癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

『13階段』

2015年07月31日 | 読書・映画

 もともとミステリーものの小説やドラマが好きな自分である。今でも、松本清張は最高のミステリー作家だと思っている。しかし、最近読んだ本の中で、この『13階段』は久しぶりのヒットだった。
 
 本を手にしたときに、10年以上前に映画化されて話題になったことを思い出した。題名から死刑に関することなんだろうなという思いを抱いた記憶はあるが、映画を見ることも、本を読むこともなかった。

 最初は重い感じだったが、読み進めて行くうちに、奇想天外とも思えるストーリーと、しっかりとした取材・調査に基づいた、死刑制度・冤罪・改悛の情・報復など、さらに、刑務官の仕事内容・囚人の心情・刑場での一連の流れ等も勉強になり、興味深く読ませてもらった。後半は面白くて、一気に読み進めてしまった。予想すらできなかったどんでん返しとも言える結末に、この作者のストーリー構成の素晴らしさに感心してしまった。

 ストーリーは、2年前に人を殺め服役していた青年とベテラン刑務官が、10年前に起こった冤罪の可能性がある事件の真相を解くというものであるが、死刑制度を含めた刑の重みや刑務所の機能(服役者の更生)などがテーマとなっている。

 高野和明のデビュー作だが、読んだ後、宮部みゆきが解説を書いているのにも驚いた。第47回江戸川乱歩賞受賞を選考委員の満場一致で受賞したことのこと。2001年に講談社から発行され、40万部を売り上げ、乱歩賞受賞作品の中でもっとも速く高い売り上げ記録を達成しているとのこと。

 さすが、それだけのことはあると、改めて感心してしまった。今度、この作者も作品を読んでみたいと思った。

「新日本三景選定100周年」の大沼公園

2015年07月30日 | 日常生活・つぶやき
 午前中にHPのアップもし終え、妻の内職の原料がなくなったいうことで、午後から大沼公園へドライブに出掛けた。

 今年は、1915年(大も正4年)から数えて、大沼公園の「新日本三景選定100周年記念」の年である。先日25,26に開催された「大沼湖水まつり」はその記念イベント事業も行われたようだ。
 ちなみに、新日本三景とは、日本三景にならって、全国投票の結果選ばれた、「大沼」「三保の松原」「耶馬渓」で、元祖である日本百景は「松島」「天橋立」「宮島」である。

 駅前の観光案内所へ寄ったら、「大沼いにしえ物語」という、新日本三景にちなむ絵ハガキの写真が展示されていた。

 その中で、驚くべき1枚を発見

 それは、「北海道公園大沼飲料水駒ヶ岳頂上ノ池」という写真である

 1929年(昭和4年)の大噴火以前には、駒ヶ岳山頂に大きな池があり、それを飲料水として使っていたということだろうか?

 このあと、あちこち車で回った。
 
ピカタの森の「アイス工房」で食べた「野イチゴと胡麻のジェラート」


別荘地・四季の森の奥にある円沼


東大沼キャンプ場・・・駐車場には本州ナンバーの車が多かった

公園へ戻ったら、STVテレビの「どさんこワイド」の実況生中継をしていた。
妻はこれが目当てだったようだ。テレビの生中継の撮影は初めて目にしたので、興味深かかった。

「奥さんお絵かきですよ」に参加の88組の親子連れ
本来ならば、後ろに駒ヶ岳が見えるはずだが、雲の中だった。


大沼の特産物を紹介。この前に沼の家の「大沼だんご」の紹介もしていた


大沼中学校の生徒たちへのインタビュー

 30分ほど見て、沼の家の「大沼だんご」を食べて帰路に就いた。3時間30分ほどのドライブだった。 

無意根山(薄別コース)

2015年07月29日 | 登山・旅行

元山分岐の上から東面を望む
 
 札幌市南区と京極町の境界線上に位置する無意根山(1464m)は、アイヌ語のムイネシリ(箕の形の山)が由来だが、まさに箕を伏せたような形のどっしりとした山で、余市岳に次いで札幌市第2峰でもある。

 この山は、これで5回目だ。最初に登ったのは94年夏の薄別コースからだった。その後、07年夏に札幌の仲間と白水川を遡行し、山頂を踏み、薄別コースを下りている。3回目は12年夏に元山コースから登っている。4回目は13年春に薄別コースから山スキーで登っている。今回は21年ぶりの夏の薄別コースから登った。

 山の天気予報では、「曇りまたは霧」だったが、朝は薄曇りで青空も覗いていた。この山の方向も同じ感じだったので、途中でガスに中に入ったら撤退しようと決めて向かった。

 国道230号線から入ってすぐに第1ゲートがある。ここは、昨日石狩森林管理署で申請書を提出し鍵のナンバーを教えてもらったので、開けて、林道を進む。3.4kmで新しい第2ゲートが設置されていて、実質的な登山口になっていた。以前は、宝来小山まで車で入れたこともあったが、現在は途中の2ヶ所で崩壊していて、車は通れなくなっていた。

 6:00スタート。最初登った時に蚊柱に追いかけられた記憶があったので、上の方は防虫スプレーや殺虫スプレーで防御したが、うっかり忘れていたタイツの脹脛に蚊が群がり、アッというまに両足で10ヶ所ほども刺されてしまった。

 蚊を気にしながら30分ほどの林道歩きで宝来小屋に到着。


 やがて、大蛇が原に到着。


 モウセンゴケの群生の中に1輪だけ目にしたトキソウ

 無意根尻小屋から1200m付近の台地までは、以前の登山道やGPSの地図とは、ルートが変わっていた。
今回のログをみると、小屋から尾根の末端へ南進して、末端から尾根に登るように変わっていた。
07年に下ったときに崩壊した急斜面があったが、その部分を回避したルートになったようだ。


 コガネギクが目立つ稜線のハイマツのトンネルを進む


 本峰の手前の踏み跡の末端から急斜面の花畑を見下ろす 


 二等三角点が設置されている頂上にて。本峰はこの250mほど手前。


頂 上から本峰とすぐ右の定山渓天狗岳とその右の烏帽子岳と神威岳を望む


 ほかの山はガスで遠望は利かなかった。それでも上空は青空が広がって、暖かかった。
 出会った人は、元山コースからの4人だけ。

 6:00スタート、登り3時間15分、頂上休憩45分、下り2時間25分。12:25ゴール



 下山後、中山峠を越えてルスツ温泉へ向かったが、定休日だった。結局、真狩温泉に入って、帰宅した。

 詳しい山行記録は、下記でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)

急な会議で札幌へ

2015年07月28日 | 登山・旅行

 スキー関係の団体から4日前に電話が入り、今日、三役会議を開きたいとのこと。

 午後からなので、7時に出てのんびり走った。

 会議が終わって、明日の予定に組んできた無意根山のゲートの鍵の番号を教えてもらいに、石狩森林管理署へ。その後、欲しいものがあったのて、スポーツ用巡り。

 旅費が出たときは、安いホテルに泊まるようにしてきたが、アジア圏の旅行客のせいで安いホテルがなくなった。

 仕方なく、いつものすすきのの24時間最大1200円の立体駐車場で、得意の車中泊。

 その分で、夕食は、お馴染みの串鳥で、たらふく食、飲んだ。




 ところが、明日の山の天気予報が変わって、悪くなった。下手するとそのまま帰ることになるかも?

函館山花散策&飛蚊症検査

2015年07月27日 | 登山・旅行

薬師山コースの途中から覗く函館市市街地

 利尻・礼文から帰って来てからは悪天候が続き、山やジョギングから10日も遠ざかっている。体がなまらないかと心配になってきた。

 久しぶりに青空が広がったので、午後からの飛蚊症検査の前に函館山でも歩くことにした。谷地頭温泉に車を置いて、旧登山道~薬師山コース~つつじ山駐車場~千畳敷~七曲りコースと回った。

 この時期に函館山へ登るのはここ20年では初めてかもしれない。意外に花が多いのに驚いた。カメラに収めながら歩いた。歩くときは速歩ペースだったので、2時間でゴールした。物足りない感じだったが、病院の時刻まで温泉でのんびりした。

 
ヤマブキショウマ   花が散って実になりかけたオオウバユリ

 
クサフジ        キンミズヒキ

 
ツリフネソウ      ノチウツギ


初めて目にし、名前も知ったエゾスズラン(アオスズラン)

 
鮮やかなエゾアジサイ     オカトラノオ 

 
もう咲き出していたハギ      ミヤコグサ

 
キリンソウ       モイワシャジン

 
クルマユリ       カワラナデシコ


このほかにも、まだまだたくさんの花が咲いていた。

 昼食は、谷地頭温泉のレストランの名物の天丼(同じ系列の昭和温泉と山の手温泉でも食べられる)

プリプリの2本のエビを含めて8個も乗っかって、600円というリーズナブルさが堪らない


○飛蚊症検査
 温泉から近い銀座通りの江口眼科へ直行した。検査の結果、「危険な病気が原因ではありませんので安心してください。年齢から来るものでしょう。」とのこと。

分かっていたが、一応「治療というのはないのですか?」と聞いてみた。今のところ治療法はないとのこと。さらに、「今後、飛んで見えるゴミのようなものが増えることがあるのですか?」という問いには、「そのうちに気にならなくなります。もし、増えるようなことがあったら、来てください。まあ、そのような心配はほとんどないと思いますけど・・・」とのことだった。

歴史に翻弄された樺太・千島アイヌ

2015年07月26日 | イベント鑑賞・参加

特別展のポスター
下の写真は、「北海道写真の父」と言われる函館の田本研造の弟子井田幸吉が撮った千島アイヌの写真。
撮影は、1884(明治17年)年のシュムシュ島から色丹島への強制移住時。服装は明らかにロシア風

 7月11日から市立函館博物館で開催されている、平成27年度特別展「千島樺太交換条約とアイヌ」と、本日、函館公民館で開催された、関連企画講演会「時旅 写真で辿る千島アイヌの歩み」に出掛けてきた。




 アイヌ民族には、大きく分けて北海道アイヌと樺太アイヌと千島アイヌがいる。1875(明治8)年に日本とロシアの間で締結された千島樺太交換条約は、千島と樺太における日露の国境を画定しただけでなく、樺太や千島に居住していたアイヌの強制移住や本格的な同化政策の端緒となり、その後の民族文化に大きな影響を与えることになった。

 樺太アイヌは、841名が宗谷に移住させられ、翌年6月には対雁(現江別市)に移された。さらに、1884年(明治17年)の千島列島の日本領北端のシュムシュ(占守島)に住んでいた97名の千島アイヌ(クリルアイヌ)は、半ば強制的に色丹島へ移住させられ、漁撈から離れ、狩猟牧畜・農業に従事させてられている。どちらも、日本政府の同化政策や生活基盤の変化に馴染めなかったり、伝染病などに罹ったりして、数年後には半減している。

 当時のロシアとの繋がりが強かったこの二つのアイヌの文化や歴史の展示を見た後、公民館に移動し、講演会に参加した。




 講師は、写真家で箱館写真伝習舎代表の谷杉アキラ氏である。氏は、開拓使函館支庁記録外事係でロシア語通訳官となり、開拓使廃止後もそのまま函館県に勤務し、千島アイヌのシュムシュ島から色丹島への強制的移住に通訳として立ち会った小島倉太郎の残している写真から、千島アイヌの移住後の歴史に興味を持ち、根室、釧路、中標津まで出掛けてその子孫の足取りを調べながら辿っている。

 色丹島へ移住させられた千島アイヌは、同化政策により、言語もロシア語から日本語への転換だけでなく、衣食住すべてが変えられた。しかし、ロシア正教の信仰だけは認められてきたという。

 戦後、その子孫は、色丹島から根室管内へ引き上げている。谷杉氏は、色丹島から引き揚げたロシア正教信者の中にその子孫がいるはずとの仮説に基づいて、現地でいろいろ情報を集めたとのこと。その結果、中標津町上武佐にあるロシア正教の小さな教会へ辿りついた。数年前に亡くなったその信者の中に、最後の千島アイヌと思われる女性がいたことを突きとめた。

 実は、この教会、中標津や知床方面への山旅で3回ほどその前を通っている。「このような奥深い農村になぜロシア正教の教会が?」と思ったものだ。それだけに印象が強かった。その教会が千島アイヌの歴史に翻弄された悲惨な運命の末路だったことが分かって、感慨深いものがあった。

プレミアム付き商品券ゲット

2015年07月25日 | 日常生活・つぶやき

テーオーデパート前の列・・・最後尾は300m先のアルペンの前まで並んでいた

 12,000円分を10,000円で販売し、3ヶ月間利用できる函館市プレミアム付き商品券が、今日の10時から販売された。一人10セットまでの限定である。この財源は補正予算でついた地方創生の交付金である。元は我々の税金である。利用しない手はない。

 今日は山の誘いも入っていたが、悪天候なので中止になった。そこで、こちらの買い出しに協力することにした。

 我が家は10セットの予定だったので、近くの販売所になっている商店に妻が並んだ。9:30ですでに100人以上が並んでいた。そこは500セットしか販売しないので無理そうだった。5万円を受け取ってテーオーデパートへ車で走った。

 そこも、9:45時点でざっと1000人近くが歩道上に並んでいた。こんな長い列にい並んだのは、人生初の経験だ。ここは10000セットの販売なので、そのまま並んでいた。10:10、案の定、妻から「買えなかった」と電話が入った。自転車でこちらへやってきた。妻からさらに5万円を受け取って並び続けた。その時点で、すでに後ろにも1000人以上は並んでいた。


 11時過ぎになって、ようやく館内に入ることができた。入口で並び番号をもらったら、789番だった。全員がひとり10万円分買ったとしても、1000人までは確実に買えるので、安心して6階までの階段に並び続けた。担当者が、1000人を超えた辺りで、「ここより後ろの方は、買えない可能性があります」と伝えていた。


 11:30、ようやくゲット。2時間並んで2万円稼いだ感じだ。時給1万円也。外に出たら、まだ1000人ほどは並んでいた。ほとんどの人は10万円単位買っていたようなので、およそ買えそうにない人たちだ。まだ並んでいたということは、その時点ではまだ売れ切れてなかったのだろう。

 2時間以上も待って買えなかった人は気の毒だ。大きな買い物の予定のある家族は、家族全員でそれぞれが10万円ずつ持って並んでいたり、我が家のように、いくつかの販売所に分散して並んでいたようだ。今日から3日間の売り出しだが、どこの販売所でも今日の午前中で売れ切れてしまったに違いない・・・とんだプレミアム付き商品券騒動だった。

 並びながら考えていたことを書くのを忘れたので、追記しておきたい。
 今回のこの商品券は、国の地域振興のバラマキ政策の一環である。本当に地域振興を考えるのであれば、販売所や利用できる店は函館に本社のある企業に限定すべきだ。そうでなければ、利益は、大企業や外資系の企業に流れ、真の意味での函館市の地域振興にはならないだろうと思われる。今回も潤うのは大企業という図式となるのだろう。せめて、我が家では地元の企業で利用するように心がけるつもりだ。

スマホ2日目&飛蚊症?

2015年07月24日 | 日常生活・つぶやき

自分のHPがPC画面と同じに見られる

 スマホデビューして2日目、妻に手伝ってもらいながら、取扱説明書をみたりしながら、いろいろな設定やアプリのダウンロードなどをして、普段PCで利用していることの最低限なことはできるようになった。まだまだ分からないことだらけだが・・・・。

 旅先で必要なgooブログのアプリをダウンロードし、写真も取りこんだ記事投稿の方法もマスターすることもできた。記事作成や編集がほぼPCと同じようにできるのがうれしい。

 ただし、一番厄介なのは文字入力だ。PCもガラケーもこのスマホもすべて方法が違うから大変だ。スマホの場合はフリック入力という方法だ。まだ少しの文章を打つのにも、イライラするくらい時間が掛る。妻に言わせると、馴れてしまうとガラケーよりかなり速くなるらしい。これは練習しかない。今日も病院の待ち時間中にブログの文章を書いてみた。少しは要領をつかむことができた。

 それにしても、インターネット環境が全然違う。ガラケーではアクセスできないサイトがたくさんあった。自分のHPでさえ、文字化けして全く見ることができなかった。今度はPC画面と同じように見ることができる。ガラケーはあくまでも電話機能がメインで、スマホは小型のPCだと言われたが、まさにそれである。「スマホに換えて良かった!」が実感である。

 妻のスマホ(iPhon5)は、電話もメールもほとんどしないのにauの従来のスマホなので、月々7,000円ほどである。「そんなに安いなら、私も格安スマホにしようかな?」と言っている。

 さらに、うれしかったのは、PCでやり取りするメールが、迷惑メール対策でGmailを通しているので、スマホでも受信も送信もできることだ。今までは、PCに入ってくるメールは帰宅してからでないとチェックできなかったので、急ぐメールの対応ができなかった。

 ましてや、WiFi環境の場所で使うと、通信料がまったく掛らないというメリットもある。我が家にも、妻がスマホにしたときに、キャンペーンで無料で設置されている。家でする分には通信料が掛らないことになる。まあ、家ではPCがあるので、練習以外にしか使うことはないが・・・。


 書店で、入門ガイドを買ってきた。まだまだ分からないことだらけだが、次の山旅に出るまでには、必要なことだけはマスターしたいと考えている。

○前立腺癌検査は異常なし
 2週間前に前立腺癌のPSA検査の結果だが、今日、薬をもらいついでに聞いてきた。「若干の糖尿病の兆候はあるようですが、ほかは何の異常も問題もありません」とのことだった。ちなみに、糖尿病とは25年の付き合いになるが、薬の世話になっていないので、“若干の”という表現がうれしかった。

 ちなみに肥大の方は、薬が効いているらしく、夜のトイレは1回以内で落ち着いている。ただし、昨夜は寝る前にスイカを食べたせいか、3回も起きて、暑かったこともあり、寝た気がしなかった。今日は、早く寝よう!

○飛蚊症(ひぶんしょう)?
 スマホデビューの昨日、昼ごろから、右目の視界の右側に黒い半透明な影のようなものが、2つほど浮かんで見え、眼球の動きに合わせてそれも動く。気にしなければそれほど気にならないが、気にすると、結構なストレスだ。よく耳にする飛蚊症らしい。まさか自分が罹るとは考えてもいなかった。

 これは、“生理的飛蚊症”がほとんどで、治療方法が確立されていないらしい。多くの医師は、「老化やストレスなどによるものですから気にしないで」と伝えるようだ。そう言われても、目の前に常に浮遊するゴミは気になる。

 飛蚊症の原因の多くは「活性酸素」で、活性酸素を発生させる主な原因は「紫外線」らしい。しかし、自分はサングラスをすることが多いので、紫外線を発するパソコン画面が原因かもしれない。目が疲れないからと平気で1日中パソコンの前に座っていることもある。もっと症状が進むようであれば、考えなくてはならない。 

 ただし、心配なのは、目の病気(網膜剥離)から来るものであるらしいので、月曜日にでも病院へ行って検査を受けてみようと思っている。

安上がりのスマホデビュー(ガラケーとの2台持ち)

2015年07月23日 | PC・HP・ブログ

電話とメールだけの契約にしたガラケー(左)とデータ通信のみのスマホ(右)

 自分のインターネット環境は、家のPCがメインである。ただし、旅に出たときのブログアップやネットでの情報収集は、ガラケーを利用してきた。今のガラケーが壊れたときには、スマホに換えてもいいかなと思っていた。

 ところが、これまでは、Docomo、AU、SOFTBANKの大手キャリア3社の独壇場だったスマホ市場だが、最近になって、格安スマホと格安SIMの登場により、情勢が変わってきた。多種多様な会社が通信料も含めて、格安で提供することができるようになった。

 格安スマホと格安SIMを提供する会社は、現在10数社あり、それぞれにいろいろなプランを提供している。電話もメールも含めてすべてスマホに乗り換えても、今よりかなり安くなる。しかし、2台持ちの方がもっと安く上がることが分かった。そのような使い方をしている人が非常に増えているらしい。

 これまでの自分のガラケーの通信料は、電話とEメールに使い放題の定額通信料で、月々最低で6,281円、電話が多いときは7,000円代といった感じだった。2年前にスマホに切り替えた妻の場合も、月々7,000円ほどである。

 2台持ちについて、自分の利用状況に合わせていろいろ調べてみた。そうすると、ガラケーの方は電話とメールだけで1,800~2,000円弱になり、スマホの方はデータ通信だけで1000円以内に収まることが分かった。2台合わせても、3,000円くらいと、約半額になる計算だ。
 
 2台持ちはちょっと面倒くさいが、自分の場合は、スマホは旅に出るときにしか必要ないので、日常的には電話とメールだけのガラケーだけで十分である。

 ネットで調べて、楽天モバイルの新しい格安スマホと格安SIMセットのプランにしようと思った。ただ、ネットで買ったは良いが設定等はすべて自分でやらなければならないのが、メカ音痴には辛い。さらに、自分の場合は防水や防塵や衝撃に強い機種が欲しかった。

 そこで、近くのコジマ電気へ出掛けた。いろいろ聞いたら、機種は中古品を手に入れて、格安SIMだけを買うのが、一番の安上がりだと教えてくれた。しかも、中古品には防水や防塵や衝撃に強い機種もあるという。



 そこで、中古品を扱っている近くのゲオへ行った。そこで、京セラのTORQUE G01という、まさにアウトドア仕様の要望通りの中古の機種が見つかった。昨年の製品でとても中古には見えなかった。19,800円で、楽天モバイルで買うつもりだった別の機種の半額くらいで済む。しかも、そのゲオで、今はまだ少ないauの電波を使うUQモバイルという会社の格安SIM(3,000円)を扱っていて、その機種に対応しているとのこと。

 設定もすべてしてもらい、その場で使えるようになるのが一番うれしい。予定していた楽天モバイルと通信料もほとんど変わらないのですぐに飛びついた。

 結局、3GBのデータ高速プラン(980円/月)にセキュリティサービス(290円/月)で済むことになった。これだけでも、今のガラケーのデータ通信料より3,000円も安くなる。電話とメールは今まで通りのプランなので、トータルでこれまでの半額以内で済むことになった。

 ただし、使い方やアプリの取り込み等はこれからである。ずっと悪天候が続くようで、時間がタップリある。妻の機種とは違うが、教えてもらいながら少しずつ使えるようにしていこうと思っている。

20周年記念事業に向けて

2015年07月22日 | 日常生活・つぶやき

10年前の10周年記念誌の表紙と中表紙

 函館支部長を仰せつかってる退職組織(会員390名)が、来春で設立20周年を迎える。そもそも創立は50年前だが、そのときは函館・渡島・桧山支部として発足し、20年前にそれぞれが分離独立して20年目ということになる。

 昨年度は準備委員会を立ち上げ、いろいろ計画を練ってきた。今年は実行委員会へ移行し、具体的な準備に取り組んでいる。大まかな事業は、記念誌の発行、会員名簿の発行、記念式典・祝賀会の開催である。

 今日は、その中で一番先に取り組まなくてはならない、記念誌に掲載する座談会に関しての事務局と記念誌部会との打ち合わせだった。日時・会場、参加メンバー、進行役、進め方、録音とその紐解き、写真記録等、座談の柱等の打ち合わせをした。

 理事になって12年、支部長はこの事業が終わったら降りるつもりなので、最後の大きな仕事である。しかし、忙しいのは理事長を初めとする理事たちである。すべて、実行委員会の中での役割が決められているし、身内だけの記念事業なので、自分はすべてお任せで、特に忙しさは感じない。

 考えてみたら、現職の最後の2年間も、この組織と繋がっている現職組織の会長を仰せつかった。そのときも、全道大会を函館で行い、2年間はその組織の事業推進ほかに、全道大会の準備委員長と実行委員長を務めた。このときは、身内だけのイベントではなかったので、非常に忙しかったし、外部との折衝に心を砕いたものだ。

 これらのほかにも、現職のときは、トップを務めた4つの職場で、落成記念式典・祝賀会、120周年記念事業、統合の準備などにも関わった・・・どうも、そのような巡り合わせの星の下に生まれたようだ。しかし、無事大過なく過ごせてきたのは、いずれもスタッフの懸命な業務推進のお陰であると心から感謝している。
 
 今回も、全体の責任以外は、いろいろな会議や会合での挨拶と記念誌や機関誌への原稿書きが主な仕事で、残り10ヶ月を乗り切れば無罪?放免となるはずである。スタッフに気持ち良く仕事してもらえるように心を砕くつもりだ。

カシミール3D 「地理院地図(新版)」に更新

2015年07月21日 | PC・HP・ブログ

送電線の表示が復活した「地理院地図(新版)」の地図

 山で使う地図やGPSのトラックログは、カシミール3Dというフリーソフトで配信される国土地理院の電子国土地図を利用している。必要部分を切り取って印刷して持ち歩いているので、ここ15年以上、地形図は買ったことがない。

 昨日、HPの更新作業中に、GPSトラックログを取り込もうとして、地図を開けたら、「15/07/18を持ちまして、旧版の地理院地図終了いたしました。旧版の地理院地図(旧電子国土地図)をお使いの場合、国土地理院の配信が終了していますので、新たな部分のダウンロードはできません。右側のパネルより「地理院地図(新版)」に切り替えてお使いください。」という表示が出て、地図が表れない。

 ところが、そのパネルに「地理院地図(新版)」のボタンがない・・・ここからパニックが始まる。PC歴は長いが、何かシステムの変更や不調になったときの対応が苦手で、いつも苦労するのが悩みである。

 夜になってから、自分のカシミール3Dのバージョンが古いからだと思った。今になって落ち着いて考えてみたら、バージョンアップするだけでよかったのだが、アンインストールして、インストールしなおせば良いと考えた・・・間違ってはいなかいのだが・・・。

 ところが、途中で「地図の保存に失敗しました 地図の保存先が読み取り専用であるか、ディスクエラーの可能性があります」というメッセージが出て、それ以降なにもできない。しかも、そのメッセージが、どうやっても消えない。PCのスイッチを切ると消えるのだが・・・何度かアンインストールとインストールを繰り返してみても、結果は同じ・・・そこで疲れて寝てしまった。

 今朝になって、いろいろ原因を考えてみた。アンインストールしても、古いフォルダの中に関係ファイルが残っているのが邪魔になっているのかと思い、それを全部削除してインストールしたら、すんなりできた。右側のパネルに「地理院地図(新版)」のボタンも出てきた。それをクリックしたら、無事に新しい地図が表れてひと安心。GPSトラックログも取れて、それぞれの山の記録にもアップすることができた。今度からマメにバージョンアップしなくてはと思った。


○「地理院地図(新版)」の改訂点

 そこで、今回の改訂では何が変わったのか調べてみた。送電線の表示が復活したほか、行政界が目立たなくなったそうだ。

 国土地理院が公開している地図で送電線を表示しなくなった動機がテロ防止とのことだが、この山歩きの格好の目印が表示されなくなったことは、山仲間の間でもとても悪評だった。復活の声が国土地理院へ多く寄せられたらしい。早速送電線の走っているところを見たら確かに復活していた。

 また、 送電線以外にも等高線の描線が心持ち細くなったようだ。よく見ると50m間隔の等高線は旧版と同じだが、10m間隔の等高線が細くなって、地図の高低表現にメリハリが戻ったようだ。標高点の数字も太ゴシックから通常のゴシックになっている。

 行政界が目立たなくなった、という点に関しても、これまであまりにも幅広でうざい印象だった県境や市区境界の線が昔のような一点太鎖線や二点細鎖線に変わっている。尾根などで点線の道があると重なって判りにくいという問題があっただけに、国土地理院発行の25000分の1地形図の表示に戻したのは正解だと思う。

 これ以外にも、いろいろ改訂点があるようで、旧版よりすっきりとして見やすくなっている感じがする。

仙台3大みやげ

2015年07月20日 | 日常生活・つぶやき

 妻は、同じ年のマッチこと近藤真彦の大ファンである。金八先生のドラマを見て育った世代としては当然だろうと納得できる。

 7/19に仙台で開催された35周年コンサートにわざわざ出掛けて行った。席がほぼ前列に近いところだったので、抽選が当たってチケットが届いたときには大興奮だった。

 客層は、当然その前後の年代なわけで、おばちゃんたちが黄色い声を張り上げての会場だったらしい。

 熱烈なファン心理については、「そこまでする?」という冷ややかな自分だった。しかし、先日、田中陽希の追っかけを3日ほどやり、応援の意味を兼ねてTシャツまで買った自分に、「私がマッチの追っかけをしたい気持ちが少しは分かるでしょう!」と言われて、少しは分かるような気がした。

 いろいろグッズも買って、喜助という自分も食べたことのある人気店の長蛇の列に並んで美味しい牛タンも食べて、大満足で帰ってきた。お土産は当然、仙台3大土産の笹かまぼこ、萩の月、牛タン(ジャーキーと旨煮)。

興味があったので、これらの由来と人気のわけについて調べてみた

 牛タンの発祥は、終戦直後の食糧難の時代、仙台に駐屯していたアメリカ軍が、牛の舌を捨ててた。それに目をつけた仙台の「味・太助」の先代が、安く仕入れて、味付けをし、焼き始めたことによるとのこと。芯タンと言われる牛タンの一番美味しい部分を使っていて、原料は外国産とのこと。仙台の牛タンが有名になったのは、「村おこし」のために、仙台上げて牛タンを宣伝したことが大きいらしい。

 萩の月は、過去の調査では、全国の土産ランキングで3位(1位は北海道の白い恋人、2位は福岡の辛子明太子)の銘菓らしい。商品名は、萩の名所宮城野の萩は、中秋の名月の頃に咲き誇る。これらから、月を連想させる黄色い丸形の商品を、萩が咲き乱れる宮城野の空に浮かぶ満月に見立てて命名したそうだ。人気になったのは、交通機関の発達に伴い仙台駅や空港で売り出し、仙台の人が積極的にお土産として使ったことにあるようだ。

 笹かまぼこは、その昔、「ベロかまぼこ」「木の葉かまぼこ」などと呼ばれていたらしい。笹や竹は、古来より生々発展のイメージを持ち、瑞々しくゆかしいものとして、昔から愛されてきた。それをもとに、1935年(昭和10年)創業した当社阿部蒲鉾において、旧仙台藩主伊達家の家紋「竹に雀」の笹にもちなみ、「笹かまぼこ」と呼ぶようになっらしい。

 それにしても、ネットは何でもすぐに調べられて、便利だ!

700km走って帰宅

2015年07月19日 | 登山・旅行

稚内市の浜勇知展望休憩施設(こうほねの家)から眺める利尻山
この角度から眺める利尻山の形が一番美しいと言われている。まさに利尻富士だ。

 稚内の道の駅で8時間爆睡。天気は良かったが、さすがに今日は山に登りたいとは思わなかった。
 明日中に帰れば良いので、あちこち寄りながら2日がかりでゆっくり帰ろうと思った。往路は最短距離の日本海沿岸を走ったが、復路は名寄~旭川~札幌経由で帰ることにした。

 最初にこれまで3度は行っているサロベツ原野に寄ろうと思ったが、海岸を走っている段階で、すでに花のピークは終わっているようなのでパス。天塩町から幌延町へ抜けて国道40号線を走った。

 途中寄りながら名寄まで走った段階で、今日中に帰れそうな感じだったので、和寒から札幌まで高速に乗り、札幌経由で、21:00には帰宅できた。距離計を見たら700kmだった。1日でこれだけ走ったのは久しぶりだ・・・途中20分ほど仮眠を取ったが、まだ気持ちに付いてくる自分の体がいとおしい。


昔の天塩町庁舎の「天塩川歴史博物館」。中も見たかったが、10時からなのでパス。


天塩川河口


幌延町へ抜ける途中の牧草ロールが果てしなく転がる牧草地


幌延町のトナカイ観光牧場から眺める幌延深地層研究センター幌延深地層研究センター

 ここは寄って見学した。いわゆる「核のゴミ」と言われる高レベル放射性廃棄物の地層処分技術に関する研究開発として、「地創科学研究」と「地層処分研究開発」を行っている施設である。
 難しくて良く分からなかったが、研究計画によると、平成12年から始まり、平成30年度以降まで続くらしい。一日も早く研究成果が実用化され、原発の廃炉に活用してほしいものだ。


トナカイ観光牧場で見たかったのはトナカイではなく、ノースガーデンに咲いていた「幻の青いケシ」
自生しているこの花を見たくて出掛けた「中国・四姑娘山麓フラワーハイキングツアー」が懐かしい。


念願の全国的に有名な音威子府そば・・・黒いのはソバの実の外殻も一緒に挽いて作るからだそうだ


日本一ウマイ駅ソバと言われている音威子府駅舎の中の常盤軒・・・通りがかりの観光客で賑わっていた

ポン山・姫沼&礼文岳

2015年07月18日 | 登山・旅行
〈礼文岳から利尻山を望む〉


礼文岳は17年前に登ったきり。今回の利尻山と礼文岳で、『改訂北海道百名山』(山と渓谷社)は、全て2回以上登ることになる。せっかくの機会なのでに再訪することにした。

礼文島へのフェリーが9:25なので、その前にポン山・姫沼探勝路を歩くことにした。

◎ポン山・姫沼探勝路

登山口は、利尻山と同じなので、宿の車で送ってもらった。リュックは宿に預けて、袋一つの空身で歩いた。登山口は、利尻山への登山者で昨日より賑わっていた。

5:00にスタート。ポン山までは40分で到着。ちなみにポンはアイヌ語で「小さい」の意味。鴛泊市街地の後ろにコブのように聳える400mちょっとの山だ。

姫沼までは1時間30分ほど掛かったが、前半は谷を6本も越えるアップダウンの激しいタフなコースだった。

姫沼は人工のせき止め湖で、ヒメマスを放流したことが名前の由来。数年前に妻と一緒に観光で訪れて以来2度目だ。湖面に逆さまに映す姿が美しい。

そこから車道を1時間歩いて宿に到着。結局3時間15分のハイキングだった。


鴛泊港から利尻山と右下のポン山を望む


ポン山から利尻山を望む


ポン山から礼文島を眺める


姫沼に姿を映す利尻山


姫沼展望台から鴛泊港と市街地とペシ岬(右)を眺める


◎礼文岳

フェリーから下りてバスに乗り、内路の登山口をスタート。同じバスから降りた4人グループて相前後して登る。
帰りのバスまで5時間以上もあるので、4km の緩やかなコースをのんびり登る。

前回は8月だったこともあり、花の島なのに花のない山のイメージだったが、頂上の下でレブンシオガマが咲いていた。その上にもカラフトイチヤクソウをみつけた。さらに、頂上にはハマナスが迎えてくれた。

登りでも10人ほどとすれ違ったが、頂上に着いたら20人もいた。だいたい昨日利尻山に登った本州の人が多かった。

登り2時間、下り1時間30分。

下山してバスの時刻まで1時間半以上もあったが、途中で一緒になった三重県からのグループが、迎えの宿の車に頼んで乗せてくれた。宿に着いたら、昨年泊まった宿だった。ちょっと大きな顔で好意に甘えることができた。

お陰で温泉に入り、夕食も食べる時間ができた。


400ポコから頂上を見上げる


頂上の下に咲いていたレブンシオガマ


20名ほどで賑わう頂


山頂に咲いていたハマナス。


山頂から北のスコトン岬方面を眺める。その右奥にサハリンが見えた。


水平線に沈む夕陽


さらば!利尻・礼文。

ともに、これで4回目だ。5回目はあるだろうか?あるとすれば礼文の花々をまた見たくなったときだろう。

★詳しい山行記録は、帰宅後にホームページで。
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)

19年振りの利尻山

2015年07月17日 | 登山・旅行
〈鴛泊港から朝日に輝く利尻山を見上げる〉


これまで何度も稚内まで来たり、島に渡ったりしたが、天候に恵まれず、空振りに終わり、再訪が叶わず、19年が過ぎていた。

今回はこの山だけのピンポイント狙いで、天気を狙っていた。そのお陰で、風は強かったが、最高の天気に恵まれた。

19年前は、鴛泊コースを登って、沓形コースを下りているので、反対回りをしたかった。しかし、フェリーやバスの時刻の関係で、同じ回り方をせざるを得なかった。

宿の車で登山口まで送ってもらい、5:00にスタート。先行者を次々追い越しても、際限がないほど凄い登山者の数だ。

花は、9合目過ぎから現れる。いろいろな花が咲いているが、今回の狙いは、この山でしか見られないリシリヒナゲシ、リシリオウギ、ボタンキンバイである。幸い、どれも目にすることはできたが、リシリヒナゲシは少し離れたところに数本固まって咲くひと株だけだった。ボタンキンバイは、鴛泊コースや頂上の下の斜面に大群落は見えるが、近くで見ることはできなかった。しかし、沓形コースで、道端に数株咲いていた。リシリオウギは頂上付近にたくさん咲いていた。

下りの分岐から三眺山までの間は、崩壊地形が多く、相変わらず怖かった。そのせいか、出会った人はわずかに5人だった。鴛泊コース数百人もいた感じだが、ほとんどは同じコースをピストンするようだ。

登りは花の写真を撮りながらだったので、4時間だった。下りは、沓形発13:30のバスに乗りたいので少し急いだ。5合目の登山口まで2時間45分。さらに6km弱の車道を1時間で歩いた。

沓形の市街地に着いたら13:00で余裕があったので、ビールを飲みたくてセイコーマートを探した。着いたら、隣がバスターミナルだった。

バスに乗って宿に戻り、着替えて、利尻富士温泉へ。

明日は、早朝からポン山~姫沼のコースを歩き、フェリーで礼文島へ渡り、礼文岳を登って、最終便で稚内に戻る予定。


7合目付近から礼文島を眺める


8合目の長官山から山頂部を見上げる


少し離れたザレ場にさくリシリヒナゲシ。これがズームの精一杯。おまけに風が強かったので、ブレている。


賑わう頂上


最高ピーク(左)と屹立するローソク岩


山頂部にたくさん咲いていたリシリオウギ


頂上の下の斜面のボタンキンバイの大群落


三眺山とのコルへ下る途中の道端に咲いていたボタンキンバイ。八重咲き状の花びらと中心部の赤が可愛い。


三眺山から荒々しい崩壊斜面の上の頂上を望む


沓形方向から眺める利尻山


★詳しい山行記録ともっと多くの写真は、帰宅後、ホームページの方へアップします。
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)