あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・常盤稔少尉

2021年03月06日 05時48分32秒 | 昭和維新に殉じた人達


常盤稔少尉
二月十六日 ( 日 ) 夜十一時に歩三第七中隊が非常呼集をかけ、
夜間演習と称して警視庁に突撃訓練を行った。
常盤稔少尉 ( 21 ) 指揮下の下、
桜田門通りに百五十名が一列横隊となり、着剣した小銃を構えて、
「 斎藤 」 「 牧野 」 と連呼しながら直突を三度繰返す。
斉藤實 ( 77 ) は内大臣、牧野伸顕 ( 74 ) はその前任者である。共に 二・二六事件で襲撃された。
直突とは着剣した銃を掲げ、敵の心臓部めがけて突き出すことを謂う。
おまけに訓練が終ると 警視庁舎に向けて一斉に立ち小便をしたことから、
侮辱と受け取った警視総監が第一師団長に厳重に抗議する。
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常盤さんが中隊を率いて警視庁襲撃の実施演習をされるのは、
二月十五日でしたか。あれは誰かに云われて・・・・。
常盤
いや、自分で考えてです。
しかし、怒られましてね、企図を暴露するではないかと言われて。
それで僕は
「 いや、受取る方は、第一師団は満洲へ渡る前に決行する筈だったのに、もう 間に合わん、
ええいッくそ、演習で鬱憤でもはらせ、という受取り方をしますよ。
だから企図を暴露することにはなりません 」 と 説明したものでしたよ。
・・・生き残りし者 1 首相官邸 「 人違いじゃないですか ?」 

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この夜間演習に海軍側は反応した。
新聞記者から情報を入手した当時の横須賀鎮守府参議長、井上成美少将 ( 46 ) は、
「 陸軍はいよいよやるな  」 と、直感する。
かねてから米内光政司令長官の内諾を得て進めていた。
陸戦隊二箇中隊の特別訓練と砲術学校二十名の要員の非常招集体制の再点検を行う。
国家非常事態となれば海軍省など関連施設の警備を名目に横須賀から上京派遣させるためだ。
米内は火急の際は、昭和天皇を宮城から救出し、戦艦・比叡に乗艦願うことまで想定していたと云う。


〇五・〇〇
野中大尉が突如正面玄関にツカツカと入って行ったので私の分隊も続いて入り、
本館を通りこし裏手にある新撰組の建物に突入し、瞬く間に二階に至るまで占領した。
屋内はすでに逃げたあとで人気はなかった。
その間 野中大尉は玄関前で予備隊の隊長と称する警官を相手に交渉を進めていた。
占領をおわった私たちが側で見守る前でかなり緊張したやりとりがあった。
「 我々は国家の発展を妨害する逆賊を退治するために蹶起した。
貴方達にも協力して頂きたい 」
「 そのような事件が起ったのなら我々も出動しなければならない 」
「 警視庁はジッとしていればよい。
私のいうことを聞かず出動すれば立ちどころに射撃するがそれでよいか 」
交渉はゴタゴタして相手は野中大尉の意見に従う様子が見えない。
すると側に居た常盤少尉がサッと抜刀して、
「 グズグズいうな、それならお前から斬る ! 」
と 迫ったので、
この見幕に警視庁側の隊長はドギモを抜かれ
遂に
「 解りました 」
と 降伏の意志を告げた。
こうして警視庁は瞬く間に我が手に帰し
庁員を一ヵ所に軟禁し歩哨を立てた。

・・・ グズグズいうな、それならお前から斬る ! 」 



二月二十六日 午前零時に、
週番司令安藤大尉の命令で非常呼集をしてから、
歩兵第一聯隊の栗原中尉の下に出f發刻の件に付打合せに行きまして、
出發時刻を歩兵第一聯隊の裏門に午前四時三十分に到着する様に聯隊を出發する事を打合せて歸り、
諸準備を致し、

午前四時二十五分頃歩兵第三聯隊を出發して歩一の裏門に行きました。
栗原中尉は表門から出て來まして、
麻布三河台町赤坂區氷川町福吉町電車通り迄栗原中尉の案内で行き、
電車線路に沿って溜池虎ノ門を經て警視廳に行きました。
二月二十六日午前五時に、
第七中隊野中大尉と共に警視廳表玄關に行き、
野中大尉は決起の趣意書を受付の者に説明して渡し、
現在、警視廳の最高級の幹部の方にお話したい事があるから呼んで來て呉れと受付の者に言ふて配備を廻らしましたから、
私 ( 常盤少尉 ) はその幹部の方の出て來るのを待つて居りました。
暫くして其趣意書を見まして、
私個人としては大變結構なことでありますと述べましたから、
私 ( 常盤少尉 ) は全部に判って貰った方が良いと思ひましたから、
全部一緒に中隊長野中の下にお出でになる様に申しましたる処が、
特別警備隊小隊長横沢某は私一人の方がよいだろうと言ひましたから、
裏門に居る中隊長の下に案内しますと、 中隊長は趣意書の説明をして、
他の目的が達成する迄一時庁舎を借用したいと述べ、
若しや衝突するやうなことがあつてはならぬから、
廳舎内の者を全部纏めて措いて貰ひ度いと申しますと 二、三問答をしましたが、
中隊長より今は議論する時期ではないから兎に角借用さして貰い度いと述べました。
此間、中隊長野中大尉は衝突することを心配して再三衝突を避け様と言ふて居りました。
すると、特別警備隊横沢某は、其要求部所を取るからと言ひまして廳内に行きましたが、
中隊長野中大尉は 私 ( 常盤少尉 ) に
横沢某を監視する様にと言はれましたから 後をついて行きますと、
警備隊の中隊長だと云ふ人に逢ひ、其方を案内して中隊長野中大尉の処に行きました。
又、中隊長は前同様の事を言って居り、逐次警戒線を裏庭の線迄つめてその儘夜を明しました。
警視廳占領は、主として中隊長野中大尉の命に依り附近の警備に任じて居ったが、
二十七日午後二時頃 中隊長の命に依り議事堂に集合する為警視廳を出發、
途中に於て師團命令を受くると同時に、もう一度警視廳に歸れと云ふ命令を受けて、警視廳に歸りました。

午後四時頃
再び議事堂に集合せよとの事で、
前回には淸原、鈴木兩少尉及機關銃隊と一緒に行きましたが、
今度は自分 ( 常盤少尉 ) の一個小隊丈引率して行きました。
午後五時頃
陸軍大臣官邸に將校集れと云はれ、 十七、八名集合し、
眞崎、西、阿部の三大將と會見した後、 山口大尉より宿營地の配當を受け、
野中部隊 ( 第三、第七、第十機關銃隊 ) は 蔵相、文相、鐡相各官邸の配當を受け、
私 ( 常盤少尉 ) は當時不在なりし淸原に傳達し、
淸原の部隊と共に官邸に向ひ、淸原は蔵相官邸に、常盤は文相官邸に入り、
爾來二十九日午前二時頃迄其処に居りました
奉勅命令が下ったと云ふことを知らずに、其御命令に反して居ったと云ふ行動は、
誠に恐懼に堪へないこと 深く感銘して居ります。
此の事に關して二十七日午後五時頃
陸相官邸にて將校十七、八名が阿部、眞崎、西大將に會見し、
其際、眞崎閣下より統帥命令に服從すること、
錦の御旗に對して絶對に敵しないことを強調せられたが、
其れに對し全員其通りでありますとお答ひしました。
( 所属隊上官より、解散又は原隊復歸等の ) 命令を受けたことはありませんが、
伊集院少佐 ( 歩三大隊長 ) から原隊に歸らないかと言はれたけれ共、
吾々は 「 一師戒命第一號第一師團命令 」 に依り小藤大佐の指揮下にあるのに
大隊長が斯くの如きことを云ふことは不思議に思って居りました。
(二十九日午前二時以降は) 午前二時頃
對馬中尉より周囲の部隊が攻撃するかも知れぬと聽き、
中隊長の命を受け、文相官邸の西側地區の警戒に任じました。

其後、奉勅命令降下のことを知り、下士官以下は全部聯隊に歸還せしめ、
野中大尉以下將校三名は陸相官邸に集結し、
爾後は大御心に副ひ奉る行動を採る決心を致しました処、
午後五時頃、 某大佐參謀、某少佐參謀、官邸に來り
「 君等は自首したのか 」 と 云はれましたから
「 自首した 」 旨を答へ終ると、
同時に憲兵が這入って來て保護檢束を加へられ、
午後六時頃、 陸軍衛戍刑務所に収容せられました。
・・・常盤稔少尉の四日間 
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二九日
事態が重苦しくしている中で、 十一時頃 常盤少尉が急に全員集合を命じ、おもむろに訓示をした。
その内容は 出動以来の成り行きと、 今日までの苦労を感謝する意味のものであったが、
最後に、
「 愈々お前たちと分かれることになった。
 俺は別の所に行って残された仕事をやらねばならんから 堀曹長は全員を指揮して聯隊に帰るように 」
と いった。
日頃 父と仰ぎ 絶対信頼をもって服従してきた常盤少尉と今更どうして別れることができよう、絶対にできるものではない。
「 教官殿、自分たちは別れません。 教官殿が行かれる所ならどこでもお供いたします 」
「 自分たちは教官殿と一心同体であります。絶対に別れません 」
「 今まで一切を投げ出して教官殿と行動を共にしてきました。
 今別れたら自分たちはどうなるのですか、どうか最後まで行動させてください 」
「 教官殿とは生死を誓いあった我々であります。 今更別れるとは一体どういうことでありますか 」
隊員たちは悲痛な声をあげて常盤少尉の翻意を促した。
教官の為なら死んでもよい、 今日まで面倒を見てくれた間柄は、
親子以上の強い絆で結ばれているので絶対に断ち切ることはできないのだ。
兵は皆泣いた。
泣き叫び、号泣し 常盤少尉との別れに反発しながら自らの胸中を赤裸にブチまけた。
常盤少尉はしばし感慨にふけっていたが、
思い出したように状況説明や自分の立場などを述べて隊員に納得を求めたが、
やがて万感胸を打ち絶句した。
「 どうか 俺のいったとおりにしてくれ 」
常盤少尉もやはり人の子であった。
握りこぶしを 目にあて溢れる涙をおさえながら天を仰いで号泣した。
まことに悲愴の極みである。
・・・野中部隊の最期 「 中隊長殿に敬礼、頭ーッ右ーッ 」