8月17日(日)
午前中、電車の発車まで時間があったので尾道を散策。
思い出さなくてもいいように、体に尾道を染み込ませようと思った。
ロープウェイで千光寺に上がり、展望台から尾道を見下ろす。鳥になったような気分になる。
…遠くに見える島々は夢か幻か。
最後まで未練たらたらで尾道を後にした。やっぱり、私はこの町が好き。
好きなんだわ。
そう言えば、以前、山田優と小栗旬もお忍びで尾道に来たらしい。
彼らにシンパシィを感じてしまう。
尾道から糸崎、そして三原。瀬戸内マリンビュー号という電車で竹原へ。
そこから船で揺られること40分。
大崎下島の御手洗。
「おてあらい」ではない。「みたらい」。
港町として栄える→殿方が集合する→彼らの欲求を満たすために茶屋が発達。
御手洗は18世紀前半から中期にかけ遊郭の町として船乗りに知られるようになった。
中でも若胡子屋(わかえびすや)という茶屋が最大で、一時は100人以上の遊女をかかえていたという。
吉原や島原のように、高い格式と教養を備えていた「花魁」、修行の身の「禿」、そして宵闇の海にカンテラを灯し、沖に停泊する船に小舟をこぎ寄せ、一夜妻をつとめた「おちょろ」。
華やかさが印象的だが、いずれの遊女も身売りされてきた。
家計を救うべく、嫌々ここに連れてこられた女性もいるわけで。
逃げたくても四方を海に囲まれたこの島では無理で。
このような哀話を読んだり、またその実際に舞台に降り立つと、遊女たちの涙を心で感じる。
故郷や家族を恋しいと思いながら、お金のために自らの体を売っていた彼女たちの気持ちを考えると言葉にできない気持ちが腹の奥から込み上げてくる。
「おいらん公園」
見晴らしの良い丘の上に佇む幾つもの墓石は、遊女たちの悲痛さが蠢いていて、私を苦しくさせた。
風が吹く度に、遊女たちの三味線の音が聴こえてきたのは気のせいか。
墓石に彫られた源氏名が、華やかさの裏面にある歴史の重さを静かに語っていた。
もう、気軽に「前世は遊女だったの、私」とか言えないぐらいショッキングだった。
彼女たちの平均寿命は三十歳程度。結核や梅毒や過労のせいで短かったようだ。
また、遊女の堕胎方法は杜撰であった。冷たい水に身を沈めたり、乾燥させた鬼灯を膣に入れたりして堕胎したらしい。
潮待ち館でもらった冊子を広げて裏面を見たら、「みたらい有情」という絵が。
綺麗なんだけれども物悲しい。
町並みは凄く綺麗だった。
とにかく人がいない。
しかし、家屋からはテレビの音が聞こえてきたので、たしかに人はいるようだ。
私が東京でせかせかと生活している間も、この町ではこんなにゆったりとした時間が流れていることを考えると改めて不思議に思った。
御手洗から広島駅まで乗り継ぎが悪く、3時間ほどかかってしまった。
電車内で、めちゃくちゃキモいお兄さん(ぴたぴたのTシャツ着用&グサラン)が隣に座ってきて、寝ているふりをして私の腕に自身の腕を擦り寄せてきた。空腹でイラっとしていたのもあり、「私、ここで降りますんで(怒)」と車両移動。
自分の身は自分で守る。これ、一人旅の鉄則。
さて。
広島駅。
駅ビルの「麗ちゃん」で、「スペシャルお好み焼き」を食した。
やっぱり美味しい。
ボリュームがあったが、完食。
ホテルは優雅なインテリアが素敵な某ホテル。
午前中、電車の発車まで時間があったので尾道を散策。
思い出さなくてもいいように、体に尾道を染み込ませようと思った。
ロープウェイで千光寺に上がり、展望台から尾道を見下ろす。鳥になったような気分になる。
…遠くに見える島々は夢か幻か。
最後まで未練たらたらで尾道を後にした。やっぱり、私はこの町が好き。
好きなんだわ。
そう言えば、以前、山田優と小栗旬もお忍びで尾道に来たらしい。
彼らにシンパシィを感じてしまう。
尾道から糸崎、そして三原。瀬戸内マリンビュー号という電車で竹原へ。
そこから船で揺られること40分。
大崎下島の御手洗。
「おてあらい」ではない。「みたらい」。
港町として栄える→殿方が集合する→彼らの欲求を満たすために茶屋が発達。
御手洗は18世紀前半から中期にかけ遊郭の町として船乗りに知られるようになった。
中でも若胡子屋(わかえびすや)という茶屋が最大で、一時は100人以上の遊女をかかえていたという。
吉原や島原のように、高い格式と教養を備えていた「花魁」、修行の身の「禿」、そして宵闇の海にカンテラを灯し、沖に停泊する船に小舟をこぎ寄せ、一夜妻をつとめた「おちょろ」。
華やかさが印象的だが、いずれの遊女も身売りされてきた。
家計を救うべく、嫌々ここに連れてこられた女性もいるわけで。
逃げたくても四方を海に囲まれたこの島では無理で。
このような哀話を読んだり、またその実際に舞台に降り立つと、遊女たちの涙を心で感じる。
故郷や家族を恋しいと思いながら、お金のために自らの体を売っていた彼女たちの気持ちを考えると言葉にできない気持ちが腹の奥から込み上げてくる。
「おいらん公園」
見晴らしの良い丘の上に佇む幾つもの墓石は、遊女たちの悲痛さが蠢いていて、私を苦しくさせた。
風が吹く度に、遊女たちの三味線の音が聴こえてきたのは気のせいか。
墓石に彫られた源氏名が、華やかさの裏面にある歴史の重さを静かに語っていた。
もう、気軽に「前世は遊女だったの、私」とか言えないぐらいショッキングだった。
彼女たちの平均寿命は三十歳程度。結核や梅毒や過労のせいで短かったようだ。
また、遊女の堕胎方法は杜撰であった。冷たい水に身を沈めたり、乾燥させた鬼灯を膣に入れたりして堕胎したらしい。
潮待ち館でもらった冊子を広げて裏面を見たら、「みたらい有情」という絵が。
綺麗なんだけれども物悲しい。
町並みは凄く綺麗だった。
とにかく人がいない。
しかし、家屋からはテレビの音が聞こえてきたので、たしかに人はいるようだ。
私が東京でせかせかと生活している間も、この町ではこんなにゆったりとした時間が流れていることを考えると改めて不思議に思った。
御手洗から広島駅まで乗り継ぎが悪く、3時間ほどかかってしまった。
電車内で、めちゃくちゃキモいお兄さん(ぴたぴたのTシャツ着用&グサラン)が隣に座ってきて、寝ているふりをして私の腕に自身の腕を擦り寄せてきた。空腹でイラっとしていたのもあり、「私、ここで降りますんで(怒)」と車両移動。
自分の身は自分で守る。これ、一人旅の鉄則。
さて。
広島駅。
駅ビルの「麗ちゃん」で、「スペシャルお好み焼き」を食した。
やっぱり美味しい。
ボリュームがあったが、完食。
ホテルは優雅なインテリアが素敵な某ホテル。
切ないですよね。
遊女は平均5回ぐらい堕胎経験があったようです。そうなると、子供が産めない体になってしまうようで。でもそうなることによって、遊女として一人前だと認められたみたいです。