癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

定山渓天狗岳&小天狗岳

2011年05月31日 | 登山・旅行
8時間爆睡して、快晴の朝を迎える。しかし、登山口のスタート時の気温は1℃。頂上までパーカーを着たままで汗も掻かなかった。

午前中に定山渓天狗岳を下山してしまったので、午後から近くの小天狗岳にも登ったが、きつかった!

〓定山渓天狗岳(1145m)
30分の林道歩きの後、源頭まで詰める熊の沢コースの登山道へ入る。17年ぶりの再訪、だが、そのときはたまたまここまで車で入ることができた。

沢沿いの道を辿るが、岩壁が見えてくると、滝が現れて来て、急な高巻きの連続となる。ハードでワイルドな登りを続けて、核心部のウエストコルのルンゼの下に到達。予想通り、下2/3は残雪に覆われていて、ロープも雪の下。このときのために持参したピッケルが大いに役に立ち、スリリングながらも無事登頂。

岩壁の下からは花の山の印象が強いが、シラネアオイやイワハタザオのほかは、いわゆる早春のスプリングエフェメラルたちばかりで、まだ早すぎたようだ。食べ頃のギョウジャニンニクまであり、当然ラーメンの具となった。

頂上はポカポカして気持ち良し。遠望は霞んでいたが、眼下の定山渓谷ダム湖を初め周りの山々は全部見えた。

5:40スタート。登り2時間45分、下り2時間20分。11:30ゴール.

〓小天狗岳(765m)
定山渓ダム湖の岸から屹立する山だが頂上付近に岩壁を巡らせているので、名前も奥の定山渓天狗岳のミニチュア版に因んだらしい。

とにかくジグを切るか階段しかない急登が続く。やはり疲れが出て、縦走装備に6㍑の水を加えてコイカク夏尾根を登る感じ。5分ごとに休み休み、喘ぎながら登る。ひたすら、体力回復のトレーニングとばかり・・・体力は間違いなく落ちていることを思い知らされた。しかし、足元の花々やムラサキヤシオツツジやオオカメノキの花が癒してくれる。

頂上からは、先ほど登った定山渓天狗岳もみえ、眼下のエメラルドグリーンの定山渓ダム湖の湖面が美しい。

登り1時間、下り40分。

昨日買った北海道の旅の本「HO」に付いていた定山渓グランドホテル瑞苑の400円で入れる半額クーポンを利用して、まったり。

ちなみに「HO」は月刊誌で580円だが、ひと月限定の道内72軒の温泉の無料や半額のクーポンが付いている。一回使えば、元が取れる。今月号は道南の旅とグルメ特集なので、お得感倍増!

4時過ぎには、昨日と同じ道路情報館駐車場に落ち着き、ビールで乾杯・・・美味い!至福の極み。

《追加画像》
1、ルンゼ手前からⅡ峰とⅢ峰の岩壁を見上げる。
2、頂上から定山渓ダム湖と周りの山々を望む。
3、岩山に多いイワハタザオ。
4、定山渓ダム湖から見上げる小天狗岳。
5、ムラサキヤシオツツジ















16年ぶり札幌岳

2011年05月30日 | 登山・旅行

6/2(木)に札幌でスキー関係の会議があり、それまでの日程が空いているので、ずっと好天予報の続く札幌近郊の山に登ることにした。95年前後に登ったきりになっている札幌岳、定山渓天狗岳、手稲山の予定で、今年初の車中泊セットを積み込んで、朝家を出た。

今日は、空沼岳まで縦走して以来の16年ぶりの再訪となる札幌岳(1293m)。コースは、冷水沢コースと豊滝コースがある。豊滝コースは04年の狭薄岳のときに、札幌岳には寄らなかったが歩いているので、前回と同じ冷水沢コースにした。

10:35にスタート。入山届には先行者が4グループ6人。時間的に中間点となる冷水小屋までは冷水沢川沿いの道。花を楽しみながら進む。小屋からは急な尾根が続く。この登りで下山して来る全員の先行者とすれ違う。

登り切ると、ダケカンバと笹が主体の平坦な尾根に出るが、間もなく一面残雪に覆われてくる。6年前も同じ時期に登っているが、そのときとは比べ物にならないくらい雪解けが遅いようだ。周りの高い山々はまだ真っ白だ。

雪面に残ったトレースを辿って、誰もいない頂上に到着。陽光と青空には恵まれなかったが、高曇りで、一等三角点の山にふさわしい360度の展望が広がり、これまでに登った山々や札幌市街地の広がりも全て見える。それにしても16年前に縦走した空沼岳は遠い。よく歩いたものだ。

登り2時間20分。下り1時間50分。急な登りでは臀部下の筋力の低下を感じたが、下山しても大して疲れは残らない。これからも体力低下はあまり気にしないで歩けそうだ。

下山後、豊平峡温泉や定山渓温泉は高いので、小金湯温泉まつの湯で疲れを抜く。その後、藤野まで走り、スーパーで食料を仕入れ、豊滝の道路情報館の駐車場まで戻り、今年初のどこでもホテル。
明日は定山渓天狗岳の予定。明日は好天が期待できそうだ。

詳しい山行記録と写真は、6/3以降。
《追加画像》
1、今年初めて見つけたミドリニリンソウ
2、1150m付近からの残雪斜面
3、羊蹄山や無意根山方面
4、道路情報館から望む札幌岳











映画「岳」(ガク)

2011年05月28日 | イベント鑑賞・参加
        

 コミックに連載され、単行本も出ている石塚真一の同名ベストセラー漫画が映画化され、5/7から全国上映中である。その映画をようやく観てきた。

 北アルプスの奥穂高岳を舞台に、山岳救助ボランティアをする青年・島崎三歩とその仲間たちが繰り広げる感動の物語。主演は原作を愛読し、厳しい真冬の山岳でトレーニングに励んだという小栗旬。新人女性救助隊員・椎名久美を長澤まさみが演じ、体当たりの演技を見せる。

 この原作の漫画を初めて読んだのは、前の入院のとき、見舞いにいただいた1~4集であった。その後、面白くてレンタルショップで借りて10集まで読んでいた。現在は14集まで出ているらしい。映画はその中のいくつかのストーリが描かれていて、印象に残っているものもあった。原作とやや違う感じを受けたのは、島崎三歩は一応主人公のはずなのに、全体の構成が「椎名久美の成長物語」的な側面が大きくクローズアップされ、山岳救助の厳しさと現実を描いているような気がした。

 奥穂高岳と前穂高岳は夏に登っただけだが、映画では主に雪山が舞台となっていて、その厳しさを増していた。ロケは穂高岳を中心に八方尾根、立山連峰など標高3000 メートル級の北アルプスの過酷な雪山で行われたらしい。厳しい大自然の中でのロケの大変さが臨場感とともに伝わって来る。その厳しさは、キャプションに出てくる20名近い山岳ガイドの数からも想像できる。

 スタントなしというアクションシーンは迫力あるし、壮大な山の映像が素晴らしかった。感動場面も多いが、三歩の言う「山に捨ててはいけないもの、それはゴミと命」のフレーズが印象的だった。これからも、事故にはくれぐれも気をつけながら、長く山に登り続けたいという想いを強く持って、映画館を後にした。

ひとりがたり 伊奈かっぺい

2011年05月26日 | イベント鑑賞・参加
         

 昨夜、北斗市のかなでーるで開催された「ひとりがたり 伊奈かっぺい」を聴いてきた。前売り券を買ってきた妻の話だと、数日で売れ切れたらしく、会場は満席だった。安かったこととこの函館を中心とした一帯は津軽弁が通じることが大きいと思われる。 自分も彼の話が好きで、テープ(今はCD化したが)を2本持っていて、たまに車で聴くことが多い。特に渋滞のときなどには、イライラ解消の最高のアイテムとなっている。

 昨夜の話のスタートは、ボケについてだった。「惚ける」と「惚れる」は、全然意味が違うのに、なぜ同じ漢字を使うのか・・・ということから始まった。彼の考察によると、「どちらも前後の見境がつかなくなる」ことによるとのことだった・・・。以降、1時間半、ギャグの連発に頬の筋肉が疲れるほど笑いっぱなしだった。たまに、よく考えないと解らないギャグもあり、それに敏感に反応して腹から笑う・・・最高のボケ対策かも知れない。

 客層は明らかに60代以上がほとんどだった。話す方も63歳、この年代に良く受けるようだ・・・。40代の妻には、「みんな良く笑うね。あそこまではついて行けないかも?面白かったけど」とのことだった。しかし、津軽弁を初めとする方言の良さを全国区にしたのは彼の功績によるところ大である。


MTB山岳ロード

2011年05月25日 | MTBロングライド・ヒルクライム

     

 11月の滝からの転落で罹ったむち打ち症と4月の2度目の大腸癌手術入院で、約半年間、わずかのウォーキング以外は運動らしい運動ができず、スキー、スキーマラソン、山スキー登山等はみごとにひとシーズン棒に振った。

 現在、どのくらい体力が落ちているのかは不明だが、まだ気力と意欲は満々。夏にはテントを背負っての縦走登山もしたいと思っている。それに必要な体力回復が、現在の一番の課題だ。

 これまでのリハビリ山行では、予想していたよりは落ちていないような気もする。ただ、行動時間が長くなった場合が不安。日常的な体力回復にはジョギングが効果的だと思っているのだが、最近なぜか膝頭に痛みが出て走ることができない。膝周りの筋力が落ちていることが原因なのかも知れない・・・?しかし、山でもその痛みは出るが、気にしないで歩き続けることはできる。

 そんなことで、今日はMTB(マウンテンバイク)で、家から函館新道を走ってみた。負荷を掛けても膝の痛みは出なかったので、そのまま勢いで城岱スカイラインをピークの展望台(標高568m)まで駆け上がってみた。

 距離にして往復約35km、往き約2時間、帰り約1時間だった。スカイライン入口から7.5km標高差400mの登りは、1時間以上も掛かり汗だくだったのに、下りのダウンヒルはわずか15分で強烈に寒かった。腿や脚全体に結構な負荷感と快い疲労感が残る・・・楽しみながら体力回復ができそうだし、スキーマラソンのトレーニングにもなるので、登りの時間短縮を目標にして、今後も続けてみようと思う。


明鏡止水・・・早朝の蓴菜沼

2011年05月24日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
      
 昨日、美利河丸山へ向かう途中、蓴菜沼のそばを通ったときに、その朝靄と鏡のような湖面に惹かれて、湖岸へ下りてみた。

 この沼には昔、ハクチョウが多く降り立ち、「白鳥の沼」といわれてたらしい。現在の名称になったのは、明治5年、北海道開拓使次官黒田清隆がこの地を視察した際に、良質のジユンサイが多く採れるということから「蓴菜(じゅんさい)沼」と命名されたとのこと。

      

 武四郎が絶賛した大沼は、現在の大沼公園付近ではなく、現在の小沼と蓴菜(じゅんさい)沼のこと。このあたりは、公園付近に比べて歴史は古く、江戸時代から幕末、維新を通じて、函館から小樽方面へ抜ける交通の要衝だった。維新のころには十戸内外の家があり、宿場としての役割を果たすとともに漁や炭焼きに従事していたらしい。

      

 この地を通過する新国道ができた明治5年、宮崎重兵衛という人が旅館を開業し、ニシン漁に従事する人々で賑わい、同時に観光目的でこの地を訪れる人々も年々多くなってきた。明治12年(1879)、当時のドイツ皇弟ハインリッヒ殿下が軍艦で函館に来られたとき、宮崎旅館に一週間滞在し、それ以後、明治13年、32年と計3度にわたって来遊されており、じゅんさい沼の風光をたいへん愛された。そのほか、イタリア皇族のゼノア公、日本の皇族では、明治14年(1881)には、当時29歳の明治天皇が北海道巡行途中に立ち寄り、維新の元勲・小松宮殿下、有栖川宮殿下などが来遊されている。明治11年にイザベラバードも宿泊している。

       

 その後、鉄道の開通に伴い、観光地としての中心は現在の大沼公園の方へと移っていき、今はその面影はない・・・・。

美利河「丸山」(二股温泉コース)

2011年05月23日 | 登山・旅行
    

 山に必要な体力は山で取り返すとばかり、長万部と今金町の境界稜上(道南中央分水嶺)に位置する丸山(674.1m)へ、あまり登られることのない二股温泉コースから単独で登ってきた。

 丸山は多くあるので、この山は通称・美利河丸山と呼ばれている。奧ピリカ温泉からのコースと二股温泉からのコースがあり、縦走できるようになっているが、二股温泉コースはまだ登っていなかったことが、この山を選んだ理由であった。

 奧ピリカ温泉コースの方が距離的に半分ほどなので、そちらの方から登られることが多く、ネット上でも、二股温泉コースの記録はほとんど見当たらない。その登山道の様子も知りたいことも狙いの一つであった。

 登山道はきちんと整備され、非常に快適だが、稜線に出てから、3つのピークを越えなくてはならず、往復ともにその登り返しが結構きつく、タフなコースだった。1週間前の恵庭岳は妻のペースで歩いたので、体力低下を体感することはなかった。しかし、今日は、いつもの単独行ペースで歩いてみたが、6ヶ月のブランクに伴う体力というより脚力の衰えを十分思い知らされた。
 登り2時間10分。下り1時間55分。これでもガイドブックの時間より速かったようなので、良しとしよう。

    
 温泉の建物の横を抜けて、天然記念物の石灰華ドームの端を川まで下る。丸太橋を渡って、対岸の尾根へと登っていく・・・対岸の下から見上げる石灰華ドームとリニュアルされた二股らじゅうむ温泉。

       
 稜線までは急な尾根をジグを切って登っていくが、ブナの新緑が鮮やかだ。登山道は、毎年整備されているようで快適な道だった。

    
 尾根の途中から、春紅葉の中に落ち着いた佇まいを見せる二股温泉を俯瞰する。

    
       高度を上げていくと、まだ残雪に覆われた長万部岳が見えてくる。

        
 尾根や稜線上には多くの花々が咲いていたが、特にシラネオアイの群生とエゾイチゲの群生が多く目に付いた。熊の新しい落とし物もしっかりと5箇所ほど・・・。

    
    頂上から、西側には、まだタップリと残雪に覆われたカニカン岳が見えた。

         
 稜線に出るまでのコースが、地図に記載されている登山道とかなり違うようだと感じながら登り下りした・・・・案の定、帰宅後GPSのトラックログを地図上に落としてみたら、大幅に違っていた。

    
 途中の林道で採取した今年初のタランボの芽・・・当然、天ぷらとなって、夕食の食卓に上った。 

 二股温泉はリニュアルされてから日帰り入浴が1000円になったのでパスし、銭湯料金で入れる長万部温泉の長万部温泉ホテルで汗を流して帰路に就いた。


 詳しい山行記録は、下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/pirimaru2.htm 

第59回箱館歴史散歩の会

2011年05月20日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
      

 08年から月2回のペースで続いている箱館歴史散歩の会(中尾仁彦氏主宰)に参加してきた。今回のテーマは、「西部地区にある箱館戦争ゆかりの地巡り」・・・今回は、跡地と石碑巡りがメインだったので、箱館戦争にまつわるその地や石碑の詳しい史実の説明や逸話等を聞くことが中心だった。

 コースは、地域交流ふれあいセンターを出発して、丁サ萬屋佐野専門宅跡(土方歳三宿泊)~大津屋田中正右衛門宅跡(土方歳三訪問)~弁天岬砲台跡~旧高龍寺跡(箱館病院の仮病院)~神明社跡(松平定敬宿泊)~箱館病院跡(高松凌雲の赤十字精神)~高龍寺~称名寺~実行寺~山上大神宮~海軍戦死碑~咬菜園跡だった。

      
      
 <弁天岬台場跡~函館開港と同時に外圧に備えるために7年の年月を掛けて建造された台場。結果的には、箱館戦争の場になり、明治2年、官軍の奇襲攻撃に敗れた榎本軍が入り込んだために食糧や給水に窮し、五稜郭に先駆けて5月15日に降伏した場所で、新撰組最後の地となった>

      
 <箱館病院跡地(大黒通り付近)~箱館戦争の負傷兵の病院で、榎本武揚から頭取(院長)を委嘱された高松凌雲は敵味方の別なく診療し、日本最初の赤十字活動の場となった>

           
 <高龍寺境内にある「傷心惨目の碑」~箱館戦争時、現在よりもっと下にあった高龍寺が負傷兵の仮病院だったが、官軍が乱入し入院者十数人を惨殺し、寺に放火した。現在地に高龍寺が移転した後の明治13年に、その犠牲者を供養するために、旧幕会津藩兵だった有志がこの地に建てた慰霊碑> 

            
 <称名寺境内にある「土方歳三・新撰組隊士供養碑」~当時称名寺(当時は弥生小学校建つ前の敷地)は新撰組の屯所で、東京日野市の土方の過去帳の記録に基づき建てられた供養碑で、土方の他に4名の新撰組隊士の名前も刻まれている>

      
 <実行寺の墓地入口に並ぶ会津遊撃隊長で、箱館戦争の降伏を勧めたとされる諏訪常吉などの墓> 

      <
 <山上大神宮~当時は西消防署弥生出張所のところにあったが、箱館戦争に榎本軍に加わった桑名藩主松平定敬の御座所に使用された>

       
 <官軍の「己巳役海軍戦死碑」と墓地~官軍艦乗組員の死者の名前を刻んだ大石の墓碑。「高田屋の亀石」を割ったものが使われているとのこと>

      
 <咬菜園跡地~榎本・武田・中島三郎助が清遊し、後に初代総理総理大臣伊藤博文が宿泊した名庭園。明治2年(1869)箱館戦争時、追討令が下り、新政府軍艦が品川を出港したとの報に接した旧幕府軍総裁榎本武揚は同年3月14日幹部6人と共に、今宵最後と一夜の清遊をこの咬菜園で試みた。箱館奉行並中鳥三郎助の有名な辞世の句などはこの時残したもの>

 箱館戦争ゆかりの地と言えば、五稜郭や郊外の戦場になった場所がクロースアップされるが、当時の箱館の中心地だった西部地区にも多くのゆかりの地があることが判った。それにしても、当時2年に1回の割合で大火に見舞われたのにもかかわらず、常に復興を遂げてきた当時の先人の逞しさと開港以来の当時の箱館の繁栄の様子に改めて感動した。

○6月の予定(ぜひ参加したいと思っている)
 第60回 6/03(金) テーマ「西部地区の土木遺産・産業遺産巡り」
 第61回 6/17(金) テーマ「西部地区の再利用した建物と豪華な和風邸宅巡り」
 ※ともに10:00~12:30、集合・函館市地域交流まちづくりセンター、資料代100円、申し込み不要

HPのサーバー引っ越し作業

2011年05月18日 | PC・HP・ブログ
          

 入院中に、このブログの親サイト『一人歩きの北海道山紀行』(HP)のサーバーであるinfoseekから「HPのサーバーのサービスを2012年5月21日で終了する」旨のメールが届いた。終了まで1年以上あるとは言え、総量260MBほどで約9000個程のファイル(画像と文書)を引っ越さなくてならない・・・とんでもない時間が必要な作業になる。

 このサーバーは2003年から利用しているが、有料(年6300円)だし、大手の楽天のサービスなので、まさかこんな事態になるとは思っていなかった。しかし、このサーバーのサービスの容量は300MBまでで、2007年の時点で限界に近づいていた。そこで、無料で1GBのfc2のサーバーを見つけて一部を引っ越して、更新を続けてきた。その時点で全部を引っ越したかったが、莫大な時間が掛かるののと相互リンク先へURL変更の案内メールを出さなくてはならないことなどが億劫で諦めていた。

 しかし、今はそんなことは言っていられない。1年間の猶予はあるが、退院後、少しずつfc2の方へファイルの移動を始めた。1個のファイルを移すのに約2分掛かり、一回ににできるのは10個ほどである。家にいることが多かった退院後直ぐに始めたが、この作業中は、PCでの他の作業ができないし、びっしりPCの前に付いているわけにも行かない・・・てなことで、移動できたのは今日現在で70MBで2500ファイル・・・まだ1/4程度だ。

 このペースでも引っ越しが終了するには、さらに2ヶ月ほどは掛かりそうだ。家を空けることが多くなると、さらに延びる。それが終わっても、各ページの点検や2つのサーバーに跨ってリンクを結んであるページのリンク先の書き換えなどが待っている・・・今は、ひたすら気長に続けるしかない・・・。しかし、できるだけ早めに引っ越しを終えて、サービスの終わる来年の5月までは、今のトップページへアクセスした場合、新しいURLへの引っ越しのお知らせできるようにして、周知徹底を図りたいと考えている。

18年振りの恵庭岳

2011年05月16日 | 登山・旅行
      
           <7合目第一見晴台にて・・・支笏湖をバックに>

 支笏湖畔の最高峰である恵庭岳・・・なぜか、一人歩きの山を始めた翌年の1993年に登ったきり18年もご無沙汰の山だった。この後に登った樽前山や風不死岳は3~4回も登っているのに・・・。そのときに登ることができた頂上岩頭やその下の岩場は、崩壊が進んで、現在は8合目より上は立ち入り禁止になっている。

 2度目の癌退治の退院から20日しか経っていないが、リハビリ山行の函館山や長万部「幻の滝」探訪で自信を持てたので、前日(5/14)の札幌出張ついでに、妻も伴い、丸駒温泉に泊まり、翌日(5/15)、二人で登った。今年は雪解けが遅く、6合目から7合目までの一番急な登山道は残雪に覆われ、上り下りに苦労した。現在の頂上とされている8合目を目指したが、7合目から上は北斜面なのこともあり、完全に雪に覆われていた。途中で引き返して、7合目の第一見晴台でのんびりした。 

      
          <7合目第一見晴台にて・・・爆裂火口と現在は登れない頂上岩塔をバックに>

       
          <6合目から7合目までは、一番急なコースなのに、残雪に覆われて登り下りに苦労した> 

      
          <ミヤマエンレイソウ・・・このほかにまだ蕾のツバメオモトやエンレイソウが目に付いた>
     
      
          <下山後、帰路の支笏湖畔道路から眺める恵庭岳>

 下山途中に、私の入山届けに書いた名前を見たHYMLメンバーのご夫妻からご挨拶をいただいた。
 さらに、帰路に、この度の入院でいろいろお気遣いをいただいた室蘭のHYML仲間のなかよしさんの「室蘭ラーメン なかよし工大前店」へ寄った。美味しい味噌ラーメンと餃子を食べたが、全快祝いとのことで代金を取らなかった上に、老舗の「一平」の室蘭焼き鳥パックのお土産までいただいた・・・温かな気遣いに感謝・感激!

 詳しい山行記録は下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/eniwa11.htm

丸駒温泉

2011年05月16日 | 登山・旅行
      
 5/14(土)は、札幌でのスキー関係の会議出張だった。妻も一緒に出掛け、北広島の三井アウトレットパークでショッピングを楽しんでもらう。会議終了後の午後に再び合流し、全快祝いと年に一度の贅沢で支笏湖畔の丸駒温泉旅館へ・・・・。

 ここの温泉は、前の建物のときから3度目になるが、支笏湖畔に足元から湧く野趣味溢れる露天風呂(画像)を初め支笏湖を眺めながらの各種浴場や落ち着いた風情と美味しい料理が魅力で、何度でもリピートしたくなる旅館だ。

      
 大正5年創業の「丸駒温泉旅館」・・・「丸駒」の由来は、当時恵庭岳の麓で硫黄が採掘され、それを運搬する馬がケガをしたときなどにこの地で癒やしたことに由来するらしい。当時は草葺き小屋の温泉宿だったが、湖の向こうから船に乗って訪れる湯治客や登山客ばかりだったとのこと。
        
      
 本物の温泉を守り、旅する人の望郷の念に応えるの宿が謳い文句の「日本の秘湯を守る会」 
      
 体に優しく美味しい懐石料理中心の夕食・・・メインのヒメマス料理は、この時期はつみれ鍋だった。刺身に箸を付けた後の撮影・・・。

      
 夜明け前の湖畔の天然露天風呂から眺める風不死岳と遊覧用のモーターボート

      
 朝日を浴びてくっきりとした姿を見せる風不死岳・・・過去全てコースを変えて3回登っている

2年振りの山仲間オフミ

2011年05月12日 | オフミ・飲み会
      

 私が開設に関わり、発足以来12年目を迎え、今や全国に500名以上の会員のいる北海道の山メーリングリスト(略称HYML)の函館・道南地区懇親会を2年ぶりに開催・・・それまでは、年2回開催してきたが、幹事の私の事情で、ついつい間が空いてしまった。

 この春釧路から転勤してきた方や函館単身赴任の方も含めて14名の顔ぶれが集まってくれた。初めて顔を出した方が4名もいた上に、仕事の関係で9時半過ぎに駆け付けてくれた2名もいたりして、久しぶりの山談義に、4時間があっという間に過ぎた。

 この様な利害関係のない個人の趣味の集まりは本当に良いもんだ・・・。山への復帰を開始した自分にとっては、大いに元気と新たな希望をもらえる楽しいひとときだった。

 退院後、ちょびちょび飲んでいるが、今日は生ビール2杯と焼酎の水割りも含めて一番多く飲んだ・・・体調も含めて、だんだん完全復帰に近くなりつつあるのがうれしい。

長万部「幻の滝」探訪

2011年05月11日 | 登山・旅行
        
           
 長万部町にある平成5年に発見されたという70~80mという道南随一の落差を誇る秘滝だが、名前も付けられずに「幻の滝」としてその存在だけが知られていた。最近になって、一部林道マニアや山仲間の間で、どうやら国道230号線の美利河峠手前の稲穂林道奧の国縫川支流にあるらしいという情報だけで、詳しい場所もベールに包まれたままだった。

 昨秋、情報収集の努力が実り、その場所が特定され、しかも、滝が見えるポイントまでのルートや下部に下りるルートの刈り払い道があるらしいという情報を得ることができた。

 早速、木の葉の落ちた晩秋に訪れる予定だったが、首を痛めて泣く泣く断念。岳友のSHOさんとKaさん二人だけで行った。今日は、そのとき、足を痛めて行けなかったTaoさんとSaさんの同行を得て、ようやく念願を叶えることができた。

      
 これまでのネット上の情報では、滝の全容が見えるポイントまでとSHOさんとKaさんの滝壺までの記録しかなかった。しかし、滝見ポイントから滝の落ち口を見ると、その先に続く尾根の先端が滝の落ち口まで続いていることが判明。ここは山ヤのサガで、薄い笹藪漕いで、そこまで下ることにした。同じことを考える人がいると見えて、微かな踏み跡もあった。  
        
      
        恐る恐る落ち口に立ち、下を覗いたが、上段部分しか見えなかった。

          
 滝見ポイントまで戻り、さらに少し戻った地点から、滝の下の川へ下りるルートへ入る。この途中にも滝見ポイントがある。

 
 急な痩せ尾根を灌木に掴まりながら下り、滝の下から流れてくる川を辿って滝壺を目指す。

          
 さらに急な痩せ尾根を周りの灌木に掴まりながら下る。川に降り立ち、滝の下までなんとか辿り着くことができた。滝壺は思ったより小さく、上を見上げても、落ち口から見下ろしたときに見えた上段部分は見えず、下の部分しか見えなかった。

 これだけ落差のある滝で、全容を眺めただけでなく、二つの急な痩せ尾根を利用して、落ち口と滝壺の両方に立つことができたのは稀な快挙である。まさに「幻の滝」完全制覇といっても良いだろう。
 
     
       林道途中のカニカン岳~利別岳~長万部岳の見える絶好ポイントで記念撮影。

 山行タイムは、3.1kmほどの林道歩きが往復で約2時間、滝探訪の上り下りで約2時間の合計4時間。リハビリ山行のつもりだったが、そんなことはすっかり忘れて、ハード且つ急な痩せ尾根の上り下りに夢中になっていた・・・しかし、疲れを感じることはなかった。
 

函館山三十三観音巡り

2011年05月09日 | 登山・旅行
     
           <第1番(青巌渡寺 如意輪観世音菩薩)> 

 最高気温20℃近くまで上がった今年一番温かい日・・・・山歩きの再スタートを切るべく、函館山に設置されている三十三観音を1番から33番まで律儀に巡ってみた。別に信仰心があるわけではなく、歩くためのコースとして選択しただけなのだが・・・。
     
 登山口駐車場に車を置いて、登山口の上の車道沿いにある1番からスタート。旧登山道~千畳敷~入江山~御殿山~観音コース~称名寺の墓地の中にある33番~函館山山麓の観光散策路を廻って、登山口へ戻った。距離にして約8km、3時間のほどよいコースだった。下山後は、当然市営谷地頭温泉でまったり・・・。

     

 ちなみに、この函館山三十三観音は、最初、天保年間に設置されたものであるが、大正3年に要塞ができることになり、1 番と 3番以外は、湯の川の湯川寺に移され、現在の残りの31体は、戦後新たに設置されたものだそうだ。
      
     
         <千畳敷から桜に彩られた函館公園をズーム>

     
 <函館港を挟んで横津連峰をバックに入江山に設置されている18番(紫雲寺 如意輪観音)>

     
          <函館山に多く咲くコジマノエンレイソウ>

     
      <御殿山の下の函館山権現の石仏群
           ~21番(穴太寺 聖観世音菩薩)と23番(勝尾寺 千手観世音)も設置されている>

     
          <スミレサイシン> 

     
       <静かな観音コースに設置されている25番(清水寺 千手観世音)>

 詳しい山行記録は、下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/hako33.htm 

亀足ジョグ&ボケ防止

2011年05月08日 | 日常生活・つぶやき
      

 何かの拍子に開腹部の傷の痛みを感じることはあるが、歩いてもそれはないので、昨日までは毎日のように桜の咲く五稜郭公園でウォーキングに取り組んでいた。傷口からの浸出液も止まって3日目の今日は、試しにジョギングをしてみた。7分/kmほどの亀足ジョグだが、5kmを走ることができた。傷の痛みはまったくない。ウォーキングよりはジョギングの方が体力づくりには効果があるので、今後は、距離を徐々に延ばしていきたいものだ。

 あとの課題は体力回復のみ・・・11月の滝から転落によるむち打ち症と今回の癌の手術入院で、約半年間ほとんど体を動かしていない。どのくらい体力が落ちているのか全く不明である。山の方も、徐々にレベルを上げていき、7月には縦走装備で歩けるようになりたいと思ってはいるのだが・・・? 

           

 体力回復ばかりに気が向いているところへ、大阪の妹から「ナンプレ」(「数独」ともいうらしい)という脳活性パズルの本が送られてきた。自宅療養中に体だけでなく、頭の方のボケ防止にも取り組んではという温かな気遣いか・・・?

 他人がやっているのを見たことはあるが、実際に目にするのも初めてだし。パズルの名前も初めて知った。全ての縦列と横列のマスの中に1~9の数字がひとつずつ入り、太線で囲まれた3×3のブロック(9個あり)に1~9の数字がひとつずつ入るだけがルールなのに、非常に複雑なパズルができることが凄い。世界選手権大会まであるそうだ。

 昨日は10級の問題、今日は9級の問題をやってみたが、目標の時間ではとてもできない。もともと論理的思考が苦手な自分だが、粘り粘って全部埋まったときの爽快感と達成感は癖になりそう。いろいろな解き方の基本パターンを身につける必要がありそう。そろそろ怪しくなってきたボケ防止対策には、大いに役に立つと思う・・・・。感謝!感謝!

 インターネットで無料のゲームもあるようだ。
 http://www.afsgames.com/nine.htm