ベイエリアから函館山に向かって延びる石畳の大三坂は、「函館伝統的建造物保存地区」に指定されていて、その周辺に「伝統的建造物」に指定されている建物が多い。
大三坂の由来は、昔、坂の入口に大三という家印の郷宿があったのでこの名が付いた。郷宿というのは、地方から公用で出てくる村民が泊まった宿である。それ以前は、木下という人の家があったので「木下の坂」といった。昭和62年「日本の道百選」に選ばれた。(坂標より)
◎川越電化センター(旧リューリ商会)(末広町18-21)<明治40年(1908年)築 / 昭和59年(1984年)復元>
大三坂と電車通りの交差点右側に建つバルコニーのある洋館。ロシアの貿易会社リューリ商会の店舗だった建物を復元したもの。和様折衷の店舗兼住宅が多い函館では珍しい完全に洋風な建物。
2階のアーチ型のバルコニーが長崎の洋館を思い出させる外人商館の風情を醸し出している。正面2階に、半円3連アーチをみせるベランダがあり、アーチを支持する4本のフリューティングの付いた木柱、柱間には手すりが付いている。笠木や額縁には溝状の装飾、窓台下にも垂れ飾り風のレリーフを彫るなどの凝った意匠がみられる。
◎エビス商会(旧目貫商店)(末広町17-11)<大正11(1922)年ころ築>
電車通り交差点の左側(大三坂を挟んで上掲の川越電化センターの反対側)に建つ。元は毛皮商の店舗兼事務所として建てられ、現在は海産物や食料品卸を営むエビス商会の事務所になっている。この建物も大正10年に起きた函館大火後に多く建設された、鉄筋コンクリート製耐火建築のひとつである。(※伝建の指定なし)
正面の飾り柱や縦長窓、中央の破風の意匠は欧風だが、よく見ると屋根は寄せ棟で瓦葺きというユニークな和洋折衷のビル。この時期に建てられたコンクリート建築の大概が、屋上を設けられるフラットルーフ(陸屋根)の状態なのに対し、この寄棟屋根はかなり異色なものとのこと。
◎大三ビルヂィング(旧旧仁壽生命函館支店)(末広町18-25)<大正10年(1921年)築>
「大三ビルヂング」とは、2017年11月に箱バル不動産が買い取ってリノベーションした、旧仁壽生命函館支店の社屋とそれに付属する土蔵・民家の通称である。旧社屋にはレストランとシェアオフィスが、土蔵であった建物にはキャンドルショップが入っている。
外壁を白壁としてシンプルにしながらも、建物角部を曲面で仕上げ、縦筋模様の浮彫やテラコッタの装飾を配するなど、大正モダンの象徴的な建造物である。また、土蔵が併設され、近代建築と和風建築との融合が、新しい大正モダンを感じさせている。
★リノベーション後の一般公開時に見に行った2017年11月26日の過去記事
★リノベーション前の内部公開時に見に行った2017年01月30日 の過去記事
◎藤山家所有建物・佐藤理容院(元町30-10)<大正10年(1921年)築>
バス通りと大三坂の交差点に建つ1棟2軒の建物。左側の建物の外観は、1階部分の和風および2階の洋風スタイルは残されており、右の理容院の外観部分の意匠は改変されている。
◎蕎麦彩彩 久留葉(旧村田専三郎宅)(元町30-7) <大正14年(1925年)築>
大三坂に沿って建っている、古民家を内部だけ改造した蕎麦屋。小さくまとまっている和風の平家建となっており、この地区では貴重な建物である。
元は、函館の建築史の祖と言われている村田専三郎氏の私邸で、その凝った造りが、現代では何とも言えない叙情を滲ませてくれている。
◎Tombolo(トンボロ)(元町30-7)<大正10年(1921年)築>
「蕎麦彩彩久留葉」に隣接し、全体的の洋風さが感じられる建物であるが、1階部分の正面に和風の意匠を取り入れている。
もともと、陶芸家である父の作品を展示するギャラリースペースの一部を利用して、娘さんが2020年に「パン工房」を開業。店が閉まっていたこともあり、パン屋さんだとは思わなかった。
◎旧カール・レイモン居宅(元町30-3)<昭和5年(1930年)築>
東本願寺函館別院門前に建つハム・ソーセージの「函館カール・レイモン」を生み出した、カール・ワイデル・レイモンの旧居宅。1階、2階とも、開口部は縦長窓、外壁の仕上げはモルタル塗となっており、シンプルながらもオーソドックスな洋風の建物である。
昭和7年にロシア人毛皮商だったD.N.シュウエツが住居として建てた家で、そのシュウエツ氏が亡くなった後、昭和13年にレイモン氏が購入したとのこと。数年前までは蔦が全面に這う家であったらしい。戦後になり、この自宅の隣にハム・ソーセージ工場を造り、その跡地が現在のレイモンハウスというショップになっている。
◎函館カール・レイモン本店(戦後築)
戦後になって、ここに工場を建築したが、その跡地に建った建てられた建物。(伝建ではなく、函館市景観形成指定建築物)
◎カフェ やまじょう(旧山田・太田邸)(元町30-5)<築年不明・昭和初期?>
カール・レイモン本店の隣の角地に建つ典型的な擬洋風建築(和洋折衷建築)。1階が町屋風、2階は白い下見板張りの洋風。
左側の玄関には、2010年に発足した「北海道アイヌ協会函館支部」の看板が懸かっている。(伝建等の指定はなし)
◎島家住宅(元町31-26)<大正11年(1922年)築>
大三坂沿いの北側に建つ民家。平成13年までは、1棟2戸建となっていたが、現在は、1階が和風、2階が洋風の和洋折衷様式となっており、持ち送り、隅柱、胴蛇腹など特徴部分を残している。
◎大野家住宅(元町31-18)<大正10年(1921年)築>
1階部分に和風の様式が見られ、2階は出窓、軒裏に持ち送りが付いており、外壁は下見板張りであったものと思われるが、現在は人造石の洗い出し塗となっている。
◎東本願寺函館別院(元町16-15)<大正5年(1916年)築>
画像の二十間通りから大三坂までの敷地に建つ、国内最初の鉄筋コンクリート造りの寺院。
江戸期の宝永年間(18世紀初頭)から箱館に寺院を構えていた同寺は、明治12(1879)年の大火を機に現在地に移転してきた。しかし明治40(1907)年8月の大火で寺院が焼失。これを機に金森合名会社の代表で、同別院の檀家総代を務めていた三代目渡辺熊四郎の立案により、不燃素材による伽藍建設が検討される事になった。明治45年着工、大正5年完成。(本堂は国指定重要文化財)
当時鉄筋コンクリートの強度が解らず、大きな屋根や瓦が、鉄筋コンクリートで持つかどうか不安で、寄付金が思うように集まらなかった。そこで、高床に芸者を上げて踊りを見せて、その見物客も全員中に上がらせて、その強度を認識させたという逸話が残る。
◎磯田家住宅(元町15-23)<昭和元年(1926年)築>
大三坂の角地に海側を向いて建つ民家。屋根は寄棟造で一文字葺の鉄板貼、外壁面は簓子下見板張りに格子付の横長出窓となっており、玄関の意匠を含め純和風の建物である。
◎金子家住宅(元町15-26)<大正10年(1921年)築>
大三坂に面して建つ民家(現在は居住していないようだ)。1階は、和風の意匠を持ち、2階は洋風となっているが、本来は、1棟2戸建ての建物であった。
◎鷲見家住宅(旧亀井勝一郎生家)(元町15-28)<大正10年(1921年)築>
大三坂面してカトリック教会の下に建つ洋風住宅。柔らかにうねる破風、開き窓を見せる曲面のペイウインドー、屋根上に見える暖炉用煙突など、ロマンティックな洋館で、セセッション風の建物である。木造モルタル2階建て。
設計はユーゲント・シュティール(フランスやベルギーでいうアール・ヌーヴォー)のエッセンスを取り入れ、当時、西欧で流行していた建築様式「セセッション」に影響を受けたモダンな作風で知られる関根要太郎と弟の山中節治。
◎カトリック元町教会(元町15-30)<大正13年(1924年)築>
元町の代表的風景、教会群の一角を占める。最初の教会堂は1859(安政6)年創建。現在の建物は1923(大正12)年に再建。大聖堂内の祭壇はローマ教皇から贈られたもの。聖堂(右)のレンガ壁をRC補強したゴシック様式の建物で、外壁の仕上げは人造石洗い出し塗となっており、同年に建築された鐘楼、司祭館とともに異国情緒を醸し出している建物のひとつである。
キリスト教宣教再開の象徴として、横浜と長崎に建立するカトリック教会と並び、国内では最も古い歴史を持つ。
附属門柱と石塀もこのときの築で「伝建」に指定されている。
◎左から小形家住宅・幌村家住宅・(1件置いて)真壁家住宅店舗<明治41年(1908年)築>
★小形家~外観の意匠は改変されているが、建設当時の形態は残されており、復原可能な建物である。
★幌村家~1階は簓子下見板張り、竪繁格子の出窓2階は下見板張りの外壁に縦長窓を設け、胴蛇腹、歯飾りをつけている。
★真壁家~1階は簓子下見板張り、竪繁格子の出窓の和風、2階が縦長窓、胴蛇腹、軒下飾りパネルなどの洋風で典型的な和洋折衷様式の町家である。漁業関連会社の社宅として建てられている。