅店舗(弁天町23-14)<明治34年(1901年)築>

 現存する上下和洋折衷様式民家(擬洋風民家)の中で最古で、そのルーツとも言われると言われる、数少ない明治30年代の貴重な建物。近年、〔海のアンティークショップ〕としてリニューアルオープンした小森商店だが、当初は、田中仙太郎商店という海産商の建物だったそうである。

 一般的な函館の擬洋風民家スタイルであるが、興味深い箇所が幾つかみられるという。まず一つ目が、観音開きになる窓。函館の擬洋風民家および木造洋風建築は、一般的に上げ下げ窓が主流なのだが、このスタイルはかなり珍しいもの。

 もう一つは、軒下の持ち送り。この持ち送り軒を支える何気ないパーツではあるが、かっての函館の人達はこの部分に隠れたお洒落というか、かなりの拘りを持っていたようだ。この小森商店もその例にもれない作りなのだが、他とはちょっと様子が違う。とにかく大きい。カラフルに塗られたペンキに翻弄されがちだが、この形は和風の寺社建築などに見られる造形に近いものだといえる。


 

◎旧野口梅吉商店・わらじ荘(弁天町32-5)<大正2年(1913年)築>

 この旧野口梅吉商店は、米穀店として建てられた和洋折衷方式の商家建築だが、2年前の、渡島総合振興局などが取り組む「木づかいプロジェクト」の一環で外観の修繕が行われた。そのときに携わった北海道教育大学函館校の学生4名が、「わらじ荘」と愛称を付けたこの建物に昨年12月から住み始めたことが話題となっている。4月には建物内に私設図書館を開設する予定で、子ども向けの書籍や絵本が多数寄贈されている。

 瓦葺の寄棟型に、2階のドイツ式下見板張りに洋風の上げ下げ窓、1階の和風の作りなど、函館擬洋風民家の正統派と言いたくなるようなスタイルが特徴。大正末から昭和初期にかけての函館下見板建築文化のベーシックとも言うべき存在とのこと。

 

◎旧西浜旅館・ミートハウス別館(弁天町22-14)<明治40年(1907年)築>

 西埠頭そばの角地に建つ典型的な上下和洋折衷様式の建物。最大の特徴は、北側のレンガ造りの防火壁(卯建・うだつ)。

 戦前は、鉄工所やイカつけ番屋として利用されていたということが、戦後は、旅館・番屋など様々な用途で使われていたという。現在は「ミートハウス」という民宿の別館として使用されている。ちなみに、この民宿は主にバイク旅行者が利用するとのことで、春過ぎになると建物前には宿泊者のバイクがずらりと並ぶ光景がしばしば見られるという。


石崎地主海神社の八重桜 &恵山の行方不明事件を考える

2020年05月21日 | 花・紅葉だより

 最近人気急上昇の函館のサクラの名所にもなっている石崎地主海神社の遅咲きの八重桜が見ごろを迎えていた。 
 ここのサクラは、昭和43年(1968年)に石崎地主海神社が改築した時、松前町が桜の苗木300本を神社へ寄贈した。参道から鳥居までの300メートルほどの一直線の道には、約180本の大輪の濃いピンク色をした八重桜「関山」が咲き、迫力のあるトンネルを作っている。また、境内や裏山にもいろいろなサクラが咲いている。

 この神社は、仙台からの入植者である大槻家が、明治43年(1910年)、郷里仙台の地より、嘉永年間より信仰していた猿田彦大神、天照大御神を奉じてこの地に入り、祠堂を建てた。その後、沿岸漁業の豊漁を祈るため、海津見大神を合祀している。

 往復35km、天気が良ければMTBで行きたかったが、寒い上に風が強いので、車で行ってきた。ちょうど満開を迎えていた。これが、今年最後の花見となるだろう。

 

 関山(かんざん)

 普賢象(ふげんぞう)

 泰山府君(たいざんふくん)

 境内から津軽海峡を眺める

 

◎恵山の行方不明事件を考える

 5月15日に恵山で行方不明になった佐藤晶君の地上からの捜索が昨日(5月20日)で終了となり、今日にでも天候が良ければ、もう1度道警ヘリでの上空からの捜索が行われる予定だった。しかし、恵山ライブカメラによると、今日も濃霧に覆われて無理だったようだ。今後に期待するしかない。

 これまで、毎日のように当ブログでも触れてきたが、優秀な道警山岳遭難救助隊を中心に・消防・自衛隊などによる、大規模な入念且つ懸命な捜索活動にも関わらず、まだ手がかりが見つかっていない・・・。ご家族や捜索関係者の心中を察するに思い余るものがあるが、二次災害も心配された悪天候の中、まずは捜索に当たった方々に心からの敬意と労いの意を表したい。

 天候に恵まれたのは17日のみだった。その日には道警ヘリやドローンでの捜索も行われた。その日の捜索後、現地で捜索に関わった関係者からは「正直あとどこを探せばよいのか…といった状態です」とのことだった。しかし、その後の悪天候の3日間も捜索が続けられた。

 登山道以外のルートも含めて、数えきれないほど何度も登っている恵山である。恵山支所主催の毎年の春と秋の登山会のガイドも務めているだけに極めて残念な事故である。これまでの自分の経験をもとに、今日までに考えたことを少し述べてみたい。 

 赤線の内側が、ヘリコプターでの捜索が可能と思われる区域。ほかは樹林帯。

 上掲のgoogleマップとほぼ同じ区域の地形図。照合して見ていただきたい。

 事故の一番の原因は、申し訳ないが、2人のお姉さんたちが初めて登った晶君を先に1人で下山させたことにある。迷ったと気づいたり、事故に遭ったりしたときの本人のパニック状況を考えると胸が痛む。新型コロナがなければ、学校に行っていて平日に山にも登ることもなかったろうに・・・と思うと非常に残念である。

 恵山は、簡単な山だと思われがちだが、溶岩地形のガレ場の中の登山道(権現台コース)は、下草のある山と違って、登山道もその周りも同じような景観で、足元も悪いし、何度登っても慎重さが求められる。

 当初は、登山道を踏み外して、登山道の西側の火山地形の斜面で、転倒か滑落をして動けない状態になっていると思っていた。特に噴火口の上の斜面、細い西尾根とその下の岩場は危険な箇所である。また、東側の毛無沢源頭部の崖の方へ向かったら、そこも滑落の危険性がある・・・それだけに、特に17日の道警ヘリの上空からの捜索では、絶対に見つかると思っていた。誰しもそう思っていたに違いない。

 しかし、これまでの念入りな捜索活動にも関わらず手がかりがないところを見ると、想定外の上掲のgoogleマップの赤線で囲んだ外の樹林地帯に迷い込んだのかもしれない。しかし、登山道から繋がる西側や北側の樹林帯は、登山道や作業道路の多い火口原や駐車場を抜けなければ入って行けない。普通の判断力のある子なら、それも考えづらい。こちらはローラー作戦で捜索されているようだ。

 登山道の右側の東斜面の樹林帯の可能性もないわけではない。こちらは急斜面で岩場も多い。また、山頂から南側の樹林で覆われた海側の斜面は急斜面で岩場や岩崖も多く、こちらの斜面の捜索はかなりのベテランでなければ難しい。登山道を下り始めてから逆方向のそちらへ戻るような形で迷い込む可能性は極めて少ないもの思われる。しかし、遭難事故は往々にして想定外のことが多い・・・。

 山仲間の間からも、このあと、自主的な捜索をするのなら協力したいという申し出もいただいている。これまでの捜索結果から、はっきり言って改めてどこを捜せばよいか見当がつかないのも事実である。しかし、自分たちの活動の舞台だけに、鎌鹿さんとも、外出自粛の動きも見ながら、何らかの形で捜索活動に取り組みたいと話している。そのためにもこれまでの捜索場所等の詳しい情報等を把握した上で、協議を進めるつもりである。


函館レトロ建築探訪(その8)~基坂・日和坂沿いの「伝統的建造物」

2020年05月20日 | レトロ建築・古民家カフェ

 今日も、朝から雨が降り続き、最高気温も6℃までしか上がらず、39年ぶりという寒い1日だった。そんな中、恵山では、みぞれの降る中、道警と消防30人態勢で捜索を行ったそうだ。本当に頭が下がる・・・お疲れ様です!

 今回は、在庫から、基坂と日和坂沿いの「伝統的建造物群保存地区」で指定されている「伝統的建造物」の紹介をしたい。

◎旧相馬家住宅(元町33-2)<明治41年(1908年)築>

 元町公園の南隣の一角に建つ、明治40年(1907年)大火の翌年に建築された、明治末期の函館を代表する和風・洋風の建築意匠からなる歴史的建造物。(国指定重要文化財)

 相馬家最後の代に増築された住居が、現在は内部も開放されており、贅を尽くした造りの部屋や調度品などが見られる。蔵を改築した「元町ギャラリー」は歴史回廊・歴史的美術館として活用され、アイヌ絵巻や江差屏風などの展示物も見学できる。

 この豪邸を建てた相馬哲平は、1861(文久元)年に新潟に生まれ、後に箱館(函館)に渡って米穀商で財を築き、旧函館区公会堂の建設費5万8千円のうち、私財を投じて5万円を負担するなど、函館の発展に貢献している。

 

★公式ホームページ   ※内部の詳しい様子などをどうぞ!

 

◎旧イギリス領事館(元町33-11)<大正2年(1913年)築>

 元町公園から基坂を下った右手に建つ、白壁に瓦葺きの寄せ棟屋根の洋館。昭和9年(1934年)に閉鎖されるまでイギリス領事館だった建物。平成4年(1992年)の市制施行70周年を記念して復元され、現在は函館市が管理する開港記念館(現名称は函館市旧イギリス領事館)として一般公開されている。

 海側に並ぶ5連の半円アーチ窓、青色の軒天井。白亜の壁から木造に見えるが、実は煉瓦造り。中庭に面する半円形ア-チを架けた吹き放しのコロネードなど、イングリッシュガーデンのある裏庭に面する縦長窓の青い窓額縁も印象的な外国公館らしいモダンな建物。設計は英国工務省上海工事局だが、施工は大村合名会社建築部。(函館市指定有形文化財)

★過去記事~「リニュアル~旧イギリス領事館」(2009年)※内部の様子をどうぞ!

★過去記事~「旧イギリス領事館のローズガーデンほか」(2019年)※見事なローズガーデンの様子をどうぞ!

 

◎伊賀家住宅(元町32-10)<昭和9年(1934年)築>

 日和坂から1軒奥まったところに建つ住宅。竪繁格子付出窓、簓子下見板張り、漆喰塗りの小壁を配し、洒落た趣を感じさせる和風の建物である。

 もともと、この右側に連なる1軒2棟の建物だったようだ。現在は、右側には繋がってはいるが、日和坂向きに新しく建て替えられたと思われる同じ雰囲気の和風の建物になっている。

 

◎本郷家住宅(元町32-10)<昭和3年(1928年)築>

 日和坂沿いに横向きに建つ住宅。洋風っぽい雰囲気のお宅で、大火後に不燃質の木造2階建てとして建てられたもの。外観は質素なデザインだが、邸宅風の重厚さを感じさせる。

 

 

◎高橋病院天使寮(旧海員ホーム)(元町32-13)<昭和3年(1928年)築>

 日和坂に面している。外壁は、木製下見板張りで、縦長窓を配し、妻部分に木組みを強調したハーフティンバーとなっており、どこか北欧風の匂いを漂わせる建物である。

 もともとは、海員掖済会の宿泊所「海員ホーム」として建てられ、その後白百合学園の寮として使われたのち、高橋病院の寮になり、現在は、高橋病院系列の「通所リハビリテーション元町」として利用されている。

 

◎日下部家住宅(末広町20-1)<大正6年(1917年)築>

 日和坂とバス通りの南西角に建つ和風の住宅建物。1階2階とも,外壁は簓子下見板張り、窓は戸袋がついた横長の出窓に、化粧垂木を持った庇がついている純和風の建築物である。現在も住居として利用されている。

 意匠的に優れたものが随所に見られ、建物の構造面でも、現在では見受けられない技法が用いられているという。土蔵を包み込んだ外観は、地区を代表する建物の一つである。 

 

◎箱館元町の宿・響場(きょうば)(旧住宅兼診療所)(末広町20-1) <明治42年(1909年)築>

 バス通りに面して建つ建物。もともとは、函館区病院(現:函館市立病院)第7代院長・饗場守三が独立し住宅兼診療所として建設したのが始まり。診療用と自宅用の玄関が2つ備えられているのもその為。この辺りは明治期開業医が多く、俗に医者町とも呼ばれていたそうだ。現在は、「箱館元町の宿・饗場」として利用されている。

 外観は開口部を含め改変されているが、1階2階の外壁は南京下見板張り仕上げで、胴蛇腹のデンディルや飾りパネル、持ち送りを持っており、往時のバラエティに富んだ洋風要素が見受けられる。

★公式ホームぺージ

 

◎元町ガラス工房(生田ステンドグラス函館)(大町1-33)<明治42年(1909年)築>

 基坂に面して建つガラス店。1階は和風、2階は洋風と和洋折衷様式の特徴を持った建物で、平成4年までは町家であったが、現在は地下にステンドグラスの工房をもち、1階はガラスショップになっている。

★公式ホームページ

 

◎相馬株式会社函館本社(大町9-1)<大正2年(1913年)築>

 市電通りと基坂の交差点の北西角に建つ大正初期のルネッサンス様式の洋館。函館を代表する実業家の一人で、函館区公会堂の建設資金の大半を寄付するなど篤志家でもあった相馬哲平の相馬合名会社事務所だった。現在も不動産賃貸を主業とする相馬株式会社の函館本社として使用されている。

 建物は互いに接続された3つの建屋から成っていて、マンサード、寄棟、切妻の3つの形式の屋根が複雑に組み合わされています。市電通りに面しているルネッサンス様式の主屋の正面ファサードは単純な対象形ではなく、向って右側に少し突き出るような翼屋がある。
 外壁はモス・グリーンの幅広の下見板貼り。ルネッサンス様式の主屋の屋根には、正面左側に円形、東西中央部には切妻屋根の神殿風のドーマー窓を置いて変化を持たせている。窓は1階が三角ペディメント、2階が櫛形ペディメントの庇が付いた窓。このように使い分けるのはルネッサンス様式の特徴の1つだそうだ。北側の建屋は切妻屋根の建屋で、1階中央のガラス部に格子が付けられた引き違い戸と、両脇に引き違いのガラス窓があり、こちらは、かつての作業場のような印象である。

 


もろもろ・・・

2020年05月19日 | 日常生活・つぶやき

 今日もどんよりとした雲に覆われ、最高気温10℃にも届かず、寒くて風の強い1日だった。外に出る気もせず、家でポータブルストーブを点けっぱなしで過ごした。

◎恵山の捜索5日目情報

 〈13:08時点の恵山ライブカメラからダウンロード〉

 そのような中、捜索が続けられている今日の恵山は、関係者からの情報では、強風に見舞われてはいるが、山頂部以外は濃霧はなく、ある程度の見通しはあったそうだ。自衛隊を除く道警と消防の40人態勢での捜索だったようだ。このあと22日(金)まで続けて、天候の良い時を見計らって道警ヘリをもう1回飛ばす予定のようだ。しかし、予報を見る限りではそのような天候は期待できそうにもない・・・。今日も手がかり発見には至らなかったそうだ。

 

◎世論の力!・・・「検察庁法案 今国会は断念」

 滅多に当ブログでは取り上げない政治ネタだが、昨日のニュースで、一番感動したのはこれである。また、強引に数の力で採決されてしまうのだろうと諦めていた。しかし、土壇場にきて、とりあえずは見送りとなった。

 今回は、世論の力の勝利と言えるだろ。多くの国民が問題を感じてツイッター等で著名人を巻き込んだ反対運動が広がっていた。大きかったのは検察庁OBの改正案撤回を求める意見書の提出だろう。そこへ来て支持率の急落がダメ出しとなったようだ。これも、毎日耳にタコができるほど耳にする「新型コロナの影響」のプラス効果であろう。

 いくら安倍首相が「恣意はない」とは言っても、政権に近いとされる「黒川検事庁の定年延長ありき」の印象はぬぐえなかった。抱き合わせにされた「国家公務員定年延長法案」の国家公務員はかわいそうだ。これは切り離して審議されるべきだ。今後の「撤回」までは目を離せない。

 

◎「富士山夏期間閉鎖へ」に想う

 これまで登った山で、登山者が最も密だった山は、この富士山と高尾山である。登山者の列が渋滞を起こす山はこの2山が抜き出ている。おまけに、多くの登山者が利用する山小屋も3密の極めつけである。閉鎖されて当然である。しかし、登山者は我慢すれば済むが、営業ができない山小屋は気の毒としか言いようがない。

★過去記事~日本三百名山完登の「富士山」(2010,9,11)

★過去記事~海抜ゼロの田子の浦から登った「富士山」(2018,7,25~27)

 

◎「湘南しらす」をいただく

 藤沢市の知人から、今が旬だという湘南名物の釜揚げしらすが届いた。

 「湘南しらす」は、マイワシ、カタクチイワシの子どもである。低脂肪、良質なたんぱく質、カルシュウム、鉄分などのミネラルも豊富な栄養バランスの良い食材で、ビタミンDやタウリン、ビタミンB1等も多く含まれているらしい。 

 早速、しらす丼にして2回いただいた。

 昨夕は、しらすピザにしていただいた・・・感謝!感謝!

 

◎観光土産放出セール?

 妻がツイッターで見つけたのだが、函館の観光土産のお菓子類の卸売業者である「株式会社ムロタ」(宝来町25-3)で、観光土産の放出セール?をしているという。新型コロナの影響でダブついている観光土産の在庫処分セールなのであろう。

 1000円で3000円分、2000円で6000円分の福袋状態での販売らしい。中身が見えるので、欲しいものが多いものを選べるとのこと。それこそ不要不急の土産物だが、家でのおやつ代わりにと出掛けてみた。上掲の画像が我が家でゲットした1000円の袋である。確かに3000円分はある。

 5月29日までの月曜・水曜・金曜の11時~14時の日時限定で販売中とのこと。


恵山の捜索4日目情報 & 四稜郭の芝桜と八重桜

2020年05月18日 | 日常生活・つぶやき

<陸上自衛隊北部方面隊公式ツイッターより拝借>

 恵山で高校生が行方不明になって4日目、実質的な捜索は3日目だが、今日も自衛隊・道警・消防など200人態勢で、午前5時過ぎから捜索活動が行われた。すでに、生命の壁72時間を切ってしまったが、今日も手がかりはなかったようだ。

 画像を見る限り、今日の恵山は海霧が吹き付け、上空からの捜索はできなかったと思われる。視界の狭い中、昨日見落としていそうな岩場や地面の割れ目や陰、谷間や沢などの地道な捜索となったに違いない。

 平地での最高気温でも12℃の寒い1日だった。山中でガスが懸かっていて風が強かったら体感気温は0℃まで下がったことだろう。そんな中での捜索には頭が下がる思いである。明日以降3日間も気温は低いままで雨模様の予報である。明日以降はどうなるのだろうか?

 17時で捜索活動は終了しているはずだが、今日の捜索活動はどうだったのか、明日以降どうなるのかなどの情報は、18時段階で入ってきていない。

 19:40〈追記〉 明日も早朝から捜索に入るようだ。明日も海霧が入る天候で、さらに風速13mの東寄りの強風予報が出ている。午後からの捜索は微妙のようだ。

 捜索関係者によると編成を変えながら同じルートを延べ10回以上探査しているとのこと。気になる今後の捜索活動だが、雨絡みの予報が続く明後日20日まで実施予定とのこと。荒天の中頭が下がる。

 

◎四稜郭の芝桜と八重桜

 今日の人と出会うことが少ない郊外ウォーキングは四稜郭を目指した。GW時期に整備中だった入口手前の芝桜を中心とした「史跡四稜郭イメージアップ推進事業」が完了したらしいのと、今が盛りの八重桜(関山・カンザン)が狙いだった。

 亀田川沿いの遊歩道~中道四稜郭線~四稜郭の往復だったが、距離は9.3km、歩数は約13,000歩。