これより先、河野は余に
磯部さん、私は小學校の時、
陛下の行幸に際し、父からこんな事を敎へられました。
今日陛下の行幸をお迎へに御前達はゆくのだが、
若し陛下のロボを乱す悪漢がお前達のそばからとび出したら如何するか。
私も兄も、父の問に答へなかったら、
父が嚴然として、
とびついて行って殺せ
と 云ひました。
私は理屈は知りません、しいて私の理屈を云へば、
父が子供の時教へて呉れた、賊にとびついて行って殺せと言ふ、
たった一つがあるのです。
牧野だけは私にやらして下さい、
牧野を殺すことは、私の父の命令の様なものですよ
と、其の信念のとう徹せる、其の心境の済み切ったる、
余は強く肺肝をさされた様に感じた。
・・・第八 「 飛びついて行って殺せ 」
河野壽
磯部さん、
ヤルトカ、ヤラヌとか云ふ議論を今になって戰はしてはいけない、
それでは永久に決行出來ぬ事になるから、
この度は眞に決行の強い者だけ結束して斷行しよう、
二月十一日に決行同志の會合を催してもらいたい、
其の席で行動計畫等をシッカリと練らねばならん
・・・ 第七 「 ヤルトカ、ヤラヌトカ云ふ議論を戦わしてはいけない 」
牧野伸顕伯襲撃
河野大尉が、 「 デンポウ! デンポウ! 」
と 叫びながら台所の扉をたたく。
だれも出てこないので、蹴破って中に侵入した。
郡靴でドカドカと歩きまわるのがきこえる。
すると、パ、パーン、と 銃声がきこえた。
わたしの足もとに、銃弾がうなりを生じて飛んで来た。
皆川巡査の射ったものだった。
頭の毛が、ゾーと立ちあがってしまって、わたしは完全に足の力を失った。
そんな状態が五分ぐらい続いた。
さらに、ピストルの音が激しくなったころ、 「 やられた! 」 という声が聞こえる。
ふと足もとをみると、河野大尉が軍刀をつえにしながら、台所から出て来る。
軍服の二ツ目のボタンと、三ツ目のボタンの間を射たれて血が流れている。
その弾が、筋骨をすべって横腹に頭を出している。
だから、二カ所から血が噴き出ていた。
私は、それをみて、がっかりした。
総指揮者がやられた、というショックは大きかった。
河野大尉は、大きな石に腰をかけ、軍刀をついている。
・・・牧野伸顕襲撃 1 「 デンポウ ! デンポウ ! 」
伊東屋別館の火事に 最初にかけつけた元消防組の子頭、岩本亀三氏は
「 その朝、わたしの経営していた旅館で五時半に早立ちする客があり、
タクシー会社に電話で連絡して待っていると 川向うの家の壁が真赤になっている。
着がえの仕度をするひまもなく、シャツに股引の姿で長靴をはき 半鐘櫓のところへとんでゆくと、
そこに兵隊がいて、半鐘を叩いてはいけない、という。 あとで、それが水上源一という人らしいと分った。
伊藤屋別館の前に行くと兵隊たちが立っている。
その中の航空将校がわたしを見て、「 とまれ、君はなにだ 」 と 咎めた。
「 消防だ。あんたらは何だ」 と 云い返した。
「 われわれは国家の革新のためにやっている 」
「 民家に延焼するじゃないか 」
「 その点はやむを得ない 」
こんな問答をしているうちに、家の中で女たちの騒ぐ声が聞えた。
将校は 「 女がいるらしい。君、女を助けてやってくれ 」 と いった。
そこで門の中に入って石垣の塀と家の間のせまいところを伝って山の斜面側に行ったところ、
便所のところで行詰りになっている。
高い塀を乗りこえ、斜面に上り、どこから下に降りようかと考えているとき、
女ものの着物を頭からかぶった牧野さんを先頭とする一行が塀のところにきた。
写真で見覚えの顔なので、はじめて牧野さんと知った。
牧野さんは顔を土色にして 「 助けてくれ 」 と 私に云った。
私が一メートル半ばかりの塀を降りようとする前に、牧野さんが塀をよじ登ってきた。
私はその首根ッ子をつかまえ力まかせに引上げた。
その瞬間、私は左脚を丸太ン棒でたたかれたように感じた。
兵隊の撃つ弾丸が当ったのだが、そのときは分らなかった。
牧野さんを塀のこっち側に移すと、幸い行きが積もっていたのでその上をいっしょにずり落ちた。
そこへ近くの旅館の工事をしている人たちや警防団の人たちが来てくれたので、
牧野さんのことを頼んだ。
そのとき 「 撤収用意 」 という声がした。
つづいて 「 撤収 」 という声がした。
・・・牧野伸顕襲撃 3 「 女がいるらしい、君、 女を助けてやってくれ 」
「 不覚の負傷でした。大失敗でした。 おかげでなにもかもめちゃめちゃです。
私が負傷をしなかったら牧野をやり損じるようなことはなかったでしょう。
それよりも東京の同志達が逆賊になるような過誤をおかさせやしませんでした。
それが なによりも一生の遺憾です 」
「 きっと、血気にはやる栗原が事態をあやまったに違いありません。
私がいれば栗原を抑えることができたと思うと残念でたまりません。
取返しのつかないことをしてしまいました 」
栗原中尉ともっとも親しく、もっとも相通じていた弟としては、
この間の事情について、一抹の予感があったらしく唇を噛んだ。
事件に関する話は避けたいと思った心遣いもいまは無駄だった。
弟の心中には、事件のこと以外には考えるなにもなかったようだ。
「 勅命に抗するに至っては、万事終りです。
いろいろと複雑な事情はあるに相違ありませんが、
ことの如何を問わず、勅命に抗し、逆賊になるにおよんでは、大義名分が立ちません。
こんな結果になろうとは夢にも考えなかったことです。
無念この上もありません。死んでも死にきれない思いです 」
暗然として黙考する弟の姿に、返すべき言葉もなかった。
「 兄さん、どうか許してください。
こと 志と違い、いやしくも逆賊となり終った今日、私一人はたとえその圏外にあったとはいえ、その責め同断です。
この事態に処すべき私の覚悟は、すでに充分にできました。立派に死んでお詫びをいたします 」
はっと 胸を衝くものがあった。 弟は死を決意している。
弟の参加を知って以来、日毎に悪化する情勢のなかで、 事件のもたらす最悪の結果がなによりの傷心の種であった。
が、規模こそちがえ、血盟団や五・一五事件等、 この種の結末になにかしら心のよりどころを求めて、
どうしても最後的な死を考えようとはしていなかった。
あるいは そう考えることが怖ろしかったからであろう。
血盟団、五 ・一五の人々のことが、弟の言葉を聞きながら脳裡をかすめる。
「 しなないでも 」 という 気持ちが浮んでくるが、言葉にはならなかった。
ややあって、弟は再び語をついだ。
「 実は、昨夜以来 まんじりともせず熟慮しました。
それがいつの間にか叛乱部隊となり、帰順命令がでて事態の収拾を見た、
という 最悪の結果を知らされたときは、ただ、呆然として、泣くに泣けませんでした。
しかしこの絶望の中にも、なお一縷るの望みは、
私たち同志が叛徒として処断されるようなことは よもやあるまいということでした。
この最後の命の綱も、先刻の宮内省発表ですべてが終りました。
圏外にあった私も、抗勅者として、同様に位記の返上を命ぜられました。
国家のため、陛下の御為に起ち上がった私が、夢にも思わなかった叛徒に・・・・」
弟は涙を流し、ふるえる唇を噛みしめて言葉を呑んだ。
「 栗原や私たちは、万一、こと破れたさいにも、死 ということについては、 一つの考えを持っていました。
それは失敗の責任を自決によって解決する方法は、いわゆる武士道的の見方からすれば立派であり、
綺麗であるが、 反面安易な、弱い方法である。
われわれの不伐の信念は、一度や二度の挫折によって挫けるものではない。
自決によって打切られるような、そんな皮相なものではなく、
死の苦しみを超克ちょうこくして、あらゆる苦難を闘い抜くことが、ほんとうに強い生き方であるという信念です。
この考え方は、私はいまも変わりありません。
しかしながら、この信念も、それを貫くことのできない、絶対の窮地に立つに至った現在、
私の進むべき道はただ一つしかありません。叛徒 という絶体絶命の地位は、一死をもって処するあるのみです 」
弟の眼にはもう涙はなかった。
沈重な面持に、低く重く、悲壮な信念が一言一句、強く私の肺腑を衝いた。
「 東京の同志たちは この叛徒という厳然たる事実をなんと考えているのか諒解に苦しみます。
私共の日頃の信念であるところの、 あらゆる苦難を排して最後まで闘い抜く生き方も、
現実の私どもの冷厳なる立場は、絶対にそれを許さないのです。
私どもはたとえ、こと破れたさいも、恥を忍んでも生きながらえ、
最後まで公判廷において所信を披瀝ひれきして世論を喚起し、
結局の目的貫徹のために決意を固めていました。
しかし 日本国民として、絶体絶命の 叛徒 となった現在、なにをいい、なにをしようとするのでしょう。
東京の同志たちが、もしあえてこの現実を無視して、公判廷に立つことができたとしても、
叛徒の言うことが、どうしても、世論に訴える方法があるでしょうか。
たとえその途が開けたとしても、その訴えるところが世論の同調をえることがあるとすれば、
それはいたずらに叛徒にくみする者を作ることになります。
そのあげくは、さらに不忠を重ねる結果となるに過ぎないということを、 深く考えねばなりません。
こと志とまったく相反して、完全に破れ去った私どものとるべき唯一の途は、
その言わんとし、訴えんとするところのすべてを、これを文章に残し、
自らは自決して 以て闕下にその不忠の罪を謝し奉るより他はありません 」
弟が考え抜き、苦しみ抜いた最後の決意はこれであった。
不動の決意を眉宇に輝かせながら語る弟の語に、
何一つ返す言葉もなく、私はただ無言でうなずくばかりであった。
弟は語調を改めて、すくなくとも自分一人は、幸か不幸か熱海にあって、
勅命に抗した事実はいささかもないことを認めてもらいたいこと、
なお、亡父母もこのことだけは喜んでくださると思うと、
苦悩のうちにも、わずかに自ら慰めるところのある心境を語った。
・・・河野壽大尉の最期
陸軍大臣閣下
一、蹶起自決ノ理由別紙遺書ノ如シ
二、遺書中空軍ノ件ニ關シテハ
特ニ迅速ニ處置セラレスハ國防上甚タシキ欠陥ヲ來サン事ヲ恐ル
三、小官引率セシ部下七名ハ小官ノ命ニ服從セシノミニテ何等罪ナキ者ナリ
御考配ヲ願フ 四、別紙遺書 ( 同志ニ告ク ) ヲ
東京衛壱成刑務所ノ同志ニ示サレ更ニ同志ノ再考ヲ促サレ度シ
尚ホ 在監不自由ノ事故
特ニ武士的待遇ヲ以テ自決ノ爲ノ余裕ト資材ヲ附与セラレ度ク伏シテ嘆願ス
同志ニ告グル
全力ヲ傾注セシモ目的ヲ達シ得サリシ事ヲ詫ブ。
尊皇憂國ノ同志心ナラスモ大命ニ抗セシ逆徒ト化ス。
何ンソ生キテ公判廷ニ於テ世論ヲ喚起シ得ヘキ。
若シ世論喚起サレナハ却ツテ逆徒ニ加担スルノ輩トナリ不敬を來サン
既ニ逆徒トナリシ以上自決ヲ以テ罪を闕下ニ謝シ奉リ
遺書ニ依リテ世論ヲ喚起スルヲ最良ナル尽忠報國ノ道トセン
寿 自決ス
諸賢再考セラレヨ
時勢ノ混濁ヲ慨なげキ皇國ノ前途ヲ憂ウル余り、 死ヲ賭シテ此ノ源ヲ絶チ
上 皇運ヲ扶翼シ奉リ
下 國民ノ幸福ヲ來サント思ヒ遂ニ二月二十六日未明蹶起セリ。
然ルニ事志ト違ヒ、大命ニ反抗スルノ徒トナル。
悲ノ極ナリ。 身既ニ逆徒ト化ス。 何ヲ以テ國家ヲ覺醒セシメ得ヘキ。
故ニ自決シ、以テ罪ヲ闕下に謝シ奉リ、一切ヲ淸メ國民ニ告グ
皇國ノ使命ハ皇道ヲ宇内ニ宣布シ、
皇化ヲ八紘ニ輝シ以テ人類平和ノ基礎ヲ確立スルニ在リ。
日淸、日露ノ戰、近クハ満州事變ニヨリ
大陸ニ皇道延ヒ極東平和ノ基礎漸ク成ラントスル今日、
皇道ヲ翼賛シ奉ル國民ノ責務ハ重且大ナリ
然ルニ現下ノ世相ヲ見ルニ國民ハ泰平に慣レテ社稷ヲ願ス、
元老重臣財閥官僚軍閥ハ天寵ヲ恃ンテ専ラ私曲ヲ營ム。
今ニシテ時弊ヲ改メスンハ皇國ノ招來ハ實ニ暗然タルモノアリ、
国國家ノ衰亡カ内的ニ係ルハ史實ノ明記スル所ナリ
更ニ現時ノ大勢ハ外患甚タ多クシテ 速カニ陸海軍ノ軍備ヲ充實シ、
外敵ニ備ユルニ非ンハ、 光輝アル歴史爲ニ汚辱ヲ受ケン事明ナリ、
軍縮脱退後ノ海軍ノ現狀ハ衆知ノ事ニテ、
陸軍ハ兵器資材ノ整備殊ニ航空ノ充實ヲ圖リ、
至急空軍を獨立セシメ列強空軍ト對立セシムルヲ要ス。
右 軍備充實ノ爲ニハ國民ノ負担ハ實ニ大ナルモノアランモ、
非常時局ニ直面シ皇道精神ヲ更生シ以テ喜ンテ之ノ責務ニ堪ヘ、
又 政ヲ翼賛し奉ル者ハ國家經濟機構ノ改革ヲ斷行シ、
貧ヲ援ケ富ヨリ献セシメ以テ 國内一致斷結シ皇事ニ精進サレン事ヲ祈ル
今自決スルモ七生報國盡忠ノ誠ヲ致サン
・・・あを雲の涯 (七) 河野壽