〈茂辺地漁港付近から日ノ出前の函館方向を眺める〉
家を3時40分に出て、1泊2日の予定で、松前町の藪山低山巡りに出掛けた。今日は、二ッ森、神止山、七面山、大森山の4山を登ることができた。
とは言っても、神止山と七面山は、林道から2~5分ほどで登れ、三角点もない山である。しかし、二ッ森も大森山も、藪山としては登り応えのある山だった。
明日帰宅後、GPSトラックログも含めた少し詳しい記録をアップするので、ここでは簡単に。
⭕二ッ森(277m)
松前温泉入口付近から眺める二ッ森(左上)。双耳峰が山名の由来か?
国道から荒谷川沿いの林道を1kmほど入った終点から、その先に続く廃道の踏み跡を辿る。
東面の川に懸かる橋を渡ったすぐの南尾根に取り付いた。
少し上の人工林までははっきりとした踏み跡があった。
200m付近から笹薮に覆われた頂上を眺める。
220m付近から西に方向を変えるが、頂上手前から背丈を超える笹の激藪に突入。
密度の濃い笹薮に覆われた頂上。三等三角点(点名・荒谷)があるはずだが、しゃがんで探しても、見つからなかった。すぐ西側に西峰が見えた。
木もない激藪でピンクテープもなかったので、証拠写真。
山頂から見えた白神岳と天狗岳。
登り1時間20分、下り40分。
⭕神止山(110m)
松前城の右のピークの下が神止山でその右の送電線の鉄塔が立つのが七面山。
松前町市街地裏の山である。伝知沢ぞいの舗装された大森林道から階段を登る。
階段を登ったら鳥居があり、松前藩及び官軍の明治元・2年戦役の戦死者の墓が並んでいた。祀られていた。
明治2年10月の完成で松前藩兵51柱、役夫3柱、民夫4柱を祀っているが松前城中で七十四才で自刃した田村量吉や、靖国神社に女性で初めて祀られた川内美岐女の墓もあり、20歳以下の青年も11人も祀られている。
また太平洋戦争戦没者の慰霊碑がある。
その上の階段を登ると、「慰霊碑」の塔が立ち、その後ろのピークが頂上だった。
登り5分、下り5分。
⭕七面山(187m)
神止山の下の林道から眺める七面山。
林道から送電線の管理歩道が続いていた。
2分で鉄塔の下に到着。東側に白神岳と天狗岳の連なりが見えた。
本州では七面山というと信仰の山だが、何にもなかった。
ここを頂上と思い、GPSで確かめないで下山した。
ところが、夕方ブログアップするときに、検索したら、「山頂には高さ3m御陰石の立派な鳥居があり、文化十年正月吉日銘がある。また、開闢碑は寛延四年(1751)に藤原正高が建立した」とある。
なんと、GPSトラックログを見たら、山頂を踏んでいなかった。明日の朝出直すことに。
⭕大森山(378m)
この山は、神止山の真北に位置する山で、地図上では神止山の先の南尾根に作業道と思われる点線が続いている。それを辿ってみようと思った。
地図上で測ったら3km強である。藪が濃くなければ3時間で登れるだろうと思った。藪が濃くて、それ以上掛かりそうなら、積雪期に出直つもりで、その尾根に取り付いた。
確かに藪に覆われてはいるが、作業道の痕跡や踏み跡はあった。しかし、藪が濃い所とそうでない所があり、3つほどのピークを越えなくてはならない。帰りも登り返しがきつかった。
半分以上登った300mピークから丸く急な頂上が見える。
最後の頂上への登りは、一部鹿道もあったが、急な笹薮だった。
頂上の高い枝に、積雪期に登ったと思われる高さにピンクテープが結ばれていた。
三等三角点を探しても、諦めかけた時に、目に飛び込んで来た。苦労して登っただけにうれしかった。周りを刈り払って写真に収めた。
登り2時間25分、下り2時間。藪山低山にしてはハードな山だった。
下山後、松前温泉へ行ったら、定休日だった。町へ戻って矢野旅館の温泉へ。その後、海峡の向こうに岩木山も見える道の駅で車中泊態勢に。
夕食は道の駅で。マグロキムチ丼を頼んだら少なかったので、ワカメ塩ラーメンも頼んだ。