石原莞爾が広間の椅子にゴウ然と坐している。
栗原が前に行って
「 大佐殿の考へと私共の考へは根本的にちがふ様に思ふが、 維新に對して如何なる考へをお持ちですか 」
と つめよれば、大佐は
「 僕はよくわからん、僕のは軍備を充實すれば昭和維新になると云ふのだ 」 と 答へる。
栗原は余等に向って 「 どうしませうか 」 と 云って、ピストルを握っている。
余が黙っていたら 何事も起さず栗原は引きさがって來る。
邸内、邸前、そこ、玆、誠に險惡な空氣がみなぎってゐる。
・・・第十四 「 ヤッタカ !! ヤッタ、ヤッタ 」
栗原安秀
一月十日入営した日、
若い男前の將校がきて 我々新兵と父兄を前に置き、
世の中の腐敗振りを痛烈に批判し、
これを改革しなければ 日本は亡びる と 述べた。
堂々たる演説に一同は舌を巻いたが
歩一には随分思切ったことをいう將校がいるものだ と 思った。
それが 栗原中尉で我々の敎官となった人であった。
・・・「 若い男前の将校 」
栗原部隊
栗原安秀中尉の四日間
午前六時三十分をすぎて、大臣漸く來る。
余等は廣間に於て會見する。
香田が蹶起趣意書を讀み上げ、現在狀況を圖上説明し、
更に大臣に對する要望事項を口述する。小松秘書官は側にて筆記。
此の時、渡邊襲撃部隊より、目的達成の報告あり。
大臣に之を告げると
「 皇軍同士が打ち合ってはいかん 」 と 云ふ。
卒然 栗原が來り色をなし、香田と口を揃へ
「 渡邊大將は皇軍ではない ! ! 」と 鋭い應シュウをする。
大臣少しひるむ様子。
余は同志の國體信念にとうてつせる事をよろこんだ。
渡邊を皇軍と混同して平然たる陸軍大臣に、
嚴然として其の非を叱りてゆづらざる同志の偉大なる事がうれしくてたまらなかったのだ。
大臣はウムとつまって、「 皇軍ではないか 」と 言ひ、成程と云った態度。
要望事項に對して大臣は、
「 この中に自分としてやれることもあればやれぬこともある。 勅許を得なければならぬものは自分としては何とも云へぬ 」
旨を語る。
・・・第十四 「 ヤッタカ !! ヤッタ、ヤッタ 」
・・・「 只今から我々の要望事項を申上げます 」
奉勅命令
村中、香田らが師團司令部から陸相官邸にかえって間もなく、山下少將があわただしく官邸にやって來た。
そしてすぐ靑年將校は集まれという。
香田、村中、栗原らは鈴木大佐、山口大尉の立會いで山下少將と會った。
山下は沈痛な面持ちで、
「 奉勅命令の下令は、いまや、避けられ得ない情勢に立ち至った。もし、奉勅命令が下れば、お前たちはどうするか 」
一同、ことの以外に唖然として答えるものがない。
「 奉勅命令が出たとなればわれわれはこれに従うより外に途はない。われわれの國體信念は陛下にたてをつくことはできない 」
というのが、暗黙の間に通ずる彼らの支配的な意見だった。
だが、誰も発言しない。
沈うつな空氣がこの場をおおっていた。
そこへ戒嚴司令部からかえった磯部がとび込んで來た。
そして、 「 おーい、一體どうするんだ ! 」 と どなりたてた。
村中は磯部に ここでの事の次第を説明した。
「 オレは反對だ、いま撤退したらこの台上は反對派の勢力に掌握されてしまって、われわれの蹶起が無意味になる。
それだけではない、もっと惡い事態がおこる。
奴らは われわれを彈壓して自分たちの都合のよいように、軍をつくりかえてしまうだろう 」
この磯部の強い反對で、一應、撤退の空氣はくずれてしまった。
もう一度よく協議しようということになって、山下、鈴木は別室に去り 山口だけは居殘った。
彼らは山口を交えて改めてもう一度協議した。
奉勅命令が師團の方では未だ出ないというのに、幕僚は出たという。
どちらが本當かわからない。これは彼らの おどかしかも知れない。
協議は、ことの眞否をめぐって堂々めぐりをしていた。
この暗たんたる前途に對して、もはや、誰も思いきって發言するものがなかった。
この沈黙を破って栗原が、
それでは、こうしようじゃないですか、
今一度、統帥系統を經てお上にお伺い申上げようではないか、
奉勅命令が出るとか出ないとか、一嚮にわれわれにはわからない。
もう一度、陛下の命令を仰いで、一同その大元帥陛下のご命令に服從しましょう。
もし、死を賜わるならば、侍從武官のご差遺を願い
將校は立派に屠腹して、下士官兵のお許しをお願い致しましょう。
と いって泣いた。
なみいる同志は感動した。
この栗原の發言は一同の胸をひしひしと かきむしったのだ。
突然、山口が大聲をあげて泣き出した。
「 栗原、貴様はえらい ! 」
山口はたち上りざま、ツカツカと栗原のところによって肩を抱いた。
栗原も立って山口を抱いた。
二人は頬と頬をくっつけるようにして聲をあげて泣いた。
香田も泣いた。 村中も磯部も泣いていた。
磯部は統帥系統を通じてお上にわれわれの眞精神を奏上してお伺いするという方針は、
この際、きわめて妥當なものだと感じたので、「 よかろう、それで進もう 」 と いった。
村中も香田もこれに同意した。 山口が部屋を出て別室の山下と鈴木を呼んできた。
そして山口から改めて栗原の意見を開陳すると、山下も鈴木も共に涙を流し、
「 ありがとう、有難う 」 と 栗原をはじめ香田、村中、磯部らの手を一人一人固く握りしめた。
そして山下は侍從武官のご差遺には努力しようと約束した。
そこへ、 堀第一師團長と小藤大佐が急ぎ足で入ってきた。
堀中將は奉勅命令が午前八時に實施というのが延期されたので、
香田、村中らの さきの訪問に對しては、 命令は下達されていないと あいまいに答えたのだったが、
それが また正午に實施ということになったので、驚いて彼らに撤退をすすめにきたのだった。
だが、彼らはそこで栗原の意見を聽いて同じく感動の涙を流した。
もはや、多くをいう必要を認めなかった。
「 奉勅命令は近く下る状況にあるから君らはしりぞいてくれ 」
と いうだけで安心して歸っていった。
・・・自殺するなら勝手に自殺するがよかろう
われわれは天皇陛下の軍人として、
上は元帥、下は一兵卒に至るまで、
一切を擧げて陛下にすべてをお委せすれば、
現在のように腐敗堕落せる政黨、財閥の巨頭聯中を一掃して、
皆さんの生活は必ず良くなる。
今回の蹶起は下士官、兵もすすんで強力したもので、
下士官、兵の聲は皆さんの聲であります。
・・・二十八日の夜
幸樂の門前に立ち民衆に向っての大演説
・・・幸楽での演説 「 できるぞ! やらなきゃダメだ、モットやる 」
吾々同志は皆 今夜死ぬ
諸君は吾々同志の屍を乗りこえて 飽迄も吾々の意思を貫徹して貰いたい
諸君は何れに組するや
栗原中尉がこのように問いかけると、
群衆より 討奸軍萬歳 と 云う者がありました
後は諸君と共に 天皇陛下萬歳 を三唱します
と云って栗原中尉は
天皇陛下萬歳 と 發聲しました処
其後で群衆中に 尊皇討奸萬歳 と 唱いたるものあり
群衆は之に三唱しました
・・・二十八日の晩 ・・幸樂の支配人談
檢察官ハ現狀維持者ノ代辯トシテ論告セラレタモノデアリマス。
私ドモノ蹶起ハ被壓迫者ガ支配者ヲ倒シ、
生活權ヲ擁護センガタメノゴトキモノデハナク、
國家内外ヲ時勢ニ應ジテ飛躍セシメンガタメデアリマス。
維新運動ハ天皇ヲ中心トシテ渦巻イテイマス。
皆 維新ニ貢献シテイルノデアリマスガ、
中心ニモットモ近キ者ヲ矯激分子ト批難スルハ 當ヲ得タモノデハアリマセン、
日本ノ維新ハ皇軍ヲ中心トシテ展開スベキデアリマス。
今日ワレワレノ蹶起ニ拘ラズ 上層部ハ立チマセンデシタガ、次ノ時代ニハ立ツベキデアリマス。
論告ニハ根本カラ反對デアリマス。
法律的ノ頭脳ヲ以テ解釋スベキデナク、軍人的ノ頭脳で解釋セナケレバナラヌ問題デアリマス。
私ドモハ改造法案ニアルガ故に貴とうとしトシテ行動シタノデハアリマセン。
私ハ改造法案ヲ精讀シテ研究シテハイマスガ、國家革新ノ方法論トシテ研究シテイルノデアリマス。
皇室財産ノ没収ト言ワレマシタガ、ソノヨウナコトハナク、下附デアリマス。
論告ハ今マデノ支配階級ガ私ドモヲ攻撃シタノト同ジ筆法ヲ以テセラレテイマス。
今回ノ事件ハ次ノ四箇ノ鍵ヲ以テ解クベキデアリマス。
一、獨斷を正シイトシタ理由
二、告示
三、戒嚴部隊ニ編入
四、奉勅命令ビソノ前後ノ處置
デ アリマス。
今回ノ事件ハ五 ・一五事件ノゴトキモノデハアリマセン。本質ガ相違シテイマス。
五 ・一五ハ英雄的ノモノデ、今回ノ事件ハ忠臣トナルカ逆臣トナルカノ岐路を行ッタモノデアリマス。
呑舟ノ魚ハ網ニカカラズ 超法的ノ存在デアリマス。
コノ超法的存在ヲ打破スル者ハ靑年將校ノ劍ノミ可能デアリマス。
・・・最期の陳述 ・ 栗原安秀 「 呑舟の魚は網にかからず 」
維新革命家トシテ余ノ所感
昭和十一年七月初夏ノ候、余輩靑年將校十數士、怨ヲ呑ミテ銃殺セラル
余輩 ソノ死ニツクヤ從容タルモノアリ、
世人 或ハ コレヲ目ニシテ天命ヲ知リテ刑ニ服シト爲
斷ジテ然ラザル也
余 萬斛ノ怨ヲ呑ミ、怒リヲ含ンデ葬レタリ、
我魂魄 コノ地ニ止マリテ悪鬼羅刹トナリ 我敵ヲ馮殺セント欲ス。
陰雨至レバ或ハ鬼哭啾々トシテ陰火燃エン。
コレ余ノ惡靈ナリ。
余ハ 斷ジテ成佛セザルナリ、斷ジテ刑ニ服セシニ非ル也。
余ハ 虐殺セラルタリ。
余ハ 斬首セラレタルナリ。
嗚呼、天 何故ニカクモ正義ノ士鏖殺セントスルヤ
ソモソモ今回ノ裁判タル、ソノ殘酷ニシテ悲惨ナル、昭和ノ大獄ニ非ズヤ
余輩靑年將校ヲ羅織シ來リ コレヲ裁クヤ、余輩ニロクロクタル發言ヲナサシメズ
豫審ノ全ク誘導的ニシテ策略的ナル、何故ニカクマデ爲サント欲スルヤ
公判ニ至リテハ僅々一カ月ニシテ終リ、ソノ斷ズルヤ酷ナリ
政策的ノ判決タル真ニ瞭然タルモノアリ。
既ニ獄内ニ禁錮シ、外界ト遮斷ス、何故に然ルヤ
余輩ノ一擧タル明に時勢進展ノ樞軸トナリ、
現狀打破ノ勢滔々タル時コレガ先駆タル士ヲ遇するに極刑ヲ以テシ、
而シテ肅軍ノ意ヲ得タリトナス。
嗚呼、何ゾソノ横暴ナル、吾人徒ニ血笑スルノミ、
古ヨリ 狡兎死而走狗烹 吾人ハ即走狗歟
余ハ 悲憤、血涙、呼號セント欲ス。
余輩ハカクノ如キ不當ナル刑ヲ受クル能ハズ。
而モ戮セラル、余ハ血笑セリ。
同志ヲ他日コレガ報ヲナセ、余輩を虐殺セシ幕僚を惨殺セヨ。
彼等ノ流血ヲシテ余ノ頸血ニ代ラシメヨ。
彼等の糞頭ヲ余ノ靈前ニ供エヨ
余ハ冥セザルナリ、余ハ成佛セザル也。
同志ヨ須ク決行セバ余輩十數士ノ十倍ヲ鏖殺スベシ。
彼等ハ賊ナリ、乱子ナリ、何ゾ愛�詞ヲ加フルの要アランヤ
同志暇アラバ余輩ノ死所ニ來レ。
冥々ナル怨氣充満シアルベシ。
余輩ガ怨靈ハ濺血ノ地ニ存シ、人ヲ食殺セン
嗚呼、余輩國家ノ非常ノ秋ヲ座視スルニ忍ビズ、
可憐ナル妻子ヲ捨テ故旧ト別レ、挺身ココニ至レリ。
而モソノ遇セラレルコノ狀ナリ、何ゾ何ゾ安心立命スル能ハンヤ
見ヨ、彼等腐敗者流依然トシテ滅ビズンバ
余即チ大地震トナラン、大火災トナラン、又大疫癘、大洪水トモナラン、
而シテ全國全土盡ク荒地トナラン
嗚呼、余輩ノ呼號ヲ聞ケ、
汝等腐敗者流ノ皮肉ニ食ヒ込ムベシ、汝等ノ血液を凝固セシムベシ
同志ヨ、
余輩ハ地下ニアリテ猶苦悶シ、地上ニアリテ猶吐血シアリ、
余輩ノ吐キシ血ヲ以テ彼等ノ墓標トナサン。
見ヨ、暗黒ノ夜、靑白ノ光ヲハナテルハ吾人ノ忿靈ナリ。
吾人ハ