あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・香田淸貞大尉

2021年03月21日 14時07分15秒 | 昭和維新に殉じた人達

七月十二日、處刑の朝
香田淸貞大尉が聲を掛けた。
六時半をまわったころだった。
香田は彼らのなかで年長者の一人である。
皆、聞いてくれ。
殺されたら、 その血だらけのまま 陛下の元へ集まり、
それから行く先を決めようじゃないか

それを聞いた全員が、 そうしよう、と 聲を合わせた。
そこで 香田の發生で皆が、
「天皇陛下萬歳、大日本帝國萬歳」
と 全監房を揺らすらんばかにり叫び、
刑場へ出發していった。


香田淸貞 
・ 香田淸貞大尉の四日間 1
・ 香田淸貞大尉の四日間 2 


« 昭和六年 »

「 近ごろ、オレはつくづく思うことがある。
兵の教育をやってみると、果たしてこれでいいかということだ。
あまりにも貧困家庭の子弟が多すぎる。
余裕のある家庭の子弟は大学に進んで、麻雀、ダンスと遊びほうけている。
いまの社会は狂っている。
一旦緩急の場合、後顧の憂いなしといえるだろうか。
何とかしなけりゃいかんなァ 」
と、香田が私に慨嘆したことがあった。

・・・後顧の憂い 「 何とかしなけりゃいかんなァ 」

大臣閣下! 大臣閣下! 國家の一大事でありますぞ!
早く起きて下さい。
早く起きなければそれだけ人を餘計に殺さねばなりませんゾ !!

・・・香田清貞大尉 「 国家の一大事でありますゾ ! 」 

二月二十六日 午前五時やや前、
武装した将校三名が下士官若干名を率い、陸軍大臣官邸に来り、
まず 門衛所におった憲兵、巡査を押え、
官邸玄関にて同所におった憲兵にむかい、
「 国家の重大事だから至急大臣に面会させよ 」 と 強要した。
憲兵は官邸の日本間の方に進むことを静止したけれども、
彼等は日本間に通ずる扉を排して大臣の寝室の横を過ぎ、女中部屋の方へ行く。
この時 「 あかりをつけよ 」 との声が聞えた。
事態の容易ならざるを感知して、大臣夫人が襖の間から廊下を見たところ、
将校、下士官、兵が奥にむかって行くのが見えたので、 夫人は なにごとならんと そちらへ行く。
憲兵は大臣夫人の姿を見て 「 危険ですから お出にならん方がよろしい 」 と 小声にて述べたるも、
夫人は 「 なんてすか 」 とこいいながら 彼等を誘導し 洋館の方に至る。
夫人は 「 夜も明けない前に何事ですか 」 と 問いたるに
「 国家の重大事ですから至急大臣にお目にかかりたい 」 と いう。
夫人は 「 主人は病気で寝ているから夜明まで待たれたい 」 と 述べ、
「 待てない 」  応酬す。
夫人は 「 名刺をいただきたい 」 旨 述べたるに、香田大尉の名刺を渡す。
夫人はこれを大臣にとりつぐ。
この間 憲兵が大臣寝室に来て、
「 危険の状態だから大臣は出られない方がよろしい。
そのうち麹町分隊より大勢の憲兵の応援を受くるから寝ておってくれ 」
と 言うので、大臣はしばらく臥床して状況を見ようとする。
夫人は 「 寒いから応接間に案内いたします。暖まるまでお待ち下さい 」 と 述べるに対し
「 待てない、ドテラを何枚でも着て来てもらいたい 」 と 言う。
夫人は憲兵に応接間の暖炉に火をつけさせる。
この頃、総理大臣官邸の方向に 「 万歳 」 の声が聞え、ホラ貝の音がする。
これを聞いた彼等は 夫人にむかい 「 相図が鳴ったから早く大臣に来てもらってくれ 」 と いう。
憲兵は憲兵隊に電話しようとするも、「 ベル 」 が鳴るとすぐ押えてしまい、 十分目的を達し得ない。
書生を赤坂見附交番に走らせようとしたけれども、門の処で静止せられて空しく帰って来る。
隣接官舎 (事務官、属官、運転手、馬丁小使等居住) 方に通ずる非常ベルが鳴らぬので、 女中を起こしに走らせる。
これは目的の官舎に行くことが出来たけれども、官舎からは一向に誰も来ない。
麹町憲兵分隊からもまだ来ない。

その内に彼等はまたやって来て 「 早く来てくれ 」・・陸相に対し と  急がす。
夫人は日本間と洋間との境のところにて 「 それでは襖越しに話して下さい 」 と 述べる。
彼等は靴のままで日本間の方へ行くのを躊躇するので、
「 さっきはそのままで奥の方へ行ったではありませんか。それでは敷物を敷きましょう 」
と いうと、彼等は 「 応接間の方へ来て下さい 」 と いって応接間の方へ引返して行った。
これまでの間において書生および女中の見聞せるところによりて、
門の周囲および庭内には多数の兵がおり、また門前には機関銃を据えおることもあきらかとなる。
しこうして兵などに聞けば演習なりと言いおれりと。
大臣はホラ貝も鳴り、呼びにやった人も来ず、
なにか大きな演習でもやったのかと思うけれども只事でもないようにも思われ、
状況の判断はつかぬけれども ともかく会うことに決心し、 袴をつけて机の前に座し一服しようと思う。
その時 彼等も切迫つまって大臣夫人にむかい 「 閣下には危害を加えませんから早く来て下さい 」 と 言う。
大臣は一服吸いつつある時、 小松秘書官 ( 光彦・歩兵少佐。29期・四十歳 ) が来た。
多分門衛の憲兵が塀を乗り越えて知らせに行ったのであろうと思う。
秘書官は玄関で将校と話して来たらしく、 「 閣下、軍服の方がよございます 」 と いうので軍服に着がえる。
憲兵は三名ぐらいに増加していたらしい。
それから便所に行き、憲兵は面会を止めたけれども彼等に面会するために談話室に入った。
室のなかでは将校三名がなにか書いており、ほかに武装の下士官が四名いた。
憲兵三名が大臣を護衛していたが、憲兵を室のなかに入れないので
やむなく室外でいつにても内に飛びこめる用意をしていた。
当時廊下入口および玄関には下士官がおって警戒しておった。 
大臣が室に入ると将校三名 ( 内二名は背嚢を負い拳銃を携帯す ) は 敬礼し、
歩兵第一旅団副官香田大尉であります。
歩兵第一聯隊付栗原中尉であります。
と 挨拶す。
他の一名はなんとも言わなかったので 「 君は誰か 」 と 問えば 「 村中です 」 と 答えた。
大臣は 「 今時分なんの用事で来たのか 」 と たずねたところ、 今朝襲撃した場所を述べる。
「 ほんとうにやったのか 」 と たずねたところ 「 ほんとうであります。
只今やったという報告を受けました 」 と 答う。
「 なぜ そんな重大事を決行したのか 」 と たずねたのに対し、
「 従来たびたび上司に対し小官らの意見を具申しましたが、おそらく大臣閣下の耳には達していないだろうと思います。
ゆえに ことついにここに至ったのであります。すみやかに事態を収拾せられたいのであります。
自分たちの率いている下士官以下は全部同志で、その数は約千四百名であります。
なお満洲朝鮮をはじめ その他いたるところにわれわれの同志がたくさんおりますから、
これらは吾人の蹶起を知って立ち、全地方争乱の巷となり、
ことに満洲および朝鮮においては総督および軍司令官に殺到し、大混乱となりましょう。
しこうして満洲および朝鮮は露国に接譲しておりますから、
露軍がこの機に来襲するの虞おそれがあり、国家のため重大事でありますから、すみやかに事態を収拾せられたし 」
と 言い、「 蹶起趣意書 」 なるものを朗読する。
・・・ 陸相官邸 二月二十六日 

陸相官邸の大広間、 
正門の幅二間もあろうかと思われる墨絵の富士山の額を背にして、川島陸相が軍服姿で小松秘書官とならび、
その前に大きな会議机を隔てて香田、村中、磯部が立っている。
大臣の前に蹶起趣意書がひろげられていた。
香田は静かに蹶起趣意書を読み上げた。
その力強い一語一語は、この冷たい部屋の空気に響いて人々の心をひきしめた。
     
 川島陸軍大臣    香田淸貞大尉           村中孝次             磯部浅一 

蹶起趣意書
謹ンデ推ルニ我神洲タル所以ハ、
万世一神タル天皇陛下御統帥ノ下ニ、擧國一體生成化ヲを遂ゲ、
終ニ 八紘一宇ヲ完フスルノ國體ニ存ス
此ノ國體ノ尊嚴秀絶ハ
天祖肇國神武建國ヨリ明治維新ヲ經テ益々體制を整へ、
今ヤ 方ニ万万ニ向ツテ開顯進展ヲ遂グベキノ秋ナリ
然ルニ 頃來遂ニ不逞兇悪の徒簇出シテ、
私心我慾ヲ恣ニシ、至尊絶對ノ尊嚴を藐視シ僭上之レ働キ、
万民ノ生成化育ヲ阻碍シテ塗炭ノ痛苦ニ呻吟セシメ、
從ツテ 外侮外患日ヲ遂フテ激化ス
所謂 元老重臣軍閥財閥官僚政黨等ハ 此ノ國體破壊ノ元兇ナリ、
倫敦海軍條約
並ニ 教育總監更迭 ニ於ケル 統帥權干犯、
至尊兵馬大權ノ僣窃ヲ圖リタル 三月事件 或ハ 学匪共匪大逆教團等
利害相結デ陰謀至ラザルナキ等ハ最モ著シキ事例ニシテ、
ソノ滔天ノ罪惡ハ流血憤怒眞ニ譬ヘ難キ所ナリ
中岡、佐郷屋、
血盟団 ノ先駆捨者、
五 ・一五事件 ノ噴騰、相澤中佐ノ閃發トナル 寔ニ故ナキニ非ズ
而モ 幾度カ頸血ヲ濺ギ來ツテ 今尚些カモ懺悔反省ナク、
然モ 依然トシテ 私權自慾ニ居ツテ苟且偸安ヲ事トセリ
露支英米トノ間一触即發シテ
祖宗遺垂ノ此ノ神洲ヲ 一擲破滅ニ堕ラシムルハ 火ヲ睹ルヨリモ明カナリ
内外眞ニ重大危急、
今ニシテ國體破壊ノ不義不臣ヲ誅戮シテ
稜威ヲ遮リ 御維新ヲ阻止シ來レル奸賊ヲ 芟序除スルニ非ズンバ皇謨ヲ一空セン
恰モ 第一師團出動ノ大命渙發セラレ、
年來御維新翼賛ヲ誓ヒ殉國捨身ノ奉公ヲ期シ來リシ
帝都衛戍ノ我等同志ハ、
将ニ万里征途ニ上ラントシテ 而モ願ミテ内ノ世狀ニ憂心轉々禁ズル能ハズ
君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ、彼ノ中樞ヲ粉砕スルハ我等ノ任トシテ能ク爲スベシ
臣子タリ 股肱タルノ絶對道ヲ 今ニシテ盡サザレバ破滅沈淪ヲ翻ヘスニ由ナシ
茲ニ 同憂同志機ヲ一ニシテ蹶起シ、
奸賊ヲ誅滅シテ 大義ヲ正シ、國體ノ擁護開顯ニ肝脳ヲ竭シ、
以テ神洲赤子ノ微衷ヲ献ゼントス
皇祖皇宗ノ神霊 冀クバ照覧冥助ヲ垂レ給ハンコトヲ
昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉野中四郎
外 同志一同


香田はこれを読み終わると、
蹶起将校名簿を差し出した。
そして机上に一枚の地図をひろげて、今朝来の襲撃目標と部署とその成果について地図をさし示しながら説明した。
大臣は一言も発しない。
・・・ 「 只今から我々の要望事項を申上げます 」 

« 二十九日 »

午前一時 香田大尉殿より達し有り、
「 皆の者此処に聯隊長殿が来て居られ、皆を原隊に帰させると言ふが 帰りたい者は遠慮なく言出よ 」 と、
其の時の兵の気持 悲壮と言ふか
「 声をそろえて帰りたくない、中隊長達と死にます 」
と いった。
香田大尉も感激し 「 良く言ってくれた 」 と、
それから 各処々に陣をはり いつでも来いと応戦の用意、
営門出かけてより此の方、此の位緊張した気持ちはなかった。
亦 今日が自分達最後の日かと覚悟した。
・・・ 「 声をそろえて 帰りたくない、中隊長達と死にます 」 

午前十時頃と思はれる頃、
三階から外を見ると、
電車通りも行動隊の兵士が ( 白襷を掛けて ) 整列して居って、
階下に下りて来て先程の部屋を見ると
安藤、香田の両大尉及下士官、七、八名も居り
緊張して居り安藤か香田に何か大声で話をして居りました。
安藤大尉は
「 自決するなら、今少し早くなすべきであった。
 全部包囲されてから、オメ オメと自決する事は昔の武士として恥ずべき事だ。」
「 自分は是だから最初蹶起に反対したのだ。
 然し君達が飽迄、昭和維新の聖戦とすると云ふたから、立ったのである。」
「 今になって自分丈ケ自決すれば、それで国民が救はれると思ふか。吾々が死したら兵士は如何にするか。」
「 叛徒の名を蒙って自決すると云ふ事は絶対反対だ。自分は最後迄殺されても自決しない。」
「 今一度思ひ直して呉れ 」
と テーブルを叩いて、香田大尉を難詰して居りました。
居合せた、下士卒は只黙って両大尉を見詰めて居るばかりでした。
香田大尉は安藤の話をうなだれて聞いて居たが暫らくすると、頭を上げ、
「 俺が悪かった、叛徒の名を受けた儘自決したり、兵士を帰す事は誤りであった。
 最後迄一緒にやらう、良く自分の不明を覚まさせて呉れた 」
と 云って手を握り合ひました。
安藤大尉は、
「 僭越な事を云って済まなかった。許して呉れ 」 と 詫び
「 叛徒の名を蒙った儘、兵を帰しては助からないから、遂に大声で云ったのだ。
 然し判って呉れてよかった。最後迄、一緒にやって呉 」
と 云ってから
「 至急兵士を呼帰してくれ 」
と 云ったので、香田大尉は其処に居た下士に命じ、呼戻させ、又戦備をつかしめたり。

・・・ 安藤大尉 「 吾々は重臣閣僚を仆す前に軍閥を仆さなければならなかったのです 」


御宸襟を悩し奉り恐懼に堪えず。
論告に民主革命を実行せんとしたとあるも、これは自分の考えとはぜんぜん異なるところにして、
決行したのは国体の障碍を目した者を除き、国体の真姿を顕現し
特に公判において述べしごとく、昭和元年の御勅諭の精神が実行せられないので、
御勅諭の精神を実行する人が出ることを念願し、そのような人が出る世の中に致したしと希望したるため。
自分が建設計画を有するごとく誤解されたるも、それは建設計画にあらず希望に過ぎず。
つぎに暴力を用いねば現状打開ができぬように妄信したとの点については、
決して妄信にあらず、他に手段なしと考えて直接行動を是認したるなり。
自分の根本の考えは、直接行動はできるだけ避けて、昭和元年の御勅諭に現われた大御心を実現せんとしたるも、
ついにこれを是認したのは、他の同志中にも策を有するものもなく、また信ずべき上官にあたりたるも策なきように考えたるがためなり。
つぎに現状の認識において、立派な御世であるのに自分等が立派な御世でないように考えたとの点については、
昭和の聖代が立派なことは認めます。この立派な御世に生れたことを光栄に思います。
しかし なお不足があると考えたのは、
現在の日本の使命は より以上のことをしなければならぬ時機に到達していると考えたのと、
御勅諭にもそのことが言われているので 左様だと考えました。
さらに兵力を使用し 軍紀を破壊したとの点については、
実行前にそのことは考えたが、前に言いたるように大なる独断と考えたのであって、
独断の正非にかかわらず、このことに関しては陛下の御裁おさばきを受けねばならぬとは考えてはおりましたが、
大臣告示が出て、また 戒厳部隊に編入されて、その独断の出発点において認められたと思って安心しました。
しかし それをもって全部の責任が終ったとは考えませぬでした。
つぎに論告に粛軍に邁進し政府が国政一新に向って進んでいるとあった点については、
私は蹶起の使命が遂行されたと喜んで居ります。
刺激を与え、それによって国民全部が大御心を体し、一致して良くなっていると聞き喜んでおります。
この公判において 先程の論告を聞き、
かねて国家の盛衰に関する重大事件なれば思いきった御裁をしていただきたいと思っておりましたが、
その御方針で邁進しておられることを感じ喜んでおります。
世評はいろいろありましょうが、自分の気持は捨石となることにあるのですから、
それによって国家の躍進ができれば満足の至りです。
ただ形の上より言えば一時は後退に見えるかもわからぬが、
前進し居ることを先程言われ、証拠づけられているように思い喜んでおります。

・・・ 最期の陳述 ・ 香田清貞 「 自分の気持は捨石となることにある 」