あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

澁川善助 「 全國の農民が可哀想ではないんですか 」

2020年02月22日 06時35分50秒 | 赤子の微衷 2 蹶起した人達 (訊問調書)

疑問の奉勅命令
わたくしは昼食を済ますと直ぐまた、
聯隊本部に詰めかけた。

大詔の内容を寸刻も早く知りたかったからである。
聯隊長は不在だったが
間もなく何処からともなく帰って来て、
大詔は渙発されずに、奉勅命令になるそうだと、
一寸力を落して一同に告げた。

わたくしは
「 なあんだ 」 と思ったが、
それは上司の都合とあれば文句も云えない。
奉勅とあれば陛下の御意図を体しての命令である。
絶対的である。
如何なる内容の命令か、一同は固唾を飲んで発令の時期を待った。
聯隊本部には大隊長は勿論将校全員呼寄せられた。
奉勅命令とはどんなものか。
少なくも行動部隊の黒白を決するものと予想したのに、
その内容は全くわれらの期待を裏切った。

「 占拠部隊ハ速カニソノ守地ヲ撤去スベシ 」

これがその要点であった。

曾ては
師団命令で守地につけて置きながら、
今度は奉勅命令でその反対を命令ずる。
わたくしは全く狐につままれたようであった。
この奉勅命令が
日時も二月と書かれただけで、
発令者も明記されていないのは、
先の陸軍大臣告示と同様であった。

わたくしは少し怪しいとは思ったが、それ以上疑念も持てなかった。

奉勅命令の下達は、予定より一時間程遅れた。
それは当時、行動部隊の将校がいきり立っているので遅れたのだと説明された。
その結果が何うなるのか、一座には緊張の空気が漲った。
やがて安藤中隊や野中大尉の指揮する部隊は帰って来るとの情報が這入ってホッとした。
ところが坂井や高橋は第一中隊の矢野大尉のもとには帰らぬと頑張っているのである。
大隊長は
「 新井君、坂井君の一番信頼するのは君だと思うから、君が一つ説得に行ってはくれまいか 」
と 依頼された。
わたくしは勿論一つ返事で承諾し、
 かれら蹶起将校の集合している幸楽に、聯隊の自動車を駆って急行したのである。

昨夜 安藤と会ったあの応接室には、十数名の将校が集っていた。
安藤も坂井も鈴木もいた。
勿論 見馴れぬ将校もいた。
わたくしがそこに這入って行くや、
坂井に話す隙もあらばこそ、忽ち数名の者から、
「何うだ、何うだ」
と、質問の矢を浴びてしまった。
これは余り様子が違う。
野中や坂井が誰と交渉したのか、それさえも知らぬわたくしである。
ただ知っているのは奉勅命令のことである。
「奉勅命令が出たんです。お帰りになるんでしょう」
わたくしは慰撫的にそう云った。
これはかれらには意外だったらしい。
「 何が残念だ、奉勅命令が何うしたと云うのだ、余りくだらんことを云うな 」
歩兵第一旅団の副官で、事件に参加した香田大尉がこう叫んだ。
かれらはまだ自分の都合のよい大詔の渙発を期待しているのだ。
奉勅命令については全然知らない。
わたくしは茫然立っているだけであった。

この時
紺の背広の澁川が 熱狂的に叫んだ
「 幕僚が悪いんです。幕僚を殺るんです 」
一同は怒号の嵐に包まれた。
何時の間にか野中が帰って来た。
かれは蹶起将校の中の一番先輩で、
一同を代表し軍首脳部と会見して来たのである。
「 野中さん、何うです 」
誰かが駆け寄った。
それは緊張の一瞬であった。
「 任せて帰ることにした 」
野中は落着いて話した。
「 何うしてです 」
澁川が鋭く質問した。
「 兵隊が可哀想だから 」
野中の声は低かった
「 兵隊が可哀想ですって・・・・。
全国の農民が、可哀想ではないんですか 」
澁川の声は噛みつくようであった
「 そうか、俺が悪かった 」
野中は沈痛な顔をして呟くように云った。
一座は再び怒号の巷と化した。
澁川は頻りに幕僚を殺れと叫び続けていた。
事件はこれで決着と思って来たのに、この様は何としたことか。
全て虚偽であった。
そこを立去るわたくしの顔面も蒼白であったに違いない。
幸楽の門を出ようとすると、
村中が軍服で
「 戦争だ、戦争だ 」
と 叫んで駈込んで来た。
しかし わたくしは物を云う元気もなかった。
自動車に乗って聯隊本部へ帰ったが、
「 帰ると云うのは虚言です」
と これだけ云うのが精一杯であった。

「日本を震撼させた四日間」 新井勲 著 から 


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