癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

『宮竹眞澄 心のふる里人形展』

2018年05月31日 | イベント鑑賞・参加


 まちづくりセンターで開催中の『宮竹眞澄 心のふる里人形展』(500円)を観て来た.

 以前、東川町の道の駅ひがしかわ「道草館」で、いくつかの作品が常設されているのを見たことがあるが、今日は、2Fの広い会場に、62作品179体が展示されていた。
 昭和の懐かしい情景、農村や浜で働く人々、子供たち等を題材にした、ほのぼのとした豊かな表情の人形が魅力である。
 人形はもちろん衣服や細かいものもすべて粘土で作り、水彩絵の具で色付けしているそうだ。

 大分県出身の宮竹さんは、1978年から独学で人形制作を始め、1991年に東川町に移住し、2008年からは「心のふる里人形展」と名付けた展覧会を全国各地で開催している。
 今年で、全国巡回展を始めて10年目。日本国内では44市町村92回目の開催となるそうだ。

<会場は撮影禁止だったので、ほかのサイトから借用した写真~いずれも会場に陳列されていた作品>











桧沢の滝と沢沿いの花々

2018年05月30日 | 花・紅葉だより

新緑に囲まれた桧沢の滝

 昨日、「慰霊の道」草刈り整備作業が終わってから、桧沢の滝を観に行き、途中の花々をカメラに収めてきた。


シラネアオイと桧沢の滝



ミドリニリンソウ


キバナノイカリソウ


サンカヨウ


オオバキスミレ


タチカメバソウ


オオタチツボスミレ


コンロンソウ


ミゾホウズキ


残雪のそばのエンレイソウ


残雪のそばに咲いていたカタクリとエゾエンゴサク

「慰霊の道」草刈り整備作業

2018年05月29日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

きれいになった故齋藤浩敏さんの慰霊プレート周り。誰かが植えたであろうチューリップが蕾を付けていた。

 2014年2月に毛無山で行方を絶ち亡くなった、山とスキーの先輩・故齋藤浩敏さんを偲んで、山仲間で遺体発見場所に設置した慰霊プレートである。
 2014年8月の慰霊プレート設置作業の様子(クリックしてください)

 ここ2年は草刈りをしていなかったので、多分草や笹で覆われているだろうと、その整備作業に一人で草刈り機を持って出掛けた。


おおよそのルート図(GPS持参しなかったので)


国道から毛無山登山道への入口。
国道の拡幅工事で、以前あった「桧沢の滝・大石の沼」の立て看板がなくなっていた。


大野川に架かる吊り橋を渡り、小川沿いの登山道を進み、高巻くように登る道へ入る。

桧沢の滝への道の分岐を直進し、下山に良く使われる旧道を5つ目(最後)のカーブまで登る。

旧道からの分岐。ここが慰霊プレートへの道の入口。ここから草刈り開始。


初めの内は踏み跡もしっかりしていたが、徐々にフキや夏草や笹が濃くなり、道が分からなくなった。
草刈り機を途中に置いて、先に踏み跡を辿り、ルートファンディングをしてきた。奥の方はテープもなくなっていた。


周りがフキや草で覆われた慰霊プレートを見つけて戻り、作業を再開した。


慰霊に訪れた人が供えていったもの。
3年前に一度持ち帰ったので、その後にも足を運んでくださっている人がいるということである。
ろうそく立てだけ置いて、あとは持ち帰った。

慰霊プレートの周りをきれいにした後も草刈りをしながら一度分岐まで戻った。
草刈り機を置いて、棒を持ち、道に残っている刈られた草や笹を除去しながら、再び往復した。


きれいになった道を戻る。


ちょうど作業が終わって、分岐へ戻ったら、自然倶楽部の鎌鹿さんご一行が下りてきた。
鎌で草刈りをしながら、慰霊プレートまで行くつもりだったとのこと。凄いタイミングである。
刈払われたばかりの快適な道を歩いて、慰霊に向かっていただいた。


◎本日の函館新聞に掲載された「四国遍路の講演」の記事
 昨日の日記に追加しておきました
https://blog.goo.ne.jp/sakag8/d/20180528

◎北海道新聞みなみ風連載「どうなん・とうほく山楽紀行」の38回目「乙部岳」
http://sakag.web.fc2.com/38-otobe.htm

丸山(八雲) & 駒ケ岳南西尾根(函中)コース

2018年05月27日 | 登山・旅行

駒ケ岳の初めて登った南西尾根コースの750ケルン(函中コースの名残?)から剣ヶ峰をバックに


 今日は、SHOさんと、先週に林道跡の入口が分からず登ることができなかった八雲町野田追の奥の丸山に登った後、直接剣ヶ峰に登れる駒ケ岳の南西尾根コースを登ることができた。

 ずっと薮山低山ばかり続いたので、スカッとした展望が広がる山に登りたかったので、最近、ネット上に記録が見られるようになった駒ケ岳南西尾根コースにトライした。このコースは、昔、函中コースと呼ばれていたコースらしい。

◎まずは、丸山(372m)へ


野田追から桜野に向かう道路から眺める丸山


GPSトラックログ

わらび野から釜別川沿いの磐石岳林道へ入り、送電線の少し手前の橋の手前から、
先週気付かなかった林道跡に取り付いた。朝露対策で、カッパ上下を着てスタート。


薮に覆われてはいるが、踏み跡がはっきりしている林道跡を進む


 林道跡からは北尾根から登る方が近かったが、その林道跡がどのように続いているか見たかったので、西側へ進み、斜度の比較的緩い西尾根から登った。薮はそれほど濃くなく、楽勝の部類だった。
 なお、林道跡は、その先から南尾根の方へ続いているような感じだった。


頂上へ到着してビックリ。昭和35年にこの頂上で詠んだと思われる漢詩が書かれた新しいプレートがあった。
このプレートは最近設置されたと思われるが、昭和35年ごろは、ここまでの造林道があったのだろう。


 三等三角点(点名・下二股)もSHOさんが見つけた。


頂上からは、薮山にしては珍しく、野田追地区の街並みと噴火湾越しに羊蹄山もくっきりと見えた。
下りは、北尾根を下って林道跡へ合流した。

登り1時間10分、下り45分。

◎次に、駒ケ岳南西尾根コース(函中コース)へ

 
 別荘地だった若駒園の入口からまっすぐ突き当たりまで進み、そこから右へ続く道の行き止まに車を停めた。そこから砂防ダム工事のために造られた林道がずっと続いていた。


砂防ダムを右に見て、南西尾根の先の剣ヶ峰を見上げながら林道を進む。
その林道は、c450で終点になっていた。その上にも砂防ダムはあったが、そこから薮尾根に取り付く。
薮は灌木主体で全然気にならない。尾根には、あちこちにピンクテープが付いていた。


高度を上げて行くにつれて、薮は低くなり、どこでも歩ける状態である。


この広い尾根の途中で、駒ケ岳では初めて目にするミヤマオダマキが3株だけ咲いていた。
徐々に尾根が細くなり、そのピークのc750地点には、昔の函中コースの面影を残すケルンがあった。


750ケルンの細い尾根をバックに高度を上げる。この角度から眺める後ろに拡がる眺望が新鮮である。


右手には大沼・小沼と横津岳が見える。


剣ヶ峰の下の岩場からは、左へ斜めにトラバースするようにピンクテープが付いているので、それを辿った。


岩場の左下には森町市街地と噴火湾が見える。この眺めも新鮮だ。
ピンクテープに導かれて登った行くと、最高ピーク岩塔P1の真下で、剣ヶ峰に残っている踏み跡に合流。
そこからは、何度も歩いているので、右へ進み、P2まで続く踏み跡を進む。


P2の手前にコメバツガザクラが咲いていた。


我々が登れる頂上のP2で、最高ピーク岩塔のP1と砂原岳をバックに記念撮影。
最高の天候に恵まれ、岩木山や大千軒岳、日本海に浮かぶ松前小島までくっきりと見えた。


砂原岳と噴火口を眺める。
SHOさんは、冬は剣ヶ峰の下まで登っているが、夏の剣ヶ峰は初めてだという。
そこで、剣ヶ峰に続く砂原岳への縦走路を少し北へ進んでみた。


中央ルンゼの合流地点からP1のすぐ横まで登ってみた。P1に登るには、岩登りの装備が必要である。


剣ヶ峰の北側まで行き、羊蹄山が見えるところで戻り、登りのコースを下山した。

登り2時間10分、下り1時間40分。

 下山後、ちゃっぷ林館の温泉に入って、帰路に就いた。四国から帰ってから、ずっと薮山ばかりだったので、久しぶりにスカッとした楽しい山行だった。

 もっと多くの写真と詳しい山行記録は、下記でどうぞ!(アップ完了)
 http://sakag.web.fc2.com

四国遍路の講演も盛況にて終了

2018年05月26日 | 日常生活・つぶやき

 蔦屋書店から依頼された四国遍路の講演会が無事終了。2週間前の山の講演会よりは少なかったが、それでも100名ほどの参加者で、今日も盛況だった。

 前回に引き続き参加してくださった山仲間の他に、ライフスポーツや退職校長会の面々、さらに、お遍路に興味を持った見知らぬ方も多かった。

 北海道新聞社と函館新聞社も取材にいらしてたので、そのうちに新聞にも掲載されるだろう。
 

今日の演題

内容は下記の通りである。
1、四国遍路とは
2、霊場~88ヶ所と別格20ヶ所について
3、遍路いろいろ
4、打ち方(回り方)
5、お遍路の目的・動機
6、歩き遍路の装備・服装等
7、日数・費用・宿等
8、歩き遍路の魅力(写真をふんだんに)
 ・厳かな霊場
 ・お導きの道しるべ
 ・遍路道いろいろ
 ・お接待いろいろ
 ・癒しの風景
 ・四国ならでは歴史・風土
 ・四国ならではのグルメ
 ・一期一会と14年ぶりの再会
 

菩提寺である高野寺の住職さんからお花が上がり、跡継ぎの息子さんまで参加して下さり、恐縮至極。

『北海道夏山ガイド 特選34コース』

2018年05月25日 | 登山・旅行



 今朝の北海道新聞にも掲載されていたが、この度、岳友であり、XCスキー友でもあるテツさんこと長谷川哲著『北海道夏山ガイド 特選34コース』(北海道新聞社)<税込1836円>が発刊され、本日その本が贈られてきた。

 この本は、テツさんからも聞いていたが、これまで北海道新聞社から発刊されている『北海道夏山ガイド』全6巻の別冊的位置づけの本である。彼が選んで取材・執筆した人気の山の縦走コースも含めた34コースが掲載されている。ちなみに、道南からは、狩場山、遊楽部岳、雄鉾岳、恵山・海向山、大千軒岳の5座が取り上げられている。

 なお、取材に同行した、幌尻岳新冠コース、楽古岳、遊楽部岳、大千軒岳には、畏れ多くも、自分がモデル?として登場し、奥付ページには、取材協力者として氏名が載っている。。


楽古岳のページ


幌尻岳新冠コースのページ




遊楽部岳のページ

五稜郭公園のフジとツツジほか

2018年05月24日 | 花・紅葉だより


午前中は、5/22の松前町低山薮山巡り(二ッ森、神止山、七面山、大森山)の山行記録をHPにアップした。
 http://sakag.web.fc2.com

午後には、好天に誘われて、ジョグ&ウォークで五稜郭公園へ。
サクラは遅咲きの八重も含めてすっかり葉桜になり、フジ、ツツジ、ライラックが咲いていた。
フジは、まだ満開前で蕾の方が多かった。




 


ライラック







20個もの大きな花を付けた、我が家のボタン

七面山再訪、丸山途中撤退のち林道偵察

2018年05月23日 | 登山・旅行

<七面山の上で眺めた日の出>

 松前の道の駅で朝を迎える。今日も、松前の薮山低山巡りの予定だった。まずは、昨日の七面山で気付かなかった鳥居を探しに再訪。
 

◎七面山再訪

 頂上は単なる薮で鳥居などはなかった。しかし、ちょっと南側に進んでみたら、下に建物が見えたので下りてみた。


 その建物は鳥居があったので神社かと思ったが、ログハウス風の寺社のようだ。寺社でも鳥居があるのは、明治以前の神仏混淆の名残であろう。そばに「七面宮」と彫られた石柱と「南無妙法蓮華経」と彫られた石柱が立っていた。「七面宮」の石柱の裏には「寛延四年藤原正高建立」と彫られている。寛延四年は1751年である。
 境内は、薮で覆われていて、もう何年も訪れる人もなく、整備などはされていない感じである。

 身延山の近くにある同じ名前の七面山は日本二百名山に選ばれていて、日蓮宗の信仰の山だった。そこに鳥居があるのは変だと思ったが、調べて見たら、下記のようなことが分かった。やはり、神仏混淆時代のなごりのようだ。 
 ※全国の七面宮に祀られている七面大明神は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。 七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。
 

 立派な御影石の鳥居。文化十年正月吉日の銘がある。文化十年は1813年なので、「七面宮」の石柱建立より後である。それにしても、こんな山中にこのような神仏混淆時代の寺社があるのは、さすが松前である。

◎丸山(525m)途中撤退

 
 この山の頂上近くには、地図上では、南の勝軍山から、西の札前からの牧場管理道路の先から、東の大千軒岳への松前石崎線から別れる土岐沢林道の先から・・・と3方向から点線で記載された作業道があることになっている。
 いずれもかなり長距離の先である。その中で、もし、奥まで入ることができれば、札前からの牧場の管理道路の先が最短距離である。
 そこで、札前から舗装された林道を進む。地図上の実線部分は入ることができた。その先の点線部分の牧場の管理道路にはゲートがあり、鍵が掛けられていた。そこから丸山までは、直線距離で3kmである。


ゲート前の広場に車を置いてスタート。舗装された道の先の左側に目指す丸山と思われる山が見えている。



管理道路を1.5kmほど30分歩き、この先の林の中の丸山へ向かう点線との接続部分へ到着。

 ここから丸山までは直線距離で1.5kmである。作業道か林道跡でもあれば、薮漕ぎでもなんとか辿りつける距離である。


 背丈を超える笹薮に突入。GPSの地図に掲載されている作業道跡を探しながら、笹薮を掻き分けて進むも、それらしい痕跡はまったく見当たらない。おまけに平坦な尾根で、前も見えないので目指す方向もはっきりしない。GPSを見ながら進んでもコースを外してしまう。
 前日の疲れもあり、2日連続の先の見えない薮漕ぎに気が滅入ってしまう。誰か相棒でもいれば頑張れるのだが、嫌気がさして撤退することにした。ここ2~3年は大千軒岳への松前石崎線は不通なのでこのコースしかない。改めて出直すことにする。


戻ったら、朝は自分の車しかなかったのに数台の車が増えている。すべてタケノコ採りの車だった。



車を置いた場所から先に続く山への道路を走ってみた。眼下に海岸段丘面と海岸線、その向こうに松前小島が見えた。


◎林道偵察

 まだ9時前だったが、薮漕ぎ登山は疲れもあり気分も乗らないので止めて、いつか挑戦するつもりの御三流、越エバ山、健八流のアプローチとなる大鴨津川沿いの林道とその先の五番沢林道の偵察をした。


越エバ山のすぐ東側のゲートまで入ることができた。3山への取付き地点を確認した。

 この3山はすべて薮漕ぎなので、1日では無理である。御三流と越エバ山に1日、健八流に1日は必要であろう。


五番沢林道から眺める御三流・・・山容は良いが、厳しい斜度である。

 このあと、小鴨津川沿いの清部林道を入って、笹山へのアプローチの可能性を探ってみた。林道終点500m手前の沢を利用すれば、1.5kmほどの距離である。

 そのほかあちこちの林道を偵察し、11時から営業の松前温泉に入って、帰路に就いた。

松前町藪山低山巡り4山

2018年05月22日 | 登山・旅行
     
〈茂辺地漁港付近から日ノ出前の函館方向を眺める〉

 家を3時40分に出て、1泊2日の予定で、松前町の藪山低山巡りに出掛けた。今日は、二ッ森、神止山、七面山、大森山の4山を登ることができた。
 とは言っても、神止山と七面山は、林道から2~5分ほどで登れ、三角点もない山である。しかし、二ッ森も大森山も、藪山としては登り応えのある山だった。
 明日帰宅後、GPSトラックログも含めた少し詳しい記録をアップするので、ここでは簡単に。

⭕二ッ森(277m)
     
 松前温泉入口付近から眺める二ッ森(左上)。双耳峰が山名の由来か?

     
 国道から荒谷川沿いの林道を1kmほど入った終点から、その先に続く廃道の踏み跡を辿る。

     
 東面の川に懸かる橋を渡ったすぐの南尾根に取り付いた。

     
 少し上の人工林までははっきりとした踏み跡があった。

     
 200m付近から笹薮に覆われた頂上を眺める。
 220m付近から西に方向を変えるが、頂上手前から背丈を超える笹の激藪に突入。

     
 密度の濃い笹薮に覆われた頂上。三等三角点(点名・荒谷)があるはずだが、しゃがんで探しても、見つからなかった。すぐ西側に西峰が見えた。

     
 木もない激藪でピンクテープもなかったので、証拠写真。

     
 山頂から見えた白神岳と天狗岳。

 登り1時間20分、下り40分。
 
⭕神止山(110m)
     
 松前城の右のピークの下が神止山でその右の送電線の鉄塔が立つのが七面山。

     
 松前町市街地裏の山である。伝知沢ぞいの舗装された大森林道から階段を登る。

     
 階段を登ったら鳥居があり、松前藩及び官軍の明治元・2年戦役の戦死者の墓が並んでいた。祀られていた。
 明治2年10月の完成で松前藩兵51柱、役夫3柱、民夫4柱を祀っているが松前城中で七十四才で自刃した田村量吉や、靖国神社に女性で初めて祀られた川内美岐女の墓もあり、20歳以下の青年も11人も祀られている。
また太平洋戦争戦没者の慰霊碑がある。

     
 その上の階段を登ると、「慰霊碑」の塔が立ち、その後ろのピークが頂上だった。

 登り5分、下り5分。

⭕七面山(187m)
     
 神止山の下の林道から眺める七面山。

     
 林道から送電線の管理歩道が続いていた。

     
 2分で鉄塔の下に到着。東側に白神岳と天狗岳の連なりが見えた。
 本州では七面山というと信仰の山だが、何にもなかった。
 ここを頂上と思い、GPSで確かめないで下山した。
 ところが、夕方ブログアップするときに、検索したら、「山頂には高さ3m御陰石の立派な鳥居があり、文化十年正月吉日銘がある。また、開闢碑は寛延四年(1751)に藤原正高が建立した」とある。
 なんと、GPSトラックログを見たら、山頂を踏んでいなかった。明日の朝出直すことに。

⭕大森山(378m)
 この山は、神止山の真北に位置する山で、地図上では神止山の先の南尾根に作業道と思われる点線が続いている。それを辿ってみようと思った。
 地図上で測ったら3km強である。藪が濃くなければ3時間で登れるだろうと思った。藪が濃くて、それ以上掛かりそうなら、積雪期に出直つもりで、その尾根に取り付いた。

     
 確かに藪に覆われてはいるが、作業道の痕跡や踏み跡はあった。しかし、藪が濃い所とそうでない所があり、3つほどのピークを越えなくてはならない。帰りも登り返しがきつかった。

     
 半分以上登った300mピークから丸く急な頂上が見える。

     
 最後の頂上への登りは、一部鹿道もあったが、急な笹薮だった。

     
 頂上の高い枝に、積雪期に登ったと思われる高さにピンクテープが結ばれていた。

     
 三等三角点を探しても、諦めかけた時に、目に飛び込んで来た。苦労して登っただけにうれしかった。周りを刈り払って写真に収めた。

 登り2時間25分、下り2時間。藪山低山にしてはハードな山だった。

 下山後、松前温泉へ行ったら、定休日だった。町へ戻って矢野旅館の温泉へ。その後、海峡の向こうに岩木山も見える道の駅で車中泊態勢に。

     
 夕食は道の駅で。マグロキムチ丼を頼んだら少なかったので、ワカメ塩ラーメンも頼んだ。

人気急上昇中の「石崎地主神社の桜」

2018年05月21日 | 花・紅葉だより

 以前は隠れた名所だったが、最近では遅咲きの花見スポットとして人気急上昇中の「石崎地主神社」の桜。これが3月の四国で見た桜から始まって、2ヶ月以上に渡る最後の花見である。
 平日にもかかわらず、次々と車がやってきて、駐車場は満杯状態だった。昨日の日曜日は凄い状態だったに違いない。

 ここには、濃いピンク色の関山を中心に、普賢象などの別の種類のサクラも少しある。

 昭和43年(1968年)に石崎地主海神社が改築した時、松前町が桜の苗木300本を神社へ寄贈したそうだ。参道から鳥居までの300メートルほどの一直線の道には、約180本の大輪の濃いピンク色をした八重桜「関山」が咲き、迫力のあるトンネルを作っている。
 
 山の上に建てられた石崎地主海神社には、沿岸漁業の豊漁を祈るための大神様が祀られ、その場所から漁をする船を見守っている。






普賢象と関山


淡いピンクが可愛い普賢象


泰山府君


神社の境内から桜並木と津軽海峡を望む


並木の入口で売られていた桜蒸しパン、桜べこ餅、桜赤飯

常丹山(405m)<八雲町>

2018年05月20日 | 登山・旅行

林道から眺める常丹山(とこたんやま)

 今日は、SHOさんと、八雲町野田追の丸山(372m)と育成牧場の奥にある常丹山の予定で出掛けた。しかし、丸山への取り付きの林道跡を見つかられずにあちこちうろうろした。仕方なく、諦めて常丹山へ登った。
 
 常丹は、アイヌ語のトコタンに由来するのであろう。トコタンの地名が道内に多く分布するが、ほとんどは床丹の漢字で表記されている。トコタンの意味は、「無くなった・村/二つの・村/廃・村/沼の・村/マムシの村」の意味が考えられるらしいが、ここの場合、どれに由来するのかは不明である。


GPSトラックログ


 育成牧場への道路のヘアピンカーブ地点から地図には載っていないの林道が頂上直下まで続いているという情報である。しかし、鎖のゲートが掛けれていて、そこからスタートした。


 登って行くと、立派な林道が牧場の方から続いていた。確かめてはいないが、そっちの方からだと車で入れたかもしれない?


 さらに途中の分岐から頂上方向へ登っている古い林道を進み、30分で頂上から直線距離で150mの北尾根の最高地点に到着。そこが最短距離である。
 その薮尾根に突入。背丈より高いネマガリダケの薮だが、激薮というほどではない。20分で頂上到着。
 頂上に着いたら、そこだけきれいに刈払われていた。てっきり三角点が見つかると思ったが、いくら探しても見つけられなかった。ササの葉が10cm以上も厚く積もっているので、その下なのであろう。


刈払われていた頂上で記念撮影


刈払いの隙間から噴火湾と八雲町の市街地が見えた。
下りの薮は半分の10分で林道に出た。


すっきりとした青空をバックに枝を広げる柔らかなブナの新緑が美しい。


登りの半分の25分で、ゴール。その向こうにまだ多くの残雪を抱いた遊楽部岳山塊が見えた。

 この山に向かう途中に、野田追の丸山に登ったことのあるIさんい電話が繋がった。帰りに、もう一度盤石岳林道へ入ってみたら、それらしい作業道跡が見つかった。しかし、お互いに午後から予定が入っているので、無理しないでそのまま帰路に就いた。来週の日曜日に出直すことにした。

設立30周年記念誌「青い山脈の足跡」

2018年05月19日 | 登山・旅行

 06年に「渡島大島観察登山会」の仲間に入れていただいたのをきっかけに加入した「自然保護団体 山歩集団 青い山脈」(代表・清水和夫)が、設立30周年を迎えて、記念誌を作成した。
 会費を納めるだけで、活動には参加していないの薄情な会員だが、原稿も寄せてあるので、先週末に送られてきた。

 この1988年(昭和63年)に当時福島町の教育長だった清水氏を中心に6名でスタートしている。10年後には273名をピークに、現在は73名とのこと。この間、大千軒岳を中心とした山岳自然の保全活動に必要な登山者の育成を柱に登山会や自然観察会、環境調査などに取り組んできた。大千軒岳が「花の百名山」として、その姿を保っているのは、まさにこの会の活動のお陰である。

 祝辞を寄せていただいている中には、北海道の自然保護や山岳関係の錚々たるメンバーが名を連ねてえいる。鮫島惇一郎氏(自然環境研究室長)、佐藤謙氏(北海学園大学名誉教授)、新妻徹氏(日本山岳会元北海道支部長)、梅沢俊氏(植物写真家)、長谷川雄助氏(高山植物保護ネット事務局長・日本山岳会元北海道支部長)、田中正人氏(アポイ岳ファンクラブ事務局長)などのほかに、顧問や会友の中にも良く知っている、菅原靖彦氏、一戸静夫氏、笹島義弘氏、水尾君尾氏、高澤光男氏、鎌鹿隆美氏、片岡次男氏などである。

自分は、「大千軒岳に寄せて」という題名で、これまでの大千軒岳の思い出を中心に書いた。

 最近は、高齢化で活動への参加者が減っているようだが、自分が会員になる前のピーク時の活動の様子が良く分かり、頭が下がる思いで読ませていただいた。今後、少しは活動や事業に顔を出さなくては・・・と思う昨今である。

講演のプレゼン作成

2018年05月18日 | 日常生活・つぶやき

 朝から一日中寒い雨の1日だった。これ幸いと落ち着いて、5/26日予定の蔦屋書店での「四国遍路」の講演のプレゼン作成に取り組んだ。

 その前に、北海道新聞「みなみ風」連載の「どうなん・とうほく山楽紀行」の5/29掲載予定の「乙部岳」の原稿の最終校正をして送付した。それと同時に、「みなみ風」の「道南ウイークリー」(道南のイベント紹介)に前回同様、この講演の予告掲載をお願いした。

 なお、蔦屋書店のイベント紹介欄には、すでに掲載されている。
 http://www.hakodate-t.com/event/19970/

 前回の山の講演は、参加者のほとんどは登山経験者なので、知識としての詳しい説明は必要なく、写真を見せるだけで分かってもらえた。
 しかし、このお遍路の講演は、お遍路の経験のない人がほとんどなので、どうしても説明しなくてはならないことが多くなる。なるべく、自分の経験をもとに具体的に話したいが、その兼ね合いとどの程度まで話せばよいのかが難しいところだ。

 実は、14年前の1回目のお遍路のあとに、大々的に北海道新聞の全道版に見開き2ページで掲載されたこともあり、15回もの講演を依頼された。そのときのプレゼンもあるので、簡単に作り直せると思った。

2004年の1回目のお遍路の後に、北海道新聞の全道版に見開き2ページで掲載された記事

 しかし、前回のものを無視して、新しく作り直すことにしたので、写真と内容の精選に悩んで、全然捗らなかった。前回の原稿は残っていないので、作成しているうちに話したいことが次々と浮かんでくる。プレゼン作りに明日も1日掛りそうだ。原稿作りはその後になる。

花株が減ったクマガイソウほか

2018年05月17日 | 登山・旅行

花株が昨年の8株からわずか2株に減ったクマガイソウ

 yamaさんから10年ほど前に1株いただいて、庭に植えたクマガイソウだが、少しずつ順調に増えて来て、1株に2つの花を付ける珍しい双子咲きもあったりで、花株が増えることを楽しみにしていた。
 昨年は、これまでの最高の8株も花を付けたが、今年はなぜか、株は10数株あるが、花を付けたのは2株だけだと寂しい状態である。これまでも肥料を施したことはないが、急に減ったのは何が原因なのだろうか?来年が心配だ。


それに引きかえ、何も構わないボタンの蕾が過去最高の20個もできている。


咲き始めたツツジ


そろそろ満開を迎えるサラサドウダン


終わりかけのオダマキとシバザクラ

 今日は、昨日までの木古内と上ノ国の薮山低山巡りをHPのアップ作業に朝から晩まで掛った。
 http://sakag.web.fc2.com