06年にデビューしたコリーヌ・ベイリー・レイ。自身の名前を冠したデビュー盤は大いに売れたのだが
鈍い私は全く気づかず、去年出たアルバム「THE SEA」でようやく、その素晴らしさに気付いた。
昨日とりあげたノラ・ジョーンズの記事の中で、ノラを先達と比べて先達であることの優位性を理由に、
ノラを批判するような話もあるという内容のことを書いた。比較論は好きでは無いが、コリーヌの声や
バック・トラックを聴いて私の頭に浮かんだのは、リンダ・ルイスであった。
勿論、ここでリンダの優位性を話したいのではない。70年代中盤以降、アリスタに移籍して
マジックを失ったリンダ・ルイスが、今デビューしたらこういうアルバムをつくるかもと思ったのだ。
ツボを押さえたバック・トラックと変幻自在のコリーヌの歌唱が、一体となったアルバムを聴きすすめると
先のような妄想もあながち間違ってないだろうと思うし、それはコリーヌの存在の重要性に繋がる。
私は音楽に「癒やし」は一切求めていない。求めるのは「高揚感」と「非日常」なのだが
素敵なメロディーに抗えるはずも無く、それは私の生活においては不幸なことに「非日常」でもある。
周りを見渡して欲しい。点けっぱなしのテレビから流れてくる「日常」の音、或いは音楽とやらの
無残な様に気がつくだろう。
ジャズもソウルもロックも咀嚼したSSW。音楽的に貪欲で様々なジャンルの要素がうかがえるところが、
個人的には窮屈で退屈とも感じられた従来の「SSW」という言葉から、感じられるイメージを壊したという
意味合いでも、近年登場した歌手の中では忘れられない人である。
こちらは今年出た、「THE LOVE EP」。5曲のカバー・ソングで
構成され、プリンスやポール・マッカートニー等の選曲とアレンジに驚かされるカバー好きには堪えられない盤である。
EPの最後にはドリス・デイのカバーというよりは、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのアレンジを踏襲した
長尺で圧倒的な存在感の「QUE SERA SERA」が収録されている。もし「続・カバー・ソング100選」(笑)を
構想する時があれば、この中から1曲選びたいと思わせる楽しい盤である。
「自身が不幸な立場に在るとき、良い曲が書ける」というニュアンスの事を言ったのは、かのブライアン・
フェリー。自己憐憫に満ちた歌うたいのフェリーさんらしい表現であるが、新しい幸福を見つけた時に
コリーヌがどんな歌を歌うのか、私はそれに興味があるし早くそんなアルバムを聴いてみたい。
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