五稜郭と四稜郭は、明らかな遺構が残っているが、三稜郭や七稜郭もあったらしい。七稜郭は
峠下台場山のことで、これも遺構がしっかりと残っている。
しかし、「三稜郭」については、資料は少ないものの、とある古文書の絵図には三稜郭らしき陣屋が記載されているという。五稜郭も四稜郭も後に付けられた名称であるのと同じく三稜郭もまた然りである。諸説ある中、この三稜郭は桔梗野台場であるという研究結果もある。
それは、2004年の函館北高等学校郷土研究部の研究で、桔梗の国道5号線沿いの比遅里神社を有力な候補地として発表し、その研究により高文連支部大会で優秀賞をとっている。
箱館戦争当時、旧幕府軍は新政府軍の進攻に備えて、函館及び近隣の村々山々に多くの台場を築いている。桔梗野台場がこの比遅里神社だとすれば、旧国道の出口にあることから、ここに台場がある意味は大きい。また、その少し北寄りの宝皇寺を桔梗野台場とする説もある。
そこで、実際にこの目で見たくて、MTBに跨り、まずは比遅里里神社と寶皇寺へ行ってみた。その後、箱館戦争ゆかりの地巡りで、神山の大円寺~神山権現台場跡(旧東照宮)~四稜郭~北海道東照宮と回った。
◎比遅里(ひじり)神社
比遅里神社。裏側も崖状の地形になっている。
確かに上空から見ると、この神社の敷地は三角形になっている。
三角形に土塁を築いたのではなく、三角形の高台を利用した?
境内に四角い土塁状の地形があり、その中央に土俵がある。
南端の角地。周りより高い地形で、左側は土塁状になっている。
函館山も見えていて、台場の場所としては納得できる。
◎宝皇寺
桔梗野台場とする説もある国道沿いの宝皇寺。土塁のような地形はよく分からなかった。
桔梗開拓百年之碑
◎大円寺
神山の大円寺。五稜郭と四稜郭の中間点にある1722(享保7)年創建の浄土宗の古刹。
旧幕府箱館奉行所の菩提寺でもあり、箱館戦争の両軍兵士の墓や五稜郭築造時の死亡者の供養塔などがある。
門前に設置されている「無縁塚」。五稜郭築造工事の際、けがや病気で死んだ人たちの供養塔。
裏には「棟梁喜三郎一同」と刻まれている。喜三郎とは、備前(岡山県)の石工井上喜三郎。
五稜郭や弁天台場の石垣造りを担当するなど、秀でた技術を持つ石工として知られた。
箱館戦没者(21名)の供養碑とその説明板。この2本の松の間に、土方歳三の遺体埋葬説がある。
箱館戦没者供養碑には、土方歳三の戒名と俗名が彫られている。
箱館奉行役宅墓所。
「官修墓地」~箱館戦争で亡くなった新政府軍3名の墓。名前も藩名も彫られている。
しかし、旧幕府軍戦死者の過去帳はあるが墓はない。明治政府が墓は許可しなかった。
◎権現台場跡(旧函館東照宮跡)
箱館戦争時の1869(明治2)年、旧幕府軍が本拠地の五稜郭と背後の備えに急造した四稜郭との間の、函館東照宮に砲台を設けた場所。当時の大鳥居や土塁が現存する。
この砲台は新政府軍の攻撃を受け、東照宮の社殿も焼失。そんな中でも、五稜郭や弁天台場の石垣造りを手掛けた井上喜三郎作の大鳥居は崩壊することなく、現存している。
東照宮はその後市内を転々とした後、現在は陣川町に所在。この場所は、現在神山稲荷神社になっている。
大鳥居に残る箱館戦争時の弾痕(セメントで埋めて修復されている)。
今も残る土塁の跡
◎四稜郭
1868(明治元)年10月、五稜郭の鎮守である東照宮を守るために急造した洋式の台場。
四稜郭は,蝶が羽を広げたような形の堡塁で,東西約100m南北約70mの範囲に、
幅5.4m高さ約3mの土塁が巡り,その周囲には幅2.7m深さ0.9mの空濠が掘られている。
郭内(面積約2,300平方メートル)の四隅には砲座が配置されてるが、建物は造られなかった。
虎口(郭内入口)
三角点もある四稜郭内部
土塁
◎北海道東照宮
ここは、箱館戦争ゆかりの地ではない。しかし、1864(元治元)年、五稜郭完成後、東北の鬼門に当たる現在の神山3丁目(権現台場)に蝦夷地の鎮護として建立された東照宮が元祖である。
箱館戦争の兵火で焼失、御神体を辛うじて残し、その後は市内を転々とした。1992年、元の鎮座地に近い現在の場所に移転。同時に社名を北海道東照宮に改称。境内に置かれている手水鉢には、箱館戦争時の弾痕が残っている。
陣川団地に立つ「北海道東照宮参道入口」の門
手水石~裏側には「明治十九年、十一月五日神山村より運搬したと刻まれている。
明治19年は、青柳町の天祐寺から蓬莱町に移転した年である。
横には「元治二年四月十七日奉納 箱館奉行 小山大和寺 藤原実」と彫られている。
正面には箱館戦争時の弾痕が残る。
純忠碧血神社~函館山の麓にある碧血碑を建てた柳川熊吉は、当初東照宮を東軍将兵慰霊所として考えていた。だが時節柄それも叶わず月日な流れた。平成19年東照宮陣川鎮座15周年記念事業として、「ここに純忠碧血神社を奉斎し、義を掲げ戦い利あらずして賊の汚名を受けざるを得なかった東軍将兵達の無念を悼しで、その魂魄をこの社に奉安し護国の神として将兵の御霊を慰めんとす」とある。
御祭神として土方歳三など戊辰戦争時の東軍(旧幕府軍)のメンバーが列挙されている。