癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

香雪園のライトアップ紅葉

2009年10月30日 | 花・紅葉だより
函館の紅葉の名所・香雪園は、今年から紅葉のライトアップを始めた。
期間は、10/24~11/15で、16:30から20:00まで。

この香雪園は、1901年、函館の岩船氏が造園に着手し、以来親子三代に渡って私財を投じて完成した、純日本式庭園。
広大な敷地内には起伏が多く、谷川も流れている。
北海道一の庭園樹種を誇るといわれ、森林浴や散策に最適な公園。
「香雪園」という名称は、「雪の中に梅香る園」の意をもってつけられたそうだ。




       









昼の紅葉は下記からどうぞ!
http://sakag.web.infoseek.co.jp/kousetu.htm

映画「沈まぬ太陽」

2009年10月26日 | 日常生活・つぶやき
 映画化されると聞いて楽しみしていた「沈まぬ太陽」を観てきた。

 原作は山崎豊子のミリオンセラーとなった同名小説ではあるが、これを知ったのは、7年以上は前だと思う。札幌のある岳友から「主人公を坂口さんのイメージと重ねて読み続けてしまいました。面白い小説ですので、ぜひ読んでください。」というメールをいただいたときである。

 主人公を自分のイメージと重ねて読める小説・・・興味が湧かないはずがない。早速図書館に借りにいったら、全5巻もあってビックリしたが、ついつい面白さに引きずられて読んでしまった。しかし、なぜ、その岳友が自分をイメージしたのか・・・光栄なことではあるが、畏れ多さに押しつぶされそうな思いで読み進めていった。そのことを感想と共に彼にメールで送った覚えがある。

 当時、これはフィクションかノンフィクションかと話題になり、多くの反響を呼んだ小説である。モデルとなった実在の人物もいるし、一応フィクションのスタイルはとっているが、この小説を読んだり、映画を観たりした人は、舞台は日本航空でそこに登場する人物は実在の人物と思ってしまうだろう。

 しかし、小説である以上、読者を引きつけるために、主人公を美化したり、その引き立て役の悪役の登場もあるだろうし、事実のように見せてはいるが、歪曲したり脚色したりしていることも多くあるだろう。過去に、その部分だけを取り上げた論調の週刊誌記事も読んだことがある。

 いずれにしても、純粋にフィクションとして割り切って読んだり観たりすると、非常に面白い感動の一作である。主人公の渡辺謙もみごとなはまり役である。

 それにしても、現在、再建問題で揺れている日航にとって、このタイミングでの映画化は頭の痛い、大きなマイナス要因なのではなかろうか・・・・?、

13年振り4回目の「白水岳」

2009年10月25日 | 登山・旅行


昨夜飲み会だったので、今日は山の予定を入れていなかったが、朝早く目が覚めて二度寝もできず。
秋晴れの好天がもったいないこともあり、急遽、今秋、数年ぶりに登山道の刈り払い整備が行われたという情報を得ていた八雲町(旧熊石町)の白水岳へ向かう。

13年前に、今は廃道となってしまった冷水岳からの循環縦走路を歩いて以来4回目である。暫く振りだったこともあり、新鮮な感動があった。

        

上の方は、もうすっかり葉が落ちていたが、麓の方は、ブナの黄葉がきれいだった。
出だしから急登が続き、頂上まで到達するのに、1000m超ピークを3つも越えなくてはならないので、アップダウンも激しく、相変わらずタフなコースだった。

登り 2時間55分、 下り 2時間

詳しい山行記録は、下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/siromizu09.htm

功労者表彰

2009年10月25日 | スキー・クロカン
          (全日本スキー連盟功労指導員認定証とワッペンとバッジ)

 このたび、全日本スキー連盟の功労者表彰を受け、功労指導員に認定され、その伝達式が、昨日の函館スキー連盟総会の場にて行われた。

 誰でも受けれるものではないので、名誉なことなのだが、そのために認定登録料を11,000円納めなくてはならない・・・どうも合点がいかず、素直に喜べない・・・。
過去に断った人はいないというし、函館スキー指導員会会長という立場上、後に続く方々のためにも、断るわけにもいかない・・・。

 特典は、指導員に義務づけられている2年に1回の全日本指導員研修会の今後の受講が免除されることだけだが、これは、時勢に取り残されないためにもぜひ受講し続けたいと思うし・・・。

 大体、この様な表彰を受けるということは、「そろそろ、もういいんじゃないの?」という年齢なのかと、ちょっとひがんで、昨夜の祝賀懇親会でも話題になった。 

鳥崎渓谷

2009年10月24日 | 花・紅葉だより
 午後に会議が入っていたので、午前勝負で、紅葉の名勝地・森町の「鳥崎渓谷」に行ってきた。
  

         屏風崖


         獅子狭間 


         獅子狭間上流


         新鳥崎大橋からの駒ヶ岳ダム上流湖岸


         駒ヶ岳ダムの直ぐ上流 


         逆光の上大滝


         迫力ある上大滝の落ち口 

妻の延べ100山目となった「恵山」

2009年10月22日 | 登山・旅行


 椴法華コースから眺める恵山最高の紅葉ビューポイントの北東斜面・・・今年もみごと!


 一緒になって、ときどきこちらに付き合って易しい山に登るようになって5年半の妻・・・虫が嫌いで、暑いときは頭痛を起こす。したがって、登るのはほとんど春先か晩秋である。
 しかし、「塵も積もれば山となる」で、本州の山も含めて、延べではあるが、先日の「二股岳」で延べ99山目となり、記念すべき100山目は大好きな3回目となる「恵山」でと決めていた。
 どうせなら、紅葉のきれいなこの時期に、彼女がまだ歩いたことのない椴法華コースを・・・ということで、本日登ってきた。



 自分でちゃっかり作成した記念ペナント?を手に・・・



 火口展望登山道分岐付近から火口と頂上をバックに・・・

 詳しい山行記録は、下記からどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com/esan09.htm

米にまつわる思い出

2009年10月21日 | 日常生活・つぶやき
 今年、華々しくデビューするはずだった道産ブランド米「ゆめぴりか」だが、冷夏の影響で当初予定の6%しか出荷できずに、もう販売中止だとか・・・・。

 ところが我が家では、妻が、米が切れて買いに行った日がたまたまこの発売日だったらしく、誰も並んでもいない中、目に飛び込んだのがこの「ゆめぴりか」で、試しにと5kg入りをゲットしてきた。

 我が家のこれまでの「ふっくりんこ」は、4年前に、山仲間を募って毛無山の登山道の笹刈り作業をしたときに、山好きの当時の大野町長だった吉田氏が全員にお礼にと送ってくださったのが初対面だった。それまでは「こしひかり」だったが、そのデビューしたばかりの新米の美味しさに感動し、それ以来、すっかり「ふっくりんこ」のファンである。

 今回の「ゆめぴりか」は粘り気は強いが、美味しさについては、両者に大差はない。今後とも、我が家は、この道南が主産地の「ふっくりんこ」で行こうと思う。


 さて、当時純米作地帯だった大野町(現北斗市)で子供時代を過ごした自分には、この米にまつわる思い出は多い。

<その1~コンプレックスだった配給米>
 我が家は農家ではなかったので、子供の頃は、いわゆる「配給米」で当然麦飯だった。友達の弁当は、ほとんどが自分の家で穫れたいわゆる銀シャリの白いご飯。自分の弁当は麦が半分の黒っぽいご飯。恥ずかしくて蓋を完全に外して食べることができなかったとともに、たまに食べる麦の入らないご飯の美味しかったこと・・・。
 
 さらに、もうひとつ「配給米」での肩身の狭い思い・・・子供の頃、田舎の優等生だったが、体が非常に小さかった・・・そんな自分に、浴びせられたひと言はショックだった・・・「配給米は、頭は良くなるけど、力が付かない米だよな~」・・・確かに、5,6年生になると米俵1俵(60kg)を担ぐ友達もいた。

<その2~労働の味>
 当時、1週間ほどの田植え休みと稲刈り休みがあった・・・農家でない自分は、あちこちの友達の家へ手伝いに歩いたものだった。子供でも、一人前の労働力として重宝してもらえるのが嬉しかった。

 直径10cmもあろうかと思うような大きな大福が5個セットの「田植え餅」、打ち上げ時の大人と同じお膳、秋になると、お礼にと届けられるいくらかの米・・・それらの思いや味は格別なものだった。

<その3~修学旅行の騒動>
 当時、小学校の修学旅行には米を持参したものだった・・・農家では、自分の子供にと当然美味しい米を持たせた。当時、道産米で一番美味しいと言われていたのが、この大野周辺でしか穫れなかった「ともえまさり」である。

 札幌の旅館に着いて、米の入った袋を持って並んで、大きな米びつに米を入れる・・・やがて、夕食になった・・・ご飯を一口食べた友達が「これ、オラだぢの持ってきた米でねぇ~。こったらめぐね飯食えるが~!」と騒ぎ出した。それに困った先生が旅館の方に問い合わせたのだろう。

 その説明がこうだった・・・「大野の子供達の持ってくる米は美味しいので、別の米びつに入れてもらって、上客用に使っている」とのこと。「大野の米は美味い」というひと言に子供なりにも自尊心をくすぐられたのだろう・・・それで、一堂渋々納得・・・・。 

そろそろ・・・

2009年10月20日 | スキー・クロカン
 大雪山系や日高山系などでは、標高1000mほどまで雪線が下がって来ているようだ。
 若い頃は、初雪の便りを聞くと、「スキーシーズン近し!」と心躍ったものだが・・・・。

 今年は全日本スキー連盟との関係で、スキー団体の総会等が、例年よりひと月ほど早くなった。

 一昨日は、私が会長を仰せつかっている「函館スキー指導員会」(道南一円のスキーとスノーボードの指導員560名ほどで組織)と「函館スキー連盟教育部」の総会。そのための役員会や総会資料発送等の業務が上旬に2回。

 昨日は、中高年のスキー中心としたスポーツクラブ「函館ライフスポーツ」のコーチスタッフによる来年度事業の検討会と懇親会。

 今週末は、「函館スキー連盟」の総会と懇親会。

 ・・・と目白押しだが、スキーモードへの切り替えにはまだ早い時期で、これからの間ちょっと間延びする感じが否めない・・・。

 これらの会議は、昨年までは11月だったので、ここ数年10月に出掛けていた紅葉時期の本州遠征ができなくなった。その代わり、11月が空いたので、11月7日から20日間ほどの予定で、今年3回目の本州遠征に出る予定。スキーモードへの切り替えはその後になるだろう。

弟の死

2009年10月16日 | 日常生活・つぶやき
11日に乙部岳を下りて来て携帯のスイッチを入れたら、飛び込んで来たメールが、「10日に西宮市にいるすぐ下の弟が心筋梗塞で倒れた」の報・・・。

帰宅後、すでに駆け付けていた大阪の妹に電話で詳しい状況を聞く。「緊急の手術は成功し、10日の夜は、あっけらかんとした感じで会話もできた。今は安静を保つために眠らされているが、回復は難しい状況」とのこと。

直ぐにでも駆け付けたかったが、13日に札幌での会議が入っていたので、様子見での自宅待機。しかし、12日の夕方遅くになって「血圧が下がり始めた。埼玉から駆け付けた下の弟も、眠ったままなので話をできないまま、仕事の調整のために帰って行ったばかり」とのこと。

直ぐに、会議は欠席の手続きを頼み、ネットで一番早く着く方法を検討。飛行機は午後の1便しかない。結果、3:22発の急行に乗り、特急と新幹線を乗り継いで向かうと、13:00過ぎには着くことかできそう・・・。

「着くまでなんとか持って欲しい」の願いも虚しく、京都を過ぎて新大阪に向かっているときに、「今、脈が切れたが、お兄さんが着くまで機械を付けたままにして置く」との知らせ・・・。

病院に着いたときは、人工呼吸器?で酸素を送り込んでいるので、呼吸はしていて体も温かいままだった。最後の別れの時間を与えていただき、機械を外した時刻が死亡診断時刻となった。

その後、医師から詳しい説明を聞く。

病院に搬送されたときは、3本の冠動脈のうち2本が詰まっていて生きているのが不思議な状況だった。しかし、2本とも風船治療の手術が上手くいって、一時は小康状態になったが、倒れてからの時間が長かったので回復は難しかった。直接の死因は心筋梗塞だが、基は糖尿病とのこと・・・。

しかも、2本のうちの1本は、かなり何日も前に詰まっていたはずだが、糖尿病の人はその症状に気付かないときがままあるらしい。そのときに気付いて直ぐにでも治療していれば、助かった可能性大だったとのこと・・・今回も胃が痛くて眠られず、自分でタクシーで掛かり付けの病院へ行ったらしい。胃の痛みは勘違いで、心筋梗塞の症状だったのである・・・恐るべし糖尿病!

実は、自分を頭に4人兄弟だが、体質的な遺伝なのか、全員が40代後半から糖尿病と診断されている。自分の登山も、この運動療法の一環として始めたのがきっかけである。中でもこの弟が一番症状が重く、インシュリン治療を受けていた。

最後に会ったのは、5/30に六甲山に登った夜だった。大阪にいる妹と3人で夕食会をしたが、そのときの太り具合を見てびっくり・・・昨春定年退職をして以来、1年間で13kgも太ったそうだ。

「糖尿病なのにそんなに太ったら、絶対いいことないよ。心筋梗塞になるぞ!」とかなりきつく脅したのだが、まさか数ヶ月で現実となるとは・・・。葬儀の弔辞の中でも「以前は厳しく取り組んでいた血糖値コントロールが、最近はちょっとおろそかになっているようで心配していた」と述べられていた。

この弟は、若いころから仕事の傍ら、学童保育の活動に携わり、全国的なリーダーとしてあちこち駆け回っていたこともあり、葬儀会場には、その関係者で溢れかえっていた。

その方々の「我々にとっては、まさに、巨星墜つ!ですよ。」という言葉が印象的だった。性格的にも、「多くの方々に慕われ、太く短く生き抜いた人生だった」と思わざるを得ない。それにしても呆気ない逝き方だった・・・。

彼の死をムダにしないためにも、より一層健康管理に努めなければならないとの想いを強くして帰路に就いた。

山仲間オフミ

2009年10月11日 | 登山・旅行
札幌の山仲間が、乙部岳登山にやってくるとのことで、お誘いをうけた。

              

   昨日の午後は、八雲のBaさん宅に集まり、クライミングウォールで遊ぶ(自分は見るだけ)。

         

        夜は、Baさんの温泉付き別荘に移動し、宿泊懇親会。

         

今日は、2グループに別れての乙部岳登山・・・青空が広がったり、雨やあられが降ったりと目まぐるしく変化する天候だったが、下山時になってようやく安定して紅葉登山を楽しんだ。

詳しい乙部岳の山行記録は、下記からどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/otobe09.htm

寒い台風

2009年10月09日 | 日常生活・つぶやき
本州に大きな被害をもたらした「平成最大級」と言われた台風18号・・・。
我が函館は、予想より南側に進路をとったために、ほとんど影響のないまま通過していった。

しかし、今朝起きたら異常に寒い・・・室温が今秋最低の16℃。
我慢ができなくて、ポータブルストーブの初お出ましとなった・・・。(画像)

道内各地の峠では、昨夜から雪となり、石北峠では除雪車が出動したが、結局、通行止めになったらしい。
通常、台風は南から暖かい空気を運んでくるので、気温が上昇することが多いはず。
しかし、今回はサハリン付近にある寒気団を巻き込んで、北海道上空に引き込んだのが原因とか・・・。

そういえば、10/1、二股岳に登ったときに、雪虫が飛んでいるのを目にした。
その夜の会議に出席したメンバーも、「市内でも見た」と・・・。
そのときは、「雪虫が飛べば10日後ぐらいに雪が降るって言うね」「まさかね~?」と話していた。
今は雲で覆われて見えないが、案外、横津岳にも初冠雪があったかも知れない・・・・?

走って、喰って、歩いて・・・

2009年10月07日 | 日常生活・つぶやき
昨日、ポカポカ陽気に誘われて、午後から五稜郭公園の堀周りを久しぶりにジョギングした。
いつもより少し遅めの7分/kmのペースをキープしながら走ってみたら、意外と楽に走れて、ノンストップで10km強走ることができた。
このペースなら、結構長い距離が走れそう・・・・?
食欲の秋と闘うためにも、山に登らない日は少し走ることにしよう・・・とは思うのだが・・・?

最近、ハードな山の後は、年甲斐もなくカツが食べたくなる。
南アルプス遠征の時も4回ほども食べたし、先日の日高遠征のときもそうだった。
しかし、山での消費カロリーが多く、基礎代謝量が増えているせいか、全然太ることはない。

      

たまたま、昨日から3日間、老舗のトンカツ専門店「とんき」で、「秋のワンコインフェア」が行われていることを知る。
なんか、食べなきゃ損した感じになる。揚げ物好きの妻を誘って、夕食に早速出掛けた。
走った後だし、走らないで食べるよりは良いだろうと都合良く考えて・・・・。

しかし、少しでもカロリーを消費するためも、今度は歩いて五稜郭公園のそばにある店へ・・・。
写真のヒレカツ定食が500円、生ビール300円・・・なんか得した感じ!

                     

帰りに、昼に走った堀周りを今度は歩いて帰る。1日に2回も同じところを走ったり、歩いたりするとは思わなかった。
上の写真は、ライトを背にした自分たちの影を思わずパチリ。

        

         お堀の水面に映る五稜郭タワー         

美術展

2009年10月06日 | イベント鑑賞・参加
                  

yamaさんから招待状をいただいて、彼の所属する赤光社美術協会と北海道新聞函館支社の共催による『第86回赤光社公募美術展』を観てきた。

赤光社美術協会は、函館市の画家たちによって大正10年に創立された、北海道における美術団体の草分け的存在である。その後、道展、全道展などの公募美術団体が創立された。全国的に有名な田辺三重松などもここから出ている。

     

★期日 2009年10月6日(火)~12日(日)
★会場 棒二森屋アネックス7階催事場
★出品数 一般、会友、会員 合わせて121点

地元の画家たちの出品がほとんどなので、知人の作品も多く、yamaさんから招待状をいただいては、ここ数十年、毎年のように観ている。

     

           yamaさんの作品「北の心象Ⅰ」(F60) 
   yamaさんは、若いときから一貫して青を基調とした絵を描き続けている。  

     

         yamaさんの奥さんの陶芸作品「地ー09」


            

     我が家の部屋に飾られているyamaさんの40年前(1969年)の貴重な作品
     当時本人からいただいたものだが、描いた本人も忘れているかも知れない?
     稜線のコルを描いたものと聞いたような気がするが・・・?