癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

初参加~函館ライフスポーツのパークゴルフ大会

2015年08月31日 | 日常生活・つぶやき

開会式の様子

 4日前の退職組織の年1回のパークゴルフ大会に引き続き、すぐだったので、毎年2回ずつ開催している函館ライフスポーツのパークゴルフ大会に初めて参加してみた。今回で20回を数えるそうだ。みなさんと顔を合わせるのは、春の汐首山登山会以来だ。

 会場は、北斗市茂辺地森林パークゴルフ場。さけっこコースと熊っ子コースの2コースを2回ずつ回るが、トリッキーなコースやアップダウンの大きなコースや斜めになったグリーンなどが多く、難しかったが、下手なりにとても面白かった。

 男女ちょうど17名ずつの34名の参加だった。上手な方ばかりだろうと思ってはいたが、さすが、男性では断トツのビリだった。それでも、スコアは38、35、36、38、合計147と4日前より12もアップしていた。先日の経験が生きていたということだろう。一番は、第1打がまっすぐ転がるようになったことか?これで、続けてやればもっともっと上手くなるのだろうが、来年になれば元の木阿弥・・・。

 男性の部の優勝者のスコアは100ちょうどで、いろいろ大会で好成績を収めているWaさんだった。女性の部の優勝者はその奥さまで108だった。2人ともハンディ10をもろともせずの優勝である。ご夫妻で多くの賞品をゲットしていた。


すぐそばを高速道路の高架が通過している。森林PGの名の通り、木陰の多い気持ちの良いコースだ。


ゴルフの名人Koさんもパークゴルフは思うようにいかないようだ。


たまたま打とうとしたら、栗の木からイガが落ちてきた・・・こんな写真を撮ってもらった。


 表彰式の様子。ビリまできちんと賞品が用意されていた。初参加の自分には特別賞までいただいた

連れジョグ「今年の函館ツーデーウォーク30kmコース」

2015年08月30日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

今日走ったGPSトラックログ。丸数字は下記の写真の地点

 悪天候が続き、しばらく山にも登れてないので、休日の妻を誘って少し長い距離を走ってみようと思った。
 どこか良いコースはないかと考えていたら、先週末の8/22~23に開催された「第19回函館ツーデーウォーク」の30kmコースがあることに気がついた。早速検索したら、参加した人のブログに詳しい地図が載っていた。それを印刷して、そのコースをゆっくり走ってみることにした。

 ただし、ツーデーウォークの発着地点は摩周丸広場である。ゴールしてすぐに温泉に入りたいので、コース上にある温泉を探したら、石川新道の「花の湯」があった。そこを発着地点にすることにした。 

 涼しい午前中に走りたかったが、午前中は、「世界陸上」の女子マラソンがあった。それを観て、その後、北海道マラソンのゴール場面を観てしまった。早めの昼食を食べて、花の湯の駐車場へ向かった。結局、暑いときの走りになってしまったが、朝から晩まで「マラソン三昧」の1日となった。

 疲れないうちに、登りの多い山の方の四季の杜や陣川の方を走ってしまいたかったので、ツーデーウォークとは反対回りに走ることにした。

 12:25にスタート、7分30秒~8分/kmペースの超亀ジョグで走り続けた。さすが、笹流れダムから陣川へ登る急坂は走ることはできなかった。天気予報が良い方に外れて、気温も高く、陽光も強く、汗が異常に流れた。13km付近のエアコンの効いたハセガワストア鍛冶店で、アイスを食べて15分ほど休憩。市街地では信号待ちがうれしかった。20km地点の摩周丸広場でも10分ほど休憩。

 残り6km付近からは、走り続けることができなくなり、歩いたり走ったりを繰り返した。
 17:20、予定の5時間に5分お釣りの来る4時間55分でゴール。花の湯で、ゆっくり汗を流し、疲れを癒した。帰宅後近くのラーメン店で夕食を摂った。


①発着地点にした花の湯

 
②四季の杜へ向かう途中のくるみ学園   ③四季の杜の小川の里駐車場から遊歩道を走る

 
④下赤川のバス停に出て赤川通りを南進    ⑤笹流れダムの湖面を覗く

 
⑥高野寺神山教会(10km地点)  ⑦四稜郭入口

 
⑧鍛神小学校前を通り五稜郭公園を目指す ⑨ハセガワストア鍛冶店でアイスを食べて15分ほど休憩

 
⑩五稜郭公園の裏門から表門へ抜ける   ⑪高砂通りの中の橋を渡る

 
⑫摩周丸広場で10分ほど休憩(20km地点)   ⑬おなじみの巴大橋の上を走る

 
⑭亀田八幡宮の前を通る    ⑮五稜中学校の前を通り赤川通りへ抜ける

 
⑯赤川通りと産業道路の交差点から産業道路を西進  ⑰蔦屋書店の前の石川新道を走る。ゴールは近い


 一人なら、マラニックモードの走ったり歩いたりを繰り返すところだったが、今日は妻と一緒だったので、ゆっくりながらもトータルで25kmくらいは走ったと思う。その証拠に、8/20の同じ30kmの北海道自然歩道の「北斗市の2コース」より時間も速かったし、疲れも大きい。

 ようやく、このブログをアップできたので、これからビールを飲んで寝ることにする。暑いときのジョギングは苦手な妻は、案の定頭痛を起こしてとっくにバタンキュー・・・。

北京世界陸上

2015年08月29日 | 日常生活・つぶやき

 連日の悪天候で、山旅にも出られず、日中は本を読んだり、パソコンをいじったり、山の連載記事の原稿書きしたりして過ごすことが多い。今日も、次回の「羅臼岳」の原稿を書き上げた。

 そんな中、夜は、8月22日から始まった「第14回世界陸上北京大会」を毎日TVで楽しんでいる。
 
 正式名称は、「世界陸上競技選手権大会」というらしい。すなわち、「走る、跳ぶ、投げる」の世界最高峰の陸上競技大会である。今や参加する国と地域ではオリンピックを超えるいう。しかも、参加標準記録を突破した選手にしか参加資格が与えられない。まさに、選ばれたアスリートによる世界規模の大会である。
 
 1980年のモスクワオリンピックの西側諸国のボイコットを機に新設され、1983年にヘルシンキで第1回大会を開催しされている。当初は4年ごとに開催されていたが、1991年の東京大会以降は2年ごとに開催され、今年で第14回を数えている。

 今回の「北京世界陸上」を見ていても、黒人選手の活躍が非常に目立つ。長い歴史の中で差別や迫害を受けてきた黒人の最近のスポーツ界での活躍を見ているととてもうれしい気がする。特に、走種目と幅跳び、三段跳びは黒人系選手が多く、高跳び、棒高跳び、投擲系は黒人系選手は少ないような気がする。

 それぞれの競技によって、体型は違うが、特に、走と跳種目の選手の鍛え抜かれた肉体の美しさにほれぼれしながら見ている。さらに楽しみなのは、美しい女性選手が多いことである。

 一番注目されている人類史上最速スプリンター、ジャマイカのウサイン・ボルトの期待通りの活躍にも目を見張るものがある。これまでも、オリンピックの100m、200m、4×100mリレーの3冠を2大会連続で達成し、通算6個の金メダルを獲得。世界陸上においても、100m、200m、4×100mリレーの3冠を2度達成し、今年の大会でも、すでに、100m、200mを連覇し、史上最多となる通算10個の金メダルを獲得している。あとは今晩の4×100mリレーで3冠3連覇が楽しみである。

 日本人も頑張ってはいるが、せいぜい準決勝止まりなのが残念である。そのなかで、地味な種目ではあるが、今日、ようやく競歩男子50kmで、谷井選手が日本初の銅メダルを獲得したことは快挙である。

4×100mリレーは、女子も男子もジャマイカが制した。



ウサイン・ボルトが3大会連続3冠を達成し、世界陸上11個目の金メダルを獲得した最後の走り

◎ジャマイカがスプリント王国になったわけ
 
 わずか280万人の人口のジャマイカが、これほどまでのスプリント王国になったのか、興味があって調べてみたら。次にのような記事が見つかった。

 彼らのルーツはアフリカにある。16世紀にスペイン領となったジャマイカは足りない労働力を西アフリカから移民させることでまかなった。現在の国民の大多数がこの末裔(まつえい)とされている。

 ケニアやエチオピアなど長距離種目に好選手を多く輩出する東アフリカは、標高が高く冷涼な気候だが、対照的に西アフリカは低所でしかも過酷な暑さが特徴だ。そのため、この地域の住民は長い時間の経過の中で、発汗を促すために体の表面積を広げ、屈強な筋肉質の体へと変化していった。そのことがスプリントへの適性を高めることになったのである。彼らが爆発的な出力を発揮する筋肉を持っていることは、近年、遺伝子レベルの研究でも明らかにされている。
 
 そして、そのジャマイカ人の才能を伸ばしたのが、アメリカの大学やクラブだった。例えば、ニューヨークからジャマイカの首都キングストンまでは飛行機で4時間弱。特にアメリカからはパスポートがなくても運転免許証さえあれば入国できるという気軽さから、多くのスカウトがジャマイカを訪れ、才能ある選手をスカウトしていった。そして現在は、アメリカで学んだ選手が自国に戻りクラブを設立。国内での育成が可能になったのである。(以下略)

特別展「鴨居玲展」

2015年08月28日 | イベント鑑賞・参加

 現在、道立函館美術館で開催されている特別展「鴨居玲展」を鑑賞してきた。
 美術にそれほど関心がないせいか、恥ずかしながら初めて知る画家だった。招待券が手に入ったので、観に行ってきたという次第。

 1928年に金沢で生まれ、日本のみならず、南米やパリ、スペインなどを渡り歩いては絵を描き続けた洋画家。没後30年を記念して、全国で巡回展をしているようだ。

 美術館の説明によると、「鴨居玲(1928-85)が描いたのは、酔っ払いの男、しわに埋もれた老婆など、醜怪ともいえる人間像でした。それらの姿は、いのちとは何か、見る者に問いかけてきます。没後30年をむかえ、初期自画像から、スペイン時代、最晩年の神戸時代の作品まで、鴨居玲の生きた各時代の代表作を中心に、油彩、水彩、素描およそ100点を一堂に展示し、稀有な鴨居芸術の全体像を浮彫にします。」とのこと。
 
 第1章:初期から安井章受章まで、第2章:スペイン・パリ時代、 第3章:神戸時代、 第4章:デッサンの4部構成で展示されていた。


パンフレットの裏側からコピー

 絵のことはよくわからないが、暗い感じで、孤独感に苛まされるような何か異様な迫力に圧倒されながらの鑑賞だった。 


北海道立函館美術館

年1のパークゴルフ&妻の手造り餃子

2015年08月27日 | 日常生活・つぶやき

 今年も役職の関係で、退職組織の年1回のパークゴルフ大会に参加。これで8年目である。
 昨日の天気予報から、「今日は中止だろう」とゆっくり寝ていたら、電話が入り、「何とかできそうです」とのこと。外を見たら、確かに雨は降っていなかった。

 昨年は、志海苔PGで実施したが、狭い上にコースが難しくて悪評だった。そこで、今年は、一昨年までと同じすずらんの丘PGで開催した。混んではいるが、広々として、函館山や横津連峰が見渡せる最高のロケーションで、非常に快適なPGである。

 始めたころは霧雨が降っていたが、徐々に強くなり、2コース目に入るときにはカッパを着た。あまりひどくなるようだったら、途中中止の心配もした。しかし、3コース目に入るころには雨も上がり、暖かくなって、安心してゲームを続けることができた。


 例年、年1なので、上手くなるわけはないのだが、今年は特に調子が悪かったようだ。もう少し丁寧に打てば良いのだろうが、ついついお付き合い気分で、ラフにプレイをしてしまいがちなのがいけないようだ。コースごとに39、40、39、41と低レベルながらも平均的なスコアを重ね、合計159だった。ブービー賞を狙ったが、後ろから4位だった。トップの人は112だった。1ホールに1打ずつもの差があるということだ。

 それでも、わいわいと楽しい午前中を過ごすことができた。これまでは年1だったが、たまたま、函館ライフスポーツのパークゴルフ大会が、4日後の8/31にあるので、それにも参加してみようと思っている。

◎妻の手造り餃子


 餃子は、自分の大好物のひとつである。しかも妻の造るニンニクが効いた餃子が大好きだ。
 いつも40個を造り、中華鍋で1回に20個ずつ焼く。固まって見えるが、食べるときに、一つ一つがきれいに剥がれてくるのがうれしい。最後にかけるゴマ油がコツのようだ。

 今日も、40個を造ったが、自分が25個も食べた。「1時間で包み、15分で食べてしまった」とくどかれたが、美味しいものは仕方がない。

北海道自然歩道「駒ヶ岳山麓をたどる道」&23年ぶりの砂原岳

2015年08月25日 | 登山・旅行

北海道自然歩道・「A1維新の道」「④駒ヶ岳山麓を辿る道」のルート図

 久しぶりの好天を逃すわけにはいかない。今日は、欲張って、北海道自然歩道の「駒ヶ岳山麓を辿る道」<大沼公園駅~駒ヶ岳駅>(13.9km)を歩いた後、車で移動して、23年ぶりの砂原岳に登った。

◎北海道自然歩道の「A1維新の道」「④駒ヶ岳山麓をたどる道

 この北海道自然歩道の「A1維新の道」のテーマは、「幕末・明治の歴史文化、噴火湾」で、函館市若松町から長万部町までの159kmの道である。今日は、その中で整備されていて昨年歩いた「②赤松並木を歩く道」(10.8km)に引き続き、「④駒ヶ岳山麓を辿る道」をマラニックモードで歩いた。

 
 JR大沼公園駅前に車を置いて、9:08の列車に乗り、駒ヶ岳駅で下車。9:30にスタートし、大沼公園駅を目指した。


駒ヶ岳駅前に設置されている「駒ヶ岳山麓をたどる道」の説明板


駒ヶ岳駅から旧国道の「町道1412号線・駒ヶ岳赤井川線」へ抜ける道から望む駒ヶ岳と自撮り


宿野辺神社


政田農園の駒ヶ岳をバックにしたガーデン

 
いつも利用する駒ヶ峯温泉・ちゃぷりん館<左> 「大沼レイクゴルフ場」のセンターハウス


駒ヶ岳登山道へ続く道から右折し大沼公園方向へ


GLAYのファン?の農家の駒ヶ岳をバックにしたガーデン


ゴール手前のヒツジグサの咲く大沼湖畔から駒ヶ岳を望む


11:25、大沼公園駅に到着。駅前に「駒ヶ岳山麓をたどる道」の起点標識が設置されていた。

 このコースは、良く車で通る道で、それほど新しい発見はなかったが、駒ヶ岳をバックにした2軒の農家のガーデンが新鮮だった。2/3ほどはゆっくり走ったので、ちょうど2時間でゴールできた。

◎自己責任で、23年ぶりの砂原岳偵察登山

登山口へ向かう途中の畑から望む砂原岳
右横に剣ヶ峰がちょこんと頭を見せている。右端の緑の山が西円山。

 この砂原岳(1112m)も、平成10年から入山規制の対象となったままだ。しかし、頂上は、現在解除されている馬ノ背とは火口からの距離がほぼ同じである。駒ヶ岳の過去の「前触れもなく突然噴火する」という特徴は理解できる。しかし、ほかの火山では登山を認めている噴火警戒レベル1のままで経緯しているのだから、せめてこの砂原岳だけでも緩和してほしい。解除されているのを待っていたら、もう死ぬまで登ることができない気がしてきた。

 しかし、この砂原岳は、規制後も多くの登山者が登っていて、ネット上にも多くの記録が見られる。毎年、函館山岳連盟冬山研修会も行われている。
 いろいろな情報(森町・気象庁・森林管理署)を総合すると、駒ヶ岳の入山規制は、「任意の規制である」「法令に基づく規制ではなく、規制区域内に足を踏み入れても罰則等の適用はない」「災害リスク軽減のための措置」「いかなる場合でも自己責任で」と記されている。そこで、ほかの方にはお勧めできないが、23年ぶりに偵察を兼ねて自己責任で登ることにした。

 なお、この砂原岳登山は、全くの自己責任での記録です。お勧めはできませんし、如何なることがあっても責任は負えません。しかし、非難は甘んじてお受けいたします。偵察登山の一番の理由は、元気なうちにもう一度登っておきたかったことと、せめて砂原岳だけでも緩和して欲しいという願いからです。


登山口となる「望洋の森」入口の様子。「ここからの登山は自粛してください」の立て看板あり。
昨年まではあった「入山禁止」「入山規制」の看板はなくなり、柔和な表現になっていた。
平日にもかかわらず、先行者の車が2台停まっていた。


規制対象外の西円山(544m)までは立派な遊歩道が整備されていた。その山頂から砂原岳を望む。
西円山分岐から標高差100mほどの5合目までは、足元はしっかりしているが藪が被っていた。


標高点787の休憩所から砂原岳と剣ヶ峰をバックに


岩場の取り付き部分のロープ場を下ってくる先行者


剣ヶ峰と対峙するピークから砂原岳とその稜線を望む。
右側には鹿部から眺めるゴリラさんの反対側の顔も見える。


砂原岳山頂の一等三角点と剣ヶ峰と対峙するピークを望む。


23年ぶりの山頂から駒ヶ岳の火口原を見下ろす

12:20スタート、登り2時間15分、下り1時間40分、16:25ゴール。

詳しいフットパスと砂原岳登山の記録は、下記でどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)

座談会

2015年08月24日 | 日常生活・つぶやき

座談会パネラーと司会者

 午前中、某ホテルの1室で、退職組織の20周年記念誌に掲載する座談会を実施した。
 パネラーは、この10年間の支部長を務めた顧問3名と現支部長の私と理事長の5名だが、司会・進行の副支部長、さらに、録音・撮影に携わり、今後のテープ起こしをする記念誌部会座談会担当理事と事務局が6名で、参加者は合計12名だった。

 この組織は、50前に創立した函館渡島檜山支部が前身である。30周年を機に3支部が分離独立し、今年で20周年を迎える。来年の5月に記念式典と祝賀会が予定されている。

◎座談会の大まかな内容は、下記だった。
1、草創期(分離独立から10周年まで)の経過と活動について
 ①全道第1号支部結成と函館渡島檜山の地域的な連帯感の強さ
 ②分離独立の経緯とその後の活動
2、10周年以降今年までの活動について
 ①継続してきたことと変革してきたこと(その苦労と成果)
 ②新しく取り組んだこととその経過と成果
 ③研修会・講演会の取り組みとその変革
 ④教育支援事業について(函館豆記者交換会の引率、人材バンクの活用等)
3、会員相互の絆を深める事業の新しい取り組みについて
 ①花見、パークゴルフを始めたきっかけ
 ②楽しく和やかな理事会の持ち方や意思の疎通
4、今後の期待と展望
 ①会員減少傾向とその背景(新会員の減少と退会者の微増)
 ②会員の高齢化への活動の工夫と、増加する名誉会員(88歳から会費無料)へ財政的な対応
 ③会員の減少の歯止め対策の工夫と働きかけ
 ④会としての活動の拡大・発展と他への働きかけの工夫

 いろいろオフレコも含めて、面白いエピソードがたくさん出されて、裏方の仕事に携わっている理事にとっては、とても新鮮な話題と内容だったようだ。
 

裏方の記念誌部会座談会担当部員

 これからの原稿起こしと校正・編集が大変な仕事になるはずだ。「記念誌に掲載する内容とは別にオフレコ特集も発行したいくらいだ」と冗談で話されていた。

「アイアンマンジャパン北海道」応援

2015年08月23日 | イベント鑑賞・参加

函館トライアスロンクラブとクロカンキッヅの事務局長MAEさんのゴールシーン

 洞爺湖とニセコ周辺を会場に開催されるトライアスロンの大会「アイアンマンジャパン北海道」の応援に出掛けた。これで3年連続である。クロカンスキー仲間の函館トライアスロンクラブのメンバーが参加するからだ。

 スイム3.8km ・ バイク 180.2km ・ ラン 42.2km の総距離約 226.2kmの過酷なレースに挑戦する鉄人たちの頑張る姿に感動しながら、大いなる勇気と元気をもらえる。今年は1,650人のエントリーで、外国人が非常に増えたそうだ。それにしても参加費82,000円のほかに、前後泊の宿泊料も払って、自分の限界に挑戦するというとんでもないマゾの世界だ…(失礼!)

 ちなみに、朝スイムを6:00にスタートして、ほとんどの選手は夜になってからのゴールとなる。ゴール門限は23:00だそうだ。ゴールできた一番遅い選手は17時間も走り続けることになるのだから凄い体力と気力だ。

 競技は朝6:00にスイムが始まっているが、朝8:00に家を出て、仲間と連絡を取り、11:30ごろから、バイク、ラン、ゴール付近と3ヶ所移動して応援し、まだ多くの選手が暗い中を走っている20時には失礼し、23時近くに帰宅した。

 今年のコースは昨年までと大幅に変わって、バイクのコースが、ニセコアンヌプリとイワオヌプリの間(標高780m)を抜ける過酷な山岳レースになり、標高差で昨年より350mも増えたそうだ。ランも昨年までは洞爺湖畔だけだったが、アップダウンの激しいコースに変わった。総じて、昨年より1時間ほどタイムが遅くなったようだ。


 仲間と一緒にバイクの応援をした、花園スキー場下の道路と道々58号線の合流地点(標高330m)付近へ登ってくる選手たち


 ここは登りなので、スピードが遅く、選手の顔がよく見えて応援の声もかけやすいし、選手もそれに応えてくれる


 まさにここからが本番で、さらに450mほどのアンヌプリとイワオヌプリの間の道路を登る


バイクからランに替わるトランジット2の豊浦町旧大和小学校近くで、ランの応援
まだバイクから替わったばかりなので、みなさん元気だ


今年の春に一緒に大千軒岳に登ったFuさんとハイタッチ


函トラとXC-KID'Sの事務局長のMAEさんがやってきた


手造りの応援グッズを持って駆け付けた仲間

 
函トラのシンちゃんと(左)、いつもお世話になっている五稜郭整骨院Sa院長(右)

 
洞爺湖畔の折り返し地点のFuさん(左)とMAEさん(右)


函トラの中で、もっと早くゴールしたFuさん。タイム11時間44分08秒。総合順位140位。「お疲れ様!」


 ずっと立っての応援で、こちらまで疲れてしまった。帰りの夜の運転が珍しく疲れて、帰宅してすぐにバタンキュー。このブログは翌朝アップした。

講演会「土方歳三 蝦夷地の199日」&面影探しジョグ

2015年08月22日 | イベント鑑賞・参加

 予定では、午前中に3人で尾札部川を遡行し、午後からこの講演会に参加する予定だった。結局朝からの雨で沢登りは中止。午前中は「世界陸上」を見て過ごした。

 大野文化財保護研究会主催の文化講演会「土方歳三 蝦夷地の199日」が北斗市公民館で開催された。講師は、最近出版された『土方歳三最後の戦い』の著者で、元札幌市教育文化館館長・好川之範氏だった。

 氏の著書は、ほかに、『幕末のジャンヌダルク新島八重』「箱館戦争全史』『坂本龍馬志は北にあり』など多くある。1冊も読んでいないが、いずれは読んでみたい著書ばかりだ。


 予約なしで無料だったが、100名ほど参加していた。顔見知りも多かった。ただ、地元の土方歳三研究の第一人者で友人のも~さん(毛利剛さん)は、大曲の花火大会への自転車旅に出かけていて参加していなかった。彼との対談などがあったら面白かったのに・・・。


配布された資料

 副題の「~有川会談・市渡の夜・台場山1銃千発~」は、彼に言わせると「北斗市域の土方歳三3大史跡」だそうだ。この3点や箱館戦争のことの、も~さんの自費出版の著書が非常に詳しく、だいたいは知っている内容だった。

 講師は、「北海道新幹線が開通したら、土方ファンがどっと押し寄せるだろう」と強調されていた。

★レジメと印象的なことだけを列記しておきたい。

1、なぜ北へ(土方歳三が旧幕府軍の医師に語った本心とは)
  ・仙台城下で語った秘話として残っているという「(前略)私のような無能者は、快戦し、蝦夷地へ行き、殉国の道をゆく」・・・良く、土方は死に場所を求めて蝦夷地へやってきたと言われるが、このことからもそのことが伺える。
2、箱館戦争の日々(明治元年10月11日(旧暦)鷲ノ木上陸。函館市若松町戦死までの199日)
3、土方最後の出陣(明治2年5月11日(新暦6月26日)、腹部に被弾し戦死)
4、米田幸治の伝承(首のない男の陣羽織の裏を返すと「土方」と書いてあった。
  ・この米田幸治が土方を撃ったと一族に語り継がれているという。
5、小樽の永倉新八(大正2年、新八宅を「近藤勇の娘」と名乗る女性が訪れる)
6、幕末2大ミステリー(土方歳三の埋葬地はどこか? 坂本龍馬暗殺者は誰か?)
7、永遠の美男(土方の写真はいつ、どこで、誰が撮ったか)
 ・彼の人気の秘密は、生き方にあるのはもちろんだが、稀にみる美男子だったことにもあるようだ。有名な楕円で囲まれた写真は、修正されたものとのこと。レジメの表紙の写真がもとの写真らしい。確かに目元辺りが違う感じがする。撮影は、箱館の写真家田本研造と言われている。
8、偽りの箱館終戦美談(黒田清隆の嘘と功名心)
9.北からの検証(薩長中央政府に先駆けた「北の政権」の近代性)
10、蝦夷地の土方武士道(よしや身は蝦夷とふ島辺に朽ちぬとも魂は東の君や守らむ<辞世の句>)


◎昔の面影探しジョグ



 講演会の後、せせらぎ温泉(300円)の駐車場に車を置き、大野川を挟んだ道や、小学校4年生~高校1年まで住んだところや遊んだところの面影を探しながら、1時間ほどゆっくりジョギングした。
 せせらぎ温泉があるところは、昔は原っぱで、良く遊んだ場所だ。またその近くで良く泳いだりして遊んだ大野川は、堤防がや新しい橋ができて、すっかり様変わりがしていて、昔の面影は全くなかった。

 

 唯一面影のある大野小学校グランドのケヤキの大木(60年前はこんな大木ではなかった。60年という年月の長さを思い知らされた)<左>
 よく遊んだ広照寺の境内。子どものころは無知だったが、北海道では珍しい役の行者(奈良時代の山岳修行者。修験道の祖)の大きな石像が右に立っている。<右>

 

 今は亡くなった同級生のいた松原宅(左)を初め、北側の道路沿いには、昔の家も少し残っていて、昔の面影が残っている<左>
 この新しいお宅の場所に自分が6年間住んだ「長屋」と呼ばれる教員住宅があった。その右側の奥までの細い道に、住宅の前の通りだった面影が残っていた。右の家も昔はなかった。<右>

 ジョギング後、温泉で汗を流し、着換えて帰宅した。

お得感満点の自動洗車プリペードカード

2015年08月21日 | 日常生活・つぶやき

 我が家の近くのJR五稜郭駅そばのオカモトセルフGSが安いので、ガソリンを入れたり、自動洗車をすることが多い。

 特に、林道を走ることや塩化カリウムの撒かれた長距離の冬道を走ることが多いので、月に何度も洗車をしている。たまに下洗いもする。これまでは3000円で5000円分利用できる洗車プリペードカードを購入することが多かった。

 たまたま、ちょっと余裕があったので、5000円で1万円分使えるカードを購入してみた。月2回は利用しても、1年分と思えば安いものだ。ところが、それに付いてきた特典が凄い。まずは、ガソリンが、9/30までだが、何度でも1㍑7円引き。もっと早く買っておけば良かった。さらに、1回だけだが、一番高い超撥水洗車1400円が無料で利用できる。しかも、洗車は、全道の同系列GSはどこでも利用できるのがうれしい。

 今日、たまたまガソリンを入れたら、ただでさえ安い120.8円/㍑が113.8円/㍑だった。ざっと350円ほど助かった。これが9月末までなら、まだ何度か利用しそうなので、凄く助かる。いろいろなサービスがあるものだ・・・。

「テーラードコーヒー」

2015年08月21日 | 食べ物

妻はコーヒーが大好きである。いつも、安くて美味しい豆を仕入れてくる。
これまでは昭和タウンの宮の森珈琲店がメインだ。
その豆を42年前の結婚祝いにもらった手回しのミルで挽くのが自分の朝一の仕事である。
しかし、自分はコーヒーの美味しさがよく解らないのが本音である。

昨夜、串揚げ屋の帰りに、行啓通りの交差点付近の「テーラードコーヒー」に寄ってみた。
それは、ここ数日、新聞で連載されている「はこだて珈琲めぐり」で目にしたからだ。

テークアウト専門のコーヒースタンドだが、生の豆を店で焙煎して売っている。
世界で高い評価を受けた「スペシャルコーヒー」と呼ばれるものばかりだが、特に高い感じはしなかった。
「テーラード」という名前は「仕立て屋のように客と対面して、ものを作りたい」という願いからだそうだ。


この写真も新聞のコピーだが、店へ入った途端に焙煎しているコーヒーの香りにほれぼれする。


8/23までだが、1000円以上買うとテークアウトコーヒーが1杯サービスされる。これもとても美味しかった。


最近2人ともブラックに凝っているので、好みを話して豆を選んでもらって、100gずつ2種類購入。
ブラジル パッセイオとエチオピア イルガチェフG1の2種類だった。


 今朝、ブラジルの方を早速飲んでみた。謳い文句の「ブラジルらしい香ばしさ、カシューナッツのような甘味を伴った香ばしさ、ライムのような爽やかさも」を味わえるだけの感覚は持ってはいないが、飲みやすさはまずまずだった。

「新橋 串揚本舗 千舌」

2015年08月20日 | 食べ物

 糖尿病なのに昔から揚げ物が好きで困ったものだ。大阪に行くときには、必ず串揚げを食べることを楽しみにしている。最近、丸井デパートのすぐ裏に、リーズナブルな串揚げ専門店「新橋 串揚本舗 千舌」ができたことを知った。
 ちなみに、「千舌(せんべろ)」は、1000円でベロベロになるほど安い店という意味らしい。

 昨日、ロングトレイルで大量にエネルギー消費をしたので、共に食道楽な妻を誘って夕食に出掛けた。

 

 とてもリーズナブルなメニュー。生ビールが300円というのもうれしい。


最初に頼んだAセット。500円で生ビーールと串揚げが3本。お通しは生ラーメンの揚げもので、これも美味しかった。




 2杯目はBセットも頼んだ。これだけで1000円だが、ベロベロにはならなかった。
 AセットとBセットのほかに、妻と二人で食べた串揚げ2皿で大満足だった。

 今回は注文しなかったが、10本セットで1000円の串揚げアラカルトがあった。一人なら、これを一皿頼んで、300円のビール3杯飲んでも、2000円で済むことになる。
 しかし、今度は、妻に家で夕食に注文することにした。もっと安く済むことになる。

こんな割引券ももらった

 明日は、このエネルギーをすぐに消費するために、また走ろうと思う・・・。

ロングトレイル35㎞「北海道水田発祥地帯を行く道」「大野平野を抜けて行く道」

2015年08月19日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

本日歩いたり走ったりした約35kmのGPSトラックログ

 天候が不安定で、山からしばらく遠ざかっている。そこで、歩いたり走ったりのマラニック(マラソン+ピクニック)モードで長い距離を歩きたくなった。

 昨年歩いた「北海道自然歩道」の長万部~函館間を繋ぐ「A1維新の道」の「赤松並木を歩く道」(11.9km)に引き続き、整備が進んでいる渡島大野駅~松前を繋ぐ「C1松前街道」の「②水田発祥地帯を行く道(15.6km)」(清川口駅~北斗市総合分庁舎)と「①大野平野を行く道(14.5km)」(北斗市総合分庁舎~渡島大野駅)を歩いてみた。
 
 「北海道自然歩道」に記されている2つのコースの距離はこれよりかなり短い。ここに記載している距離は、設置されている標識の説明板に記載されている距離である。しかし、GPSウウォッチでは、ちょと余計に歩いてはいるが、トータルで4kmほど長い35kmもあった。歩数計で約42,000歩。半分ほどはゆっくりながらも走ったこともあり、所要時間は5時間45分だった。ちなみに、説明板の所要時間は10時間だった。

 ほとんどは車で通ったことのある道だったが、分岐には、必ず距離と方向を示す標識が設置されていて、迷うことはほとんどない。さらに、歩きならではの発見もあり、いろいろな歴史的な説明板もゆっくり読みながら歩くことができた。

◎まずは、「北海道水田発祥地帯を行く道」
(清川口駅~戸切地陣屋跡~水田発祥の地碑~文月開拓~北斗市総合分庁舎(旧大野役場)(15.6km)

 
 五稜郭駅7:46発のJRに乗り、8:04清川口駅到着。
 

 上磯高校の生徒と一緒に下車。踏切を渡ったところに、スタート地点の標識があった。
 そこには、このコースの特色と今日1日で歩くつもりのコース図も記載されていた。
 7:10、通学途中の高校生にお願いしてシャッターを押してもらって、スタート。

 桜並木の続く「峠下上磯線」をゆっくり走りながら進む。途中の「上磯ハリスト教会」は初めて目にした。高速道路と北海道新幹線の高架の下を潜り、「沖川小学校」の前を通って進む。

 

 その先の「松前藩戸切地陣屋跡」への分岐から、陣屋跡への桜並木の道を進む。


「松前藩戸切地陣屋跡」入口。さらに、中へ入って写真を撮った。

 再び戻って、沖川小学校の裏側の道を進む。この部分は、始めて通る狭い道なので、間違って戻ったりした。
 まもなく、水田の中に続く、たまに車で通ることのある広い道路に出た。「北海道水田発祥の地」へ続く道だ。

 

 水田地帯にはどこの町でも目にする大きなライスセンターがここにもあった。その先をゆっくり走って進む。


このコースのメイン経由地の「北海道水田発祥の地」碑の前で


 「峠下上磯線」を横切り、小学生のころ良く遊びに来た旧大野小学校文月分校跡地や文月神社に寄る。
 そこから、昔の面影のなくなった文月開拓へと登って行く。このコース最高地点となる標高120m付近の八郎沼分岐を右に進路を取る。途中の懐かしい観音山入口や大野農業高校の前を通る。
 11:00、第1次終点の北斗市総合分庁舎(旧大野町役場)に到着。


「北海道水田発祥地帯を行く道」と「大野平野を抜ける道を行く」の発着地点となる北斗市総合分庁舎(旧大野町役場)


二つのコースの詳しい説明板


◎次に、「大野平野を行く道」
(北斗市総合分庁舎~八郎沼~匠の森~渡島大野駅)(14.5km)


 11:10、10分ほど休んでスタート。小学生3年生以降、小学校と中学校に通った道だ。


 子どもの頃、8月末に開催される夏祭りが楽しみだった「意冨比神社(おうひじんじゃ)」。
 5分ほどで大野小学校の校門の前を通る。


 4歳~9歳まで住んでいた2軒隣の大郷寺のイチョウの大木。銀杏の実を毎年拾ったものだ。
 さらに5分ほどで鹿島神社。子どものころは大野小学校と市渡小学校の校区の境界だった。

 さらに10分ほど進み、大野川の方へ方向転換。鹿島橋を渡り、大野農業高校の裏側の道から観音山の北側を登り、八郎沼へ。

赤、ピンク、白のヒツジグサの咲く八郎沼公園に到着


ちょうどお昼になったので、谷観光農園のレストランで、夏野菜カレー(850円)を食べた。


 さらにパークゴルフ場や変電所の横の道を通り、大野川に架かる「大野大橋」を渡って、木地挽高原への道へ進む。


 標高240mにある「匠の森」入口まはでは、ずっと登りでなので、走ることはできない。
 しかし、「匠の森」の入口からゴールの渡島大野駅までは、ほとんど下りと平地の5.1kmである。走ると14:20の列車に間に合いそうなので、ほとんど走り続けた。


 「匠の森研修所」の前を抜けたら、ゴールまで3.8kmの標識。余裕で間に合いそうだが、下り道を快調に走り続けた。


 国道227号線との交差点に入口のある市渡稲荷神社の鳥居から渡島大野駅を目指す。


 渡島大野駅への連絡通路が中に含まれてしまっている新函館北斗駅に到着。


 13:55、列車の時刻まで25分を残して余裕のゴール。渡島大野駅連絡通路入口にて。
 隣に新函館北斗駅の表示板も設置されていた。


 快適な連絡通路の階段を登り、在来線のホームへと渡る。きれいになった在来線のホームへ入ってきた1両編成の列車に乗り、15:05に五稜郭駅に到着。



 詳しい記録ともっと多くの写真は、下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/ (アップ完了) 

苫小牧あちこち

2015年08月17日 | 登山・旅行
 むかわ町の道の駅四季の館で朝を迎えた。その後、普段通過するだけで町の中を見ることのなかった苫小牧へ向かった。

ウトナイ湖とその遊歩道
遊歩道は早朝ジョギングを兼ねてゆっくり走りながら回った。


 
木道と自然歩道があった    淡い色が際立っていたホザキシモツケ


イコロの森ガーデン
 イコロはアイヌ語で「宝もの」の意とのこと。苫小牧の北側の森の中に、9年前に開設されたガーデン。森に懐かれ、季節ごとに移ろう自然を感じながら、心地よく寛げるガーデン。併設するナーサリーでは、寒さに強い自家生産や輸入の宿根草とバラ、花木苗を販売している。

ガーデンの入り口



 

 



○大人気の「マルトマ食堂」
 早朝から営業している、苫小牧の卸売り市場の一角にある名物食堂。次々と観光客が切れないで入ってくる。
 
苫小牧名物のホッキ料理のメニューの種類と、壁や天井に貼られているサイン色紙や写真が凄い


自分が食べたホッキチャーハン。少し柔らかめだが、ホッキの味が浸みこんでとても美味しかった


海の駅ぷらっとみなと市場とほっき貝資料館
 


○苫小牧港北埠頭キララ公園から港を眺める



○「山線」軽便鉄道実車展示
 王子製紙が明治41年(1908年)に千歳発電所を建設する際、機材や物資を 運ぶため苫小牧工場から支笏湖まで走らせていた軽便鉄道の通称です。その後は客車も走り、 多くの人々に親しまれた。昭和26年(1951年)に惜しまれながら廃止された。
 一緒に並ぶ客車は1922年(大正10年)7月に発電所を視察に来られた皇太子時代の昭和天皇が乗車した貴賓車。



○緑ヶ丘公園の展望台






錦大沼公園




 
 

13時過ぎまで、あちこち見て歩き、明日以降も雨予報なので、そのまま帰路に就き、夕食までに帰宅した。                                                                

思わぬ出会いと人助けにもなった林道偵察

2015年08月16日 | 登山・旅行

道路になっている新冠ダムの堰堤からダムの上流を写す

 イドンナップ岳は諦めたが、長い林道偵察を兼ねて新冠林道を走ってみることにした。国道からサラブレット銀座を走る。15km ほどの舗装道路からダートの道に入る。岩清水ダム、下新冠ダム、新冠ダム沿いの道を道を35km ほどで、イドンナップの登山口に到着。これまでに2回走っているが、こんなに長いとは思わなかった。

 田中陽希が昨年この林道を歩いて幌尻岳に登っている。イドンナップ岳登山口の入林届けを見てびっくり。いつも一緒に登っているSHOさんが、昨日函館山の会のメンバー3名で登っていた

 そこから6Km 先のイドンナップ山荘まで走ってみたら、そこに3名が泊まっていた。ほかの2名も一緒に登ったことのある方だった。

 30分ほどお喋りをして一緒に戻ろうと思い、そのすぐ先の北電ゲートを見に行った。そこからさらに20kmほど歩いてポロシリ山荘に2泊して幌尻岳に登る人の車が10台も停まっていた。このコースは面白味に欠けるので、自分は登っていない。

 イドンナップ山荘まで戻ったら、Haさんの車がパンクしていた。

 しかし、バーストしていて、補修キットでも直らないという。今の新しい車はスペアタイヤがなく、補修キットだけが付いているらしい。しかし、バーストしているとどうにもならないらしい。

 こうなったら、新しいタイヤを買いに出るしかない。タイヤを外して、こちらの車に積んで、新ひだか町のオートバックスまで3時間半以上かけて往復した。約120kmもあった。結果的に、思いがけない人助けの下見になった。

 舗装道路まで戻ったところで、新冠温泉に入って今日中に帰るという3名と別れた。

 その後、新冠のあちこちを見て歩いた。

オグリキャップ優駿記念館


義経伝説のある判官岬


新冠泥火山


判官館森林公園の遊歩道を歩いたら、判官岬の上に出た。


ポロシリ乗馬くらぶ

 その後、むかわ町の道の駅まで走り、温泉四季の館でこのブログを打っている。今日はここに泊まり、明日、苫小牧や白老の辺りをぶらついてかえるつもりだ。