あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

「 私は千早城にたてこもった楠正成になります 」

2019年07月19日 15時22分21秒 | 安藤部隊

山下聯隊長は、
菅波中尉の態度から目を離さなかったが、
菅波が約束どおり神妙なので、ほっとしたかのようであった。
ところが菅波は、
満州事変勃発と言う危機感の漂う中で、
すでに歩三において独自の革新運動を積極的にすすめていた。

秩父宮が帰隊される前の十月下旬から、
ガリ版刷りの「日本改造法案」が、
歩三聯隊将校の一部にひそかに配布されていた。
松尾新一中尉の机にもいつの間にかはいっていたし、
森田利八中尉は親友の安藤から直接渡されていた。
ある日、
安藤の招きで松尾、森田両中尉が将校室へ行くと、
野中、菅波両中尉が安藤とともに待っていた。
その雰囲気で、松尾と森田は直ぐに安藤の意図を察した。
菅波中尉が例のもの静かな口調で、国家革新への思想と運動方針について諄々と説明した。
菅波の話が終わると、
終始黙念と聞いていた松尾は、落着いた口調でいった。
「 君らの考えは、決してわからぬことはないが、そりは明らかに政治問題である。
それほど国内の刷新を望むなら、軍人をやめて代議士にでもなってやるよりしかたがない。
 軍人はその本文をつくすべきだ」
「 いや、それでは間に合わない。
われわれは平常から、天皇陛下の格別の御恩願を受けている。
われわれがやらなくて、いったい誰がやろうか。
 現在の政治家にそれが期待できるくらいなら、われわれがこうして運動に邁進する必要はない 」
と、菅波が珍しくも強い口調で応じた。
しかし 松尾も軍人の本文を主張して譲らない。
森田も松尾に同調して、会談はついに決裂した。
松尾と森田は決然と席を立つと、
それまで一言も言わずに聞いていた野中四郎中尉が、
憤然と色をなし、
「 松尾さん、われわれが蹶起の際は、出動の前に、まず貴方を血祭りにあげますよ 」
と、叩きつけるように激しい口調でいった。
松尾は、普段温厚で寡黙な野中の言葉だっただけに、
やや意外の感に打たれたが、
やがて苦笑を浮かべながら、
「 野中、それが軍人の本文だと信ずるならば、やるがいい。
だが俺も軍人だ。貴公のやり方によっては、俺にも覚悟はある 」
と、言葉を返し、森田をうながして部屋を出た。
この会談中、安藤は終始黙して語らなかったが、
野中の一本気な性格に、内心会談の失敗を悔やんだ。
聯隊内に強いて敵をつくる必要はなかったからである。

昭和十年の秋
ともに中隊長となった森田と安藤は
ますます親密の度を加えてゆき、中隊対抗の銃剣術試合もよくやった。
ある日のこと、
森田が営庭で部下の銃剣術の練習を見ていると、
営外演習の仕度をした安藤が傍を通りかかった。
気付いた森田が、
「おい安藤、今日は何処へ行くのだ」
と、聞くと、安藤の元気な声が跳ね返ってきた。
「森田さん、これから逆賊掃討の演習をやってきます」
これがいつもの、安藤流の逆説的表現であった。
折から東京日日新聞社のカメラマンが居合せたので、
森田はカメラマンに頼んで安藤と並んで撮影してもらった。

二十八日の午後五時頃、
第一師団舞参謀長、渋谷歩三聯隊長、森田大尉が「幸楽」へ安藤大尉を訪れた。
三人が幸楽の表に来たとき、森田大尉は安藤中隊のひしひしと迫る殺気を感じた。
歩哨の兵に安藤大尉の居在を問うと、
奥から顔みしりの下士官が出て来て、中隊長は不在だといった。
そこで三人は、やむなく文相官邸にいる野中四郎 大尉を訪れた。
時刻は五時三十分頃であった。

文相官邸の一室で
舞師団参謀長、渋谷歩三聯隊長、森田大尉の三人は野中四郎大尉と面談した。
森田大尉は、
まず秩父宮との会談内容を伝えると、野中はうなだれたまま黙然と聞いていた。
森田は軍人らしく自決することをすすめた。
普段温厚な森田だけに、野中にとってしみじみと胸に迫るものがあったろう。
「 貴様の骨は、必ず俺が拾ってやる 」
と、森田がいうと、
傍の舞参謀長が
「 殿下の令旨だぞ ! 」
と、強調した。
森田は最後に、
「 だがな野中、すでに奉勅命令は下達されているのだ。
今度の事件で、貴様が最先任であることを忘れるなよ 」
と、野中の手を握って別れた。
ついに野中はさいごまで何もいわなかった。

森田大尉は後ろ髪を引かれるような思いで、舞参謀長、渋谷聯隊長、と表に出た。
寒気ひとしお厳しかった。
と、後から野中大尉が迫って来て、
森田に、通信紙をもう一度見せてくれといって、再び丁寧に読み返して確認した。
「ありがとう。森田、世話になったな」
と、これが森田大尉がこの世で聞いた野中四郎 大尉の最後の言葉であった。

森田大尉は、渋谷聯隊長、と再び 「 幸楽 」 を訪れると、幸い安藤大尉は帰っていた。
やがて幸楽の一室に通され、
ふたりは憔悴しきった表情の安藤に、
「 奉勅命令 」 の下達を伝え、兵を帰すように論した。
秩父宮との会談の内容も、野中と会ったことも伝えた。
瞑目して聞いていた安藤は、森田の話が終わると、
やがて、かっ! と、眼を開くや
必死な表情で、
奉勅命令は絶対に下達されていないと信じている、
と答え、
最後に
「 森田さん、まことにすまないが、
私は昔 千早城にたてこもった楠正成になります。
その頃、正成は逆賊あつかいされたが、
正成の評価は、
正成が死んでから何百年かたった後に正しく評価され、
無二の忠臣といわれました。
私も今は逆賊、叛乱軍といわれ、やがて殺されることでしょうが、
私が死んでから何十年、いや何百年かたった後に、
国民が、後世の歴史家が必ず正しく評価してくれるものと信じています。
秩父宮殿下にも、聯隊長殿にも 森田さんにもまことにすまないが、
今度ばかりは、どうか安藤の思うように、信ずるようにさせてください。
これが安藤の最後のお願いです 」
三人の眼にはそれぞれ熱いものが溢れていた。
やがて幸楽の女中が、
黒塗の椀にはいった三杯の吸物を持って来て、三人の前に置いた。
きのこのはいった汁であった。
三人は無言で湯気のたつ汁をすすった。
安藤の性格を知りぬいている森田は、もう何もいわなかった。
渋谷聯隊長と森田大尉が幸楽の玄関を出るとき、
送って来た安藤は、
「 聯隊長殿、短いご縁でした。
悪い部下でまことに申し訳ありません。森田さん、歩三のことはくれぐれも頼みます 」
安藤の声がふっと 途切れた。
森田はもう一度安藤の顔を見つめて無言の別れをすますと、
安藤の顔は泣いているかのようであった。
森田と渋谷はがっくりと肩を落として帰っていった。
森田は、帰途安藤がいった奉勅命令はまだ下達されていない、
という 言葉が気にかかった。
そんなはずはない。
しかし、安藤は決して嘘をいう男ではない。
ならばどうしてこのような事態になったのか。
戒厳司令部か第一師団司令部に、何らなの落度があったとしか考えられない。
だが、奉勅命令という軍人に対する最高の重要命令が下達されていないとすれば、
これは一大事である。
こんな馬鹿なことがあってよいものか。
森田は軍首脳部の考えがさっぱりわからなかった。
それだけに ひとしお
安藤が、野中が不憫
でならなかったのである

秩父宮と二・二六 芦沢紀之 著から


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