癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

21日目〈ホテルオータ〉~43明石寺~42佛木寺~41龍光寺~〈務田駅〉〈36.0km〉〈合計668.5km〉

2018年03月31日 | 登山・旅行

6:15スタート~17:00ゴール(10時間45分)〈57845歩〉

◎2つの峠越えで距離の割りには予想以上に時間が掛かった
 
 今日は、43,42,41を打って、41のすぐ先の三間の民宿に泊まる予定だった。しかし、470mの鳥坂峠と490mの歯長峠えに、予想以上に時間が掛かってしまった。
 しかも、予定していた三間の民宿は満杯で、もう1軒は営業していなかった。確かに、これまで土曜日は1回で宿が見つかったことは1度もなかった。
 電車で宇和島まで出れば、何とかなるだろうと歩を進めた。

◎まずは、鳥坂峠を越えて、21km離れた43明石寺を目指す

     
 ホテルを6:15に出て、コンビニで弁当を買い、国道56号を進んだ。大洲市街地を出てまもなく長い登りが続く。

 7:30、途中のお遍路休憩所で朝食を食べた。

     
 国道から遍路道へ入り、山道を進む。

     
 日天社の休憩所でお遍路さんが休んでいた。以前は先達(お遍路の案内人)をしていたが、昨年奥さんを亡くしたので、今回は奥さんの供養を兼ねて、自分のために2月からカートを引いて回っているという。
 高知でテントから離れたスキに、カードなどが入った用具一式をカートごと盗まれたという。気の毒に思った高知の人が新しいカートやガスコンロセット等を買ってくれた上に、お金まで貸してくれたという。自宅は内子町なので、明日には帰れるという。
 
     
 9:15、鳥坂峠を通過。大洲市から西予市(旧宇和町)になる。

     
 山中の遍路道にはいろいろな人生訓のようなことが書かれた札が下げられている。その中で、もっともシンプルだけど、もっとも納得したフレーズがこれ!

     
 岩盤が剥き出しになった道を下って行く。

     
 集落に下りた所に、江戸時代の番所の建物がそのまま残っていた。関所のような所で、取締りは厳しかったが、お遍路さんには寛大だったそうだ。

     
 途中の蒲鉾屋さんで揚げたての宇和の名物じゃこ天を食べた。2枚頼んだら、1枚はお接待だという。1枚137円だった。

     
 これで3回目のアップだが、一面に咲く白いタンポポ。綿毛ではない。北海道では絶対見られない光景に感動。

     
 歴史的建造物が多く残る卯之町の旧街道を抜ける。

 峠を下りたのに、280mにある明石寺まで、また山道の登りが続く。

     
 12:20、予定より1時間近くオーバーして、ようやく43番霊場明石寺に到着。
 お寺のすぐ下の土産物屋さんで、昼食の肉うどんを食べた。

◎今度は、急な歯長峠越え

     
 明石を出て、11km先の42佛木寺を目指すが、その方向に越えなければならない歯長峠が見える(一番低いコル)。

     
 この登りは、これまであまり経験のないほど急な登りだった。
 途中で、下りてきたハイカーが、「峠を越えて少し下った所が崖崩れの工事をしていて、通行止めだったが通してもらってきた」とのこと。どこにもそのようなことは記されていなかった。通してもらえるとこのとで安心して歩を進める。

     
 14:50、歯長峠到着。ここからは、宇和島市となる。
 
 下りて行ったら、確かに、遍路道の下から谷底までの崖崩れで工事をしていた。断って通してもらった。

     
 この峠、反対側がもっと急だった。鎖がずっと張られていた。こんな急な尾根はロープが続いていた初日の別格20以来だ。

     
 下って行くと、車道に合流する地点の休憩所の上に「崖崩れのため通行止め」の看板が設置されていた。
 順打ちの人は、そこからトンネルを潜れば良いが、自分のような逆打ちに対しては、全く対策が取られていなかった。通れたから良いものの、もし、あそこから戻らなければならなかったらと思うと、腹立たしかった。

 下から、結構年配の女性が一人で登ってきたので、そのことを話し、トンネルを潜ることを勧めた。

     
 15:50、42番霊場佛木寺に到着。
 距離からすると、すでにゴールしている時間だったが、次の41龍光寺を目指す。

       
 ずっとチューリップロードが続く。前回、コスモスロードがずっと続くところがあったのを思い出し、前回の記録を見たら、やはり、ここだった。

     
 次の龍光寺までは、2.6kmなので、楽勝と思っていたら、250mの山越えが待っていた。再び山道の遍路道を登る。

     
 上から下りて、16:35、41番霊場龍光寺に到着。

◎次は宿の心配

 キャンセル待ちを期待した下の三間の民宿は、電話したら満室のままだという。
 ネットで調べたら宇和島駅前のホテルもどこも満杯とのこと。でも、宇和島まで行けば何とかなるだろうと、務田(むでん)駅を目指した。
 スマホで電車の時刻表を調べたら、17:06である。今回のお遍路で初めて走った。

     
 17:00には駅に着いて電車に乗ることができた。今回でもっとも遅いゴールかも知れない。

 宇和島駅の観光案内所で泊まれるホテルを探してもらった。15分ほど歩くが、ホテルイシバシが取れた。

     
 ホテルに着いたのが17:45だった。素泊まりで4630円だった。
 いつもはすぐに風呂に入るが、遅かったので、先に夕食を食べに出た。

    
 ホテルから割引券をもらい、紹介された和風レストランで、サーロインステーキとヒレカツのセットがあったので飛び付いた。
 2440円だったが、ホテルの割引券のお陰で2240円で済んだ。最近はビールを飲まないで、その分を食べる方に回している。
 
 ブログの更新も21:40と、すっかり遅くなってしまった。もうとっくに寝ている時間だ。

 


20日目〈松乃屋旅館〉~別格8十夜ヶ橋~別格7金山出石寺~〈ビジネスホテルオータ〉〈45.1km〉〈合計632.5km〉

2018年03月30日 | 登山・旅行

6:00スタート~16:30ゴール(10時間30分)〈60140歩〉

◎別格2ヶ所打ち~勘違いがプラスに働く

 今日は、別格8十夜ヶ橋と標高810mの山頂にある別格7出石寺の予定だった。十夜ヶ橋は88ヶ所のルート上にあるので、問題はなかった。
 別掲になっている出石寺の地図が、十夜ヶ橋の先との接続部分が良く分からず、勘違いして一番遠いコースを考えていた。大洲市街地までは下りるのは無理と考え、今日の宿泊は出石寺の宿坊を予定していた。

 しかし、十夜ヶ橋の納経所で聞いたら、地図の方位を反対に見ていたことが混乱の原因だった。
 「出石寺は食事を持参するように言われるかもしれないです。しかし、今からでも、この先の大洲市街地の今晩泊まるホテルを決めて、荷物を預かれば、一番短い阿蔵コースを、速い人で7~8時間で往復していますよ。ビジネスホテルオータさん辺りが良いのでは?」とのことだった。
 もし、ホテルを10時に出ても、17時までには戻れるだろうと考えた。結果的に、それより速く踏破することができ、勘違いが珍しくプラスに機能した例となった。

◎まずは、内子町の宿から別格8十夜ヶ橋を目指す。

 6:00に宿を出て、近くのコンビニで朝食を摂る。

     
 コンビニから遍路道に出る途中に、高架の下にスポッと収まった可愛い内子駅かあった。

     
 内子駅の後ろから、山道に入る。狭い沢沿いの耕地の横の道を下る。ここも旧街道だったのだろう。

     
 所変われば品変わるで、旧街道沿いの人家の庭に、見たことのない花を目にした。

     
 やがて、国道に出ると、大洲市へと入っていく。

     
 国道沿いの満開の桜を眺めながら歩を進める。
 国道から旧街道へと入ると、後ろから自転車で追い越していく中学生が、必ずと言っていいほど、「おはようございます」と、顔を向けて挨拶をして通過する。前から来るなら分かるが、後ろから追い越す時にも挨拶されるのは、嬉しさが倍増する。春休みなので部活の生徒たちなのだろう。 

     
 旧街道の新谷地区の商店街を通る。ここは松本零士の母方の故郷で、零士自身も少年時代疎開していたそうだ。「銀河鉄道999」の風景の原点は、この新谷地区にあるそうだ。

     
 松本零士が眺めた風景のを眺めながら、堤防の道を行く。

     
 840、賑やかな国道沿いの別格8番霊場十夜ヶ橋(とよがはし)に到着。
 この由来は、弘法大師が一夜を小川に架けたる土橋の下に野宿され、夜の明けるのを待ちかね給い、一夜も十夜の長さに感じられたということによるととのこと。
 橋の下に弘法大師が寝ているので、橋の上では金剛杖を突かないという習わしはここから来ている。

◎大洲市街地のホテルから、810mの山頂にある別格7出石寺を往復

 十夜ヶ橋で教えてもらったことを参考に、大洲市街地のビジネスホテルオータを目指してピッチを上げる。
 
 9:50、ホテルを予約して、リュックを預け、必要なものを山谷袋に収めて、スタート。
  
     
 桜が満開の大洲城を眺めながら、遍路道へ向かう。
 途中のスーパーで昼食のパンを買う。

     
 橋の上から、これから登る出石山(左奥のピーク)を眺める。
  
 山中を通る遍路道の入口が分からず、近くにいた女性に聞いた。

     
 人家の上の尾根に続く深く掘れた遍路道。
 
     
 山道は1kmほどで車道に出る。このあとは、途中ショートカットするところはあるか、最後の2.5km手前まではくねくねと続く車道歩きとなる。

     
 段々畑もそろそろ耕されているようだ。左上の人のように見えるのは案山子。

     
 標高300m付近から大洲市街地を見下ろす。
 途中、分岐がたくさんあるのに全然標識がない。GPSも持っているが、不安になる。たまたま農家の人がいたので聞いたら「この道で合ってますよ。この上からは標識がたくさんあります」とのこと。

     
 確かに、そのすぐ先に「出石寺↑」の標識が現れた。

 車道が下っていくのて、不安になり、遍路道の入口を見落としたのではないかと戻って、15分ほど余計な時間を費やした。

     
 やがて、車道からお寺までの歩き遍路道への入口に到着。あと2.5km、標高差320mの登りである。しかし、急だったのは、最後の500mくらいだった。

     
 途中で大嫌いな大きな蛇を目撃。そばで金剛杖を突いても全然動かなかった。帰りにはいなかったので、生きてはいたようだ。

     
 13:25、予定より5分速く、ホテルから3時間35分で、別格7番霊場金山出石寺に到着。
 本当に本堂が山頂にある。山屋としては、三角点を探したくなる衝動に駆られる。
 昔の霊場は修行の場だったので、平安時代以前の霊場は、高い山の上にあることが多いのだろう。

     
 境内の片隅の展望台から大洲市街地方向を見下ろして、納経所に寄って下山開始。

     
 16:30、下りはやはり速い。往復6時間40分でホテルに到着。「この時間で往復するなんてお元気ですね」と誉められた。
 素泊まり5400円だった。

     
 夕食は、近くの中華料理屋で定食(酢豚、唐揚げ、エビフライ、春巻、野菜スープほか)(1050円)。

 


19日目〈民宿一里木〉~農祖峠遍路ルート~内子町〈松乃屋旅館〉〈38.6km〉〈合計581.4km〉

2018年03月29日 | 登山・旅行

6:00スタート~15:45ゴール(9時間45分)〈57053歩〉

◎午前中は山越え

 次の札所は、別格8十夜ヶ橋だが、50km近く先にあり、とても1日では歩ける距離ではない。今日は、今回の遍路で初の移動だけの日だった。

 久万高原町から内子町へ抜けるルートは、大きくは2本、それを繋ぐルートが2本あり、その組み合わせでいろいろなルート取りができる。

 前回は、最短距離である790mの鴇田峠を越えたが、今回は距離は長いが、アップダウンが緩いという650mの農祖峠コースを選んだ。

     
 朝コンビニで巻き寿司と野菜スープを買ってきたら、ご主人が「コンビニものだけなら味気ないでしょう」と、おかずを部屋に届けてくれた。連泊に対するお接待のサービスらしい。

 6:00、宿を出て、ひな祭りの展示で賑やかな旧街道を歩き、国道を横切って、農祖峠へ向かう。

     
 一部山道を抜けて、県道に合流するすると、朝日に輝く山村風景の中を進む。北海道では味わえない日本のふるさとといった感じの風景だ。

     
 再び深く掘れた山道となる。もともと遍路道は当時の主要道路だったわけで、車社会になって県道や国道が整備されるわずか130年ほど前までは、1100年以上も前から人馬が往来していたことになる。この深く掘れた道に、その歴史の重みや深さが残る。

     
 7:35、本日の最高地点農祖峠を通過。この標識も順打ち方向からでないと分からないので、振り返って撮影。

     
 この峠の前後は、最近伐採作業が盛んに行われているようで、道がよくわからないところもあった。古い踏み跡が残る下り道を選ぶようにした。

     
 8:15、県道へ出て、農祖峠越えは終了。山村にしては凄い塀を廻したお屋敷があった。
 このあとは、県道や国道、それらと並行する旧街道を進む。8:30を過ぎた辺りから、小田にある3軒の遍路宿宿に泊まったと思われる順打ちのお遍路さんがぽつぽつとやって来る。

     
 国道380号を登っていくと、真弓トンネルを潜る。昔はトンネルはなかったわけで、ここも当然峠越えだったわけである。地形図には、トンネルができる前の舗装された旧道が残っていて、その真弓峠は740mだった。ちなみに、このトンネルの入口は570mだった。
 トンネルを抜けると、内子町になり、あとはずっと下りが続く。

     
 国道を横切る地点には、順打ち用には、いろいろな標識が賑やかである。

     
 しかし、逆打ちの下り口には何もなく、上の標識の地点を振り返って、そこに続く遍路道だと判断するしかない。

◎小田からは、内子町市街地を目指して、国道と川を挟んで並行する旧街道を黙々と歩く。
    
 11:00、少し大きな小田の集落を通過。このあとも山間の国道を下るが、山越えのイメージはなくなる。
 小田の道の駅で休憩したが、そこの桜は見頃を迎えていた。

     
 国道沿いを流れる自然河川に錦鯉が泳いでいるのにも驚く。このあと金色の鯉もいた。

     
 国道の歩道の割れ目に咲く「根性すみれ」。葉の形からすると、冠のつかないただのスミレのようだ。

     
 昼食は、遍路休憩所で、急斜面にへばり着く家並みや段々畑を眺めながら、昨日買った饅頭の残りと菓子パンで済ませる。

     
 道の駅で450円だったイチゴが無人販売所で200円だったので、買って食べながら歩いた。
 小学高学年女の子二人がそれを見て「イチゴ美味しいですか?」と挨拶してきた。「美味しいよ。食べる?」と聞いたら、「うちでも作っているのでたくさんあります」とのこと。分かれ道で「がんばって歩いてください!じゃ~ね」と声をかけて別れていった。

     
 道端にたくさんの白花タンポポが咲いていた。先日は1株だけだったが、普通に咲いているのにも驚いた。

     
 同じ1本の幹から紅白と混じった花の咲いている梅の木。函館公園にもあるが、道中あちこちで見かけた。

     
 向かい側から10人ほどのお遍路さんの一行がやってきた。この人たちを含めると、20数人に出会った。外国人は3名いたが、横浜ホエールズのラミレス監督にそっくりな人がいた。

      
      
 内子町市街地の5kmほど手前に、前回、函館にも13年間住んだことのある北広島市の健脚大師こと竹さんと初めて出会い、一緒に泊まり、その後数日間同行した懐かしい無料遍路小屋がまだ残っていた。
 中は前回は2人しか泊まれなかったが、今回は広くなっていた。
 なお、竹さんは、現在85歳だが、まだクロカンスキーの大会で顔を合わせている。

     
 いよいよ、ゴールの「白壁のまち」内子町へと入っていく。

     
 15:45、松乃屋旅館に到着。旅館も、白壁造りだった。観光地なので、素泊まりで6000円だった。

◎重要歴史的建造物保存地区を中心に散策
 
 実は、前回この町を通った時に、次はぜひここに泊まりたいと思ったが、偶然その願いが叶った。
 宿に荷物を置いて、重要歴史的建造物保存地区を中心にざっと町並み散策をした。
 この内子町は、かつて大洲藩の産業木蝋で栄えた街とのこと。昔は蝋燭は生活必需品だっただけに、その繁栄の様子が良く分かる。

     

     
     
     
      
     
      

     
 夕食は隣のイタリアンレストランで、昨日の誕生祝いを兼ねて豪華にと思ったが、これだけ食べて飲んで2100円と安上がりだった。

 毎日しっかり食べているのに、昨日の段階で58kgと家を出たときより3kgも減っている。この体重は、大腸癌の術後以来だ。毎日、3500kcalくらい消費しているのではなかろうか?

 


18日目〈民宿一里木〉~45岩屋寺~44大寶寺~〈民宿一里木〉〈25.7km〉〈合計542.8km〉

2018年03月28日 | 登山・旅行

6:40スタート~13:50ゴール(7時間10分)〈歩数不測定〉  

◎74回目の誕生日は、縦走登山モードの省エネ行動

 今日の誕生日は、昨夜宿帳に記入したときに気が付いた。
 45岩屋寺は、垂直に切り立つ断崖絶壁の下に位置する、前回もっともインパクトのある霊場だった。記念すべき誕生日にこの霊場に巡りあったのも何かの縁であろう。

 当初は、リュックを宿に預けて、55岩屋寺と54大寶寺を打ち、さらに標高790mの鴇田峠を越えて16km先の宿まで頑張る予定だった。
 しかし、かなり急いで歩いたつもりだが、アップダウンの激しい縦走登山モードで、予想より時間が掛かり、44大寶寺まで戻った時点で13:00過ぎだった。宿に戻ってからあとの峠越えの16kmは無理である。そこで、連泊することにしてのんびり下った。

◎88ヶ所で最もインパクトの強い45岩屋寺でポカ

 宿の向かいのコンビニでサンドイッチとカフェラテの朝食を摂り、6:40スタート。

     
 1kmほどは県道歩きだが、峠御堂トンネルを潜る。向かい側からお遍路さんがやってきた。

     
 再び少しの間県道歩きとなる。眼下にまだ朝日が当たらない日照時間の短そうな家並みが見える。

     
 やがて、歩き遍路用の山道歩きとなる。石畳や石段の道もある。

     
 やがて、八丁坂ルート入口に到着。ここで、遍路道は2つに別れて周回することができる。
 前回泊まった国民宿舎古岩屋荘の前を通るコースへ進んだ。あとで、「反対回りをすれば良かった」と思わされることになるとは…。

     
 深く掘れた古道然とした峠部分から朝日が差し込む。

     
 前回泊まった国民宿舎古岩屋荘の前だけ、県道と合流する。
 この宿には、素晴らしい思い出がある。このとき出会った北海道鷹栖町の徳さんご夫妻とは、今でも親しくお付き合いさせていただいている。
 そのとき、ご夫妻はバス遍路だったが、拙サイトの歩き遍路の記録を見て、翌年自分たちも歩き遍路を経験して、その記録を小冊子にまとめて送っていただいた。それ以降も、毎年のようにいろいろお世話になっているが、昨年ご主人がお亡くなりになった。

     
 やがて、岩屋寺の入口に到着。この寺は、この下(標高440m)までしか、車道がなく、車やバス遍路の誰でも標高670mまでの石段を登らなくてはならない。
 参道の下の方には、売店が並んでいる。

     
  急な石段が続く。急いで登ったら15分ほどだった。

    
 9:20、45番霊場岩屋寺に到着。頭上から覆い被さるような岩壁の迫力が凄い。
 この車道すらない高い岩山に、資材を運び上げて建築した当時の労力に感動する。
 誕生日でもあるし、喉が痛くなってから省略してきた般若心経の読経をしてみた。これまでは何か物足りなく感じていたが、これからは本堂だけでも般若心経の読経をすることにした。

     
 垂直の梯子を利用して、恐々右上の穴禅定(修行の場)にも登ってみた。

 しかし、このあとにポカをやらかしてしまった。次の44大寶寺へのコースをなぜか、下まで下りてからと勘違いしていた。標高差200m以上も下って、売店のご主人に確かめたら、上の本堂と薬師堂の並びの左側の古い山門が出口とのこと。

 「人生74年経っても修行が足らん。頑張れ!」という大師様の思し召しと素直に受け入れて、登り返した。

 しかし、このあとの八丁坂のピークは760mである。さらにきつい登りが続く。
 反対から登ってきたお遍路さんは「このコースは、そちらからの方がずっと辛いんです」と言う。確かに、寺の入口は440mだから標高差300m以上はある。しかし、反対側の八丁坂入口の標高は600mなので、標高差160mの登りで済む。
 「この八丁坂コースを登りで使えば、直接本堂に出るので、下から2回も登らなくて済んだ」と思い知らされた。

     
 「人生即遍路、こんなこともあるさ」と、考えながら登っていくと、割れ禅定があった。
 昔の修験者はこの間から登り、岩峰の上で修行をしたそうだ。勝手に入れないように錠が掛けられていた。

     
 お昼少し前、県道に出た所に民宿のうどん屋さんがあった。面白そうな「こっこううどん」を注文。出汁はキジを使っているが、具は、キジ肉は5倍もするので鶏肉を使っているから、こけ「こっこう」と名付けたとのこと。さすがに出汁もうどんも美味しく、最後の一滴も飲み干した。

     
 往路では潜った峠御堂トンネルの左側に44大寶寺への遍路道が続いていた。
 この山道も最高地点の峠御堂の740mまで登らされた。まさに、今日は、アップダウンの激しい縦走登山モードである。
 
     
 下りは快適なヒノキ林の道である。

     
 13:05、44番霊場大寶寺に到着。88ヶ所の半分なので、「へそ寺」と呼ばれているらしい。

 この時点で、改めて距離計算をして、今日は、連泊するに決めた。あとはのんびりと宿を目指す。

     
 参道に売店があったので、その店でしか売っていない「やいとまんじゅう」(400円)(上のよもぎ饅頭)を買ったら、ペットボトルのお茶をお接待としていただいた。
 下の「おくま饅頭」は、町の菓子店で買ったが、ここの銘菓とのこと。
 誕生ケーキ代わりになった。妻はちゃっかりケーキを買って食べたらしい。ラインで写真が送られてきた。

 参道の店で、お茶とかりん糖をごちそうになり、いろいろ15分ほどお喋りをした。「この久万高原町は標高が600mの高いところにあるので、寒いからどんどん人口が減って、町でも頭を抱えている」とのこと。

     
 参道の下りから、久万高原町の市街地を見下ろす。

     
 染井吉野はまだ蕾だったが、彼岸桜?は満開だった。

 13:50に宿に戻り、連泊のお願いをする。

◎「くままちひな祭り」の町並み探訪
 
     
 2/25~4/28までの間、旧街道を中心に「くままちひな祭り」が開催されている。今は、使われなくなったお雛様を集めて、外から見えるところに展示している。
 道南の江差町でも同じ様なことをしているが、期間が短い。

     

     
     「へんろびな」もあった。

     
 こんな木造3階の古民家もまだ住宅として使われていた。

 18:00過ぎには、ブログアップ完了したので、今晩はラーメン屋まで歩くことにする。結局、ラーメン、ギョウザ、おでん3本で腹一杯。ビールは飲まず。

 


17日目〈浄土寺P〉~48西林寺~別格9文殊院~47八坂寺~46浄土寺~〈民宿一里木〉〈27.1km〉〈合計517.1km〉

2018年03月27日 | 登山・旅行

 7:45スタート~15:45ゴール(8時間)〈39481歩〉

◎まずは、立て続けの松山市内の4ヶ所(含別格1)

 松山市内には、88ヶ所霊場は8ヶ所ある。そのうち昨日は5ヶ所で、今日は3ヶ所と別格1ヶ所だった。

 それぞれが割りと近いところにあるので、効率良く回ることができる。

 今日から、もう少し短い距離に収めて、ゆっくりと歩くことにした。おまけに、今日は、標高720mの三坂峠越えもあるので、標高600mにある久万高原町の民宿を予約した。

 7:30に法起坊見習いさんが、ホテルまで車で迎えに来て、昨日のゴール地点の浄土寺の駐車場まで送ってくれた。

     
 今日は、今日で行動食のお接待をいただく。結果的にこれらが昼食代わりになって助かった。
 彼に見送られて、スタート。ただし、これがお別れでない。宇和島付近でまだ案内したいところがあるらしい。

     
 畑で見慣れない花がたくさん咲いていた。良く見たら、ブロッコリーの花だった。確かに食べるところは蕾なので花は咲くはずだが、これまで見たことはなかった。

     
 8:30、3.2km離れた48番霊場西林寺に到着。このお寺、道路から数段階段を下がって仁王門を潜る。お参りに来ていた近所のおばさんによると「88ヶ所のうち道路より低い所にあるお寺はここだけ」とのこと。 
 確かに、仁王門を潜ってからたくさんの石段を登るお寺に散々苦しめられてきた。

     
 ついでに、そのおばさんに紹介された「親子竹」。同じ株から別の種類の竹が生えている珍しいもので、ほかには見られないとのこと。

     
 これから進む方向を眺めると、高い山の右側を通過するはずの三坂峠の尾根が見える。

     
 この時期には珍しい穂の出揃った四国ならではの麦。

     
 初めて目にしたママチャリお遍路さん。爽やかな挨拶をして駆け抜けて行ったが、30代後半のきれいな女性だった。

     
 9:45、別格9番霊場文殊院に到着。大きな弘法大師像と右下に遍路開祖とされる衛門三郎夫妻の像が設置されている。この衛門三郎は逆打ちの開祖でもあり、ここに邸宅があったという。
 その由来は、このような伝説による。

     
 文殊院を出てまもなくの曲がり角に、明らかに「ぎゃくへんろ道」と彫られた古い時代の案内標石が立っていた。さすが、衛門三郎の地である。

     
 10:10、わずか1kmしか離れていない47番霊場八坂寺に到着。
 ところが、文殊院で納経所に寄るのを忘れたことを思い出した。今回は、別格だけは納経帳を持参したのだが忘れた。
 八坂寺の勤行を終えて、リュックを置いて急いで戻った。近いところだったので、往復25だけで済んで助かった。
 前回も2回そのようなことがあって、タクシーで往復したり、法起坊見習いさんに車で往復してもらったりしたことがあった。

     
 10:55、やはり1kmほどしか離れていない46番霊場浄瑠璃寺に到着。ここで、松山市内の札所は終わりである。ここから、次の45番岩屋寺までは、29.5kmも離れている。
 とりあえず、8km先の三坂峠を目指す。いよいよ標高差700mほどの登りである。

◎逆打ちの方が辛い、思い出の三坂峠を越える。

     
 少し進むと、前回連泊した長珍屋があった。ここから法起坊見習いさんに車で送迎してもらって、石鎚山に登った宿である。

 登坂の途中で昼になった。この先食べ物屋はないので、法起坊見習いさんからいただいた行動食と奥さんの手作りクッキーとせとかで昼食とした。

     
 昔の旅籠坂本家の近くの川で休んでいるお遍路さんのグループがいた。全員欧米系の外国人の女性がほとんどだった。

     
 最終人家から、歩き遍路専用の山道となる。

     
 途中に、江戸時代に行き倒れになったお遍路さんの墓もあった。

     
 今は植林された木が大きくなっているが、明らかに段々畑に覆われていたと思われる所もある。

     
 この街道は、久万街道と呼ばれ、明治25年に国道36号が開通するまで、伊予と土佐を結ぶ主要な生活道路だった。

     
 珍しい「逆打ち」のシールも貼られていた。

     
 14:00、国道に合流する三坂峠に到着。
 ここは、14年前に、法起坊見習いさんと落ち合って、初対面を果たし、昼食お弁当のお接待を受けた懐かしい場所である。
 そのときの朽ちた感じのテーブルや椅子のあった古い建物は、いくら探しても見つからなかった。すでに、撤去されてしまっていたようだ。

      
 あとは、宿まで緩やかな国道歩きである。下って行くと、前回も印象にある久万スキーランド入口の看板。
 調べてみたら、今年もつい3/18まで営業していたらしい。強力な人工降雪機を所有する四国で6ヶ所しかない貴重なスキー場らしい。

     
 途中の標高650mほどのところに、「檜垣桜公園」があった。

     
 午前中は花見三昧だったが、さすが650mの標高では、まだ蕾は固かった。

     
 15:45、理想的な時間で、今日の宿、民宿一里木に到着。
 素泊まり4000円だが、2食付きだと7500円になるので、素泊まりを勧められて、予約しておいた。
 すぐ向かいにコンビニがあり、500mほど歩くと中華料理屋もあるという。

 ブログをアップし終えが、歩くのは面倒なので、コンビニで適当に見繕って来ることにする。


 


16日目〈民宿上松〉~52太山寺~(道後温泉)~51石手寺~(淡路ヶ峠)~50繁多寺~49浄土寺~〈浄土寺P〉〈27km〉〈合計490.0km〉

2018年03月26日 | 登山・旅行

6:30スタート~(10:10~12:35道後温泉)~15:25ゴール(6時間30分)〈34511歩〉

 朝から、これまでで最も暖かった。松山市内では、一気に染井吉野が開化し、見事な花見遍路となった。
 今日1日は、すべて法起坊見習いさんのお接待の計画に乗った。松山市市内の4ヶ所を打ち、途中に道後温泉をはしごをし、コール後は車で移動して、奥道後温泉まで入るという、贅沢温泉三昧の1日だった。

◎太山寺を打ち、道後温泉で待ち合わせ

     
 6:30に民宿上松を出て、昨日勤行をしなかった円明寺へ。一番乗りのお線香は気持ちが良い。    
 その後、一人で太山寺を目指す。

     
 7:30、52番霊場太山寺に到着。ここの本堂は鎌倉時代(1305年)建立の国宝で、県内最大の本堂だそうだ。

     
 太山寺を出たところで、珍しく逆打ちの女性と出会い、複雑な遍路道を少しの間一緒歩いた。

◎道後温泉のはしごと昼食

    
 10:10過ぎに、法起坊見習いさんと、道後温泉飛鳥の湯て待ち合わせ。
 この飛鳥の湯は、今後10年掛けて改修をする本館の別館として、昨年の9月にオープンしたばかりらしい。

     
 わざわざ高い個室利用のコースを選んでいただいた。湯上がり後に個室で寛ぐ2人。

     
     個室でご馳走になったお茶とお菓子

     
 飛鳥の湯を出て、温泉街で最も有名なうどん屋大黒屋へ。人気店らしく、非常に混んでいた。

     
 昼食にご馳走になった、今回初の冷たい大黒屋うどんを食したが、さすがに美味しかった。

     
 昼食後は、前回に引き続き、道後温泉本館で、温泉のはしごとなった。

     
 入浴後、休憩所で再び寛ぐ。

◎石手寺から淡路ヶ峠越えで繁多寺へ
   
 法起坊見習いさんも一緒に、石手寺と繁多寺を打つことになった。

     
 まずは、桜の名所である道後公園となっている湯築城址で、8分咲ほどの染井吉野を見る。

     
 12:50、51番霊場石手寺到着。こちらのお参りの後ろ姿を撮って下さった。

     
 石手寺から次の繁多寺までは、遍路道を外れて、法起坊見習いさんの日常的なトレーニング散策の舞台である淡路ヶ峠(275m)の縦走コースを案内してくれた。

     
 ここは、夏目漱石の「坊っちゃん」も登ったことになっているが、道後平野や松山市街地と瀬戸内海の眺望が見事な展望台だった。
 しかし、春霞で、スッキリとした展望でなかったことが、残念だったし、法起坊見習いさんは悔しがっていた。

     
 東屋で、お接待の「せとか」が6個も出てきた。残りはこちらがいただくことになるので、彼が1個、自分は2個も食べた。のちに、浄土寺で1個室歩き遍路さんにお裾分けをした。

     
 山頂や市内のあちこちに咲いている松山市発祥の陽光桜。
 愛媛県在住の中学校教員高岡正明が交雑させて作出した桜で、第二次世界対戦で生徒たちの冥福を祈って各地に桜を贈ることを思い立ち、25年の試行錯誤の後に、誕生させた品種で、今でも世平和を願って、世界各地に送り続けているらしい。北海道では、利尻高校にあるとのこと。

     
 今年はじめて目にしたムラサキヤシオ

     
 14:40、淡路ヶ峠を下り、麓の50番霊場繁多寺へ到着。境内のサクラがみごとだった。
 ここで、彼は家へ戻り、車を持ってくるとのこと。そこ間に、こちらは、次の浄土寺を打つことに。

     
 15:10、本日最後の49番霊場浄土寺に到着。勤行を終えたところで、彼から電話が入り、駐車場にいるとこのと。この駐車場を今日のコールとした。

◎車で奥道後温泉へ。のちにホテルへ 
 
      
 15:55、温泉はしごの最後となる車で移動しての奥道後温泉に到着。
 今はやや寂れた感じだが、昔は一大観光地だった
らしい。

    
 ホテルの窓から眺める山肌を染める染井吉野。北海道は山を彩るのはオオエゾヤマザクラなので、染井吉野が自生いていることが凄い。

     
 この温泉は、道後温泉とは泉質が違い、ヌルヌルしたり、白く濁ったりした絹の湯もあった。

 このあと、彼が予約してくれていた東横イン一番町へ。宿代もお接待で、お釣りは「夕食をどうぞ」とこちらに渡たされた。
 今日の必要経費はすべてお接待で、昨日の靴といい、至れり尽くせりの太っ腹なお接待のされ過ぎで、バチが当たらないかと心配になった。

 明日は、朝7:30に迎えに来て、今日のゴールとなった浄土寺の駐車場まで送ってくれるという。

     
 ブログアップ後の夕食は、近くの鉄板焼き屋で、松山発祥のソールフード三津浜焼きと鉄板骨付き鳥をご馳走になった。どちらも非常に美味しかった。

 


15日目〈今治駅〉~55南光坊~54延命寺~53円明寺~〈民宿上松〉〈38.8km〉〈合計463.0km〉

2018年03月25日 | 登山・旅行

7:30スタート~17:00ゴール(9時間30分)〈58060歩〉

◎朝の内に今治の2ヶ所を打ち、法起坊見習いさんが待つ松山へ

 本来なら、もっとのんびり歩きたいのだが、今日も宿の関係で、距離を延ばさざるを得なかった。どうしても、 距離が長いと 早く着きたいのでペースが速くなる。

 法起坊見習いさんに驚かれているが、今日も打つお寺が少なかったこともあり、結果的に、平均時速4.1kmペースとなった。明日からは、距離を抑えてもっとゆっくりと歩くつもりだ。

 もっと早くスタートしたかったが、大西駅発の一番列車が7:04なので、今治駅からのスタートは、7:30とならざるを得なかった。
 宿の近くのコンビニのイートインコーナーで朝食を食べて、リュックを宿に預けて、電車に乗り込んだ。

 隣の旅館に泊まっていた番外霊場と奥の院を回っているというこだわりの男性と電車で一緒になり、いろいろなお話を聞くことができた。

 7:35、まずは、今治駅すぐ近くの55番霊場南光坊へ。
 四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけである。正式には光明寺金剛院南光坊という。創建は700年前後とされる。

    
 次に、3.3kmしか離れていない54延命寺へ向かう。途中の遍路札がぶら下がっている、綻び出した染井吉野の蕾も一所に写す。

     
 8:30、54番霊場延命寺に到着。別格12番も同じ延命寺だった。境内に、電車で一緒になった男性がいたので、シャッターを押していただいた。

     
 これで、今治市内の別格2ヶ所と88霊場の6ヶ所を打ち、34.2kmも離れた松山市内の53円明寺を目指す。
 次の札所までこれほど離れているのは、ここまでで最も長い。しかし、高知県へ行くと、80km前後離れたところが2ヶ所ほどある。

 9:30にホテルに寄り、リュックを受け取る。

     
 そのすぐ近くに、前回も記憶に残っている屋根の上に防火のために水瓶を乗せた江戸時代初期の古民家があった。

     
 旧街道を歩いていると、ご夫婦遍路がやってきた。今日は日曜日のせいか、15組ほどの順打ちの遍路さんにあった。そのうち5名が欧米系の方だった。

     
 星の浦海浜公園から、かつての函館どつくの親会社だった新来島ドックを眺める。

     
     
 山道を歩いていたら、カタバミの仲間と思われる花(上)と、葉だけ見るとリュウキンカのような花が咲いていた。

     
 昼になり、今は合併して今治市になっている旧菊間町の遍照院の前を通ったら、厄除け祈願祭が開催されていた。

     
 そこで売っていた厄除け饅頭(500円)を買い、一気に食べてしまった。

      
 海岸通の国道歩きとなるが、菊間町は瓦の町で、瓦工場が10軒ほど軒を連ねている。

     
 12:40、海沿いに「海賊うどん」の店があったので入り、看板メニューの海賊うどんを(700円)を食べた。お接待にいなり寿司もいただいた。

     
 まもなくして、松山市へ入る。まだ、18kmほどもある。向かい風が強く、海岸通りでは、菅笠は煽られるので手に持って歩いた。

     
 やがて、本日最初で最後の峠越えに掛かる。峠の手前で、農家のおじさんからお接待のミカン「せとか」をいただいた。

 峠を越えて、市街地へ下って行き、町中の県道を急ぐ。

     
 17:00、予定より30分遅く、円明寺の前まで行くと、法起坊見習いさんがニコニコして迎えてくれた。
 毎年何度もメール等のやり取りはしているが、考えてみたら、知床岬海岸トレッキング以来6年ぶりの再会だった。

     
 勤行は明日の朝ゆっくりすることにして、写真だけ撮って、本日の宿へ。

     
 円明寺のすぐそばの本日宿となる民宿上松へ。

◎法起坊見習いさんの車で靴を購入~恐縮のお接待

 サロモンの靴を扱っているスポーツ店を前もって下見しておいてくれた店へ直行。

     
 たまたま今履いてきたゴアテックスの靴と色違いの商品があったので、それを購入しようとしたら、「これはお接待です」「お接待はことわったらダメです」とのこと。高いものなのに恐縮至極。余計な気を遣わせてしまった。
 再び宿まで送ってもらって、明日の予定を約束して別れた。

     
 これらは、うどん屋でのいなり寿司のほかの本日いただいたお接待。
 上は法起坊見習いさんからのいつも送られてくる「甘平」とお菓子。左下は、峠の手前でいただいた「せとか」。右下は、菊間町のお接待処でいだいた手作りの焼き物。いくつか種類があったが、最後まで元気で歩けて、無事帰れるようにと、草履と蛙の焼き物をいただいた。

     
 なお、宿代は、珍しい部屋食の2食付きで、ビール大瓶も入れて、8800円だった。
 食事をしながら、洗濯もした。四国の宿はどこも洗濯機と乾燥機があるので、非常に助かる。

 


14日目〈小町温泉しこくや〉~別格11生木地蔵~別格10興隆寺~59国分寺~58仙遊寺~57栄福寺~56泰山寺~〈今治駅〉〈43.8km〉〈合計423.2km〉

2018年03月24日 | 登山・旅行

6:00スタート~17:00ゴール(11時間)〈61663歩〉

◎ついに、11時間6万歩オーバー
 今日は、宿の関係で、どうしても今治駅前まで歩かなければならなかった。ざっと距離計算をしても、43km前後にはなるし、山越えの仙遊寺もある。

 それでも17:00までにはゴールしたい。そこで、宿の前のコンビニで朝食を食べて、6:00にはスタートした。

◎朝の内の別格2ヶ所

     
 朝の川の堤防から石鎚山を見上げる。白さは昨日とほとんど変わっていないところを見ると、まだ残雪であることが判明。

     
 農道に写る足長お遍路さんでお遊び。

     
 7:00、別格11番霊場生木地蔵に到着。
 寺の名前でないのは、四国巡錫中の空海がこの地で青葉茂る生木の楠に一夜で地蔵菩薩を刻んだとの伝説による。
 この楠の大木は昭和29年(1954年)9月の洞爺丸台風によって根元から倒れたのですが、刻まれた地蔵菩薩は無事で、現在は御本尊としてお堂の中にまつられ、楠の倒木も本堂横にまつられている。

     
 この花、ハナニラだそうだが、白花と青花がある。あちこちに多く見られる。

     
 次に、高台にある別格11興隆寺を目指すが、入り口の見事なシダレザクラが3分咲きほどで、朝からカメラマンがたくさん来ていた。

     
 興隆寺は、山の中腹にあるので、入り口から本堂までの石段が辛かった。途中に昭和40年代まで生きていた樹齢1000年以上の縄文杉並の杉の巨木の切り株が残っていた。

     
 8:05、別格10番霊場興隆寺に到着。創建は600年代だが、現在の本堂は1300年代の建立とのこと。

     
 農道を歩いていたら、白いタンポポが咲いていた。北海道では松前のお寺でしか目にすることができないが、道端で見つけたが、この株だけだった。

 59番国分寺までの距離がやたらと長い。県道や国道を黙々と歩く。

     
 昼になったので、道の駅で昼食を摂る。「海峡旨辛カレーうどん」なのに、具は海のものではなく、豚肉だった。それなりに美味しかった。

◎午後から、疲れた足で、3kmちょっとずつ離れた4ヶ所を打つ

     
 12:50、興隆寺から予想より多くの5時間近くも要して、国分寺へ到着。
 国分寺は四国にはそれぞれの県に1つずつ存在する。ここは、愛媛(伊予)の国分寺である。

     
 次は、山頂直下の標高255mにある仙遊寺である。下から見上げながら近づいて行く。最後の登りが辛そう。

     
 途中から、歩き遍路専用の道に入る。この上の山門からさらに続く急で長い石段が辛かった。この山は逆打ちの登りが辛い。

     
 14:30、58番霊場仙遊寺に到着。この寺には温泉付きの宿坊がある。あと1時間ほど後に着くのなら泊まりたかった。下りて行ったら、ここに泊まるというご夫婦遍路に出会った。

     
 下って行くと、眼下に今治市街地が見えてくる。

     
 香川県と愛媛県は非常にため池が多い。ありとあらゆるところに存在する。とくに瀬戸内海は雨が少ないからのようだ。このため池は結構大きな犬塚池。

     
 15:25、57番霊場栄福寺に到着。ここには、4人の外国人グループのお遍路がいた。

     
 16:15、朝からすでに10時間をオーバーして、56番霊場泰山寺に到着。

 疲れもあり、ここから今治駅が本当に遠く感じた。

     
 17:00、今回最長の11時間のゴール。しかし、今晩の宿はここではない。昨夜あちこち電話したが、土曜日のためか今治駅前の宿は全然空いていなかった。

 駅のコンビニで弁当他を買い込み、17:23の電車で3駅先の大西駅前のビジネスホテルスガノヤへ移動。

    
 17:40、ホテルに到着。素泊まり4320円。今治駅前のホテルはほとんど7000円以上なので、ある意味安くて助かった。
 明日は、今治駅まで戻ることになるが、このホテルに荷物を預けて行くことも可能である。

 ホテルに着いたら、松山市の法起坊見習さんから、明日の予定の問い合わせの電話が入った。
 明日は、55南光坊~54延命寺を打って、ホテルに寄り、延命寺から34.4kmも離れた53円明寺のそばの民宿に予約を入れた。松山市の東側らしい。

 


13日目〈西条ステーションホテル~64前神寺~63吉祥寺~62宝寿寺~61香園寺~60横峰寺~〈湯の里小町温泉しこくや〉〈33.6km〉〈合計379.4km〉

2018年03月23日 | 登山・旅行

 6:45スタート~16:00ゴール(9時間15分)〈49747歩〉

◎立て続けに4ヶ所打ち

     
 ホテルの窓から外を眺めたら、雪化粧の石鎚山が見えた。
 残雪なのか、この4日間の雨で白くなったのかは不明である。その左側の日本三百名山巡りで登った東赤石山も白くなっていた。

     
 国道11号を少し歩き、山側の昨日の旧街道から続く讃岐街道へ進む。
 8:00、64番霊場前神寺に到着。この寺は、明治新政府の神仏分離令により寺領を没収され、廃寺を余儀なくされた。その間、すぐ近くに石鎚神社が建立されたりしたが、明治22年に霊場として復興した。信徒は、現在300,000人を超すといわれる。
 
 この寺には、前回とてもうれしい思い出がある。納経所で、亡妻の写真を挟んでいた納経帳を見たお坊さんが、めったに手に入らない貴重な錦織の納札を納経帳の表紙に挟んでくれて、「最後までしっかりと奥様のご供養をしてあげてください」とお接待をいただいた寺だった。

     
 これまでに見たことのないフジの花に似た固そうな花。(法起坊見習さんによると、バーデンベルギアとのこと)

     
 旧讃岐街道を歩いていたら、追い越して行った軽四トラックが停まり、男性が降りてきて荷台から甘夏柑を2個お接待としていただいた。

     
 前をゆっくり歩くお揃いのウェアとナップザックスタイルの二人連れの黒ずくめのおばあちゃんの後ろ姿が可愛かったのでパチリ。

     
 9:00、わずか1時間で、63番霊場吉祥寺に到着。ここには、バス遍路のご一行が先着していた。

     
 9:25、わずか1.4kmしか離れていない62番霊場宝寿寺に到着。

     
 9:45、さらに1.4kmしか離れていない61番霊場香園寺に到着。わずか2時間足らずで4ヶ所も立て続けに打つことができた。

 この寺は、前回、横峰寺を越えてきて、泊まった懐かしい近代的なお寺である。

◎前回のハイライトだった横峰寺越え
 
 いよいよ、ここから標識745mにある八十八ヶ所の中で3番目の高さにある60番横峰寺越えである。

 この横峰寺は、前回は最も印象深い、まさにハイライトととも言える霊場である。

 その年の度重さなる台風で遍路道や車道が崩壊し、通行止めとなり、下に仮納経所を設けて対応していた。
 しかし、歩き遍路なら行けるらしいという情報をいち早くメールで知らせてくださっ高松市の高さんや、台風が過ぎた2日後に、実際にそのコースを歩いて情報を寄せて下さった松山市の法起坊見習さんとの出会いを作ってくれた山越えルートである。

     
 車道を登っていき、10:35、香園寺奥の院に到着。

     
 10:50、車道から歩き遍路専用の山道へ。ここからは、標高差700mほどの7.6kmの山道となる。

 途中の休憩所で行動食とお接待でいただいた甘夏で昼食とした。

     
 見通しの良い尾根の上に出た。これから登り返す横峰寺のある稜線と、左側に雪化粧した東赤石山が見えた。
 この辺りまでは、緩やかなアップダウンの続く快適な山歩きだったが、この稜線への登りがきつかった。

     
 12時過ぎになって4人ほどのお遍路さんと出会った。やがて、歩き遍路ツアーの一団が急な道を下りてきた。35名とのこと。
 
     
 階段を登って、車道へ出た。この先にも歩き遍路の道が続いていた。

     
 途中から、眼下に横峰寺から下って行く平野部が見えた。

     
 13:05、60番霊場横峰寺へ到着。

     
 ここからの下り(前回は登り)は、四国一番の難所と言われている遍路道である。
 2.2kmで標高差500mほどの急な下りである。しかも、岩盤剥き出しの沢沿いの道で、前回は倒木や崩壊したズタズタ道を登ったコースである。

     
 前回は、この橋も崩壊し、ズダズタになっていた。

     
 標高250mまで下りて、県道へ出る。前回は、この県道沿いの家屋が数軒崩壊していたことを思い出す。

 61番香園寺から5時間近く経過した県道を汗だくになって登ってくる男性に出合う。てっきり横峰寺に泊まるのかと思ったら、香園寺近くの宿を予約しているという。 
 絶対にあと5時間は必要で、宿到着は20時を越えるはずである。ヘッドランプは2台持っているという。体力はありそうなので、大丈夫であろう。
 こちらの言葉を聞いて親近感を抱いたらしい。弘前の方だという。「足元の悪い急なところが多いのでお気を付けて!」と別れたが、距離計算と標高差を間違っていることは間違いない。

 そんなことを考えながら下りていったら、分岐で標識の方向を間違ったらしい。登っていくので変だな?」と思ったら、5分ほどで、畑で仕事をしていた男性から「その道は行き止まりだよ」と声が掛かった。正しい道を教えてもらって助かった。

     
 県道沿いの石垣の間にスミレの仲間が咲いていた。前にも見たものと同じかも知れない?

     
 やがて、国道11号へ出る。1.5kmほど国道を歩き、
16:00湯の里小町温泉しこくやに到着。
 大浴場を持った温泉ホテルなのに、素泊まり5000円といううれしい格安値段である。
 早速、温泉にのんびり浸かったことは言うまでもない。
 
     
 夕食は、ホテルの中のレストランで、豚カツ定食と今回4杯目のビールで、1300円。
 
 19:50、ブログも打ち終え、あとは、温泉に入って寝るだけ。

 


12日目〈ビジネスホテルマイルド〉~別格12延命寺~〈西条ステーションホテル〉〈41.3km〉〈合計345.7km〉

2018年03月22日 | 登山・旅行

6:25スタート~16:25ゴール(10時間)〈56893歩〉

◎寒い中、初の40km・10時間越え

 4日連続朝から冷たい雨。6時の朝食を食べて、お接待のおにぎりをいただいてスタート。
 10時過ぎには雨は止んだが、風が非常に冷たい。今日も最後までインナーダウンとカッパの下は脱ぐことはなかった。会う方との挨拶は「寒いですね」だった。

     
 今日は、四国中央市~新居浜市~西条市の国道11号と並行して続く旧街道の、平地のみの歩きなので、最初から40km越えの計画を組んだ。
 結果的にちょうど10時間で、41.3kmだった。しかし、ほとんど疲れはなく、これまででもっとも楽なゴールだった。

     
 「従是西 西條領」の標石。まだ、四国中央市で新居浜市の手前なのに、昔の西條領は広かったんだ。

     
 やがて、「こんぴら大門迄十里」の標石。この旧街道はお遍路道でもあるが、江戸時代は「こんぴら参り」の道として栄えたようだ。

     
 柑橘類の畑だが、適当に今時期は八朔か甘夏かなどと考えながら通過。

     
 右手の国道11号の向こうは瀬戸内海だが、雨で煙ってよく見えないのが残念。

     
 四国中央市の旧街道には、この手の標識が非常に多い。これが、新居浜市に入った途端にほとんど見られなくなる。今日唯一の札所である別格12延命寺が近い。

     
 10:00、別格12番霊場延命寺に到着。

     
 延命寺のお大師さまお手植の「いざり松」の幹。
 明治時代には枝が傘状に東西30m・南北20mに広がっていたという。昭和43年(1968年)末に枯れてしまい、現在は幹だけが横たわり往時をしのばせている。

     
 延命寺を出て、まもなく歩き遍路の一団がやってきた。多分旅行会社等で企画する、1週間単位のほどの歩き遍路ツアーではないか?

     
 新居浜市が近くなったころに「弘法の館」という遍路休憩所があったので入ってみた。非常にきれいな建物で、中にお接待の飲み物やキャンディなどが置かれていた。愛媛のみかんジュースをいただいてひと休み。
 奥の部屋には1人なら泊まれるように畳敷きのスペースと布団一組が置かれていた。

     
 四国中央市の旧街道から国道11号へ合流。

     
 新居浜市へ入ってまもなく、ドライブインがあった。
うれしいことに「チゲ鍋うどん」があったので、迷わず注文。宿でお接待にいただいたおにぎりと一緒に汗を流しながら食べた。

     
 新居浜市の市街地に入っていくと、再び旧街道の歩きとなる。結構多くの歩き遍路の人たちに出会った。
 
 信号待ちをしていたら、停まっている車の運転席からご婦人が降りてきて「寒いから何か温かいものでも」と、お接待の500円玉を差し出してくれた。うれしくて、ほっこり心が温かくなった。

     
 こんなサラサドウダンのようなサクラの花も咲いていた。

     
 前回も印象の強かった新居浜市の喜光地商店街のアーケードの中を通過。14年前より寂れた感じは否めない。

     
 西條市に入ると、国道11号の歩きとなる。今日の西条駅前のホテルまで6kmほどである。途中から国道を離れて、JR線路に絡んだ道路を選びなから、直接ホテルを目指した。

     
 16:25、ちょうど計ったように10時間で、西条ステーションホテルに到着。
 朝食付きで5940円。駅前なので高いのはやむを得ない。

 いつも、宿に着いて一番先にすることは、風呂である。パスタブにお湯をたっぷり入れて、ゆったり温まる。

◎靴の中の濡れは、底からだった
 右の靴の中の濡れは、横の穴ではなく、すり減った底から染み込んで来ることが判明。確かに横の穴なら、レインカバーで覆われているので変だと思っていた。
 考えてみたら、昨年と一昨年の中山道と東海道歩き旅でも履いた靴である。もしかしたら、途中で買い換えなくてはならないかも知れないと思っていた。
 明日からは雨が降らないようなので、松山市で新調することにする。

 さて、19:20、ブログも打ち終わったので、これから向かいのコンビニで夕食を仕入れてこよう。

 


11日目〈民宿岡田〉~別格14椿堂~別格13仙龍寺~65三角寺~〈ビジネスホテルマイルド〉〈33.8km〉〈合計304.4km〉

2018年03月21日 | 登山・旅行

6:35スタート~15:55ゴール(9時間20分)〈49625
歩〉

◎3日連続雨遍路
 
 今日も朝から雨だった。非常に寒い1日だった。インナーダウンは、最後まで脱ぐことはなかった。
 幸い霧雨程度で、日中は止んで、青空も顔を出したりも
したが、ホテルに入る頃には本降りになった。

     
 6:35、一人一人を見送る民宿岡田のおじいちゃんに見送られてスタート。(残念ながらピンぼけ)
 宿泊費は、14年前と全くおなじ6500円で、昼食おにぎりの接待付きだった。ほかの宿も14年前とそれほど変わっていない感じだ。

     
 国道を黙々と歩く。やがて、徳島県と愛媛県の境界となる、全長855mの境目トンネルに入る。このトンネルのほかに遍路道は2本あるらしいが、距離も長いので、前回もこのトンネルを潜っている。
 ここから、いよいよ伊予路となる。

     
 道端にはこんなきれいなツバキも咲いている。

     
 8:10、別格14霊場椿堂常福寺に到着。境内な5本ほどのツバキが咲いていた。

     
 このお寺は、歩き遍路の方には納経料(300円)をお接待しているとのことだった。おまけに、煎餅まで付けてくれた。うれしい気遣いに、丁寧に感謝の言葉を述べて次の仙龍寺を目指す。

     
 山の方へ登っていく車道には、仙龍寺の標識もある。棚田や段々畑などの広がる山村集落の中を登っていく。

     
 高いところから、通過してきた谷間の集落を見下ろす。

     
 やがて、標高400mまで登っていき、全長1260mの堀切トンネルの中へ。

     
 トンネルを抜けると、標高230mの仙龍寺へと下って行く。

     
 11:25、凄い崖の上に建っているコンクリートの舞台造り風の仙龍寺に到着。よくこのようた所に建てたものだと感心してしまう。
 ここは、逆打ちだから分からなかったが、このあと打った65番霊場三角寺の奥の院だった。
 本堂も室内にあり、靴を脱いで中に入っていく。

◎山越えルートはパスし、車道ルートで三角寺へ
 
 実は、このあとの三角寺へのルートだが、疲れの出る午後からの、一気に230mから780mまで登る山越えは億劫だった。
 お寺では、そのルートは勧めていないとのこと。ましてや、3日連続の雨である。危険だからと時間のあまり変わらないという車道コースを教えてくれた。昔からの遍路道でもあるという。
 こちらの最高地点は堀切峠の410mである。絶対楽そうだ。その道を地図で確認して、納経を終えて外へ出た。

     
 境内の石段に腰かけて、民宿岡田のお接待のおにぎりの昼食をいただく。

 お寺から国道319号へ下りて、1kmほど戻る。分岐で国道の方を進む。

     
 どう見ても国道の様子ではない。林道に毛の生えた車の擦れ違いもままにならない1車線である。国道部分は1時間近く歩いたが、擦れちがった車は軽四トラック1台だけだった。

     
 堀切峠の手前に「へんろ道」の古い標石が立ち、その後ろには茶屋跡のような地形が残っていた。確かに、三角寺と奥の院の仙龍寺を結ぶ、古い遍路道だったようだ。

     
 峠を下っていくと、「三角寺へ」の近道もあった。

     
 14:00、三角寺に到着。もっと時間が掛かると思い、急いで歩きたせいか、2時間ちょっとだった。山を越えるより絶対楽だと思った。
 段差の大きな石段を登り始めたが、疲れていて一気には登れなかった。
 
 三角寺は、標高350m以上のところにあり、ホテルを予約した四国中央市三島までの下りが長かった。

     
 下りていく道路から、眼下の四国中央市(旧三島市)市街地が見える。

     
 15:55、ビジネスホテルマイルドに到着。
 このホテル、2食付で5832円といううれしい価格である。おまけに、歩き遍路さんにはお昼のおにぎりのお接待もしているという。

     
 日常的な家庭の食事といった感じの夕食に好感を抱く。毎日この程度の料理で十分なのだが…。

 


10日目〈白地温泉小西旅館〉~15別格箸蔵寺~〈民宿岡田〉〈29.6km〉〈合計270.6km〉

2018年03月20日 | 登山・旅行

〈7:20スタート~15:40ゴール〉(8時間20分)〈44758歩〉

◎雨の中を箸蔵寺へ
 
 今日も朝から霧雨が降ったり止んだりで、午後からは本降りになった。
 
 昨日の雲辺寺からの下りと今日歩いた舞台は、香川県ではなく徳島県である。しかし、讃岐路に組み込まれている。しかも、今日歩いたところは、かなり昔に「さわやかイレブン」で甲子園を沸かした池田高校のある池田町である。

 昨夜はビールを飲んだせいか、9時間も爆睡した。温泉ならではの特権で朝風呂に入り、朝食をいただく。昨夜の夕食は、簡単で良いと言ったのに、ウナギなど本格的な料理が出て、ビール込みで、9,600円だった。

     
 7:20、宿を出る。目の前の山の中腹に、昨日雲辺寺から下ってきたときに通った集落が見えていた。北海道にはない山村集落である。

 箸蔵寺までは、吉野川を挟んで、国道と県道がある。往路は国道を通り、打ち戻らなくてはならない復路は県道をあるくことにした。

     
 眼下の池田ダムの上のエメラルドグリーンが美しい。左下に吊り橋も見える。

     
 1時間40分ほどで、標高540mの箸蔵山が見てえくる。別格15箸蔵寺はこの上にある。

     
 この山にもロープウェイがあり、車遍路などの人はこれを利用するか歩くしか方法はない。

     
 登っていくと、「箸蔵寺1.8km 雲辺寺19km」の標識がある。雲辺寺への距離は、昨日の今日自分が歩いたコースの距離である。

     
 410mまで登っていくとロープウェイの下を通るが、そこには、高燈籠が設置され、その上には石段が続き、山門がある。

 山門を潜ると、広い道と石段の道ととなる。

     
 目の前に急な石段が見えてくる。ここを登ったら本堂かと思ったが護摩殿や社務所や納経所などだった。

     
 本堂は、さらに急な石段の上だった。納経所で聞いたら、下からの石段は780段ほどあるらしい。

     
 ここの本尊は、お寺なのに金比羅大権現で、金比羅さんの奥の院とも呼ばれていたかこともある。神仏習合のころの風習を色濃く残す寺である。

     
 大師堂の横に、白いサクラがとピンクのサクラが咲き始めていた。
 納経を終え、吉野川の
左岸の県道を戻る。

◎白地まで打戻り、14年前と同じ民宿岡田まで

     
 池田ダムの下からの対岸の池田町市街地を見上げる。このどこかにかっての「さわやかイレブン」の池田高校があるはず。
 
 吉野川左岸の県道には店や食べ物屋がない。昼食のために、池田ダムの堰堤の車道を通り、来たときに通った右岸の国道へ移動した。

     
 ダムを越えて、国道へ出たら、川の駅があり、そこのレストランへ入った。

いちばん安かったのが、スペシャルランチ(1230円)
。ちょっと贅沢だったが、それを注文。特に、カットステーキが柔らかくて美味しかった。

 白地を越えて、さらに、昨日雲辺寺から下りて来た道路の入り口を越えて、ひたすら民宿岡田を目指して国道を歩いた。

      
 15:40、14年前にお世話になった民宿岡田に到着。
 その時に奥さんを自分と同じ3年前に亡くして元気がなかったおじいちゃんが元気でうれしかった。
 まもなく90歳になるというのにスマホを使いこなして、早速このブログを見ていた。今は、息子さんの奥さんが手伝っているという。
 洗濯機も乾燥機もあるので、着いてすぐに洗濯をした。

     
 前もそうだったが、おじいちゃんか、4人のお客さんの食事の場に付き合ってくれて、色々なお話をしてくれた。
 お陰で、これまででもっとも他のお遍路さんとも交流かできて、楽しかった。
 今日モウイチドビールを飲んだが、今日は、美味しかった。

◎靴に穴が開いていた

     
 昨日の雨から、新しく買った靴のレインカバーを使用してみた。何故か、右足だけ濡れるので、変だと思ったら、靴に穴が開いていた。テーピングテープの下にビニールを挟んで貼ってみた。果たして?

 いよいよ、明日は、讃岐路から、法起坊見習さんが待つ伊予路に入る。 

 


9日目〈民宿四国路〉~67大興寺~別格16荻原寺~66雲辺寺~〈白地温泉小西旅館〉〈30.5km〉〈合計241km〉

2018年03月19日 | 登山・旅行

6:50スタート~15:50ゴール(9時間)〈歩数46177歩〉

◎朝から雨の中、900mの雲辺寺越え

 天気予報は午後から雨だったのに、朝から小雨が降っていた。完全防備でスタート。

     
 30分で、67番霊場大興寺到着。仁王門を潜り、鬱蒼とした巨木の森の中の階段を登る。
 勤行を終えて、田園風景の広がる中を別格16荻原寺を目指す。

     
 県道を進むと、荻原寺とそのあと登る雲辺寺への入り口が同じだった。

     
 9:00、別格16番霊場荻原寺に到着。社務所の屋根が風情のある苔むした茅葺きだった。

 いよいよ、標高900mの雲辺寺を目指す。まずは、ロープウェイ山麓駅までの車道を登っていく。

     
 目の前にガスでおおわれた雲辺寺山が見える。

      
 ロープウェイ山麓駅の横から、登山道が始まる。雲辺寺まで4.2kmなので、2時間もあればと思いながら登っていったが、意外と急で2時間10分掛かった。

     
 深く掘れた古道然とした遍路道に1200年以上の歴史を感じる。
 このように掘れた急な登りがずっと続く。完全な登山モードである。周りはガスで展望はない。黙々と登るしかない。
 カッパを来ているので暑くてしょうがない。雨が小降りに成ったのを幸いに、カッパを上下とも脱いで登った。

     
 稜線が近くなると、斜度が緩み、快適な道となる。

     
 雲辺寺まで0.9km地点で、前回下った大興寺への道の分岐に到着。

     
 途中のこの霊場ならではのリアルな五百羅漢像が並ぶ中を進む。

     
 12:25、66番霊場雲辺寺に到着。仁王門や、境内の道や他の建物も新しくなっているものが多く、ありがたみが薄い感じだ。
 大師堂を先にお参りし、本堂へ。少し戻って、休憩所で昼食を摂っていたお遍路さんとおしゃべりしながら、少し休憩。こちらの昼食は朝たくさん食べたので、ミニスニッカーズ1本のみ。

 あとは、今日の宿である白地温泉小西旅館を目指して、県道268号をひたすら下る。

     
 標高を下げていくと、大好きな山村風景の中の下りとなる。

     

     
 民家の庭先に、北海道では見ることのできない珍しい2種類のサクラが咲いていた。

 雨の中で地図を開くのが面倒なので、国道まで下った。しかし、国道へ出てから地図で確認してら、2km以上も遠回りしていた。

     
 15:50、温泉の小西旅館に到着。
 朝食のみで6000円で予約しておいた。しかし、雨が降っているので、外に出るのが面倒だ。

     
 何でも良いので、簡単な料理を頼んだら快く応じてくれた。
 8日ぶりにビールを飲んだ。まだ、咳をすれば痰が絡むせいか、思ったより美味しくなかった。大瓶ほ多いくらいだったので、風呂上がりの寝酒に残してしまった。

 

 


8日目〈海岸寺駅〉~71弥谷寺~70本山寺~69観音寺~68神恵院~〈民宿四国路〉〈30.5km〉〈合計210.5km〉

2018年03月18日 | 登山・旅行

6:00スタート~ゴール15:05〈9時間05分〉

◎夜明け前にスタートし、天霧峠を越えて、岩崖にへばりつく弥谷寺へ

 丸亀から戻るのに、都合の良い電車がなく、ホテルを5時に出て、5:27の電車に乗った。6:00に昨日のゴールの海岸寺駅をスタート。

     
 目の前に、夜明け前の天霧山(左)と弥谷山(右)とその間の越えなくてはならない天霧峠が見える。天霧山には中世の天霧城址がある。

     
 6:20、日の出を捉える。函館より37分も遅い。

     
 民家の庭に、幹は1本なのに白椿と赤椿が混じってさいていた。
 今年初のウグイスの鳴き声を耳にする。

     
 農道から峠越えの山道に入る。ここで、朝飯代わりにはならないが、非常食のミニスニッカーズを2個食べてエネルギー補給。
 沢地形なので、割りと荒れた道だが、道沿いに三十三観音の石仏が設置されていた。
 
     
 7:20、標高290mの天霧峠に到着。このあと、少し下って71弥谷寺へ。

     
 7:40、71番霊場弥谷寺へ到着。岩崖沿いの階段を登る。

     
 石段を登り切ると、崖をバックに建つ本堂がある。

     
 本堂の前から、このあと下りて行く三豊市の町並みを眺める。
 大師堂は、石段を下りていくと、その下にあった。珍しく靴を脱いで中でお参りする。

 次の70本山寺をめざして、急な石段や坂道をどんどん下り、町中へと入っていく。

◎平地に下りて、町中の3ヶ所を打つ
     
 国道11号と平行する狭い旧街道の家並みの中を進む。塀沿いのパンジーが春を感じさせる。
 10:00過ぎに、国道歩きになる。コンビニがあったので、肉まんと野菜ジュースを買って、前のベンチで朝食代わりのおやつタイム。

     
 11:00、70番霊場本山寺に到着。五重の塔は修復中だった。

     
 財田川の堤防の上の道を進む。弥谷寺からここまでで15人ほどの順打ちのお遍路さんとすれ違った。この写真の方は外国の方だった。
 日曜日のせいか、今日だけで、30人以上の歩き遍路さんとすれ違った。これまでで1番多かった。

     
 堤防の土手に、北海道では、目にすることのない可愛い野の花が咲いていた。葉はキバナノアマナのように細長い(名前不明)。

     
 昼に、凄い混んでいる餅屋さんで経営しているうどん屋さんで、雑煮うどんを食べた。これまでもっとも手打ち感の強いもちもちした自分好みのうどんだった。
 下の餡の入った餅は、お接待としていただいた。

 店を出たあと、今日のゴール予定だった67番大興寺の側の民宿に電話を入れたら、用事があって休みだという。仕方ないので、1.5km手前の民宿四国路を予約した。

     
 12:45、69番霊場観音寺と、68番霊場神恵院に到着。ここは、同じ境内に並んで建っている。まずは、楠の巨木が印象に残っている観音寺からお参り。

     
 次に、神恵院にお参り。ろうそくと線香を新しく購入した。

     
 財田川の河口方向を眺める。海が見えるが、ここからは市街地の中を山の方へと向かって進む。

     
 15:05、予定通りの時間で民宿四国路に到着。これまででもっとも早い時刻のゴールだったが、スタートも一番早かった。
 体調もほぼ完璧になり、楽しく歩けるようになったのがうれしい。
 風呂に入って、初めて夕食前にブログを打ち終えることができた。

     
 3日ぶりのご馳走。宿泊代は2食で6500円。 
  
 明日から3日間は雨絡みの予報である。しかも、88ヶ所では最高地点(900m)にある雲辺寺越えである。初日の別格20大瀧寺の方が20m高かかったことになるが…。

◎これまでの歩数
 1日目~測定なし、2日目~51944歩、3日目~47008歩、4日目~42270歩、5日目~53995歩、6日目~測定なし、7日目~48562歩、8日目~45521歩 

 


7日目〈たからや旅館〉~別格17神野寺~75善通寺~74甲山寺~73出釈迦寺~72曼荼羅寺~別格18海岸寺~〈海岸寺駅〉〈33.6km〉〈合計175.0km 〉

2018年03月17日 | 登山・旅行

7:00スタート~ゴール16:05〈9時間05分〉

宿から満濃池畔の別格17神野寺を往復し、75善通寺へ〈9時間35分〉
 
 同じ道を打戻るので、連泊した温泉民宿たからや旅館に不必要な荷物を預けて外に出た。快晴なのにマイナス気温。温泉の朝湯で体が暖まっていたので助かった。

 鼻風邪はまだ残っているが、1日休んだので足は軽いし、疲れもない。寒いので急ぎ足で進む。

     
 8:30、弘法大師の改修と伝えられる日本一大規模な溜め池・満濃池へ到着。
 8:45、そのすぐそばにある別格17番霊場神野寺に到着。

     
 本堂の横の高台に満濃池を見下ろすかのように弘法大師像が立っていた。

 来た道を、琴平の宿まで戻る。

     
 途中の畑で、見たことのない花を見つけた。
 なんとハクサイの花である。ハクサイも花が咲くことが初めて知った。北海道では、秋に収穫されないで放置しておくと、寒さで腐ってしまうが、こちらでは、冬を越して春には花が咲くのである。

     
 シロモクレンの花も咲き始めていた。さすが、四国だ。
 10:30、宿に戻り、預けた荷物を受け取り、善通寺を目指す。

     
 善通寺の手前に自衛隊駐屯地があるが、その敷地の中に、旧陸軍十一師団時代の、明治42年築造の煉瓦造りの建物が残っていた。

◎善通寺から立て続けに5ヶ所を打つ。

     
 12:00、広大な敷地と国宝の五重の塔が印象に残っている善通寺に到着。
 弘法大師の出身地とされる父方のお寺である。
 本堂と大師堂が道路を挟んで向かい側にある。
 
 このあと、74、73、72、別格18
は、割りと近いところにあるので、午後からその5ヶ所を打つことができた。。

     
 途中のうどん屋で昼食を食べて、12:50、74番霊場甲山寺に到着。
 ここで、海岸寺近くの宿に電話を入れても、2軒とも出なかった。

     
 13:50、73番霊場出釈迦寺に到着。ここにも大きな弘法大師像が立っている。頭の後ろに見える山の中腹の寺院は、奥の院の捨身ヶ嶽禅定である。弘法大師が7歳のときの伝説がある断崖絶壁の上にある魅力的な所らしいが、とても登る気にはなれなかった。

     
 出釈迦寺の下の展望台から、丸亀市を中心とした市街地が見える。

 14:25、72番霊場曼荼羅寺に到着。(写真撮影忘れ)
 今日のゴールの別格18海岸寺を目指して、下り道をラストスパート。

     
 15:35、別格18番霊場海岸寺に到着。山門の普通は仁王像が立っているところに郷土の出身力士の琴ヶ濱と大豪の像が立っていた。
 ここは、弘法大師の母方の出身地で、弘法大師をこの地で産んだとされる。
 ここで聞いたら、2軒の宿は、まだ営業をしていないとのこと。電車で多度津か丸亀まで戻った方が良いと言われた。

     
 ここの大師堂は、5分ほど離れた、二重の塔が目につく奥の院にあるのでそちらもお参りした。

 16:05、海岸寺駅に到着。ここが、今日のゴールである。

 電車を待つ間に、宿を探した。多度津駅近くの2軒も満杯とのこと。さらに丸亀駅前で探したが、土曜日のせいか
どこも満杯で、5軒目にして、ようやくビジネスホテルフクシマに予約を入れて、ホッとした。

     
 17:10、ホテルに到着。先に駅前まで戻って、食堂で夕食のトンカツ定食を食べた。

◎3件のお接待
 今日もいろいろなお接待を受けた。今回はやけにお接待が多い気がする。
 中でも驚いたのが、昼食に寄った大きな駐車場が満杯の宮川製麺所直営のうどん屋で、代金を支払おうとしたら、「大阪のか方から、歩き遍路さんにはお接待をするように頼まれているので、代金はよろしいです」とこのと。足が不自由な方で、自分が歩けないから、その代わりにということらしい。おまけに、お店からもお接待として、キャンディーを数個いただいた。

 宿に着いたら、「歩き遍路ですか?」と聞かれた。すると、「お疲れさまでした」とお接待として、チオビタゴールドをいただいた。歩き遍路はお接待が多いことを再認識した。素泊まりで、4500円だった。